ダンジョンに最後の幻想を持ち込むのは間違っているだろうか? 作:白白
「で?どうやったん?ミズキが朝帰りなんて珍しいやん」
朝陽が差し込むロキ・ファミリアの本拠『黄昏の館』の談話室。
長椅子にだらしなく寝そべりながら、朱色の髪を弄る主神――ロキが、薄目を開けて私を見上げていた。
漂ってくるのは、微かな安酒の匂い。
昨夜もどこかで飲み明かしたのだろう。
(相変わらず、神様っぽくないだらしなさですね……)
「ただの尻拭いですよ。あの馬鹿犬が、外で無礼を働いたので」
私は小さく息を吐きながら、頭の中でアーマリーシステムを解除した。
光の粒子と共に、ダンジョンで纏っていたナイトの分厚い重装甲が消え去り普段着のゆったりとしたチュニックへと姿を変える。
白髪のウルフカットを手櫛で整えながら答えると、ロキはニヤリと悪戯っぽく口角を上げた。
「ああ、昨日の酒場でのアレか。ベートの奴が酔っ払って『トマト小僧』って喚いとったやつ」
「ええ。顔を真っ赤にして夜のダンジョンに飛び出していくなんて、どう見ても自殺志願者でしたから。気になって追いかけて、朝まで熟練度上げのお手伝いをしてきました」
「へぇー」
ロキは体を起こし、糸目のような瞳で興味深そうに私を覗き込んでくる。
「ミズキが他人の面倒を見るなんて、ホンマに珍しいな。15でウチに入ってきてから、ずっとマイペースにソロで潜っとったのに」
(別に、一人が好きというより他の人とペースが合わないだけなんですが)
私は心の中でこっそりツッコミを入れた。
27階層の階層主、あのアンフィスバエナの攻撃すら無傷で凌げる私のタンク性能に、普通の冒険者が付き合うのは物理的に無理があるのだ。
口元のホクロを指で軽く撫でながら私は肩をすくめた。
「放っておけなかっただけです。レベル1の初心者が、ウォーシャドウを相手に特攻を仕掛けるような有様でしたから」
「ウォーシャドウ? あの新米殺しか」
「ええ。私がスタンを取ってあげないと、確実に首が飛んでましたね」
「そんで? あのチビッ子はどうやった?」
ロキの糸目が、わずかに鋭く細められた。
神様特有の、魂の底を覗き込むような視線。
「……弱かったですよ。でも、目は死んでいませんでした」
私は昨夜の、泥だらけになりながら立ち上がり続けた少年の赤い瞳を思い出す。
「ミノタウロスから逃げてアイズに助けられたのが悔しくて、彼女に追いつきたい、ふさわしい冒険者になりたいと……ひたすら剣を振るっていました」
「…………は?」
ロキの動きが、ピタリと止まった。
「アイズたんに……ふさわしい?」
地を這うようなドス黒い声。
ロキはギリリと歯を軋ませ、長椅子からガバッと立ち上がった。
「なっ、なんちゅう図々しいクソガキや! アイズたんはウチのやぞ!? 何処の馬の骨ともわからんガキが、ウチのアイズたんを狙っとるやと!?」
顔を真っ赤にして地団駄を踏む主神を見て、私は内心で(ああ、また始まりましたね)と呆れ返った。
彼女のアイズへの執着は筋金入りだ。
「100年早いわ! 今すぐシメに行ったる!!」
「落ち着いてください。あくまで目標の話ですよ。私は別に、彼がすぐアイズに追いつけるとは言っていません。それに、神様が下界の子供相手に大人げないですよ」
私がマイペースに淡々と返すとロキは「ぐぬぬ……」と唸りながらも、少しだけ冷静さを取り戻したようだ。
「……まぁええわ。そないなモヤシっ子、どうせすぐダンジョンでへこたれるやろ。ミズキも、あんまり入れ込みすぎんなよ?」
「わかっています。私にとっては、ただの通りすがりの初心者ですから」
(ただ……少しだけ、どう成長していくのか見てみたい気はしますけどね)
私の元いた世界で言えば、彼はまだ若葉マークをつけたばかりの初心者プレイヤーだ。
私からすれば、ああやって必死に背伸びをしている若葉を見守るのは存外嫌いじゃないみたいだ。
「じゃあ、私は疲れたので寝ます。おやすみなさい」
「おん、ゆっくり休めやー」
ロキの適当な声に見送られながら私は談話室を後にした。
廊下に出ると、朝の冷たい空気が窓の隙間からそっと頬を撫でる。
(さて、次会うときは、あの子は少しはレベルアップしているでしょうかね)
私は小さくあくびを噛み殺し、自室へと歩き出した。
翌日
ロキ・ファミリアの本拠『黄昏の館』での朝のやり取りから数日後。
オラリオの北東に位置する工業区は、今日も朝からむせ返るような熱気と活気に包まれていた。
「あー、あっつ……。なんでウチが自ら足運ばなあかんねん」
隣を歩く朱色の髪の主神――ロキが、だらしなく首元を仰ぎながら愚痴をこぼす。
「ファミリアのトップが直接顔を見せた方が、交渉もスムーズに進むからでしょう。それに、次回の遠征は未踏の階層への再挑戦。武器の調達は妥協できませんからね」
私は、白髪のウルフカットを揺らしながら淡々と返した。
工業区のメインストリートには、様々な武具屋や工房が軒を連ねている。
その中でも一際巨大で、交差する二本の槌と火山のエンブレムが掲げられた豪奢な建物――それが、オラリオ最大の鍛冶系派閥『ヘファイストス・ファミリア』の本拠だ。
「よっ! ヘファイストス、邪魔するでー!」
ロキが遠慮の欠片もない大声で重厚な扉を開け放つと、奥の工房から立ち上る熱風が私たちの頬を撫でた。
「……相変わらず、騒々しいわね、ロキ」
静かな、けれど通る声と共に奥から現れたのは、右目に眼帯をつけた赤髪の麗神だった。
男装のような凛とした出立ちでありながら、鍛冶の神としての底知れぬ威厳と色気を漂わせている。寡黙気味な彼女は、静かな足取りでこちらへ近づいてきた。
「なんや、相変わらずお堅い顔しとるなぁ。今日はウチの可愛い眷族たちのために、どーんと武器の発注に来たんやで!」
「……どうせまた、うちの武器を無茶苦茶に壊したんでしょう」
「あはは、まぁそれもあるけどな。次の遠征は59階層への再挑戦や。生半可な備えじゃアカン。予備の武具に加えて、中層から下層の突破用に『魔剣』もいくつか融通してほしいんや」
ロキの言葉に、ヘファイストスの顔つきが職人のそれへと微かに変わる。
魔法を放ち、やがて砕け散る魔剣は強力だが消耗の激しい武具だ 。
オラリオ最高級のブランドを誇る彼女のファミリアといえど、質の高い魔剣を量産するのは容易ではない。
「魔剣……。まあ、お得意様であるあなたの頼み。数は約束できないけれど、うちの腕利きたちに打たせておくわ」
「おお! さすがヘファイストス、話が早くて助かるわぁ!」
ロキが上機嫌で交渉をまとめる中、私は一歩引いた位置から二人のやり取りを静かに眺めていた。
(相変わらず、トップ同士の繋がりが深いファミリアですね。うちのタンク役や前衛陣の武器も、大半がここの製品ですし)
私がそんなことを考えていると、不意にヘファイストスの赤い単眼が、私の全身を鋭くねめつけたままで止まった。
「……そこの白髪の
「おん? ああ、こいつはミズキや。ウチのファミリアが誇る鉄壁の盾やで!」
ロキがニシシと笑いながら私の肩を叩く。私は軽く一礼し、口元のホクロを微かに歪めて微笑んだ。
「ミズキ・シズカです。お見知りおきを、ヘファイストス様」
「ミズキ……」
ヘファイストスは私に静かに歩み寄ると、神特有の深淵を覗き込むような目で、私の周囲をぐるりと見渡した。
「奇妙ね。第一級冒険者ともあろう者が、武器も防具も身につけずにダンジョンの外を出歩いているなんて。……いや、違うわね」
彼女の眼帯に隠されていない右目が、微かに見開かれた。
「あなた、空間そのものに『武具』を隠し持っているの?」
(……えぇ? コレってわかるもんなの?)
私の『アーマリーシステム』は、インベントリと呼ばれる別空間に装備を収納し、状況に合わせて瞬時にジョブごと切り替えるシステムだ。
この世界の一般的な冒険者は、重い鎧や武器を常に持ち歩くか、サポーターに持たせるのが常識である。
「ええ、まあ。ちょっとした特殊なスキルでして」
「……見せてちょうだい」
ヘファイストスの静かな声には、純粋な職人としての抗いがたい熱がこもっていた。
鍛冶の神の前で武具を出し惜しみするのも無作法だろうと思い、ジョブを切り替えた。
――カシャッ。
光の粒子が私の周囲を包み込み、瞬く間に普段着が分厚い純白と銀の金属装甲へと切り替わる。
そして私の両手には、青白い光を帯びた長剣と、強固な意匠が施された大盾が握られていた。
「なっ……!?」
ロキが「相変わらず手品みたいな着替えやな」と笑う横で、ヘファイストスは息を呑み、私の大盾へと顔を近づけた。
「この金属……いや、金属なの? ミスリルでも、オリハルコンでも、アダマンタイトでもない……。それにこの剣から放たれている微かな魔力のような光……まるで武具そのものが呼吸をしているようだわ」
彼女の手が、震えるように盾の表面を撫でる。
「素晴らしい……。継ぎ目一つなく、極限まで圧縮された未知の鉱石。それに、これほど激しい戦闘をくぐり抜けてきたはずなのに、傷一つ、刃こぼれ一つ存在しないなんて……」
(そりゃあね……私の装備、システム的に『耐久度』が減らない無敵仕様ですから)
前世のゲーム――FF14の仕様をそのまま引き継いでいる私の装備は、この世界における物理法則をいくつか無視している。どんな強力な階層主の爪牙を受けても、絶対に削れないし壊れないのだ。
「この武具を打ったのは誰? オラリオの職人ではないわね。極東……? それとも、遠い異国のドワーフ……?」
静かだったヘファイストスが、かつてないほどの熱を帯びた声で問い詰めてくる。
その凄まじい気迫に、私は思わず半歩後ずさった。
「ええと……私の故郷の、とても腕の立つ職人たち……あるいは、失われた古代帝国の技術、ですかね」
アラグ帝国だの、ロウェナ商会だの、ゲロルトの名を口にしたところで伝わるわけがないので、適当にぼかして答える。
「失われた技術……なるほど、あり得る話ね。でも、この魔力の循環回路はどうなっているの? 使用者の精神力を吸い上げているわけでもないのに、なぜこれほどの輝きを維持できるの……?」
ヘファイストスは私の長剣の刀身を指で弾き、その澄んだ金属音に恍惚とした表情を浮かべた。
「あの、ヘファイストス様。一つだけお伝えしておくと、この武器と盾は『壊れない』んです」
「……壊れない?」
「はい。どれだけ硬い鉱石を斬りつけても、階層主のブレスを正面から受けても、決して劣化しません。刃こぼれも、ひび割れも起きない。そういう法則で構成されているものなので」
私の言葉に、鍛冶の神はしばし絶句した。
「……信じられないわ。どんな名剣であれ、使えば必ず摩耗する。それが物理の理というものよ。しかし、この武具から感じる絶対的なまでの『完成度』は……あなたの言葉が嘘ではないと告げている」
ヘファイストスはふう、と短く息を吐き、真剣な眼差しで私を見つめた。
「ミズキ。この武器を数日、私に預けてくれないかしら。バラバラに分解はしないわ。ただ、この未知の製法を少しでも解き明かしたいの」
鍛冶の神からの直々の懇願。普通の冒険者であれば、名誉なことだと平伏して差し出すのだろう。
だが、私は少しだけ困ったように眉を下げた。
「お言葉ですが、ヘファイストス様。それはできません」
「なぜ……? 対価ならいくらでも支払うわ。あなたのファミリアへの武器提供を無償にしてもいい」
「いえ、そうではなくてですね」
私は長剣をくるりと回し、背中に納刀した。
「この装備、私自身の『魂(ジョブ)』と深く結びついているんです。私が手放せば、光の粒子となって空間に消えてしまいます。誰かに譲ることも、解析のために預けることもできないんですよ」
(システム上、トレード不可・EX属性がついてるだけなんですけどね)
私がさらりと告げると、ヘファイストスは絶望したように肩を落とした。
「……そう。主の魂と直結した、文字通りの『専用武具』というわけね。……惜しいわ。実に惜しい。我がファミリアの鍛冶師たちに見せれば、数年は徹夜で議論ができるほどの代物なのに」
「はっはっは! 残念やったなヘファイストス! こいつの装備はウチのモンや!」
ロキが勝ち誇ったように胸を張る。
私はそんな主神の頭を軽く小突きたくなる衝動を抑え、ヘファイストスに向かって深く頭を下げた。
「私自身の装備のメンテナンスは不要ですが、その分、ファミリアの仲間たちの武器はよろしくお願いいたします。階層主クラスのモンスター相手に、途中で武器が砕けてしまっては困りますからね」
「……ええ、わかっているわ。私の名とファミリアの誇りにかけて、最高の武具と『魔剣』をロキ・ファミリアに提供しましょう。あの未知の武具を見せられた後だもの、職人としての意地があるわ」
ヘファイストスの右目が、負けじと鋭い輝きを取り戻す。その瞳には、私の装備に対する純粋な探究心と、鍛冶神としてのプライドが静かに、だが熱く燃え上がっていた。
「頼りにしてるで、ヘファイストス! ほな、ウチらはこれで失礼するわ!」
「ありがとうございました、ヘファイストス様」
工房の熱気を背に受けながら、私たちはメインストリートへと出た。
「いやー、あのヘファイストスが目を丸くしとったで! ミズキの装備、ホンマに反則やな!」
「反則で結構ですよ。死なないこと、傷つかないことが私の仕事(タンク)ですからね」
私は青い瞳で、オラリオの空にそびえ立つ真っ白なバベルの塔を見上げた。
次なる59階層への再遠征。
アイズやフィン、ティオナやティオネ、それにベートといった錚々たる第一級冒険者たちが、己の限界を超えるために未知の領域へ挑む戦い。
彼らがどれほど無茶な特攻を仕掛けようとも、私がこの理不尽なまでの無敵のバリアと大盾で、その背中を完全に守り抜いてみせる。
「さて、仲間たちの武器の心配もなくなったことですし……今日のランチは少し豪勢にいきましょうか。ロキ、奢ってくださいね」
「なんでやねん! さっきの交渉でウチの財布もスッカラカンや!」
騒がしく喚く主神の声をBGMに、私は心の中に広がる圧倒的な平穏と共に、迷宮都市の雑踏をマイペースに歩き出した。