副提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮を執ります。 作:リター
送迎車の窓の外を、流れる景色が静かに過ぎ去っていく。
膝の上に置いた小さな鞄。そこに両手を重ね、龍驤はふぅと短いため息を吹く。
古巣の鎮守府から転属届が手渡されてから、今日で3日。
荷まとめなんて、最初から大してかかるわけもなかった。
戦線の拡大と新鋭艦の着任に伴い、自分の出撃機会は減る一方だった。
みんなの背中を見送る日々に、薄々分かってはいた。
あの鎮守府にはもう、自分という「空母」が必要とされる居場所は残っていない。
「……十分すぎるくらい、やな」
ぽつりと溢れた声が、静かな車内に溶ける。
悲壮感は不思議となかった。去り際、みんなはあたたかく見送ってくれた。
前夜には無茶苦茶な手作りケーキまで用意して、盛大な送別会まで開いてくれたのだ。
寂しくないと言えば嘘になる、だが、あの笑顔と温もりをもらえただけで、胸の奥は満たされていた。
『新しい配属先は、ちょっと特殊なところでな……』
去り際に司令官が困ったような顔で言っていた言葉を思い出す。
前線から一歩引いた、とある鎮守府。
どんな場所なのか、自分に何ができるのかはさっぱり分からない。
けれど、わざわざ名指しで自分を呼び寄せたのは付き合いの長かった副提督。
それだけで、かすかに好奇心をくすぐられていた。
「もうすぐ目的地に着きます」
運転手の声に促され、龍驤は窓の外へ視線を向ける。
「よしっ……と」
龍驤はパンと己の頬を両手で叩き、軽快な笑みを唇に浮かべた。
「せっかく呼んでくれたんや。期待外れと言われんように、一花咲かせてやろうやないの!」
タクシーが静かに停車する。
龍驤は鞄を抱え直し、新しい戦場――そして、自分を呼び寄せた副提督の待つ扉へと向かって踏み出した。
門をくぐり、案内されるままに重厚な木造のドアを叩く。
「入れ」
澄んだ、けれどどこか重みのある女性の声に応え、龍驤は「失礼しますー!」と威勢よく司令部執務室のドアを開けた。
正面に立っていたのは、軍服を凛と着こなした女性司令官――速水櫻子。
そして、櫻子の傍らに立つ人物の姿を捉える。
そこにいたのは――かつて嫌というほど一緒に過ごし、背中を預け合ってきた副提督。
「速水司令官、初めましてやな。……まあ、いろいろ聞いてるかもしれんけど、使ってもらえれば分かるはずや!」
背筋をピンと伸ばすと、二人に向かってバシッと力強い敬礼を捧げる。
「軽空母、龍驤! たった今、着任いたしました!」
龍驤は櫻子へ視線を送り、それから隣に立つ自分へと向かって、ニッと八重歯を覗かせる不敵な笑みを向けた。
「――で? 久しいなぁ、副提督。またえらい無茶なことしとるんとちゃうか? ……まあ、引っ張り出してくれたことには、感謝しとるけどな」
龍驤はポンと己の胸を叩き、二人をまっすぐに見据えた。
「ウチを呼んだっちゅうことは、空母の力が要るってことやろ。どんな無茶振りでもかまへんよ。存分に使い倒してくれてええで!」
◆◆◆◆◆
――――着任から数日。
「……なんやここは」
誰もいない廊下で龍驤はガックリと大きな肩を落としていた。
戦力がギリギリで、空母の制空権確保が死活問題になっていることや、なぜか倉庫を圧迫している資材……そんなものは、龍驤にとっては大した問題ではなかった。
問題なのは、それ以外の――この鎮守府の「人間関係」と「空気感」。
「副提督のこと胡散臭いって睨みつけてる霞ちゃんに、いっつも角立ててる満潮ちゃん……」
ため息をつきながら、龍驤は指を折って数え上げる。
「そんで、怪我治りかけのくせに『今夜も夜戦!』とか目が血走っとる川内ちゃんに、怪しい実験道具で艤装を改造しようとしてくる夕張ちゃん。」
「おまけに何考えてるんかさっぱり読めへん不知火ちゃん……」
散々だった。
古巣ではそれなりに規律があり、らしくはあった。
しかし、この鎮守府では個性の殴り合いが日常茶飯事として繰り広げられていたのだ。
「あいつ、よくこんな鎮守府で平然と指揮執れてるわ……」
思わず頭を抱える龍驤。
だが、どれだけ不平不満を漏らしたところで、自分が買われてここに来た現実は変わらない。
「はぁ……これから先、ほんまにやっていけるんやろか……」
重い溜息をついていた龍驤の耳に、穏やかな足音が近づいてくる。
「あら……? あなたが、別の鎮守府から来てくださった龍驤さん?」
振り返ると、そこに立っていたのは薄茶色の髪を優しく揺らした睦月型駆逐艦――如月だった。
哨戒任務からたった今帰還したばかりのようで、潮風の残り香がかすかに漂っている。
着任以来、龍驤が彼女と顔を合わせるのはこれが初めてのことだった。
(また来たで……今度はどんなクセのある変人なんや?)
強烈すぎる面々に胃を痛め続けていた龍驤は、身体を硬くして身構えた。今度は一体どんな奇行が飛んでくるのかと、内心冷や汗をダラダラと流しながら恐る恐る声をかける。
「あ、ああ……そうや、うちが軽空母の龍驤や。……あんたは、如月ちゃん……やな?」
如月はふわりと目を細め、まるで春の陽だまりのような、柔らかく穏やかな微笑みを浮かべた。
「色々と大変な時期に引き受けてくれて本当にありがとう。……私、とっても心強いわ」
「……え?」
身構えていた姿勢が、拍子抜けするようにガクッと崩れる。
「あ、あの……副提督のことは? うさんくさいとか、信用できんとか、そういうのは……?」
「副提督さんのこと?少し強引なところもあるけど、私たちを勝たせるために一生懸命考えてくれている、とっても真面目な人よね?」
――――あまりにも「まとも」な対応。
殺伐とした人間関係に疲弊しきっていた龍驤の心に、その温もりがじんと広がっていく。
「き、如月ちゃん……っ!」
「あらあら、どうしたの? そんなに目をうるうるさせて……ふふ」
「女神や……この鎮守府に、本物の女神が居たでぇえええっ!!」
龍驤は感涙を流しながら如月の腰へすがりつき、ようやく見つけた癒やしに全力で泣きつくのだった。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆
夕暮れの茜色が差し込む執務室。
櫻子は軍人らしく凛とした佇まいで机の前に立っていた。
その表情には、どこか満足そうな気配を漂わせている。
彼女は一枚の厚手の書類を手に取ると、こちらへ突きつけるように差し出してきた。
「あの古狸たちも、ようやく首を縦に振ったぞ」
用紙の最上部には、重厚な公印とともに『特別任務に伴う、通常艦仕様・新型艦建造および試作艤装の正式許可書』の文字が印字されていた。
前線の混乱を理由に、これまで上層部が頑なに却下し続けていた建造許可証だった。
前回の夜戦によって敵遊撃群を全滅させた成果。
それを盾に、櫻子が本省との粘り強い交渉の末に勝ち取ってきたものだ。
「川内たちが体を張って作ってくれた勝利だ。無駄にはできんからな。これであいつらに無理をさせずに済む、頼もしい戦力が手に入る」
櫻子は書類を机の上に置くと、腕を組み、まっすぐにこちらを見つめた。