ダイの大冒険 やはり俺がアバンの使徒なのは間違っている。 作:tomozow
気がつくと、賑やかだったはずの宴の気配や焚き火の温もりはどこにもなく、視界のすべてが深い、どこまでも無機質な空間に包まれていた。
「……っ。まじかよ、いつのまにか飲み過ぎて寝ちまってたらしいな……」
頭を軽く押さえながら起き上がった八幡の目の前に、ふわりと浮かぶようにして一人の老人が現れた。鮮やかな赤い服を纏い、どこか飄々とした笑みを浮かべたその姿に、八幡はため息交じりに呟く。
「……また、この空間か。ってことは……『神様』ってやつかよ」
老人は嬉しそうに白い髭を揺らし、フッっと目を細めた。
「おお、久しぶりじゃのう、八幡」
その気安い態度に、八幡は面倒くさそうに片眉をひそめ、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問をぶつけた。
「……一つ聞くがさ。何故俺なんだよ。俺はただの、どこにでもいる普通のサラリーマンだぞ。こんな異常な世界に放り出されて、命がけの戦いをさせられるような選ばれし勇者枠じゃねえ。何故俺が選ばれたのか、正直さっぱりわからないんだが」
八幡の率直な問いかけに、老人はふむ、と顎に手を当ててから、茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「お前は知らんだろうがな……お前ほどの適性者を見つけるほうが、こっちとしてはよっぽど大変じゃったんじゃよ」
「適性者ねぇ……」八幡はやれやれと首を横に振る。「こっちは毎日胃に穴が開きそうな思いで、泥臭く足掻いてるだけだ。言っとくが、俺はもう精神的にも肉体的にも、そろそろ限界を感じてるんだがね」
すると老人は、先ほどのフレイザード戦で見せた妙技を思い出すように、ニヤリと意地悪く笑ってみせた。
「ほぅ? 限界じゃと? だがな……さっき、あの土壇場でフレイザードをハメた『マホカンタ』の立ち回りは見事じゃったがな」
「あれはな、フラグが立ってたんだよ」
八幡は面倒くさそうに頭を掻きながら、フッと息を吐き捨てた。
「マトリフの爺さんが、酒の席でぶっていた話さ。『世の中にはな、触れたものすべてを消し去る理不尽な消滅呪文ってもんがあるんだ』ってな。今回はたまたまあの野郎が自滅寸前の暴走で使ったから形になったけどさ……もう少しあいつのレベルが上がって、呪文の精度が洗練されてたら、あんな小細工じゃ一瞬で消し炭にされておしまいだ。こっちは最初から、あの手のエグい必殺技――例えば、あのじじいが言ってた『メドローア』みたいな、全てを無にする極大消滅呪文、それに近い何かをどこかで予見してたのさ」
可能性の最悪を想定し、最善の予防線を張る。それがただの臆病者の防衛策だと言いたげに、八幡は視線をそらした。
「……ただ、その最悪の可能性を、土壇場まで一つ残らず捨てきれなかっただけだ」
その八幡の言葉を聞き、老人は深く納得したように白い髭を撫で、小さく笑った。
「ほほう……。起きていない未来の危機を緻密に逆算し、手元のしょぼい手札ですべて帳消しにする。それこそが、お前が持っている最高の『センス』ではないか」
神様の称賛の言葉などどこ吹く風と、八幡は心底うんざりした様子で顔をしかめた。
「センスなんて綺麗なもんじゃないね。あんな綱渡り、二度とごめんだ。……いいか、運と気まぐれであんな奇策がまぐれ当たりしたからって、いつまでもそんなセコいやり口が通じるかよ」
八幡は投げやりな調子で肩をすくめ、どこか遠い目をしながらぽつりと言い放った。
「俺はもう頭打ちだ。……いくらあがいたところで、元がただの一般人だもんよ、レベルの伸び代なんてたかが知れてる。まあ、肉体的にも精神的にも、一般人の俺にはここらが限界ってことだ。……次に控えてる面倒事なんて、考えたくもねえな」
自虐交じりに言い捨てる八幡の姿を、赤い服を着た老人は相好を崩しながら面白そうに見つめていた。
「そう言いながら、頭の中では次に起きる最悪の事態と対策をグルグルと考えておるのがお主じゃろ?」
老人はフッと柔らかく笑うと、見透かすような優しい目で八幡に告げた。
「口ではどれほど弱音を吐いてみせても、お主は心の底では決して諦めておらんよ。……最後のその時が訪れるまで、な」
その言葉を聞いた瞬間、八幡の表情から先ほどまでの飄々とした余裕がスッと消え去る。脳裏によぎったのは、さらに過酷さを増していく世界の行く末と、そこで待つであろう絶望的な未来の断片だった。
八幡は苦い笑みを浮かべ、誰に聞こえることもないほど小さな声で呟いた。
「……いや、その『最後の時』がさ。……もうすぐ目の前まで来ちまってるんだよ」
老人はフッと優しげな笑みを深め、白い髭を揺らしながら飄々と言い放った。
「まあ、ワシはお主に賭けたんじゃよ。お前以外の選択肢など、この広い世界のどこを探しても考えられん。……それだけの話さ」
その軽口とも本気ともつかない言葉に、八幡はやれやれと頭を抱え、呆れたようにため息を吐いた。
「分が悪すぎる賭けだな、おい。……一体、俺なんかを買い被ったところで、オッズは何百倍に跳ね上がるんだよ。絶対につかない大穴だぞ、それ」
老人は声を上げて愉快そうに笑う。
「ふっ、はっはっは! いいではないか。これだけ人生の勝負で負け続ければ、次こそは当たると信じたくなるのが年寄りであり、ギャンブラーというものよ」
その老人の言葉に、八幡はふとどこか皮肉な笑みを浮かべて呟いた。
「……『神はサイコロを振る』、かよ。アインシュタインの言う通り、神様も運任せのギャンブルがお好きってわけだ。それとも、すべてがあらかじめ決まっている決定論の逆説的な冗談か何かかい?」
老人は含みのある笑みを崩さぬまま、静かに首を横に振った。
「さあな、そんな先の台本なぞ、神であるワシにすら分からんよ。……だからこそ、先が読めなくて最高に面白いんじゃないか」
世界の理不尽な采配を笑い飛ばすような老人の言葉に、八幡は小さく鼻で笑い、やがて腹をくくったように静かに立ち上がった。
「……まあいいさ。どうせ降りる選択肢なんて初めから用意されてないんだろ」
八幡は不敵に片端の口元を歪め、いつもの気だるげな、しかし決して折れない目を老人に向けた。
「――せいぜい、泥臭く足掻いてやるさ」
フッと意識が浮上し、まぶたを開けると、どこか心地よい柔らかさと温もりが頭部を包み込んでいた。
「……ん……?」
寝ぼけ眼のまま視線を少し動かすと、すぐ目の前に見慣れた少女の顔があった。黒色の美しい髪がハラリとこぼれ落ち、心配そうにこちらを覗き込んでいる。――エイミだった。
そして自分が今、まさに彼女の膝の上に頭を乗せているという事実に気づいた瞬間、八幡の思考は盛大にショートした。
(……え? 天国かここは……?)
あまりの非現実的なシチュエーションに呆然としながら思わず口に出すと、エイミはクスリと柔らかく微笑んで首をかしげた。
「いいえ、しっかり地上ですよ、勇者様」
「っ……!?」
頭を支えられていた衝撃と恥ずかしさで、八幡の顔の温度が一気に跳ね上がる。耳の先まで真っ赤に染め上げながら、慌てて上半身を起こそうと身悶えた。
「なっ、おい、いつの間に……! ていうか、いつからこんな状態で……!」
完全にうたた寝してしまっていたらしい自分の間抜けさに絶句する八幡を、エイミは少しも意地悪をすることなく、むしろ愛おしそうに見つめながら小さく呟いた。
「ふふ……なんだか、すごくうなされてたから。……うーん、可愛いですね」
「ちょっと、それ反則じゃないですか――! 私も代わってほしかったのに!」
少し離れた場所からその光景を目撃していたマリンが、頬をぷくっと膨らませて不満げな声を上げる。その隣では、マアムも腕を組みながら、ジトッとした呆れとわずかな羨望が混ざった鋭い視線を八幡に突き刺していた。
「な、なんだよお前ら……! 別に好きでこんな体勢になったわけじゃねえし、そもそも勝手に寝落ちしてたのはこっちなんだからな……っ!」
耳まで真っ赤にして必死に弁解する八幡の姿に、ポップは頭を抱えながら激しく地団駄を踏んだ。
「くそっ……! なんであんなひねくれ野郎ばっかりそんなイベントが発生するんだよ! 不公平だろ! 俺だってだな……!」
そのポップの隣で、レオナは少し頬を染めつつ、どこか楽しそうにそのやり取りを眺めていた。そんなレオナの様子をちらりと見たダイは、ふと何かを思い立ったように、まっすぐな目でレオナを見上げる。
「あのさ、レオナ……」
「え? なぁに、ダイくん?」
「オレも……その、ちょっと疲れたからさ。……だめ、かな?」
ダイが少し照れくさそうに、けれど真剣に自分の膝を指差すと、レオナは驚いたようにパチパチと瞬きをした。そして、みるみるうちに耳まで真っ赤に染め上げながらも、恥ずかしそうにフッと微笑んだ。
「もう……仕方ないわね、ダイくんは」
そう言ってそっと膝を差し出すと、ダイは照れくさそうにそこに頭を預けた。少し硬くなったダイの髪の感触に、レオナは優しく手を伸ばし、その頭をそっと撫でる。
そんな二人の様子を少し離れた場所から見ていたヒュンケルは、腕を組みながらふっと鼻で笑い、静かに呟いた。
「……まあ、戦いのあとの休息だ。こういう時間があっても、わからんでもないさ」
そのヒュンケルの大人びた感想を聞きながら、ポップはその場に崩れ落ちるように膝をつき、遠い目をして絶叫した。
「なんだここは……! さっきまで命懸けで魔王軍の幹部とやり合ってたよな!? なんで急に青春のワンシーンみたいな空気に包まれてんだよ!!」
ポップの絶叫が荒野の風にかき消されていく中、クロコダインはあははと豪快に笑いながら、ふっと遠い空を見上げた。
「ガハハ! ポップ、そう怒るなよ。若者たちがそんな風に浮かれるのも、戦いのあとならではの特権というやつさ。――よし、俺もそろそろ本気で身を固めるための結婚相手でも探すとするか!」
獣王の冗談とも本気ともつかない宣言に、周囲が「いや、相手誰だよ」「人間じゃないだろ」と一斉にツッコミを入れる。その和やかな空気感の中で、八幡は立ち上がりながらふっと息をついた。
「……まぁ、魔王軍との戦争だのに振り回されてる暇があるなら、俺もそろそろ現実逃避ついでに結婚相手でも探すかな」
ぽそっと呟かれたその一言に、周囲の空気が一瞬でピタリと止まる。
特に、近くで聞いていたヒュンケルは、信じられないものを見るような目で八幡の顔をまじまじと凝視した。
「……おい、八幡。お前……今、なんて言った?」
「ん? いや、だから結婚相手でも……」
「お前、まだいくつだ……? そんな歳で、すでに結婚や今後の身の処し方を真剣に考えているのか?」
ヒュンケルのどこか真面目すぎる困惑交じりの問いかけに、八幡はジト目でため息をついた。
「うるせえよ。こちとら現代社会の荒波と、エグいデスゲームを両方経験してんだ、精神年齢レッドゾーンだよ。人並みに身を落ち着けたい欲求くらいあってもバチは当たらねえだろ」
ヒュンケルの真面目すぎる問いかけに、八幡はやれやれと頭を掻きながら、どこか現実逃避混じりの調子で続ける。
「まあ、結婚なんて大層なこと言い出したところで、その前にまずマトモな職を見つけるのが先決か……。とりあえず、元の世界に戻れたらの話だけどさ」
遠い目をしながら、八幡は懐かしい響きを口の中で転がす。
「……とりあえず、元の世界に戻れたら、まずは失業保険でも受給しながら当分の間はゆっくり今後の人生を考えかねえとな。履歴書の空白期間の言い訳なんていくらでも思いつくさ。魔王軍の幹部とタイマン張ってましたなんて書けるわけねえし」
「失業保険……? りれきしょ……?」
ポップが完全にフリーズした顔で首を傾げる。ファンタジー世界の住人たちには到底理解できない現代日本の社会保障システムと就職活動のワードだった。
ヒュンケルも眉間にシワを寄せ、八幡の言う「シビアな現実」の重みをなんとなく察したのか、複雑そうな顔で腕を組む。
「……お前の生きる世界というのも、どうやら魔王軍とは別の意味で戦いが絶えない過酷な場所らしいな」
「ああ、違いないさ。こっちじゃ剣と魔法だけど、あっちじゃ数字とノルマが相手だ。どっちも大概クソッタレだけどな」
八幡が自嘲気味に鼻で笑ったその時、頭上の空のどこかで、再びあの神様の笑い声のような風がふっと通り過ぎていった。
いつ終わるともしれない日常と非日常の狭間で、八幡は小さく息をつき、次の理不尽がやってくるまでの束の間の休息を味わうのだった。
焚き火のパチパチと爆ぜる音が響く中、ポップが怪訝そうに首を傾げながら八幡に問いかけた。
「おい、八幡。さっきから聞いてりゃ『りれきしょ』だの『失業保険』だの、よく分かんねえ言葉ばかり並べやがって……。お前の故郷じゃ、いったいどんな仕事をしてたんだよ?」
そのポップの疑問をきっかけに、周囲の空気がふっと変わる。
ふと横を見ると、ヒュンケルやクロコダインはもちろん、マアムや、さらには一国の姫であるレオナまでが、興味津々といった様子でじっとこちらを見つめていた。みんな、異世界から来たこのひねくれた少年の「本当の日常」が少し気になっていたらしい。
注目を浴びた八幡は、面倒くさそうに片眉をひそめ、ぼりぼりと頭を掻きながら答えた。
「ん……? あー、まあ、大体は先輩のフォローに走り回ってたようなもんだな」
「フォローって……具体的に何すんだよ?」
「事務全般だな。面倒な書類の作成から、上へのしょーもねえ報告書の提出、下のやつの教育とかさ。……なぜか、本来の管轄外のはずの営業の尻拭いまでやらされてたっけな。あとは取り扱ってる商品の点検や簡単な修理、いわゆるメンテナンスも一通り。もちろん、雑用もれなくセットだ。会議室の用意とか、お茶くみとか、まあ雑多な雑用全般さ」
淡々と並べ立てられる労働内容の幅広さに、ポップはだんだんと目を点にしていく。
「な、なんだよそれ……。書類も書いて、説明もして、商品の修理までして、雑用もって……お前、一人で何役やってんだよ!?」
「さあな。気づいたら全部押し付けられてただけだ。……まあ、なんだろな。一応いろいろ手は出したけど、これと言って誰にも負けないような、自慢できる『スペシャリスト』と呼べるようなスキルは……ぶっちゃけ、何一つ持ってねえよ」
自嘲気味に肩をすくめる八幡だったが、その言葉を聞いたポップたちは、逆に絶句していた。
「……は?」
ポップが白目を剥きかけながら声を裏返させる。
「事務に営業に、商品の修理に、人の管理までやって、それが『大したスキルじゃない』だと……!?」
隣で聞いていたマアムも、呆れたようにため息をつく。
「ちょっと待ってよ! それって、この世界で言ったら、内政も外交も、武具の修理も雑務も全部一人でこなすようなもんじゃない……!」
ヒュンケルも腕を組んだまま、感心したような、あるいは恐ろしいものを見るような複雑な目を向けている。
「……戦いの技術や魔法だけが力じゃないとは分かっていたが、お前の世界の『普通の仕事』というのも、なかなかに修羅の道だな」
クロコダインがガハハと豪快に笑いながら、八幡の肩をバーンと叩いた。
「素晴らしいじゃないか! そんなに何でもこなせる男が、なぜ自分の国じゃ『一般人』の枠に収まっておるんだ!」
ポカーンと口を開けて固まっている仲間たちを見回し、八幡はやれやれと頭を振る。
「おいおい、大袈裟に言うなよ。あっちじゃそれが『平社員』の基本の「き」みたいなもんなんだよ。……まったく、どいつもこいつも人をモンスターみたいに言やがってさ」
あきれ顔で苦笑する八幡の姿に、ポップは頭を抱えながら、力なく呟いた。
「……もうやめだやめだ。お前の口から出る話は、魔王軍の幹部よりよっぽど胃に悪ィや……。お前、絶対あっちの世界でも超人として扱われてただろ……!」
「そうでもないけどな……。あっちじゃ、代わりなんていくらでも転がってる、文字通りの『歯車』の一枚にすぎねえよ」
自虐的にそう呟く八幡の言葉を、レオナは真っ直ぐな瞳で見据え、ふっと微笑みながら首を横に振った。
「そんなことないわ。もしパプニカ王国にあなたみたいな人が来てくれたら、喜んで最高待遇で迎え入れるのに。城の財政や外交、内政の立て直しなんて、あなたがいれば一瞬で解決しそうよ」
「いやいや、買いかぶりすぎだっての。俺にあるのはせいぜい『器用貧乏』ってやつの称号くらいのもんだよ。何でもそこそこ形にはできるけど、どれ一つとして極めちゃいねえ中途半端な特技の寄せ集めだろ、ぶっちゃけ」
八幡が苦笑いしながら手をひらひらと振ると、レオナはきっぱりと言い放った。
「器用ってことじゃない! ……それに、『貧乏』になんて絶対にさせないわよ、パプニカじゃね」
力強く微笑むレオナの言葉に、周囲も次々と賛同の声をあげる。
「そうだな! 八幡のあの機転や、敵の裏をかく戦術眼なんて、一朝一夕で身につくもんじゃねえぜ」
とポップが腕を組んでうなずけば、マアムも「うんうん」と強く共感する。
ダイもまっすぐな目で八幡を見上げながら、真剣な顔で言った。
「オレも、八幡の戦い方を見てすごく勉強になった。魔法や剣術だけじゃなくて……頭を使って戦うことの大切さを教わったんだ。パプニカの兵士たちみんなが八幡の戦術を学べたら、魔王軍なんて怖くないはずだよ」
ダイのその言葉に、ヒュンケルも静かに目を細めてうなずく。
「同感だ。個の武力に頼るだけでなく、組織を動かし、状況をコントロールする知性――それこそ、今のパプニカやアバンの一党に最も必要な力かもしれないな」
仲間たちのあまりに真っ直ぐな称賛と期待の視線に、八幡は気まずそうに頭をかきむしった。
「お前な……。そんなハードルの高い買い方をされると、こっちも返しに困るんだが……。第一、俺は自分の身を守るだけで精一杯のただのひねくれ者だぞ。軍の指揮なんてガラじゃねえっての」
頭を抱えながらもどこか照れくさそうな八幡の様子を見て、宴の席にはさらに温かい笑い声が広がっていくのだった。
周囲の盛り上がりを少し離れた場所から眺めながら、バダック爺さんは白髪混じりの髭を撫で、くわえていたパイプの煙をふっと吐き出した。
「そうかのう……」
その呟きに、焚き火の反対側から、いつの間にか大杯を手にした大柄な影がのっそりと歩み寄ってくる。かつての伝説の呪文使い――マトリフだった。
マトリフは豪快に鼻を鳴らすと、ギロリとした鋭い目で八幡をひと睨みし、フッっと歪んだ笑みを浮かべる。
「おいおい、あいつは本人すまし顔で『普通だ』なんて言やがるが、あんなもんが普通なもんかよ」
「ほう、マトリフの旦那。あいつの故郷を知っとるのかい?」と、バダックが興味津々といった様子で問いかける。
マトリフは手元の酒をグイッとあおり、親指でトントンと自分のこめかみを押さえながら、どこか呆れたような、しかし面白がるような声を上げた。
「直接行ったわけじゃねえが……あいつが抱えてる知識の量や、理不尽な状況を瞬時に分析して切り抜けるあの頭の回転、おまけにあらゆる雑務や裏方仕事を一人で回してたってんだろ? あんなもん、こっちの世界じゃ立派な『大魔導士クラス』の万能型仕掛け人だぜ」
マトリフは再び声を上げて豪快に笑った。
「あいつの故郷ってのは、いったいどれだけ恐ろしい魔境なんだかな。……まったく、あんなひねくれた化け物がゴロゴロ転がってる場所だとしたら、そら恐ろしいぜ!」
豪快に笑いながらまた酒を飲み干すマトリフの言葉に、周囲の仲間たちも「確かに……」と妙に納得したように顔を見合わせるのだった。
そのやり取りを少し離れた場所で耳にしていた八幡は、冷や汗を流しながら心の中で盛大にツッコミを入れた。
(おいおい、勝手に俺の故郷をヤバい魔境に仕立て上げるんじゃねえよ……。あっちじゃ俺なんて、ただの社内で一番影の薄い中間管理職のパシリだぞ……!)
誰もが自分の想像の斜め上を行く八幡の背景に思いを馳せる中、夜の闇はさらに深く、しかしどこか温かい熱気を帯びたまま静かに更けていくのだった。
焚き火の温もりが心地よく揺らめく中、いつの間にか八幡の隣に座っていたエイミが、こてんと頭をもたれかからせてきた。
至近距離から漂ってくる微かな甘い香りと、柔らかな体温。先ほどまで「結婚相手でも探すか」などと軽口を叩いていたはずの八幡は、いざ現実の美少女が物理的に密着してくると、一気に思考回路が焼き切れるような衝撃に見舞われた。
(っ……! 近い! 匂いが! ていうか、心臓の音がうるせえよ俺……っ!)
顔面は必死の形相で「無表情の鉄面皮」を保ち続けているものの、内心では盛大にパニックを起こしている八幡。そんな彼の硬直具合に気づいているのかいないのか、エイミは心地よさそうに目を細め、ふと上目遣いに八幡を見上げた。
「あの……さっき、結婚相手を探してるって言ってましたよね。……私じゃ、ダメですか?」
「…………は?」
あまりの直球すぎるアタックに、八幡のフリーズしていた脳が完全に停止する。耳の先から首筋まで一気に真っ赤に染まりながらも、どうにか言葉を絞り出そうと口をパクパクさせるしかなかった。
その少し離れた場所では、別の意味で修羅場が展開されていた。
「ひ、ヒュンケルさん……ちょっと、寒いですね……ね?」
いつの間にか、マリンがヒュンケルの腕にぴたりと寄り添い、上目遣いで甘えるように密着している。当のヒュンケルは、腕に伝わる柔らかな感触と周囲からの生温かい視線に内心で冷や汗をダラダラと流しながらも、持ち前の鋼の意思と無表情を駆使して「……あぁ、そうだな」と低音ボイスで涼しい顔を崩さない。
その二組の甘酸っぱい(あるいはシュールな)光景を目の当たりにしたポップは、頭をかきむしりながら天を仰いで絶叫した。
「なんだこれ!! なんだこの爆発的な甘いムードは!! さっきまで命のやり取りをしてた戦場だよな!? なんで一晩明かさないうちに主役の座を全部持ってかれてんだよ! モテる男はこれだから羨ましくって仕方ねえぜ……っ!」
地団駄を踏んで悔しがるポップの姿に、マアムは苦笑いを浮かべながらも、ふっと優しい目を向けた。
「……でも、ポップ。さっきの戦い、アンタも結構かっこよかったわよ。最後まで諦めずに仲間を鼓舞してさ」
「えっ……?」
ポップが驚いて目を見開くと、隣にいたレオナもクスリと微笑みながらうなずく。
「そうよ。あの絶望的な状況でみんなを引っ張っていたのは、間違いなくあなたの一歩引かない勇気だったわ」
マアムとレオナという二人の「女神」からまさかの直球の賛辞をもらったポップは、さっきまでの絶望が嘘のように顔を真っ赤にし、一瞬で天にも昇るような顔つきに変わった。
「へへっ……ま、まあな! 俺だってやるときはやる男だからな! ……おっ、女神様たちがそんなに褒めてくれるなら、今日のところは悪くねえ夜だな!」
調子に乗ってニヤニヤと鼻を伸ばすポップと、隣で必死に耳の赤さを隠しながらエイミの不意打ちに悶絶する八幡。
賑やかな笑い声とパチパチと爆ぜる焚き火の音に包まれながら、束の間の平和な夜はさらに深く更けていくのだった。
いつの間にか宴の輪の中心には、アポロンも加わっていた。
知的で好奇心旺盛な彼は、先ほどの激戦で目の当たりにした呪文の応酬がよほど刺激的だったらしく、気づけば伝説の呪文使いであるマトリフに向かって熱心に質問を投げかけていた。
「――失礼ですが、マトリフ殿。先ほどからの戦いを見ていて気になったのですが、魔力の質と呪文の系統による相性には、やはり明確な限界というものが存在するのでしょうか? 例えば、純粋な魔力容量と、術者の構築する術式の精密さの比率についてですが……」
アポロンのよどみない専門的な魔法談義に、ポップやダイは「うわ、なんか始まったぞ……」と遠い目をしながらグラスを傾ける。
質問を振られたマトリフは、片方の眉をぐっと持ち上げると、面白そうにニヤリと笑ってパイプの煙を燻らせた。
「ほう、小僧、いいところに目をつけやがる。魔力の種類だの系統だの、理屈をこねくり回せばキリがねえがな……。結論から言えば、最後はやっぱり『センス』と『才能』がものをいうのさ」
マトリフの歯に衣着せぬ言葉に、アポロンはわずかに息を呑む。しかし、伝説の大魔導士はそこでふっと悪戯っぽく笑みを深めた。
「だがな、裏を返せばだ。どんなに才能に恵まれねえ奴らでも、死に物狂いで泥臭く努力しさえすれば、そこそこの高みまでは誰だって到達できるってことだ。……まあ、地道な積み重ねが一番キツいんだけどな。がんばれよ、若者たち!」
その言葉に、ポップやマアム、ダイたちが「はい!」と力強くうなずく中、なぜか隣で静かにワインを口に含んでいた八幡も、しみじみとした顔で「まったくだな」と深くうなずいて見せた。
すると、その八幡の横顔をチラリと流し見たマトリフが、ふっと鼻を鳴らして突っ込む。
「おいおい、何先輩風を吹かせてやがる。お前だって、十分すぎるほど若い若者の一人だろうが」
その言葉に、八幡はめんどくさそうに片手でひらひらと空気を切りながら、やれやれといった調子で答えた。
「はっ、見た目はな。中身はすでに胃薬が手放せない社畜のベテランオッサンなんだよ、こっちは」
「お前のそのひねくれた老け込み方さえなければな!」と、マトリフが豪快に大笑いし、周囲の仲間たちからもクスクスと楽しげな笑い声が漏れるのだった。
焚き火の柔らかな光が揺らめく中、それまで楽しげに笑い合っていたマアムが、ふっと真剣な表情を浮かべて八幡を見据えた。
「ねえ、八幡……。さっきから気になってたんだけどさ」
マアムの澄んだ瞳がまっすぐ向けられ、周囲のざわめきがわずかに静まる。ポップやダイ、そしてヒュンケルまでもが、どこか探るような視線を八幡に向けた。
「たまに変な例えをしたり、この世界の常識とはちょっとズレた話をしたりするでしょ? ……あなたの『本当のこと』、少しだけでも教えてくれないかな」
その問いかけに、それまで飄々と冗談を飛ばしていた八幡の表情から、スッと軽口が消え去った。
――真顔。
冗談でも照れ隠しでもなく、どこか冷徹なまでの真面目さを帯びたその瞳に、マアムは思わず息を呑む。
「……知りたいか?」
低く落ち着いた声で、八幡はぽつりと言った。
「俺は、この世界とは違う場所から来た。……俺の故郷は、この地上じゃない。かつて闇に包まれた、地下の世界――『アレフガルド』と呼ばれる場所だ」
その名が飛び出した瞬間、周囲の空気がピシリと凍りついた。
「……アレフガルド……?」
ポップが呆けたような声を漏らす。
マアムは目を見張り、ダイはハッとしたように息を飲んだ。そして、少し離れたところで聞いていたバダックやマトリフまでもが、驚きに目を見開いている。
「そんな……それって、古いおとぎ話や伝承の中だけの名前じゃなかったの……? 本当にある世界なの……?」
信じられないといった顔で問いかけるマアムに、八幡はふっと息を吐き、どこか投げやりな、しかし妙にリアリティのある調子で肩をすくめた。
「まあ、普通は生き来できるような場所じゃないからな。あっちの連中に言わせれば、俺もただの不法侵入者みたいなもんさ」
もちろん、今語った「アレフガルド」という言葉は、かつてこの世界(ドラゴンクエストの文脈)に伝わる神話の地を、その場のノリと咄嗟のハッタリで引っ張り出してきただけの、完全な口から出まかせにすぎない。現代日本の社畜サラリーマンである自分がそんな地下世界から来たなどと言えばいくら何でもファンタジーが過ぎるが、奇妙な超常現象や神様との面会を経験している彼らにとっては、むしろ「一番しっくりくる謎の答え」に聞こえてしまうのだから皮肉なものだった。
八幡はこれ以上踏み込まれまいと、わざと軽く手を振って見せた。
「ま、これ以上は機密事項ってやつさ。……また、いつか話せる時期が来たら、気が向いたら話すよ」
そう言って煙に巻くように不敵に笑ってみせる八幡の横顔を、仲間たちは複雑な、しかしどこか納得したような目でじっと見つめるのだった。
夜の静けさが深まるアバンの一党のキャンプ地から遠く離れた、魔王軍の本拠地――その冷厳な闇の中。
ついに、クロコダインとの激闘、そしてその戦場に現れた「額に竜の紋章を浮かべた少年」についての詳細な戦果報告が、魔王軍の最高幹部の一人である竜騎将バランのもとへともたらされていた。
薄暗い天幕の中、平伏する部下からの報告を聞き届けたバランの動きが、ぴたりと止まる。
「……もう一度言え」
低く、しかし底知れない重圧を湛えたその声に、部下は恐怖で震えながらも絞り出すように繰り返した。
「は、はっ……! クロコダインを打ち破った者どもの中に、人間の姿でありながら、その額に……光り輝く『竜の紋章』を宿した少年がおりました……!」
その瞬間、バランの双眸が激しく見開かれた。
長年にわたり胸の奥底に封じ込めてきたはずの記憶、失ったはずの光景が、一気に脳裏を駆け巡る。
「……竜の……紋章だと……」
バランの手が、わずかに、しかしはっきりと震えていた。
兜の陰に隠されたその顔には、驚愕と、狂おしいまでの歓喜、そして計り知れない悲痛が入り交じった、かつてないほどの激しい感情が渦巻いている。
幻影のように脳裏に浮かぶのは、遠い日の記憶。失った愛しい妻、そして我が子の面影。
「……ディーノ……」
唇を噛みしめ、バランはその名を絞り出すように呟いた。
「生きていたのか……我が息子よ……!」
静まり返った闇の中で、竜の騎士の血が、宿命の歯車を大きく回し始めるのだった。