星野ルビーは、兄より先に復讐を終わらせる   作:M1tarash1

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黒い星
01.先生を奪った人


先生は、もういない。

 

 そんなこと、わかっていた。

 

 宮崎の山中で見つかった白骨遺体。身元が確認されたわけではない。それでも、ルビーにはわかってしまった。

 

 あれは、先生だった。

 

 雨宮吾郎。

 

 前世で入院していた病院の産婦人科医で、何度も病室を訪ねてくれた人。病気で学校にも通えなかった自分に、外の世界の話をしてくれた人。

 

 そして、いつか自分が大きくなったら結婚してほしいと、子供じみた約束をした人。

 

 もう一度会えると信じていた。

 

 星野ルビーとして生まれ変わってからも、ずっと。

 

 いつか有名なアイドルになれば、先生が見つけてくれるかもしれない。そんな、根拠のない期待を胸に抱いていた。

 

 けれど。

 

 その願いが叶う日は、永遠に来ない。

 

「……っ」

 

 ルビーは自室のベッドに座り、両手を握りしめた。

 

 泣きすぎて、もう涙も出なかった。

 

 窓の外はすっかり暗くなっている。

 

 リビングからは、テレビの音が聞こえた。誰かが笑っている。楽しそうな声だった。

 

 どうして笑えるんだろう。

 

 先生が死んだのに。

 

 どうして世界は、何事もなかったみたいに動いているんだろう。

 

 もちろん、そんなことを言ったって仕方がない。

 

 誰も知らないのだから。

 

 星野ルビーが、かつて天童寺さりなという少女だったことも。

 

 雨宮吾郎という医師が、その少女にとってどれほど大切な存在だったのかも。

 

 誰も。

 

 知らない。

 

 ――いや。

 

 一人だけ、知っている人がいる。

 

 宮崎で出会った、あの不思議な少女。

 

 彼女は言った。

 

 先生の死には、二人の男が関わっていたのだと。

 

 一人は、すでに死んでいる。

 

 そして、もう一人は。

 

 まだ生きている。

 

「……許さない」

 

 口からこぼれた言葉に、自分でも驚いた。

 

 こんな声が出るんだ。

 

 自分のものとは思えないほど、冷たい声だった。

 

「絶対に……許さない」

 

 先生を奪った人間がいる。

 

 その人間は、今もどこかで普通に暮らしている。

 

 朝になれば目を覚まし、ご飯を食べて、誰かと笑っているのかもしれない。

 

 先生には、もうそんな当たり前の日常さえないのに。

 

 ルビーは顔を上げた。

 

 机の上に、一枚の写真が置いてある。

 

 星野アイ。

 

 世界で一番大好きだった、母親。

 

 その笑顔を見るだけで、胸の奥が痛くなった。

 

「……ママ」

 

 母親が亡くなった日のことは、今でも覚えている。

 

 あの日から、ずっと心のどこかに穴が開いていた。

 

 それでも、ルビーは前を向こうとしてきた。

 

 ママみたいなアイドルになる。

 

 いつか先生に見つけてもらう。

 

 その二つがあったから、頑張れた。

 

 なのに。

 

 もう、先生はいない。

 

 そして、ママもいない。

 

 大切な人が二人とも、自分の知らない誰かによって奪われた。

 

 あの少女の話が本当なら、二つの事件は無関係ではない。

 

 偶然だなんて、思えなかった。

 

「……なんで」

 

 ルビーは写真を手に取った。

 

「なんで、ママも先生も……」

 

 答えは返ってこない。

 

 写真の中のアイは、いつもと同じ笑顔を浮かべている。

 

 それが、ひどく遠く感じた。

 

     ◇

 

「ルビー?」

 

 扉の向こうから声がした。

 

 アクアだ。

 

「……なに」

 

「ミヤコさんが飯できたって」

 

「いらない」

 

「昼もろくに食ってないだろ」

 

「お腹すいてない」

 

 少しの沈黙。

 

 それから、扉の向こうで小さなため息が聞こえた。

 

「……体調悪いのか?」

 

「別に」

 

「なら、少しでも食べろよ」

 

「うるさいな」

 

 思ったより強い声が出た。

 

 扉の向こうが静かになる。

 

 ルビーは唇を噛んだ。

 

 違う。

 

 お兄ちゃんは何も悪くない。

 

 ただ心配してくれているだけだ。

 

 そんなこと、わかっている。

 

 それでも今は、誰とも話したくなかった。

 

「……ごめん」

 

 小さく呟く。

 

 聞こえたかどうかは、わからない。

 

「……あとで食べる」

 

「わかった」

 

 足音が遠ざかっていく。

 

 ルビーは扉を見つめた。

 

 お兄ちゃんは、知らない。

 

 先生のことも。

 

 私が何を考えているのかも。

 

 きっと、知らない。

 

 そして。

 

 知らなくていい。

 

 ルビーはそう思った。

 

 これは、自分の問題だから。

 

 先生を失ったのは、自分だ。

 

 先生の仇を取りたいのも、自分だ。

 

 お兄ちゃんには関係ない。

 

 だから、巻き込まない。

 

 ――そう決めた。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 ルビーはいつもより早く起きた。

 

 鏡の前に立ち、自分の顔を見る。

 

 ひどい顔だった。

 

 目元は腫れ、表情も暗い。

 

 これでは、アイドル失格だ。

 

「……笑わなきゃ」

 

 鏡に向かって口角を上げる。

 

 ぎこちない笑顔。

 

 もう一度。

 

 今度は、少しだけうまくできた。

 

 もう一度。

 

 もう一度。

 

 何度も繰り返す。

 

 やがて、鏡の中にいつもの星野ルビーが現れた。

 

 明るくて、元気で、少し騒がしくて。

 

 誰よりもアイドルに憧れている少女。

 

「……うん」

 

 これでいい。

 

 誰にも気づかれなければ、それでいい。

 

 ルビーはスマートフォンを手に取った。

 

 画面には、B小町の仕事に関する連絡がいくつか届いている。

 

 その中に、ミヤコから送られてきたメッセージがあった。

 

『今度の仕事、少し大きな話になりそうよ。詳しくは事務所で説明するわ』

 

 ルビーは、その文章をじっと見つめた。

 

 仕事。

 

 芸能界。

 

 ママが生きていた世界。

 

 先生を奪った人間も、もしかしたらその世界のどこかにいるのかもしれない。

 

 今の自分には、何もない。

 

 名前も知らない。

 

 顔も知らない。

 

 どこにいるのかさえ、わからない。

 

 でも。

 

 だったら、探せばいい。

 

 そのために必要なものを、手に入れればいい。

 

 知名度。

 

 人脈。

 

 情報。

 

 そして、誰にも疑われない笑顔。

 

 ルビーはメッセージに返信した。

 

『了解! めっちゃ楽しみ!』

 

 送信。

 

 いつもと変わらない、明るい文章。

 

 画面を閉じると、ルビーはもう一度鏡を見た。

 

「……待っててね、先生」

 

 笑顔のまま、呟く。

 

「絶対、見つけるから」

 

 誰を。

 

 そんなことは、言うまでもない。

 

 先生を奪った人間。

 

 ママを奪った人間。

 

 そのすべてを。

 

 星野ルビーは、必ず見つけ出す。

 

 そして。

 

 ――絶対に、許さない。

 

     ◇

 

「おはよー!」

 

 リビングに入ると、ルビーはいつもの調子で声を上げた。

 

「あら、今日は早いのね」

 

 ミヤコが少し驚いた顔をする。

 

「えへへ! なんか目が覚めちゃって!」

 

「昨日は元気なかったけど、もう大丈夫?」

 

「うん! 全然へーき!」

 

 笑う。

 

 いつも通りに。

 

 完璧に。

 

 テーブルでは、アクアが朝食を食べていた。

 

 彼はルビーを一瞥する。

 

「……無理すんなよ」

 

「なにそれ。お兄ちゃん、心配性すぎ!」

 

「……そうか」

 

 アクアはそれ以上、何も言わなかった。

 

 ルビーは席に着く。

 

 パンを手に取り、何気ない会話を続ける。

 

 今日の仕事のこと。

 

 学校のこと。

 

 ロリ先輩が昨日言っていたこと。

 

 いつも通りの日常。

 

 いつも通りの星野ルビー。

 

 ただ一つだけ。

 

 昨日までとは、決定的に違うことがあった。

 

 もう、彼女は夢だけを追っていない。

 

 夢の向こうに、別の目的ができた。

 

 その目的のためなら、どんな嘘だってつく。

 

 どんな笑顔だって浮かべてみせる。

 

 母親が、かつてそうしていたように。

 

 ――私は、嘘つきになる。

 

 ルビーは笑った。

 

 誰にも、その意味を悟らせないまま。

 

     ◇

 

 その日の夜。

 

 アクアは、リビングで一人、スマートフォンを見ていた。

 

 画面には、仕事関係の連絡が並んでいる。

 

 だが、彼の意識は別のところにあった。

 

 ルビー。

 

 宮崎から帰ってきて以来、妹の様子がおかしい。

 

 落ち込んでいるかと思えば、急に明るく振る舞う。

 

 何かを隠している。

 

 そんな気がした。

 

「……何があったんだよ」

 

 小さく呟く。

 

 当然、答えはない。

 

 アクアはスマートフォンを伏せた。

 

 ルビーには、できるだけ普通の人生を送ってほしかった。

 

 母親のような悲劇には、絶対に巻き込みたくない。

 

 そのためなら、自分がどれだけ汚れたって構わない。

 

 そう思っていた。

 

 だからこそ。

 

 妹の瞳に宿り始めた、あの暗い光が気になった。

 

 どこかで見たことがある。

 

 いや。

 

 知っている。

 

 あれは。

 

 自分自身が抱いていたものと同じだ。

 

「……まさかな」

 

 アクアは首を振った。

 

 考えすぎだ。

 

 ルビーに限って、そんなことはない。

 

 そう思いたかった。

 

 けれど。

 

 このときのアクアは、まだ知らなかった。

 

 自分が復讐のために歩んできた道を。

 

 妹が、別の場所から追いかけ始めていることを。

 

 そして、その妹がいつか。

 

 自分より先に、復讐の終着点へたどり着いてしまうことを。




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