副提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります。 作:リター
六時、起床。
重巡洋艦高雄。それが私の名前。
……だが、いまの私にはもうひとつの役目がある。
この鎮守府へ転属された本当の理由は、単純な戦力の補強ではない。
上層部の指示に従い、速水櫻子司令官の不穏な動きを監視すること。
――――平たく言えば、スパイ。
自室でデスクに向かい、本部に送るための定期電文を打ち始める。
――――カチ、カチ
もし、この報告ひとつで彼らの努力が台無しになるとしたら?
(……だめよ。私は軍人なんだから)
自分に言い聞かせ、電鍵に指を戻す。
少しだけ言葉を濁した報告。それが、私にできた精一杯の抵抗だった。
午前七時、朝食。
本日の厨房当番は駆逐艦の曙だ。
「はい、高雄さんの分。」
相変わらず素っ気ない態度だが、差し出されたお盆の上には、美しく盛り付けられた焼き魚と綺麗に巻かれた玉子焼きが並んでいる。根の真面目さが伝わってきた。
「ありがとうございます、曙さん。いただきますね」
「……別に、仕事だから当然でしょ」
フイッと背を向けた曙に小さく笑みを返し、私は空いている席についた。
箸を動かしながら、自然な動作で周囲の様子を探る。
龍驤と如月が楽しそうに話し合い、奥では北上があくびを噛み殺しながら納豆を混ぜている。
そんな中、ふと視線を感じて横を向く。
少し離れた席でパンを齧っていた満潮と、バッチリ目が合った。
(……気づかれている?)
心臓が跳ねる。
私の不自然な動きや、秘められた目的にうっすら感づいているのかもしれない。
しかし、それ以上追及してくる気配は見せず、すぐに視線を手元のスープへと戻した。
私は生唾を飲み込み、味噌汁を一口啜る。
この鎮守府は、一見すると無防備に見えて、誰ひとりとして油断できない曲者ばかりだ。
八時、執務時間。
ドアをノックし、「高雄です」と声をかけてから室内へ足を踏み入れた。
速水櫻子司令官が、視線だけをこちらに向ける。
「高雄、朝早くからすまないな」
「いえ、任務ですから。本日の書類作業、お手伝いいたしますわ」
与えられたデスクには、各艦娘の資材消費報告書や、装備のメンテナンス記録などが置かれていた。
(……情報収集の好機でもあるわ)
心の中で密かに呟きながら、手際の良さをアピールするようにペンを取った。
書類を捌きながら、さりげなく様子を窺う。
表向きは何の変哲もない、どこにでもある鎮守府の事務風景だ。
しかし、私の目は誤魔化せない。
(……おかしいわね。資材の計算が、微妙に合わない……?)
燃料と弾薬の報告書をチェックしていると、ごく僅かな数値のズレに気づく。
疑問に思い、書類を凝視していると――
「……高雄? どうかしたか?」
司令官が書類から顔を上げ、探るような眼差しで私に声をかけてきた。
「あ……いえ! 少々、数字の記載に気になるところがありまして……」
「ああ、またか………後で私が確認しておく。そのまま作業を進めてくれ」
「……分かりましたわ」
書類を受け取ると引き出しへと仕舞い込んだ。
(……隠したわね)
十二時、昼休憩。
(本当に……不思議な鎮守府ね)
本省のデータにあった通り、この鎮守府は設備も古く、所属する人員も少ない。
本来なら、常に人手不足の疲弊感が漂っていてもおかしくないはずだった。
けれど、現実はまったく逆だ。
昼食を終えた朝潮と満潮が、今日も荷物を抱えて入渠施設へ向かっている。
食堂からは川内と龍驤の気ままな雑談が聞こえ、館内には艦娘たちの声が響いていた。
少ない人員だからこそ、一人ひとりの距離が近く、まるで――――
手にしたお弁当の包みを少し強く握りしめた。
私はこの鎮守府の不審な点を洗い出し、報告を上げなければならない。
(さあ……午後からは、いよいよ訓練ね)
賑やかな声に包まれながら、私は心を落ち着かせるのだった。
十四時、訓練。
私は艤装を装着し、海面へと繰り出していた。
午前の書類作業から一転、今度は重巡洋艦としての実技を試される時間だ。
陸の上。双眼鏡を手に立っているのは副提督だった。
(……見られているわ)
背筋にひやりとしたものが走った。
危険人物。一挙一動に隙を見せるわけにはいかない。
「高雄、主砲旋回! 追従しますわ!」
指示通りの機動で駆逐艦を牽制し、重巡らしい立ち回りを見せる。
だが、相変わらずこの鎮守府の訓練はどこか独特だった。
「いやー、今日も暑いねぇ」
「北上さん!動いてください!」
北上が呑気に波に揺られている。
それに対して朝潮が注意を飛ばしていた。
こんなことをしているのに、戦場での連携には一切の迷いがない。
それは身をもって思い知らされていた。
主砲の狙いを定め直しながら、チラリと再び陸上を見上げた。
副提督は相変わらずじっと海を見つめている。
彼が見張っているのは、本当に自分なのだろうか。
迷いを胸に抱えたまま、模擬弾が標的を撃ち抜いた。
十六時、整備。
海水を洗い流し、艤装の微調整を行う時間。
「高雄さん、お疲れ様ー! 主砲の旋回ギア、ちょっと油挿しとくわね」
夕張に声をかけられ、私は「お願いいたしますわ」と礼を言って艤装を預けた。
隣では、演習で大破扱いとなった曙が、朱色のペイントをゴシゴシと落としていた。
「いくら演習だからって至近距離で塗りたくることないでしょ……もうっ!」
その姿に、私は思わず苦笑いを浮かべる。
(……でも)
実戦でも痛感したが、この鎮守府の艦娘たちは誰一人として「命令されるがまま」には動いていない。自身の強みと弱みを理解し、自分の目的を達成しようとしているのだ。
ふと視線を横に向ける。すると、司令官と副提督と何やら話し込んでいるのが見えた。
気になった私は、タオルで髪を拭くフリをしながら、さりげなく数歩近づいた。
「ああ、大型――――――だ。本省に余計な――――――――からな」
ヒソヒソと交わされる短い会話。
「……高雄さん?どうしたの?」
気がつくと、油を挿し終えた夕張がすぐ近くに立っていた。
「あ……! い、いえ……! なんでもありませんわ!」
慌てて首を振る私を、不思議そうに見つめていた。
十八時三十分、大浴場。
私が石鹸を泡立てて体を洗っていると――ふと、視線を感じた。
少し離れた洗い場で洗面器を抱えた龍驤が、じっとこちらを見つめている。
「あの……龍驤さん? どうかされましたの……? 私の体に、何か付いていますか……?」
私は思わずタオルで胸元を隠しながら尋ねる。
すると龍驤は、真面目な顔つきで私の全身をまじまじと見ながら言った。
「いやな……。ずっと思ってたんやけど……」
「は、はい……?」
「ほんまに……。重巡ってのは、こう……。羨ましいというか、なんというか……」
どこか遠い目をして、ハァと大きな溜め息をつく。
(そ、そっちの視線でしたの……!?)
てっきり正体を疑われているのかと内心ヒヤヒヤしていた私は、一気に脱力してしまった。
「も、もう……龍驤さんったら! 艦種が違うのですから、比べても仕方ありませんわ!」
「……まあええわ! ほら高雄、背中流したるからこっち向き!」
二十時、自由時間。
――――夜も更けた自室のデスク。
私は一人、淡い光に照らされながら、慣れた手つきで上層部宛ての暗号電文を打ち込んでいた。
(……はぁ。ここへ着任してからというもの、まるで毎日のように出撃させられている気がしますわね……)
本来の使命は、この鎮守府の動向を探り、状況を報告する上層部直属の監視役——
司令官の指揮能力、副提督の手腕、そして所属する艦娘たちの忠誠心や戦力を客観的に評価し、上に送るのが与えられた任務。
だが、キーを叩く指が、ふと止まる。
画面に並ぶ文字を見返すと、そこには査定報告とは程遠い文面が綴られていた。
『——敵方の戦力配置に対し、緻密な戦術指導のもと、軽巡川内・北上および軽空母龍驤を中心とした連携を展開。柔軟な運用により、最小限の損害で勝利を収めたり。駆逐艦霞ならびに不知火の現場における判断力は極めて高く、司令官・速水櫻子に対する上層部の懸念は杞憂に過ぎずと判断す——』
「……あ」
ハッと息を呑み、思わず両手で口元を覆った。
(私ったら、また……! これではまるで、この鎮守府を庇うような報告ではありませんか……!)
慌てて文面を削除しようと指を動かしかける。しかし、頭に浮かぶのは、戦友たちの姿。
事実を伝えているだけ。
嘘は一切書いていない。
そう自分に言い訳をしてみても、自覚なしに筆が「鎮守府寄り」に傾いているのは明白だった。
「……本当、調子が狂いますわね」
――――私は結局、その文章を消すことができなかった。
覚悟を決めたように送信のボタンを押し込む。
端末が送信完了音を響かせると、椅子の背もたれに深く身体を預け、視線を落とした。
二十時四十五分、巡検。
私は執務室のドアの前で足を止めた。
ノックし、声をかける。
「本日の巡検、完了いたしました。記録を提出いたします」
バインダーを手渡すと、副提督は無言のまま目を通す。
彼はただ、この鎮守府を管理する組織人として務めを果たしている。
受領印の捺されたバインダーを受け取り、一礼する。
「では、本日の業務を終了いたします」
執務室のドアを閉める。
廊下に立ち、私は胸元に手を当てた。
本省の監視役としての責務を果たしつつ、いまはこの組織の機能を滞らせないこと。
それが、二重の立場を抱えたままここに留まる私の役割だった。
二十二時、就寝。
デスクの上には、電源を落とした通信端末。
今日もすべての業務を消化し、一日が終わろうとしていた。
日中の様々な出来事、そして巡検での短いやり取りが頭をよぎる。
ここは軍の規律だけでは割り切れない、奇妙な場所だ。
小さな灯りを消し、シーツに身体を預ける。
役割の狭間で擦り減る感覚はある。
だが、今はただ――――ゆっくりと瞼を閉じた。