副提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります。 作:リター
―――――4月1日。
潮風が運ぶかすかな重油の匂いと、微かな波音。
ここはとある海沿いに位置する、ある鎮守府の司令室の前。
コンコンコン、とドアを叩く音を響かせる。
「入れ」
扉を開き、数歩前へ進む。
デスクの後ろには、背筋を伸ばした一人の女性士官――この鎮守府を預かる提督の姿があった。
背後の壁には毛筆で整然と書かれた「精神一到」の額が掲げられている。
部屋に入ってきたこちらの姿を一瞥すると、ペンを置き、椅子から立ち上がる。
「……貴官が今日付けで配属となった副提督か。私が当鎮守府司令官、速水櫻子だ」
司令官、速水櫻子が敬礼を捧げる。
「見ての通り小さな鎮守府だが……与えられた海域を守り抜くのが我々の務めだ。覚悟を持って任務に当たってほしい」
「君という補佐を得られて助かる。……これからよろしく頼むぞ、副提督」
こちらも海軍式の敬礼を返した。
櫻子はその敬礼に対し、わずかに顎を引いて無言で応じる。
そして視線を横へ向けた。
そこには、執務室の隅で直立不動の姿勢を保っている一人の艦娘。
黒髪を綺麗に切り揃え、凛とした制服を纏った駆逐艦――朝潮である。
櫻子が手招きすると、朝潮は少し緊張した面持ちで歩み寄ってきた。
「秘書官の朝潮だ。当鎮守府の秘書官を務めている。」
彼女が朝潮の肩に軽く手を置く。
その表情が、ほんのわずかに和らいだ。
「朝潮、副提督に執務室の案内と、配属されている皆のところへ案内してやってくれ」
朝潮は「はい、司令官!」と返事をし、こちらへ向かってぴしりと敬礼した。
「引き継ぎの書類は後で目を通す。まずはこの鎮守府の空気に慣れてくれ。……行って良し」
姿勢を一度正し、踵を返すと、その後に朝潮が続く。
静かな執務室に、紙をめくる音だけが残った。
◆◆◆◆◆
廊下へ足を踏み出すと、朝潮がくるりと振り返り、背筋を伸ばした。
「改めて、秘書官の朝潮です。よろしくお願いします、副提督!」
「それでは私にご同行ください。『入渠施設』と、日々の物資を管理する『補給・備蓄庫』へご案内いたします。――こちらへどうぞ!」
ひとつ頷き、彼女のあとに続いて歩き出す。
制服のスカートをなびかせて前を行く朝潮の頭は、ちょうど胸の下あたりに位置していた。
板張りの廊下を進み、潮の香りが少し強くなった頃、重厚な鉄の扉が見えてきた。
「――こちらが入渠施設となります! 現在は第四ドックにて駆逐艦の修繕作業を行っております!」
朝潮が足を止め、振り返って手で扉を示す。
彼女へ促されるまま中へ入ると、第四ドックの入渠槽には一隻の艦娘が横たわっていた。
――――駆逐艦、霞だ。
彼女はメンテナンスを受けながら、怪訝そうな顔でこちらを睨みつけるように見上げる。
そして、眉間にはっきりとした皺が寄った。
「……何よ。あんた新しく来る副提督とかいう高官?」
――――すると、横に立っていた朝潮が焦ったように一歩前へと出た。
「霞!失礼ですよ、副提督にご挨拶を――」
「言われなくても分かってるわよ」
霞は朝潮の言葉を遮る。
「……霞よ。見ての通り、怪我の治療中。用がないなら、とっとと出ていってちょうだい」
そして、再びこちらを睨みつけた。
―――――なるほど。これが、この鎮守府の艦娘か。
だが、初対面の相手に警戒されることくらい、これまでの軍務でも珍しくはない。
「そんな言い方は―――――」
霞を諫めようと言葉を続けかけた朝潮の肩を軽く叩くと、そのまま、入渠施設の外へと足を向ける。
彼女はこちらの意図を汲み取ったのか、小さく頷いた。
扉を閉める音と共に、湯気の向こうから霞の声が飛んでくる。
聞き取れはしなかったが、その悪態を受け止めながら、朝潮とともに入渠施設を後にした。
◆◆◆◆◆
入渠施設を後にしてすぐ、少し前を歩いていた朝潮が足を止め、眉を下げながら頭を下げる。
「副提督……申し訳ありませんでした。霞は少し素直になれないところがあって……。同じ朝潮型として、私からもお詫びします」
小柄な身体をさらに小さくして謝罪する彼女へと、意に介していないことを示す。
朝潮はほっとしたように表情を緩めた。
「ありがとうございます、副提督! ……では、次は備蓄庫をご案内します」
あとに続き、更に敷地の奥へと進む。
やがて現れたのは、頑丈な二重扉と鍵が取り付けられた大きな倉庫。
ここはあらゆる鎮守府の生命線と言ってもいい備蓄庫で間違いないだろう。
「ここが備蓄庫です。燃料や弾薬はもちろん、鋼材やボーキサイト、資材はすべてここで管理されています」
ギィィィッ―――金属が擦れる音。
春の涼しさとは一段違った冷たさの中に足を踏み入れてすぐに、自分は目を疑った。
これまで複数の鎮守府を渡り歩いてきた経験から、それが分かる。
――――多すぎる。
目の前に積み上げられた資材は、規模の小さな鎮守府が抱えている量ではない。
燃料も、弾薬も、鋼材も。一目見ただけで、明らかに過剰だった。
―――――いったい、何のためにこれほどの量を?
そう考え込んでいると、いつの間にか目の前に一人の艦娘が立っていた。
白いタンクトップに作業用のパンツ。首にはゴーグルをかけ、手にはクリップボード。
軽巡洋艦――夕張。
「あなたは……新しく配属されたっていう副提督さん?」
彼女は首にかけたゴーグルをキュッと押し上げながら、物珍しそうにこちらを見つめてくる。
「私は夕張。ここの工廠や設備関係を見てるの。まあ、いろいろ試したいこともあるんだけど……」
そこで一瞬、言葉を濁す。
「……それはまた今度ね」
何かを考えていた顔。だが、夕張はすぐに話題を戻した。
「見ての通り、ここは大事な資材の保管場所よ。今は燃料と弾薬の在庫チェックをしてたところ」
クリップボードへ視線を落とし、数字を確認する。
「何か必要なものがあったら、私か司令官を通してからにしてね?」
そう言い終えた彼女へ手を差し出した。
彼女もこちらも手を伸ばしかけて――ふと止まる。
軽く広げてみせた彼女の両手を見ると、そこは油や塗料のようなもので黒くなっていた。
「あ、気持ちは嬉しいけど……ごめんなさい。今、手がドロドロなの。汚れちゃうし、挨拶は後で――」
夕張は苦笑いしながら、差し出しかけた手を後ろに引こうとした。
だが、その言葉が終わるより早く彼女の手を掴み、そのまま強く握りしめた。
「あっ……」
夕張は目を丸くし、こちらの顔と、固く握った手を交互に見つめる。
そうして数秒ほど呆然としていたが、やがて降参したようにふっと笑いを漏らす。
「ふふっ、副提督さんって気さくな人なんだね!」
髪を揺らしながら元気よく笑った彼女は、握手を返す。
手には確かな力がこもっていた。
◆◆◆◆◆
朝潮に伴われて備蓄庫を後にし、司令室へと戻る道中。
海へと尖り出た崖上に立ち、目下に広がる海原を見渡す。
浅瀬の随所に黒い岩礁が尖った背を見せ、白波を立てている。
これは軽巡洋艦であっても進路を一つ誤れば座礁、艦載機であれば岩肌に衝突しかねない、極めて険しい海域だ。
朝潮は小さな歩幅で近寄ると、髪を潮風に靡かせながらしゃがむようにして崖下を見下ろす。
その姿にどこか危なっかしさを覚え、朝潮の肩に手を添えると並んでしゃがんだ。
真下には岸壁に向かって弧を描くように作られた窪地が見えている。
「この海こそが私たちの戦場、勝負ならいつでも受けて立つ覚悟です」
朝潮はこちらを見上げて小さく微笑んだ。
「どうか、何なりとお命じください!」
◆◆◆◆◆
司令室へと戻ると、櫻子は先ほどと変わらぬ姿勢で執務机に腰かけ、書類に目を通していた。
ゆっくりと顔を上げる。
「ひと通り見て回ってきたようだな。……朝潮、案内をご苦労だった」
朝潮が敬礼すると、櫻子は満足そうに一度だけ頷く。
そして朝潮に退室を促し、室内には二人だけが残された。
櫻子は椅子から立ち上がると、窓際へと歩み寄り、外へと視線を投げ――――
「どうだった、この鎮守府は。」
振り返った彼女の瞳には、何か、言いようのない色。
なぜ、この鎮守府にここまでの備蓄があるのかと率直な意見を述べる。
そして、この小さな鎮守府に配備されている戦力について問いかけた。
櫻子は頷くと、机の引き出しから一枚の書類を取り出して差し出してきた。
「現在の配備戦力だ。目を通してくれ」
配備戦力一覧
駆逐艦(計6隻)
朝潮(朝潮型一番艦)
満潮(朝潮型四番艦)
霞(朝潮型九番艦)
曙(綾波型八番艦)
如月(睦月型二番艦)
不知火(陽炎型二番艦)
軽巡洋艦(計2隻)
夕張(夕張型一番艦)
川内(川内型一番艦)
備蓄庫で目にしたものとはあまりにも対極的な、手薄な配備戦力だった。
――――改めてこの鎮守府の異常さが浮き彫りになる。
軽巡は川内と夕張。駆逐艦も朝潮型、綾波型、陽炎型、睦月型がバラバラに1、2隻ずつ混ざり合っている。同型艦による連携や、統一された水雷戦隊としての運用をまるで考慮していない混成部隊だ。
それなのに、備蓄庫には異様な量の燃料と弾薬が積まれている。
――まるで、戦わせるつもりはないのに、戦争だけは続けろと言われているようだった。
書類を見つめる視線に気づいたのか、櫻子は努めて落ち着いた声で口を開いた。
「違和感を覚えるのも無理はない。これほどの備蓄を抱えながら、配備されている艦娘はたったの8隻。戦力としては著しく欠けている」
視線を落とし、小さく息を吐く。
「……私の血筋について知っているか。」
速水礼之助―――その名を知らないものは現在の海軍にはいないだろう。
かつて数々の海戦を指揮し、軍内部に多大な影響力を残した伝説の提督。
櫻子は権勢を誇った老将の孫ということとなる。
例え彼女が軍人として優秀さを示したとしても、上層部にとっては煙たい存在でしかないだろう。
影響力を恐れ、理由をつけて彼女をここへと押し込める―――推測でしかないが、その動機は解る。
莫大な資材が置かれながら、配備されたのはわずか8隻の小艦艇のみ。この歪な配置は、まさに彼女をこの地に縛り付け、表舞台から排除するための「飼い殺し」なのかもしれない。
顔を上げ、真剣な眼差しをこちらへと向ける。
「私を名ばかりの長官に据え置き、死に体にするつもりなのだろう」
櫻子の瞳に鋭い光が宿った。
「だが、ここで終わるつもりはない。この僅かな艦娘たちと、過剰なまでの資材……これらを使って、私なりの戦いをさせてもらう。」
「――――副提督、貴官は私の『左遷』に付き合ってくれるか?」