副提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります。 作:リター
――――【 075 : 44 : 11 】
夕刻。
湯気の立つ鍋からお玉で味噌汁を掬い、ふうふうと息を吹きかけてから唇を浸す。
「うん……ちょうどいい塩梅ね。出汁もよく出てるわ」
私はふっと息を吐き、満足して小さく微笑んだ。昔から、誰かのために料理を作るこの時間が大好きだった。
包丁を握り、お鍋の様子を見る。そんな何気ないひと手間が誰かの笑顔に繋がると思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
昔からずっと一緒に戦ってきた古くからの仲間が「美味しい!」って笑顔を見せてくれるのはもちろん最高に幸せ。けれど最近は、この鎮守府に新しくやってきた仲間たちの喜ぶ顔を見るのも、同じくらい愛おしかった。
いつも元気いっぱいにご飯を頬張ってくれる龍驤ちゃんや、ぶっきらぼうに見えて「ん、悪くないねぇ」と嬉しそうに箸を進めてくれる北上ちゃん。
笑ってくれるたび、ここがみんなの大切な居場所になっているんだと実感できる。
「さぁて、冷めないうちにみんなを呼んでこようかしら」
お玉を置き、エプロンの裾を整えながら、ふと胸の中に小さな陰りが落ちる。
「……でも、私……役に立てているのかな」
頭に浮かぶのは、遠洋へと出撃していった仲間たちの姿。
この鎮守府の主力として選ばれ、最前線で命を懸けて戦う彼女たちに対し、自分は置いていかれている。
(……私、ここでご飯を作っているだけでいいのかな)
自分だって艦娘だ。
海へ出て、敵を倒して、守るべきもののために戦いたいという気持ちが無いと言えば嘘になる。
湯気が立ち上る味噌汁をじっと見つめながら、私は小さく唇を噛みしめた。前線に立てないもどかしさと、どこか取り残されたような寂しさが、調理場の中にぽつりと溶けていった。
そこへ、ガラリと調理場の扉が開き、お盆を抱えた曙が帰ってきた。
「ただいまー……はぁ、まったく。夕張さんったら、案の定お腹すかせて倒れかけてたわよ。呆れちゃうわ」
文句を言いながらもお盆を調理台に置く曙。
どうやら、手伝いに行って夕張におにぎりを食べさせてあげてきたようだった。
「お疲れ様、曙ちゃん。無事におにぎり届けてくれたのね、ありがとう」
ぷりぷりと怒ってみせる曙の姿に、私は思わずくすりと微笑んでしまった。
(……きっと、大型艦の建造が終わったら、戦力としての私の出番はもっと少なくなっちゃうわね)
私にできるのは、こうしてご飯を作ることや、みんなの身の回りの世話をすることくらい。駆逐艦としての砲撃力も装甲も、新しくやってくる大きな艦娘や、前線で果敢に戦う仲間たちには到底及ばない。
(私が戦場に出る理由は、もうなくなったのかもしれない……)
でも、だからこそ、心の中に一つの決断が固まっていた。
「戦うことだけが、私にできることじゃない」
私はエプロンの結び目をぎゅっと結び直した。
自分が前線に立てないなら、誰よりもこの鎮守府を、みんなの帰る場所を温かいものにしよう。
帰ってくる仲間を、温かいご飯用意して、笑顔で一番に「おかえりなさい」と迎えること。
そして重圧に耐える司令官や副提督たちが、少しでも羽を休められる場所を作ること。
それが、この鎮守府における私の、私だけの本当の「役目」なのだと。
「……よし、お味噌汁、もっと美味しく作らなきゃね」
「………?急にどうしたのよ、如月」
私は迷いを振り払うように微笑むと、お玉を取り直し、心を込めて次の料理に取りかかった。
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――――【 059 : 31 : 28 】
朝。
温かい入渠槽の湯から上がり、着替えを済ませる。
身体の重みと、かすかな痺れ。痛みの記憶そのものはまだ皮膚の裏側に張り付いているけれど、もう歩けないほどではない。艦娘としての身体は、確実に傷を塞いでいた。
(……不甲斐ないことです)
心の中で吐き捨て、髪を整える。
自分の甘さで手負いとなり、貴重な時間を消費してこの槽に浸かっていた事実が、ただただ不快だった。
ドックの重い扉を押し開け、廊下へと出る。すぐ隣には、同じく入渠を終えた霞が歩いていた。
彼女もまた、どこか苦々しい表情を浮かべながら、それでもしっかりと己の足で床を踏みしめている。私と霞、互いに余計な慰め合いなど口にはしない。傷を負った悔しさも、それを抱えてなお前へ進まねばならない歯痒さも、語るまでもなく分かっているからだ。
「……霞。足取りに乱れがありますよ」
前を見据えたまま、ボソリと声をかける。
「余計なお世話よ、不知火。アンタこそ、かばうような歩き方してんじゃないわよ」
そっけない返答。それでいい。
入渠施設から続く廊下を進むにつれ、工廠の方角から伝わってくる音と振動が強くなっていく。
「……工廠の稼働音が普段と違います」
「そうね……」
歩みを止めず、前線での激戦を思い返す。
熾烈な戦いから掴み取った勝利。
身を削って残したその戦功が、この鎮守府に「大型艦建造」という新たな権利をもたらしたのだ。
「私たちが傷を負って稼いだ成果が、あそこで形になろうとしている……というわけですか」
「フン……私たちが命がけで勝ち取ったんだから、マシなものを引っ張り出してもらわないと困るわね」
霞が不機嫌そうに鼻を鳴らすが、その声色には期待の色が混ざっていた。
「行きますよ、霞。次の戦場に遅れるわけにはいきません」
「言われなくても分かってるわよ」
その時、遠くからバタバタと駆け寄ってくる足音が聞こえ、私は足を止めた。
視線の先から勢いよく走ってきたのは、朝潮と満潮だ。
息を切らしながらこちらへ向かってくるその目的が霞であることは一目瞭然だった。
「霞! 無事に入渠が終わったんですね!」
「……もう、無理しちゃって。平気なの?」
朝潮が表情を輝かせ、満潮も心配そうに言葉を重ねる。
心から案じ、出迎える姿。その屈託のない姿が、少し眩しかった。
私はその光景を冷ややかな眼差しで見つめながら、ふっと小さく吐息をついた。
「……うらやましいですね」
何気なく、けれど偽りのない本音を口にする。
すると霞は顔をしかめ、心底嫌そうな表情を私に向けてきた。
「はあ!? アンタねぇ……変なこと言ってんじゃないわよ!」
照れ隠しと気まずさが入り混じった声で怒鳴る霞と、それを慌てて宥めようとする朝潮たち。
私はその賑やかなやり取りを横目に、ふっと口角を上げた。
そして、微かな痛みを残す足で、彼女たちを追い越すようにして歩き出した。
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――――【 042 : 15 : 04 】
深夜。
静まり返った部屋のベッドに寝転び、天井をぼんやりと見上げる。
静寂の中、ふと頭に浮かぶのは、副提督がこの鎮守府に着任してからの数ヶ月間のことだ。
――――自分が着任当初の惨状が嘘のように思える。
山積みの資材、荒れ果てた設備、少ない艦娘。そして上層部からの厳しい監視。
明日どうなるかも分からないような状況だった。
だが、彼がやってきてから、鎮守府の事情は瞬く間に改善していった。
型破りな采配、彼の打つ手は一見無謀に見えて、結果が伴っていた。
気づけば、大型艦建造という大きな賭けに出られるまでに立て直されていたのだから。
「……大した男だよ」
闇の中に小さく呟き、苦笑する。
あの男が来てくれなければ、今頃この場所はどうなっていたか。
「……きっと自分は、彼が来なければこの鎮守府ごと終わっていただろうな」
「祖父の威を借る愚か者」——そう嘲笑われても言い返せないほど、かつての自分は無力で、ただ与えられた閉塞感の中で摩耗していく存在だった。
あのままなら、いずれは大切な艦娘たちをすり潰し、最後は上層部の都合のいいように使い捨てられて潰れていたはずだ。
「……情けない司令官だよ、まったく」
自嘲気味に呟きながらも、その口角は自然と緩んでいた。
かつての「威光」など、もうどうでもいい。
いまや自分たちの前には、共に掴み取り、切り拓いてきた確かな現実がある。
ベッドの上でゆっくりと呼吸を整える。
あと2日を切った。その時、この手で最強の切り札を引かなければならない。
カウントダウンを刻む工廠の鼓動を感じながら、私は瞼を閉じた。
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――――【 008 : 00 : 00 】
昼。
静まり返った無人の工廠。
巨大なドックのモニターだけが「残り8時間」という数字を刻み続けている。
その空間の真ん中で、かすかな音が響いた。
カン、と鋼が鳴り響くような、鼓動が打たれるような音。
それは、新たな艦娘がこの世に生まれ落ちようとしている音だった。
胎動が始まる。
まだ形も定まらない暗闇の底で、小さな意識がうっすらと芽生えていく。
(……ここは……?)
熱い。
けれど心地よい。
自分を取り囲む強固な装甲と、体に重く残る存在の記憶。
誰かが自分を望んだ。
誰かが自分を産もうとしている。
意志が、眠っていた魂をゆっくりと揺り動かしていく。
(私を……呼ぶのは……誰……?)
まだ目を開くことはできない。声を発することもできない。
けれど、自分を縛る8時間のカウントダウンが刻一刻と進むにつれ、意識の輪郭はより強く、より明確な輝きを帯びていく。
そして、海に解き放たれるその瞬間を、誕生の音とともに、待っていた。
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◆◆◆◆◆
――――【 000 : 10 : 18 】
早朝。
自分と櫻子を筆頭に、朝潮、霞、満潮、不知火、川内、北上、夕張、龍驤。
そして、上層部の監視役であるはずの高雄の姿もある。
哨戒任務から帰ってきたばかりの如月や、これから交代で出るはずの曙までもが足を止め、全員が固唾を呑んでドックのモニターを見つめていた。
この場所に集まった全員が、巨大な鋼鉄の扉が開放される時を待っている。
ここにあるのは、不安や迷いではない。
膨大な資材を投じ、自分たちが一丸となって引きずり出そうとしている未来への期待だ。
カウントダウンが刻まれていく。
誰一人として声を発する者はいないが、張り詰めた空気の中には確かな熱量が満ちていた。
隣に立つ櫻子と視線を交わす。彼女の口角がわずかに上がった。
――――【 000 : 04 : 59 】
櫻子が司令官としてドックの前に立った。
その背中には着任以来見たこともないような緊張と、覚悟が満ちていた。
「全員、よく集まってくれた」
「我々は、嗤われ、見放され、それでもこの海で生き残るために戦い抜いてきた」
――――【 000 : 02 : 30 】
櫻子は一呼吸置き、傍らに立つこちらへと視線を交わすと、再び全員に向き直る。
「今から生まれてくるのは、私たちの執念が結実した、この鎮守府の象徴だ」
ドックのモニターの数字が「00:01:00」を刻む。
「……みんな、新しい仲間の顔を拝む準備はいいか?」
――――【 000 : 00 : 03 】
――――【 000 : 00 : 02 】
――――【 000 : 00 : 01 】
――――【 000 : 00 : 00 】
勢いよく白煙を吹き上げながら、ドックの扉が左右へと開いていく。
そして、蒸気の向こう側から、凛とした声が響いた。
「大和型戦艦、一番艦、大和。――推して参ります!」
2メートルに迫ろうかという長身。
背負う超大型の艤装が、ドック内の空間を一瞬で支配する。
最強の盾であり、最大の切り札。
——大和は、背に光を浴びながら、力強い瞳でまっすぐに櫻子を見つめていた。