副提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります。 作:リター
――――私の足取りは重かった。
前に立つのは、この鎮守府で秘書官を務める朝潮さん。
背筋をぴんと伸ばし、整然とした足取りで私を案内してくれている。
その背中を見つめながら、私は胸の内で秘めた任務を再確認していた。
本省からの指令――それは、この鎮守府の監視。
急激な再編、そして上層部に従順とは言いがたい噂の数々。
速水櫻子という人間が何を企み、どう動いているのか、目を光らせるためだった。
「高雄さん、こちらが執務室になります。司令官も中でお待ちです」
朝潮が足を止め、扉の前で振り返って丁寧にお辞儀をする。
「ありがとう、朝潮さん」
微笑みを返しつつ、私はグッと拳を握り込む。
軍人としての責務を果たすため、どんな歪みも見逃すつもりはない。
だが同時に、本当に噂通りの危険人物なのか、この目でしっかり見極めなければならなかった。
息を整え、私は執務室の扉をノックした。
「……失礼いたします。本日付で当鎮守府へ着任いたしました、重巡洋艦高雄です。よろしくお願いいたしますわ」
執務室へ入ると、そこにいたのは背の高い女性司令官――速水櫻子、その傍らに佇む壮年の副提督。
私は二人へ向けて、すっと背筋を伸ばし、敬礼を捧げた。
「遠路はるばるご苦労、私が当鎮守府司令長官、速水櫻子だ」
彼女は私を頭から足先まで品定めするように見つめてくる。
その隣で、副提督さんも見透かすような眼差しで私を凝視していた。
(このお二人が……噂の……)
胸の中で警戒の糸をピンと張り詰めた。
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「――――重巡洋艦高雄です。よろしくお願いいたしますわ」
ドアを叩いて入ってきた高雄は、敬礼を捧げてみせた。
だが、彼女の視線は、どこか落ち着きなく部屋の中をキョロキョロと泳ぎ回る。本棚の書類、壁の作戦図、そして櫻子と自分の姿へ――何か探そうとしているのか、露骨なまでに目が動いていた。
真面目で賢く、軍人としての規律も固い。
本省としては、自分たちの手足として扱いやすい優等生を送り込んできたつもりなのだろう。
しかし、彼女は「監視役」という任務には致命的なほど向いていなかった。
同じことを感じ取ったのだろう。
櫻子も、可笑しそうな笑みをうっすらと浮かべている。
「よく来てくれた、高雄。――そう身構える必要はない」
櫻子がふっと息を吐き出し、優し気な声でそう告げた。
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「……ちょっと、これは一体どういうことですの!?」
海面に浮かびながら、高雄は頭に巻かれた青いハチマキを気にするように何度も触り、困惑の声を上げた。
着任したその日の午後。
挨拶を終えて息をつく間もなく、彼女はこの演習海域へと引っ張り出されていた。
高雄と同じく青いハチマキを巻いて陣を組んでいるのは、不知火、如月、曙の3隻。
対する前方――波間に揺れる赤いハチマキを頭に巻いて対峙しているのは、北上、朝潮、霞、満潮。
そう、これは査定演習で敵重巡部隊を壊滅させた状況の「航空戦力を抜いた焼き直し」だった。
「副提督からの指示です、高雄さん。……不満なら、終わってから直接言ってください」
隣で不知火が主砲の角度を細かく調整しながら、素っ気なく告げる。
如月はちょっと心配そうに眉を下げ、曙は敵陣を睨みつけている。
(急に実戦形式の演習だなんて……私をテストするつもりかしら……?)
赤組の先頭では、北上が魚雷発射管の点検を終え、朝潮がまっすぐな視線を向けてきている。
混乱する頭をどうにか切り替え、グッと主砲を握り直した。
真意は分からずとも、目の前に叩きつけられた試練から逃げるわけにはいかない。
海に櫻子の声が響く。
『――両軍、聞こえるか。演習開始カウントダウンを開始する!』
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青組の陣形は単縦陣。不知火を先頭に、如月、曙、そして重巡である高雄がその隊列に続く。
今回の演習、赤組には事前の指示がなく、個々の独自判断で動く。
対する青組は、全艦が指揮下――つまりこちらの意図に従って連動する。
前方の海面を切り裂いて迫るのは、赤組の朝潮、霞、満潮の駆逐3隻。
査定演習と同様、こちらの先頭を左右から挟み込み、運動性を殺そうとする包囲機動だ。
普通ならば、重巡の火力をもって正面からその突撃を磨り潰すのが定石。
しかし、前衛の駆逐3隻は射撃姿勢を維持したまま、示し合わせたように突き進む。
「…… 敵の接近を許すつもりですか? 」
高雄は主砲の狙いを定めつつ、戸惑いの声を上げた。
駆逐艦の射程に入れば、いくら重巡といえども魚雷の脅威に晒される。だが、不知火たちの動きに一切の迷いはない。自分たちが提示された「指揮」に従い、ただ正確に波を穿って前進を続けている。
「――今です、全艦散開……!」
インカム越しに作戦が伝わった直後、青組の先頭を走っていた不知火から指揮が飛び、駆逐3隻が一斉にその単縦陣を崩した。不知火は左へ、曙は右へ、そして2番目を走っていた如月は急減速しながら斜め後方へと舵を切る。
高雄は散開する三隻に合わせて速度を落とし、最後尾からゆっくりと進路を変えていた。
「っ!? 隊列が急に崩れた……!?」
正面から挟み込もうと肉薄していた朝潮、霞、満潮の3隻は、急激な散開運動に一瞬の動揺を見せた。そのままの勢いで前進を続けた彼女たちが気づいた時には、すでに遅かった。
如月の残した空間へ引きずり込まれる形となった朝潮型3隻の左右と前方を、散開した不知火、曙、そして後方に控えていた重巡・高雄の射撃ラインが隙間なく塞ぎ込む。
まるで向こうから進んで網の中に飛び込んできたかのような配置。
「朝潮、捕まったわね……!」
曙の冷ややかな声と同時に、ペイント弾の照準が朝潮型3隻の捉えた。
不知火、如月、曙の3隻は機動性を保ったまま、円を描く旋回運動を継続。
多方向から交互にペイント弾を叩きつけ、朝潮隊の足を完全に止めていた。
だが、赤組も土壇場の粘りを見せ、互いに決定打を欠く膠着状態が続いていた。
その瞬間、高雄の耳元でインカムが鳴り響く。
送られてきたのは――逃げ場を失った朝潮隊の正面へ向け、単艦で肉薄せよという、前進指令。
(私に、突撃指示……!?この狭い交戦水域で重巡が突っ込めば、射撃線が交差します!)
――しかし。
「了解いたしましたわ、副提督! 高雄、出撃いたします!」
上官の命令に従い出撃する高雄。
波を力強く切り裂き、艤装を唸らせながら突き進む。
高雄は胸の中で、言いようのない違和感を覚えていた。
正面には敵駆逐艦3隻。
その背後には、長距離魚雷を擁する北上が控えている。
重巡である自分が単艦でこの懐へ飛び込めば、敵の砲火と魚雷の双方に晒されることになる。
(……一体、何をお考えなの?)
命令そのものに異論はない。
軍人として、与えられた任務を遂行するだけだ。
まるで自分にはまだ見えていない何かが、この海域に仕掛けられているような――そんな感覚だった。
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「……あーあ、朝潮たち完全にハメられちゃってるじゃん」
北上は魚雷発射管の角度を細かく調整しながら、舌打ちする。
今すぐあのデカい重巡の脇腹に酸素魚雷をぶち叩き込んでやりたいところだったが、北上の指先は発射ボタンの直前でピタリと止まっていた。
射線が綺麗に被っている。
高雄と北上の間には、ぐるぐると旋回を続けながら砲撃を叩き込んでいる不知火たちと、中央で固まって動けない朝潮隊がひしめき合っていた。
(ここで撃ったら、高雄に届く前に駆逐艦たちまで巻き込んで木端微塵にしちゃうわぁ……)
「ちっ……面倒くさい射撃位置取ってくれちゃってさ」
高雄の単艦突撃は、単なる圧迫攻撃ではない。
最大の脅威から繰り出される長距離魚雷の射線上に、あえて身内の駆逐艦隊を挟み込ませることで封じる――それを計算に入れた、嫌らしい進撃ラインだった。
「独自判断で動けって言われてもねぇ。味方を雷撃に巻き込むわけにいかないし……はぁ、ほんとあの副提督、性格悪い指揮するわー」
北上は溜め息をひとつ吐くと、魚雷での狙撃を諦め、水面を大きく迂回するように加速を始めた。
射線を確保するため、自らが大きく回り込む必要に迫られたのだ。
迂回しながら主砲の狙いを定めようとした北上の視界で、ぐるぐると円を描いていた不知火、如月、曙の3隻が、まるでひとつの生き物のように滑らかな曲線を描いて旋回を離脱した。
3隻は朝潮隊の正面へと立ち塞がり、再び真っ向からの砲撃戦へと移行する。
そして、その見事な陣形変化によってぽっかりと浮き彫りにされたのは――
横に大きくそれ、迂回運動の真っ只中にあった北上自身の姿だった。
「げっ……」
一転、立ちふさがる障害物のなくなった射線上で、巨大な砲口が向けられている。
「……あ〜あ、完全に釣られたわけね」
北上の背中に冷や汗が伝わる。
赤組の最大戦力である北上を誘い出し、孤立させて仕留めるための罠。
「……行きます!!」
高雄の主砲が火を噴いた。
至近距離から放たれた高雄の20.3cm砲によるペイント弾の直撃。
ペイント弾が北上の顔面を直撃し、視界が一瞬にして染め上げられる。
「ぶはっ……! 痛った……っ!?」
あまりの衝撃に、北上は大きく上半身をのけぞらせ、水上を激しくスリップした。
『――北上、頭部被弾!少しは加減しろ高雄!』
櫻子の声が海域に響き渡る。
赤組の切り札・北上を、一撃で事実上の戦闘不能へと追い込んだ瞬間だった。
高雄は視界の端で北上の脱落を確認すると、迷わず速力はそのままで舵を切る。
「第一目標撃破! これより全火力を朝潮隊へ集中しますわ!!」
北上を排除した高雄は鋭く面舵を切り、正面で不知火たち3隻と単縦陣同士の砲撃戦を繰り広げている朝潮隊へと、巨大な砲門を向け直した。
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『――そこまで! 演習終了!!』
波間に浮かんでいたのは、対比をなす二つの陣営だった。
青組の陣容――不知火、如月、曙、そして高雄。
その身には僅かにペイントの跡が見られるものの、「無傷の勝利」を掲げてそこに立っていた。
対する赤組――切り札であった北上をはじめ、朝潮、霞、満潮。彼女たちの全身は、演習用ペイントでドロドロに染め上げられている。
「……信じられない。完全に、手のひらの上で転がされたってわけね」
顔面の朱色ペイントを手拭いで拭いながら、北上は苦笑交じりに天を仰いだ。
朝潮は悔しそうに拳を握りしめ、満潮と霞は口を噤んでいる。
……そう。この前の査定演習でも、一歩間違えれば、こうなっていた。
彼女たちの能力が劣っていたわけではない。
作戦一つでここまで結果は変わるのだと、思い知らされる一戦だった。
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(……本当に、何だったのかしら)
高雄は大きく息を吐き出しながら、未だ塗料の残る海面を見つめていた。
事前の報告書では聞いていたのだ。
この鎮守府が有する艦隊が、査定演習で凄まじい大立ち回りと粘りを見せたと。
―――確かに、今回の訓練の盤面ははじめからこちらに圧倒的に有利に作られていた。
条件だけ見れば、勝ち戦であって当然かもしれない。
だが――問題は、その勝利に至るまでの「指揮」の手口。
(あそこまで散発的な指示しか寄越さないなんて……)
副提督からの通信は、細かな陣形転換の連続でも、逐一の砲撃指示でもなかった。
一見するとただの状況報告と見紛うような、短く、一呼吸置いたタイミングで送られてくる言葉だけ。
むしろ不知火さんの方が作戦指揮をしていたように感じる。
それなのに、目の前の敵が勝手に誘導され、自ら私の主砲の前に躍り出てきたのだ。
まるで、最初からそう仕組まれていたかのように。
「……恐ろしいお方ね、副提督」
高雄は胸に手を当て、まだ少しだけ早い鼓動を鎮めるように、息を吐いた。