ダンジョンに最後の幻想を持ち込むのは間違っているだろうか? 作:白白
「シズカー、またボーッとしてるんか? 暇なんやったらウチと遊ぼうや!」
背中からドスンと勢いよく飛びついてきたのは、朱色の髪をした神様だった。
「……ロキ。今はちょっと、昔のことを思い出していただけですよ」
首元に回された細い腕を軽くポンポンと叩きながら、私は小さく息を吐く。
開け放たれた窓から、オラリオの街の喧騒と、微かに甘い屋台の匂いが風に乗って入り込んでくる。
ここ『黄昏の館』の談話室は、今日も平和だ。
(それにしても……なんで私、こんなところで『冒険者』なんてやってるんだっけか)
ふと自分の手を見下ろす。
白く長い指。
視界の端に揺れる白いウルフカットの髪。
すっかり馴染んだこの体だけど、本来の私のものじゃない。
あれはたしか、三年前――十五歳の時のことだ。
「ええっ、クリア目前でギミックミス!? 嘘でしょ!」
カチカチカチッ! とマウスを壊れんばかりにクリックした瞬間だった。
足元のデスクトップPCから、ありえない音量の破裂音が鳴り響き――直後、視界が真っ白に飛んだ。
徹夜で高難易度レイドボスに挑んでいた末の、まさかのPC爆発オチ。
(どうしてこうなったんだ……マジかよ……)
呆然とする間もなく、気がつけば見渡す限りの白い空間にポツンと立っていた。
『やあやあ、すまないねえ! 君のPC、ちょっと熱を持ちすぎちゃってさ!』
「……は?」
目の前には、眩しい光の塊のような何かがふわふわと浮いていた。
『実を言うと、僕のミスで君の寿命を少しだけ縮めちゃってね。お詫びに、剣と魔法の世界に転生させてあげるよ!』
「いやいや、ちょっと待って。私、まだやり残したゲームが――」
『君がプレイしてたキャラクターの能力、全部そのまま持たせてあげるから! ほら、光の戦士ってやつ? 全ジョブカンストしてるし、お得でしょ! じゃ、いってらっしゃい!』
「話を聞けぇぇぇっ!」
私の叫びは虚しく響き、背中をドンと押されたかと思うと、見知らぬ路地裏に放り出されていたのだった。
「……ほんと、理不尽な神様もいたもんだ」
思わずこぼれた呟きに、背中に張り付いたままのロキが不思議そうに小首を傾げる。
「ん? ウチのことか?」
「いえ、ロキのことじゃありませんよ。ただの独り言です」
肩をすくめ、手元にふっと意識を集中させる。
パキンッ、と硬質な音が鳴り、私の周りに薄青いバリアが展開された。
前世から引き継いだ『賢者』の力だ。
この世界に来てから色々なモンスターと戦ったけれど、このバリアとタンク職の防御力を貫通してきた攻撃は一度もない。
アンフィスバエナっていう首が二つあるデカい水竜に水中で噛みつかれた時も、傷一つ負わなかったっけ。
(圧倒的な防御力って、心にものすごい余裕を持たせてくれるんだよね……とりあえず死ぬ事はないし)
「シズカ、また不思議なスキルを使っているね」
談話室の入り口から歩いてきたのは、金色の髪をした小柄な団長――フィンだ。
「ええ、ちょっとした暇つぶしです。それにしても、今日も平和ですね」
私が飄々と返すと、フィンはバリアを物珍しそうに指でつつきながら、苦笑して肩をすくめた。
「君のその落ち着きっぷりには、本当に助かっているよ。十五歳でうちのファミリアに入ってきてからずっと、君はどんな絶地でも動じないからね」
「まあ、大抵のことはなんとかなりますから」
前世の未練がないわけじゃない。この世界がどういう物語の舞台なのかも、正直さっぱりわからない。
でも、仲間と一緒なら、案外悪くない人生かもしれない。
「よーし、なら今日はウチの奢りでパーッと飲みに行くで! シズカ、付き合いや!」
「はいはい。お手柔らかにお願いしますよ」
ロキの元気な声に、私は小さく息をついて、窓の外に広がる青空を見上げた。
「んっっま! やっぱここの酒は最高やな!」
ジョッキを勢いよくテーブルに叩きつけ、ロキが豪快に笑う。
朱色の髪がバサリと揺れ、エールの甘苦い匂いと肉の焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
オラリオの酒場である豊穣の女主人は今日も満員御礼。
冒険者たちの怒号に近い笑い声が、そこかしこから響いている。
香ばしい肉の脂と、エール酒の甘酸っぱい匂いが鼻をくすぐる。
冒険者たちの豪快な笑い声と、木製のジョッキが派手にぶつかり合う音が絶え間なく響く夜の酒場、「豊穣の女主人」。
熱気で少し霞んだ店内の片隅で、私は山盛りの料理をつまみながら、手元のグラスを軽く揺らした。
「今や私も第1級冒険者かぁ」
ふと口から漏れた呟きは、喧騒に紛れて消えるかと思ったが。
「何驚いとんねん。うちに入った時から馬鹿みたいに強いやん」
背中をバンッと叩かれ、エセ関西弁のツッコミが飛んできた。
振り返ると、朱色の髪を一つ結びにしたうちの主神――ロキが、すでに出来上がった様子でニシシと笑っている。
フワリと漂う酒臭い息に、私は思わず顔をしかめた。
(そりゃあね……こっちの世界に転生してきた時点で、全ジョブカンスト済みだったし)
心の中でそっと突っ込む。
タンクからヒーラー、DPSまで、アーマリーシステムで瞬時に着替えられる理不尽仕様。
ダンジョンの27階層主、あの巨大なアンフィスバエナの攻撃すらバリアを張ってしまえばノーダメージで凌ぎ切れるのだ。
何も知らない15歳の時にこのファミリアに拾われてから3年、焦ることも死にかけることもなく、マイペースにやってきたらいつの間にか第一級冒険者になっていた。
「まあ、ミズキは昔からどんなデカいモンスターの前でも肝が据わっとるからな」
向かいの席でエールを呷りながらドワーフのガレスが髭を揺らして豪快に笑う。
私が「余裕があるだけですよ」と肩をすくめようとしたその時だった。
「あァん? そんなことより聞いてくれよ。傑作なんだぜェ」
ドンッ!
乱暴にテーブルへ足を乗せたのは、灰色の毛並みを持つ狼人――ベート・ローガだ。
左頬に入れ墨を持つ彼はひどく酔っ払った様子で空のジョッキを振り回している。
その鋭い視線の先には、隣で静かに食事を進めていた金髪金眼の少女アイズがいた。
「この前、遠征の帰りにミノタウロスが数匹、上層に逃げちまっただろ? で、俺たちが片付けてたらよォ、一匹の牛の前に、真っ白な髪したヒューマンのガキが腰抜かしてやがったんだよ!」
ベートの言葉に、アイズの肩がピクリと跳ねる。握っていたフォークの動きがピタリと止まった。
「アイズが助けてやったってのによォ、あいつ顔を真っ赤にして血相変えて逃げ出しやがった! ギャハハハ! まるで熟れたトマトみたいになァ!」
「……やめて」
アイズがうつむき加減で小さく呟くが、酔っ払った狼の耳には全く届いていない。
「アイズもアイズだぜ! あんな間抜けな『トマト野郎』、放っておけばよかったんだ。どうせすぐモンスターの餌になるようなどこぞの弱小ファミリアのゴミだろォが!」
(うわぁ、相変わらず遠慮ってもんがないな、この狼……)
私が呆れてため息をつこうとした、まさにその瞬間だった。
――ガタァンッ!!
少し離れたカウンター席の奥で、椅子が派手にひっくり返る音が響いた。
周囲の冒険者たちが何事かと視線を向ける。
私もつられて目をやると一人の少年が立ち尽くしていた。
純白の髪に兎のように赤い瞳。
その顔は、ベートの言う通り……いや、それ以上に真っ赤に染まっていた。
羞恥と絶望が入り混じったような表情で、わなわなと震えギュッと拳を握りしめている。
「……えっ?」
私が間抜けな声を上げる暇もなく少年は脱兎のごとく酒場の出口へ向かって駆け出した。
バタンッ!
勢いよく扉が開かれ、あっという間に夜の街へと消えていく。
残されたのは不自然なほどの静寂。
カウンターの奥ではウェイトレスのシルや薄緑の髪をしたエルフのリューが冷ややかな、それこそ絶対零度の視線をベートに向けている。
(……マジかぁ)
あまりのタイミングの良さと、胃が痛くなるほどの気まずさに、私はただ黙ってグラスの縁を指でなぞることしかできなかった。
バタンッ
という扉の音が響き終えても店内の気まずい空気は全く晴れなかった。
カウンターの奥から突き刺さる絶対零度の視線にさすがのベートも気づいたのか、チッと舌打ちをしてジョッキをテーブルに叩きつけた。
「んだよ。俺は事実を言っただけだろォが」
「あのねえ、ベートさん」
私は食べていた串焼きの肉を飲み込み呆れ気味に口を開いた。
「推奨レベルオーバーの敵と突然対面したんだから、逃げ出すのはしょうがないですよ。装備も心構えもできてない初心者なら、なおさらです」
(レベル1の初心者が、中層級のミノタウロスに遭遇するなんて、普通のゲームなら即死の無理ゲーだっつーの)
私の心の中のツッコミに気づくはずもなくベートが鋭い牙を剥き出しにして唸る。
「アァン? 冒険者なら常に死を覚悟しとくのが当然だろ! あんな腰抜け野郎、ダンジョンに潜る資格もねェ!」
相変わらずの極論だ。
この狼人は言葉選びが壊滅的だけど、裏を返せば「生き残るために強くなれ」という不器用な叱咤でもあるのだ。
とはいえ、あの純白の髪の少年――ウサギみたいな彼には、あまりにも酷な仕打ちだった。
私はグラスに残っていたエールをぐいっと飲み干し口元に手を当ててにっこりと……いや、とびきり黒い笑顔を作った。
「なるほど常に死を覚悟、ですか。素晴らしい心構えですね。だったらベートさんも、彼を見習って37階層の階層主『ウダイオス』をソロで狩りにいきましょうね。逃げてもいいですよ」
「……はァア!?」
「ソロで! あの巨大な骸骨モンスターを! もちろん私は回復もバリアも投げませんから、一人で頑張ってくださいね。心から応援してます!」
「てめェ、ミズキ! ふざけんな、誰がそんな自殺行為……ッ!」
吠えようとしたベートを放置して私は椅子から立ち上がった。
木製の椅子がギシッと鳴る。
「ということでロキ。私は今日はこの辺で帰ります」
「おん? なんやミズキ、もう帰るんか? せっかくの宴会やのに」
朱色の髪を揺らし、ロキが不満げに口を尖らせる。
私はテーブルに金貨を数枚置きながらひらひらと手を振った。
「ちょっと、面白そうな……じゃなかった、気になる初心者が飛び出していっちゃったんで。様子を見てきます」
(あんな顔真っ赤にして泣きそうになってたら、いくらなんでも放っておけないでしょ……)
「おいミズキ、待ちやがれコラァ!」と背後で吠えるベートの声をBGMに、私は「豊穣の女主人」の重い扉を押し開けた。
頬を撫でる夜風が心地いい。
私は足に力を込め、路地の奥へと消えていった「トマト野郎」と呼ばれた少年の気配を追って、迷宮都市の夜の街へと駆け出した。