副提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります。 作:リター
自分と櫻子は本省会議室の扉の前に立っていた。
大和建造計画そのものが事前に漏れることはなかった。しかし、動かした膨大な資材と費用は公式の帳簿に計上せざるを得ない。帳簿上の不可解な巨額の数字から、上層部に勘づかれたのは明白だった。
「腹は括ったか、副提督?」
隣に立つ櫻子が問いかけてくる。その表情に怯えは微塵もない。
「……ここからが本当の勝負だ」
扉の向こうには、我々を糾弾しようと待ち構える上層部の高官がいるのだろう。
―――鎮守府の全員で掴み取った『大和』という切り札。
それを無駄にしないため、深呼吸を一つして胸を張り、会議室のドアノブに手をかけた。
扉を開けて中に入り、櫻子に続いて敬礼する。
窓側には5人の上層部が並んでいた。彼らも敬礼を返し、ゆっくりと椅子に腰かけた。
こちらを品定めするような視線が注がれる。直情的な態度は見受けられない。
かえってその沈黙が、重い圧迫感となって室内に満ちていた。
中央に座る高官が手元の書類——おそらくは提出された巨額の資材消費報告書に目を落とし、口を開く。
「提出された報告書を見た。……単刀直入に訊こう。なぜ、大和を建造した?」
中央の男が書類から目を離さず、淡々とした口調で問いかけてくる。
櫻子は背筋を伸ばしたまま、迷いのない声で答えた。
「当鎮守府の現有戦力では、今後予想される深海棲艦の本格的な侵攻に対抗できません。前線を押し返し、確実に戦線を維持するためには、戦艦が不可欠であると判断いたしました」
端的で筋の通った回答。
だが、男はゆっくりと書類を伏せると、眼鏡の奥の鋭い眼光を櫻子へと向けた。
「……問いの意図が正しく伝わっていないようだね」
男の低く静かな声が、会議室の壁に深く響く。
「私は『なぜ戦艦が必要だったのか』を聞いているのではない。……『なぜ、よりによって大和だったのか』と尋ねているのだ――――その選択が持つ意味を答えてもらおうか」
櫻子はわずかに間を置き、口を開く。
「……戦闘記録を」
「読んだ」
理由を説明するよりも早く、男は短く、即答した。
「報告書にある戦果も、危険性もすべて目を通した」
組んでいた手を緩め、机の上に視線を落とす。
「だからこそ問うているのだ。薄氷の勝利を重ねる中で、なぜ余剰資材のすべてを『大和』一艦に投じた。」
――――足を一歩、前へ踏み出そうとした。
だが、斜め前に立つ櫻子がそっと腕を少し広げ、制するように押し止めた。
ここは前線ではなく政治の場であり、彼女が退いてはならない戦場なのだと。
指示に従い、動くのをやめた。ただ櫻子の背中を見つめる。
「我々が必要としたのは、今後の戦局そのものを根底から変える得る存在です」
「大和の性能や戦力としての価値を否定しているわけではない」
男は声のトーンを変えず指摘を続ける。
「だが、正規空母を建造し航空戦力を拡充する手もあった。他の主力戦艦で戦線を維持する選択肢もあったはずだ。なぜ資材を枯渇させてまで賭けに出た」
数秒の間、静寂が会議室を支配した。
やがて、彼女はゆっくりと息を吐き出す。
「……現在、私たちが対峙している敵は、人間ではありません」
男は短く、「承知している」と返す。
その返答に対し、櫻子は言葉を重ねる。
「外交交渉も合理的な妥協も通じる『国』でも『人』でもありません。都合に合わせて段階的に戦力を整える猶予など、与えてはくれないのです」
櫻子は上層部の男たちをまっすぐに見据え、言い放つ。
「セオリーが通用しない相手だからこそ……今までとは違う圧倒的な力が必要となる。」
「――――それが『大和』です」
櫻子は最後に、短くそう付け加えた。言葉の余韻が会議室に残る。
男は腕を組み直し、櫻子をまっすぐに見据えた。
「君たちがなぜ『大和』に賭けたのか……その理由は理解した」
「……だが、理解することと承認することは別だ」
机に肘をついて言葉を重ねる。
「結果として建造は成功した。しかし、膨大な資材だけを無駄にしていたら……どう責任を取るつもりだったのかね?」
厳格な追及が、櫻子へと突きつけられる。
「……その場合は、我々の判断ミスです」
その言葉に、男の眼光がわずかに鋭くなる。
問い正されている本質は、建造された大和の良し悪しではない。
膨大な公的資源を独断で賭けに投じた、意思決定者としての責任の所在だった。
「もし失敗していれば、全責任を執って辞任する覚悟でした。……ですが、結果は成功です。」
責任を背負う覚悟を示しながら、櫻子は一歩も退かなかった。
——その姿勢に、会議室の空気が再び緊張に包まれる。
「君が辞任すれば済む問題ではない」
一蹴するように言い捨て、冷ややかな視線を櫻子へと向ける。
組織としての統制を揺るがした罪と責任は、個人の辞職程度で清算できるほど軽くはないのだと。
「――――なぜ、よりによって大和だったのか」
再び同じ問いを繰り返された。
低く重い声には、言い訳を一切許さない圧力を孕んでいる。
「――――勝つためです」
無駄な言葉を削ぎ落とし、ただ真っ直ぐに相手を見据えた。
生半可な戦力をいくら揃えたところで、叩き潰される未来しか見えない。
生き残り、絶対的な勝利を掴み取るための解答が、その艦だった。
その一言に込められた決意に、男はしばらく無言のまま櫻子を凝視した。
「……君たちは、既に後戻りできないところまで来てしまったようだな」
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――――鎮守府へ戻ると、全身に重い疲労が押し寄せてきた。
結果的に上層部からの承認は得られたものの、文字通り綱渡りの交渉だったと言っていい。
一歩間違えれば、この鎮守府ごと解体されていてもおかしくなかった。
「……なんとかなったな、副提督」
隣を歩く櫻子が小さく息をつく。
その横顔には、疲労と、わずかな安堵が滲み出ている。
二人で鎮守府の廊下を進み、司令室の前まで歩いていく。
すると、ドアの前に、巨大な人影。
こちらの足音に気づき、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、無謀とも言える賭けの末に引きずり出した存在――大和だった。
「待っていたのか」
櫻子が問いかけると、大和は二人の姿を視界に収め、穏やかだが芯のある声で返した。
「はい。お二人がお戻りになるまで、ここにいようと思いまして」
「おかえりなさいませ、司令官、副提督」
腰を折り、一礼する。
「………それより大和。もう夕食の時間だぞ」
「まあ……もうそんな時間でしたか」
廊下には、いつものように艦娘たちの声が響いていた。
笑い声。
誰かを呼ぶ声。
遠くから聞こえる食器の触れ合う音。
ほんの数時間前まで、あれほど重苦しい空気の中で上層部と向き合っていたのが嘘のようだった。
不思議と肩の力が抜けていく。
今日の会議で突きつけられた数々の問い。
それらの責任は、どれもまだ終わったわけではない。
大和を抱えたことで、背負うものはさらに増えたのだろう。
「司令官、何をぼんやりしているんです?早く来ないと、料理がなくなりますよ」
「……分かった。今行く」
櫻子が小さく笑う。
前を行く二人の後を追って、自分も歩く。
長い一日だった。
けれど――今日もこうして、鎮守府の日常は続いていく。
それだけで、今は十分だった。