ダイの大冒険 やはり俺がアバンの使徒なのは間違っている。 作:tomozow
ドオォォォォンッ……!!
天地を揺るがす地鳴りとともに、突如として天が割れ、大魔王バーン自らがその圧倒的な神威を纏って地上の眼前へと降臨した。
老魔王の瞳に宿るのは、一切の生者を等しく見下す絶対的な冷徹。
バーンは静かに片手を掲げると、何の溜めもなく、まるで息を吸って吐くかのように極小の火炎を撃ち出した。
――ただの『メラ』。
しかし、放たれたそれは圧縮された破滅の塊であった。
「くっ……! 五重呪文(ファイブフレア)ッ!!」
大魔王の繰り出した『メラ』の一撃に対し、大魔導士へと覚醒したポップは間髪入れずに五つのメラを同時に展開、真っ向からぶつけて迎撃した。
ズガガガガガァァァンッ……!!
凄まじい爆風と熱波が旋風となって吹き荒れ、双方の魔力が相殺される。
弾け飛んだ炎の残り香の中で、ポップは額からダラダラと冷や汗を流しながら、苦笑混じりに呟いた。
「……ハッ、冗談だろ……。あっちのただの『メラ』一発を迎撃するのに、こっちは『5倍』のメラかよ……!」
そのやり取りを見下ろし、バーンは口元に不敵で残忍な笑みを浮かべた。
「ほう……わしのメラを相殺してみせたか。面白い……。だが、アバンの使徒とやらも、ここまでが限界のようじゃな」
大魔王の放つ圧迫感は、周囲の空間そのものを押し潰さんばかりであった。
普通の発狂すら生ぬるい絶望のプレッシャー。
しかし――。
バーンの前に佇む戦士たちの誰一人として、その脚は震えていなかった。
漆黒の真魔剛竜剣を静かに構えるバラン。
破邪のつるぎを握り締め、眼光を鋭く研ぎ澄ますヒュンケル。
そして、覚醒した奇跡の鎧「イージス」の核を静かに輝かせ、いつもの面倒くさそうな眼差しの中に冷たい覚悟を宿した八幡――。
誰一人、怯んでなどいない。
ここに集いし者たちは皆、幾多の死線を超え、己の誇りと命を燃やし尽くす覚悟を終えた猛者たちばかり。
「……フン。絶望するには、もう遅すぎるんだよ……大魔王様よ」
八幡の低く冷ややかな独り言が、ピンと張り詰めた空間に小さく落ちた。
地上すべてを統べる絶対神か、神の領域へと足を踏み入れた人間と魔族の英雄たちか。
もはや人知を超越した、後世に語り継がれるであろう伝説の死闘が――今、静かに幕を開けた。
「――五指爆炎弾(フィンガーフレアボムズ)ッ!!!」
ポップの両手の指先から放たれたのは、先ほど見せたファイブフレアなど前座に過ぎないと言わんばかりの、極限まで圧縮された爆炎の嵐。
ドドドドドガァァァンッ……!!!!
バーンパレスの床を吹き飛ばし、巨大な爆炎の柱が大魔王の身体を丸ごと呑み込んだ。凄まじい衝撃波と熱風が収まると、そこには漆黒の衣を焼き払われ、全身が黒焦げになった大魔王バーンの姿があった。
ポップは杖を肩に担ぐと、いつものお調子者めいたニヤリ顔で肩をすくめてみせた。
「へっ……ただのメラだぞ? 限界なわけねえだろ……? 大魔王様ともあろうお方が、人の底力を見誤ってもらっちゃ困るぜ」
大魔王を完全に出し抜き、一本取ってみせたポップの口調は挑発そのものであった。
しかし――黒焦げになったバーンの全身から、まばゆいばかりの『ベホマ』の聖なる光が溢れ出す。
シュアァァァ……ッ!
一瞬にして傷一つない肌と衣服を取り戻したバーンが、ゆっくりと顔を上げた。
その表情から、先ほどまでの不敵な笑みや余裕は完全に消え去り、絶対者としての冷徹で怒りを孕んだ眼光だけが残されていた。
「……生意気な小僧め」
静まり返る空間。その緊張感を切り裂いたのは、静かに前へと歩み出た八幡の声だった。
「おいおい……魔法使い同士の挨拶はもう済んだのか?」
八幡は覚醒した「イージス」の鎧の肘関節をゆっくりと鳴らし、どこか面倒くさそうに、しかしその死んだ魚のような瞳の奥に冴え渡る思考の光を宿していた。
「なら、次は俺たち剣士の番だな。挨拶抜きじゃ失礼だろ……大魔王様」
バーンという規格外の存在の突然の急襲。
だが、八幡の脳内では既に、バーンの反応速度、再生能力のラグ、ポップの五指爆炎弾による攻撃の余波、そしてバランやヒュンケルといった破格の戦士たちの動線に至るまで――あらゆる戦況の最適解(シナリオ)の計算が、完璧に完了しつつあった。
「行くぞ……!」
八幡の合図とともに、伝説の勇者一行による真の総力戦が始まった。
「……ディーノ。お前がいけ」
重々しく、しかし静かな確信を込めたバランの声が戦場に響いた。
「なに……!? バラン、正気か!」
クロコダインが巨躯を揺らし、驚愕の声を上げる。
「まさか、大魔王バーンを相手にダイ一人で戦わせるつもりか!? 俺たちもいるんだぞ!」
だが、バランは漆黒の真魔剛竜剣を納刀することなく、冷徹とも言える瞳で地上に降臨した大魔王を見すえたまま言った。
「バーンは……まだ力を隠し持っている。そしてディーノ、お前が引き継いだのは『竜の騎士』の血と使命だ。……真の姿すら明かさぬ今のバーンを一人で倒せぬようでは、真の竜の騎士とは到底言えぬ」
「――っ……!!」
指名されたダイの背中に、ぞくっと激しい戦慄が走った。
それは圧倒的な敵に対する恐怖なのか、それとも己の全存在をかけて戦う武者震いなのか――自分でも分からぬまま、胸の奥で心臓が暴れ狂うような鼓動を打ち鳴らす。
「……フハハハハ! 舐められたものだな、わしも……。まさか、その青二才一人をぶつけてくるとはのう」
バーンは不快感と冷酷な愉悦を交えた嘲笑を浮かべ、細い指先をダイへと向けた。
その背後には、不気味な気配を絶やさず佇むミストバーンとキルバーン。そしてさらにその上空、雲の切れ目から蜘蛛のように冷ややかに戦況を見下ろすザボエラ――。
(……へえ、なるほどな)
イージスの鎧を纏った八幡の「死んだ魚の目」が、地上と上空の配置をコンマ数秒で完全にスキャンしていた。
他の面々が大魔王の威圧感とダイの決断に目を奪われる中、八幡の卓越した「ひねくれ観察眼」と計算能力は、敵陣営の歪な構造を正確に捉えていた。
(バーンは余裕をぶっこいてるが、真の姿を隠している。ミストとキルはバーンの護衛兼『保険』。……だが一番タチが悪いのは、あの頭上で死体漁りみたいな目をしてるザボエラだ。あいつだけは『大魔王の勝利』すらどうでもよくて、全員が疲弊した瞬間の隙を狙ってやがる)
八幡は小さく息を吐き、ポップの隣へそっと並んだ。
「……ポップ、聞こえるか。視線を動かさずに聞け」
「……あ? なんだよ八幡、急にボソボソと……」
「バランがダイを一人で向かわせたのは、バーンの底を引きずり出すためだ。……だがな、戦況を読んでいるのはあの大魔王でも、バランでもねえ」
八幡は漆黒のイージスの腕甲を静かに鳴らし、上空の影と背後の闇を視線だけで射抜いた。
「――この盤面(盤上)、誰が指揮権を握って、誰が裏で糸を引こうとしているか……一番見えてんのは俺だ。お前はダイのサポートに全霊を注げ。ハエ叩きと裏方の処理は、俺たち(ひねくれ者)の仕事だ」
大魔王降臨という極限の状況下。
竜の騎士として覚醒の一歩を踏み出すダイと、その裏で張り巡らされた陰謀の糸をすべて読み切った八幡。
死闘は、いま最も過酷な局面に突入しようとしていた。
「――カラミティウォールッ!!!」
大魔王バーンの咆哮とともに、地表が激しくめくれ上がり、津波のごとき衝撃と破滅の光の壁が押し寄せる。逃げ場すら存在しない、まさに戦場全体を押し潰す絶対的な範囲攻撃。
しかし――。
「……ッ!!」
ダイの全身から溢れ出たのは、密度の跳ね上がった青白き『竜の闘気(ドラゴニックオーラ)』!
ダイはその極限まで高めた闘気を身に纏うと、衝撃の壁のわずかな密度の隙間、そしてエネルギーの波の周期を瞬時に見切り、真っ直ぐに刃となって切り裂きながらすり抜けた。
「――っ!?」
目の前で完璧な範囲攻撃をいとも容易く破られたバーンの額から、一筋の冷や汗が伝い落ちる。
かつての直情径行で向こう見ずだった勇者の姿は、そこにはなかった。
実の父であるバランとの血を吐くような特訓を経て、真の「竜の騎士」としての戦い方を身につけたダイは、敵の隙を見極め、最小限の動きで最大の効果を生む戦術のエキスパートへと変貌を遂げていたのだ。
「……父さんから叩き込まれたんだ……! 攻撃の威力や範囲に惑わされるな、相手の『気の流れ』を読めって!!」
光の軌跡を残しながら、一瞬でバーンの懐へと肉薄するダイの剣閃。
その圧倒的な成長と洗練された戦術眼に、背後で見守っていたミストバーンとキルバーンすらも一瞬言葉を失い、衝撃を隠せずにいた。
「な……なに……!? 初見で、大魔王様のカラミティウォールをこうも易々と……!?」
仮面の奥で絶句するキルバーンと、黒い衣の中で気配を激しく揺らすミストバーン。
絶対者の優位が揺らぐ光景を目の当たりにし、敵陣営の動揺は隠しきれないものとなっていた。
戦闘が始まる直前、ポップはすでに戦場を駆けていた。
「よし……! みんな、いくぜ!『フバーハ』ッ!!」
ポップが放った多重の呪文障壁が、八幡やヒュンケル、そしてクロコダインやラーハルトら全軍を優しく、しかし強固に包み込んでいた。大魔王の圧倒的な熱気と呪文から味方を守るための、完璧な事前の備え。
――だが。
大魔王バーンが放った広範囲の破滅の壁『カラミティウォール』が轟音とともに迫り来たその瞬間、ポップが張ったフバーハの護りすらも置き去りにするかのように、前衛の男たちはそれぞれのやり方でそれを迎え撃っていた。
轟音のなか、ラーハルトは愛槍を閃かせ、圧倒的な突進力と闘気で壁の奔流を真正面から切り裂いて跳躍する。ヒュンケルもまた破邪のつるぎを通した聖なる闘気でその直撃を受け流し、クロコダインは気合一閃、獣王会心撃でその衝撃をねじ伏せていた。
誰一人、ポップの呪文の加護に頼るまでもなく、自らの力と技だけでその絶技をどうにかしてのけたのだ。
砂煙と熱気が渦巻く戦場の隅で、ポップは己の杖を肩に担ぎ、どこか拍子抜けしたような、しかし苦笑いを浮かべながらぽつりと呟いた。
「……って、おいおい。わざわざ全員分の『フバーハ』張っといたってのに……なんだよあの人たち、自力でどうにかしちまいやがったぜ」
ポップは頭をポリポリとかきながら、やれやれといった面持ちで肩をすくめた。
「……ま、いっか。全滅するよりはよっぽどマシかよ。――っと、いらん世話だったかな?」
ドドォォォォォォンッ―――!!!!!
突如として戦場の上空から落ちてきた一筋の閃光が、ダイとバーンの間に割って入った。
地煙を吹き飛ばして現れたのは、親衛騎団を従え、漆黒の外套をなびかせた男――武人ハドラーであった。
「……ふん、ギリギリ間に合ったか」
ハドラーは言葉が終わるよりも早く、その右拳を音速を超えて叩き込んでいた。
剣を抜くでもなく、呪文を放つでもない。渾身の力と誇りを込めた裸の頑骨が、大魔王バーンの鼻頭を直撃する!
ガァァァァァンッ!!
天地を揺るがす打撃音とともに、あの大魔王バーンの巨躯がド派手に吹き飛ばされ、地面を滑った。
「な……ッ!? ハ、ハドラー――ッ!?」
仮面の奥で絶叫するキルバーン、そして静かに異様な殺気を膨らませるミストバーン。
――だが、この衝撃の展開を上空から見下ろしていた妖魔司教ザボエラは、己の口元を抑えきれずにいた。
「く……くく……ふは……ふはははははははッ!!!」
ザボエラの喉から、歪で狂気じみた笑い声が漏れ出す。
(なんと……! なんと痛快な光景じゃ……! 剣で切りつけるでも、呪文で撃ち抜くでもなく、あの大魔王バーンを『拳で殴りつける』バカがおるとは……!! さすがはわしの上司(魔軍司令)だったハドラー様じゃ、狂っておる……最高に狂っておるぞ!!)
ザボエラという男の心根に、ハドラーに対してもバーンに対しても、誰かに対する純粋な「尊敬」や「敬意」といった感情は一切存在しない。
しかし、いつも神気取りで自分たちを見下してきた大魔王バーンに対し、「いつか一矢報いてやりたい」「あの偉そうな面をぶち壊してやりたい」という歪んだ陰湿な欲望は常に持ち続けていたのだ。
それを、まさか自分のかつての上司であったハドラーが豪快に成し遂げてみせた。
(くくく……! 素晴らしい……! 素晴らしいぞハドラー様! 己の誇りだか何だか知らんが、あの偉そうな老いぼれの面をよくぞぶん殴ってくれた……!!)
笑いが止まらない。腹の底からこみ上げてくる邪悪な愉悦に体を震わせながら、ザボエラは蜘蛛のような細い指を歪め、さらなる乱戦と破滅に向けてその目を爛々と輝かせるのだった。
ズザザァッ……と地面を削り、体勢を整えた大魔王バーン。
その気品に満ちた口元から、ひと筋の濃密な魔族の血が垂れ落ちる。
バーンは指先で静かに血を拭うと、冷ややかな瞳でかつての配下を見据えた。
「……ハドラーよ。わしを恨むか?」
「いや」
ハドラーの返しは、拍子抜けするほどに短く、静かであった。
「……お前には感謝しているのだ、バーン。アバンに敗れたこの俺を拾い、再び生を与えてくれたことにはな。……だが、それだけだ」
ハドラーは胸を張り、大魔王の威圧を真っ向から受け止めながら、地響きのような声で言い放つ。
「この身体に『黒のコア』などという爆弾を無断で埋め込まれて、黙っていられる漢が……この世のどこにおるのだ」
その言葉に、後ろで控えるバラン、ヒュンケル、クロコダイン、ラーハルト、そして親衛騎団の面々――戦場に立つ全ての「漢たち」が、深く、静かに頷いた。己の命と誇りを何より重んじる者たちにとって、それは何物にも代えがたい共感であった。
ハドラーは視線を滑らせ、剣を構えていたダイへと向き直る。
「ダイよ……。ここは交替(かわ)ってくれ」
「ハドラー……」
「俺が……ただのひとりの武人として、あの大魔王相手にどこまで行けるのか。それを知りたいのだ」
ハドラーの瞳に宿るのは、怨嗟でも憎悪でもない。純粋にして苛烈な、己の限界に挑む武人の熱量。
ダイはハドラーの真っ直ぐな瞳をじっと見つめ返し、やがて静かに――愛剣を鞘へと納めた。
「……わかった。いってくれ、ハドラー!」
「感謝する」
ダイが退き、周りの戦士たちも静かに円を描くように距離を取る。
ポップも、八幡も、息をのんでその光景を見守っていた。
「……フッ、誇り高き愚か者めが」
バーンが静かに魔力を練り上げ、両手を広げる。
「行くぞ、バーンッ!!!!」
ハドラーが大地を蹴り、爆音とともに地表が爆発する。
誰の邪魔も入らない、命と誇りのすべてを賭けた「二人だけの死闘」が――今、ここに幕を開けた。
「――『メラゾーマ』ッ!!!」
大魔王バーンの掲げた右腕から解き放たれたのは、あまりにも巨大で、あまりにも苛烈な暗黒の炎。
解き放たれた炎は瞬時に巨大な不死鳥の姿をとると、天を焼き尽くすほどの叫びを上げ、凄まじい熱波とともにハドラーへ向かって滑空する。
まさに大魔王の代名詞――カイザーフェニックス(火の鳥)の猛威。
あらゆる存在を灰燼に帰すはずの圧倒的な破滅の鳥に対し、ハドラーは一切の歩みを止めなかった。
「――おおおぉぉぉぉッ!!!」
ハドラーは退かない。避けない。呪文で相殺することすらしない。
闘気、魔力、覚悟をすべて右拳に凝縮させると、猛然と跳躍し、正面から火の鳥の顔面へと己の拳を叩きつけた!
ズドォォォォォォンッ―――!!!!!
天地を裂く爆音が響き渡り、大魔王の誇る不死鳥の顔面が、ハドラーの一撃によって内側から砕け散る。
拡散した幾百の炎の破片が爆風となって戦場を駆け抜け、ハドラーの身体を焦がすが、その脚が止まることはない。
炎の嵐を強引に突き破り、そのまま爆散したフェニックスの中から飛び出してきたハドラーの姿に、戦場全体へ凄惨なまでの緊張が走った。
「……ッ!」
その圧倒的な光景を眼下で見守る親衛騎団。
ヒムは全身のオリハルコンを震わせ、武者震いに皮膚を泡立たせるような、激しい戦慄を覚えていた。
(……ゾクゾクすんぜ……ッ! なんだよ、この迫力は……!)
ヒムだけではない。シグマも、フェンブレンも、ブロックも、アルビナスも――全員がハドラーの背中から放たれる規格外の魂の輝きに、息をすることすら忘れて見入っていた。
「……俺たちのハドラー様は……一体どこまで高みへ行っちまうんだ……!?」
ヒムの絞り出すような呟きが、静まり返る戦場に小さく落ちる。
魔王でもなく、大魔王の忠実な駒でもない。
ただ一人の「漢」として覚醒したハドラーの爪牙が、ついに大魔王バーンの懐へと肉薄しようとしていた。
ハドラーは腰から、かつてロンベルクの手によって鍛え上げられた一振りの剣――オリハルコンの真剣を静かに引き抜いた。
刃が鞘を走る甲高い金属音が響いた瞬間、ハドラーの全身から噴き出したのは、これまでの魔力とは異質の、命そのものを燃やし尽くすような苛烈極まる「闘気」であった。
ゴオォォォォォォッ……!!
ハドラーの体躯を中心に大気が激しく波打ち、戦場全体の空間が歪むほどの密度となって大地面を激震させる。
「……ハドラー、お前は……そこまでの領域に……!」
ヒュンケルが息をのむ。
バーンは迫り来る圧迫感を前に、初めて目を見開き、その手にある『光魔の杖』を深く構え直した。
「おおおおおぁぁぁぁぁッ!!! 超魔爆炎覇――――ッ!!!!」
ハドラーの咆哮とともに放たれたのは、己の全存在と生命を賭した一閃。
オリハルコンの剣に宿る絶大なる爆炎と極限の闘気が一本の巨大な光の柱となり、絶対的な破壊力となって大魔王へと一直線に牙を剥く。
「ぬうっ……!!」
バーンは即座に光魔の杖で防御姿勢をとるが――ハドラーの一撃は、すでに大魔王の想定すら超えていた。
ズガアァァァァァァンッ―――!!!!
凄まじい衝撃波が地表を抉り取り、光魔の杖の暗黒の光をも力任せに押し込んで――ハドラーの超魔爆炎覇が、光魔の杖ごと大魔王バーンの巨躯を遥か後方へと吹き飛ばした!
ドゴォォォォンッ!
大地を何百メートルも削りながら吹き飛んでいくバーン。
杖を構えたバーンの両腕から煙が上がり、大魔王の絶対的な尊厳が完全に打ち砕かれた光景が、そこに広がっていた。
「……吹き飛ばした……あの大魔王バーンを……!」
ポップが絶句し、八幡もまた「死んだ魚の目」をわずかに見開き、覚悟を決めたハドラーの姿をその目に深く焼き付けていた。
「……バーン様ッ!!」
吹き飛ばされたバーンのもとへ、それまで沈黙を守っていたミストバーンが黒い衣を翻し、一瞬で駆け寄った。
大地を削って体勢を立て直したバーンは、煙の上がる両腕と、傷ついた光魔の杖を静かに見つめ、低く呟いた。
「……ハドラー……。ここまでとはな……」
その声に焦りはない。だが、かつてのような「戯れ」を楽しむ余裕の笑みも、完全に消え失せていた。
ミストバーンは恭しく跪き、その闇の気配を極限まで高めながら、静かに、しかし決意に満ちた声で告げた。
「……バーン様。今こそこの身体……お返しします」
バーンはミストバーンを一瞥すると、何の迷いもなく、ただ一言だけ短く返した。
「……ああ」
その言葉が交わされた瞬間――戦場の空気が、世界の理そのものが歪むほどの異様な重圧によって圧殺された。
ゴオォォォォォォォォッ…………!!!!
ミストバーンの漆黒の衣から解き放たれた膨大な闇の渦が天を突き刺し、大気を、空間を、光をも呑み込んでいく。
長きにわたってミストバーンによって凍結・保存され続けていた「絶頂期の肉体」と、老バーンの「叡智と魔力」が、いまひとつへと融合を始める。
「な、なんだ……!? あの気配は……次元が違いすぎるぞ……ッ!!」
ポップが絶句し、八幡もまたイージスの腕甲を強く噛み合わせ、息を呑んだ。
光と闇の爆ぜる嵐のなかから現れるのは――老魔王の面影を完全に捨て去り、全盛期の圧倒的な力と若々しさを誇る、真の姿。
――真・大魔王バーン、解き放たれる。
死闘は今、誰も踏み込んだことのない真の神域へと突入していく――。
眼前で繰り広げられる肉体と魔力の融合――そして立ち現れた「真・大魔王バーン」の全貌に、ハドラーの身体を激しい打擲のような驚愕が貫いた。
圧倒的。次元すら異なる神の如き威圧感。
「……ここまでとは……ッ!!」
声が震える。だがそれは、絶望によるものではなかった。
ハドラーの全身の血が、鍛え抜かれた肉体が、沸騰するほど熱く滾り始めていた。武者震いが止まらない。
(……フッ……ハハハ……!! 賭けるに値する……! 俺の命のすべてを……今ここで燃やし尽くすに値する相手だ……っ!!)
ハドラーは腹の底から残された全生命力を汲み上げ、それをロンベルクの鍛えしオリハルコンの剣へと注ぎ込んだ。
剣身が耐えかねたように悲鳴を上げ、刃が軋み、激しく光り輝く。神の金属たるオリハルコンの硬度すら、今のハドラーが注ぎ込む命そのものの高純度エネルギーに耐えられるかどうか――限界を超えた負荷が剣を揺らす。
「――おおおおおあぁぁぁぁぁッッ!!!!」
ハドラーの命を賭した全身全霊の一撃。
空間を切り裂く一閃が、真・バーンへと叩きつけられた。
ドドドガァァァァァンッ―――!!!!!
閃光と爆風が晴れ去った後――真・バーンの額には、ひと筋の細く薄い傷が刻まれていた。
だが、そこまでだった。
折れ曲がった剣を握りしめたまま、ハドラーの巨躯の中心を、バーンの手刀が貫いていた。力尽き、地面へと膝から崩れ落ちる。生命力を使い果たし、動くことすら叶わぬ疲弊の底へと沈み込んでいく。
「ハドラー様――ッ!!」
ヒムたちが悲痛な叫びを上げる。
――その時。
崩れ落ちるハドラーの背後に静かに近づいたのは、八幡であった。
「……『ベホマ』」
八幡の手から放たれた極上の回復光線が、ハドラーの全身を包み込む。底をついていた生命力が急速に満たされ、ハドラーの身体に確かな生気が戻っていく。
ハドラーが薄っすらと目を開け、絶句する。
「……死ぬにはまだ早すぎるだろ? 自分の限界を知りたいって言った奴が、ここで勝手に満足してくたばってどうすんだ」
八幡は死んだ魚の目をハドラーに向けながら、どこか呆れたように、だが確固たる口調で言い放った。
「命を賭けたのは立派だがね、本当の土壇場はここからだ」
その光景を目撃した親衛騎団の面々は、言葉を失って激しい驚愕に打ち震えていた。
「な……ッ!? こいつっ……勇者ってのは、敵にすら……自分たちの命を狙った男にすら、手を差し伸べるってのか……!?」
ヒムが拳を握り締め、信じられないものを見る目で八幡を見つめる。
アルビナスは静かに胸に手を当て、深く頭を下げた。
「……感謝します……。ハドラー様の命を……救ってくれて……!」
かつての因縁を超え、真の武人の意志を認めた者たちが、大魔王という絶望の前にひとつになろうとしていた。
「逃げるなら今のうちだぞ、バーン」
静寂を破り、重厚な声をかけたのは竜の騎士バランであった。
その言葉に、額から微かに流れる血を指先で拭った真・バーンは、冷徹な瞳を一同に向けると鼻で嗤った。
「……ふん」
真の肉体を取り戻し、溢れ出る魔力を全身に纏いながらも、バーンはそれ以上の追撃を見せようとはしなかった。
「……まあ良い。ハドラーの執念、そして貴様らのあがき……見事であった。今日のところは、わしの勝ちを譲ってやるとしよう」
冷淡な残響を残し、バーンは静かに両手を掲げた。
――『ルーラ』!
空間が歪み、一瞬にしてその場から真・バーンの姿が掻き消える。大魔王の圧倒的な圧迫感が去り、戦場に静寂が戻った。
「な、なんで逃すんだよ……っ!? あと一歩で……あいつ、引いたんだぞ!?」
納得がいかないポップが叫ぶ。だが、その言葉に答えるバランの額には、びっしりと冷や汗が噴き出ていた。
「……追うな、ポップ。あれは退却ではない……余裕だ」
バランは深く息を吐きだし、固く拳を握りしめた。
「あの男は……真・バーンは、まだ奥底にさらなる引き出し(奥の手)を隠し持っている。あれ以上に恐ろしい何かをな……」
「そうみたいだな……」
八幡がぼそりと呟いた。
その場に立つ誰もが、異様な光景に息をのんでいた。
ダイも、ポップも、ヒュンケルも、クロコダインも、そして命を拾ったハドラーや親衛騎団たちすらも――全身の膝がガクガクと震え、立ち尽くしている。
生物としての本能が、激しく警告を発していたのだ。
『あいつに触れてはならない』『今の自分たちでは、絶対に勝てない』と。
凄まじい決意で臨んだはずの者たちが、真・バーンの底知れぬ存在感に直面し、戦慄で動けずにいる。
――その中でただ一人、八幡だけが平然と「死んだ魚の目」をして立っていた。
恐怖に怯えることもなく、かといって過剰に熱くなることもなく、ただ事もなげに空を見上げている。その異質なまでの佇まいに、バランすらも一瞬驚愕の視線を向けたほどだった。
(まあ……そりゃそうだろ)
八幡は心の中で、誰にも聞こえない独白を漏らしていた。
(第二形態になったばかりで、まだ『天地魔闘の構え』も見せてなけりゃ、最終兵器の『ピラァ・オブ・バーン』も残ってんだ。おまけに最後の切り札まで控えてる。ラスボスってのは段階を踏んで絶望を叩きつけてくるもんだからな……)
原作を知っている八幡だけが、大魔王バーンという存在の「構造」を理解し、冷静に次の戦いを見据えていたのだった。
「……まあ。とりあえず、そろそろ帰ろうぜ?」
緊迫した空気をかき消すように、八幡は怠そうに肩をすくめた。
「な、なんでそんな余裕なんだよ、八幡……!? あんな化け物を前にして……っ!」
汗を流しながら尋ねるダイに対し、八幡は死んだ魚の目を向けたまま、至極当然といった風に鼻で息を吐いた。
「いや、余裕っていうか現実的な話な。いいか? 大人ってのはズルいんだよ。ズルくて汚くて、自分の保身のためなら平気で準備を重ねる生き物なんだ。……しかも相手は何千年も生きてる大爺さんだぞ? 二の手、三の手どころか、仕込み(トラップ)を五重くらいに張り巡らせて重装備してないわけねぇだろ。真正面から突っ込んで『よーし勝ったー!』なんて甘い展開があるわけないんだよ」
八幡は腕を組み、集まった戦士たちをぐるりと見渡す。
「それに、お前らだって奥の手の1つや2つ、持ってるだろ? 」
「「「…………」」」
八幡の問いかけに、その場の面々が思わず言葉を詰まらせた。
確かに、各自に「まだ見せていない真の力」や「心の底に秘めた切り札」の心当たりはある。
だが、バランが、ハドラーが、そしてヒュンケルが重々しく首を横に振った。
「……確かに、八幡の言う通りだ。我々もまだ牙を残してはいる」
バランが低く、しかし冷や汗を拭えぬまま呟く。
「……だがな、八幡。大魔王バーンの持っている『底』は、我々の想像を遥かに超えている。あの男の恐ろしさは、俺たちが持つ二の手、三の手などというレベルとは根本的に桁が違うのだ……」
「そうだな……。俺もあいつの配下として長くいたからこそ分かる。バーンの絶望は、決して力押しだけで届くような甘いものではない」
ハドラーもひしゃげたオリハルコンの剣を握り直し、苦い表情で同意した。
全員がバーンの恐ろしさを身にしみて実感し、再び重い沈黙が降りかける。
「ま、だからこそ一旦引き揚げて作戦立て直そうぜって話だろ。再戦は反省会の後だ」
八幡は脱力感たっぷりに吐き捨てると、くるりと背を向けて歩き出した。そのぶれない「マイペースさ」に、ダイたちは圧倒されつつも、どこか張り詰めていた肩の力が少しだけ抜けるのを感じていた。
アバンの使徒たちの移動拠点へと戻るやいなや、八幡は甲冑を床に放り投げ、布団へとダイブするように倒れ込んだ。
そのまま息を引き取ったかのような深い静寂の中、数秒と経たずに規則正しい泥のような寝息が聞こえ始める。
「……ふう、完全に熟睡してやがるな」
ポップは呆れつつも、どこか尊敬の念を込めた目で八幡の寝顔を見下ろした。
「口じゃあんな脱力したことばっか言ってたけどよ……あいつ、頭の中じゃ『バーンがこう来たら次はこう』『その次はこう打つ』って、何十手も先まで思考をフル回転させてたんだろうな」
その言葉に、ラーハルトとクロコダインが深く頷いた。
「同感だ。あの状況でハドラーにベホマを放ち、大魔王の真の脅威を前におびえることなく、淡々と次の『手』を見据えていた。並の胆力ではない。己の力を過信せず、常に敵の『次』を警戒し、最適解を導き出す……まさに最高の戦術家であり、真の勇者の器と言えよう」
「うむ。何しろあいつは、地下世界アレフガルドで竜王と戦い、傷をつけた男だからな。大魔王バーンの底知れなさを一番理解し、すでに攻略の糸口を探っておるのかもしれん」
クロコダインが腕組みをして重々しく呟く。
「……それにしてもよ」
ポップは焚き火の炎を見つめながら、八幡が身につけていた「イージスの鎧」に視線を向けた。
「『地下世界アレフガルド』って……伝説の世界って、マジで存在したんだな。八幡やクロコダインのおっさんたちが竜王と戦ったときの話、もっと詳しく聞かせてくれよ。どんな修羅場をくぐり抜けてここに来たのか、知っておきたいんだ」
「ふっ……いいだろう。八幡殿と我々が足を踏み入れたあの地下世界アレフガルドでの、竜王との修行と言う名の死闘……宴の肴には上等すぎる物語だ」
ラーハルトが小さく微笑み、グラスを掲げる。
こうして、激戦を生き延びた者たちの密やかな「無事帰還の宴」が始まった。
大魔王の脅威は依然として去っていない。ハドラーと親衛騎団たちは夜の闇の中へ別行動を取り、静かに身を引いていた。
それでも、かつて敵だった者たちも含め、全員の心にはかすかな絆と希望が芽生え始めている。
宴の酒杯が交わされ、賑やかな笑い声が響く中――
「……んあ……うるせえな……」
布団の中から、八幡のくぐもった、死んだ魚のような寝言が漏れ聞こえた。
ポップたちは思わず顔を見合わせ、声を殺して笑い合うのだった。