副提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります。 作:リター
夕陽が水平線の彼方へ沈みかけ、空が茜色から紫色へと染まっていく。
作戦開始の時刻が、刻一刻と迫っていた。
波止場の先頭、海面を見つめる川内の背中。
その肩にそっと手を置いた。
彼女は驚いたように一瞬肩を跳ねさせたが、振り返ると、強気な笑みが浮かんでいる。
「……なんだ、今さら心配しに来たの? 『死ぬなよ』なんて野暮な言葉、言いに来たワケじゃないよね」
ポンと自分の胸を叩き、夜闇が広がり始める海へ視線を戻す。
「あたしを誰だと思ってんの? 川内型軽巡洋艦一番艦、川内よ。夜戦の恐ろしさも、楽しさも、あたしが一番よく知ってる。……それにさ」
川内が肩に置かれた手に自身の手を重ね、ぐっと力を込めた。
「あの無茶苦茶で最高の作戦、絶対に成功させてあげる。残さず地獄へ引きずり込んでやるから」
機関音が響き、艤装のスクリューが回り始める。
重ねた手を離すと、颯爽と振り向いて海へと足を踏み出す。
「――川内!三水戦、出撃します!」
残光を背に、川内は水煙を上げて単艦、敵遊撃群が潜む海域へと走り去っていった。
◆◆◆◆◆
水平線の向こう、急速に色を失っていく黄昏の海に、気味の悪い影が蠢き始めた。
深海棲艦の遊撃群――こちらを補給ごと干上がらせようと狙う敵の先鋒だ。
向こうも即座に川内の単艦接近に気づき、砲身を一斉に向け始める。
水面を打ち鳴らす波音が激しさを増す。
だが、川内はそれに怯むどころか、獲物を見つけたように笑みを深めた。
「見ーつけた……! たった1隻で乗り込んできたバカな軽巡だと思って、油断してね?」
滑走する脚にさらに力を込め、水煙を高く巻き上げながら全速力で敵陣へと突っ込む。
主砲を前方へと力強く構え、敵の射程の渦中へ自ら飛び込んだ。
「さあ……砲雷撃戦用意!――――撃て!」
――――海原に、砲撃が弾けた。
川内の放った第一砲火は、魚雷を構えようとしていた深海棲艦の駆逐級へ直撃し、一瞬遅れて水柱を巻き上げた。敵の船殻が歪み、そのまま音を立てて海中へと崩れ去っていく。
「一発目ぇ! 挨拶代わりとしては上出来でしょ!」
一隻の大型個体が不気味な咆哮をあげ、海面を赤く染めるライトを照らしだす。
仕留めた1隻の背後から、深海棲艦の群れが一斉に川内へと迫り始めた。
『――アァアアッ!!』
その数は5隻。―――軽巡1隻を押し潰すにはあまりにも過剰な戦力。
ニヤリと口角を上げると、主砲の残煙を振り払うように反転し、全速力で波を蹴った。
◆◆◆◆◆
腹に響く音が暗くなりかけた海に響き渡った。
「くっ……!」
水柱が上がり、バランスが崩れる。
しかし、川内は敵に一瞥すらくれず、水平線を背に岩礁地帯へと突き進んでいく。
「痛くも痒くもないって……! まだまだ足りないんじゃないの!?」
水上を右へ左へと不規則なS字を描いて波を切り裂く。
ただ無軌道に逃げ惑う傷ついた獲物を演じるための決死の操舵。
砲火の網を潜り抜けながら、確実に敵の全戦力を引き連れて目的の座標へと誘導していった。
―――夕闇が海を包み込み、視界が急速に奪われていく。
海が闇へと呑み込まれていく中、傷は確実に深まっていた。
「……あははっ、いいじゃない! 効いてるよ!」
強烈な至近弾の衝撃で、艤装の一部が火花を散らして沈黙する。
破裂した艤装が衣装を切り裂き、白い肌に痛々しい切創を刻む。
左頬から一筋の血が顎を伝い、荒れた海面へと滴り落ちた。
肩を怒らせて息を荒らげるその姿は、限界を迎えた手負いの艦娘そのものだった。
だが、敵の追撃の手は緩まない。
勝利を確信した敵遊撃群は敗走に目を奪われ、背後へと殺到する。
「……誘い込み、完了」
最後の陽光が水平線の彼方へ消え去り、海面が光から闇へと落ちていく。
視界が完全に奪われるその一瞬の隙を、川内は見逃さなかった。
「……ここっ!!」
血に染まった唇で叫ぶと同時に、魚雷を一斉に撃ち込んだ。
照準を敵ではなく、目の前に立ちはだかる岩礁地帯。
砕け散る巨大な岩塊、巻き上がる水柱と激しい白煙。
その中心で、川内は沈んでいった。
―――冷たい水が、ボロボロになった身体を包み込んでいく。
「……あとは、任せたよ……っ」
水煙と爆炎、そして沈みゆく川内の残像。追撃に夢中になっていた敵遊撃群は、獲物を完全に仕留めたと誤認し、煙の立ち込める中へと、吸い寄せられるように踏み込んでいく。
――――川内が演出した「劇的な死」。
仕掛けられた罠に嵌り込む時を、暗闇の中で息を潜める彼女たちが待っていた。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆
波音に交じって、遠くで爆音が響き、水柱が上がる。
暗礁の陰で息を殺して潜む4隻の駆逐艦――朝潮、如月、曙、不知火。
音が響くたび、空気が張り詰めた。
完全に日が沈み切る前の薄闇の中、曙は拳を握りしめ、顔を固く歪めている。
握りしめた拳が、わずかに震えていた。
その時、後ろからそっと柔らかい温もりが曙を包み込んだ。
如月が優しく手をまわし、後ろから抱きしめたのだ。
「……っ! なにすんのよ、如月!」
肩を跳ねさせて振り払おうとしたが、如月は頭を撫で、耳元で呟く。
「大丈夫よ、曙ちゃん……大丈夫。だから今は、信じて……気持ちをひとつにしましょう?」
「……べ、別に心配なんてしてないわよ! あんな夜戦バカ……!」
曙は悪態をつきながらも、歯を食いしばって遥か前方を睨みつけた。
その横で、朝潮は魚雷発射管に手を添えたまま、じっと作戦海域を見つめている。
不知火は魚雷の最終点検を終え、静かに息を吸い込んだ。
「……川内さんの合図、来ます」
日が沈んだ―――――次の瞬間。
夜闇に光が弾けた。
川内が岩礁を吹き飛ばし、海へと沈んだ合図だ。
追撃に狂った敵の影が、煙の立ち込める死の海域へ続々と踏み込んでくる。
4隻の駆逐艦は、引き金に指をかけた。
日が高いうちから計算されていた、岩礁の隙間を縫う一本の魚雷航路。
それは、岩礁地帯を擦り抜けるように魚雷を通し、敵の横腹を正確に射抜くためのラインだった。
波音だけが響く中、精神が研ぎ澄まされていく。
「……ライン乗りました。敵全群、射程内です」
不知火が小さな声で呟く。
朝潮が拳を握りしめ――――――
「……全艦、魚雷、一斉発射――!!この海域から出ていけ!」
放たれた魚雷が、岩礁の隙間を縫って一斉に走り出す。
海面を切り裂いて走る複数の白い筋。
岩礁の隙間を素通りした魚雷群が、集結していた深海棲艦の腹へと吸い込まれていった。
―――――――炸裂音が水面を震わせる。
直撃を受けた前衛の駆逐級が吹き飛び、海中へと沈んでいく。
不意打ちを受け、パニックに陥る敵遊撃群。その意識と砲身が、魚雷の飛来した岩礁の影――つまり朝潮たち駆逐艦隊の潜む方向へと一斉に向けられた、その瞬間だった。
――ズドォォォンッ!!
海面へ大きく突き出た岸壁。その岩肌へ叩き込まれた砲撃が爆発を起こした。
崩落の残骸が土砂崩れのように海へと沈み、水煙を立てながら波を巻き起こす。
「そこよっ!! 逃げ道は塞がせてもらったわ!」
崩れ落ちた岩石によって、敵の退路は遮断され、正面には暗礁。
魚雷の直撃で混乱する敵遊撃群は、狭い岩礁の中で互いに進路を塞ぎ合い、文字通り袋の鼠となった。
その密集地帯へ向け、二発目の追撃魚雷が走り抜けていく。
魚雷が海面に突き刺さる落石へと激突し、爆発を引き起こす。
破砕された岩塊が弾け飛び、敵群の横腹を容赦なく薙ぎ払った。
悲鳴のような異音が海鳴りに混じって響き渡る。
さらにそこへ――敵の旗艦へ向け、夕張が放った二発目。
ズドォンッ!!
岩塊と岩礁の隙間を通過しようとしていた重巡級の主砲塔へと砲弾が直撃した。
「直撃……! 私って凄いかも!」
重巡級が大爆発を起こして火柱を上げる。
炎に照らされた海面には、もはや逃げ場など残されていなかった。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆
崖の上の観測地点。風が夜の冷気を孕んで吹く中、砲撃音がひとつ、またひとつと途絶えていく。
夜の岩礁地帯には静けさが戻り始めていた。
「……勝ったぞ、副提督」
櫻子が隣に並び、深く頷く。
「大戦果だ。……さあ、ボロボロになって戻ってくるみんなを、迎えてやろうじゃないか」
暗闇の彼方から、波を掻き分ける駆動音が近づいてくる。
――――月明かりの下、姿を現したのはボロボロの艦娘たちだった。
4隻の駆逐艦は制服の一部が黒く焼け焦げ、全身が煤にまみれており―――。
そして、その中央。
「よいしょ……気をつけて、足元滑るわよ」
夕張に肩を貸され、引きずるように脚を動かしながら戻ってきたのは、ずぶ濡れの川内。
破れた衣装から覗く肌は傷だらけで、海水と混ざり合った血が全身を濡らしている。
水中に沈み、命懸けで潜り抜けたその身体は、もはや自力で立つことすら危うい状態にみえる。
「……あはっ……櫻子さん……副提督」
擦り切れた声で呟くと、痛む顔を歪ませながらも、最高の笑顔をみせた。
「見てたでしょ……?」
川内は息を切らしながら、それでも笑う。
「最高の……大成功の夜戦だったじゃない……」
言い終わるか言い終わらないかのうちに膝の力が抜け、川内の身体が大きく傾く。
夕張が慌てて支え直し、駆け寄ってきた朝潮と如月がそれを受け止めた。
不知火が前に進み出て、敬礼を捧げる。
「……報告します。敵遊撃群、全滅。当隊、作戦を完了し、帰還いたしました」
夜風が鎮守府の波止場を優しく吹き抜ける。
鎮守府の運命を塗り替えた6隻の艦娘たちが、今、無事に戻ってきた。