Fate/stay night IF BEYOND THE EVER 作:Мир
夕食の片づけを終えてから、セイバーと居間に残った。
「日曜なら、朝から出られると思う」
帰り道で話しきれなかった城への招待について、もう一度相談する。
学校が終わってから出かけるには、どうも遠すぎる。イリヤが見せてくれた城の周りは森ばかりで、途中にどんな道があるのかも分からなかった。
「イリヤスフィールが案内するのですね」
「ああ。迎えに来てくれるって。セイバーも客として迎えると言ってた」
「バーサーカーも、その城にいる」
「いると思う。明日、公園で会うから、その時にもう一度聞くよ」
セイバーは湯呑みに手を添えたまま、少し考えていた。
「訪問中だけでなく、帰るまで互いに攻撃しない。それは確かめておいてください」
「分かった」
「それと、私の見えない場所へ一人で行かないこと」
「……城の中でもか」
「特に、城の中でです」
先に釘を刺されてしまった。
どれほど広い家でも、迷子になっただけで済むとは限らない。イリヤの後について歩くうちに、セイバーとはぐれました、では話にならないか。
「でも、来てくれるんだな」
「貴方を一人で行かせるわけにはいきません」
「うん。頼む」
そう言うと、彼女はようやく湯呑みを持ち上げた。
遠坂への電話はその後に済ませた。
今日の訪問で争いは起きなかったこと。今度は俺が招かれたこと。訪問は日曜日を考えているが、まだイリヤには話していないこと。
『……一日で、そこまで話が進んだわけ』
「家を案内してたら、そうなった」
『あんたの家を見たから、次は向こうの家?』
「そういうことだな」
受話器の向こうで遠坂が息を吐いた。
『セイバーは?』
「一緒に来てもらう。今、相談したところだ」
『なら、約束が決まったら教えて。出発する時間と、どこで落ち合うのかも』
「ああ。遠坂も、何かあったら言ってくれ」
『言うわよ。こっちの話もちゃんと聞いてもらうから』
最後だけ、少し強い声になった。
返事をして電話を切る。城へ遊びに行くことを話すだけなのに、確認することはずいぶんある。
それでも、日曜ならと口にした時には、もう行くつもりになっていた。
台所へ戻って、乾いた湯呑みを食器棚へ運んだ。
帰ってから空けておいた場所に二つ並べると、ちょうど収まった。
*
翌朝、一成に捕まった。
「衛宮。放課後に少し時間があるか」
「昼なら空いてるけど、今度は何が壊れたんだ」
「まだ何も言っていないだろう」
「そういう聞き方をされる時は、たいてい何か壊れてる」
一成は否定しなかった。
生徒会室の棚の戸が閉まらないらしい。見てみないことには分からないが、蝶番が緩んでいる程度なら昼休みで済むだろう。
「放課後じゃ駄目なのか」
「今日は約束があるんだ」
「ふむ」
一成が俺の顔を見る。
何か言われると思って待ったが、一成は黙ったままだ。そうされると、かえって気になる。
「なんだよ」
「いや。都合がある時はそう言え。毎回こちらに合わせなくてもよい」
「毎回ってほどじゃないだろ」
「では、昼に頼む」
話を終えた一成は先に教室へ入っていった。
その背中に続こうとして、廊下の向こうから来た慎二と顔を合わせる。
「相変わらず便利に使われてるね、衛宮」
「戸を直すだけだ。大したことじゃない」
「知ってるよ。おまえ、そういうの好きだもんな」
慎二は笑って、俺の横で足を止めた。
「そういえばさ。最近、遠坂と何を話してるわけ?」
「何って」
「見かけるんだよ。おまえたち、一緒にいるところ。前は挨拶もしなかったのに、急に仲良くなったんだ」
返事に詰まった。
魔術師だと分かったから話すようになった、とは言えない。だからといって、妙な作り話をしても後で困る。
「ちょっと、相談に乗ってもらってる」
「へえ。遠坂が、おまえの相談にね」
慎二は俺の肩越しに廊下を見た。
つられて振り返ったが、そこに遠坂がいるわけではなかった。
「まあ、あまり調子に乗らないことだね。向こうだって暇じゃないんだからさ」
それだけ言うと、慎二は片手を上げて行ってしまった。
相談をしているだけで、調子に乗ったつもりはない。言い返そうとしたところで予鈴が鳴り、俺も教室へ入った。
昼の修理はねじを締め直すだけで終わった。
棚の戸を何度か開け閉めして確かめ、一成と弁当を食べた。午後の授業も、いつもどおりに過ぎた。
最後の号令の後、机の中を確かめて鞄を閉じる。
家でセイバーと合流してから、公園へ向かった。
*
イリヤはベンチに座っていた。
俺たちに気づくと立ち上がったが、いつものようには駆けてこなかった。コートのポケットに手を入れ、何かを確かめている。
「待ったか」
「少しだけ。シロウの学校って、毎日こんな時間まであるの?」
「だいたいな。今日はすぐ出てきた方だぞ」
「ふうん。じゃあ、早く終わらせたご褒美をあげる」
差し出されたのは、四角く畳まれたハンカチだった。
「……俺のだろ、これ」
「ちゃんと返してあげたんだから、そういう顔しないの」
受け取ると、布の角まできちんとそろっていた。昨日貸した時よりも、よほど丁寧に畳まれている。
「ありがとう。洗ってくれたんだな」
「セラに頼んだの。わたしがやるって言ったら、かえって手間が増えますから、手を出さないでくださいって」
「それは……まあ、慣れてる人がやった方が早いこともある」
「シロウまでセラの味方するの?」
「いや、きれいになってるから、礼を言っただけだって」
ハンカチをポケットにしまうと、イリヤはその手を目で追った。
何か言いたそうだったが、俺が顔を上げる頃には、もうセイバーを見ていた。
「今日はセイバーもお買い物?」
「シロウに同行します。貴女と二人きりにするわけにはいきませんから」
「いいわよ。今日はお店を見るんだもの。剣を出したりしなければ」
「貴女にも同じことをお願いします」
「うん。シロウと遊んでる時に邪魔されるの、わたしも嫌だもの」
イリヤが俺の袖をつかんだ。
「というわけで、今日はあっち。見たいものがあるの」
商店街の方を指さす。
何を見るのかと聞き終わる前に、イリヤはもう歩き始めていた。
連れていかれたのは、食料品店の二軒隣にある小さな雑貨屋だった。
看板は知っている。店の前もよく通る。ただ、用がないので中へ入ったことはなかった。
イリヤは窓の前で俺を止め、ガラス越しに棚を指した。
「ほら、あれ。お花がついてるでしょう」
「あの鏡か」
「そう。昨日も見えたんだけど、シロウのお家に行くんだから、寄っちゃ駄目だと思って」
「言えばよかったのに」
「だって、早く行きたかったんだもの」
そう言ってから、イリヤは俺の袖を引き直した。
「今日はいいでしょう?」
「もちろん。見たいなら入ろう」
店の戸を開けると、小さな鈴が鳴った。
暖房の利いた店内には石鹸と木のような匂いがした。棚の間はあまり広くない。鞄を体の前へ持ってきて、飾られたものに引っかけないように進んだ。
「シロウ、こっち」
イリヤはもう目当ての棚で、白い花の模様がある手鏡と、蓋を開くと立てられる丸い鏡を並べていた。
「どっちがいいと思う?」
「使うなら、こっちかな」
丸い方を示した。
「どうして?」
「置けるだろ。両手が空くし、畳めば持ち歩く時も傷がつかない」
「……ふうん」
返事が気に入らなかったらしい。
イリヤは花のついた方を持ち上げて、俺の目の前へ差し出した。
「こっちは?」
「それもいいと思う。ただ、鞄の中で他のものとぶつけると」
「シロウ。わたし、丈夫な鏡を探しに来たんじゃないの」
横から、セイバーが棚を覗いた。
「持ち運ぶのであれば、蓋のある方が扱いやすいでしょう」
「ほら」
「セイバーには聞いてないわ」
即座に言い返され、セイバーの眉が動く。
どうやら、味方が増えたことを喜んでいる場合ではなかった。
「じゃあ、何を聞いてるんだ」
「わたしが持つなら、どっちがいいかって聞いてるの」
ああ、そういうことか。
鏡のことばかり考えていた。改めてイリヤを見る。
「それなら、花の方」
「……どうして?」
「その白い花、イリヤの髪と同じ色だろ。そっちの方が似合うと思う」
イリヤは鏡を胸元へ下げた。
一度、模様を自分の方へ向けて確かめる。それから俺を見上げた。
「初めからそう言えばいいのに」
「初めからそう聞いてくれ」
「シロウが勝手に、お店の人みたいなことを言い始めたんでしょう」
向こうのカウンターにいた店の人がこちらを見て笑っていた。
聞こえていたらしい。少し居心地が悪くなったが、イリヤは気にした様子もなく、今度は棚の下段を見始めた。
鏡一つを選ぶだけなら、すぐに終わると思っていた。
そうでもなかった。
イリヤは小さな箱の蓋を開け、何を入れるのかと俺に聞く。髪留めを見ていたかと思えば、次には妙な形の匙を持っていた。
「シロウ、これは?」
「砂糖を入れるんじゃないか」
「こんなに小さいのに?」
「だから、少しずつ入れられるんだろ」
「何回も入れなきゃいけなくなるじゃない。それなら最初から大きい方がいいわ」
「甘くしすぎないための大きさなんだと思うぞ」
「じゃあ、わたしにはいらないわね」
納得したように、イリヤは匙を棚へ戻した。
欲しいものは決まっている。そのわりに、目に入ったものは一通り確かめないと気が済まないらしい。
俺も途中から値札を先に見るのをやめた。
買うかどうかとは関係なく、見ているだけで話すことが出てくる。こんなものを誰が使うんだと思った品を、イリヤが気に入ることもあった。
反対に、俺が手に取った小さな道具入れには、あまり興味を示さなかった。
「これも、何か直す時に使うの?」
「ああ。引き出しが分かれてるから、ねじの大きさごとに」
「またねじのお話?」
「大きさを分けておくと、探す時に楽なんだって」
イリヤは、ふうん、と箱を覗き込んだ。
「じゃあ、シロウのお部屋は、こういうのを増やせばいいのね」
「いや。必要な分はある」
「でも、今は欲しそうな顔をしてたわ」
そういう顔をしていたのだろうか。
思わず箱を棚に戻すと、イリヤは楽しそうに笑った。
結局、買ったのは花の模様がある鏡だけだった。
イリヤは自分で財布を出し、小銭を手のひらに並べた。俺が横から小銭を指さすと、イリヤはその指を軽く押し戻した。
「分かるわよ。そのくらい」
「ああ、悪い」
「これは、こっち。あとは……これね」
確かめるように代金を出し、包みを受け取った。
店を出たらすぐポケットへしまうのかと思ったが、イリヤはしばらく包みを手に持っていた。
「寒くないか。手」
「平気」
そう言って、イリヤは空いている方の手で俺の袖をつかんだ。
「もう一軒、寄っていい?」
「時間なら、まだあるけど」
「じゃあ、あっち。さっき、おいしそうなのが見えたの」
今度は俺にも分かった。
パン屋の窓に焼き上がった菓子パンが並んでいる。
隣を見ると、セイバーも同じ方を向いていた。
「……夕飯までには帰るからな」
「分かってるわ。シロウったら、買う前から心配しすぎ」
俺の袖を引く力が少し強くなった。
*
公園へ戻って、三人でパンの袋を開けた。
イリヤが選んだのは、表面に砂糖のかかった丸いパンだった。切り込みの間からクリームが見える。
食べにくそうだと思って見ていたら、案の定、ひと口目で指にクリームがついた。
「ほら、紙」
「持ってるわよ」
イリヤは自分で指を拭いてから、俺のパンを見た。
「シロウのは、何が入ってるの?」
「何も入ってない。くるみが混ぜてあるだけ」
「それでよかったの?」
「こういうのも好きなんだよ。少し食べるか」
端をちぎって差し出すと、イリヤは受け取った。
しばらく噛んで、真面目な顔で頷く。
「おいしいけど、シロウのは明日の朝ごはんみたい」
「パンなんだから、朝飯にもなるだろ」
セイバーが小さく咳をした。
見ると、口元に手を当てている。笑ったのかもしれないが、こちらへ向いた時にはいつもの顔に戻っていた。
俺は袋を畳みながら、昨日の相談を持ち出した。
「イリヤ。城へ行くの、日曜はどうだ」
イリヤの手が止まった。
「今度の日曜日?」
「ああ。学校もないし、朝からならゆっくりできる。イリヤの都合がよければだけど」
「いいよ。わたしは、いつでも」
イリヤはすぐに答えたが、少し考え直すように目を伏せた。
「……うん。日曜がいいわ。セラにも、ちゃんと言っておかなくちゃ」
「バーサーカーもいるんだろ」
「いるわよ。わたしのお家だもの」
「俺たちが帰るまで、戦いにはしない。それでいいか」
イリヤはセイバーと俺を順番に見た。
「いいってば。バーサーカーにも、お客さまには手を出させないわ。セイバーも、剣より先にお茶を飲んでね」
「貴女が約束を守る限り、私から争いを起こすことはありません」
「なら、決まり」
イリヤは満足そうに頷いた。
指についた最後の砂糖を紙で拭き、俺の方へ少し体を寄せる。
「どこから見たい? シロウ、お庭も歩きたいって言ったでしょう。お茶は、その前と後、どっちがいい?」
「着くまでにどれくらい歩くかにもよるな。まだ、道も知らないんだから」
「わたしが案内してあげるから大丈夫よ。シロウが勝手に変な道へ行かなければ」
「行かないって」
まだ木曜なのに、日曜の話はいくらでも続いた。
広い廊下のこと。本のある部屋のこと。上から見ただけでは分からなかった庭のこと。
俺が一つ聞くと、イリヤは二つ、三つと教えようとする。それでいて、詳しく尋ねると、来てからのお楽しみだと言う。
「明日も、学校が終わったら来る?」
帰り際、イリヤが聞いた。
「来るよ。今日と同じくらいになると思う」
「じゃあ、明日はこっちから迎えに行こうかな。学校の方って、あまり歩いたことないもの」
「中へ勝手に入るなよ。知らない子が歩いてたら、先生に捕まるぞ」
「捕まらないわよ、そのくらいで」
「いや、そういう意味じゃなくてな」
イリヤは笑って、俺の袖を離した。
「分かってる。お外で待ってるから、ちゃんと見つけてね」
帰る時には、鏡の包みはもうポケットに入っていた。
イリヤは俺たちとは別の道へ向かい、角を曲がる前に一度だけ振り返って手を振った。
俺も手を振り返し、セイバーと家へ向かった。
夕飯の献立を考えかけて、朝の一成とのやり取りを思い出した。
俺の都合に合わせていい、と言われた。
棚の戸は直ったし、授業も受けた。明日の分の宿題も、そう多くはない。
帰ってからも、やることはちゃんと残っている。それなのに、ずいぶん長い時間、遊んでいたような気がした。