星野ルビーは、兄より先に復讐を終わらせる 作:M1tarash1
星野アクアは、妹の嘘を見抜くのが得意だった。
少なくとも、以前はそう思っていた。
ルビーは昔からわかりやすい。
何か欲しいものがあるときは妙に機嫌がよくなるし、失敗を隠しているときは必要以上に喋る。怒っているときは隠そうともしない。
だから、妹が何かを隠しているときは、たいていすぐにわかった。
しかし最近は、少し違う。
「お兄ちゃん、今日帰り遅い?」
朝食の席で、ルビーが尋ねた。
「……なんでだ」
「えー、別に? ちょっと聞いただけ」
「夕方には帰ると思うけど」
「そっか!」
ルビーは笑って、トーストにかじりついた。
アクアはその横顔を見た。
質問自体は、何もおかしくない。
家族の帰宅時間を聞いただけだ。
けれど、今のルビーは何を尋ねるにしても、必ず何かを計算しているように見える。
それが気に入らなかった。
「……お前は?」
「ん?」
「今日、仕事あるのか」
「午前中レッスン! 午後はちょっと用事!」
「用事?」
「うん!」
「何の」
ルビーの手が、一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬。
だが、アクアは見逃さなかった。
「……先輩と買い物!」
「有馬と?」
「そう!」
「昨日も会ってただろ」
「昨日はレッスン! 今日は買い物!」
ルビーは頬を膨らませた。
「なに、お兄ちゃん。妹の予定をいちいち確認しないと気が済まないの?」
「……別に」
「過保護!」
「うるさい」
「出た! そうやってすぐ話終わらせる!」
いつものやり取りだった。
少なくとも、言葉だけなら。
けれど、アクアは気づいていた。
ルビーは、自分の質問には答えた。
しかし、どこへ行くのかは言わなかった。
そして、聞き返す前に話題を変えた。
以前の妹なら、そんなことはしなかった。
◇
「……昔の公演パンフレット?」
有馬かなは、ルビーから渡された雑誌を見て眉をひそめた。
「そう!」
「……これ、いつのよ」
「十年以上前!」
「見ればわかるわよ!」
レッスン後の休憩室。
ルビーは、机の上に古い演劇雑誌を広げていた。
数日前、中古書店で見つけたものだ。
そこには、劇団ララライの昔の公演についての記事が載っている。
出演者の集合写真。
短い作品紹介。
そして、小さな文字で印刷された出演者一覧。
「先輩、こういうの詳しいかなって!」
「……いや、さすがに私だって十年以上前の公演を全部把握してるわけじゃないわよ」
「そっかあ」
「でも、これ……」
かなは雑誌に顔を近づけた。
「結構古いわね。よく見つけたじゃない」
「頑張った!」
「……何を目指してんのよ、あんた」
かなは呆れたように笑った。
ルビーも笑う。
けれど、すぐに真剣な顔になった。
「ねえ、先輩」
「なに?」
「この頃のララライって、今と何か違ったのかな?」
「……そりゃ違うでしょ」
「例えば?」
「劇団って、所属してる役者がずっと同じわけじゃないし。演出家やスタッフが変わることもあるし」
「うん」
「それに、昔は今ほどネットに情報が残ってなかったからね」
かなはページをめくった。
「こういう雑誌の方が詳しいこともあるんじゃない?」
「……なるほど」
ルビーは頷いた。
そして、もう一つ尋ねる。
「じゃあさ、昔所属してた役者さんを調べるなら、どうする?」
「……本人が今も活動してるなら、経歴を調べればいいんじゃない?」
「活動してなかったら?」
「……難しいんじゃない?」
かなは少し考えた。
「劇団に聞くとか、当時の関係者に聞くとか。でも、普通はそこまでしないわよ」
「そっか……」
ルビーは、雑誌に目を落とした。
普通は、そこまでしない。
確かにそうだ。
十年以上前の劇団員を、わざわざ調べる人間なんて少ないだろう。
まして、今は芸能界を離れているかもしれない人物を。
けれど。
自分には、調べる理由がある。
「……ありがとう、先輩!」
「え?」
「めっちゃ参考になった!」
「……あ、そう」
かなは、少し困ったように笑った。
そして、ルビーをじっと見つめる。
「……ねえ、ルビー」
「ん?」
「最近、何かあった?」
ルビーの指が止まった。
「……え?」
「いや、なんか……前と違うから」
かなは、言葉を探すように視線を落とした。
「仕事には前より積極的だし、いろんなこと調べてるし。それ自体はいいことなんだけど」
「……」
「なんか、楽しそうじゃないのよね」
ルビーは、何も言えなかった。
かなは続ける。
「前はさ、アイドルの仕事してるとき、もっと……なんていうか、単純に楽しそうだったじゃない」
ルビーは、ゆっくりと顔を上げた。
「……今も楽しいよ?」
「……そう?」
「うん!」
笑った。
いつも通りに。
けれど、かなは笑わなかった。
「……ならいいけど」
そう言って、雑誌を返してくる。
ルビーは受け取った。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
かな先輩――いや、先輩は、思っていた以上に自分を見ている。
だからこそ。
これ以上、近づかせるわけにはいかなかった。
◇
午後。
ルビーは一人で、都内の図書館に来ていた。
かなと買い物に行くという話は、嘘だった。
正確には、以前から買い物の約束はしていた。
ただし、それは来週の話だ。
今日は、別の目的がある。
古い雑誌を調べること。
そして、十年以上前の芸能界について、もう少し具体的な情報を集めること。
ルビーは閲覧席に座り、資料を広げた。
古い演劇雑誌。
当時のテレビ番組表。
劇団の公演記録。
一つずつ、確認していく。
最初は、何もわからなかった。
知らない名前ばかり。
知らない作品ばかり。
知らない劇団ばかり。
けれど、何冊か見比べているうちに、少しずつ気づくことがあった。
同じ役者が、複数の公演に出演している。
同じ劇団が、別の番組にも関わっている。
同じ制作スタッフの名前が、何度も出てくる。
芸能界は広い。
けれど、仕事のつながりは意外と狭い。
「……なるほど」
ルビーは小さく呟いた。
久我が話していたことが、少しだけわかった気がした。
昔の芸能界には、いろんな人がいた。
でも、その人たちは完全に無関係だったわけじゃない。
同じ現場にいた。
同じ仕事をした。
同じ人間と関わっていた。
そうやって、少しずつつながっている。
ならば。
そのつながりを、一つずつ調べていけばいい。
ルビーはノートを開いた。
そして、気づいたことを書き込んだ。
『同じ名前が何度も出てくる』
『出演者だけでなく、スタッフも確認』
『昔の仕事のつながりを調べる』
そのとき。
あるページで、手が止まった。
「……あれ?」
そこには、古い舞台の紹介記事が載っていた。
劇団ララライの公演。
出演者の名前。
そして、作品の制作に関わった人物たち。
ルビーは、以前見つけた雑誌を取り出した。
ページを開く。
見比べる。
「……同じ人?」
名前が一致していた。
出演者ではない。
スタッフの一人だった。
それも、別の公演でも名前を見かけた人物。
ルビーは、ノートにその名前を書き込んだ。
『三枝隆之』
舞台制作に関わっていた人物。
それ以上のことは、まだわからない。
ただ。
同じ名前が、複数の資料に載っている。
それは、偶然ではない。
少なくとも、その人物が当時の劇団に継続して関わっていたことは確かだった。
「……三枝隆之」
ルビーは、小さく名前を読み上げた。
この人なら。
当時の役者について、何か覚えているかもしれない。
そう思った。
◇
一方、その頃。
アクアは、五反田泰志の仕事場にいた。
「……お前、最近また顔つき悪くなったな」
五反田が、開口一番そう言った。
「元からですよ」
「開き直るな」
アクアは、机の上の資料を見つめていた。
母親の過去。
関係者の名前。
そして、父親につながるかもしれない情報。
まだ、確証はない。
だが、以前よりは近づいている。
少なくとも、そう信じていた。
「……五反田監督」
「ん?」
「昔の劇団ララライについて、何か知ってますか」
五反田は、少しだけ眉を上げた。
「……ララライ?」
「はい」
「なんだよ、急に」
「少し気になって」
五反田は、アクアをじっと見た。
「……お前、またアイのこと調べてんのか」
アクアは答えなかった。
五反田はため息をついた。
「……まあ、そうだろうな」
少しの沈黙。
それから、五反田は言った。
「ララライなら、昔から演劇界じゃ有名だ。俺も何人か知り合いがいる」
「……当時の所属俳優について、聞けますか」
「聞くことはできるだろうけど……」
五反田は、そこで言葉を切った。
「……お前、何を探してる」
アクアは、ゆっくりと顔を上げた。
「……父親です」
五反田の表情が変わった。
アクアは続ける。
「母親を殺した人間につながる情報が、まだ残っているはずなんです」
「……」
「それを、調べたい」
五反田は、しばらく黙っていた。
そして、深く息を吐いた。
「……お前な」
「はい」
「何年経ったと思ってんだ」
「……わかってます」
「いや、わかってねえよ」
五反田は、少し強い口調で言った。
「昔のことを調べるのは勝手だ。でも、それで今のお前の人生まで全部潰すつもりか?」
アクアは、何も言わなかった。
五反田は、そんな彼を見つめた。
「……ルビーはどうする」
その名前が出た瞬間。
アクアの目が、わずかに動いた。
「……ルビー?」
「あいつだって、お前の家族だろ」
「……わかってます」
「本当に?」
アクアは、視線を落とした。
妹。
最近、何かを隠している妹。
昔の劇団について調べている妹。
そして。
自分と同じ母親を失った妹。
「……だからこそ」
アクアは、小さく呟いた。
「……あいつには、普通に生きてほしいんです」
五反田は、何も言わなかった。
ただ、少しだけ悲しそうな顔をした。
◇
夕方。
ルビーは、図書館を出た。
手には、今日書き込んだノート。
新しい名前が、一つ増えている。
三枝隆之。
舞台制作に関わっていた人物。
今も業界にいるのか。
どこで働いているのか。
何を覚えているのか。
まだ、何もわからない。
けれど。
次に調べるべき相手が、はっきりした。
「……よし」
ルビーは、小さく拳を握った。
そのとき。
スマートフォンが震えた。
アクアからだった。
『今どこ』
ルビーは、画面を見つめた。
そして、少しだけ考えてから返信する。
『買い物終わったとこ!』
送信。
すぐに既読がついた。
『有馬と?』
『うん!』
数秒。
返信が来た。
『そうか』
それだけだった。
ルビーは、スマートフォンをしまった。
胸の奥に、少しだけ罪悪感が残った。
でも。
仕方ない。
お兄ちゃんには、知られたくない。
今は、まだ。
◇
その頃。
アクアは、スマートフォンを見つめていた。
ルビーからの返信。
『買い物終わったとこ!』
『うん!』
アクアは、ゆっくりと息を吐いた。
そして、別の画面を開く。
有馬かなとのメッセージ。
少し前、仕事の連絡をした際のやり取りが残っていた。
その中で、かなは何気なく言っていた。
『ルビー、最近昔の演劇雑誌とか調べてるのよ。何なのかしらね』
アクアは、画面を閉じた。
妹は、嘘をついている。
少なくとも、何かを隠している。
それは、もう間違いない。
だが。
何のために?
なぜ、昔の劇団を調べている?
なぜ、宮崎から帰ってきてから急に変わった?
そして。
なぜ、自分には話さない?
「……ルビー」
アクアは、小さく名前を呼んだ。
その声には、苛立ちよりも。
不安が混じっていた。
◇
夜。
ルビーが帰宅すると、リビングにはアクアがいた。
「……ただいまー!」
「おかえり」
いつも通りの声。
いつも通りの表情。
ルビーは、少しだけ安心した。
「今日ねー、めっちゃ歩いた!」
「そうか」
「足疲れたー!」
「……買い物、大変だったな」
「うん!」
ルビーは笑った。
そして、自分の部屋へ向かおうとした。
そのとき。
「……ルビー」
アクアが呼び止めた。
「ん?」
「……一つ聞いていいか」
「なに?」
アクアは、ゆっくりと立ち上がった。
ルビーは、笑顔のまま待った。
「……お前」
少しの沈黙。
それから、アクアは、じっとルビーを見つめた。
ルビーも、笑顔のまま見返す。
数秒。
沈黙。
そして。
「……今日、有馬と買い物に行ったんだよな」
ルビーの背筋が、冷たくなった。
「……うん」
「……何買ったんだ?」
ルビーは、言葉に詰まった。
何も買っていない。
買い物になんて、行っていない。
でも。
ここで黙ったら、怪しまれる。
「……えっと」
ルビーは、笑おうとした。
けれど。
上手く笑えなかった。
アクアは、その表情を見ていた。
「……ルビー」
静かな声だった。
「……俺に、何か隠してるだろ」
ルビーは、何も言えなかった。
リビングの時計が、静かに時を刻んでいる。
兄と妹。
二人の間に、見えない壁ができていた。
それは、ほんの小さな嘘から始まったものだった。
けれど。
その壁の向こうにあるものを。
アクアは、まだ知らない。
ルビーもまた。
兄が何を隠しているのか、知らなかった。
そして。
二人とも、同じ人間を追いかけていることに。
まだ、気づいていなかった。