星野ルビーは、兄より先に復讐を終わらせる 作:M1tarash1
人は、知らないことを隠すことができるのだろうか。
星野ルビーは、そんなことを考えていた。
知っていることを隠すのは簡単だ。
聞かれても答えなければいい。
話題を変えてしまえばいい。
あるいは、笑って誤魔化してしまえばいい。
けれど、知らないことは違う。
そもそも、自分が何を知らないのかさえわからない。
そして今のルビーは、まさにその状態だった。
「……全然わかんない」
机の上には、一冊のノートが開かれている。
そこには、ここ数日で集めた情報が書き込まれていた。
篠原修一。
久我直人。
旧B小町。
アイと同世代の役者。
たったそれだけ。
久我は、昔の芸能界には若い役者がたくさんいたと言っていた。
当たり前だ。
芸能界なのだから。
そんな情報だけで、どうやって母親を殺した人間にたどり着けばいいのか。
「……そもそも」
ルビーはペンを置いた。
久我の話に出てきた役者が、事件と関係しているとは限らない。
ただ昔の仕事の話をしていただけかもしれない。
それなのに、自分は何か特別な意味があるように考えてしまっていた。
何でも疑えばいいというものではない。
それくらい、ルビーにもわかる。
わかっているのに。
早く答えが欲しかった。
先生を奪った人間の名前が。
ママを奪った人間の顔が。
今すぐにでも、知りたかった。
「……焦っちゃだめ」
ルビーは自分に言い聞かせた。
そして、ノートの新しいページを開いた。
今までのように、思いついたことを書き並べるのはやめよう。
確かな情報と、ただの予想を分ける。
久我が昔のB小町に関わっていたのは、事実。
同世代の役者が当時の芸能界にいたのも、事実。
その役者が母親と親しかったかどうかは、不明。
まして、事件との関係など何もわかっていない。
ルビーは、最後の一行に大きく丸をつけた。
『決めつけない』
それが、今日決めた最初のルールだった。
◇
「……ルビー、最近スマホばっか見てない?」
レッスン後の休憩室。
有馬かなが、呆れたように言った。
「えー? そうかな?」
「そうよ。さっきからずっと何か調べてるじゃない」
「ちょっと気になることがあって!」
「なに?」
「昔の芸能界!」
かなは眉をひそめた。
「……範囲広すぎない?」
「えへへ」
「まったく……」
かなはペットボトルの水を飲んだ。
ルビーは、何気ない調子で尋ねる。
「ねえ、先輩」
「ん?」
「『東京ブレイド』のときって、ララライの人たちもいっぱい出てたよね?」
「……そりゃそうでしょ。あかねもそうだし」
「うん!」
ルビーは頷いた。
『東京ブレイド』。
アクアとかな、そして黒川あかねが出演した舞台。
ルビーも客席から観ていた。
照明。
音楽。
役者たちの演技。
その迫力は、今でもよく覚えている。
特に、かなとあかねの芝居は凄まじかった。
普段知っている二人とは、まるで別人のようだった。
「……どうしたのよ、急に」
「いやー、あのときの舞台、すごかったなって!」
「……今さら?」
「今さら!」
かなは呆れたように笑った。
「まあ、ありがと」
「それでさ!」
「まだ何かあるの?」
「ララライって、昔から有名だったの?」
かなは少し考えた。
「そうね。昔から演劇界では知られてたと思うけど」
「へえー」
「私も子役の頃から名前は聞いてたし」
「そっか!」
ルビーは頷いた。
劇団ララライ。
アクアも、かなも、あかねも関わった舞台。
そして、昔から活動している劇団。
それなら、十年以上前の芸能界についても何か記録が残っているかもしれない。
「……ねえ、先輩」
「なによ」
「昔の劇団のことって、どうやって調べるの?」
「……は?」
かなは、思いきり怪訝そうな顔をした。
「何よその質問」
「いや、ちょっと興味あって!」
「興味って……」
かなはため息をついた。
「昔の公演パンフレットとか、劇団の記録とかじゃない?」
「パンフレット!」
「そう。公演ごとに出演者とかスタッフが載ってるでしょ」
「なるほど!」
ルビーは、思わず身を乗り出した。
「それって、昔のやつも残ってるのかな?」
「さあ? 劇団によるんじゃない?」
「そっかあ……」
かなは、しばらくルビーを見つめていた。
「……あんた、何調べてんの?」
「え?」
「最近、昔のB小町とか、昔の芸能界とか。今度は劇団?」
ルビーの胸が、少しだけ跳ねた。
やっぱり、気づかれている。
少なくとも、自分が何かを調べていることには。
「えへへ……」
ルビーは笑った。
「勉強熱心なアイドルってことで!」
「……それ、答えになってないわよ」
「細かいことは気にしない!」
「気にするわよ!」
かなは呆れたように言った。
けれど、それ以上は追及しなかった。
ルビーは、少しだけ安心した。
そして。
少しだけ、申し訳なくなった。
◇
その夜。
ルビーは、劇団ララライについて調べ始めた。
公式サイト。
過去の公演情報。
インタビュー記事。
古い演劇雑誌の紹介ページ。
思っていた以上に、情報は多かった。
ただし、古いものほど記録は少ない。
十年以上前の公演ともなると、作品名と公演期間しか載っていないものもあった。
「……うーん」
ルビーは画面をスクロールする。
現在の所属俳優。
過去の公演。
劇団の沿革。
そして、ふと手を止めた。
「……あれ?」
昔の公演情報を見ていて、気づいたことがあった。
古い出演者一覧には、現在の所属俳優に載っていない名前がいくつもある。
当然といえば当然だ。
十年以上も経てば、劇団を辞める人もいる。
別の事務所に移る人もいる。
芸能界そのものを離れる人だっているだろう。
でも。
今までの自分は、現在活動している人間ばかり調べていた。
「……そっか」
ルビーは小さく呟いた。
昔のことを知りたいなら。
昔の記録を見なければならない。
当たり前のことだった。
けれど、その当たり前に、ようやく気づいた。
ルビーはノートを開いた。
『当時の出演者を調べる』
その下に、もう一行。
『現在の所属名簿だけでは足りない』
そして、ペンを止めた。
そもそも、ララライが事件に関係している保証はない。
それでも。
アイと同世代の役者を調べるなら、当時の劇団の記録は一つの入口になる。
少なくとも、今までよりは具体的だった。
◇
「……昔の公演記録?」
翌日。
ルビーは、再び久我に連絡を取っていた。
仕事の挨拶を兼ねた、短い電話だった。
「はい! 昔のB小町が出てた番組とか、当時の芸能界について調べてて!」
『なるほどね』
「それで、劇団ララライのことも気になってるんです!」
『ララライ?』
「はい!」
久我は少し考えたようだった。
『ああ、そういえば、当時の若い役者の話をしたね』
「そうです!」
『でも、ララライの役者が全員B小町と関わってたわけじゃないよ』
「もちろんです!」
ルビーは即答した。
それは、わかっている。
だからこそ、確かめたいのだ。
「昔の番組の出演者リストとか、見られるものってありますか?」
『公開されてる資料ならあると思うけど……』
「本当ですか!」
『ただ、昔の番組はネットに情報が残ってないことも多いからね』
「そっかあ……」
『当時の雑誌とか、番組表の方が詳しいかもしれない』
ルビーは、すぐにメモを取った。
雑誌。
番組表。
出演者一覧。
公開資料。
少しずつ、調べる方法が増えていく。
「ありがとうございます!」
『いやいや。勉強熱心なのはいいことだよ』
久我は笑った。
『でも、あまり無理しないようにね』
「はい!」
通話が終わった。
ルビーは、スマートフォンを置いた。
久我は、特別な秘密を教えてくれたわけではない。
ただ、調べ方を教えてくれただけ。
それでも。
今のルビーには、それがありがたかった。
◇
同じ頃。
アクアは、黒川あかねと会っていた。
「……アクア?」
あかねが、不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……少し考え事」
「仕事のこと?」
「まあ、そんなところ」
あかねは、アクアの顔をじっと見た。
「……本当に?」
アクアは答えなかった。
あかねは、それ以上追及しない。
代わりに、少しだけ笑った。
「……無理しないでね」
「……ああ」
アクアは頷いた。
あかねは、今も自分の恋人だ。
そして、劇団ララライの役者でもある。
だからこそ。
彼女に聞けば、昔の劇団について何かわかるかもしれない。
そう思ったことは、一度や二度ではなかった。
けれど。
アクアは、簡単には口にしなかった。
あかねを、自分の復讐に巻き込みたくなかった。
それは、妹に対して抱いている思いと、よく似ていた。
「……アクア」
「ん?」
「最近、ルビーちゃん元気?」
突然の質問だった。
アクアは、少しだけ眉を動かした。
「……どうして?」
「この前、連絡くれたから」
「ルビーが?」
「うん。昔の劇団のこと、ちょっと聞かれたの」
アクアの表情が、わずかに変わった。
「……何を?」
「昔の公演記録って、どこで調べられるのかなって」
あかねは首を傾げる。
「舞台に興味が出てきたのかな?」
「……さあな」
アクアは、短く答えた。
しかし。
胸の奥に、小さな違和感が生まれていた。
ルビーが、昔の劇団について調べている。
それ自体は、不思議なことではない。
『東京ブレイド』を観て、舞台に興味を持ったのかもしれない。
けれど。
宮崎から帰ってきて以来、妹の様子は明らかに変わっている。
以前よりも、仕事に積極的になった。
夜遅くまで何かを調べている。
そして、何かを隠している。
そのことだけは、アクアにもわかっていた。
「……ルビー」
アクアは、小さく呟いた。
あかねが顔を上げる。
「ん?」
「……いや、なんでもない」
アクアは首を振った。
まだ、何もわからない。
ただの偶然かもしれない。
だからこそ。
今は、様子を見ることにした。
◇
数日後。
ルビーは、古い演劇雑誌を手に入れていた。
中古書店で見つけたものだった。
十年以上前の号。
表紙には、当時人気だった舞台俳優の写真が載っている。
「……よし」
ルビーはページをめくった。
劇団紹介。
公演情報。
若手俳優へのインタビュー。
知らない名前ばかりだった。
けれど、今はそれでいい。
一つずつ調べればいい。
ルビーは、気になった名前をノートに書き写していく。
その作業は、思っていた以上に地味だった。
何時間もかけて、何も見つからないこともある。
調べた人物が、まったく関係ないとわかることもある。
それでも。
ルビーは、ページをめくり続けた。
そして。
あるページで、手が止まった。
「……あれ?」
そこには、劇団ララライの過去の公演についての記事が載っていた。
出演者の集合写真。
公演の紹介。
そして、当時の若手俳優たちについての短い文章。
ルビーは、写真をじっと見つめた。
誰が誰なのか、すぐにはわからない。
けれど。
写真の下に、小さく名前が並んでいた。
その中に、現在の劇団の所属名簿では見かけなかった名前が、いくつもあった。
ルビーは、ゆっくりと息を吐いた。
見つけた。
何か特別な秘密ではない。
ただの、昔の公演記録。
けれど、今まで見つからなかった情報だった。
ルビーはノートを開いた。
そして、写真に載っている名前を、一つずつ書き写し始めた。
まだ、誰が重要なのかはわからない。
そもそも、この中に探している相手がいるのかどうかもわからない。
それでも。
調べるべき人物が、初めて具体的になった。
◇
その夜。
アクアは、自宅の廊下で足を止めた。
ルビーの部屋から、かすかに物音が聞こえる。
時計を見る。
午前零時を過ぎていた。
アクアは、扉の前に立った。
そして、軽くノックする。
「……ルビー」
中で、何かが動く音がした。
「……なに?」
「まだ起きてるのか」
「うん。ちょっとだけ!」
「明日も仕事だろ」
「わかってるって!」
明るい声だった。
けれど、どこか不自然だった。
アクアは、少しだけ黙った。
「……最近、何か調べてるのか?」
扉の向こうが、静かになった。
数秒。
それから。
「……え?」
「いや。あかねから聞いた」
また、沈黙。
アクアは、扉を見つめた。
「昔の劇団のこと、聞いてたんだろ」
「……ああ!」
ルビーの声が、少しだけ高くなった。
「そうそう! 最近、舞台にも興味出てきてさ!」
「……そうか」
「うん!」
アクアは、それ以上は聞かなかった。
今のところ、疑う理由はない。
ただ。
ルビーが何かを隠しているという感覚だけは、消えなかった。
「……あんまり夜更かしするなよ」
「はーい!」
アクアは、静かに廊下を歩き始めた。
その足音が遠ざかっていく。
ルビーは、部屋の中で息を止めていた。
机の上には、古い演劇雑誌。
ノートには、書き写した名前の一覧。
そして。
扉の向こうには、何も知らない兄がいる。
「……ごめんね、お兄ちゃん」
ルビーは、小さく呟いた。
けれど。
ノートを閉じることはしなかった。
調べるのをやめるつもりもなかった。
先生を奪った人間。
ママを奪った人間。
その正体を知るまでは。
絶対に。
◇
翌朝。
アクアは、リビングでルビーと顔を合わせた。
「おはよ、お兄ちゃん!」
「……おはよう」
ルビーは、いつも通り笑っていた。
明るくて。
元気で。
少し騒がしくて。
昔から知っている妹の姿。
けれど。
アクアには、どうしても違って見えた。
宮崎に行く前のルビーとは、何かが違う。
その違和感の正体は、まだわからない。
ただ一つ。
確かなことがあった。
妹は、何かを隠している。
そして。
それは、決して小さなことではない。
アクアは、黙ってコーヒーを口に運んだ。
ルビーは、何も知らない顔で笑っていた。
二人とも。
相手が何を考えているのか、知らなかった。
けれど。
その秘密は、少しずつ近づき始めていた。