ダイの大冒険 やはり俺がアバンの使徒なのは間違っている。 作:tomozow
オークションの熱気が立ち込めるベンガーナの広場。高台に掲げられた『ドラゴンキラー』の刃が、松明の光を反射して怪しく輝いていた。
群がる冒険者や商人たちが威勢よく跳ね上がっていく価格を叫び合い、会場全体のテンションは最高潮に達している。
それを遠巻きに眺めていた八幡は、冷ややかな視線を向けながら心の中で呟く。
(……ドラゴンキラーか)
龍の鱗すら容易く絶つという伝説級の業物。喉から手が出るほど欲しがる奴らは山ほどいる。
(まあ、ああいう超破格の装備ってのはさ……オークションに出た瞬間に金持ちのパーティーや貴族が競り落として、一瞬で市場から消えて無くなるんだよな)
一般の冒険者が「いつか買おう」とコツコツ金を溜めている間に、あっという間に手の届かない領域へ行ってしまう。世の中の需要と供給の残酷なリアルを、異世界でもまざまざと見せつけられた気分だった。
ダイやポップたちが目を輝かせてその様子を見上げる中、少し離れたところで先ほど出会った占い師のメルルが手持ちの水晶玉を抱えて、静かに八幡の隣へと歩み寄ってくる。
「……すごい熱気ですね、八幡さん」
「……まあな。だけど、あんな高嶺の花にいくら目を奪われたところで、俺たちみたいな貧乏人が手を出せる代物じゃねえよ」
八幡がぶっきらぼうに肩をすくめると、メルルはどこか澄んだ瞳で八幡を見上げ、小さく微笑むのだった。
喧騒に包まれたベンガーナの市場から少し離れ、職人たちの熱気と煤煙が立ち込める一角。
八幡は足早に、一軒の頑丈そうな鍛冶屋の扉を叩いた。
店内に充満する熱気の中、屈強なドワーフ風の職人が鉄を打つカンカンという高い音が響き渡る。八幡は足を止めると、使い古された革の財布から、これまでの冒険や日々の報酬としてコツコツと貯め込んできた全財産の入ったズッシリとした重みのある小袋を取り出した。
それをカウンターの硬い木板の上に、ドサリと置く。
「……これ、預かってくれ」
職人が作業の手を止め、怪訝そうな顔で八幡と、その置かれた小袋を交互に見下ろした。
中身の重みと、そこに込められた金属の硬質な気配で、職人の目の色が変わる。
「ほう……。冒険者、こいつは一体……?」
「これまでの全貯金だ。これで、俺用の剣を一本打ってほしい」
無愛想に、しかしどこか真剣な響きを含んだ声で八幡は言った。
最高級のオークションで飛ぶように売れていく伝説の武具のような派手さはなくてもいい。今の自分の体格や、これからの戦いに合わせて完全に調整された、己の手足となる一振りの剣。
「市販の安物じゃすぐに刃こぼれするし、かといってドラゴンキラーみたいなどデカい代物は俺には扱いきれねえ。……頼む、俺の身体にしっくり馴染む、扱いやすい得物を作ってくれ」
八幡のただならぬ決意を宿した視線を受け、職人はしばらく黙って小袋の重さを確かめた後、ふっと不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「いいだろう。これだけ預かるからには、そこらのそこいらの量産品とはワケが違う、お前さんの相棒にふさわしい一振りを仕立て上げてやるよ」
鍛冶屋とのやり取りを終えて店を出た直後、地響きのような唸り声とともに、ベンガーナの街外れの空が激しく割れた。
――ガアアアアアアッ!
巨躯を誇る巨竜(ドラゴン)が上空から降り立ち、鋭い爪と咆哮で街の建物を破壊し始める。避難する人々が悲鳴を上げ、混乱が広がる中、先陣を切って飛び出したのはダイだった。
「みんな、下がってて!」
ダイの額に、青く輝く竜の紋章が浮かび上がる。溢れ出す圧倒的な竜の騎士の気が空気を震わせた。その手に握られているのは、自身の剣ではなく――かつて死闘を繰り広げ、心を通わせたヒュンケルの鎧の魔剣。
ダイは跳躍し、紋章の力をみなぎらせてドラゴンの巨体に斬りかかる。超人的なスピードと斬撃がドラゴンの頑強な鱗を次々と引き裂いていくが、タフな巨竜は狂暴さを増し、口から猛烈な火炎(メラゾーマ級の炎)を噴き出そうと顎を大きく開いた。
「くっ……!」
空中での体制崩れにより、間一髪回避が遅れるダイ。
その瞬間、少し離れた瓦礫の上から、八幡がすっと右手を突き出した。
八幡の体内から練り上げられた魔力が、指先へと一気に集中する。天に向かって放たれる魔力波。上空の暗雲が渦を巻き、一瞬で青白い電撃へと変換された。
「……落ちろ。『ライデイン』!!」
――バリバリバリッ!!!
八幡の呼び寄せる鋭い雷撃が、火炎を吐き出そうとしていたドラゴンの頭上へ一直線に振り下ろされた。
直撃を受けたドラゴンは脳揺さぶられる激痛に咆哮をあげ、頭部を激しく痺れさせて大きく姿勢を崩し、そのまま起き上がることはなかった。
「サンキュー、八幡っ!!」
巨竜が地煙を上げて倒れ伏し、静寂が訪れた街。
しかし、広場を包んだのは歓声ではなかった。
額に不気味な紋章を輝かせ、ヒュンケルの剣を手に圧倒的な力で巨竜をねじ伏せたダイ。その人間離れした強さと威圧感を前に、避難していた市民たちはひそひそと身を寄せ合い、引きつった顔で怯えの視線を向け始めていた。
「な、なんだあのガキ……」
「あの額の光……人間じゃないぞ……」
「まるで……バケモノじゃないか……」
ひそひそと囁かれる心ない言葉。せっかく街を守るために命懸けで戦ったダイが、傷ついたように視線を落とし、戸惑いがちに剣を握り直す。
その時、すっとダイの前に立ちふさがる影があった。
八幡だ。
彼はポケットに手を突っ込んだまま、呆れたように、そして酷く冷ややかな目で群衆を睥睨した。
「……なんだ、その目は?」
八幡の低く通る声に、ざわついていた市民たちがピタリと口をつぐむ。
「おいおい、助けてもらった相手に向けるのがそんな顔かよ。感謝の言葉ひとつ言えねえのか? ……ダイがいなかったら、今頃お前ら何人死んでたと思ってんだ?」
八幡は鼻で嘲笑うように吐き捨て、意図的に悪ぶった不機嫌な態度を全身から醸し出す。
「これだから『観客』ってのは嫌いなんだよ。安全な外野から勝手に期待して、自分の理解を超えたら途端にバケモノ扱いか。都合のいい頭してんな」
怯えと気まずさで言葉を失う市民たちを見下しながら、八幡はさらに追撃するように言った。
「それに、勘違いすんなよ。さっきのドラゴンにトドメ(ライデイン)刺したのは俺だ。ダイじゃねえ」
八幡は自分の胸を親指で指さすと、わざとらしく口元を歪めてみせた。
「文句があるなら、俺に言え。ほら、文句がある奴から前に出ろよ。聞いてやるから」
八幡の放つ不穏で圧倒的な威圧感と、逃げ場のない正論。
さっきまで陰口を叩いていた市民たちは青ざめ、ただ黙って俯くことしかできなかった。
背後でダイが「八幡……」と息を呑むのを感じながら、八幡はフンと鼻を鳴らし、そっと背中で少年を庇い続けるのだった。
静まり返った広場の中、八幡はバツの悪そうに肩をすくめると、いつもの気だるげな仕草に戻って、自分の前に立つダイの頭にぽんと無造作に手を置いた。
「――まったく。強すぎるのも、結構大変だよな、ダイ」
ひねくれたような口ぶりとは裏腹に、その手のひらの温もりと撫でる動作には、確かな優しさが込められていた。
「……八幡」
「気にするな。いつか、今あんな目で見てた奴らだけじゃねえ。この世界中の人間が、全員お前に感謝する日が来る。……だから、そんな面すんなよ。負けんなよ、勇者さま」
八幡のその真っ直ぐな言葉に、ダイはぐっと唇を噛み締めた。
あふれそうになる感情を必死にこらえ、目にいっぱいの涙を浮かべるが、強がりな少年は決してそれを零させまいと、しっかりと前を向いて歯を食いしばる。
その二人背中を、少し離れた瓦礫の陰から、メルルは静かに、そして複雑な瞳で見つめていた。
(……この人たちは、一体……)
水晶玉を胸元に抱えながら、メルルは心の底から圧倒されていた。
強大な竜を打ち倒す圧倒的な力。そして、周囲の恐怖と憎悪の視線を一身に引き受け、傷ついた少年を泥臭く、しかし何よりも優しく守り抜くその姿勢。
光と影、神聖さと底知れぬ凄みが同居するその姿は、占い師である彼女の目から見ても、あまりに異質で、そして――目が離せないほど強烈な引力を放っていた。
そのやり取りを、少し離れた場所から見守っていた仲間たちにも、それぞれの想いが駆け巡っていた。
「……たく、相変わらず悪ぶってカッコつけやがって」
ポップは頭の後ろで腕を組み、フッと呆れたように口元を緩めた。だが、その瞳には熱い信頼と尊敬の色がはっきりと浮かんでいた。
(周囲からの憎まれ役を引き受けてまでダイを守るなんてよ……やっぱり八幡は、俺たちの最高の『アニキ』だぜ)
そして、愛剣を納刀しながらその背中を見つめていたヒュンケルもまた、胸の内で静かに息を吐いていた。
かつて魔王軍の軍団長として孤独と絶望を背負い、戦いの中に身を置いてきた彼だからこそ、八幡が背負った「泥役」の重さと優しさが痛いほどよく理解できた。
(年下のはずだが、あの男の背中が、どうしてこうも大きく見えてしまうのか……)
ヒュンケルはフッと自嘲気味に口角を上げると、八幡という人間の底知れぬ深さに改めて一目置くのだった。
一方、その場にいたパプニカの姫・レオナは、八幡の無愛想な立ち振る舞いと、その裏にある圧倒的な度量に、ただただ感心するしかなかった。
(名誉なんてものに一切興味を示さず、傷ついた少年の心のためだけに世間を敵に回すような真似ができるなんて……本当に、不思議な人)
市民たちの静寂が広がる中、八幡は何事もなかったかのようにあくびをひとつ噛み殺すと、「さっさと宿に帰って休むぞ」と吐き捨てるように仲間たちへ歩き出すのだった。
メルルの祖母であり、優れた予知能力を持つ占い師ナバラが、重々しく口を開いた。
「……あれはもしや、『竜の騎士』様では……?」
その一言に、ダイはもちろん、ポップやヒュンケル、レオナまでもがハッと息を呑んで振り向いた。
「竜の……騎士……? ナバラさん、知ってるのか!? 俺のこの力の正体を……!」
ダイが自身の額を触りながら必死に身を乗り出すと、ナバラはゆっくりと頷き、古の言い伝えを語り始めた。
「ええ……テラン王国に古くから伝わる伝説があります。遥か昔、この世界を創造した三つの存在――【地上の人間】、【天界の神々】、そして【魔界の魔族】。その三つの力を併せ持ち、世界の均衡を守るために生み出された究極の戦士……それこそが『竜の騎士』なのです」
「人間と……神と……魔族の力……!?」
ポップが目を見開き、息をのむ。
「ダイのあの桁外れの強さも、額に浮かぶ紋章も……すべてはその血筋ゆえということか」
ヒュンケルが静かに呟き、腕を組みながらダイの持つ宿命の重さに想いを巡らせる。
八幡はポケットに手を突っ込んだまま、どこか冷めた目つきでその話を聞いていた。
(……人間と神と魔族のチャンポンね。漫画の主人公設定にしても盛りすぎだろ……だが、だからこそ、あの強さと、それに伴う孤立感ってわけか)
ナバラはダイをまっすぐに見つめ、言葉を続けた。
「ダイ様。あなたのその紋章の真の力、そしてご自身の出生の秘密を知りたくば……南の果てにある『テラン王国』へ向かうのです。あそこには、竜の騎士の歴史が眠る神殿があると言われています」
自分のルーツと、この身体に宿る恐るべき力の正体を知るために。
ダイはギュッと拳を握りしめ、力強く頷いた。
「……行こう、テラン王国へ! 俺が一体何者なのか、確かめるために!」
「よし、決まりだな。テラン王国への道中、また妙なトラブルに巻き込まれねえことを祈るぜ……」
八幡は面倒くさそうに溜め息をつきながらも、新たな目的地へと向かうダイたちの背中を追いかけるのだった。
テラン王国に到着したダイたちは、湖の深くに沈むという【湖底の神殿】を目指すことになった。
透き通るような水面を見下ろし、ダイは意を決して神殿へと降りていく。そこは、かつて人間・神・魔族の三神によって生み出された「竜の騎士」の起源と、その過酷な宿命が刻まれた神聖なる聖域だった。
神殿の奥深くで、ダイは自らの内に秘められた力の真実――世界の均衡を保つために生み出された唯一無二の裁定者であること、そしてその血に刻まれた悲壮な歴史と向き合っていく。
一方、湖畔で地上に残った八幡は、腕を組みながら静まり返る水面を見つめていた。
(……湖底の神殿ね。自分のルーツを探る旅ってのは聞こえがいいが、知らなくていい残酷な現実まで突きつけられるのがこの手のファンタジーの定番だ)
八幡はポケットに手を突っ込み、少し冷えた風に身をすくめながら小さく吐き捨てる。
(人間でもなく、魔族でもなく、神でもない。どっちの陣営にも完全には属せない『孤高の存在』か。……どっかのひねくれボッチと似たような境界線の上に立たされてやがる。まあ、あいつの場合は世界を背負わされてるぶん、何百倍もエグいんだがな)
神殿の中でダイが自らの起源を解き明かそうとしているその瞬間、地上では新たな脅威の足音が、静かに、しかし確実に近づいていた。
湖底の神殿から地上へと戻ってきたダイの身体は、かすかに震えていた。
瞳には底知れぬ混乱と、己の身体に流れる「竜の騎士」という圧倒的で異質な血への恐怖が酷く滲んでいる。人間でも魔族でもない、ただ世界を破壊するためだけに作られた裁定者という残酷な真実。その圧倒的な孤立感が、幼い少年の心を押し潰そうとしていた。
「俺は……俺は人間じゃなかった……。ただのバケモノだったんだ……!」
今にも崩れ落ちそうなダイの肩に、ポン、と重みのある手が置かれた。
八幡だ。
彼は相変わらず死んだ魚のような目をしながら、けれどその手には一切の迷いもなくダイの身体をしっかりと支えていた。
「……だから言っただろ」
八幡は呆れたように鼻で笑い、少しだけ胸を張ってみせた。
「お前はいつか、とびきりの勇者になるってな。……フン、どうやら俺の目に狂いはなかったみたいだな」
「八幡……?」
「竜の騎士だか何だか知らねえが、血筋がどうとか出自がどうとか、そんなもんは後から勝手に他人がくっつけたラベルだろ。大事なのは、お前が今まで何のために戦ってきたかだ。お前が助けてきた奴らにとっちゃ、お前が何者かなんて関係ねえ。お前はただの『勇者ダイ』なんだよ」
八幡のひねくれていながらも、どこまでも真っ直ぐに自分という存在を全肯定してくれる言葉。
その温かい手のひらから伝わる熱が、ダイの全身を包み込んでいく。
次の瞬間、ダイの瞳から恐怖と惑いが完全に消え去った。
「……そうだ。俺が何者かなんて、知るか……!」
ダイはぐっと拳を握り締め、力強く顔を上げた。その表情には、迷いを断ち切った者だけの眩しい輝きが満ちていた。
「俺は俺だ! 勇者ダイだ!!」
己の宿命を受け入れ、それを乗り越えて「勇者」として再び覚醒したダイ。
その力強い叫びを聞きながら、八幡は「まったく、熱血主人公は眩しくて敵わねえな」と照れ隠しに小さく息を吐くのだった。
テラン王国の澄み切っていた空気が、一瞬にして鉛のように重く沈み込んだ。
ゴゴゴ……と不気味な地鳴りが響き、皮膚をピリピリと刺すような凶悪で凄まじい魔力が、空気を直接震わせていく。息をするのも苦しいほどの圧倒的な威圧感。
「……っ! なんだ、この気配は……!?」
ポップが青ざめて身をすくめ、ダイも即座に険しい表情で天空を仰ぎ見る。
八幡は小さく舌打ちをすると、全身の緊張感を極限まで高めた。
(ちっ……来やがったな、超攻撃力&超防御力のチート野郎が……!)
神殿の外へと躍り出た八幡たちの視線の先。
暗雲を切り裂くように降り立ったのは、黒い漆黒の鎧を纏い、威厳と壮絶な覇気を全身から放つ男――竜の騎士バランだった。
バランは深みのある眼光で八幡たちを鋭く見下ろすと、静かに口を開こうとした。
「私の名は――」
「言わなくていい」
バランの言葉を遮るように、八幡がすっと一歩前に出た。
相手の放つ桁外れのプレッシャーに冷や汗を流しながらも、八幡はその死んだ魚のような目を真っ直ぐバランに向け、静かに言い放つ。
「自己紹介なら要らねえよ。俺はお前を知ってるぞ。……勇者バラン」
「……なに?」
世界を救った「勇者」としての名を口にされたバランは、ほんの一瞬、その鋭い目を大きく見開いた。
かつて人間たちの裏切りと身勝手さによって愛する者を奪われ、絶望の果てに「勇者」の名を捨てたはずの自分。その過去を知るはずのない異国の青年に、事もなげにその名を呼ばれたのだ。
バランの瞳に、僅かな動揺と、それを塗りつぶすような鋭い警戒の色が走る。
「……貴様、なぜその名を知っている?」
「さあな。ちょっとした情報通ってだけだ。ハドラーなんかより遥かに危険な存在――【冥竜王ヴェルザー】を倒した『勇者』の名だ。忘れるわけねえだろ」
八幡の口から出たその名に、バランの眼光が一気に鋭さを増した。
魔界を二分するほどの激闘の末、超竜軍団を率いる自身が封印した伝説の真の敵、冥竜王ヴェルザー。その存在は魔王軍の幹部すらごく一部しか知り得ない、歴史の裏に隠された真実だった。
「……ほう。ハドラーの陰に隠された冥竜王の名まで知っているとはな。貴様、ただの人間ではないな?」
バランの全身から放たれる気が、さらに重く、凶悪に膨れ上がる。圧迫感だけで地面がみしみしと音を立てて亀裂を生み出していく。
八幡は背中に冷や汗を流しながらも、表情ひとつ変えずに冷ややかに言葉を返した。
「ただの人間だよ。……ただ、自分の都合で世界を救わせといて、いざとなれば恐れて排斥する人間の愚かさも、それに絶望して全てを壊そうとする奴の気持ちも、ちょっとは理解できるひねくれ者ってだけだ」
その言葉に含まれた重みと陰りに、バランは一瞬だけ眉をひそめ、八幡という存在を恐ろしいほど冷徹な目で見つめ直すのだった。
周囲の空気が凍りついた。
バランの鋭い視線を正面から受け止めながら、八幡はため息混じりに、けれど堂々とした佇まいで自身の名を語り始めた。
「俺は地下世界アレフガルドから来た、勇者ロトの血を引く者――八幡だ。……まあ、世間話をするような仲でもねぇし、わざわざ覚えなくていいぜ」
その言葉が放たれた瞬間、背後にいた仲間たちの間で天地がひっくり返るほどの衝撃が走った。
「な、なん……だって……!? アレフガルド……勇者ロト!?」
ポップが顎が外れんばかりに口ぐせを開け、驚愕のあまり腰を抜かしかける。
「勇者ロト……伝説の……!? 八幡が……!?」
レオナも信じられないものを見る目で目を見開き、ダイもまた「八幡が……勇者……!?」と息を呑んで固まっていた。
そして――。
誰よりもその名と存在の重みを知る男、バラン。
「……なに……?」
あの絶対的な強者であり、世界の歴史を影から見届けてきた竜の騎士バランが、明確に言葉を失い、絶句していた。
「地上の裏側に存在する異世界……アレフガルド……。そして、神の祝福を受けし伝説の勇者……ロトの血脈だと……!?」
バランの瞳に、これまでのどんな敵とも異なる、底知れぬ混乱と最大級の警戒が走る。目の前に立つ、冴えない死んだ魚のような目をした青年。その内に秘められた圧倒的な戦闘能力と、竜の騎士すら知るはずのない知識の正体が、一瞬で「ロトの勇者」という伝説のピースと噛み合ってしまったのだ。
「……フン。驚くようなことじゃねえよ」
八幡はバランの動揺をあざ笑うように軽く鼻で鳴らすと、腰の剣の柄に静かに手をかけた。
「……先祖がな。俺がじゃねえよ」
静寂を切り裂くように、八幡は心底面倒くさそうに手をヒラヒラと振った。
「今はただの勇者見習いだ。こいつらと同じく、な」
ダイの肩をぽんと叩き、さも当然といった顔でバランを睨み返す八幡。
(……まあ、ハッタリ交じりの昔話で、なんとなく時間は稼げたな。勇者ロトの血とかねえよ。中身はただの元社畜の人間だよ)
胸の中で冷や汗をかきながらも、八幡は死んだ魚の目を一切崩さない。
一方、バランの眼光はさらに鋭く、警戒の色を深めていた。ロトの血を引くという異世界の存在。ただの人間と自称しながらも、己の正体や世界の裏を知り尽くし、不敵に立ち塞がる青年の底知れなさに、竜の騎士は容易に手を出せずにいた。
「なんか用か? 俺はアンタのことを大体知ってるが……まあ、人の身家庭の事情に口出ししすぎるのも野暮だからな。だんまり決め込んでやろうと思ってたんだが」
八幡はポケットに突っ込んでいた手をゆっくりと引き抜くと、気だるげに首を鳴らした。
「――まあ、敵対するってんなら、話は別だが」
その瞬間に放たれた八幡の眼光と、冷徹なまでの静けさ。
バランの鋭い眉間に深いシワが刻まれ、その身体から発せられる闘気がさらに一段と跳ね上がった。
(……この男、私が何のためにここへ来たのか、ダイとの関係まで見抜いているというのか……!?)
我が子であるダイを引き取りに来たという目的、そして竜の騎士の血の宿命。その全てを察した上で、あえて「野暮」と言い切り、もしダイに危害を加えるならば即座に敵に回ると宣言してきたのだ。
自らのすべてを見透かす異世界の男――八幡に対し、バランは片手を剣の柄へと掛け、一瞬の隙も許さない極限の警戒姿勢をとるのだった。
「……フッ。ならば、その言葉がどういう意味を持つか、身をもって知るがいい」
バランが静かに目を閉じ、そして――見開いた。
瞬間、その額から眩い光が迸り、凄まじい竜の気が周囲の空間を圧倒的な重力で押し潰す。バランが放ったのは、竜の騎士の血を呼び覚まし、血縁者の精神を支配・洗脳するための強烈な思念波だった。
「ぐっ……頭が……!?」
ダイはその強烈なプレッシャーに膝をつき、額に浮かんだ竜の紋章が激しく明滅する。バランの意思がダイの記憶と心を書き換え、我が子として従わせようと侵食していく。
――だが。
(……負けるか……! 俺は俺だ……!)
先ほどの戦いと、八幡の言葉によって「勇者」としての自覚を完全に目覚めさせていたダイの意志は、その程度の洗脳に屈しなかった。
ダイは歯を食いしばり、己の中の強大な竜の気を怒涛の勢いでコントロールし始める。
「ぬっ……!?」
バランがわずかに目を見張った。
ダイの額で光り輝いていた竜の紋章が、すーっと消え失せ――次の瞬間、ダイの「右手の甲」へと鮮やかに移動したのだ。それは、己の意志で竜の騎士の力を完全に我が物とし、支配を拒絶した証だった。
「……はぁっ……はぁっ……!」
自らの意志で洗脳を打ち破った代償か、極限まで高めた精神力の反動で、ダイはそのままガクリと意識を失い、その場に倒れ込んだ。
「ダイ……っ!」
ポップが慌てて駆け寄り、支え起こす。
そのダイを見下ろしたバランの瞳に、言い知らぬ動揺と激しい衝撃が走った。
――我が血を分けた息子が、竜の騎士としての洗脳を自力で拒絶し、紋章を我が手足のように使いこなした。そんな離れ業、バランの数知れない戦いの歴史の中でもありえないことだった。
「お見事だな、チート親父」
冷徹な静寂を切り裂いたのは、バランのすぐ目の前に立っていた八幡の声だった。
「これ以上うちの勇者に変なちょっかい出すなら、親子の感動の再会なんて綺麗なもんじゃ済まさねえよ」
バランがッと八幡に視線を戻したその瞬間、八幡の右手の人差し指の先から、バチバチと激しい青白い電撃が奔った。
上空の雲を切り裂き、八幡が先ほどよりも何倍も練り上げた強大な魔力を凝縮させた怒涛の雷撃が、バランの頭上へと正確に照準を合わせる。
「――『ライデイン』!!」
――バリイイイッ!!!!!
直撃すれば竜の騎士とて無傷では済まないほどの凄まじい威圧を伴った雷撃が、バランの足元を激しく抉り、圧倒的な光と爆風で周囲を威嚇した。
砂煙が舞い散る中、バランは片腕でその衝撃波を防ぎながら、初めて明確に表情を凍りつかせた。
(……この男……! やはりロトの血脈か、それとも……!)
目の前の「ただの人間(自称)」が放った規格外の呪文の威力、そして我が息子を完璧に庇い見据えるその冷徹な眼光に、バランは言葉を失い、完全に動きを止めるのだった。
「……だから言っただろ。ロトの子孫だとな」
雷撃が撒き散らした火花と砂煙の向こうで、八幡は煙の立つ指先をフッと吹き消しながら、どこまでも不敵な笑みを口元に浮かべた。
「勇者専門の呪文(ライデイン)なんざ、お前ら竜の騎士の専売特許じゃねえんだよ。試してみるか? 今度は頭の上に直撃させてやってもいいんだぞ」
ブラフ(ハッタリ)全開の挑戦的な態度。圧倒的な凄みを全身から放つ八幡。
(……やべぇやべぇやべぇ!! かかってこられたら一瞬で切り刻まれて俺の人生終了だわ!! なんだあの威圧感!? 頼むから騙されてくれ!!)
内心では滝のような冷や汗を流し、今すぐ脱兎の如く逃げ出したい恐怖と必死に戦っていた。
八幡の不敵な眼光と、直前に放たれた本物のライデイン、そして底知れぬ「ロトの子孫」という存在感――。
静寂の中、バランはしばし八幡を冷徹に見つめていたが、やがて静かに剣の柄から手を離した。
「……フン。地上の裏から現れた妙な男か。どうやら、単独で挑むには少々分が悪いようだな」
かつてない未知の脅威を警戒したバランは、深く黒い外套を翻すと、背後の空へと跳躍し、そのまま竜の気の渦とともに去っていった。
「…………」
バランの気配が完全に消え去った瞬間。
「……ひ、ひいいぃぃっ……!!」
緊迫の糸が切れたポップが、その場にガクッと激しく腰を抜かした。
「い、生き……生きてる……! あんなバケモノみたいな奴と面と向かって、、、八幡、アンタ頭のネジが飛んでんのか……!?」
「……喋るなポップ。俺に……振るな……」
八幡はといえば、ポケットに手を入れた姿勢のままピクリとも動かない。
いや、動けないのだ。重刀のような圧迫感から解放された途端、膝が武者震いどころではないレベルでガクガクと小刻みに震えていた。
(……あー無理。マジで無理。なんだあのチート親父……。あんなのと正面から殴り合いとか、どこのバトル漫画の主人公だよ……)
八幡は引きつった顔で額の汗を拭うと、ダイを抱えるポップの横で心底うんざりしたように呟いた。
「……たく、なんつー怖い親父だ。PTAの殴り込みどころの騒ぎじゃねえぞ、マジで……」
バランの恐ろしい気配が完全に消え去り、ようやくその場にまともな空気が戻ってきた。
気絶したダイを介抱しながら、レオナが思い詰めたような真剣な眼差しを八幡に向けてくる。
「……ねえ、八幡。さっき言っていたこと……本当に『勇者ロト』の子孫なの? アレフガルドっていうのも……」
ヒュンケルやクロコダイン、さらにはナバラやメルルまでが、ごくりと息をのんで八幡の返答を待った。世界の運命を揺るがすような伝説の血脈。それが目の前にいる気だるげな青年の真実なのかどうか――。
そんな熱い視線を浴びせられた八幡は、心底うんざりしたように肩をすくめると、バツの悪そうな顔で言い放った。
「そんなわけねえだろ」
「……は?」
ポップの口がポカーンと開く。
「おいおい、よく考えろよ。ロトなんてどっかの昔話の伝説だろ? 誰も本当のことなんて確かめようがないから、テキトーに名前借りてハッタリかましただけだよ」
八幡はポケットに手を突っ込み、やれやれと首を振った。
「あのチート親父、変に知識があるからこそ『未知の伝説』に勝手に深読みして警戒してくれたんだよ。情報過多な奴ほど裏の裏を読もうとして勝手に自滅する……ボッチの基本戦術だ」
あまりにもあっけらかんと言い放たれた真相。
「は……ハッタリぃぃぃぃ!? あんな死ぬほど怖いバラン相手に、世界規模のウソついたのかよお前ええええっ!?」
ポップが絶叫し、周囲の仲間たちにも激震が走った。
「……ハッタリだと……?」
あのヒュンケルでさえ、呆然として絶句している。
「あの状況で……あの竜の騎士バランを相手に、そこまでの大嘘を堂々と突きつけて追い払ったというのか……!?」
クロコダインは太い腕を組みながら、汗をダラダラと流して震えていた。強大な武力で圧倒するのではなく、ハッタリのスケールだけで最強の戦士を退けさせた男の度胸と策略に、武人として旋律を覚えるほど驚愕していた。
「……たく、命拾いしたのにそんな目で見るなよ」
八幡は冷や汗を拭いながら、ガクガク震える足を隠すようにそっぽを向くのだった。
メルルはその場に立ち尽くし、胸の鼓動が収まらないのを必死に抑えていた。
(……ウソ……だったの……?)
水晶玉を抱えた手が、わずかに震えている。
あの恐怖に満ちた極限の戦場。世界最強の竜の騎士を相手取り、伝説の血脈を騙って相手の心理の虚を突くなど、一歩間違えば一瞬で命を散らすギャンブラー顔負けの極上の綱渡りだ。
しかも、その命懸けのハッタリを演じきった後も、顔色一つ変えず、ただ「面倒くさそう」に振る舞っている。その底知れぬ胆力は、常軌を逸していた。
(それに……あのライデインだって……)
勇者にしか使えないはずの伝説の呪文を、ただの「ハッタリ」と言い張るその男が、実際にその手で空から神鳴りを引きずり下ろしてみせたのはまぎれもない事実だ。
理屈では説明のつかない知識、冷徹な計算、そしてどこか冷めながらも決して仲間を見捨てない矛盾した優しさ。
――やはり、この男はあまりにも異質だ。
世界の理(ことわり)の枠外からやってきたかのような、得体の知れない影の英雄。
メルルは大きく息を吸い込むと、しっかりと八幡を見据え、深々と頭を下げた。
「……八幡さん。ありがとうございます」
その言葉に続くように、ポップやレオナ、そしてクロコダインやナバラたちも、次々と八幡に向かって頭を垂れ、あるいはまっすぐな感謝の目を向けた。
誰もが分かっていた。あの場に八幡がいなければ、ダイは連れ去られ、自分たちもただでは済まなかったということを。
「……命を救われちまったな、俺たち」
ポップが照れくさそうに頭を掻きながら笑う。
ヒュンケルも静かに頷き、クロコダインは豪快に腕を組んでうなずいた。
頭を下げられ、気まずそうに目を泳がせた八幡は、やれやれと頭をポリポリと掻きむしると、フンとそっぽを向いて吐き捨てた。
「……勝手に勘違いして自爆していっただけだろ。お礼を言うなら、俺じゃなくてそのへんの道端の石ころにでも言ってくれよ」
相変わらずのひねくれた態度。
だが、その背中がほんの少しだけ誇らしく見えたのは、きっと気のせいではなかった。