星野ルビーは、兄より先に復讐を終わらせる 作:M1tarash1
08.最初の名前
三枝隆之は、約束の時間より十分早く現れた。
「お待たせ。……って、僕の方が早かったか」
「お疲れさまです!」
星野ルビーは立ち上がり、頭を下げた。
都内の制作会社。
その一角にある小さな応接室で、ルビーは三枝との面談を待っていた。
テーブルの上には、仕事用の資料が数枚。
そして、鞄の中には一冊のノート。
ここ数週間で集めた情報が、すべて書き込まれている。
「今日はわざわざありがとうね」
「いえ! こちらこそ、お時間いただいてありがとうございます!」
三枝は笑った。
「礼儀正しいねえ。最近の若い子はしっかりしてる」
「えへへ。そんなことないですよ!」
ルビーは笑顔で答えた。
けれど、内心は落ち着かなかった。
今日こそ、何かを知りたい。
ただの昔話ではなく。
誰かの名前。
どこかの場所。
調べれば確かめられる、具体的な情報を。
◇
最初の三十分は、仕事の話だった。
配信番組の企画。
若手タレントの起用。
舞台と映像の違い。
三枝は、ルビーの質問に丁寧に答えてくれた。
「舞台の仕事って、やっぱり難しいですか?」
「難しいね。テレビとは求められるものが違うから」
「例えば?」
「一番わかりやすいのは、やり直しがきかないことかな。稽古で積み上げたものを、その場で出さなきゃいけない」
「なるほど……」
「でも、アイドルをやってるなら、舞台に向いてる部分もあると思うよ」
「ほんとですか?」
「人前に立つことに慣れてるからね。もちろん、それだけじゃ足りないけど」
ルビーは真剣に頷いた。
演技の仕事に興味があるのは、本当だった。
『東京ブレイド』を観たとき、舞台の迫力に圧倒された。
先輩やあかねが、まるで別人のように見えたことも覚えている。
自分にも、あんなことができるのだろうか。
そんな気持ちが、少しだけあった。
だからこそ、三枝の話は面白かった。
復讐のためだけではない。
アイドルとして、役者として。
自分が知らない世界を知ることにも、確かな意味があった。
「……それで、星野さん」
三枝が資料を閉じた。
「この前、昔のララライの話を聞きたいって言ってたよね」
ルビーの背筋が伸びた。
「はい!」
「何か、調べてるの?」
「昔の舞台のことを、少し」
「なるほど」
三枝は頷いた。
「僕が関わってたのは、もうずいぶん前だけどね」
「それでも、聞いてみたいです!」
「わかった。覚えてる範囲でよければ」
ルビーは、鞄からノートを取り出した。
その瞬間、三枝が少し驚いた顔をした。
「……ずいぶん本格的だね」
「えへへ。気になることは調べたくなっちゃうんです!」
「いいことだよ」
三枝は笑った。
そして、少しだけ昔を思い出すように視線を上げた。
「……あの頃のララライはね、今よりずっと小さな劇団だったんだ」
◇
十年以上前。
劇団ララライには、まだ無名の若い役者が大勢いた。
舞台に立つために稽古を重ねる者。
テレビや映画への出演を目指す者。
アルバイトをしながら芝居を続ける者。
三枝は、そんな若者たちを裏方として支えていた。
「みんな必死だったよ。売れたいって気持ちもあったし、芝居が好きって気持ちもあった」
「……すごいですね」
「そうだね」
三枝は頷いた。
「でも、若い役者が全員そのまま残るわけじゃない。途中で辞める子もいたし、別の道に進む子もいた」
「……今はもう、連絡取れない人も?」
「もちろん」
ルビーは、ノートに書き込んだ。
昔の劇団員。
現在は別の仕事。
連絡が取れない人もいる。
「……あの」
「ん?」
「当時、すごく有名だった若い役者さんって、いましたか?」
三枝は少し考えた。
「有名ってほどじゃないけど、目立つ子は何人かいたね」
「……どんな人ですか?」
「そうだなあ……」
三枝は、少しだけ笑った。
「芝居が上手い子はもちろんいた。でも、それ以上に、人の目を引く子がいたんだ」
ルビーの指が止まった。
人の目を引く。
その言葉に、母親の姿が重なった。
「……どんなふうに?」
「舞台に立つと、自然と視線が集まるんだよ。本人が何か特別なことをしてるわけじゃないのにね」
ルビーは、静かに頷いた。
ママみたいだ。
そう思った。
けれど、口にはしなかった。
「……その人、今も役者を?」
三枝は首を傾げた。
「いや、どうだったかな。途中で劇団を離れたはずだけど」
「……名前、覚えてますか?」
少しの沈黙。
三枝は、記憶を探るように目を細めた。
「……うーん」
ルビーは、息を止めた。
ここまで来た。
今度こそ。
何かがわかるかもしれない。
しかし。
「……ごめん。すぐには出てこないな」
ルビーの胸が、少しだけ沈んだ。
「……そうですか」
「顔は覚えてるんだけどね。名前って、案外忘れるもんだ」
「……ですよね」
ルビーは笑った。
けれど、三枝はそこで言葉を続けた。
「……ああ、でも」
ルビーは顔を上げた。
「昔の資料なら、残ってるかもしれない」
「……資料?」
「うん。公演の記録とか、出演者の一覧とか」
ルビーは、思わず身を乗り出した。
「……見られるんですか?」
「僕の手元にはないけど、劇団の方には残ってるんじゃないかな」
「……!」
「ただ、外部の人に見せてもらえるかどうかは、わからないよ」
ルビーは、何度も頷いた。
「それでも、ありがとうございます!」
三枝は、少し不思議そうに笑った。
「……そんなに昔の役者が気になる?」
「はい!」
ルビーは、まっすぐ答えた。
「昔のことを知るのって、面白いので!」
三枝は頷いた。
「そうか」
そして、少し考えてから言った。
「……そうだな。劇団の制作担当に、一度聞いてみようか」
ルビーの目が、大きく開いた。
「……いいんですか?」
「もちろん。昔の資料を見たいってだけなら、相談するくらいはできるよ」
「ありがとうございます!」
ルビーは、深く頭を下げた。
その瞬間。
ようやく、次の扉が開いた気がした。
◇
面談が終わったあと。
ルビーは、廊下を歩きながらノートを見返していた。
劇団ララライ。
昔の若い役者。
途中で劇団を離れた人物。
そして、劇団に残っているかもしれない資料。
まだ、名前はわからない。
けれど、調べる方法は見つかった。
それだけでも、大きな進展だった。
ルビーはスマートフォンを取り出した。
ミヤコにメッセージを送る。
『面談終わったよ! 三枝さん、すっごくいい人だった!』
すぐに返事が来た。
『それはよかったわ。帰り、気をつけてね』
『はーい!』
ルビーは画面を閉じた。
そして、歩き始める。
そのときだった。
「……星野さん!」
背後から声がした。
振り返る。
三枝だった。
「……あれ? どうしたんですか?」
「ごめん、ちょっと思い出したことがあって」
ルビーの心臓が跳ねた。
「……思い出したこと?」
三枝は、少しだけ息を整えた。
「さっき話してた、昔の若い役者のことなんだけど」
ルビーは、黙って頷いた。
「名前はまだ思い出せないんだけどね」
「……はい」
「その子、確か……」
三枝は、少し考えた。
そして。
「……昔、アイドルの子と一緒にいるところを見たことがあるんだ」
ルビーの呼吸が止まった。
「……アイドル?」
「うん。たしか、B小町だったと思う」
世界が、一瞬だけ静かになった。
B小町。
その名前が、耳の奥で響いた。
「……B小町、ですか?」
「そう。昔の方のね」
三枝は頷いた。
「劇団の関係者が集まる場所に、たまたま来てたんだよ」
ルビーは、拳を握った。
声が震えないように、慎重に尋ねる。
「……そのアイドルって、誰だったんですか?」
三枝は、少し困った顔をした。
「……ごめん。そこまでは覚えてない」
「……そう、ですか」
「ただ、あの頃のB小町って、まだ今ほど有名じゃなかったからね。珍しいなと思ったのは覚えてる」
ルビーは、ゆっくりと頷いた。
アイだったのか。
それとも、別のメンバーだったのか。
わからない。
けれど。
少なくとも、昔のララライの役者とB小町のメンバーが接点を持っていた可能性がある。
それは、今までの情報とは違った。
ただ同じ時代に活動していたというだけではない。
実際に、同じ場所にいた。
「……ありがとうございます」
ルビーは、深く頭を下げた。
三枝は笑った。
「いやいや。あやふやな記憶で悪いね」
「いえ……!」
ルビーは顔を上げた。
「すごく、参考になりました!」
◇
帰りの電車。
ルビーは、窓に映る自分の顔を見つめていた。
B小町。
劇団ララライ。
そして、名前のわからない若い役者。
今まで別々だった情報が、初めて一つにつながった。
けれど。
まだ、決めつけてはいけない。
三枝が見たアイドルが、母親だったとは限らない。
その役者が、事件に関係しているとも限らない。
ただ。
確かめる価値はある。
ルビーは、ノートを開いた。
新しいページに、三つの言葉を書いた。
『劇団ララライ』
『旧B小町』
『名前不明の若い役者』
そして、三つを線で結んだ。
まだ、細い線だった。
けれど。
確かに、つながっていた。
「……ママ」
ルビーは、小さく呟いた。
あなたは、誰と会っていたの?
誰を知っていたの?
そして。
誰に、命を奪われたの?
答えは、まだない。
けれど。
少しずつ、近づいている気がした。
◇
同じ頃。
アクアは、あかねから届いたメッセージを見ていた。
『昔のララライの資料、少し確認できそうだよ』
アクアは、画面を見つめた。
そして、短く返信した。
『ありがとう』
すぐに返事が来る。
『でも、どうしてそんな昔のことが気になるの?』
アクアは、少しだけ考えた。
あかねは、頭がいい。
そして、人の感情や行動を読み取ることに長けている。
下手な嘘をつけば、すぐに気づかれるかもしれない。
けれど。
今は、話せない。
『少し調べたいことがある』
送信。
しばらくして。
『……そっか』
それだけが返ってきた。
アクアは、スマートフォンを置いた。
そして、机の上の資料を見つめる。
劇団ララライ。
母親の過去。
父親につながるかもしれない情報。
まだ、何も確定していない。
それでも。
自分の復讐は、終わっていない。
アクアは、静かに資料を閉じた。
◇
数日後。
ルビーのスマートフォンに、三枝から連絡が届いた。
『劇団の制作担当に確認したところ、昔の公演資料を一部見せてもらえることになりました』
ルビーは、思わず立ち上がった。
「……やった!」
すぐに返信する。
『ありがとうございます! ぜひお願いします!』
少しして、次のメッセージが届いた。
『ただし、資料はかなり古いので、全部残っているわけではないそうです』
『大丈夫です!』
ルビーは、即座に返した。
どんなに少なくてもいい。
一つでも、手がかりがあれば。
それだけで十分だった。
そして。
さらに、メッセージが届く。
『それと、制作担当が昔の出演者について少し覚えているそうです』
ルビーの指が止まった。
『……本当ですか?』
『はい。特に、当時まだ十代だった役者のことは、印象に残っているそうです』
ルビーは、画面を見つめた。
十代。
アイと同じくらいの年齢。
そして、劇団ララライ。
心臓が、早鐘を打っていた。
まだ、名前はわからない。
顔もわからない。
それでも。
次に会う人間は、何かを知っているかもしれない。
ルビーは、ゆっくりと息を吐いた。
そして、スマートフォンを握りしめた。
「……もう少し」
あと少し。
そう思った。
けれど、その先に何が待っているのか。
今のルビーには、まだわからなかった。