ダイの大冒険 やはり俺がアバンの使徒なのは間違っている。   作:tomozow

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ダイの大冒険 やはり俺がアバンの使徒なのはまちがっている。 グレムリン島編

カチャ、カチャ……ターン。

最後のエンターキーを叩いた音は、やけにオフィスに乾いて響いた。

画面の右下、システム時計は【23:30】を刺している。Excelの保存マークは消え、デスクトップには「【最終版】対外折衝用エビデンス整理_20260921_hikigaya.xlsx」という、何の栄誉にもかすりもしないゾンビファイルが鎮座している。

「……なんとか、終わった、か?」

誰に確認するわけでもなく、空調の切れたフロアでひとり呟く。

定時を三十分ほど過ぎた頃、課長の鬼瓦(仮名・48歳、愛車はミニバン、趣味はゴルフと若い部下のメンタル削り)に「おい比企谷、これ明日朝イチの客先会議までにまとめといて。よろしく頼むわ」と、薄汚れたクリアファイルごとパスされたブツだ。当然、手柄は鬼瓦の名前で上層部に提出され、俺に残るのは「突貫工事をミスなくこなしたという無言の実績(=次の無理難題のフラグ)」だけ。

パチン、と音が鳴りそうなほど乾燥した喉に、自販機で買った微糖ですらない純ブラックの缶コーヒーを流し込む。苦い。胃の粘膜が悲鳴を上げている。なんでこうなったんだろな。

思えば、すべての元凶は7年前。

大学卒業時――いわゆる「超・氷河期」の残滓を引きずったクソみたいな就活戦線。祈られメールの山に心が折れかけ、「もうどこでもいいや、社会のモルモットでも何でもやってやるよ」と、辛うじて拾ってくれた中小の受託開発・事務支援会社。

入社してみれば慢性的人手不足、3年目で先輩がごっそり飛んでいき、気づけば「比企谷がいなくなると回らない(=辞めさせられないし、給料も据え置きのままローテーションの歯車として最適化される)」という最悪のロックイン状態。辞めるタイミング? 1年目は「石の上にも三年」、3年目は「転職市場で市場価値が中途半端につく」、5年目は「なんかもう考えるのがめんどくさい、引っ越しもだりえ」、そして気づけば29歳。30手前の崖っぷち。

コーヒーの空き缶をデスクの脇のゴミ箱に放り込む。カラン、と乾いた音がした。

「……マジックユーザー(法的非・国家資格)手前どころか、ただのHP削りカスじゃねえか、俺」

背もたれにもたれかかり、天井の蛍光灯のシミを数える。

明日も朝から、この革靴を鳴らして満員電車に揺られ、同じ蛍光灯の下で「お疲れ様です」とヘドロみたいな笑顔を作るのだろう。……いや、待てよ。

不意に、視界の端の窓ガラスが、歪んだ。

外の夜景の光が、やけに水彩画のインクみたいにじむ。

ビル風の唸り声が、低い地響きに変わる。

「……ん?」

床のフローリング、いやタイルの継ぎ目が、波打つ。

残業23時半の疲労幻覚にしては、解像度が高すぎる。重力が、オフィスチェアごと、床の裏側へ、あるいはもっと別の――青臭い草と土の匂いのする、あのどうしようもなく不条理な別世界へと、静かに、しかし確実に傾ぎ始めていた。

「……おいマジかよ。労基どころか、現世からの不当解雇(物理)かよ、これ……」

呟いた瞬間、視界のすべてがホワイトアウトした。

 

――いや、疲労の錯覚だ。最近ろくに寝てないから脳がショートしかけている。明日(つーか今日、もう深夜だし)は土曜だ。すべてを無視して泥のように寝てやる。

パソコンの電源を落とし、フロアの電気を消す。深夜のオフィス街を歩き、コンビニで買ったカップ焼きそばの湯切りをしながら、ボロアパートのドアを開けた。

靴を脱ぎ捨ててベッドになだれ込む。

天井の木目をぼんやり眺めていると、思考のベクトルが勝手に過去へダイブしていく。

「……思えば、ちゃんと女の子と関わったの、高校時代くらいしかなかったな」

大学はほぼ引きこもりに近い省エネ生活。サークルにも行かず、最低限の単位を拾い、バイトのシフトを最低限こなす日々。

高校の時――あの、奉仕部とかいう面倒くさい吹きだまりみたいな場所で、理不尽に理詰めで殴り合って、時々よく分からない距離感で寄り添っていた日々。

「モテないって、自分で自分に言い聞かせて防衛ライン張ってたけど……あれはまあ、どう考えたってモテてたと言って良かったな」

雪ノ下の、あの凍てつくような青い目線の奥にある不器用な熱量。

由比ヶ浜の、すべてを包み込むような太陽みたいに眩しい笑顔と、時折見せる痛みを隠した横顔。

二人の姿が脳裏にちらつく。

「……なんで、あの時ちゃんと言葉にして好きって言わなかったんだろうな」

気恥ずかしさと、どうせ自分が踏み込んではいけない領域だという勝手な諦め、そして変わってしまうことへの恐怖。それを「平穏」という名のぬるま湯でくるんで、見ないふりをした。

苦い後悔の渣が、重たいまぶたの裏に沈んでいく。

スマホの画面が暗転するのを待たず、八幡は深く息を吐き出して――そのまま、意識を闇の底へ沈めた。

 

「……いろはも、川崎も、折本、めぐり先輩、陽乃さんだって。……少なくとも、俺を気にかけてくれる女の子はいたんだよな」

まぶたの裏で、フラッシュバックのように幾つもの顔がかすめる。小狡くも愛嬌のある後輩の、面倒くさそうであたたかい視線。サバサバしながらも気遣ってくれた背中。学生時代の気恥ずかしいすれ違い。全方位を睥睨するような美形の、射抜くような笑顔。

「なぜ、俺は誰ともちゃんと心を開かなかったのだろう。――なんで、好意を示すことを良しとしなかったんだろうな」

格好をつけて、傷つくのを怖がって、斜に構えて、本音を言うことから逃げ続けて。今更になって順位付けしたところで、失った時間と、相手に与え損ねた誠実さは戻ってこない。

「……うまくいくわけない。振られていい。その結果を受け入れて、ちゃんと傷ついて、足掻いて……それが青春ってものなんじゃねえのかよ」

その結論にたどり着くのが、十何年遅かったんだ。ひどく間抜けで、苦くて、どうしようもない自己嫌悪が胸を焼く。

「まあ、時間は戻られねえよな……」

自嘲気味に呟いた息が、布団のなかで消えた。意識が、深い、暗い静寂へと沈んでいく。

その闇の淵で――不意に、空気が温度を持った。

「――ほうほう。珍しいな。これほど純粋で汚れの少ない魂は久しぶりじゃのう」

暗闇に、しわがれた声が響く。声のほうへ目を向けると(あるいは夢のなかであるにも関わらず視覚が立ち上がると)、そこに赤く鮮やかな服を纏った、豊かな髭面の老人が立っていた。

「30まで誰に操を立てたのやら。お前を好む女子(おなご)もおったろうにのぅ。……ま、仕方ない。世界との盟約にもあるしの」

老人は、からからと笑い、目を細める。

「30歳になるまでその純粋さを、不器用に、馬鹿正直に貫き通したお主に――ひと時の夢を見せてやろう。……良い夢を」

髭面の老人は、赤い裾を翻すようにして、夜霧の残り香のように薄く、溶けるように消えていく。

あれは異世界の魔法使いなのか、はたまた季節外れの気まぐれなサンタクロースなのか。確かめる術は、もう、眠りに落ちた八幡の脳裏にも残っていなかった。

 

ふぁあ……っ、すげえ寝た。

背伸びをしたシーツの感触がない。硬い、でも温かい砂浜の感触だ。

身体の重さがやけに軽い。背筋がスッとして、デスクワークで凝り固まった肩や腰の鈍痛がない。手のひらを見れば、タコもなく、妙に滑らかな――おい、待て。このサイズ感、質感、どう見ても17歳、高校時代の肉体だ。

……夢だからな。脳が勝手に全盛期のスペックでレンダリングしやがったらしい。

目をこじ開けると、蛍光灯のシミの代わりに、脳髄を焼くような青空が広がっていた。視線の先では、白砂のきわで透明度のバグったエメラルドグリーンの波が寄せては返している。

「……良い夢だ。南国リゾート独り占めだな、これ。夢オチ青春リターンズとか、俺の潜在意識もだいぶ悪趣味だな」

寝起きの頭でごろんと寝返りを打つ。八幡はまだ気づいていない。ここがリゾート地ではなく、魔物と人間が(一応)平和に暮らすデルムリン島の砂浜であることを。

「ピポパポ……!」

足元から、金色の球体が転がってきた。申し訳程度の羽がパタパタしている。

「おー、ゴメちゃん。可愛いな。……CGの解像度バグってねえか? めっちゃリアルだな、この手触り、モフモフというかモチモチというか」

「――おい! 誰だお前は!」

砂を蹴散らして、黒髪の少年が飛び込んできた。原作アニメのポップアップ風派手さはなく、もっと素朴で、島の少年らしいラフな格好をした――ダイだ。直視しても網膜が焼けない、等身大の眩しさ。

八幡は起き上がり、17歳の声帯から発せられる少し高い声を確認しつつ、面倒くさそうに片手を上げた。

「俺? 俺は八幡だ。比企ヶ谷八幡てんだ。……でお前は?」

「オレ? オレはダイ。この島でただ一人の人間だ!」

ダイの真っ直ぐすぎる瞳が、同年代の少年を射抜く。

――普段の俺なら、こんな胡散臭い少年に対して「コミュ障オブザイヤー候補かよ」と距離を取るか、あるいは冷めた塩対応をかますところだ。

だが、ここは夢の中だ。肉体は17歳、精神は30手前の後悔マシマシ。ならば、セリフの選択肢は最初から決まっている。現実では言えなかった気恥ずかしい台詞も、夢オチならノーペナルティだ。

八幡はふっと口の端を緩め、砂浜に座ったままダイを見上げた。

「そうか。ダイ、良い名前だ」

「え、そうか?」

「ああ。……で、俺のことは八幡て呼べ。なぁ、ダイ」

砂から片手を抜き、ひねくれた(中身だけ老けた)人間が人生で一番言いたかった、しかしずっとサボってきた言葉を、ぽんと差し出す。

「俺たち、友達にならないか?」

ダイは無邪気に笑い、――おう、と応えた。

そう返されたその手の温度は、やけに生々しい。

17歳の肉体、30手前の後悔、そしてすべてが夢という免罪符――

比企谷八幡の、都合がよすぎて最高に厄介な青春のやり直しが、こうして音を立てて動き出した。

 

砂の感触を確かめながら立ち上がり、八幡はひとつだけ気になっていたことを口にする。

「ここはどこなんだ?」

「ここはデルムリン島だよ。モンスターばかりだけどみんないい奴なんだ。怖がらなくていいぞ!」

ダイの真っ直ぐな言葉に、八幡は心の中で――(まあ、原作の漫画全巻持ってるから知ってるけどな。……ってか、これ最初のほうか)と納得しながら小さく頷く。

「……まあ、ダイが言うならそうなんだろうな」

その後、ダイに連れられて集落(あるいはブラスの家)へ足を踏み入れると、すでに出迎えるように、小太りの老人が立っていた。

「誰じゃお前は?」

「俺は八幡です。なんか気づいたら島の端で寝てて」

「そりゃ妙な話じゃの。……まあええわい。メシくらい食っていけ。久しぶりの客人だからの」

そう言ってブラスは豪快に食事をすすめてくる。

「ワシに敬語は使わんでいいぞ。ダイの友達なんじゃろ?」

ガハハと笑うブラスの気さくな態度に、八幡はふっと肩の力を抜き、やれやれと苦笑しながら応じた。

「――ああ、ブラスじいちゃん、よろしく」

その呼び名に、ブラスは「お、おお……?」と一瞬面食らったように目を瞬かせ、それから「ふ、ふん、小賢しい若者じゃのぅ」と気恥ずかしそうに髭を揺らして照れる。

それを見た八幡は、17歳の少し軽い息吹を含ませながら、くっく、と声に出して笑った。

夢だか何だか知らねえが。

妙に肩の凝らない、最悪で最高に不条理な日常のワンシーンが、南国の風に揺れていた。

 

食卓の温もりのなか、八幡はスープの入った木製のお椀を傾けながら、ふと気になったことを口にする。

「ここで普段何してんの?」

「魚とってフルーツとってメシ食って、んでみんなと鍛えてる。勇者になるために!」

元気いっぱいに胸を張るダイ。

八幡は、ちょっとだけ呆れたように、しかしどこか納得した調子で呟く。

「勇者? ……まあ、お前ならなれるだろうけど」

「「は?」」

ブラスとダイが、スプーンや肉をくわえたままピタリと動きを止める。

「聞き間違えたかの……? なんでそんな軽く、なれると思うんじゃ」

ブラスが白い眉をハの字に曲げ、胡乱な目で見つめてくる。

原作の展開を知っているとはいえ、いまやこの島のゲスト(あるいは居候)だ。ひねくれた理屈を構築する脳みそが、勝手に言語化を始める。

「いいか? 勇者を目指そうなんてのは、よほどのバカか、本物だけだよ」

八幡は淡々と、しかし妙にクリアな声音で続ける。

「で、本物はなる前から本物なんだ。普段からこうやってサボらず鍛えてんだろ? この世界がどれだけ広いか知らんが、こんな小さなうちから本気で積み上げてりゃ、可能性なんてめちゃくちゃあるだろ。仮になれなくても、勇者のサポートメンバー、屈強な戦士とかにはなれるだろ。知らんけど」

投げやりな「知らんけど」の割に、妙に解像度が高く、現実の重みを含んだその正論。

あまりの説得力に、ブラスは開いた口が塞がらず、二の句が告げられない。

目の前の、歳上で、少しスレたところのあるはずの八幡が、自分の夢を嘲笑うどころか、冷徹なまでのロジックで本気で肯定してくれる。その事実が、ダイの胸の奥をジワリと熱くさせた。

「うん……! オレ、絶対勇者になるよ!」

「ああ。……お前なら、とびきりの勇者になれるよ」

照れ隠しのように片手で頭を掻きながら返した八幡に、ブラスはふう、と深くため息をつきつつ、最後にはやれやれといった面持ちで笑った。

「やれやれ……。小賢しいくせに、直球を投げ込む若者じゃのう。この人たらしめ」

ピポパポ! と、ゴメちゃんが金色の体をビョンビョン弾ませながら、嬉しそうに宙を舞った。

 

。

 

「なあ、ダイは魔法使えんの?」

不意にダイに尋ねてみる。

「……ちょっとだけ」

片の人差し指の先を軽く突き出す。脳裏のイメージに、微かな魔力の燃えカスを引っかけて――パチリ、と小さな赤い火花が灯り、親指の爪ほどの小さな炎がゆらめいた。

それを見たブラスが、胡乱そうに鼻白む。

「ふん、その程度か。ハナソギ(鼻削ぎ)のイタチの屁みたいな火種じゃな。こんなもので勇者が務まるものか……」

悔しそうに唇を噛むダイの肩に、八幡はひょいと手のひらを乗せた。

「いや、すげえだろ」

「すごい? なんじゃ、なんでじゃ?」

ブラスが目を丸くする。

八幡は小さく息を吐き、現実の冷徹なコスパとロジックをファンタジーの文脈にスライドさせる。

「いや、本当に才能なかったら魔法なんて出ねえだろ。物理的に魔力(リソース)が回路に流れてるって証拠だ。ここから反復していけば、いつか出力は勝手にインフレしていくだろ。少なくとも、才能の初期値はマストでクリアしてる。俺、現実じゃ魔法使おうなんて思ったことすらねえもん」

――まあ、こっちの世界に来る直前、違う意味での「魔法使い(30歳・国家資格なしの単独防衛・童貞)」にクラスチェンジしかけた自覚はあるんだが、それは墓まで持っていくつもりだ。

「ほう……?」

孫の隠れた才覚の芽を、他所から来た小賢しい兄ちゃんにさらっと肯定され、ブラスは「ふん、調子のいい……」とそっぽを向くが、笑った口元が隠しきれずにニヤリと緩んでいる。孫が真っ当に評価されるのは、祖父として悪くない気分だ。

ダイは、友達だけど、どこか年の離れた兄ちゃんのような、ひねくれていて妙に視野の広い八幡の横顔を見上げる。

胸の奥を締めるような温かさと、むず痒さが同居する。認められるってのは、こういうことなのか。

「調子に乗るなよ、ダイ。だが……ふむ」

ブラスはしみじみと呟いた。

(この男、なかなか人を狂おしく惹き寄せる魅力があるのう。世迷い言を言っとるように見えて、本当にダイがいつか世界を救う勇者になると、本気で――あるいは微塵の疑いもなく信じておる……!)

周囲の茂みや戸口の陰からも、ゴメちゃんがピポピポと賛意を歌い、ホイミスライムやスライムたちの丸っこいシルエットが「せやな」「ええやん」と言いたげにぷるぷる揺れている。

デルムリン島の住民総出で、このひねくれ者の「自称・仮初めの友人」は、気づけばすっかり外堀を埋められていた。

 

陽光の差し込む広場で、木を相手に打ち込みを繰り返すダイの姿を、八幡は木陰に座り込んで眺めていた。

(……やれやれ。あんな動き、素人の範疇を超えてるだろ。そりゃ将来、本物の勇者になるのも納得のスペックだな)

感心というより、変な胃痛を覚えないうちに高みの見物を決め込もうとしたところへ、ダイが汗を光らせて駆けてくる。

「八幡! 一緒にやろうぜ」

そう言って手渡されたのは、どこにでもある『ひのきのぼう』だ。

(まあ、どうせ夢だからいいか。脳内VRみたいなもんだろ。物理的に痛くねえだろ、夢なんだから)

気楽に立ち上がり、向き合って軽く打ち合う二人。

……が。

(……ん? あれ?)

思ったより重みがある。風を切る音がリアルだ。そして――

ガツン、と、ダイの一撃が八幡の左肩を正確に捉えた。

「いたぇっ!?なんだこりゃ。めっちゃ痛え!」

思わずひのきのぼうを落とし、地べたにしゃがみこんで肩を思い切りさする。骨の髄にしみ入るような、あの鈍い衝撃。

「ごめん、八幡! 痛かったかい?」

ダイが慌てて駆け寄り、大きな瞳を揺らしながら心配そうに覗き込んでくる。

八幡は青い顔のまま、肩をさすりながら手を振った。

「いや、……大したことない。想像の数倍痛かったから、純粋にビックリしてな。まったく……夢なんだから痛いのはオプションオフで頼むぜ、俺の脳内レンダリングエンジン」

その光景を、何処とも知れぬ空間で。

空中に浮かぶ水晶玉を覗き込みながら、赤い服の老人はからからと笑った。

「すまんのぅ。……痛覚もあるようにしたのはワシじゃ。痛みのない人生や夢など、その本質を欠く。たとえ仮の世界だとしても、じゃ。……そうじゃろ? 誰よりも他人の痛みも自分の痛みも知る、ひねくれ者の八幡よ」

老人は、水晶玉をポンと叩くと、赤衣の裾を揺らしてフッと消える。

またどこかの次元の、こじらせた魔法使い候補や人生の曲がり角にいる人間のところにでも顔を出すつもりか。

実に多忙で、いい加減かつお節介な赤い老人であった。

 

額から流れる汗をシャツの袖で拭う。冷房の効いたオフィスや、ジメッとした満員電車のそれとは違う。風が、皮膚の熱をさらっていく、心地よい疲労感だ。

「……こんなに肉体を動かして汗かいたの、人生初かもな」

ゼイゼイと呼吸を整えながら地面に腰を下ろす八幡の視界に、手ぬぐいの端が差し出される。

「お疲れ、八幡!」

「……お、どーも」

受け取った布で顔を拭きながら、ダイを見る。――やっぱ、お前すげえな、この年でこのフィジカルは反則だろ、とこぼそうとした。

だが、先にダイがニカッと笑って言った。

「や、八幡もすごいよ! 最初は全然だったけどさ、だんだん動きが良くなっていって……最後の方、オレ、ほとんど手加減してなかったもん!」

……おい。

「やっぱり……手加減してくれてたか、お前」

乾いた笑いとともに、肩の骨が軋む音を聞きながら呟く。中身が30手前の社畜だろうが、17歳の肉体だろうが、少年モンスターと生身で打ち合えばこうなる運命(さだめ)だったらしい。だが、不思議と不快ではない。むしろ、痛みの分だけ現実の解像度が高かった。

「さあ、疲れたろ? メシにしようぜ!」

太陽が傾きかけ、空の端がオレンジと紫のグラデーションに染まり始める。ダイが振り返り、少年のまっすぐな笑顔で手を振る。

「……あーあ。ほんと、疲れたよ」

そう答えた八幡の顔に浮かんでいたのは、終電を気にしていた29歳のそれじゃない。

不器用に、けれど真っ直ぐに砂埃を被って、今日という日をやり直した――まさしく、17歳の少年のそれだった。

 

 

木漏れ日の夕暮れを過ぎ、簡易的な水浴びで塩気と汗を洗い流したあと。

ブラスの用意した夜ごはんは、素朴ながらも滋味あふれる絶品だった。焼いた肉の脂の旨味、根菜のスープの優しい塩気。もともと美味いのだろうが、17歳の肉体に刻まれた疲労のピークという調味料が加わり、それは人生で食べたどんな高級ディナーやコンビニの背徳メシをも凌駕していた。

「……最高だ、これ」

ポツリとこぼした八幡の言葉に、ブラスは「ほ、ほほぅ、食いっぷりがええのぅ」としっぽビュンと跳ね上げて照れる。ダイは満面の笑みで肉にかぶりつき、ゴメちゃんも頭の上で「ピポパポ!」と嬉しそうに跳ねている。

スプーンを置き、一息ついたところで、八幡はふと思い出したように口を開いた。

「そういえばさ」

「ん?」

「ここに前、ニセ勇者御一行が来なかったか?」

ダイがモグモグと口を動かしたまま、勢いよくうなずく。

「ああ、来たぞ! ゴメちゃんをさらおうとしたから、やっつけたんだ!」

「へー……。やっぱお前、勇者じゃねえの?」

ニカッと笑いかける八幡に、ダイは「いやあ、そんなことねえって!」と照れくさそうに頭をかきむしる。

それを見ながら、ブラスがやれやれといった調子で首を振った。

「やれやれ、あんまり甘やかさんでくれ、八幡くん。上には上がおるわい」と言いながらも、その目尻は笑っている。――ふと、ブラスは動きを止めて目を細めた。

「……待て。なんでお前、そんなこと知っておるんじゃ?」

「いや、島の向こうじゃ、そういう胡散臭い連中の噂ってのは結構有名な話だろ。……まさかとは思ったけど、やっぱりここだったか」

もっともらしい(だが嘘八百の)社畜的情報戦のブラフをかましつつ、八幡はスープのカップを傾けて続ける。

「あ、そうそう。そのとき王様から冠(ゴールドの冠だか王冠だか)もらったと思うけど、あれ大事にしといた方がいいぞ」

「かむむ?」とダイが首を傾げる。

「使えるなら使ってもいいと思うが。……サイズは合わんのかね?」

「いやいや、あんなの、ダイには勿体無いわい! いずれ勇者様が装備する防具。魔物が悪させんように奥底にしまっとるわい」とブラスは手をブンブン振って否定する。

「えー、いいじゃん! なんか光っててカッコよかったぜ?」

不満げに頬を膨らませるダイ。

ひねくれた大人は、原作のあの冠がのちにどう機能するか(あるいはロモスの王様との因果や、なんかすごいアイテムの伏線だった気もするが、今は深く突っ込まないでおく)をうっすらと思い出しながら、まあ、子供の宝探しみたいなもんだと肩をすくめる。

「ま、おじいちゃんの言うことも一理あるけどな。宝箱の肥やしにしとくなら、たまに磨いといた方がいいぞ。知らんけど」

からからと笑う八幡に、ブラスは呆れつつも「やれやれ、口の減らん若者じゃ」と溜息をつき、ダイは「よーし、今度こっそり見に行ってみよっと」と目を輝かせる。

最高に不条理で、どこか懐かしい、夜風の心地いい食卓だった。

 

翌朝。

青空の下、昨日の筋肉痛でピキピキと鳴る体を17歳の脳筋スペックで無理やりムチ打ち、ダイと八幡は再び木刀を交えていた。

「くっ、昨日よりは足の裏の捉え方がマシになったか……?」

「八幡、すげえじゃん! 昨日より全然踏み込みが鋭いぜ!」

ゼイゼイと肩で息をしつつも、昨日より明らかに動きのレジリエンスが上がっている自分に、八幡は心の中で(まあ、若さ+実戦フィードバックの学習曲線恐るべし、ってか)と冷徹に分析しながらも、純粋にこの汗の匂いが悪くないなと思始めていた。

その時だった。

「――おや、実に微笑ましい光景ですねえ」

のんびりとした、しかし妙に芯のある声が風に乗って響いた。

顔を上げると、島の道すじから、見覚えのありすぎる金髪の――いや、今は丸い伊達メガネをかけ、おっとりした家庭教師然とした雰囲気を纏った男が歩いてくる。その背後には、緊張した面持ちの、ちょっと頼りなさそうな少年。

ポップだ。

八幡の思考がゼロコンマ数秒でスキャンを完了する。

――アバン=デ=ジニュアール3世、その弟子ポップ。

「……勇者、アバン」

思わず口から零れ落ちたその単語のコンマ数秒後、目の前から風のように詰め寄ってきたアバンに、むん、と片手で口を塞がれた。

耳元で、爽やかな笑顔の裏に不敵なプレッシャーを隠した声が囁かれる。

「……なんで知ってるんですか?」

「いや、メガネしてるだけじゃないですか。髪型もほぼそのままだし、全然変装になってませんよ。そもそもどの街に行ってもあなたの銅造ゴロゴロ立ってますし」

ぶっきらぼうにそう返すと、アバンは「コホン」と派手に咳払いをして、すっと手を離した。周囲に聞こえない絶妙な音量で言う。

「一応、今は『デルムリン島にやってきた謎の家庭教師(アバン先生)』で通ってるので、その……『勇者』だったことは、内密にお願いできますかね?」

「わかりましたよ、大人の事情ってやつですね。俺は八幡です。……アバン先生」

ニコニコと不気味に(褒め言葉として)笑顔を作るアバンに、ふと口をついて出た。

それを聞いたアバンが、目をぱちくりさせる。

「先生? ふむ……あなたも、私の生徒になりたいんですか?」

「いや、ついノリで先生って付けただけですけど……まあ、人生のクソみたいな暇つぶしや、この夢オチ・サバイバルが予想外に面白そうなんで、ダイとポップのついでに、見学がてら混ぜてもらっていいですか? 」

大人の――いや、17歳の肉体を持った元・陰キャ社畜のひねくれた好奇心。

アバンはしばらく八幡の顔をじっと観察し、それからふっと爽やかに笑った。

「もちろん、良いですよ。人間の才能の回路なんてものは、どこにどう接続されてるか分かりませんからね。私としても、興味深いサンプルが増えるのは大歓迎です!」

流石はかつての魔王を退けた勇者であり、みんなに慕われる人格者。

(……そういえば、アバン先生の家系って確か元々学者とか魔法研究の家系だっけか。このおっとりした胡散臭さの裏で、ガチの理論派(地獄のスパルタ)なんだよな……)

心の中で冷や汗をかきながら、八幡はこれから始まる「アバン流・超ハードモード教育プログラム」の予感に、盛大に胃痛を覚えるのだった。

 

 

アバン流の容赦ない特訓に、八幡の肉体(17歳)は早々に音を上げかけていた。息が切れ、視界の端が揺れる。

「ふむ……。八幡さん、あなた、魔法や武術の素養で言えば――正直、才能ないですねえ」

爽やかな笑顔でトドメを刺すアバンに、八幡は地面に手をついたまま肩で息をし、ヘラジカのように乾いた笑いを返した。

「……まあ、こちとら現世じゃExcelの数式と上世からの不条理にすり潰されてきた、ただの一般人なもんで」

「なのに、ここまで食いついて脱落しない。その『泥臭く執念深く食らいつく才能』は、ピカイチですよ」

アバンはくすりと笑い、手元の杖を軽く掲げた。

「よし、では次は初歩魔法の回路(契約)を試してみますか」

「ほう、ならばワシも手伝えますぞ。ダイの魔法の契約も修行も、ずっとワシがやっていたのじゃからな」

背後から腕を組んでやってきたブラスが、不敵に髭を揺らす。

ひねくれた17歳の肉体と、30手前のすり切れた記憶を載せた回路。一通りの初歩魔法の儀式・契約のプロセスを、アバンとブラスのダブル指導(地獄と温情のハイブリッド)でトレースしていく。

メラは不発。イオはカスりもしない。リレミトもルーラも、概念の波長が合わないのか、脳内でノイズが走るだけ。

――やっぱり、俺みたいな量産型モブには魔法なんてファンタジーの特権階級のシロモノか。自嘲がよぎったその瞬間。

ピキッ、と。

左手の指先に、冷たい空気の粒が凝縮した。

メラでもイオでもない。ひやりとした鋭利な気配。手のひらの上に、かろうじて拳大の、不格好な氷の塊がポトリと生成された。

ヒャド。

極めて微かな、だが確かに実体を伴った冷気の魔法。

「――やはり、才能(回路)が眠ってましたね。八幡、お見事です」

アバンが柔らかな眼差しで声をかけ、ブラスも「おお……!」と目を見開く。

(……俺が、ダイに言った言葉だ)

――本当に才能なかったら魔法出ないだろ。魔力があるってことだ。鍛えてたら成長していくだろ。少なくとも才能があるな。

あのとき、自分勝手な理屈とやせ我慢で吐き出したその言葉が、そっくりそのまま自分に返ってきた。

指の上の拳大の氷を見つめているうちに、視界が急に歪んだ。鼻の奥がツンと熱くなり、とめどなく涙がこぼれ落ちた。

例え――ここが、サンタだか魔王だか知らない気まぐれが見せた「都合のいい夢の中」だとして。

ここまで必死に、誰かのために、あるいは自分の矜持のために息を切らして頑張ったことがあっただろうか。こんなに厳しく、見捨てずに、真剣に教えられたことがあっただろうか。

そして、その微かな形を「才能だ」と肯定してくれた大人が、目の前にいる。

アバンが目を細めて満足げにうなずき、ブラスが「やれやれ、みっともないやつじゃのぅ」と言いながらも、その目頭をぐいと袖で擦っている。

アバンは心のなかで静かに息をついた。

(……やはり、教師をやっていて良かった。彼の中の冷たさは、凍りついた不信ではなく、ただ火の付け方を知らなかっただけだ)

少し離れた木陰から、その背中を見つめていたポップが、ハッとした顔で自分の両2本の拳を握りしめる。

(……すげえ。あいつ、俺よりずっと後発の、素人(オッサン混じり)のくせに……! 俺も、ビビってる場合じゃねえ……!)初心の炎が、胸の奥で小さく再点火する。

ダイは、涙を拭う八幡の背中を見つめ、尊敬を込めた純粋な瞳を輝かせた。

(やっぱり、八幡はすげえや……。あいつは、いつも本気だ)

その場にいる全員が、理屈ではなく、ひねくれた少年の不器用な涙のなかに宿った「善意と矜持」に、深く当てられていた。

 

 

 

ヒャド以外の素養の気配はあるものの、いまの八幡が手綱を引けるのは、やはりその冷たい一点だけだった。

「おい、ポップ。さっきの先生(アバン)の講義、ここどう解釈すんだよ。呪文の定数と、俺の中途半端な魔力回路のコンバートがどうも噛み合わねえ」

「えっ、あー……そこは、こう、イメージしてグッとこう流すんだよ!」

「抽象的すぎて社畜の人事評価面談のフィードバックより役に立たねえな。もっとこう、出力インピーダンスの整合性とかさ」

「わかんねえよ!」

文句を言い合いながらも、ポップに魔法の基礎のイロハを突っつき回し、先生とブラスの教えの切れ端を自分の中で咀嚼していく。八幡がひたすら繰り返したのは、ヒャドのみだった。

(本気で拳大がデフォルトなら……出力エリアを広げすぎなんだよ。コストパフォーマンス(MP)の無駄だ)

もっと小さく。もっと鋭く。

的(的代わりの木板)を目掛け、八幡は冷気の弾丸を射出する反復作業に没頭する。数時間後、ようやく板の芯を捉えるようになった。微小なヒャドは、消費魔力を限界まで削ぎ落としている。

――ゆっくり思い出せ。ポップの「勢い」、先生(アバン)の「理論」、ブラスの「根気」。

手のひらじゃない。もっと狭いセクタ、指実に魔力の全回路をブーストする。

「……ヒャド」

呟いた瞬間。

パチン、と乾いた空気の裂ける音がして、3センチ大の氷の弾丸が、目視できないほどの速射性で板をブち抜いた。ガシャァン、と木板が中心からひしゃげるように粉砕される。

「なんだあれは……っ!?」

近くで見ていたポップが、腰を抜かす勢いで目を見開いた。

本来,ヒャドは対象を冷やし、凍結させるものだ。だが、八幡のそれは違う。魔力量を極小まで絞り込み、一点の針先に完全凝縮させることで、まるで攻撃魔法の速射(ギラ系を彷彿とさせる弾道)のような、スナイパーライフルめいた貫通力を生み出していた。

(あんな変態的な使い方があるのか……)

ポップは、自分の固定観念を根本からバキバキと音を立てて折られた。ひねくれた大人が、リソース不足を逆手に入れて構築した「セコい(だが実用性マックスの)最適解」。

「――八幡さん。やっぱあんたすげえよ……」

「さん付けはいいよ。気色悪ィ。ポップでいいよ」

「そ、そうですか! じゃあ八幡! いまの,あれどうやったんだよ!?」

八幡は肩をすくめ、冷えきった指先を軽く振った。

「俺は総魔力量が少ないからな。でかい魔法打ったらその時点でリソース切れの無能社員だ。だから先生(アバン)に教わった『一点集中的な回路負荷』だけを極端にトレースしたらこうなった。……ポップ、お前ならすぐできるだろ。量があるんだから、やってなかっただけで」

「そんなもんかなぁ……」

半信半疑のまま、ポップは八幡の真似をするように、右の人差し指をピンと立てた。

意識を指先の一点に、無理やり収束させる。

――ヒャド。

シュパッ、と、八幡に引けを取らない鋭さの3センチの氷の弾丸が、見事に別の木の的を直撃し、中心を抉り取った。

「……できた」

「やっぱお前、マジで天才だな、ポップ」

「えっ、いや、そんな……照れるぜ、おい……!」

頭を掻いてにやけるポップの横で、そのやり取りをじっと見つめていたダイが、くわっと目を輝かせる。

(くっそ……! あの二人のやつ、なんかすげえ領域やってる!)

負けじと木刀を握り直し、足場を踏み締めてダイが突貫してくる。

17歳の肉体に宿った不器用な熱と、ひねくれた知略、そして本物の才能が互いを削り合う。

デルムリン島の陽炎のなか、奇妙で最高に熱い修行の時間は、静かに、だが確実に加速していくのだった。

 

「でもやっぱ、実際にやるとやんねーとな……難しいな、これ」

ポップが頭をポリポリかきながらこぼす。

「慣れてねえだけだろ。お前ならそのうち、イオラみたいに連発とかできるようになるんじゃねえの」

「連発? ……まあ確かにイオラはバラバラに撃てるけど、ヒャドでそんな」

ポップが目をパチクリさせる。

「八幡、ちょっと……やってみてくれないか?」

ダイも興味津々で覗き込んでくる。

「えー、めんどくせぇ……」と言いつつ、八幡は右の人差し指をスッと構えた。

(出力落として、インターバル詰めて、連続で同じベクトルに――いわゆる、あの冷酷な氷塊野郎がやってたやつの劣化版、いや、ローコスト連射ルートか)

意識のサーキットを一瞬で切り替える。

「……ヒャヒャヒャド!」

パパパパッ! と連続した空気の破裂音。

放出された3センチの氷の弾丸は、コンマ数秒のタイムラグを置きながら、すべてが木板の全く同じ一点を正確に抉り抜いた。ボロボロになった的の中央に、深々と綺麗な円形の穴が穿たれる。

「すげえっ……! 連発も凄えけど、弾道が完全に一致(イコール)してやがる……!」

ポップが絶句して声を上げる。

八幡は軽く肩をすくめて息を吐いた。

「まあ、小さいヒャドだからな。一個じゃ豆鉄砲だろ。威力を上げるなら、同じところにオーバーキル気味にブチ込むのが一番コスパいい。――『水滴石を穿つ』とかいう言葉が、俺の国(こっちの世界じゃない方)にあってな」

その言葉と光景に、数メートル離れた場所で見守っていたアバン、ブラス、ポップ、ダイの全員が、文字通り絶句して固まった。

(……なんという発想だ。魔法の「数と出力」という定数を、一点突破の「物理的収束と時間差連射」で解決した……? 天才か、このひねくれ者は……!)

アバンが伊達メガネの奥で瞳を大きく見開き、ブラスも「やれやれ、怪物じゃのう……」と老いた顎を落とす。

だが、八幡の脳内にある元ネタはシンプルだった。

(いや、これ、のちの炎の魔軍司令とかいうやつの『フィンガーフレアボムズ』の劣化リスペクトに過ぎないだろ。あっちが同時なら、こっちは時間差のセコい連発。しかもMP消費はバカみたいに軽い)

これが、原作全巻履修済みの記憶という名の不条理チートか、と。

八幡は内心でやれやれと首を振る一方で、17歳の少し高鳴る心臓の鼓動を、どうでもいい顔の裏でひそかに持て余していた。

 

 

ダイが放つ一刀が、巨岩をキレイに両断する。

(……やっぱり天才か。まだドラゴンの血がそんなに覚醒してない段階で、あの岩をロジカルに断ち切るかよ)

八幡が内心で舌を巻いていると、先生(アバン)がすっと笑みを向けて声をかけてくる。

「八幡も、やってみますか?」

「いや、まあ。……やってみるだけなら」

銅の剣を重そうに握りしめ、目標の岩へ踏み込んで叩きつける。

カーン! とひどく軽い金属音と手応えが跳ね返り、刃は岩の表面すら削れない。

「まあ、そうだよな……。そんな漫画みたいにいくわけねえか」

「違いますよ、八幡。力ではありません、脱力です。ほんの一点のみにエネルギーを収束させる。先ほどの見事なヒャドと同じです。――さあ、やってみなさい」

言われて、八幡は視線を岩のテクスチャに移す。

(……あそこの地層の境目、妙に亀裂のベクトルが脆そうだな)

すっと目を瞑る。

雑音を切り捨て、先ほどヒャドの針先を絞り込んだときと同じ感覚――極限のゼロ・インピーダンスを神経の末端にトレースする。

――目を開く。

同時、一閃の居合い。

キィン、と乾いた空気の裂片が舞い、岩の表面に――わずかだが、確かに直線的な切れ目が走った。

「おお……?」

アバンが伊達メガネの奥の目をわずかに見開く。

「こちらの才能も、皆無ではないようですねえ、八幡」

「お前、魔法だけじゃなくて剣も使えんのかよ……!?」ポップが素っ頓狂な声を上げる。

「いや、まあダイとちょっと木刀で殴り合ってたからな……実戦というよりただのサバイバルだろ、これ」

「ふむ……。教え甲斐がありますねえ」

先生の不敵な笑みに背筋を冷やしつつ、ダイが「すげえじゃん、八幡! オレも負けてられねえ! 先生、早く海破斬(かいはざん)も教えてくれよ!」と食い下がる。

照り付ける日差しの下、ひねくれ者の外堀が少しずつ、しかし確実に埋め尽くされていく修行の日は、まだしばらく終わらない。

 

訓練の合間の給水時間。日陰に腰を下ろして冷たい水を飲んでいた八幡は、不意に脳内で原作の不穏なタイムラインをスプールした。

(……そういえば、原作だとこのあとハドラーが攻めてくるんだよな。いや、俺ごときのメタ知識を教えたところで、何が変わるって話でもないが……知ってりゃ事故率を下げるくらいの手間くらいはかけられるか。今のうちに最悪のケース(ワーストシナリオ)でも考えておこうか)

水筒の蓋を閉め、すっと立ち上がると、少し離れた場所で杖の手入れをしているアバンのもとへ歩み寄る。他の二人に聞こえないよう、声のトーンをわずかに落とした。

「……先生。ちょっといいか」

「ん、どうしました、八幡」

「――そういえば、昔やった魔王ハドラーとの戦いって、どうだったんですか?」

伊達メガネの奥の目が、わずかに鋭く瞬く。

おっとりした微笑みのまま、アバンは遠い過去を思い出すように空を見上げた。

「……あれは、強かったですねえ。今もう一度あの出力でやれと言われたら、正直勝てる気がしませんよ」

「でも先生はあれから、引退してからも色々知識は蓄えて備えたんでしょう? それでどうにかなりませんか、奇襲対策とか、リソースの再配分とかさ」

八幡の現実的すぎる問いに、アバンは苦笑を浮かべる。

「まあ、かつての仲間(マトリフたちのような)が揃っていれば、あるいは違ったアプローチもあったかもしれませんが……。確かに知識は蓄えましたが、机上の理論が全部そのまま実戦で噛み合うかというと、そうでもないですね。恐怖や地形、予期せぬ変数はデータ通りにはいきませんから」

(――ですよねー。特級のトラウマ案件を、数年後の社内研修みたいにハックできるわけねえか)

うなずきつつ、八幡の頭の中では、すでに出現しうるワーストケースの網目がザルから鉄板へとアップデートされていた。さて、どう立ち回るか。ひねくれた脳が、低空飛行のまま最善のサバイバルを計算し続ける。

 

(……たしか、原作だとドラゴラムの修行で全MPをゴリゴリに持っていかれた直後にハドラーが襲来するんだよな。最悪のタイミングすぎるだろ、社内コンプライアンスもクソもない鬼畜仕様か)

頭の中で最悪のフラグ表をスクロールしながら、八幡は思考を切り捨てる。

――なら、やることはシンプルだ。ドラゴラムの消耗を回避するか、あるいはダイが自力でその理不尽な突破口を開くか。前もってリソース管理の穴をつぶすか、罠と奇襲の裏工作で初手アドを取るか。

「なあ、ダイ」

「ん? どうしたの、八幡」

銅の剣を片手に息を弾ませるダイの隣に並び、八幡は海を見据えながら問うた。

「この前、一瞬で海を割ったアレ……あれ、どうやったんだ?」

「うーん……? なんか、肩の力を抜いて、思いっきり頭目掛けて刀を振ったら、いつのまにか後ろの海がパッカーンって割れてたんだよね!」

……言語化が絶望的なまでにバカ(褒め言葉)だ。

やっぱ勇者様は解像度が違う。いや、どんなに反射神経がイカれてようが、物理的に海の水圧と質量が割れるわけねえだろ。常識がバグっている。

(――でも、待てよ)

この世界、ファンタジーだから物理法則がゆるい、で済ませていいのか? いや、違う。

「レベル」という数値化された暴力的な上限値(スケールメリット)がある世界だ。勇者でなかろうとも、こちらの世界の人間(および生物)とはベーススペックの天井が違う。

人間は生身で100メートル8秒台とか出さない。けれど、ここは空も飛べるし、モンスターや、犬(デルムリン島の連中も大概だ)だって常軌を逸した機動力を発揮する。不思議でも何でもない、これがこの世界の「標準値(デフォルト)」だ。

(……なら、俺も「人間の限界はここまで」なんてセコい社畜的定規を捨てるべきか)

ヒャドは撃てる。岩の表面に一文字の刻みも入れられた。

前の世界(あっち)の物差しで見たら、今やこいつは十分すぎるほどのバケモノ、一応の「達人枠」に足をつっこんでいる。

やれやれ。不本意だけど、この夢オチ・ファンタジーサバイバル(仮)を生き残るには、自分の「しょぼい自己評価」のアップデートが一番のコストカットになりそうだ。

「……ま、やるかね」

低く息を吐き、ダイの隣で、再びどうのつるぎを構える。

夕陽を背負った少年たちの、泥臭くて小賢しい特訓の影が、砂浜に長く伸びていた。

 

波音の響く砂浜。ダイの一刀から放たれた衝撃が、文字通り海を大きく切り裂く。

「――見事です。二人とも!」

先生(アバン)の声が飛ぶ。

「いや、ダイは凄いけど俺は別だろ。さっきの岩のカスリ傷程度と一緒にすんなよ」

「いいえ、もう一度集中してやってみなさい」

アバンは穏やかに、しかし逃がさないトーンで続ける。

「居合い切りと同じです。あれをもっと素早く――剣を握っていないくらいの脱力で。大丈夫、距離は離れていますから、すっぽ抜けても誰も当たりません。さあ、イメージして」

(……岩を切れた。このバグったレベル上限の世界なら、海が割れても不思議じゃない)

八幡の脳裏で、ひねくれた社畜の矜持がバグを書き換える。

(所詮は夢の中だろ? だったら夢の中でくらい、最高に調子に乗った最強の俺でいいだろうがよ)

――俺はできる。俺は最強だ。俺は、俺を信じる!

カッ、と目を見開き、海へ向けて居合いの軌跡を描く。

パシュッ、と鋭い音と同時に、前方のはるか水面が――わずかだが、確実に割れ、白い波飛沫が空中に跳ねた。

「見事です、八幡」

アバンが目を細める。

「気付きませんでしたか? あなたは先ほどから海破斬ができていましたよ。ただ、出力のベクトルが海面をなぞる程度だったので分からなかったのです。しっかりと集中すれば、海はこうして割れる」

ダイは言うまでもないですが――とアバンは優しく微笑む。

「八幡、やはりあなたにも才能があります」

「マジかよ……」

少し離れたところで見ていたポップが、盛大に口を開けて絶句する。

「や、やべえ、俺もやらねえとボロ雑巾みたいに置いていかれる……!」

「いや、ポップはそもそも天才だろ?」

八幡が軽く息を整えながら振り向く。

「なぜですか?」とアバン先生が小首を傾げる。

「いや、ポップはまだ15〜6歳でしょ? この年齢で上級呪文(メラゾーマの素養や片鱗)に触れる人間って、この世界に何人いるんですか?」

八幡に憧れつつあるポップは、面と向かって「天才」と言われ、顔をカッと赤くして照れ隠しに鼻をこする。

――だが、アバンが八幡の背後にスッと歩み寄り、こっそりと小声で囁いた。

「……八幡、おっしゃる通りですが、本人に『天才』と伝えて得はありませんよ。まだ実力が足りない、もっと上があると思わせなくては」

「……確かに、失言でした」

八幡はすぐに首肯し、わざとらしく声のトーンを切り替える。

「すまん、ポップ。さっきのは俺の勘違いだったわ。――とくに、知ってるか? 俺、いまヒャドの5連発(ヒャヒャヒャヒャヒャド)できるようになったぜ? この調子ならすぐヒャダルコ域に突入して、お前のポジション食っちゃうかもよ?」

「なんだとコラァッ!?」

ポップの火種(プライド)が綺麗な青い炎に変わる。

「なら、俺はマヒャドだって先にマスターしてやるよ! 絶対に負けねえぞ、八幡、ダイ!」

その日から、ポップは文句を言いながらもダイと八幡の体力錬成に完全に付き合うようになった。

『魔法使いだから身体を鍛えなくてはいいという道理はないのだ』――アバン先生がいつか言っていた教えの重みを、いま身体の痛みを伴って噛みしめながら。

遠巻きにその様子を見つめながら、アバン、ブラス、そして頭の上のゴメちゃんが、揃って深く、納得するように頷いていた。

 

砂埃と潮風のなか、ダイの刀身が真空の刃を纏い、空烈斬の理を完遂する。

ほぼ同時期、ポップの指先から、凍てつく空間を支配するような純白の冷気――マヒャドの片鱗が実体化していた。

(……やべえな、このファンタジー育成シミュレーション、進捗のインフレ曲線がバグってやがる)

八幡はといえば、空烈斬の真空形成までは手が届かず、最後の一線でイーブンに弾かれた。だが、アバン先生は穏やかに笑う。

「いえ、八幡も才能はありますよ。そのうち自ずと噛み合う時が来ます」

そして――。

一呼吸の静寂の後、アバンが構えた。

「――見せましょう、私の集大成。アバンストラッシュ(アロータイプ)」

閃光。

直線を描いた圧倒的な真空の矢が、離れた巨木の幹をまるでバターのように両断し、背後の木々すらまとめて薙ぎ倒す。圧倒的すぎる出力の暴力と美学。

「……いっくぜ!」

息を整え、ダイがどうのつるぎを構える。

全身全霊を一点の軌道に収束させ――放たれた一撃は、アバンには及ばないものの、巨大な木の幹の半分ほどを深くえぐり、幾重もの枝葉を吹き飛ばした。

「ふむ……及第点といったところですね」

アバンは満足げに頷く。

「わずか5日でここまで習得するとは。――よくぞ励みました。あなたたちにこれを授けます」

取り出されたのは、光を吸い込むような気高い造形のペンダント。

「卒業の印、アバンの印です」

ダイは当然として、八幡は思わず自分の胸元を指さした。

「……ダイはともかく、俺も?」

「ええ」

アバン先生はまっすぐな目で言い切る。

「あなたは間違いなく才能があります。特に、『泥臭く積み上げる努力の才能』がね。……むしろ、なんで今まで自分のこういう資質に自分で気づけなかったのか、不思議なくらいですよ」

受け取ったペンダントの重みを手のひらに感じながら、八幡の脳裏に、かつての蛍光灯のちらつくオフィスの天井がフラッシュバックする。

(……まあ、俺は大学出てそのまま社畜だったしな。努力はしてたつもりだけど、それを「積み重ね」たかって言われると、大半は上司や先輩のスケジュール調整のお手伝いと、やらかした尻拭いのリカバーだ)

成果の可視化なんてない。ただ消耗していくだけのルーティン。

ここみたいに、汗をかけば明確に剣が岩を割り、冷気が一点を撃ち抜き、自分のリソースが拡張していくような実感が初期値からあったら、人生の難易度も少しは違っただろうか。

――いや。

(でも、今なら……資格の勉強でも、泥臭いリスキリングでも、転職のポートフォリオ作りでも、なんかこう、いくらでも手はある気になってくるな)

腐りかけていた17(と中身30手前)の脳髄に、血が巡るような感覚。

アバン先生という規格外の壁に殴られ、ダイやポップという直球の熱量に当てられ、不条理な夢の中で汗を流すうち、八幡のすり減っていた精神には、いつしか確かな活力が漲っていた。

「……ありがたく受け取っときますよ、先生」

首から下げたアバンの印が、朝日のなかで静かに光を反射した。

 

「先生。前にも聞きましたが……もし、今ハドラーが来たらどうなります? やっぱり勝負になりませんか?」

アバンの印の重みを胸に感じながら、八幡はふと、現実的すぎる不安(あるいはリスクヘッジ)を口にした。

アバンは腕を組み、わずかに視線を宙に泳がせてから、柔らかな笑みで首を横に振る。

「あの時は『一人では無理ですね』と言いましたが……私も、あなたたちを預かってから一人で考え直してみましたよ」

アバンは一人ひとりを見据え、指折り数えるように言った。

「ダイはもはや勇者の卵。ポップも、わずか5日でメラゾーマとマヒャドを習得している。――いずれ私の友(マトリフ)に本格的に鍛えてもらう予定ですがね。いまのポップなら、ここからさらに幾重にも伸びますよ」

そして、アバンは八幡の目をまっすぐ捉えた。

「そして八幡。あなたはジョーカーだ。剣も魔法も、一つひとつの出力や純度で言えば『そこまでではない』。だが、どちらも器用にこなす。そして何より、発想が規格外だ。ヒャドをあんなふうに時間差で連発して一点を穿とうなど、私ですら考えもしませんでした」

アバンは楽しそうに目を細める。

「将来は魔法使い、戦士……そんな既存の枠組みを無視して、それらの道を同時にマルチロールで行くのもありですね。あなたは頭がキレる。……いや、視界が広いというか、構造全体を俯瞰している。あなたには、この世界がどのように見えているのですか?」

(……いや、まあ、こちとら原作という名の「先読みチート」をカンニングしてる夢の住人なんだが、流し読みした全巻の記憶があるなんて言っても頭のおかしい電波野郎扱いにしかならんしな)

八幡はちょっとだけ眉間を寄せ、どこか面倒臭そうに、だがロジカルに答えた。

「うーん……。戦う時の予測は当然として、先の先の、そのまた先のワーストケースとフェーズ移行を常に考えて、全体のリソース管理とボトルネックを逆算して見ようとしてるだけですけど」

ポカンと口を開けるアバン先生、ポップ、ダイ。

数秒の静寂ののち、アバンがふきだすように笑った。

「ははは……! あなたはクール、というか、どこか底が知れないクレバーですね。私の古い友(マト……いや、かつての破天荒な知恵者たち)に、少し似ているところがあります」

その空気を切り裂くように――。

ドォン! と、足元の土壌から、島の空気が根底から揺らぐような重低音が響いた。

「なっ……!?」

「島が……震えてる……!?」

バキバキバキッ! と、空間そのものが硝子細工のようにひび割れ、デルムリン島を覆っていたはずの守護の結界が、内側へと粉々に砕け散る。

空間の裂け目から、不気味な赤黒い闘気と、絶対的な絶望の気配を纏った魔王が降り立った。

ハドラーが、結界を破り、島に入ってきた。

(……早えよ! 育成シミュレーションのチュートリアル終了直後にラスボス突撃してくるとか、どんな理不尽なハードコアモードだよ……!)

八幡の脳内で、先ほどまで安心していたフラグ管理が一瞬でレッドゾーンへと弾き飛ぶ。

だが、胸元のアバンの印が、ひやりとした冷たさとともに17歳の心臓を鼓舞していた。手遅れになる前に、動くしかねぇ。

 

「――先生。あれはハドラーだ。説明してる時間がない、信じてくれ。今からリソース割いて最善の作戦を構築してくれ!」

息を詰める八幡の切迫した声。

アバンの瞳が、一瞬だけ「まさか、なぜこいつがその名を」と鋭く見開かれる。だが、目の前の少年が纏う焦燥と、圧倒的な信頼値の裏付けを見抜き、アバンは迷いを断ち切った。

「……分かりました、八幡を信じます! 皆さん、急ぎなさい! 島のみんなを安全な地下・隠しエリアへ誘導しますよ!」

アバンの指示で、ダイたちが島民や魔物たちを安全な場所へ避難させる動線を確保していく。その背中を、金色とピンクの光を放つゴメちゃんがピポパポと鳴りながらついていく。

(……いや待て、最悪の初動は回避したとして、ここからのフェーズ移行は? ハドラーの索敵範囲は……。迎撃ラインはブラスの小屋の裏手、地形の高低差を活かしてポップの遠距離火力を――)

移動中も、八幡の脳内では高速のシミュレーション(最悪の死に方チェッカー)がフル回転している。

その異様な集中の気配を察知したのか、隣を走るポップが、青白い顔をしながらも八幡の目を見据えた。

「おい、八幡……お前のその、頭ン中で何手も先を転がしてるみたいな思考……どうやったらできんだよ」

「無駄なパニックをリソースの過剰消費って切り捨てて、次に起こる最悪のワンパターンをあらかじめ数え上げておくだけだ。……大丈夫だ、ポップ。クールになれ。お前は魔法使いだろ」

その言葉に、ポップはグッと両手を握りしめ、震える足で地を踏みしめた。

「……おおよ! クールに、ぶちかましてやらぁ……!」

一方のダイは、心臓の鼓動が早鐘のように鳴っているのを自覚しつつも、口元がニカリと歪んでいた。

(こいつが……! オレも、勇者の卵なんだ。逃げるだけじゃなくて、守るために、戦う……!)

少年の胸の内に、疑いようのない勇者の覚悟が火花を散らしている。

避難誘導の分かれ際。

八幡は足を止め、老いた魔物の方をちらりと振り返った。

「……最後かもしれねえや。メシ、美味かったよ、ブラスじいちゃん」

「なにをバカな口をきくかっ……!」

ブラスの目から大粒の涙が零れ落ちる。

「まだ、ワシはお前に教えとらん魔法が山ほどあるんじゃぞ! ……生きて帰ってこい、八幡くん!」

「……ああ」

振り返らずに手を軽く上げ、八幡は戦場へと踏み出す。

――そして。

冷徹な悪意と、圧倒的な熱量の中心。

圧倒的な存在感を放つ魔王が、視界の澱を裂くように姿を現した。

遂に、ハドラーと遭遇する。

 

赤黒い闘気の中心から、ハドラーの冷徹な笑みが響く。

「ほう。アバンとその弟子たちか。……似合わん眼鏡をしているな。外せ。私のライバルの顔を見せてみろ」

「……ああ、ハドラー」

アバンは静かに伊達メガネを外し、胸元へとしまう。その瞬間、おっとりした家庭教師の仮面の下から、かつて世界を救った不屈の闘気が立ち昇った。

ポップの脳内で、銅像の記憶と目の前の男の顔がガチャンと音を立ててパズルピースのように嵌まる。

(ああっ……!? ハドラーのライバルって言えば勇者しかいねえ! まさか、あの優しくて胡散臭いアバン先生が……!)

「――久しぶりだな、勇者アバンよ」

ハドラーが冷ややかに言い放つ。

「お前は、私を完全に倒したと思っていたがな……!」

アバンが静かに応じる。

そのやり取りを聞いたダイは、目を見開き、そして全身の血液が沸き立つような興奮を覚えた。

(先生が、本物の勇者……! なら、オレは、あの勇者の弟子だったのか……! なら、迷うかよ。オレは、勇者だ!)

少年のなかに、純粋無垢な炎がドス黒い魔王のプレッシャーを跳ね返すように燃え広がる。

隣では、ポップが恐怖でガタガタと膝を震わせていた。足の裏が地面に貼りついたように動かない。

「……だいじょうぶだ。……なんとかなる。な?」

ひきつった笑みを貼り付けながら、八幡がボソッと呟いた。だが、その声の端も、肩のラインも、細かく痙攣するように震えている。

(――八幡も……めちゃくちゃ怖いのに、オレを落ち着かせるために無理してやがる……!)

血の繋がった兄などいたことのないポップの胸の奥で、熱いものがこみ上げる。

(これが……「アニキ」ってやつなのかな……)

ハッとして、ポップは唇を噛み締めた。

(――クールになれ。ここで慌てて何ができる。……深く、息を吸え。八幡が言ってたろ。クールになれって……!)

震える肺に冷たい空気を一気に詰め込む。怖くないわけがない。逃げ出したい。でも――。

(俺は、ダイや八幡に負けねえ……! 俺は、こいつらの……兄弟子だ!)

ガチガチと音を立てていた奥歯をかみ殺し、ポップの目に、意地と誇りの色灯(ひ)が灯る。覚悟は、決まった。

静まり返った荒野に、絶望の魔王と、不揃いな3人の弟子たちが対峙する。

 

大地を抉る衝撃波と閃光の交錯。

アバンとハドラーの激突は、もはや「戦闘」という概念を遠く置き去りにした高次元の暴力の応酬だった。発せられる闘気の余波だけで、17歳の肉体ですら立っているのがやっとだ。ダイもポップも、圧倒的な格の違いに足がすくみ、動けない。

だが、八幡の頭脳は凍りついたままフル回転していた。

ザッ、と音もなく動いた八幡の手から、二つの緑色の葉束がダイとポップの胸元に突き出される。薬草だ。

「――持て。先生か自分、あるいは隣が致命傷もらったら迷わず使え」

八幡の視線は一直線に戦場を捉えている。

「大人の力勝負で勝てる相手じゃねえ。俺たちに出来るのは、主戦の隙間を縫って『ノイズ』を入れることだけだ。……ビビるな。穴だらけだ、よく見ろ。俺たちは負けない。アバン先生をフォローするぞ!」

その言葉が、ポップの脳内の霧をスッと晴らした。

(――これか。これが「クールになる」ってことの正体か。感情を捨てんじゃねえ、ノイズを消して解像度を上げるってこと……!)

ダイの瞳の奥にも、恐怖を塗り替えるクリアな闘志が宿る。

ふたりは同時に呼吸を合わせた。

「――海破斬!」

ダイが放ったのは、ハドラーの死角を突く見極められた軌道。アバンの動きを邪魔せず、かつハドラーの重心を削ぐ一点のみを正確にえぐる。

ハドラーが険しい顔で即座に反撃の爪を振るおうとした瞬間――

「――させませんよ」

アバンの剣閃がその軌道を完璧に封じ込める。

そして、そのコンマ数秒の硬直の隙間。

「『ファイブアイス』!」

八幡が跳び、ハドラーの強靭な肩口の皮フへ向けて、指先から超高密度・時間差の冷気の弾丸を叩き込む。

ヒャヒャヒャヒャヒャド!

パパパパッ! と連続した着弾音。魔王の硬い皮膚の層を抉り、わずかに紅い血がピタリと滲む。

「……なに? このガキ……! なんという小僧だ……!」

ハドラーが瞠目する。

その隙を見逃さない。

八幡から託された薬草の束を、ポップは半分に割ってアバンの近くへ走り、鮮やかな手際で負傷した師の肩口へあてがう。同時に、もう一枚の葉を、かすり傷を負っていた自分の脇腹へ押し当てる。

――完璧なリソース循環と後方支援。

師と弟子が、理不尽な暴虐の嵐のなかで、一つの戦闘機械のように噛み合っていた。

 

(……チーム戦として成立しているな。このハドラー、個人戦のつもりで来たら想定外のロール分担とリソース削りに面食らってやがる)

ハドラーの目が険しく濁る。

「……こいつら、チームとして機能しているだと? アバン一人を相手にすればいいと思えば、こんな曲者が3人も……!」

――だが。アバンの身体が、異様な熱と光量を孕んで膨れ上がる。

ドラゴラム。竜の巨影を纏う禁忌の変身。全MPをごっそり持っていかれる代償の重みは、八幡のメタ知識でも分かっている。

「……私の影に隠れていなさい。良い連携でしたよ。あなたたちは自慢の弟子です」

アバンが背中で語る。

「あのハドラーは、かつてのハドラーではない。ずいぶんとパワーアップしているようだ。……この世界を、頼みますね」

別れの言葉(フラグ)の匂いがプンプン漂う。

――だが、八幡は一歩も引かない。

「逃げるかよ。……いや、魔法力の尽きかけてる(あるいは自爆気味にリソース全振りする)先生ならともかく、こっちは万全(のカスリ傷)でしょ。俺達も残ってんだ。撤退の最適解は、勝敗の確率が完全に逆転した『最後の最後』で十分だ!」

八幡が踏み込む。未完成とはいえ、叩き込んだのは――「大地斬」。

重い剣閃が足元の岩盤をえぐり、幾重もの鋭利な石つぶての嵐となってハドラーの視界と足場を強制的にロックする。

「お膳立てはできたぜ、ポップ、ダイ!」

「おうっ……! 『メラゾーマ』!」

「『大地斬』ッ!」

ポップの放つ灼熱の超上級呪文と、ダイの直球かつ凶悪な一刀が、石つぶてで体勢を崩したハドラーの正面命じ、容赦ない重撃の十字砲火を浴びせた。

「グアッ……!?」

魔王の巨体が、わずかにのけぞる。

(……なんと……!? この短期間で、これほどのコンビネーションと火力を……!)

竜化の魔力を漲らせながら、アバンは息を呑んで弟子たちを見据えた。

(予想以上だ。特に八幡は……私たちが負けるなど微塵も考えていない。それどころか、危なくなったら全員でトンずらする算段まで組み込んでいる。――私をここで退場(お留守番)させる気かこのひねくれ者は……。まったくだ、良く出来た、手のかかる弟子たちだ……!)

胸の奥に、かつてないほど温かい、そして頼もしい火が灯る。

「おのれ、ガキどもッ――!」

血走った目でハドラーが立ち上がり、魔闘気を爆発させようとしたその瞬間。

「甘いですよ、ハドラー!」

すかさず、竜化したアバンが放った炎の息吹(火炎)が、ゼロ距離でハドラーの面目を直撃する。

ゴオオッ! と、強化された魔王の肉体をさらに焼却の炎が舐めつくし、ハドラーが苦悶の声を上げて再びダメージを深めた。

勝算の歯車は、まだ止まっていない。

 

ズウッ、と竜の巨影が収束し、アバンがふたたび人型へと戻る。呼吸は荒いが、その目に折れた光はない。魔力回路の残量も、まだギリギリで死活ラインを繋いでいる。

「――グッ……! まだ息があるか、人間が……!」

ハドラーの双眸が怒怒の赤に染まり、その手のひらに圧倒的な熱量が収斂する。

ベギラマの詠唱体勢。魔力のビーム・カッターが放たれれば、今の距離と防衛ラインでは致命傷(デッド・エンド)になりかねない。

「まずい……っ!」

思考の余地すら秒殺される距離。直前、アバンが身体をねじり、剣を振るう。

「アバンストラッシュ!」

光の刃がベギラマの閃光直撃を半ば強引にそらし、すさまじい爆風と衝撃波が周囲の土砂を吹き飛ばす。アバン自身もその反動と余波に衝撃を受け、膝の負荷を逃がしきれずにわずかに体勢をぐらつかせる。

「ハッ、甘い……! 次は直撃だ、メラゾーマァッ!」

追撃とばかりに、ハドラーが灼熱の極小太陽――メラゾーマを構築して放とうと両手を前に突き出す。

「させねえよ……っ、マヒャドッ!」

詠唱の隙を完全に見切っていたポップが、両手を地面すれすれに叩きつけるように純白の冷気圏を展開。

ゴアアァッ、と足元から這い上がった絶対零度のブリザードが、詠唱へ集中していたハドラーの両腕の関節から指先までを一瞬で包み込み、完全に凍結させた。

「なに……っ!? 両手が……動かん!?」

氷結の枷に動きを阻まれた魔王の隙間。

そこに、すでに踏み込みを終えていた影が滑り込む。

(リソース、全セクタ一点集中。――温度プロファイル、マイナス100度到達。ダイヤモンド状結晶・極小貫通特化。呼称『アイスソード』)

「……ファイブアイス、ブレイクパス!」

ヒャヒャヒャヒャヒャド!

コンマ数秒のズラし。放たれた5つの冷気弾は、空中で完全結晶化し、透明なダイヤモンドの針先(マイナス100℃の超低温物理刃)へと変貌していた。

パパパパッ! と、ハドラーの両肩の装甲、両足の腱、そして無防備な頬の皮膚を、氷の切っ先が軽やかに、しかし深々と切り裂いていく。

シュッ、と血筋が細く舞い、ハドラーの巨体が文字通り「刺し貫かれた氷の軌跡」に切り刻まれる。

「ぐ、おっ……!? このガキ……魔法の弾丸で……斬撃だと……!?」

膝をつきかけたハドラーが血走った目を見開く。

「いつのまに、あんな変態的な技……っ!」と、ダイが目を見張って叫ぶ。

八幡は小さく息を吐き、冷え切った指先を軽く振って、ふっと笑う。

「水と氷は使いようだ。『水魚の交わり』だの『柔軟制勝』だの……まあ、形をどう捻じ曲げるかだけのコスパ勝負だろ。似たような理屈の言い回しは、俺の国にもいくらでもある」

乱れた息を整えながら、ダイがキョトンとした顔で、しかし真っ直ぐに八幡を見た。

「へぇ……。八幡の故郷、なんかすげえ知恵があんだな。……オレ、いつか行ってみたいな、八幡の国!」

戦闘の緊張感がピークを過ぎぬまま、八幡は苦笑交じりにダイの頭上をかすめるように視線を返し、短く返す。

「……行けるさ。こんなクソみてえな不条理ハードモード、ここを生きて切り抜けられたらな」

背後で、アバンが静かに構え直し、ポップが両手の冷気を維持しながら歯をむく。

「甘く見てもらっちゃ困りますね、ハドラー!」

「行くぜ、みんな……! ここが踏ん張りどころだ!」

勝敗の歯車は、まだこちら側に噛み合っている。

 

バリバリィッ! と、ハドラーの腕を縛りつけていた氷の枷に亀裂が走る。沸騰する魔闘気が一瞬で絶対零度を蒸発させ、その両掌に規格外のフルパワー・メラゾーマの超高熱球が膨れ上がる。

(――ヤバい。全方位放射か、あるいは一極集中の直撃か……! この距離、全員でアストロンに入ってやり過ごすか、それとも……!)

アバンが視線を走らせ、二人を鉄壁の防御(アストロン)で固める判断を下すコンマ数秒前。

「……先生、俺にはかけないでくれ」

スッと半歩前へ出た八幡が、先回りのように言った。

アバンが伊達メガネなき瞳を大きく見開く。

「……っ! あなたは、私の思考が読めるのですか、八幡?」

「いや、なんつうか……顔に書いてある。あと、こういう窮地でのリソース配分の定石でしょ。……先生の弟子ですからね」

(本当は原作でアバンがダイとポップをアストロンで守ったのをメタ知覚してるだけだが、まあそんなメタ発言よりそれっぽい理由にしとけ)

アバンは息をのんだのち、どこか諦めたような、そして深く納得したような笑みを浮かべた。

「あなたは本当に不思議だ、八幡。……わかりました」

アバンは静かに首を横に振る。

「あなたは逃げなさい。そして――この二人のバカで真っ直ぐな弟子を、頼みますよ」

「……あいつら、面倒臭せえからな。任せとけ」

八幡は軽く片手を上げて頷いた。

「なんでだよ八幡!? オレたちも戦える――!」

ダイが声を荒らげるが、ポップは違う。歯を食いしばりながら、脳内でハッと気付く。

(……いや違う。八幡は逃げねえ。逃げるフリして、あるいは『全員で詰む未来』を回避するための最後の別ルート(バックドア)を探す気だ……! クレバーな俺たちのアニキ分だからな……!)

無言で、ポップが残していた最後の薬草の束をアバンの手に握らせる。ダイもまた、言われるがまま自分の分を先生へ押しつけた。

「――私に任せてください」

アバンが振り返り、優しくも冷徹な覚悟を湛えた笑顔を向けた。

次の瞬間。

「アストロン!」

金色の鉄塊の光が、ダイとポップの身体をすっぽりと包み込む。動きを完全に封じられた二人の瞳が見つめる先で、アバンが一人、全魔力を纏い直す。

「……メラゾーマァァッ!」

「――ハアアアアッ! アバンストラッシュ(全出力・クロスまたはフルブースト)!!」

閃光と爆炎が世界を焼き尽くす。

直撃の余波。ハドラーの巨体が文字通り抉れ、大ダメージを叩き出される。だが、老いた、そして魔力を激しく消耗したアバンの肉体にも、致命的なまでの深手(瀕死)が刻まれていた。

視界が歪む。

ハドラーが苦悶のなかで踏みとどまり、牙をむく。――ここで逃がせば、デルムリン島は終わる。

(……私の命と引き換えにしても、ここで、この魔王の首を断つ……!)

アバンの全身から、光を超えるような不可逆の呪力が逆流し始める。

――メガンテ。

「なに……っ!? バカな、その魔法は――逃げられんッ……!」

ハドラーの顔色が変わる。退路はない。爆心地の中心。

まばゆい白光が、世界の輪郭を飲み込んだ。

――消えた。

光の収束のあと、そこにはアバンの姿はなく、ただ、全身全霊の自爆呪撃をゼロ距離で叩き込まれたハドラーが、原形をとどめぬほどの、黒焦げの瀕死の重傷を負ってグラリと地面に崩れ落ちていた。

静寂。耳鳴りの残る荒野。

鉄塊となったダイとポップの瞳から、熱いものが伝い――そして、すべてが静かに、最悪の歴史の重みをもって、次のフェーズへと落下していく。

 

黒焦げの肉体に残る執念だけで、ハドラーの双眸が再び紅熱する。

(――まだだ……! ここでこの島を、アバンの痕跡ごと焼き尽くす……!)

残余の魔力をねじり絞り、再びメラゾーマの球体が虚空に歪む。

アストロンの黄金の枷のなかで、ダイの瞳が怒りと哀しみを越えた熱量に染まる。

(先生が……消えた……? いや、させない……! オレのせいで、みんなが――!)

カッ、とダイの額に竜の紋章の片鱗が灯り、圧倒的な精神の圧力で黄金の呪縛そのものを内側からぶち破る。砕けた鉄塊の破片が飛散する中、立ち上がったダイのどうのつるぎが空気を切り裂く。

解き放たれたのは、師を越える純度と出力の――完成されたアバンストラッシュ。

光の閃光が、放たれかけたハドラーのメラゾーマを、そして魔王の巨体そのものを直撃し、さらなる致命の淵へと叩き落とす。

だが、その激震の裏側で――。

荒れる海面。メガンテの余波と衝撃で海原に投げ出されたのは、光へと還ったはずのアバンの身体だった。命の灯火が消えかけ、水面に沈みゆくその胸元を、一足先に海へ飛び込んでいた八幡の腕がガシリと捉える。

(……リソース管理もクソもねえ。ここで死なれたら原作のエンディング・クレジット前にこっちのモチベーションが完全に死ぬんだよ)

水圧を蹴り上げ、泳ぎにくいどうのつるぎを背負い直した八幡は、瀕死のアバンを引っ張り上げて砂浜へと這い上がる。

ガハッ、と水吐き、わずかに目を開いたアバンが、信じられないものを見る目で八幡を見る。

「……は、八幡……? なぜ、私がここに落ちることを……すぐに見つけることができたんですか……?」

荒い息を整えながら、八幡は濡れた前髪をかき上げ、冷徹な現実を呑み込むような目でアバンを見据えた。

「……夢の中の出来事だ。流石にアバン先生も、死生観やらフラグの回収率やらで混乱するよな」

深く、肺の底まで空気を吸い込む。隠し通すメリットよりも、ここで情報(デバッグコード)を共有して生存確率を最大化する方がコスパがいい。

「……先生。言うの迷ったけど、もういいか」

八幡は真っ直ぐにアバンを見た。

「俺は、この世界の未来(シナリオ)を知っている。……あんたがどう動いて、どう退場して、この後世界がどう転ぶかも、全部な」

アバンの瞳が大きく見開かれる。

荒唐無稽な言葉。だが、数々の奇跡のようなリソース運用、予期せぬ位置取り、そして今この瞬間の奇跡的な救出劇を照らし合わせれば、それを「ただの妄言」として切り捨てる方が知性の浪費だった。

アバンは苦笑交じりに、しかし深く納得したように目を細める。

「……それを、否定しても意味はありませんね。あなたの背負うもの、その冷徹なまでの先見の明の意味が、少しだけ腑に落ちました」

崩れかけた息の下で、アバンは静かにうなずいた。

「……ええ、聞かせてもらいましょうか。八幡、あなたの知る『未来』の全容を」

海鳴りの音が遠のく砂浜で、ジョーカーと伝説の勇者が、世界を書き換えるための密談を始めた。

 

静まり返った砂浜の陰、アバンは八幡の語る「数々の修羅場と結末」の断片を、静かに、しかし深く咀嚼するように聞いていた。

「――なるほど。私は死んだことになって、ダイとポップは旅に出る、と。……確かに、私が生き残っていると知れれば、彼らの自立や極限の突破の妨げになりますね。あなたたちが、すでに私の教えの根幹から卒業しているのだとしても」

「いや、もっと教えてもらいたいことが山ほどありますよ。……それに、先生は最後まで(隠し玉の引導役として)活躍するんですから」

「ですが、私は『死んだことになっている』のでしょう?」とアバンは柔らかな笑みで首を横に振る。

「確か、地下(パプニカやロモス、あそこの地底や修行の場)に行って破邪呪文やら修行を積みますよ、確か。……いや、言われなくても先生は独自に動くか」

八幡は言葉を切り、アバンはふと真面目な瞳を向ける。

「では、未来が見えていれば結末は容易になりますか?」

「いや……最後は奇跡の連続とリソースのオーバーヒートギリギリで、よく勝てたな、と。まあ、知っていれば事故死や初見殺しは回避できますけど、それでも楽勝じゃないでしょうね」

「そうですか」とアバンは深く頷き、静かに視線を合わせた。

「――八幡。ポップとダイの旅に、同行してもらえませんか?」

「ま、他にこの夢オチ(仮)でやることもないし、仲間だし。俺もアバンの使徒の証(印)もらってますからね」と八幡はさらりと快諾する。

「……流石に、未来を知っている規格外の弟子は想定外でしたが。……私の弟子たちと、未来を頼みますよ」

「任せてください。サクラの補佐とかイベント裏方とか、サポート役には慣れてるんで」

荒野の爆心地へ戻った八幡は、冷や汗を拭う芝居をしながら、アバンストラッシュの余韻に肩を震わせるダイとポップの元へ合流する。

「……おい、アバン先生はどうした?」

息を整えるフリをして八幡が問うと、ポップは赤い目をこすりながら力なくかぶりを振った。

「……メガンテで……消えちまったよ」

「……そうか」

(――実際は、ちょっと離れた砂浜で療養&裏の布石の準備中、っと。ごめんないうか、生きてることは秘密だ)

確かに、ここでアバン生存の情報をバラせば、ダイたちの背中から「絶対的な保護者」という安全ネットが消えず、覚醒のカーブが鈍る。冷徹なコスパ計算の着地として、今は死んだことにしておくのが正解だ。

「先生の仇は……オレたちが取る! ダイも旅に出る。ポップも、当然オレもだ!」

涙を拭い、ダイがぎゅっとどうのつるぎを握り締める。

「八幡は……どうするんだ?」

問われ、八幡はふっと息をついて肩をすくめた。

「俺か? 俺は……ちょっとブラスじいちゃんに最後のケジメ(挨拶)してくるよ。一宿一飯どころか、魔物のクソみたいな実用知識まで叩き込まれた恩じゃねえからな。先生への献花代わりにも、お前らの荷物持ち兼バッファーとしてついてくよ」

「へ?」

「お前ら二人だけで前線張ってたら、ピンチの時に薬草割る余裕すらないだろ。全滅のコストが一番高くつくんだよ」

くっくと笑う八幡に、ポップは胸が熱くなるのを感じながら、どこか照れくさそうに笑った。

「……心強いよ、アニキ」

「……アニキって呼ぶな、むず痒いな」

八幡は珍しく耳まで赤くして顔を逸らし、「……八幡でいいよ」と吐き捨てる。

「わかったよ、八幡」

――口ではそう返したものの、ポップの胸のインナーロジックでは、すでに(いや、こいつの背中は完全にアニキ分だろ……!)と完全に格付けが完了していた。

行く手には広大な危険地帯。

少年の決意と、ひねくれ者の生存戦略が交差する足取りで、3人はブラスじいちゃんの待つ避難先・拠点へと向かった。

 

簡素な食卓に並ぶ最後の食事。ほぐした肉の塩気とスープの温かさが、緊迫で強張っていた胃の腑に染み入る。

「……やっぱ、このメシ美味いな」

「そうか……。アバン先生は、やはり本物の勇者じゃったか。そして……メガンテであのような……」

ブラスが老いた目尻を押さえ、大粒の涙をこぼす。そのまま八幡の手を、ついで隣のポップの手を強く握り締めた。

「八幡くん、ポップくん……ダイを、どうかよろしく頼む。この子は、ワシにとって大事な……ただの孫では、ないんじゃ……」

「ブラスじいちゃん。わかってるよ」

八幡は小さく息を吐き、どこか斜に構えた笑みのまま、老魔物のひからびた手を軽く叩き返す。

「俺たちは『アバンの使徒』だ。全滅コンティニューなしのハードモード(リアル)だとしても、そう簡単にはやられないからさ。……安心してくれ」

その背中を押すように、八幡の脳裏にひとつのリソース最適化案が電撃的にフラッシュバックする。

「……そうだ。忘れてた。ロモス王から(原作イベントで)もらってたあの兜、今この瞬間に装備しとくべきだろ。最強の防御バフ(物理・魔法軽減)引けるなら引いとけよ」

(もっとも、原作後半でダイの剣(ロトの剣/真魔剛竜剣の代わりやロト血統補正含むオリハルコン精製)の素材に溶かされる未来が待ってるんだが……そこはあえて今語るまい。未来のクラフト材料の先取りだ)

「確かにな……! あのときの宝物庫のガラクタ(?)か」

ブラスが奥の箱をガサゴソと漁り、重厚な金属光沢を放つ代物を引っ張り出してくる。

オリハルコン製・覇者の冠。

ダイが受け取って頭に載せてみるが、ぶかぶかと視界を塞ぐ。

「いや、やっぱりサイズが違うや……。ポップだと首が折れそうに重そうだし」

「……で、八幡は?」

促されるまま、八幡はひねくれた表情のままそれを頭上に収めた。

――スッ……と、重心のバランスが奇妙なほど自然にフィットする。17歳の頭蓋の骨格に、まるでオーダーメイドのヘルメットのようにおさまった。

「おっ、ぴったりだな!」とダイが目を丸くする。

「なら、とりあえず八幡が着けててよ。俺がもっと大人になって体デカくなったら返してもらうからさ!」

(((……覇者の冠はまあ、ダイの剣の素材(超金属リサイクル)に回されるその日まで、高性能防御ギアとして全力で使わせてもらうか。どうせ最後はロトの剣系精製イベントで溶ける運命だし、減るもんじゃねえ。ノーリスク・ハイリターンの現物支給(キャリートゥーゴー)だ)))

冷徹な合理主義と、少しばかりの妙な連帯感が脳内で合致する。

「じゃあ、ありがたく使わせてもらうわ。重量バランスも悪くねえしな」

カチャリ、と重厚な音を立てて、八幡は覇者の冠を装備した。

その頭上で、オリハルコンの光沢が、薄闇のなかで静かに鈍い銀の覇気を放ち始める。

デルムリン島の朝日はまだ遠い。だが、不揃いな3人と、一つのチート級ヘッドギアを備えたジョーカーは、足並みを揃えて外の世界へ踏み出す準備を完了させていた。

 

波打ち際。小型の小舟に、必要最小限の物資と持てる限りの薬草が積み込まれていく。

「――ほれ、八幡くん。これを持っときなさい」

ブラスが、古びた表紙の分厚い一冊を八幡に差し出した。魔法の書だ。

「長旅で暇じゃろ? 読んでおくといい。お前はもうヒャドが使えるんじゃ。他の属性も、理屈を理解して器が広がれば使えるようになるじゃろうよ」

ずしりと重い書物の手触りを受け取りながら、八幡はふっと口元を緩めた。

「……ありがとう、ブラスじいちゃん。俺の魔法の師匠は――アバン先生、ポップ、そしてブラスじいちゃんだ。十分すぎる面子だ」

ブラスが言葉を詰まらせ、ぐっと目頭を押さえる。

「……二人とも。ダイを、頼んだぞ」

そして孫を見据え、かすれる声で告げる。

「ダイよ。……いつでも戻ってこい。ワシらは島を出れんからの。お前の帰る場所はいつだってここじゃ」

ダイは、その言葉をまっすぐに受け止めて力強く頷いた。

「わかった。……どうしてもどうしようもなくなった時、必ずここに戻ってくるよ。……行ってきます!」

その瞳は、もうただのデルムリン島の少年のそれではない。

運命の荒波を直視し、背負うべき重さを覚悟した――真の勇者の目をしていた。

頭上の覇者の冠が、朝の海風を受けて鈍く、しかし強い光を放つ。

「よし……! 行くか!」

ポップが息を吸い込み、気負いをねじ伏せるように声を張る。

――波涛を裂くように、3人の若き使徒が、鬨の声をあげる。

「「「おおうっ!!」」」

小舟は白波を蹴立て、広大な外の世界へと、確実に出港の舵を切った。

 

 

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