星野ルビーは、兄より先に復讐を終わらせる   作:M1tarash1

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04.10年前の記憶

星野ルビーは、最近になって気づいたことがある。

 

 大人という生き物は、案外、子供の話を聞いていない。

 

 もちろん、すべての大人がそうだというわけではない。

 

 けれど、少なくとも十代のアイドルが仕事の合間に尋ねる昔話など、深く考えずに答えてくれる人は多かった。

 

 それが、どれほど重要な質問だったとしても。

 

「……久我直人?」

 

 斉藤ミヤコは、ルビーの口から出た名前を繰り返した。

 

「うん! 知ってる?」

 

 事務所の会議室。

 

 ルビーは、いつもの調子で首を傾げてみせた。

 

 ミヤコは腕を組む。

 

「名前だけなら聞いたことがある気がするけど……どうして?」

 

「この前の収録で、昔のB小町の話になってさ!」

 

「ああ、篠原さんって人?」

 

「そうそう! その人が、昔の番組を担当してた人だって教えてくれたの!」

 

「なるほどね」

 

 ミヤコは少し考えた。

 

「でも、昔のB小町のことなら、私に聞いてくれてもいいのよ?」

 

「もちろん! でも、いろんな人から聞いてみたいじゃん!」

 

「……まあ、それもそうね」

 

 ミヤコは頷いた。

 

 その表情には、まだ疑いはない。

 

 ルビーは胸の奥で、小さく息を吐いた。

 

 嘘をつくことには、少しずつ慣れてきた。

 

 正確には、嘘と本当を混ぜることに。

 

 昔のB小町に興味があるのは本当。

 

 母親のことを知りたいのも本当。

 

 ただ、その先にある目的だけは、誰にも話さない。

 

「それでね、ミヤコさん」

 

「なに?」

 

「今度の打ち合わせって、制作会社の人も来るんだよね?」

 

「ええ」

 

「昔から業界にいる人とか、いたりする?」

 

「……どうかしら」

 

 ミヤコは資料に目を落とした。

 

「担当者の経歴までは把握してないけど、ベテランの人も来ると思うわ」

 

「そっか!」

 

 ルビーは笑った。

 

「楽しみ!」

 

 ミヤコはそんな彼女を見て、少しだけ表情を和らげた。

 

「最近、仕事に対して積極的ね」

 

「でしょ?」

 

「いいことだと思うわ。でも、無理はしないでね」

 

「わかってるって!」

 

 ルビーは明るく答えた。

 

 その言葉だけは、嘘だった。

 

     ◇

 

 打ち合わせ当日。

 

 ルビーは、いつもより少し早く事務所に到着した。

 

 ミヤコが用意した資料に目を通す。

 

 今回の打ち合わせは、B小町の今後の活動についてだった。

 

 配信番組への出演。

 

 イベントの企画。

 

 新しい広告案件。

 

 その中に、制作会社の名前がいくつか並んでいた。

 

 ルビーは一つひとつ確認する。

 

 知らない会社ばかりだった。

 

 当然だ。

 

 今まで、そんなものに興味を持ったことがなかったのだから。

 

「……あ」

 

 資料の最後のページ。

 

 担当者一覧。

 

 そこに、見覚えのある名前があった。

 

『久我直人』

 

 ルビーは、一瞬だけ呼吸を止めた。

 

 まさか。

 

 こんなに早く。

 

 いや、偶然ではない。

 

 篠原から名前を聞いて以来、ルビーは制作会社の情報を調べ続けていた。

 

 その中で、ミヤコが今回の打ち合わせを勧めてくれた。

 

 ただ、それだけ。

 

 それだけのはずなのに。

 

 指先が震えた。

 

「……いた」

 

 思わず呟く。

 

 その声は、誰にも聞こえなかった。

 

     ◇

 

「それでは、よろしくお願いします」

 

 会議室に、落ち着いた男性の声が響いた。

 

 久我直人。

 

 四十代後半ほどの男性だった。

 

 整えられた髪。

 

 目立たない色のスーツ。

 

 どこにでもいそうな、普通の会社員。

 

 ルビーは、その顔をじっと見つめた。

 

 この人が。

 

 ママを知っている人。

 

「B小町の星野ルビーです! よろしくお願いします!」

 

 ルビーは勢いよく頭を下げた。

 

 久我は穏やかに笑った。

 

「よろしく。元気がいいね」

 

「それだけが取り柄なので!」

 

「はは。そんなことないでしょう」

 

 何気ない会話。

 

 何気ない挨拶。

 

 けれど、ルビーの心臓は早鐘を打っていた。

 

 聞きたいことが、山ほどある。

 

 でも、今は仕事中だ。

 

 焦ってはいけない。

 

 ルビーは席に着いた。

 

 そして、打ち合わせが始まった。

 

     ◇

 

 会議は一時間ほど続いた。

 

 ルビーは、驚くほど真面目に話を聞いていた。

 

 番組の企画意図。

 

 ターゲット層。

 

 出演者のイメージ。

 

 広告との相性。

 

 今までなら、難しい話だと途中で飽きていたかもしれない。

 

 けれど、今は違う。

 

 芸能界がどう動いているのか。

 

 誰が決定権を持っているのか。

 

 何が仕事につながるのか。

 

 知っておいて損はない。

 

 それに。

 

 久我がどんな人物なのかも、少しずつわかってきた。

 

 彼は、必要以上に話さない。

 

 誰かが冗談を言えば笑うが、自分から余計なことは口にしない。

 

 資料に書かれていないことを尋ねられると、一度考えてから答える。

 

 慎重な人だ。

 

 少なくとも、篠原とは違う。

 

 簡単に昔話をしてくれるとは限らない。

 

「……それでは、今日はこのあたりで」

 

 ミヤコの声で、会議が終わった。

 

 ルビーは立ち上がる。

 

 ここからだ。

 

     ◇

 

「あの、久我さん!」

 

 資料を片づけていた久我が顔を上げた。

 

「ん?」

 

「ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど!」

 

「仕事のことかな?」

 

「それもあるんですけど……昔のB小町のことです!」

 

 久我の手が止まった。

 

 ほんの一瞬。

 

 けれど、確かに。

 

「……昔の?」

 

「はい! 篠原修一さんって、ご存じですか?」

 

「ああ、篠原さんか。懐かしい名前だね」

 

 久我は頷いた。

 

「この前お会いして、昔のB小町のお話を聞いたんです!」

 

「なるほど」

 

「久我さんも、昔のB小町のお仕事をされてたんですよね?」

 

「……まあね」

 

 少しだけ間があった。

 

 ルビーは、その間を見逃さなかった。

 

「どんな感じだったんですか?」

 

「どんなって……普通のアイドルグループだったよ」

 

「えー! 普通じゃないですよ! 星野アイがいたんですから!」

 

 久我は、少し驚いたようにルビーを見た。

 

「……君、アイのファンなの?」

 

「大ファンです!」

 

 即答だった。

 

 嘘ではない。

 

 世界で一番、大好きだった。

 

 今でも。

 

「そうか」

 

 久我は小さく笑った。

 

「確かに、あの子は普通じゃなかったな」

 

「ですよね!」

 

「……ただ」

 

 久我の表情が、わずかに曇った。

 

「普通じゃなかったからこそ、大変だったんだろうね」

 

 ルビーは首を傾げた。

 

「……大変?」

 

「いや、こっちの話だよ」

 

 久我は資料を鞄にしまった。

 

 話を終わらせようとしている。

 

 そう感じた。

 

 ルビーは、一歩だけ前に出た。

 

「あの!」

 

「……なに?」

 

「私、アイさんみたいなアイドルになりたいんです」

 

 久我が目を細めた。

 

「だから、昔のこと、もっと知りたくて」

 

 ルビーは、まっすぐ相手を見た。

 

「アイさんって、どんな人とお仕事してたんですか?」

 

 久我は黙った。

 

 その沈黙は、先ほどまでのものとは違った。

 

 何かを考えている。

 

 いや。

 

 何かを思い出している。

 

「……いろんな人だよ」

 

「例えば?」

 

「テレビ局の人間。制作会社の人間。事務所の関係者。スポンサー……」

 

 久我はそこで言葉を切った。

 

 ルビーは、笑顔のまま待った。

 

「……それから、当時はアイと同世代の役者もよく現場に顔を出してたね」

 

「同世代の役者?」

 

「ああ。まだ十代の頃だがね。」

 

 ルビーは頷いた。

 

「すごいですね!」

 

「そうだね」

 

 久我は曖昧に笑った。

 

「でも、若いからって信用できるとは限らない」

 

 その言葉だけ、妙にはっきりしていた。

 

「……どういうことですか?」

 

 久我はルビーを見た。

 

 そして、少し困ったように笑う。

 

「いや、昔の話だよ。君が気にすることじゃない」

 

 まただ。

 

 話を終わらせようとしている。

 

 ルビーは、胸の奥で焦りを感じた。

 

 ここで引き下がったら。

 

 せっかくの機会が、終わってしまう。

 

「……久我さん」

 

「ん?」

 

「その人たちって、今も芸能界にいるんですか?」

 

 久我は、すぐには答えなかった。

 

 会議室の時計が、小さく音を立てる。

 

 数秒。

 

 それから。

 

「……いる人もいるよ」

 

「そうなんですね」

 

「ただ、昔のことを掘り返しても、いいことばかりじゃない」

 

 ルビーの笑顔が、少しだけ固まった。

 

「……え?」

 

 久我は鞄を持ち上げた。

 

「アイのことを知りたい気持ちはわかる。でも、あの子の周りには、いろんな大人がいたんだ」

 

「……」

 

「君は、今の仕事を頑張りなさい」

 

 穏やかな声だった。

 

 怒っているわけでもない。

 

 脅しているわけでもない。

 

 ただ、これ以上は話さない。

 

 そう告げる声だった。

 

「……はい!」

 

 ルビーは笑った。

 

「ありがとうございました!」

 

 久我は軽く頷き、会議室を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 ルビーは、その場に立ち尽くした。

 

 若い経営者。

 

 信用できない人間。

 

 昔のことを掘り返すな。

 

 それだけ。

 

 具体的な名前は、何も出なかった。

 

「……っ」

 

 悔しかった。

 

 あと少しだった気がするのに。

 

 何かを知っているように見えたのに。

 

 ルビーは拳を握った。

 

 そのとき。

 

「……ルビー?」

 

 背後から声がした。

 

 ミヤコだった。

 

「どうしたの?」

 

「……あ」

 

 ルビーは振り返った。

 

 そして、笑った。

 

「なんでもない!」

 

 ミヤコは、少しだけ眉を寄せた。

 

「……そう?」

 

「うん! 久我さん、すっごく勉強になるお話してくれた!」

 

「それならよかったけど……」

 

 ミヤコは、会議室の扉を見た。

 

「……あの人、昔のB小町の仕事もしてたのね」

 

「そうみたい!」

 

「……そう」

 

 ミヤコは何かを考えるように黙った。

 

 ルビーは、その表情に気づいた。

 

「ミヤコさん?」

 

「……いえ」

 

 ミヤコは首を振った。

 

「帰りましょうか」

 

「うん!」

 

 ルビーは頷いた。

 

 けれど。

 

 その日、もう一つだけ気づいたことがあった。

 

 久我だけではない。

 

 ミヤコも、昔のB小町について何かを知っている。

 

 当たり前だ。

 

 ミヤコは、アイが生きていた頃から苺プロにいたのだから。

 

 どうして今まで。

 

 そんな簡単なことに、気づかなかったのだろう。

 

     ◇

 

 帰宅後。

 

 ルビーは自室でノートを開いた。

 

 久我直人。

 

 その名前の下に、今日聞いたことを書き足していく。

 

『旧B小町の仕事を担当』

 

『星野アイを知っている』

 

『当時、若い芸能事務所の経営者が現場に出入りしていた』

 

『過去の話を避けたがる』

 

 最後の一行を書いたところで、ペンが止まった。

 

 若い経営者。

 

 その言葉が、頭から離れない。

 

 ただの昔話かもしれない。

 

 自分が勝手に意味を見いだしているだけかもしれない。

 

 それでも。

 

 久我の態度は、明らかに変わっていた。

 

「……なんで?」

 

 ルビーは呟いた。

 

 何を隠しているの?

 

 ママのこと?

 

 それとも。

 

 別の、誰かのこと?

 

 スマートフォンを取り出す。

 

 検索欄に文字を打ち込む。

 

『星野アイ 芸能事務所 経営者』

 

 検索。

 

 いくつもの記事が表示される。

 

 アイの活動歴。

 

 旧B小町の紹介。

 

 当時の芸能界について書かれた記事。

 

 しかし、久我の言っていた人物につながる情報は見つからない。

 

「……そりゃそうか」

 

 そんな簡単に見つかるなら、苦労はしない。

 

 ルビーはスマートフォンを置いた。

 

 そして、ノートを見つめる。

 

 久我は、昔のことを掘り返すなと言った。

 

 ならば。

 

 掘り返されて困ることが、あるのだろうか。

 

 もちろん、決めつけるわけにはいかない。

 

 ただの思い出話かもしれない。

 

 それでも。

 

 確かめる価値はある。

 

 ルビーは、ノートの端に新しい名前を書いた。

 

『斉藤ミヤコ』

 

 そして、その横に小さく記した。

 

『昔のB小町について聞く』

 

     ◇

 

 同じ夜。

 

 アクアは、自室で一枚の写真を見つめていた。

 

 母親の写真だった。

 

 星野アイ。

 

 彼女の過去を知る人間は、まだいる。

 

 そして、その中に父親につながる人物もいるはずだ。

 

 アクアは机の上の資料に目を落とした。

 

 五反田から聞いた話。

 

 鏑木とのやり取り。

 

 これまでに集めた情報。

 

 少しずつ、線はつながり始めている。

 

 だが、まだ足りない。

 

「……もっと」

 

 アクアは呟いた。

 

 もっと確かな情報が必要だ。

 

 父親の正体を突き止めるために。

 

 母親を奪った人間に、必ず報いを受けさせるために。

 

 アクアは写真を伏せた。

 

 そのとき、廊下から足音が聞こえた。

 

 ルビーだろう。

 

 最近、夜遅くまで起きていることが多い。

 

 以前なら、気にも留めなかった。

 

 だが、今は少し違う。

 

 宮崎から帰ってきて以来、妹の様子が変わった。

 

 何かを隠している。

 

 それは、間違いない。

 

「……ルビー」

 

 アクアは小さく名前を呼んだ。

 

 しかし、部屋を出ることはしなかった。

 

 今は、自分のことで手いっぱいだった。

 

 妹には、できるだけ普通に暮らしてほしい。

 

 その願いは、変わっていない。

 

 だからこそ。

 

 自分の復讐に、ルビーを巻き込むわけにはいかなかった。

 

 ――そう思っていた。

 

     ◇

 

 翌朝。

 

「ミヤコさん!」

 

 朝食の席で、ルビーが声を上げた。

 

「なに?」

 

「ちょっと聞きたいことあるんだけど!」

 

「いいわよ」

 

 ルビーはパンを一口食べた。

 

 そして、何気ない調子で尋ねる。

 

「昔のB小町ってさ、ママ以外にも、いろんな人が関わってたんだよね?」

 

 ミヤコの手が止まった。

 

「……ええ」

 

「どんな人がいたの?」

 

「どんなって……スタッフとか、事務所の人とか、いろいろよ」

 

「へえー」

 

 ルビーは頷いた。

 

 そして。

 

「ママと同世代の役者とかも、いた?」

 

 ミヤコの表情が、変わった。

 

 ほんの一瞬。

 

 けれど。

 

 ルビーは、見逃さなかった。

 

「……どうして、そんなことを?」

 

 ミヤコの声は、先ほどより少し低かった。

 

 ルビーは笑った。

 

「えへへ。昨日、久我さんがそんな話してたから!」

 

「……久我さんが?」

 

「うん!」

 

 ミヤコは黙った。

 

 その沈黙は、あまりにも長かった。

 

 ルビーは、胸の奥で確信に近いものを感じた。

 

 何かがある。

 

 少なくとも。

 

 ミヤコは、何かを知っている。

 

「……ルビー」

 

「なに?」

 

 ミヤコは、ゆっくりと言った。

 

「昔のことを調べるのは、いいけど……」

 

 そこで言葉を切る。

 

 そして、少しだけ悲しそうに笑った。

 

「……アイのことを、あまり無理に追いかけなくてもいいのよ」

 

 ルビーは、何も言えなかった。

 

 ミヤコは続ける。

 

「あなたは、あなたの人生を生きていいんだから」

 

 その言葉は、優しかった。

 

 優しすぎるくらいに。

 

 だからこそ。

 

 ルビーの胸に、深く刺さった。

 

「……うん」

 

 ルビーは笑った。

 

「わかってるよ、ミヤコさん!」

 

 ミヤコも、ようやく微笑んだ。

 

 会話は、それで終わった。

 

 けれど。

 

 ルビーの中では、終わっていなかった。

 

 久我直人。

 

 斉藤ミヤコ。

 

 二人とも、昔の話を避けた。

 

 偶然だろうか。

 

 それとも。

 

 同じ何かを、知っているのだろうか。

 

 ルビーは、静かにパンを口へ運んだ。

 

 味は、よくわからなかった。

 

 ただ一つ。

 

 はっきりしていることがあった。

 

 母親の過去には、まだ自分の知らないことがある。

 

 そして。

 

 それを知るためなら。

 

 もう、引き返すつもりはなかった。

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