副提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります。 作:リター
櫻子は海図の上に大きなコンパスを置き、ある一点の海域を指し示した。
「……本題に入ろう。目と鼻の先、沿岸航路のすぐ脇に、空母ヲ級を中心とする厄介な深海棲艦の遊撃群が潜んでいる」
指先が示しているのは、浅瀬と暗礁が複雑に入り組んだ海域だった。
海図の上に川内、夕張、朝潮らのコマが配置されていく。
「だが、最近の観測ではヲ級の姿を観測できていない。」
水雷戦隊――軽巡2隻と駆逐艦6隻。戦艦の主砲も、空母の艦載機もない。
ここにいるわずかな艦娘のみで、空母を含むかもしれない厄介な深海棲艦の遊撃群を叩く。
「現状奴らは大規模な攻勢を仕掛けてはこないが、補給線の隙を狙って定期的に通商破壊を行っている。この遊撃群を野放しにしていれば、遠からずここは完全に孤立することになるだろう」
彼女はあまりにも無謀な作戦を成そうとしている。
なぜ自分がこの鎮守府へ赴任させられたのか、合点がいった。
「だが、これは好機でもある。この遊撃群を我が艦隊のみで撃破してみせる。……目覚ましい戦果を上げれば、流石の軍上層部もこちらの要求を無視できなくなるはずだ」
――――これは彼女への施しなどではない。
軍上層部が求めたのは、櫻子を補佐する優秀な副官ではなく、彼女が暴走しないための監視役、あるいは万が一事故が起きた際の責任を分散させるための防波堤だ。
「この敵遊撃群の排除をもって、我々に建造の権限を認めさせる。新戦力を建造し、この歪な状況を根底から覆すための第一歩だ」
上層部は、櫻子が抑え込まれ、腐っていくことを望んでいた。
だが、目の前の女性士官は折れるどころか、与えられた最悪の盤面を逆手に取り、詰みを回避するための勝負を仕掛けようとしている。
海図に身を乗り出し、指先で指定海域の地形をなぞると、櫻子は首を傾げた。
「貴官……先ほども言ったが、ここは岩礁群が連なる難所。常の戦闘では、座礁のリスクが高すぎる」
だから――――水雷戦隊のコマを岩礁のすき間へと滑らせた。
◆◆◆◆◆
――――ブリーフィングルーム。
作戦会議が始まろうとするしんとした空気の中、集まった6隻の艦娘たちがそれぞれの席につく。
川内は脚を組み、待ちきれないように指先で机をトントンと叩いている。
夕張はメモ帳とペンを手に持ち、朝潮は座りながらも背筋をぴんと伸ばして姿勢を崩さない。
その隣では、如月が優しげな微笑みに少しの不安を滲ませ、曙は腕を組んで不機嫌そうに明後日の方向を向いている。不知火は静かに佇み、感情の読み取れない瞳で作戦机を見つめていた。
霞は怪我の療養とリハビリ中、満潮は別任務の遠征からまだ戻っていない。
今、この鎮守府で動かせる全戦力がこの6隻だった。
部屋の奥から、櫻子が歩み出る。軍服のシワひとつない長身の影が、作戦机の上に落ちる。
「……揃ったな」
「これより、敵遊撃群撃滅作戦のブリーフィングを開始する。副提督、概要の説明を頼む」
櫻子は一歩下がり、艦娘たちの視線がこちらへと一斉に集まった。
作戦図の上に指を滑らせ、集まった彼女達へと言葉を投げかける。
――――この岩礁地帯の陰に潜み、至近距離からの奇襲攻撃を仕掛ける。
だが――――そう切り出すと、作戦室の空気がわずかに尖った。
「……はあ? なによそれ」
腕を組んでいた曙が、あからさまに鼻で笑って呆れたように吐き捨てる。
「そんなの、向こうだって百も承知で警戒してるに決まってるじゃない。本気で言ってるの?」
その隣で不知火も、感情の起伏を感じさせない視線を向けて同調した。
「……不知火も同感です。岩礁地帯を利用した潜伏など、敵にとっても想定内の手。ただ突っ込むだけなら、返り討ちに遭うのが関の山かと」
二人の不満と懐疑的な言葉が室内に響く。
如月が手を彼女たちを宥めるように動かしている。
その時だった。朝潮が勢いよく立ち上がり、二人を強く見すえた。
「最後までしっかりと話を聞くのが、艦娘としての務めではないでしょうか!」
気迫に押された曙は不機嫌そうに口をつぐみ、不知火も不承不承に目を閉じた。
朝潮が頭を下げて座り直すのを見届け、自身も座り直す。
敵にも読める単なる奇襲――そこからが、この作戦の本番だった。
決行は日没直前。
そして……この作戦の要となるのは、川内。
単艦で先陣を切って飛び込み、敵の警戒網に大々的な奇襲を仕掛ける。
その言葉を聞くと、川内の瞳が爛々と輝いた。
「いいじゃない!先陣を切って突入なんて最高!あたしの本領発揮ってワケだね!」
待ち望んでいた役目に、川内は身を乗り出して嬉しそうな声を上げる。しかし、その煽りを受けた曙がパンッと勢いよく卓を叩いて立ち上がった。怒号に近い文句を作戦室に響かせる。
「はあ!? 正気なのアンタ!? 敵の真っ只中に軽巡1隻で飛び込ませるなんて、ただの自殺行為じゃない! 囮にして見殺しにする気!? どこまで最低な作戦立ててんのよ、このクソ副提督!!」
曙の激高に、如月も不安そうに「それはあまりに危険では……」と胸元に手を当てて顔を曇らせる。
しかし、動じることなく曙の視線を真っ向から受け止めた。敵に読まれる奇襲、そしてあまりに無謀に見える川内の単艦突入――それこそが、敵の思考を奪うための罠だった。
怒る曙を制することなく、再びペンを滑らせた。
――――川内に囮になってもらうのは事実だ。
それも、ただ引きつけるだけではない。敵の眼前で派手に大立ち回りを演じ、わざと集中砲火を浴びて傷を負い、負け戦の振りをしながら這う這うの体で後退する――過酷極まりない囮だった。
「……負け戦の演技、ね」
先ほどまで興奮していた川内が、一転して真剣な面持ちで顎に手を当てた。
「なるほど、大役じゃない。」
見殺しではなく、全艦の勝利を決定づけるための捨て身の罠。
その過酷さを一番に理解した川内が、ニッと不敵に口角を上げた。
夕張が作戦図の岩礁エリアを指でなぞりながら、納得したように頷く。
「日没直後の視界不良、それに岩礁地帯の複雑な水路……追撃に夢中になった敵は、自分がどこへ踏み込んでいるかも気づかない。そこへ残りの5隻で挟み撃ちにする、ってことね」
次に作戦図の上に示された最終段階の指示に、室内には静寂が訪れた。
川内に岩礁地帯で、文字通り「沈んで」もらう。
敵の眼の前で激しく浸水し、沈没したように偽装して海へと潜る。一度水中に潜ってしまえば、当然ながら艤装の火器は濡れて使い物にならなくなる。文字通りの捨て身の潜伏だ。
勝利を確信し、沈みゆく川内と暗礁地帯に気を取られたその瞬間――死角から、駆逐艦隊による至近距離の魚雷一斉発射、そして夕張の砲撃による一撃を叩き込む。
だが、ここで夕張が眉をひそめながら手を挙げた。
「……待って、副提督さん。理屈は分かるけれど……ライトも照らさずに、岩礁地帯の影から突っ込んでくる敵に砲撃を当てるなんて不可能よ?暗闇の中じゃ弾着観測もできないわ」
至極まっとうな指摘だった。視界のない夜の海で、精密な砲撃支援などできるはずがない。
だが、夕張の視線をまっすぐに受け止め、作戦図の「ある仕掛け」へと指を走らせる。
指し示したのは、崖の上で朝潮と共に確認した、あの海面へ大きく突き出た特徴的な岩礁岸壁だった。
「……あ」
夕張が目を見開き、作戦図とこちらの顔を交互に見つめる。
「そっか……!最初から岸壁に照準を固定しておくのね! 追撃に夢中になった敵がその岸壁の横を通過する瞬間、固定した照準通りに砲撃を叩き込めば――」
「敵の逃げ道を塞ぎ、岩礁地帯の奥へ完全に封じ込めることができる……」
夕張は手をポンと打ち、感心したように深く頷いた。
技術者としての疑問を解消された夕張が晴れやかな表情を浮かべる一方で、隣の不知火は未だ納得のいかない様子で、冷たい視線をこちらへと向けてくる。
「……計算通りに敵がその岸壁の脇を通る保証は?うまくそこへ誘導できなかった場合、その砲撃はただの無駄弾となり、こちらの位置を暴露するだけに終わります」
核心を突く指摘に、作戦室の空気が再び張り詰める。
疑心を隠そうともしない不知火の問いかけに対し、隠すことなく言い放つ。
――成功する保証など、どこにもない。
静まり返る作戦室に、その事実が重く突き刺さる。
そもそも、軽巡2隻と駆逐艦4隻という心もとない戦力。
型も滅茶苦茶な寄せ集めの水雷戦隊で、敵の遊撃群を迎え撃つこと自体が最初から無茶なのだ。
それでも、この無謀な一手を完璧にやり通して貰わなければ。
――――この鎮守府も、そして彼女たちの未来もここで潰える。
「…………」
全員が息を呑む音が、部屋の隅々にまで小さく響いた。
如月が不安に胸を絞めつけられるように拳を握りしめる。
不知火も息を詰め、櫻子の顔を見つめた。
緊張が室内を支配する中、背後で黙って成り行きを見守っていた櫻子が、ゆっくりと一歩前に踏み出した。
「副提督の言う通りだ。保証など最初からない。……だが、指をくわえて死を待つより、この無謀な罠に全てを賭けて敵の喉元を喰いちぎる。それが我々に遺された唯一の道だ」
櫻子の眼光が鋭く光り、6隻の艦娘たちを順番に見据える。
「川内、夕張、朝潮、如月、曙、不知火。……この死地に、命を預けてくれるか?」
一瞬の沈黙の後、最初に沈黙を破ったのは朝潮だった。
「はい、司令官! 副提督! 朝潮型駆逐艦朝潮、この作戦に全力を尽くします!」