ダイの大冒険 やはり俺がアバンの使徒なのは間違っている。 作:tomozow
翌朝。
重い頭を揺らしながら目を覚ました八幡は、洗面所でジャリジャリと鳴る髭を剃り落とした。
「……うぐ、飲み過ぎたな……。だがまあ、悪くない酒だった……」
昨夜のロン・ベルクやバラン、クロコダイルたちの豪快な飲みっぷりを思い出し、苦笑いを浮かべる。魔界の名工や竜の騎士と膝を突き合わせて酒を酌み交わすなんて、普通の高校生(いや、いまや30歳だが)の人生じゃ口が裂けても味わえない体験だ。
八幡は軽く焼いたトーストを口に放り込み、サクッと齧り付いた。
そして、何気なく食卓の上に置いたスマートフォンを手に取り、画面をつけた瞬間――。
「……ぶふっ!?」
あまりの通知の数に、危うくトーストを喉に詰まらせかけた。
不在着信の嵐。
名前の欄に並んでいるのは――【雪ノ下雪乃】、【由比ヶ浜結衣】、そして【雪ノ下陽乃】。
「……マじかよ。着信件数が完全に事故レベルじゃねえか……」
魔王軍やダイたちの死線を潜り抜けていた間は、正直「明日生きて帰れるかもわからない」という極限状態だったため、現実世界の泥沼すぎる人間関係からは完全に思考をシャットアウトしていた。だが、鍛治が始まり、束の間の平和が訪れた途端にこれだ。
(……急に現実を引き戻してくんじゃねえよ……)
胃が痛くなりそうな通知画面を見つめながらも、八幡の脳裏にはあの「最後の夜」の光景が嫌でも蘇る。
死を覚悟した土壇場で、なりふり構わず言いたいことをぶちまけたあの夜。
そして、雪乃と結衣――二人が見せた、なりふり構わぬ感情の爆発と、唇に残るあの青臭くも鮮烈な触感。
「……ふっ」
思い出した八幡の口元が、自分でも無意識のうちに少しだけニヤリと緩んだ。
柄にもない。だが、あいつらが本気で自分に向き合ってくれたあの瞬間の情熱は、決して悪い気分じゃなかった。
「……さて。どうしたもんかね……」
冷めたコーヒーを口に含み、トーストと一緒に一気に胃袋へ流し込む。
画面上でなおも自己主張を続ける「未読」と「着信」のアイコンを一度ポケットに押し込めると、八幡はため息混じりにスーツの上着に袖を通した。
「……まあ、まずは生きるための糧(仕事)からだな。現実の修羅場も、一歩ずつ片付けるとするか」
ランカークスの熱気と仲間たちの笑顔を背に、八幡はいつもの無駄に達観した死んだ魚の目を少しだけシャキッとさせて、朝の街へと足を踏み出した。
仕事の申し送り書類をファイルに閉じ、八幡は大きく背もたれに体重をかけた。
デスクの上のマグカップを取り、冷めかけたコーヒーを一口すする。職場のフロアでは、いつものようにキーボードを叩く音や電話の応対の声が飛び交っている。
(……大体、申し送りも終わってきたな)
自分のデスク周りを見渡しながら、八幡はふと感慨深い思いにとらわれた。
新卒の就職活動で全敗し、紆余曲折を経てなんとか拾われたこの会社。最初は「ただの生存戦略」として割り切り、最低限の労力で波風を立てずにやり過ごすつもりだった。
だが、気づけば三十路を迎え、異世界での命がけの冒険、神々の金属や超常の猛者たちとの出会い、そして現実世界での雪乃や結衣たちとの泥沼でいてどこか愛おしい人間関係の清算――。
(……なんか30歳になってから、人生の密度が濃すぎんだろ俺。高校時代よりよっぽど波乱万丈じゃねえか)
10代の頃には想像すらしていなかった未来。
孤独をこよなく愛し、誰とも関わらずに生きていくはずだった男が、異世界では最強の鍛冶屋や竜の騎士に一目置かれ、現実世界ではかつての少女たちに振り回され、職場でもそれなりに責務を果たして引継ぎを行っている。
「……ま、悪くなかったな。この会社も」
ぽつりと小さく呟いた八幡の口元に、自虐ではない、どこかすがすがしい笑みが浮かぶ。
過去の自分が見たら呆れ返るかもしれない。だが、泥臭くあがき、傷つきながらも積み重ねてきたこの「30代の日常」は、決して捨てたものではなかった。
マグカップを置くと、八幡はパソコンの電源を落とし、静かに立ち上がった。
「よし、今日もキッチリ定時退社……素晴らしい。実に模範的な労働者だな、俺」
パソコンを閉じ、タイムカードを切った八幡は、心の中で自分を大絶賛しながら会社をあとにした。夕暮れの涼しい風が、申し振りをあらかた終えた解放感いっぱいの体に心地よく吹き抜ける。
だが――ビルを出て数歩歩いたところで、突如として右腕をガッチリと掴まれた。
「……ッ!?」
鍛えられた身のこなしで咄嗟に身構えそうになるが、腕に伝わる質感と、鼻腔をくすぐる上品で聞き覚えのある香水の匂いに動きが止まる。
視線を落とすと、そこに立っていたのは――雪ノ下陽乃だった。
「……久しぶりですね、陽乃さん。相変わらず暇なんですか?」
いつもの調子で、軽く皮肉を交えながら問いかける八幡。しかし、帰ってきた反応はいつもの意地悪で冷ややかな薄笑いではなかった。
「……そんなわけないでしょ」
掴んだ腕にきゅっと少し力が込められる。
「私は凄く忙しいの。……ただ、今の私にとって一番優先順位が高いのが、比企谷くんだってだけ」
そう言って八幡を見上げる陽乃の頬は、夕日のせいばかりではない鮮やかな朱色に染まっていた。視線を少し泳がせながらも、握った手だけは絶対に放さないという強い意志が伝わってくる。
(……は?)
八幡は思考が一瞬フリーズした。
あの百戦錬磨で、いつも自分や妹たちを手のひらで転がしては面白がっていたあの雪ノ下陽乃が、顔を赤くしてデレている……?
(おいおいおい……待て待て待て。この人、こんな可愛い性格してたか……!?)
目の前のギャップと、腕から伝わる体温、そしてストレートすぎる言葉の破壊力に、八幡の顔も一気にカッと熱くなった。
「……な、なに言ってんですか、あんたは……」
照れ隠しに思わず顔を背ける八幡だったが、掴まれた腕の熱気と、二人の間に流れる甘く甘く甘い空気からは、どうしても逃げ出すことができないのだった。
「ちょっと、立ち話もなんなんだから行くわよ」
陽乃は真っ赤になった顔を誤魔化すように、すばやく片手を挙げて通りかかったタクシーを捕まえた。八幡の腕を離さないまま、半ば強引に後部座席へと押し込む。
「あっ、おい陽乃さん――!」
八幡が車内に収まったのと同時に、陽乃もすべり込んでドアがバタンと閉まった。
「運転手さん、出してください!」
タクシーが滑らかに発進した――まさにその瞬間。
「……待ちなさい、比企谷くん!!」
会社のビルから猛スパートで飛び出してきたのは、息を切らせた雪ノ下雪乃だった。
あと数秒早く辿り着いていればタクシーの前に立ち塞がれたはずの雪乃は、遠ざかるリアランプを見送り、悔しそうに地団駄を踏んだ。
「くっ……すんでのところで逃げられたわね……!」
だが、雪乃の瞳には諦めの色など微塵もなかった。
すぐさま隣のパーキングへ向かうと、愛車の運転席へ乗り込み、エンジンを爆音で始動させる。
助手席のドアがバタンと開き、慌ただしく滑り込んできたのは由比ヶ浜結衣だった。
「ハァ、ハァ……! ゆきのん、追いつけそう!?」
結衣がシートベルトを締め終わるのを確認するや否や、雪乃はダッシュボードから黒のサングラスを取り出し、スッと目元に装着した。
「私から逃げられると思って……? 陽乃姉さん、比企谷くんを一人占めしようなんて十年間早いわ」
アクセルをぐっと踏み込み、ハンドルを滑らかに切りながら前方のタクシーを捕捉する雪乃。その一切の無駄がないクールで危険な走りに、結衣は目を輝かせた。
「きゃーっ! ゆきのんカッコいい~っ!!」
「騒がないで、結衣。ここからはカーチェイスよ……絶対に逃がさないわ」
真顔でシフトレバーを入れるサングラス姿の雪乃と、隣で大興奮する結衣。
追う妹と追われる姉(+巻き込まれた八幡)。夕闇の街を舞台に、恐ろしいほど過熱した愛執の追撃戦が幕を開けたのだった。
走り出したタクシーの静かな車内。バックミラー越しに、遠ざかる雪乃たちの乗る車を確認しながら、八幡は隣に座る陽乃へと視線を向けた。
「……なんで俺なんですか? 俺にそんな価値はないと思いますがね。世間一般の基準で見ても、俺みたいなひねくれた人間なんて、どう見ても地雷物件のオンパレードでしょうに」
自虐を交えつつ、素朴な疑問を口にする八幡。
それに対し、陽乃は窓の外の夜景からふっと視線を外し、まっすぐに八幡の目を捉えた。
「……それを決めるのは、比企谷くんじゃないでしょう?」
「まあ、そうですね……」
ぐうの音も出ない返答に八幡が目を泳がせると、陽乃は少しだけ声を潜め、どこか遠くを見るような、それでいて熱を帯びた瞳で紡いだ。
「……あの事故の時の傷のことなら、もう忘れてくれると助かるんですけど」
八幡がそう切り出すと、陽乃は首をゆっくりと横に振った。
「違うわ。私が動かされたのは、そんなんじゃないのよ」
「……は?」
「私が囚われていたもの、あの時からずっと呪縛のように私を縛り続けていたものを、綺麗に剥ぎ取ってくれたのはあなたの言葉。『私の美しさは外見だけじゃない。中身こそ素晴らしい』って……あの時、真剣な顔でそう言ってくれたあなたの言葉よ」
それは、かつて彼女の仮面や虚構を打ち砕き、剥き出しの自我を突きつけたあの日の記憶。
(……あの時は、あの場の空気を何とか落ち着かせるために、勢いでテキトーなこと並べ立てただけだったんだがな……)
八幡は心の中で頭を抱えた。
あんな気休めとも本気ともつかない不格好な台詞が、まさかあの完璧超人である雪ノ下陽乃の心をこんな風に狂わせ、芯を貫いていたなんて思いもしなかった。
だが――。
振り返ってみれば、あれはリップサービスなどではなく、他ならぬ自分自身の紛れもない「本音」だった。それを自覚してしまい、八幡は気まずそうにゴホンと咳払いをする。
「……買ってくれたりおだてたりしたって、俺からは何も出てきませんよ。特に得をするような人生設計もしてないんでね」
「ふふっ……知ってるわよ、そんなこと」
陽乃はふっと柔らかく微笑むと、今度は躊躇なく、八幡の袖をキュッと両手で掴んだ。その表情には、いつもの底知れない妖艶さは影を潜め、年相応の、いや、恋に落ちた一人の女性のまっすぐな熱だけが宿っていた。
「得なんて求めてない。ただ、私はあなたと一緒にいたいだけ。……ねえ、比企谷くん?」
――バックミラーの向こうでは、いまだ執念の追跡を続ける雪乃たちの車が猛追してきている。
逃げ場のないタクシーの車内で、30歳の元・ぼっち高校生は、人生最大のモテ期(という名の修羅場)の真ん中で頭を抱えるしかなかった。
「……ねえ、比企谷くん」
囁くような声が耳元に届いたと思った瞬間、ふわりと上質な香水の香りが鼻腔をくすぐり、視界が陽乃の顔で埋まった。
――んっ。
柔らかく、熱を帯びた唇が、八幡のそれに重なる。
タクシーの流れる街灯の光が、車内を瞬時に明暗で彩る中、唐突で、けれどどこまでも濃厚な口づけ。
「……ッ!?」
八幡は思わず目を見開いた。いつも余裕たっぷりに人を弄んでいたあの陽乃が、少しだけ体を震わせながら、まるで宝物に触れるかのように愛おしそうに唇を重ねてきている。
ゆっくりと離れた陽乃の瞳は、うるうると濡れており、頬は赤く火照っていた。
「……本気、なんですね。陽乃さん」
八幡は息を整えながら、少し掠れた声で呟いた。冗談やからかいでこんな顔ができるわけがない。
「当たり前でしょ……? かつてないほど本気よ。私、嘘なんてついてない」
強がりの中に滲む切実な熱量。それを受け止めた八幡は、ハッと小さく息を吐くと、意を決したように手を伸ばした。
陽乃の華奢な肩をそっと抱き寄せると、今度は自分から、彼女の唇へと深くキスを返した。
「……んッ……!?」
不意を突かれた陽乃が小さな声を漏らし、うっとりと瞳を閉じて八幡の胸元にしがみついてくる。あの完璧超人・雪ノ下陽乃が、八幡の手の中で完全に毒気を抜かれ、一人の恋する女性として身を委ねていた。
やがて唇を離すと、八幡は陽乃の赤くなった顔をまっすぐに見つめ、静かに、しかし覚悟を込めて言い放った。
「……なら、俺も本気で考えます。あんたたちのことも、俺のこれからも」
「……比企谷くん……」
誤魔化しも逃げもしない。30歳の男として、そして幾多の修羅場を潜り抜けてきた一人の人間として吐き出された決意の言葉。
その言葉の重みに、陽乃は満たされたような笑みを浮かべ、八幡の腕にそっと頭を預けたのだった。
キィィィッ……!
タクシーが目的地に滑り込むと同時に、背後から凄まじいタイヤの摩擦音を立てて、雪乃の車がぴったりと横付けされた。
パタン、とドアが開き、八幡と陽乃が車外へと足を踏み出す。
二人の顔はほんのりと赤く火照っており、特に陽乃は普段の凛とした面影が嘘のように、うっとりとした表情でどこか夢見心地な空気を纏っていた。
「……ッ!」
車から降りてきた雪乃と結衣の視線が、瞬時に二人の様子を捉える。
サングラスをずらした雪乃の鋭い瞳と、結衣の丸く見開かれた瞳が、八幡と陽乃の少し乱れた空気と赤くなった顔に注がれた。タクシーという密室の中で「何が起きたのか」を察するのに、一秒もかからなかった。
「……陽乃姉さん。あなた、車内で一体何をしていたの」
雪乃の声は凍りつくほど低く、その眼光は姉を射抜くように鋭い。
「ゆ、ゆきのん……これって、まさか……っ! ヒッキー、ひょっとして……!?」
結衣もショックと嫉妬が入り混じった顔で、唇を噛み締めながら八幡を見つめている。
まさに一触即発、夕闇の街角で修羅場の嵐が吹き荒れようとしたその時――八幡はハァと深くため息をつき、静かに首を横に振った。
「……今日は、もう解散しよう」
「「「……え?」」」
落ち着いた、しかしどこか強い覚悟の籠もった八幡の声に、三人は思わず毒気を抜かれたように言葉を詰まらせた。
「俺も……ちゃんと本気で考えるって決めたからな。お前たち一人ひとりと、正面から向き合うための準備が必要なんだよ。だから……今日はこれで終わりにしよう」
誤魔化すでも逃げるでもなく、しっかりと自分の足で立ち、自分たちの想いを受け止める姿勢を見せる八幡。その30歳としての男の背中に、雪乃も結衣も、これ以上は強く追及することができなかった。
「……分かったわ。比企谷くん、あなたがそこまで言うなら……今日は引き下がるわ」
雪乃は悔しそうに拳を握り締めつつも、静かに頷いた。結衣も「……うん。ヒッキーがそう言うなら……」と寂しそうに微笑む。
傍らでは、陽乃がなおも八幡の腕の温もりを反芻するように、どこか浮世離れした幸せそうな笑みを浮かべて佇んでいた。
「じゃあな。みんな、気をつけて帰れよ」
八幡はそう言い残すと、夕闇の深まる街へと一人歩き出した。
現実世界での過酷で甘い修羅場にひとつの区切りをつけた八幡であった。
自室のドアを開け、鍵をカチャリと閉めた瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れたように全身から力が抜けた。
八幡は玄関にそのまま背中を預けるようにずり落ち、頭を抱えて小さくうめき声を上げる。
「……はぁぁぁ……っ、何やってんだ俺は……」
静まり返った部屋の中で、自分の両手を見つめる。
あのタクシーの車内。まさか、あの雪ノ下陽乃に自分から口づけを返すなんて――十代のひねくれた頃の自分が知ったら、間違いなく頭を抱えて床を転げ回るほどの黒歴史を自ら作ってしまった。
「いや、待て待て待て。なんであんな大胆な真似をした? 冷静に考えて正気の沙汰じゃねえぞ……」
思い返せば、ここ最近の人生がハードモードすぎたせいだ。
異世界に飛ばされて竜の騎士と酒を酌み交わし、魔王軍の脅威を目の当たりにし、「明日をも知れない死闘」の連続をくぐり抜けてきた。脳がずっと極限状態のままアドレナリンを出し続けていたせいで、生存本能というか、タガがすっかりバカになっていたのは間違いない。
「……そうだよ。ダイたちと死にかかけたり、魔界の化物どもと張り合ったりしてるからだ。……絶対、人間のリミッターが狂って種族維持本能が刺激されてやがる」
やれやれ、と頭を掻きむしる。
「雄だな、俺も」――そんな自嘲的な言葉が、妙に生々しく胸の内に響いた。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
仕事に追われ、誰とも深く関わらず、ただ波風を立てずに死んだように生きていたかつての日常。それに比べたら、今の毎日はどうだ。理不尽に振り回され、修羅場に冷や汗を流し、血と泥と、そして鮮烈な熱量にまみれている。
胸の奥に残る、陽乃の唇の感触と、雪乃や結衣の真剣な瞳。
「……まあ、確かに」
八幡はふっと息を吐き、自嘲から一転して、どこかやれやれといった表情で小さく呟いた。
「……生きてるって感じがするな、今の俺は」
不器用で、ひねくれていて、いつだって面倒くさいことから逃げ出したがるくせに、肝心なところで逃げ切れない。
――本当に、難儀なものだ。俺という人間も。
苦笑いを浮かべながら立ち上がった八幡は、冷えた缶コーヒーでも飲もうと冷蔵庫へ手を伸ばすのだった。
翌朝、目を覚ました八幡の枕元に、一枚の古びた羊皮紙が置かれていた。
「ん……? なんだこれ」
手紙の差出人は、ない。
だが、そこに書かれているのは意味不明な記号や不規則な文字の羅列だった。パッと見ただけでは、子供のいたずらか呪文の殴り書きにしか見えない。
「……はぁ、仕掛けられた暗号ってやつか。めんどくせえな…ってか、これは先生の…」
ぼやきながらも、ひねくれ者の知恵をフル回転させて規則性や文字のシフトを読み解いていく。数分後、導き出された文字列を繋ぎ合わせたとき、そこに浮かび上がったのは、ランカークス近郊にある指定された特定の地点を示していた。
――どうやら、呼び出しのようだ。
身支度を整えた八幡が指定されたランカークスの工房を訪れると、そこにはすでに全ての作業を終えて待ち構えていたロン・ベルクの姿があった。
「遅かったな、八幡」
フッ、と不敵な笑みを浮かべる魔界の名工の手には、黒と銀の重厚な輝きを放つ、完璧なバランスの美しさを備えた一振りの刀剣が握られていた。
「……できたのかよ」
「ああ。お前が寝ている間、ジャンクと二人で最後の焼き入れを済ませた。……受け取れ。お前専用の特注剣だ」
ロン・ベルクが無造作に放り投げたそれを、八幡は慌てて両手で受け止めた。
ずしりと手に馴染む確かな重量感。鞘からわずかに引き抜くと、研ぎ澄まされた刃が冷たい光を放ち、持ち主の魂を吸い込むかのような圧倒的な存在感を主張した。
「……っ……!!」
八幡は言葉を失い、ただ全身を激しく震わせた。
手にしているのは、ただの武器ではない。かつて画面の向こうのRPGで夢見た、伝説の勇者だけが手にする特別な名剣。それを、異世界の名工が自分のために魂を込めて打ってくれたのだ。
まるで、世界を救う旅の始まりに、城の王から直接伝説の剣を授かったかのような――そんな身震いするほどの高揚感が胸を駆け巡る。
「……おいおい、そんなに震えるな。たかが一振りの剣だぞ。大袈裟だな」
呆れたように髭をいじるロン・ベルクだったが、その口元には隠しきれない誇らしげな笑みが浮かんでいた。
だが、八幡は剣から目を離さないまま、心からの感動を噛み締めて力強く言い放った。
「大袈裟なもんかよ……! 最高だ、これ……!」
そのあまりにも少年のような純粋な興奮を目にしたロン・ベルクは、ふっと満足そうに鼻を鳴らした。
「……ふっ、悪くない。その顔が見られたなら、この剣を打った甲斐もあったというものだ」
アバンからの謎めいた手紙、そして手に入った人生最高の相棒。
物語はいよいよ、予測不能なクライマックスへと動き出そうとしていた。
「ほう……名前は付けんのか? 職人が魂を込めた一振りに名を与えるのは、持ち主の特権だぞ」
ロン・ベルクが腕を組みながら尋ねると、八幡は愛おしそうに刀身の輝きを見つめたまま、静かに首を横に振った。
「いや……そういう格好つけた名前はいらないな。……強いて言うなら、ロン・ベルク。その名前をもらう」
「……俺の名前、だと?」
ロン・ベルクが片眉を跳ね上げる。八幡は鞘に剣をカチリと収めると、魔界の名工をまっすぐに見据えて言った。
「素材こそオリハルコンじゃないが、俺にとっては最高の一振りだ。これからこの剣を振る度に、あんたのことを思い出す。そして……この出来に恥じない生き方をするよ」
「……っ」
あまりにも不器用で、けれどこれ以上ないほどまっすぐな信頼の言葉。
ロン・ベルクは一瞬言葉を詰まらせたあと、フッと口元を歪め、照れ隠しのようにハッと鼻で笑ってみせた。
(……やれやれ。鍛冶屋冥利に尽きる、とはこのことか)
数多の修羅場をくぐり抜け、あらゆる武具を作り続けてきた名工の胸に、かつてない温かい熱がじんわりと広がる。これほどの情熱をもって自分の作品を愛し、命を預けてくれる男に出会えたのだ。職人として、これ以上の喜びがあるだろうか。
「……勝手にしろ。ただし、その剣を折ったりしてみろ、ただじゃおかんぞ」
「へいへい、大事に使わせてもらいますよ」
八幡の背中を見送りながら、ロン・ベルクは自分の大きな手元を見つめた。
胸の奥で、久しく忘れていた鍛冶屋としての激しい熱い炎が、グツグツと燃え上がっているのを感じる。
(……フッ。あいつにあんな真顔で言われちゃあ、俺も格好悪い姿は見せられんな)
ロン・ベルクはニヤリと不敵に笑うと、作業場の奥へと歩みを進めた。
(ダイの剣も打った。八幡の剣も最高の出来だ……。よし、そろそろ俺自身の剣も完成させるか)
魔界最高峰の職人が、自らの戦いのために打つ真の愛刀――。
ランカークスの工房には再び、魂を打ち振るう力強い槌音が響き渡り始めるのだった。
アバンの手紙が示していた座標へ辿り着くと、そこはランカークスの町から少し離れた、静寂に包まれた岩山の陰だった。
八幡は周囲の雑木林や岩肌を念入りに捜索し、崩れかけた古い石造りの祠の奧に、怪しく青い光を湛えた円形の空間を見つけ出した。
「……旅の扉、か」
ゆらゆらと歪む空間の面を見つめ、八幡はぽつりと呟いた。ドラクエの定番にして、空間を飛び越える魔法の仕掛け。いざ目の前にすると、独特の浮遊感と異次元の気配が肌を刺す。
「ワープねぇ……目的地がどこに繋がってるかもわかんねえってのは、相変わらずあの先生も人使いが荒いことで」
肩をすくめて溜め息をついたその時――背後からカサリと落ち葉を踏む音が聞こえた。
「……ピィ!」
「……なんだ、つけられてたか」
振り返ると、そこには翼をパタパタと羽ばたかせるゴメちゃんと、槍を背負い静かに佇むラーハルト、そして巨躯を揺らすクロコダインの姿があった。
「つけられていた、とは人聞きが悪いな、八幡殿」
ラーハルトが冷徹ながらも信頼の滲む瞳で八幡を見つめ、クロコダインがガハハと胸を叩く。
「護衛だよ、八幡。お前が一人でフラリとどこかへ消えてしまっては困るからな。手紙を見て旅立つ気配を感じ、追わせてもらった」
「護衛ねぇ……」
八幡は腰に差したばかりの【ロン・ベルク】の柄に軽く手を置いた。
「ま、確かにこの扉の先が魔王軍のド真ん中なのか、はたまた未知の領域なのかわかったもんじゃねえからな。あんたたちみたいな猛者が一緒に来てくれるなら、これ以上頼もしいもんはないよ」
やれやれと苦笑しつつも、胸の奥で確かな安心感が湧き上がるのを感じる。
「よし……それじゃ、行くとするか」
八幡が手を伸ばし、旅の扉の重厚な枠組みに触れて扉を開け放つと、渦巻く青い光が勢いを増し、四人を包み込もうと溢れ出した。
不気味な光の渦を見つめながら、八幡たちは新たな局面へと足を踏み入れるのだった。
青い光の渦を抜け、一瞬の浮遊感のあとに四人が足を踏み出したのは、荒涼とした岩肌と、どこか懐かしくも冷たい風が吹き抜ける大地だった。
八幡は目を細め、目の前に広がる独特の景観を見渡す。
「ここは……見覚えがあるぞ。ドラクエ1のゲーム画面で見た景色そのままじゃねえか。……アレフガルド、なのか……?」
見渡す限りの毒沼や岩山、そして平原。幼い頃にファミコンやリメイク版で焼き付けたあの「始まりの大地」の空気が、肌を刺すリアリティを持って迫ってくる。
八幡はポケットからアバンの手紙を取り出し、まだ解読していなかった末尾の追記に目を落とした。そこに書かれていた言葉に、思わず眉をひそめる。
『追伸:旅の扉の先へ着いたら、まずは【竜王】を訪ねなさい』
「……竜王を訪ねろ、だぁ? あのアバン先生、マジで何考えてんだ……?」
思わずぼやきが口をついて出る。だが、目の前に広がる現実を前にして、八幡の脳内でバラバラだったパズルがカラカラと音を立てて組み合わさっていった。
(……待てよ。この世界って、ダイの大冒険の世界とドラクエ1や3の世界が根底で繋がってたのか……? 原作(漫画)じゃそんな描写はなかったはずだが……いや、待て。そういえばデルムリン島にいた『ニセ勇者一行(でろりんたち)』の格好、ありゃ完全にドラクエ3のロトの勇者パーティの装備だったじゃねえか。なら……アレフガルドが存在して、竜王がいてもおかしくねえのか……!)
「八幡、どうした? 何か知っているのか?」
怪しむように周囲を警戒していたラーハルトが、八幡の様子に気づいて声をかけてくる。クロコダインも巨躯を丸め、海の向こうを険しい目で見つめていた。
「……ああ。あそこに見えるだろ、あの禍々しい城が」
八幡が指差した先――どんよりとした雲が立ち込める海の向こう岸に、不気味で圧倒的な存在感を放つ古城がそびえ立っていた。
「あそこにいるのは……かつてこの世界を恐怖に陥れた世界の支配者、『竜王』の城だ」
「なに……!? 竜王だと……!?」
クロコダインが目を見開き、ラーハルトも槍の手元を強く握り直す。
アバンの意図はまだ読めない。だが、魔王軍との最終決戦を前にして、なぜアバンは八幡たちをこの伝説の地へと導き、竜王に会わせようとしているのか。
「……やれやれ。どこに行っても一筋縄じゃいかない場所ばっかりだな」
腰の【ロン・ベルク】の柄に手を置き、八幡は深々とため息をつきながらも、海の向こうの竜王城を見つめて静かに脚を踏み出すのだった。
「ここは、地下世界アレフガルドだ」
八幡が静かに言い放ったその名に、ラーハルトの表情が一変した。
「なに……!? 伝説の……お前が前に故郷と言っていた、あのアレフガルドなのか!?」
ラーハルトの手が思わず背中の槍へと伸びる。クロコダインも「ぬう……!」と唸り声を上げ、どこか神聖で異様な空気が漂う大気を肌で感じ取っていた。
八幡自身、かつて雑談混じりに「俺の魂の故郷はアレフガルドとかロトの血脈がどうたらこうたら~」などと適当なぼっちの妄想混じりに語ったことがあったのだが、まさかその「ゲームの中の伝説」が目の前に実在していようとは思いもしなかった。
「……ま、そうみたいだな」
八幡は自嘲気味に肩をすくめ、毒沼の向こうにそびえる不気味な竜王城を見据えた。
(……アバン先生、一体どこまで見通して俺をここに送り込みやがった……?)
大魔王バーンとの決戦、ハドラーの動向、そして現実世界での雪乃たちとの泥沼の愛執劇。ただでさえ処理容量を超えかけている自分の人生に、今度は「伝説の竜王との謁見」という超大作RPGの最終章みたいなシナリオまでぶち込まれてしまった。
(……ハッ、笑えてくるな。先がまったく見えなくなってきたぞ、俺の人生……)
先の見えない暗雲が垂れ込める空を見上げながら、八幡はため息混じりに腰の『ロン・ベルク』を軽く叩いた。
「よし……まあ、立ち止まってても始まらねえ。海の向こうの『竜王様』に、ご挨拶と洒落込もうじゃねえか」
重い脚を踏み出した八幡の横を、ラーハルトとクロコダイン、そしてゴメちゃんが頼もしく固め、一行はアレフガルドの荒野を進み始めるのだった。
「……俺一人なら、トベルーラでサクッと飛んで行けるんだがな」
八幡は海の向こうに霞む竜王城を見上げながら、ボヤくように呟いた。
「なに……!? お前、あの高度な飛翔呪文まで使えるようになったのか……?」
ラーハルトが驚きに目を丸くし、クロコダインも「ぬう、さすがはロン・ベルクに認められた男だ……」と感心したように頷く。
「いや、二人を抱えて飛ぶのは流石に重すぎて落ちるから諦めるけどな」
そんな雑談を交わしながら荒野を進み、一行はラダトーム城の城下町へと辿り着いた。古風だがどこか気品のある街並みを抜け、港へ向かうと、運良く竜王城の島側へ渡る大型の定期船が停泊していた。
「よし……次の便で渡れそうだな」
出航までの手持ち無沙汰な時間、八幡たちは港近くの広い広場へと足を向けた。町の中心に置かれた、歴史を感じさせる大きな石造りの記念碑――その中央に鎮座する二体の銅像が、夕日に照らされて鈍い光を放っている。
剣を掲げる勇敢な勇者と、その隣で微笑む気品ある王女の姿。
「……ん?」
八幡がふと足を止め、その勇者の銅像の顔を凝視した。
どことなく……いや、死んだ魚のような目つきといい、妙に捻くれたような眉間のシワといい、自嘲気味な口元といい――明らかに自分に似ている。
「おい……八幡。この勇者の像……」
ラーハルトが銅像と八幡の顔を何度も交互に見比べ、真顔で呟いた。
「やはり、お前が言っていた『俺はロトの子孫』というのは、単なる戯れ言ではなく本当だったのか……!?」
「うむ……! 異世界から来たと言っていたが、まさか伝説の勇者の血を引く者だったとはな! どおりで只者ではない気配を纏っているわけだ!」
クロコダインまでもが深く納得したように頷き、ガシガシと頭を掻いている。
「いやいやいや! そんなわけない、はずだけどな……!?」
八幡は全力で首をぶんぶんと振った。
冷や汗をダラダラと流しながら反論しようとしたその時、港からブォォォンと重厚な汽笛の音が響き渡った。
『竜王城行き、最終便が出航しまーす! 乗るお客様はお急ぎくださーい!』
「っ……ほら、船が出るぞ! 行くぞお前ら!」
八幡は強引に話を打ち切り、逃げるようにタラップを駆け上がった。ラーハルトとクロコダインも不思議そうな顔をしながら、八幡の後に続いて船へと乗り込む。
甲板に立ち、波をかき分けて進む船の上から前方を見据える。
次第に大きくなっていく竜王の城。漆黒の石で作られた禍々しくも圧倒的な城郭が、八幡たちの視界を覆い尽くそうとしていた。
「……さて。伝説の勇者の子孫(仮)として、竜王様とご対面と行きますかね……」
腰の【ロン・ベルク】を軽く握り直し、八幡は腹を括ったように不敵な笑みを浮かべるのだった。
海の向こうから押し寄せる不気味な気配を孕んだ風を受けながら、船はついに竜王城の港へと接岸した。
城の周囲には、巨躯を誇るドラゴンや、鈍い光を放つ甲冑を纏った骸骨騎士(スカルナイト)たちが警備兵として立ち並んでいる。一触即発の緊張感に、ラーハルトは即座に槍の柄に手をかけ、クロコダインも低く身構えた。
だが――警備兵たちは襲いかかってくる気配すら見せない。どうやらこの城は「来るものは拒まず」という独自のルールで成り立っているらしい。
八幡が意を決して前に出ると、重厚な門の前に立つ骸骨騎士の門番に向かって声をかけた。
「……おい。竜王に会いたいんだが、通してもらえるか?」
その言葉を聞いた門番は、兜の奥に宿る蒼い鬼火を大きく揺らし、八幡の顔をまじまじと見つめた。
「……ッ!? き、貴様は……!!」
門番は信じられないものを見たかのように激しく狼狽すると、即座に巨大な鉄門をギギギと押し開いた。そのまま言葉もなく深々と頭を下げ、城の最奥へと続く一本道を案内し始める。
「な、なんだ……? 俺の顔、そんなに怪しかったか……?」
八幡が首をかしげる中、一行は禍々しくも荘厳な玉座の間へと通された。
広大な間の最深部、玉座に鎮座していたのは――圧倒的な威圧感と知性を漂わせる、竜の王。
竜王は静かに深紅の瞳を開き、八幡の姿を一目捉えるなり、重厚な声を響かせた。
「……八幡か。久しいな」
「……は?」
わけがわからない、という顔で八幡はフリーズした。
初対面のはずの伝説のラストボスから、まるで近所の知り合いにでも会ったかのようなフランクなトーンで名前を呼ばれたのだ。
八幡の困惑を余所に、竜王はふっと口元をゆるめ、深いため息をつくように言葉を続けた。
「……まあ、お前が突然姿を消したあの日のことを思えば、こうして前触れもなく突然現れたとて、不思議ではなかろう。……とは言え、お前と顔を合わせるのも100年ほど振りになるか」
「「……100年!?」」
後ろに控えいていたラーハルトとクロコダインが同時に声を上げ、八幡を二度見した。
「いやいやいや! 待て待て待て!! 100年!? 俺、御年30歳のピチピチ(?)なサラリーマンなんですけど!? 100年前なんて影も形もねえよ!!」
パニックになりかける八幡の脳裏に、先ほどラダトームの広場で見た「自分に酷似した勇者の銅像」が嫌な音を立てて繋がっていく。
(……おいおいおい、冗談だろ……? 俺、過去のアレフガルドにタイムスリップして竜王と知り合いになってたとか、そんなタイムパラドックスみたいな伏線回収まで背負わされてんのか……!?)
わけがわからないまま冷や汗を流す八幡を前に、竜王は悠然と玉座の上で頬杖をつくのだった。
「では、約束だ。100年前の願いの続きたわ。手合わせといこう――全員で来ても構わんが」
竜王が静かに立ち上がると同時に、玉座の間全体がミシミシと鳴りを上げた。その体から溢れ出すのは、圧倒的な密度を誇る濃密な暗黒の闘気。
「くっ……! なんという禍々しくも巨大な気だ……!」
クロコダイルが真空の斧を構え、ラーハルトも雷撃のごとき速度でハーケンディストールを引き抜く。八幡も瞬時に腰の『ロン・ベルク』を解き放ち、死んだ魚の目を限界まで鋭く研ぎ澄ませた。
「行くぞ……ッ!」
ラーハルトの突進と、クロコダイルの巨体から繰り出される豪腕の一撃が同時に竜王を襲う。
しかし――
ガァンッ……!!
「ぐはっ……!?」
「ぬおっ……!?」
打撃音すら遅れて聞こえるほどの絶技。竜王は一歩も動くことなく、ただ最小限の動作と闘気の波動だけで、ラーハルトの槍を弾き飛ばし、クロコダイルの巨躯を壁の奥深くへと叩き伏せた。
「……準備運動にもならんな」
一瞬。文字通り一瞬で、陸戦騎と獣戦魔が床に伏した。
(……次元が違いすぎる……ッ!)
冷や汗が全身を吹き出す中、八幡の頭脳が死線の中で高速回転する。手加減なしの真っ向勝負では束になって行っても勝ち目などない。八幡は両足を踏み締め、剣身に青白く閃く雷光を纏わせた。
「……ライデイン・ストラッシュ……ッ!!」
アバンの教えとロン・ベルクの剣術、そして自身の雷撃呪文を融合させた一撃が、空間を切り裂いて竜王の喉元へと迫る。
だが――
パシッ。
「……なに……!?」
八幡の入魂の一閃は、竜王の「素手」――それも、たった片手の掌によって完璧に受け止められていた。ロン・ベルクが鍛え上げた名剣の刀身が、竜王の掌の前でピタリと止まり、ピキピキと悲鳴を上げる。
「見事なキレだ、八幡。……だが」
竜王の瞳が妖しく光った。
ドスッ……!!
「……がっ……あ……っ!?」
次の瞬間、八幡の視界が激しく揺れた。
視線を落とすと、竜王の鋭い手刀が、八幡の腹部を深く貫いていた。鮮血が床に飛び散り、全身の力が一気に奪われていく。
「強い……そして、弱いな。今の八幡よ」
腹部から手刀を引き抜く竜王。八幡はその場に膝から崩れ落ち、血の海の中に倒れ伏した。意識が急速に遠のき、視界が黒く染まっていく。
死の深淵に引きずり込まれそうになったその時――暖かく圧倒的な光の波動が、三人の体を包み込んだ。
『ベホマ』
竜王が差し伸べた手から放たれた極大回復呪文。
肉体を穿たれた八幡の激痛が急速に引き、開いた穴が瞬く間に塞がっていく。同じく瀕死の重傷を負っていたクロコダインとラーハルトも、荒い息をつきながら劇的に傷が癒えていくのに目を見開いた。
床に手をつき、荒い息を吐きながら立ち上がる八幡。
「……ハァ……ハァ……。なんなんだよ……手加減なしで殺しに来といて、ベホマで完治させるとか……どんだけスパルタなんだよ、あんたは……」
血の味のする口内を拭いながら八幡が睨みつけると、竜王は静かに玉座へと戻り、深紅の瞳で八幡を見つめ返したのだった。
「ふむ。やはりお前は私の知る八幡とは違うようだな。……ロトである八幡とは」
玉座に深々と腰掛け直した竜王が、静かにそう呟いた。
「ロト……? 俺が……!?」
八幡は塞がったばかりの腹部を押さえながら、思わず素で声を裏返らせた。
「な……ッ!? ロトの子孫ではなく、八幡自身が……『ロト』その人だと言うのか……!?」
ラーハルトが息を呑み、クロコダイルも「ぬおっ!?」と目を見開いて八幡を二度見する。先ほどの銅像の件どころではない超展開に、戦士二人の頭脳は完全にキャパシティを超えていた。
しかし、竜王はふっと鼻で笑うと、冷徹に言い放った。
「いや、お前は偽物だ。そもそも人間は100年も生きんからな」
「……誰が偽物だ! 最初から本物だなんて一言も言ってねえよ!」
「だが……あまりにも似ている。面構えも、歪んだ目の色もな」
竜王はゆったりと立ち上がると、禍々しい闘気をすっかり消し去り、背を向けた。
「まあ、決着もついたことだ。茶でも飲もう」
そう言うと、竜王は当然のように玉座の脇にある扉を開け、奥の応接室らしき部屋へと歩を進めていく。
「……は?? 茶?? いま命がけで戦ってベホマ掛け合った直後ですよね???」
あまりにも目まぐるしい展開の速さに、八幡は開いた口が塞がらない。
「おい八幡……どういうことだ、説明しろ! お前は一体何者なんだ!?」
クロコダイルが巨体を揺らし、激しい困惑と問いただすような視線を八幡に向ける。ラーハルトも腕を組んだまま、真剣な眼差しで回答を待っていた。
八幡は深々とため息をつき、死んだ魚の目を虚空に向けながら肩をすくめた。
「俺にもさっぱりだよ……。俺が一番説明してほしいくらいだっつーの……」
わけが分からないまま、三人は拍子抜けした様子で竜王の後を追い、お茶の待つ別室へと足を踏み入れるのだった。