副提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります。 作:リター
崖の上でその光景を見つめていた不知火が口を開く。
「祥鳳の戦術介入ですね。混乱を即座に収め、駆逐隊の士気を立て直しました。……ですが、空からの支援に全精力を傾けているあの状態こそ」
不知火は手帳から視線を上げ、こちらを見つめた。
「……彼女自身の護りが、手薄になっている証拠です」
◆◆◆◆◆
水煙と硝煙が立ち込める海面を切り裂き、不意に一隻の駆逐艦が戦列を離れた。
――霞だった。
睦月型三隻との激しい砲撃戦の最中、彼女はただ闇雲に撃ち合っていたわけではない。
朝潮と満潮が文月、菊月を引きつける間、霞は敵の砲火を掻い潜り、巧みに回避行動を取るふりをしながら、少しずつ進路を変えていた。
水柱が視界を遮るたび、その陰へと身を滑り込ませる。
その目的は一つ。
支援に全神経を注ぎ込み、足元への警戒が疎かになった祥鳳を仕留めることだった。
「あたしたち朝潮型を、弾よけか何かと勘違いしてんじゃないわよ!」
水飛沫を散らして一気に全速力で躍り出た霞は、祥鳳を護るはずの艦載機の網をすり抜け、目と鼻の先――至近距離へと滑り込んだ。
「なっ……いつの間にこんな近くまで……っ!?」
祥鳳が目を見開いた時には、すでに遅かった。
この超至近距離において、空母の旋回性能では回避が間に合わない。
「これで終わりよ!沈みなさい!」
霞の号令とともに、主砲と魚雷発射管が一斉に火を噴いた。
ドォォォン――ッ!
至近距離から放たれた演習用模擬弾と塗料魚雷が、祥鳳へと着弾する。
朱色のペイントが全身を染め上げていった。
「そんな……私が……こんな至近距離まで気づけないなんて……っ」
祥鳳は悔しそうに唇を噛みしめてその場に立ち尽くす。
上空からの支援攻撃がピタリと止まり、残された睦月型三隻は、退路と空中支援を断たれることとなった。
崖の上で戦況を覗いていた不知火が、わずかに口元を緩める。
「……霞の見事な接近戦術と決断力です。副提督、これで王手となりました」
旗艦を失い、勝敗の大勢が決した海域。
しかし、睦月型の三隻――文月、長月、菊月は、霞へとその砲門を一斉に向けた。
ドォン! ドォン! ドォン!
三隻の主砲が、ほぼ同時に火を噴いた。
霞は向かってくる砲弾の群れを冷静に見つめながら、構えていた主砲をそっと下ろした。
身を翻して回避する素振りすら見せない。
(……ふん。足掻くだけ無駄よ)
自分の役目は、敵の要である祥鳳を潰すことで完璧に果たされた。
ここで余計な損耗を負う必要などない。
自分がここで相打ちになったところで、後方には龍驤の航空戦力と、北上の水雷火力が控えている。
囮になって気を引けるのならば、それで十分。
霞はすっと目を閉じ、衝撃を待った。
――だが。
「——なにしてるのよ、霞っ!!」
怒号とともに、全速力で割り込んできた満潮が、霞の前にその身を投げ出す。
直後、睦月型三隻の放った砲撃が、一斉に着弾した。
朱色の塗料が舞い散り、霞の視界を真っ赤に染め上げる。
ペイントまみれになりながらも、満潮は足を必死に踏みしめ、仁王立ちのまま踏みとどまっていた。
そして荒い息を吐きながら、振り返って霞を睨みつける。
「な、なんで……なんで避けないのよ、勝ち誇って手ぶらで撃たれるなんて、らしくないじゃない……!」
残された睦月型三隻へ向け、霞は主砲を再び構え直した。そして大空からは龍驤の艦載機群が、海上からは北上が、逃げ場のない敵三隻を取り囲むように押し寄せていた。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆
海原に、勝者を告げる笛の音が響き渡った。
高台の崖の上。海風を受けながら、朱色のペイントに染まった演習海域を見つめる。
「計算外も多くありましたが………」
隣に立つ不知火が、手帳をパタンと閉じながらこちらの横顔を見つめている。
「……作戦は遂行されました」
貴賓席を見上げれば、相手方の提督が、開いた口が塞がらない様子で呆然と立ち尽くしている。
「副提督ー! 勝ったでー!!」
無線機から、涙声を交えた龍驤の声が響く。
満潮に肩を貸しながら照れくさそうに顔を背ける霞、そして龍驤の背後で誇らしげに微笑む如月。
通信機のマイクを口元へ寄せる。
死力を尽くした艦娘たちへ、労いの言葉を贈る。
戦いが終わった演習海域では、朱色のペイントに塗れた艦娘たちが、互いの健闘を讃え合っていた。
敗れはしたものの潔く霞を称える祥鳳の姿も見て取れる。
そこには、敵味方の垣根を越えた確かな敬意が生まれていた。
一方、貴賓席のテラスでは、もうひとつの戦後処理が始まろうとしていた。
「素晴らしい戦いでした。艦隊の特性をあそこまで見事に引き出されるとは……私どもも大変勉強になりました」
笑みを浮かべ、相手方の提督へ手を伸ばすのは櫻子。
その声はどこまでも優しく、かける言葉は労いに満ちている。
「……ッ、く……」
差し出された櫻子の手を握り返した男の顔は、怒りと屈辱で赤く染まっていた。
怒鳴り散らされるよりも、こうして優しく労われることこそが最大の屈辱であることを、櫻子は熟知していた。
握った手に少しだけ力を込めると、相手の目を見つめたまま、そっと付け加える。
「次回の演習では、ぜひ『手加減』なしの本気の陣形でお相手してください。……楽しみにしております」
追い打ちに、敵提督はそれ以上何も言い返せず、踵を返してその場を離れていった。
「……容赦の欠片もありませんね、司令官」
演習海域の撤収を確認した不知火がそう呟く。
すると、櫻子がこちらへ振り返り――――
「失礼な。私はただ、最大限の敬意を払っただけだ。……なぁ、副提督?」
―――ただ、隣に立つ不知火だけが小さく息を吐いた。
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◆◆◆◆◆
夕闇が迫る帰り道の大型バス。
朝潮は如月の肩に頭を預け、龍驤は小さな寝言を漏らしながら爆睡している。
北上も窓の外をぼんやり眺めていたが、やがて目を閉じた。
中でも一際目を引いたのは、朝潮型の二人。
満潮は、まるで抱え込むかのように、霞の肩へ深く身を寄せ、その腕にぎゅっとすがりついて眠っている。一方の霞は、眠ったまま眉間に深い皺を寄せている。まるで、眠っていても満潮の重みに文句を言っているかのようだった。
運転席のすぐ後ろで、不知火は手帳に記録を書き込んでいる。
隣に座る櫻子は、後部座席で静かに眠る少女たちを見やると、優しく微笑んだ。
ガタゴトとバスが揺れるたび、満潮が霞の肩にさらに頭を擦り付け、霞が「く……ッ」と小さく顔をしかめる。
エンジン音と寝息だけが響く中、不知火へと視線を向ける。
――――あの演習で不知火には何が見えたのか。
車窓を流れる夕闇が、彼女の澄んだ瞳をわずかに彩る。
彼女は一瞬だけ後部座席で肩を寄せ合って眠る仲間へと視線を送り、口を開いた。
「……不知火が見たのは、数値化できないものです」
わずかに口元を緩める不知火。
彼女の声はどこか深い感慨を孕んでおり―――――
「それは実に不合理で、そして……美しいものでした」
「―――随分と情緒的な評価だな?」
隣から櫻子がくすりと笑った。
不知火はいつもの淡々とした表情に戻ると、小さく息を吐く。
「事実を述べたまでです。……副提督。不知火は、あなたの指揮下で戦えることを、ほんの少しだけ誇らしく思います」
そう告げると、不知火は再びペンを走らせ始めた。
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◆◆◆◆◆
――――演習と同時刻、鎮守府。
「――ちょっと! 夕張、いい加減にしなさいよ!」
執務机に積み上がった設計図の山に向かって、曙の鋭い怒声が飛ぶ。
そこには、目の下に濃い隈を浮かべ、焦点の定まらない目で半田ごてを握りしめている夕張の姿があった。演習に間に合わせるための特殊装備開発に没頭し、三日三晩、まともに眠ることすら忘れていた。
「……ふふ、あと少しでこの回路が組み上がるの……これができれば、朝潮ちゃんの魚雷の威力が200%上がって……」
「そんなに上がらないわよ!ほら、コテを置きなさい!」
曙は夕張の手から強引に工具を奪い取ると、用意していた冷たいおしぼりをその顔面にバシッと貼り付けた。夕張は「ひゃんっ!?」と声を上げて跳ね起き、そのまま机の上に突っ伏して秒で眠りに落ちた。
「まったく、どいつもこいつも手がかかるんだから……」
曙が盛大に溜息をつき、夕張に毛布をかけ直したその時、背後でカツン、カツンと不穏な音が響く。
振り返ると、松葉杖をついた川内が、そっと廊下を抜け出そうとしているところだった。
「……どこへ行こうとしてるのかしら?」
呼び止められ、川内は肩を跳ねさせて硬直する。
「あ、あはは……ちょっと外の空気を吸いにね? あわよくば夜戦の雰囲気を……」
「大人しく寝てなさーい!」
「待って! 走れないけど、片足立ちで魚雷を撃つ練習くらいなら――」
「できるわけないでしょ! ほら、部屋に戻る!」
曙は容赦なく川内の腕を掴むと、自室へと押し戻した。
ベッドに押し込められ、布団を首元まで引き上げられた川内は、不満そうに唇を尖らせる。
「……ちぇーっ。留守番なんて退屈。みんな、演習上手くやってるかなぁ」
その言葉に、曙の表情が少し固まる。
だがすぐにいつもの生意気な表情を作り直し、フンと鼻を鳴らした。
「提督と………あの副提督がついてるんだから、ヘマなんてするわけないでしょ。……それよりアンタは、さっさと寝なさいよ」
「……へいへい。曙はお母さんみたいだなあ」
「誰がお母さんよ!」
呆れ果てながらも、冷たいお茶を枕元に置いた曙は少しだけ表情を緩めた。
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◆◆◆◆◆
静まり返った鎮守府で、留守を守る少女の忙しい戦いは続いていた。
曙は給食室へ向かうと、エプロンを身につけ、包丁を握った。トントンと規則正しい音が響く。
疲れて帰ってくる演習部隊と、怪我人と寝不足の2人のために、消化に優しく温かい食事を仕込み始める。鍋に火をかけ、立ち上る湯気をぼんやりと眺めながら、曙はふと考える。
(……あの演習は、ただの模擬戦じゃない。この鎮守府の未来を左右する重要な戦い)
今頃、海の上でどんな激戦が繰り広げられているのか。
あの副提督と仲間たちは、敵の鼻を明かして帰ってくることができるのか。
曙は己の掌を見つめた。
(もし……私が、あの演習に参加できていたら)
私が前線に立っていれば、上手く立ち回れるんじゃないか。
機動力としても、攻撃の要としても、もっと――。
だが、曙はすぐに頭を振って、その考えを掻き消した。
「考えても仕方のないこと考えてんじゃないわよ、バカみたい」
自嘲気味に呟き、再び力強く野菜を刻み始める。
割り振られた役割は留守番と後方支援。自分の戦場は、今この給食室なのだから。
「あいつらがお腹を空かして帰ってきたときに、冷めたご飯なんて出せるわけないじゃない……。」
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◆◆◆◆◆
―――夕暮れ時、鎮守府の前へとバスが滑り込んできた。
ドアが開き、真っ先に降りてきたのは櫻子。
そのすぐ後ろから、目をこすりながら眠そうに足を伸ばす朝潮や如月、大あくびを噛み殺す龍驤、そしてまだどこか気まずそうに霞の袖を引っ張っている満潮が続いて降りてくる。
「ふわぁ、やっと着いたぁ……」
「満潮、引っ張らないでって言ってるでしょう……たく……」
演習を終えた全員の顔には濃い疲労の色が滲んでいたが、その表情はどこか晴れやかだった。
そして最後に姿を現したのは、手帳を胸に抱えた不知火と、その後ろを歩く副提督だった。
「ただいま戻った、曙」
櫻子が玄関前で腕を組んで待っていた曙に向かって、声をかける。
曙はフンと鼻を鳴らし、そっぽを向きながらも、安心したように胸を撫で下ろした。
「遅いわよ、提督……それに副提督も。……ほら、中に温かいご飯と汁物用意してあるから、全員さっさと手を洗って食べてきなさい! 冷めたら絶対温め直してあげないんだからね!」