それでは本編へどうぞ!
『それぞれの楽しみ方』
取材から数ヶ月後…
夜の帳が下りた路地裏は、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。
まだ早い時間帯の『BAR BLUEBELL』の店内には、常連たちの姿もなく、ゆったりとしたジャズだけが静かに流れている。
カチャ、と裏口の重い鉄扉が開き、そこから一人の男が顔を覗かせた。
黒いワイシャツに黒のスラックス。腰には黒いソムリエエプロンを身につけた凪(なぎ)は、カウンターから持ち出したライターで、お気に入りのタバコの先端に小さな火を灯す。
ふぅーっ、と紫煙を夜空へと吐き出し、椿の柄が刻まれたチタンの指輪をはめた指先でタバコを挟む。少し気怠げに路地裏の闇を見つめるその姿は、昼間の気まぐれな兄ちゃんの顔とは違い、仕事を終えたばかりの大人の落ち着きを感じさせた。
――ピリリリ、ピリリリ。
静かな夜の空気に、凪のズボンのポケットから軽快な着信音が響いた。
凪はタバコをくわえたままスマホを取り出し、画面に表示された『大空スバル』の名前を見て、ふっと口元を緩める。画面をフリックし、耳元へと当てた。
「はい、BLUEBELLです」
『よっ、凪! 暇?』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、相変わらず元気いっぱいで、一切の遠慮がないスバルの声だった。凪は裏口の壁に背中を預け、クスクスと笑いながら応じる。
「いや、スバルから電話きたから暇じゃないかな」
『いや! 暇やんけ! 今、完全に暇だからその屁理屈が出てんだろぉ!!』
間髪入れずに飛んできたスバルのキレのあるツッコミに、凪は「あはは、バレた?」と嬉しそうにタバコの灰を落とした。本当にこいつと話していると、BARの静寂が一気に賑やかになる。
『まぁいいや! これからちょことあやめの3人で行くわ!』
「わかった、待ってるわー。気をつけておいで」
『うぃーす! じゃあねー!』
プツッ、と小気味よく切れた通話をポケットにしまい、凪は最後に一吸いしてからタバコの火を確実に消した。
鉄扉を閉め、琥珀色の光が満ちるカウンターの中へと戻る。
「スバルに、ちょこ先生にお嬢か……。また賑やかになりそうだな」
凪は黒いワイシャツの袖口を軽く整えると、3人の好きなグラスを用意しながら、仲間たちがやってくる店の入り口へと目を向けた。
今日もまた、いつもの賑やかな夜が始まりそうだった。
スバルとの電話を切ってから、ほんの数分後のこと。
静まり返っていたBARの入り口から、カランカランコロン! と今日一番の賑やかな音が響き渡った。
「ちわーす! 大空スバル入りまーす!! 凪、本当にガラガラじゃん!」
「あくしょ〜ん☆ 凪様、こんばんは〜❤ ちょこが来てあげたわよぉ」
「こんなきり! お主たち、静かにせんか(笑)。……凪、お邪魔するぞ!」
元気いっぱいなスバルの挨拶、甘く鼻にかかったちょこ先生の声、そして鈴を転がすようなお嬢(あやめ)の愛らしい第一声。
三者三様、あまりにも特徴的な2期生の挨拶が店内に響き渡った瞬間、それまでの静寂はどこへやら。店内は一気に、いつものアットホームな熱気に包まれた。
「はは、いらっしゃい。本当に一瞬でうるさくなったな(笑)」
凪はカウンターの奥でニヤニヤと悪戯っぽく笑いながら、3人を迎え入れた。仕事用の黒いワイシャツ姿でありながら、その表情は完全に、気心の知れた仲間たちを相手にするいつもの顔だ。
「うるさいとは何だよ! 暇な凪のために、スバル達がわざわざ賑やかしに来てあげたんだからね!」
スバルがカウンターの真ん中の席に勢いよく腰掛け、それに続くようにちょこ先生とお嬢も席に着く。
「あら、でも凪様、今日の黒シャツ姿もとってもスマートで素敵ねぇ❤ ね、あやめちゃん?」
「うむ! 普段のダボダボのパーカーもかわ余じゃが、やっぱりこの格好の凪はえらいシュッとして見えるのう!」
お嬢に無邪気な笑顔で褒められ、ちょこ先生にニヤニヤと覗き込まれると、凪は「っ……」と一瞬言葉を詰まらせ、少し気恥ずかしそうに黒い癖毛をガシガシと掻いた。
「……お前らなぁ、入ってくるなり寄ってたかって弄るのやめろって(笑)。はい、おしぼり。」
凪は温かいおしぼりを3人の前へと差し出すと、流れるような所作でカウンターの内側を動き始めた。
「ちょこ先とお嬢は、キープボトルでいいんだよね」
「はーい❤」
「うむ、余はそれで頼むぞ!」
「はいよ。じゃあ、ちょこ先のは――」
凪は言いながらカウンターの下に手を伸ばし、重厚な輝きを放つ一本のボトルを取り出した。
「ちょこ先のは……これね。ロンサカパXO。飲み方はロックでいい?」
「せいかーい❤ さすが凪様、分かってるわねぇ」
凪は丸く削り出した氷をロックグラスに入れ、そこへ琥珀色のラムを静かに注いだ。グラスを軽く回すと、熟成されたラムの甘く芳醇な香りがカウンターに広がる。
「で、お嬢は――」
凪は今度はカウンター奥の日本酒用冷蔵庫の扉を開け、中を探した。だが、あるはずの場所に目的の瓶が見当たらない。
「……あれ? お嬢のボトル、前回来た時に空いてるわ」
「あれ? そうだっけ? 余、覚えてないかも……」
お嬢は人差し指を顎に当てて、あちゃーとばかりに首を傾げている。凪はクスクスと笑いながら、冷蔵庫の奥へとさらに手を伸ばした。
「あはは、あんなに美味しそうにグイグイ飲んでたら忘れるか(笑)。別のボトルならすぐに用意するけど、どうする?」
「じゃー! それで!」
「はいよ」
凪がそう言って裏の保管庫から出してきたのは、すっきりと澄んだ美しいガラスの四合瓶だった。
「じゃあこれ、お嬢の好きそうなやつ。新潟の『得月(とくげつ)』。純米大吟醸だよ。ラベルの丸い穴から覗く黄色い和紙が、夜空に浮かぶ満月みたいに見えるんだ」
「おー! ラベルかわ余! 余、それがいい! 冷酒で!」
お嬢は満月を思わせるラベルを見て、一瞬で目を輝かせておねだりした。凪は「はいはい、冷酒ね」と、冷えたお猪口を用意して、グラスへと酒を注いでいく。
「はいよー。……で? スバルは?」
二人の準備を終えた凪は、最後に残ったスバルの方を向き、わざとらしく口元をニヤニヤと歪めて、ちょっと意地悪なトーンで尋ねた。
「おい!!! スバルが飲めねぇの知ってんだろ!! 凪お任せのノンアルカクテルで!!」
期待通りの大声でキレるスバルに、凪は「あはは、知ってる知ってる(笑)」と大満足そうに声を上げて笑った。
「はいはい。じゃあスバルには、すっきりして飲みやすいやつな。……ちょっと待ってて」
そこからの凪の動きには、一切の無駄がなかった。
シェイカーに氷とフレッシュなシトラスジュース、クランベリー、そして少しのジンジャーエールを注ぎ込む。カチャカチャカチャ、と小気味いいシェイカーの音が店内に響く。調理や作業の邪魔にならないよう、袖を軽くまくった黒いワイシャツから覗く前腕が、手際のよさを引き立てていた。
「はい、スバル。特製ノンアルカクテル、シャーリーテンプル・ブルーベル風。……お待たせ、みんなお疲れ様」
鮮やかな赤とシトラスの泡が綺麗な一杯がスバルの前に差し出され、3人のグラスがカウンターに出揃った。
「ふっふっふ……。お酒も揃ったところでさぁ、凪。ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」
スバルはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、足元のカバンから一冊の真新しい雑誌を引っ張り出し、ウッドカウンターの上へドン! と勢いよく叩きつけた。
「凪!! このQ&Aはなんだよ!!」
その瞬間、カウンターの奥で3人のためにそれぞれ違うチャーム(お通し)を小皿に盛り付けていた凪は、手を止めて目を細めた。
「うお、びっくりした……。なんだよ、スバル。包丁扱ってるから危ねぇだろ(笑)」
凪が仕込みの手を止めて覗き込んだカウンターの上には、彼が数ヶ月前に取材に答えたローカル誌『月刊テラス』が乗っていた。
「危ねぇじゃないわ! スバルがこれを手に入れるために、コンビニ何軒もハシゴさせられたと思ってんだよ! 出身地と誕生日と、営業時間が夜5時から3時までってことしか書いてねぇじゃん! 凪、あんだけ取材で喋ってたって言ってたのに、文字これだけってどういうことだよ!」
身を乗り出して一問一答(Q&A)のページをガシガシと指差すスバルに、凪は「あはは」と可笑しそうに口元を緩め、再び手際よくチャームの仕上げに取りかかった。
「いや、俺に言われてもさ(笑)。編集の佐藤さんが『誌面の都合でバッサリいきます!』って言ってたから、本当に最低限の事実だけになったんだろ。まぁ、俺としては恥ずかしい昔話が載らなくてホッとしたんだけどさ」
「あらあら〜❤ 凪様はそうやって作業しながら上手く誤魔化すけどぉ……ちょこが気になったのは文字じゃなくて『写真』の方よ?」
ちょこ先生が細い指先でページをめくると、カメラマンの鈴木が切り取った、凪の大きな写真が現れた。
「あ〜、これこれぇ❤ 凪様のオンオフの写真がすごいのよねぇ。お店の前でダボダボの黒パーカー着て眠そうにしてる時と、今こうして黒シャツ姿でチャームを作ってる時のギャップ……。同じ人なのに、雰囲気が全然違うんだもの」
「うむ! 余もそう思うぞ! このパーカー姿の凪はちょっと頼りない感じでかわ余じゃが、今の黒シャツ姿は本当にシュッとしておるのう! 凪、これ狙って撮らせたのか?」
お嬢までがニヤニヤと楽しそうに顔を近づけて弄ってくると、凪は完成した三つの小皿をカウンター越しにサッと差し出しながら、「狙ってねぇよ(笑)」と、黒い癖毛を気恥ずかしそうにガシガシと掻いた。
「はいはい、お前ら弄りすぎ。……それより、お酒飲むならこれ食べな。ちょうど出来上がったからさ」
差し出されたお皿の上には、3人それぞれのグラスに合わせ、丁寧に仕込まれたチャームが並んでいた。
「はい、ちょこ先には『カマンベールのはちみつがけ』。ロンサカパの熟成された濃厚な甘みと、はちみつのコクがよく合うから」
「うわぁ、美味しそう……❤ ラムの香りがさらに引き立つわねぇ。凪くん、ありがと」
ちょこ先生は嬉しそうに目を細め、とろりとしたチーズを口に運んだ。
「で、お嬢には『数の子チーズ』。そっちの『得月』の上品な味わいに、数の子のプチプチした食感と塩気が合うと思うんだよね」
「おー! 数の子チーズじゃと! 余、これ大好きじゃ! ……んん〜っ、大吟醸にめちゃくちゃ合うのう!」
お嬢は幸せそうに頬を緩め、涼やかな徳利からお猪口へとお酒を注ぎ直した。
そして最後に、凪はスバルの前に、飾り気のないシンプルな小皿をコトッと置いた。
「で、スバルにはこれ。『カマンベール単体』な」
「えっ、スバルだけはちみつとか数の子とか入ってないんだけど! 凪、スバルだけ手ぇ抜いたな!?」
すかさず吠えるスバルに、凪はニヤニヤと悪戯っぽく笑いながら、ストローの刺さった彼女のノンアルカクテルを指差した。
「手ぇ抜いてねぇよ(笑)。お前が飲んでるノンアルのクランベリーカクテルは、元々すっきりした甘みと酸味があるからさ。はちみつをかけちゃうと甘すぎて、口の中がうるさくなるんだよ。だからシンプルにカマンベール単体でつまむのが一番美味いんだって。ほら、食べてみな」
「え、あ、そういうこと……? ……んぐ。あ、本当だ! チーズのクリーミーな味がカクテルの酸味で引き締まって、めっちゃ美味い……!」
「だろ? だから言ったじゃん」
凪はスバルの反応に満足そうに頷くと、再び流れるような所作でグラスを磨き始めた。
カウンターの向こうで、美味しそうにチーズを頬張るスバルと、嬉しそうにお酒を嗜むちょことあやめの姿を、凪は穏やかに眺める。
ここにいる3人とは、もう随分と昔からの付き合いだ。
すべての始まりは、凪がここ千葉へと引っ越してきた時のことだった。
右も左も分からなかった路地裏で、近所に住んでいたスバルに「おいお前! 見ない顔だな! 何してんだ!」と、一切の遠慮なしにぐいぐいと絡まれたのがきっかけだった。あの猛烈な勢いに圧倒されながらも、気づけば毎日のように言葉を交わすようになり、そのスバルの繋がりから、ちょこ先生、そしてあやめとも自然に親しくなっていったのだ。
今となっては、お互いの格好悪いところも、素のトーンも知り尽くしている、いわゆる『腐れ縁』というやつだ。
だからこそ、凪がどれだけ無愛想に受け流そうとも、3人は凪の不器用な優しさをよく理解している。凪もまた、彼女たちがこうして「ただの自分」に戻って笑えるこの場所を、何よりも大切に守り続けていた。
「はいはい。お前は本当に、昔から食い意地だけは変わんねぇな(笑)」
凪はそう言いながら、新しくカマンベールチーズをカットしてスバルの皿へと乗せた。ひと息ついたところで、凪はカウンターに置かれた『月刊テラス』に目を落とし、ふと思い出したように3人に問いかけた。
「てかさ……さっきスバル、この雑誌を手に入れるために何件もコンビニ回らされたって言ってたけど、なんでそんなことになってんの? たかが地域のローカル誌だろ?」
凪の素朴な疑問が飛び出した瞬間、それまで勢いよくチーズを齧っていたスバルの動きがピタッと止まった。
「うっ……そ、それは……」
スバルは急に視線を泳がせ、歯切れの悪い様子でノンアルカクテルのストローをちゅーちゅーと吸い始めた。わかりやすすぎる動揺っぷりに凪が眉をひそめると、隣でロンサカパを揺らしていたちょこ先生が、待ってましたとばかりにクスクスと笑った。
「ふふふ❤ 凪様、教えてあげるわね。実はね、事務所内でスバルちゃんが『凪の家に行ったことある』ってポロッと言っちゃったのよぉ。そしたら、周りにいた他の人たちから大ブーイングを受けちゃって。その結果、スバルちゃんが罰ゲームとして、みんなの分の雑誌を買いに行かされたのよねぇ〜」
「ちょこ先ぃーーー!!! 余計なこと言わなくていいから!!!」
スバルが顔を真っ赤にして叫ぶ。その横で、お嬢も思い出したようにケラケラと鈴を転がすように笑いながら、得月のお猪口を置いた。
「うむ! 本当に凄かったぞ! 事務所のみんな、凪のオンオフの写真を見て『欲しい! 欲しい!』って大騒ぎしとったからな! スバルが両手に雑誌を抱えて戻ってきた時は、みんなで奪い合いじゃったぞ!」
「おいあやめまで言うなー!! 凪、今のなし! なしだからな!」
恥ずかしさのあまりカウンターに突っ伏すスバルを見て、凪は目を点にした後、ポンと手を叩いて声を上げて笑った。
「あははは! なるほどね、自業自得じゃん(笑)。スバルが俺の家に来たことあるって話したから、他のホロメンのパシリにされたわけだ」
「自慢してねぇよ! 事実を言っただけだろぉ! あーもう、凪の意地悪!」
「あー、おかわり!」
顔を真っ赤にしたスバルが、空になったグラスをカウンターの向こうへ差し出しながら鼻を鳴らした。
「はいはい。今度は少し酸味強めにしてやるから、それ飲んで頭冷やせ(笑)」
凪は慣れた手つきでシェイカーを握り、スバルのために再びノンアルカクテルを作って差し出した。
夜の時間は有限だ。
この『BAR BLUEBELL』のカウンターで過ごす時間は、いつもくだらない雑談や他愛のない昔話で、あっという間に過ぎ去っていく。
ちょこ先生がロンサカパを美味しそうに揺らし、お嬢が数の子チーズを口に運んで「んん〜、美味い!」と笑顔を見せる。そんな、いつもと変わらない穏やかな空気が流れていた、その時だった。
チーズの最後の一口を飲み込んだスバルが、あ、と思い出したようにポンと手を叩いた。
「あ、そういう……。ねぇ凪、今度うちら3人でコラボ配信するんだけどさ」
「ん? ああ、そうなんだ。頑張れよ」
グラスを磨きながら生返事をする凪に、スバルはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、身を乗り出して唐突に宣言した。
「そこに、凪も参加な!!」
「「……はぁっ!?」」
凪の返事よりも早く、両隣にいたちょこ先生とお嬢の声が完璧にハモった。注文した覚えのない特大の爆弾発言に、二人はお猪口とグラスを握ったまま、目を丸くしてスバルを凝視している。
「ちょっと、スバル!? 凪様をコラボに呼ぶなんて、そんな話聞いてないわよぉ!?」
「うむ! スバル、それは余も初耳じゃぞ! 凪を配信に出す気か!?」
慌てる二人をよそに、凪はグラスを拭く手を止めると、心の底から呆れたような目をスバルへと向けた。
「いやいや、ダメだろ。何言ってんだお前。……あとさ、お前、それ谷郷さんとマネージャーにちゃんと許可とったのかよ」
「うっ……許可は、これからとるんだよ!! 凪がOKって言えば、スバルがマネージャーちゃんに全力で直談判しにいくから!」
「順番が逆だし、そもそも俺は出ねぇよ(笑)」
凪はフッと笑って首を振ると、「はいはい、その話はまた今度な」と、大騒ぎする3人から少し距離を取るようにカウンターの端へと歩を進めた。
凪は呆れたように笑いながら、ポケットから黒い電子タバコを取り出した。
「ちょっと一服失礼」
そう言いながら、凪は電子タバコを手にした。気心の知れた腐れ縁の3人しかいない今、ひと息ついて頭を冷やしたい気分だった。
すぅーっ、と息を吸い込み、吐き出された白い蒸気が、琥珀色のライトの中に静かに溶けていく。
黒いワイシャツの袖口から覗く指先には、椿の柄が刻まれたチタンの指輪。普段のダボダボのパーカー姿とは違う、仕事中の凪の姿だった。
「はぁ……。で? 百歩譲ってそのコラボが実現するとして、一体何やるんだよ」
凪は白い蒸気をふぅーっと天井へ吐き出しながら、半ば諦めたように尋ねた。するとスバルは待ってましたとばかりに、胸を張って拳を握りしめる。
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた! 内容はこれから考えるんだけどさ! 身内だけのコラボだから大丈夫! マネちゃんと谷郷には、スバルがパッションで直談判して許可もぎ取ってくるから!!」
「いや絶対に無理だろ。パッションで動く会社じゃねぇだろ(笑)」
そんな風に凪とスバルがいつも通りの喧騒を繰り広げている最中、カウンターのこちら側では、ちょことあやめの二人がピタッと静止していた。
二人の視線は、会話の内容そっちのけで、カウンターの端にいる凪へと向けられていたのだ。
仕事着の黒いワイシャツに、カウンター越しの琥珀色の光。電子タバコを手にした凪の横顔は、いつもより少し落ち着いて見える。指先のチタンの指輪が光を受けて、小さくきらめいていた。
普段の気さくな姿との違いが気になったのか、二人はいつの間にか、凪の横顔をじっと見つめてしまっていた。
「……ん?」
あまりに熱い視線を感じたのか、凪がフッとこちらを振り向いて二人の視線と真っ直ぐにぶつかった。凪は自分が電子タバコを手にしていることを思い出し、少し申し訳なさそうに眉を下げる。
「なに? ……煙、気になった? ごめん、やっぱり裏口行くわ」
「う、ううん! 別に!! 気にならないから大丈夫よぉ……っ」
ちょこ先生は慌てて首を振り、少しだけ赤くなった顔を隠すようにロンサカパのグラスへと口をつけた。
だが、その隣にいたお嬢は違った。あやめは目を逸らすどころか、満面の無邪気な笑顔を凪へと向け、ど直球に言葉を返したのだ。
「うむ! 気にならんぞ! 余はな、凪のことをガン見しておったのじゃ! 普段の凪はあんまりタバコを吸うところを見せてくれんからな。いつもと雰囲気が違って、えらい格好よく見えておった!」
「げほっ……おま、お嬢、お前なぁ……(笑)」
あまりにも真っ直ぐな褒め言葉に、今度は凪の方が完全に不意を突かれ、電子タバコの蒸気に小さくむせ返った。
チタンの指輪をはめた手で口元を覆い、少し気恥ずかしそうに黒い癖毛をガシガシと掻く凪。
「あははは! 凪、あやめにど直球で褒められて照れてやんのー!」
「うるせぇスバル、おかわりはもうやらん(笑)」
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、店内のアンティークな壁掛け時計の針は、深夜0時を指し示していた。
「あー、楽しかった! さて、スバル達は明日もあるし、そろそろ帰るかな!」
スバルがグラスを置いてぐっと伸びをする。凪は「はいよ」と笑いながら、手際よく3人分のお会計をまとめたレシートをホルダーに挟んでカウンターに置いた。
「うむ! 余、帰る前にお手洗いに行ってくるぞ!」
「あ、あやめ待って! スバルも行く!」
お嬢がトタトタと席を立ち、スバルがそれを追いかけるようにして、2人は奥のお手洗いへと並んで向かっていった。
カチャ、と扉が閉まり、賑やかだった店内に、束の間の静けさが訪れる。
カウンターに残ったのは、ロンサカパのグラスを指先で弄っているちょこ先生だけだった。
凪は使ったシェイカーを洗い流し、タオルで手を拭きながら、少しだけ声を落として隣へと歩み寄った。
「……なぁ? ちょこ先」
「ん? なあに、凪様?❤」
ちょこ先生はいつものように、いたずらっぽい笑みを浮かべて凪を見上げた。
凪はカウンターの上を軽く片づけてから、彼女の顔へと目を向けた。
「最近、ちょっと頑張りすぎじゃねぇ? ……無理すんなよ」
「っ……」
ちょこ先生は一瞬、返事に詰まった。
普段から周りを気遣い、誰かに頼られれば自然と手を差し伸べる彼女だ。だからこそ、頑張っている自分のことは、つい後回しにしてしまうこともある。
凪は何か特別なことを見抜いたわけではない。ただ、いつもより少し疲れて見えたことが気になって、声をかけただけだった。
「な、何言ってるのよぉ……。ちょこは、いつでも元気よ……?」
ちょこ先生は少しだけ顔を赤くして、凪から視線を逸らした。氷の溶けかけたグラスを両手で包み込み、誤魔化すように笑う。
「そうか? ならいいんだが」
凪はそれ以上問い詰めることもなく、ふっと目元を和らげた。
「ま、何かあったら話くらいは聞くからさ。あんまり一人で抱え込むなよ」
そう言って、凪はカウンター越しにそっと手を伸ばし、彼女の頭を軽くポンと撫でた。
いつものようにからかうわけでも、何かを求めるわけでもない。ごく自然な、気遣いの延長のような仕草だった。
「……っ」
ちょこ先生は小さく肩を跳ねさせた。
凪は特に気にした様子もなく、すっと手を引く。
「さて、そろそろあいつら戻ってくるかな。会計も済ませてあるし、忘れ物だけ確認しとけよ」
「……う、うん。ありがとう、凪くん」
ちょこ先生はいつもの調子に戻ろうと笑顔を作ったものの、頬の赤みはなかなか引かなかった。
カウンターの奥へと戻っていく凪の背中を、ちょこ先生はしばらく目で追っていた。
彼にとっては、きっといつも通りの気遣いなのだろう。
誰かが疲れていれば声をかける。困っていれば手を貸す。特別扱いするわけでもなく、当たり前のように。
それが分かっているからこそ、余計に胸の奥がくすぐったかった。
そして、凪には聞こえないほどの小さな声で、ちょこ先生はぽつりと呟いた。
「……そういうところが、虜にされるんだから。……ばか」
その甘くて切ない呟きは、BARのBGMのジャズの中に静かに溶けて消えていった。
「お待たせー! いや〜すっきりした!」
「うむ! 凪、お会計は余が払うぞ!」
お手洗いから戻ってきたスバルとお嬢の賑やかな声が店内に響き、2人だけの静かな時間は幕を閉じる。
「ごちそうさま❤ 本当に素敵な時間だったわ、凪くん」
「うむ! 数の子チーズ、最高じゃったぞ!」
お会計を済ませ、3人を見送る凪は「はいよ、ありがとね」とお店の入り口まで見送った。
カランカラン、と夜の街へ繋がる扉が開いた、その時だった。
「また来る余ーーーっ!」
お嬢(あやめ)が満面の笑顔でそう叫ぶや否や、なんの躊躇もなく、カウンターの向こうから出てきていた凪の腰へとガシッと正面から抱きついたのだ。
「「――――はぁっ!?」」
これには、一緒に並んでいたスバルとちょこ先生の声が完璧に重なった。
「おいあやめ!! ばか、お前何してんねん!!」
「あ、あやめ様!? ちょっとぉ……っ!」
本気で顔を真っ赤にして動揺するスバルと、大人の余裕をなくして慌てるちょこ先生。
当の凪はというと、突然のハグにも全く動じず、フッといつものお兄ちゃんの顔で笑うと、チタンの指輪をはめた手であやめの黒い髪を優しくポンポンと撫でた。
「はいはい。またいつでも来いよ。ちゃんと美味いもん用意しとくからさ」
「むふふんーっ!」
凪の手のひらの温かさに、あやめは鼻を鳴らして最高にご満悦な様子で身体を離した。
「じゃあね、凪くん。さっきのこと覚えてなさいよ…。」
ちょこ先生はまだ少し耳を赤くしたまま、凪にだけ聞こえる含みを持たせた声でそう告げると、あやめの手を引いて一足先に夜の路地裏へと歩き始めた。
――扉の前には、凪とスバルの2人だけが残される。
スバルは、歩いていく2人の背中をチラッと見た後、向き直って「じーっ……」と、不満げに尖らせた唇で凪の顔を睨みつけた。
「……な、何だよ、スバル」
「……このたらし野郎」
「はぁ? 意味わからん。お嬢が勝手にくっついてきただけだろ(笑)」
凪が呆れたように肩をすくめると、スバルはさらに顔を赤く染め上げ、今にも爆発しそうなほど全力でモジモジしながら、服の裾をぎゅっと握りしめた。
「……スバルだって、女の子なんだから。……ん! 頭、撫でろよ!」
そう言って、スバルは照れ隠しに目をギューッと瞑りながら、凪の前へと勢いよく頭を突き出してきた。
普段は男勝りで元気いっぱいのスバルが、今この瞬間だけは、完全にただの「可愛い一人の女の子」になって甘えてきている。
凪は一瞬だけ驚いたように目を丸くしたが、すぐに「ふっ……」と、降参したように目元を和らげた。
「はいはい。本当、お前は昔から分かりやすいな(笑)」
凪は少し大きめの手で、スバルの短い髪をごしごしと、少し乱暴に、だけど優しく撫でてやった。
「わっ、ちょっと、乱暴すぎ! ……へへ、でも、ありがと!」
頭を撫でられ、すっかり大満足して顔を輝かせたスバルは、満開の笑顔を凪に向けた。
「じゃ! またね、凪!」
スバルは元気いっぱいに手を振ると、先に歩いていたちょこ先生とあやめの後を、ぴょんぴょんと跳ねるような足取りで嬉しそうに追いかけていった。
3人の賑やかな足音が遠ざかり、再び静寂が戻ってきた路地裏。
凪は髪を撫でた自分の手のひらを少しだけ見つめた後、ふぅーっと夜の冷たい空気に息を吐き出した。
「やれやれ……あいつら、本当に何がしたいんだか(笑)」
そう口では呆れつつも、その表情には隠しきれないほどの愛おしさが滲んでいた。
凪は幸せな余韻を抱えたまま、大好きな『腐れ縁』たちが帰っていった夜空を見上げ、ゆっくりと店の中へと戻るのだった。
という訳で今回は
2期生でした!
んー!!
口調が難しい…違ったらすみません!
(特にちょこ先とあやめちゃん難しい!
スバル?声がでかいだけや(偏見です。スバ友です許してください。))
アドバイスとかあれば…!!
では…次回のお話でお会いしましょ!
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