星野ルビーは、兄より先に復讐を終わらせる   作:M1tarash1

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02.星野ルビーは笑わない

星野ルビーは、笑顔を作るのが得意だった。

 

 正確には、得意になった。

 

 生まれつき明るい性格だったことは否定しない。楽しいことがあれば笑ったし、嬉しいことがあれば大騒ぎした。

 

 けれど、今は違う。

 

 楽しくなくても笑える。

 

 嬉しくなくても喜べる。

 

 心の中で別のことを考えていても、相手の目を見て、まるでその瞬間が世界で一番幸せであるかのように振る舞える。

 

 それは、アイドルとして必要な才能だった。

 

 そして今のルビーにとっては、もっと別の意味を持つ能力でもあった。

 

「ルビー、次の振り、半拍遅れてる!」

 

「はーい!」

 

 スタジオに、有馬かなの声が響く。

 

 鏡張りの壁。

 

 床に置かれたペットボトル。

 

 何度も繰り返される音楽。

 

 いつも通りのレッスン風景だった。

 

「そこ、返事だけ元気でも意味ないからね」

 

「わかってるってば、先輩!」

 

「本当にわかってんの?」

 

「もちろん!」

 

「その顔が一番信用ならないのよ……」

 

 かなが呆れたようにため息をつく。

 

 その横で、MEMちょが笑った。

 

「まあまあ。ルビー、今日かなり頑張ってるじゃん」

 

「でしょー?」

 

「でも頑張りすぎじゃない? さっきから休憩も取ってないし」

 

「平気平気! 今めっちゃやる気あるから!」

 

 ルビーは両手を上げて笑った。

 

 MEMちょは少しだけ首を傾げる。

 

「……そっか」

 

 それ以上は何も言わなかった。

 

 けれど、かなは違った。

 

「ちょっと」

 

「ん?」

 

「こっち来なさい」

 

 腕を引かれ、ルビーはスタジオの隅へ連れていかれた。

 

「なになに? 愛の告白?」

 

「違うわよ!」

 

 即答だった。

 

 いつもなら、ここで軽口の応酬になる。

 

 けれど、かなは笑わなかった。

 

「……あんた、何かあった?」

 

 ルビーの笑顔が、一瞬だけ止まった。

 

「え?」

 

「最近、変よ」

 

「そう?」

 

「そうよ。前よりレッスンに熱心なのはいいけど……なんか、焦ってるみたい」

 

「えー? そんなことないって!」

 

「……ならいいけど」

 

 かなは納得していない顔だった。

 

 ルビーは笑った。

 

 いつもより少しだけ、大きく。

 

「大丈夫! 私、早く売れたいだけだから!」

 

 嘘ではなかった。

 

 売れたい。

 

 もっと有名になりたい。

 

 誰もが星野ルビーという名前を知っているくらいに。

 

 ただ、その理由が変わっただけだ。

 

 以前は、先生に見つけてもらうためだった。

 

 今は。

 

 先生を奪った人間を、見つけるため。

 

     ◇

 

「……ルビー、ちょっといい?」

 

 レッスンが終わったあと、斉藤ミヤコに呼び止められた。

 

「はーい!」

 

 事務所の小さな会議室。

 

 机の上には、いくつかの資料が並んでいた。

 

 ミヤコはそのうちの一枚を手に取る。

 

「この前話してた仕事なんだけど、正式に話が来たわ」

 

「ほんと!?」

 

「ええ。配信番組のゲスト出演。若手のアイドルやタレントを何人か呼んで、芸能界の仕事について話す企画らしいの」

 

「へえー!」

 

 ルビーは資料を受け取った。

 

 番組名。

 

 収録日。

 

 出演予定者。

 

 制作会社。

 

 いつもなら、最初に気になるのは共演者だった。

 

 有名な人がいるか。

 

 面白そうな人がいるか。

 

 自分が目立てそうな企画か。

 

 けれど今回は、違った。

 

 ルビーの視線は、資料の一番下で止まった。

 

 制作協力。

 

 そこには、いくつかの会社名が並んでいる。

 

「……ねえ、ミヤコさん」

 

「なに?」

 

「こういう番組って、誰が作ってるの?」

 

「誰って……制作会社のスタッフよ」

 

「そうじゃなくて。企画とか、出演者とか、誰が決めるのかなって」

 

 ミヤコは少し驚いたようにルビーを見た。

 

「珍しいこと聞くわね」

 

「えへへ。私も芸能界のこと、もっと勉強しようかなって!」

 

「いい心がけね」

 

 ミヤコは資料を指さした。

 

「企画を立てる人、出演者を決める人、スポンサーと調整する人。番組によって違うけど、いろんな人が関わってるわ」

 

「ふーん……」

 

「どうしたの?」

 

「ううん! なんでもない!」

 

 ルビーは資料に目を落とした。

 

 芸能界。

 

 ママがいた世界。

 

 ママを殺した犯人が、どこかで関わっていたかもしれない世界。

 

 考えてみれば、今まで自分は何も知らなかった。

 

 アイドルがどうやってテレビに出るのか。

 

 誰が仕事を持ってくるのか。

 

 誰と誰がつながっているのか。

 

 ただステージに立って、歌って、踊って。

 

 それだけで満足していた。

 

 でも、今は違う。

 

 知りたい。

 

 もっと。

 

 もっと、深く。

 

「ミヤコさん」

 

「今度はなに?」

 

「私、これ出たい」

 

「もちろん、そのつもりだけど……」

 

「あとさ、もしできたら、収録が終わったあとにスタッフさんにも挨拶したい!」

 

 ミヤコは目を瞬かせた。

 

「……本当にどうしたの、急に」

 

「だって、せっかくのお仕事だもん! いろんな人と仲良くなりたいじゃん!」

 

 ルビーは笑った。

 

 ミヤコも、つられるように微笑んだ。

 

「まあ、悪いことじゃないわね」

 

 そう言って、資料をまとめる。

 

 ルビーは小さく頭を下げ、会議室を出た。

 

 扉が閉まる。

 

 廊下には誰もいなかった。

 

 そこで初めて、ルビーは笑顔を消した。

 

「……まずは、知ることから」

 

 誰が何を知っているのか。

 

 どこに行けば、昔の話を聞けるのか。

 

 何を尋ねれば、不審に思われないのか。

 

 わからないことだらけだった。

 

 でも。

 

 何もしないまま、待っているつもりはなかった。

 

     ◇

 

 一方、その頃。

 

 星野アクアもまた、別の場所で一枚の資料を見つめていた。

 

 映画の企画書。

 

 まだ正式に動き出していない、一本の作品。

 

 その制作に関わる人物の名前を、アクアは指でなぞった。

 

 五反田泰志。

 

 そして、鏑木勝也。

 

 母親の過去を知る可能性のある人間たち。

 

 アクアはスマートフォンを手に取った。

 

『以前の件で、もう少し確認したいことがあります』

 

 短い文章を打ち、送信する。

 

 それから椅子に深く座り直した。

 

 父親は生きている。

 

 そう考えるだけの理由が、今のアクアにはあった。

 

 一度は終わったと思った復讐。

 

 しかし、その前提は崩れている。

 

 自分が追っていた相手は、まだどこかにいる。

 

 ならば、探すしかない。

 

 どれだけ時間がかかっても。

 

「……今度こそ」

 

 アクアは小さく呟いた。

 

 その表情に、迷いはなかった。

 

 彼は知らない。

 

 同じ家に暮らす妹もまた、別の場所で同じ決意を固めていることを。

 

     ◇

 

 収録当日。

 

「おはようございまーす! B小町の星野ルビーです!」

 

 ルビーは元気よく頭を下げた。

 

 スタッフたちが笑顔で挨拶を返す。

 

「よろしくお願いします!」

 

「こちらこそ!」

 

 収録スタジオは、思っていたより広かった。

 

 照明。

 

 カメラ。

 

 音声機材。

 

 慌ただしく動くスタッフたち。

 

 ルビーはその様子を、興味深そうに眺めた。

 

 以前なら、ただ「すごいなあ」と思っていただろう。

 

 けれど今は、違う。

 

 誰が指示を出しているのか。

 

 誰が出演者と話しているのか。

 

 誰が制作側の中心にいるのか。

 

 そんなことばかりが気になった。

 

「ルビーちゃん、こっちでメイクお願いしまーす!」

 

「はーい!」

 

 控室へ向かう途中、廊下の向こうから男性の声が聞こえた。

 

「いやあ、昔はもっと無茶な企画も通ったんですけどね」

 

「今じゃ考えられませんよね」

 

「そうそう。特に十五、六年前なんて、今とは全然違いましたから」

 

 ルビーの足が止まった。

 

 十五、六年前。

 

 それは、ママが生きていた頃だ。

 

 もちろん、それだけで何かがわかるわけじゃない。

 

 けれど。

 

 ルビーは振り返った。

 

 廊下の先では、年配の男性と若いスタッフが話していた。

 

 男性は首から関係者用のパスを下げている。

 

 ルビーは少しだけ迷った。

 

 知らない人に、いきなり昔の話を聞くのは変だろうか。

 

 でも。

 

 聞かなければ、何も始まらない。

 

「あのー!」

 

 二人が振り向いた。

 

「すみません! ちょっといいですか?」

 

「ん? どうしたの?」

 

 ルビーは、いつもの笑顔を浮かべた。

 

「さっき、昔の芸能界のお話してましたよね!」

 

「ああ、聞こえてた?」

 

「はい! 私、そういうのめっちゃ興味あって!」

 

 男性が笑う。

 

「若いのに珍しいねえ」

 

「えへへ!」

 

「君、B小町の子だよね?」

 

「そうです! 星野ルビーです!」

 

「星野……」

 

 男性が、少しだけ考えるような顔をした。

 

「……ああ、そうか」

 

「?」

 

「いや、なんでもないよ」

 

 ルビーは笑顔を保ったまま、相手の顔を見た。

 

 今。

 

 何か、引っかかったように見えた。

 

 気のせいかもしれない。

 

 でも。

 

「昔のアイドルって、今と全然違ったんですか?」

 

「そりゃあ、違うよ。ネットも今ほど発達してなかったしね」

 

「へえー!」

 

「事務所の力も今より大きかったし、裏方の人間が表に出ることも少なかった」

 

「裏方?」

 

「プロデューサーとか、制作会社の人間とかね」

 

 ルビーは頷いた。

 

「そういう人って、昔からずっと同じ仕事してるんですか?」

 

「人によるね。独立した人もいれば、業界からいなくなった人もいる」

 

「そっかあ……」

 

 会話は、何気ないものだった。

 

 けれど、ルビーは一つひとつの言葉を覚えようとしていた。

 

 十五、六年前。

 

 裏方。

 

 制作会社。

 

 独立した人間。

 

 その中に、何かがあるかもしれない。

 

「……あ、そういえば」

 

 男性が言った。

 

「君のお母さんって、もしかして……」

 

 ルビーの心臓が、大きく跳ねた。

 

「……え?」

 

「いや、違ったらごめんね。昔、知ってた子に少し似てる気がして」

 

 ルビーは息を止めた。

 

 母親のことを知っている?

 

 この人が?

 

 でも、今ここで慌てたら。

 

 何かを疑われるかもしれない。

 

 ルビーは笑った。

 

「えー! そうなんですか?」

 

「ああ。もうずいぶん昔の話だけどね」

 

「その人、どんな人だったんですか?」

 

 男性は少し考えた。

 

「……よく笑う子だったよ」

 

 その言葉に、ルビーの胸が痛んだ。

 

 ママ。

 

 もしかして。

 

「名前、聞いてもいいですか?」

 

 男性が口を開きかけた、そのとき。

 

「ルビーちゃーん! メイクお願いしまーす!」

 

 廊下の向こうから声が飛んできた。

 

「あっ、はーい!」

 

 ルビーは反射的に返事をした。

 

 男性が笑う。

 

「仕事だね。頑張って」

 

「あ、あの!」

 

「ん?」

 

「また、お話聞いてもいいですか?」

 

「もちろん。今日は収録が終わるまでいるから」

 

「ありがとうございます!」

 

 ルビーは深く頭を下げた。

 

 そして、控室へ向かって歩き出す。

 

 早足で。

 

 けれど、走らない。

 

 スタッフに不審がられないように。

 

 控室に入る直前、ルビーは一度だけ振り返った。

 

 男性は、もう別のスタッフと話していた。

 

 名前も知らない。

 

 どんな仕事をしているのかも、わからない。

 

 でも。

 

 あの人は、ママのことを知っているかもしれない。

 

 そして。

 

 ママの過去を知る人間なら、何か手がかりを持っているかもしれない。

 

「……見つけた」

 

 ルビーは小さく呟いた。

 

 まだ、何もわかっていない。

 

 それでも。

 

 昨日までとは違う。

 

 ただ闇雲に探すのではなく、初めて自分の足で一歩を踏み出した。

 

 ルビーは控室の扉を開けた。

 

「お待たせしましたー!」

 

 明るい声が響く。

 

 笑顔を浮かべる。

 

 誰にも、心の内を悟らせないように。

 

 そして、胸の奥で誓った。

 

 ――絶対に、聞き出してみせる。

 

 母親の過去を。

 

 先生の死につながる、何かを。

 

 そのためなら。

 

 星野ルビーは、何度だって笑う。




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