ダイの大冒険 やはり俺がアバンの使徒なのは間違っている。 作:tomozow
カフェ・テーブルの微熱と、30歳のメモリリーク
運ばれてきたアイスコーヒー(あるいはホットの苦味)の表面に、かすかな揺らぎ。
向かい側に座る一色いろはは、ストローの先端を指先でいじりながら、じっとこちらを見上げている。
特段、気の利いた話題をドロップするわけでもなく、ただ三白眼でぼんやりと窓の外のコンクリートの反射を眺めていた八幡に、耐え切れなくなった小悪魔が釘を刺す。
「……なんか、ないんですか? 10年以上ぶりに可愛い後輩に遭遇したっていうのに、その――お通夜みたいな沈黙、怖くないですか?」
「……色々、考えてるんだよ。10年分の空白を、低スペックの脳内キャッシュでリマスターするのにどれだけのCPU負荷がかかると思ってんだ」
「言い訳がマニアックですー!」
「まあ、なんだ……。……会えて、嬉しいよ、一色」
すとん、と。
妙にストレートな低音が、カフェのざわめきの中に落ちる。
――真っ赤になるいろは。
(((((((え、なに今の……不意打ちの直球、またバージョンアップしてます……? 免疫が、全然足りてないんですけど……!))))))
対面の赤面を確認しながら、八幡自身もコップを持つ手がわずかに止まる。
((((((待てよ……俺、こんな素直に「嬉しい」とか口にするキャラだったか? いや、高校時代のこじらせ陰キャから、社会人の死んだ魚の目を経て――最近、あっちのファンタジー世界(ダイ、ポップ、マアム、そしてあの脳筋レイドボスども)の直球すぎる感情吐露のせいで、心の防衛ロジックのレギュレータがガバガバになってやがる……! 精神年齢じゃなくて、脳内パッチの適応症(若返りバグ)が起きてるのかこれ……?))))))
冷や汗を拭いながら、八幡は苦笑いしてコーヒーに口をつけた。
(ふと――現実側のこの小悪魔との茶飲みクエリの裏で、ファンタジー側の地下牢(マアム救出レイド)の再同期アラートと、朝の雪ノ下の冷めた視線の残響が、バックグラウンドでクラッシュ寸前の警告音を点滅させていた……)
30歳の直球エラーと、小悪魔のフリーズ
(((((((((((あぁ、そういうことか。……あのファンタジー異世界(ダイ冒険セカイ)で、レイドボスに囲まれたり、仲間が目の前で連れ去られたり、いつ明日が消えるか分からない死線を幾度も潜り抜けてるもんだから、「ひねた皮肉で距離を取ってたら、次会った時にはもうこの世にいねえ」って現実が、ガチの重みとしてC2スコア(生存確率)に直結してやがる……! 遠回しな言い訳も自虐も、全部ノイズだ))))))))))
思考のデバッグをワンテンポで完了させた八幡は、まっすぐいろはの瞳を見据える。
「……なら。お前の言う通りだ。聞くが――いま、幸せか?」
「な、なんですか急に……それ、口説いてるんですかぁ?」
「別に。……ただ、高校の時に口説いておけば、もうちょいマシな未来があったかもな、とは思うが」
「……まだスパーリングの脳筋アドレナリン抜けてないだけじゃないですか、先輩!」
ふい、と顔を逸らしそうになったいろはの視界を、八幡は低く、けれど迷いのない声で捉え直す。
「……そうか? 10年以上会ってねえんだぞ。ってことは、明日からまた10年会わなくたって、不思議じゃねえ。……昔、俺はお前のことを『小賢しくて、かわいい後輩だ』って思ってた。言いたいことは、それだけだ」
カチャリ、とカップをソーサーに置き、八幡は静かにコーヒーを飲み干す。
((((((よし、これで未回収フラグのプライベート・ゴミ箱直行便(クリア)……!))))))
だが、対面の席では――。
(((((((((((……え? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?))))))))))
いろはのCPU(思考回路)が完全にクラッシュ(フリーズ)していた。
湯気の向こうで、赤面どころか顔面から全ての血色を失いかけ、パチパチと瞬きを繰り返す。
(この男……昔の、ねじ曲がったひねくれ陰キャフィルターを全部、どこかの修羅場で脱ぎ捨ててきたって言うの……? なにこの、直球過ぎて防御力(シールド)が1ドットも機能しない怪物系30歳……!ズルい、反則でしょ、それ……!)
唖然としたまま固まる小悪魔の姿を視界に入れつつ、八幡は心の中でそっと息をつく。
((((((さて……現実のカフェ処理が一段落したということは、そろそろ脳内バックグラウンドの第2レイヤー――マアム救出レイド(魔王軍地下牢ルート)と、朝の雪ノ下の冷凍庫みたいな視線(モーニング・リトライ)の同期タイムだな……どっちからリブートかけるかな、これ……))))))
30歳のトドメ(セルフ・フラグ解体)と、小悪魔のバグ修正
「じゃあ、元気でな」
パッと伝票を掴み、八幡は迷いのない足取りでレジカウンターへ向かおうとする。
その裾が、キュッと引っ張られた。
振り返れば、一色いろはが片手でしっかりと八幡のシャツの袖を握りしめている。
「……どうした?」
「そんな一方的に言いたいことだけ言ってスッて行っちゃうって、どうなんですか? 私の気持ち、完全に置いてけぼりなんですけど……!」
「あ、ああ、すまん。……なんか、言いたいことあるのか?」
(((((((((((待て、ここでさらにトーク継続とかモブ底辺の生存戦略(ライフハック)に反するだろ! さっさと会計済ませて現実のデバッグ(雪ノ下フォルダ)に戻らせろ、神様……!!))))))))))
ぷくっと頬を膨らませ、真っ赤な顔でいろはは視線を床に落とす。
「私だって! ……高校の時、センパイに……ちょっとくらい、憧れてたり、しましたよ、ねぇ……! なに言わせるんですか、まったく……っ」
「……いや、俺は別に、何もしてねえよ」
「そういうとこが無神経なんですー!」
「まあ、昔は昔だ。……お前が、今ちゃんと幸せなら、それでいいよ」
ふっと肩の力を抜いて、大人の余裕(+異世界レイドの疲労の副産物であるゼロ距離デバッグ・マインド)を交えて八幡は苦笑いしてみせた。
――ドクッ、と、いろはの胸の奥で高鳴る心音。
((((((なに、いまの、この余裕のある笑い……! 高校の時にこんなふうにストレートに落とし前つけてくれてたら、私だって……!))))))
視線を揺らしながら、いろはは小さく唇を噛んで呟いた。
「……ずるい、ですね、センパイ……。高校の時にこんな機会があれば、私だって、もっと……」
言葉の続きを飲み込むように、彼女は握っていた袖をふっと離す。
(さて――カフェの出口の自動ドアの向こう、現実は夕暮れの足音を近づけ、脳内バックグラウンドの第2レイヤー(ダイの特訓・マアム救出レイド)と、朝の雪ノ下の冷凍庫みたいな視線(モーニング・リトライの残響)が、ついにダブルでマルチタスクの限界境界線を突破しようとしていた……。どっちのログから強制リブートかけるべきか、八幡の胃袋とCPUはすでに真っ赤な警告灯を点滅させている)
30歳のサバイバル・スマイルと、ハンター・モードの小悪魔
「……センパイは、今、幸せなんですか?」
不意に射抜くような、けれどどこか真剣ないろはの問い。
八幡は歩きかけた足を止め、少しだけ天井を見上げて思考を巡らせる。
「うーん……どうだろな。会社はブラック寄りだし、気づけば歳だけ取っちまった。……けど、不思議と絶望はしてないんだよ。本当に嫌なら辞めればいいし。恋人だっていねえが、……やることは、ある」
((((((夢(あるいは並列セーブデータ)のレイドボス撃破とマアム救出が「やるべきこと」にカウントされるのか、人生のデバッグとして正しいのかは1ミリも分からんが))))))
「まあ、最近……やけに生きてるって感じがするんだよ。幸せかって言われると定義は謎だが、……悪くないとは思ってる」
ふっと返した、迷いのない爽やかな笑顔。
それは、ヒュンケルの漆黒の装甲をロジックで打ち抜き、死線を幾度もくぐり抜けて生還した者だけが纏う、微量のレイド・オーラに裏打ちされた真の自負(サバイバル・マインド)だった。
(((((((((((いや、かっこつけてる場合じゃなくて早く現実の雪ノ下フォルダと、ダイ達の特訓セーブにリブートかけないとガチで人生のメモリがリークするんだが……!!))))))))))
対面の小悪魔は、その笑顔の深淵を直視してしまった。
(((((((((((……あ、これ。高校の時のひねこびた先輩の面影すらない。中身が、本物の「修羅場を越えてきた男(レイドマスター)」に進化してる……? やばい、そこらの妥協した男のキープとか物足りなくなるレベルで――この男、逃しちゃいけないやつだ……!!))))))))))
瞳の奥に火が灯るのを感じながら、いろははぐっと拳を握りしめ、小さく息を呑むのであった。
(さて――カフェの自動ドアが開き、現実の夕闇が忍び寄る。脳内バックグラウンドの第2レイヤー(ダイの特訓・マアム救出レイド)と、雪乃からの冷徹かつ微熱なメッセージ予報が、いよいよマルチタスクの限界境界線を突き破ろうとしている――リブート先は、どっちだ)
30歳のクロスオーバー・カウンター(現実街角・ストーカー制圧パッチ)
コーヒーの最後の一口を飲み干し、八幡は心の中で小さく呟く。
(……もう、こいつと会うこともねえか。思えば、あの部活の毒にも薬にもならねえ日々の中で、まともに対話できる後輩は一色くらいだったな。ま、過ぎた話だ)
「それじゃ、本当に――」
背を向けようとしたその瞬間、影が落ちた。
すぐ隣に、やけに威圧感のある男が立っている。
(……なんだこの空気。もしかして一色の彼氏か? 後々めんどくせえことにならないよう、一応フォロー(身分証明)しとくか)
「ああ、俺は一色の先輩で、――」
言いかけたコンマ数秒、男の腕が不自然に歪み、一色の顔面めがけて鋭い軌道を描いた。
――殴る気だ。
「っ……!」
咄嗟に伸びてきた男の手首の側面を、八幡の左手が最小限の角度で払いのける。
(((((((((((喫茶店(または店の外・出入り口付近)の公共空間で、初対面の生身の人間に対してためらいなく手を出してきやがる……やべー狂犬だな、こいつ。……なんで俺、こんなに心拍数も上がらずにスローモーションみたいに冷静なんだろ。あぁ、さっきジムでマススパーリングやっといてマジで正解だった……頭のイメージと、身体の神経反射の同期タイムラグがゼロだ。……こいつ1人くらい、いなせるだろ))))))))))
感情の波が一切立たないまま、八幡の目は冷徹に男の軸足と肩のローテーションを捉える。
大振りのフックが空を切る。
寸前で顔を半身に沈めてクリーンヒットを完全に見切り、踏み込んだ肘(エルボー/ショートアッパー気味の起点)が男の下顎の急所を的確にえぐる。
ゴンッ!
「がはっ……!」
のたうち、バランスを崩して膝をつく男。
「逃げるぞ、一色」
パッといろはの手首を掴み、レジカウンターへ向かって5千円札を叩きつけるように置く。そのまま自動ドアをぶち抜いて外へ出る。
「やべえ彼氏だな、あいつ……」
息を弾ませるいろはの横で、八幡は淡々と言い放つ。
「……彼氏なんかじゃないですぅ! あれ……執拗に付きまとってくる、ガチのストーカーです……!」
「そうか」
迷いのない三白眼が、後ろから追いかけてくる足音を捉える。
「……どうしたい? このままタクシーで逃げるか、それとも今後二度と物理的に近づかないように(法的に/物理制圧で)処理するか」
いろははパニックになりながら、
「近づかない方でッ……!」
「了解」
背後、追いついた男の手元。鈍く光るマイナスドライバー。
((((((お、凶器か。ダイ冒険セカイの魔王軍の雑魚より予備動作がわかりやすくて助かるな))))))
着ていたジャージを左腕に巻きつけ、相手の突き出す凶器の軌道を視界ブロックしつつ、右のストレートを叩き込む。
金属の先端が巻きつけたジャージの厚みをガリッと削ぐが、貫通はさせない。
一撃で男をアスファルトに沈め、スマホを片手に淡々と通報を入れる。
――数分後、駆けつけた警察官へ引き渡しを完了させる。
ポカンと口を開けたまま、言葉を失って固まっている一色いろは。
(ふと――現実の制圧劇の静けさの裏で、脳内バックグラウンドの第2レイヤー、魔王軍地下牢(マアム救出レイド)の残りHPゲージと、朝の雪乃からの「……まだ、ジムの予約は残っているのかしら?」的な冷凍パッチが、再び静かに点滅を始めた)
30歳のセーフハウスと、マルチタスク(修羅場)の最終防衛線
「……変な男に引っかかってるな。不運のベクトルがズレてやがる」
パトカーの去っていくテールランプを見送り、八幡はメモ帳の切れ端に書き殴った数字をスッと差し出す。
「――ほれ。これ俺の番号。またなんかあったら迷わず一報入れろ。たった1人の数少ない後輩が、こんなところで不本意なトラブルに巻き込まれてポッキリ折れられると寝覚めが最悪だからな」
受け取った紙片を見るいろはの指先が、まだ少しだけカタカタと震えている。
「……家、1人で帰れるか?」
ブルッ、と、かさかさに乾いた風の中で、いろははすっきりと首を横に振った。無理だ、足の重心が戻らない。
((((((((((((((((((((((((((((((((((((((待て待て待て待て待てぇぇぇい!! ストーカー事案の保護まではいい! だがこの流れで「うちのアパートに連れ込むは、マルチタスクの難易度(雪ノ下フラグとの直角衝突コース + 魔王軍地下牢レイドのタイムリミット)を最高難度(デスマーチ)に跳ね上げるウルトラ・バグ建築だろ常識的に考えて!!)))))))))))))))))))))))))))
心の中で血の涙を流しながらも、モブ特有の「放っておけない不条理な良心(ロジックのエラー処理)」が勝つ。
「……仕方ねえ。じゃあ、ひとまずうちのアパートに行くか」
「……う、ん……お願いしますぅ……」
(((((((マジかよ俺……!!))))))
扉を開け、見慣れた狭いワンルームの空気に足を踏み入れる。
パイプ椅子、朝のコーヒーの残り香、そして――脳内バックグラウンドの第2レイヤー(ダイの特訓・マアム救出レイド・残HP20%)の不気味な心拍音。
リビングの空気が、かつてないほど濃密なカオス(修羅場の三重奏)へと突入しようとしていた――。
30歳の熟睡(オーバーロード脱落)と、小悪魔の独り相撲
マグカップから立ち上るほうじ茶の湯気。それを両手で包み込みながら、いろははまだ少し青い顔でコップを見つめていた。
「……ほら、あったかいの飲んで。――あと、風呂でも入って少し頭冷やして落ち着け」
「……えっ、それって……」
(((((えっ、風呂? ここで? わたし、今日の下着って……上下の色、ちゃんとマッチしてたっけ……!? いや待って、でもあんなに男らしくて理不尽から守ってくれるセンパイなら……恋人もいないって言ってたし、ここで……!))))))
心拍数マッハのまま浴室へと消えていく小悪魔。
浴室の扉の向こう、湯気が立ち込める中で――いろはは小さく深呼吸し、自らの頬を叩いて「よし、覚悟完了……!」と謎の心理戦を繰り広げていた。
だが、そのリビングの外側。
ソファに腰を下ろした瞬間、八幡の肉体・精神を統合していた全方位マルチタスク(昼のマススパーリング動体視力パッチ + ストーカー制圧の腎アドレナリン + 脳内第2レイヤー・マアム救出レイドの長距離負荷)のCPU温度が限界突破し、安全装置(サーマルスロットリング)が完全作動した。
((((((((((((((((((無理だ、ガチでHPもMPもセマフォも全枯渇した……。あそこの湯気の中で小悪魔がどういうセキュリティーホールを模索しようが、今日の私の30歳リアル肉体はすでに……オフライン……Zzzz……))))))))))))))))))
頭がソファの背もたれに落ちたコンマ数秒後。
八幡は泥の深淵のような、いびきすらない完全無欠の気絶(熟睡)へと突入していた。
(ふと――風呂上がりの湯気まみれのタオル一枚、あるいはスリッパの音を立ててリビングに戻ってきた小悪魔の視界に飛び込んできたのは、ソファの上で微動だにせず「完全に落ちている」30歳モブの無防備な死骸(熟睡)であった……。そしてその脳内深部では、夜明けの地下牢フェーズ・マアム救出のタイマーが、残り時間を静かに刻み始めている)
結界の向こうのセーブポイントと、朝焼けのライデイン
まどろみの底。意識の境界線が液状に溶け合う場所で、八幡はふと疑問を投げかけていた。
(……なんで、俺はあっちの世界とこんなにリンクしちまってるんだろな……)
ぱっと、意識のモニターが切り替わる。
薄紅色の衣を纏った、どこか神妙かつ茶目っ気のある老人の幻影が、脳内の真っ白な空間に胡坐をかいていた。
「――楽しんでおるか、八幡?」
「……ん? あんたが、俺をあの世界に引っ張ってる元凶か。……まあ、夢だと思えば悪くねえエンタメだが、身体は痛いし命の危険もあるし、どう考えても割に合わねえリアルさだぞ」
「夢かのう? お主は、夜も眠らぬ(あるいは眠りに落ちるたび)その肉体と魂で、あの並列世界の地に、ちゃんと赴いておる――とは考えられんか?」
「そうなのか……? 別に、俺がいなくてもポップやダイが原作のレールに乗ってなんとかなる世界のはずだ。そもそも、元はといえば漫画だぞ?」
老人は、ふっと深潭のような笑みを浮かべて首を振った。
「そうか? なら……お前は、あのマアムを見捨てられるのか?」
「……いや」
三白眼が、微かに、けれど揺るぎなく見据える。
「それは、できない。……例え漫画だろうと、あっちで血を流し、息を切らし、背中を預けたあの連中の温度は、俺にとってはリアル(現実)以上のリアルだ」
「……女神(マアム)のピンチには、モブでもなんでも――“走るべき役目(やつ)”が駆け付けなきゃならねえだろ」
言葉を落とした瞬間。
老人は満足そうに目を細め、深くうなずいた。
「――やはり、お前を選んでよかったわい」
パッ、と視界がひらける。
土の匂い、冷たい夜明けの空気。
アパートのソファの感触は遠のき、視界には荒涼としたファンタジー世界の空が広がっていた。
「だからよ、ダイ! ライデインってのはこう……ビビッと空気を切り裂くように電撃を……!」
「うーん、ポップ、頭で分かってても体が追いつかないよ……でも、八幡が起きたらきっと……!」
すぐそばで、ポップとダイが「ライデインの予備動作」をめぐって真剣に言い合っている声が聞こえる。
(((((((((((いやライデイン習得のハードル高すぎだろ、なんで俺が起きたらの前提になるんだよ……。まあ、いいか。……マアムのところへ、そろそろ顔出すとするか))))))))))
八幡は起き上がり、重い首を回しながらニヤリと笑った。
降雷のデバッグ、あるいは三十路のプチ・ライデイン
「ライデインは……まだ、ダイのレベルじゃ無理だろ。まず前提として『雨雲を呼ぶ』か、天候の条件整えるのが先だろ、ポップ」
すっと立ち上がりながら、八幡がボソッと指摘を入れる。
「おおっ……さすがだな八幡! そうなんだよ、ラナリオンで雨雲をつくって、そこから電撃をテコ入れしねえと出力が足りねえんだよな……!」と、ポップが額の汗を拭いながら感心したように声を上げる。
朝の冷気の中、ダイとポップは再び剣の素振りや魔力の収束を繰り返す。
ゼーハーと息を弾ませ、ダイが地面に膝をつきかけたその時――。
すっ、と八幡がダイの脇に歩み寄る。
((((((((((((((((((さっきの謎の赤い服の老人補正、あるいは「現実も異世界も地続きのセーブデータ」補正のおかげか……この空気中の電位差のグラフ、頭の中で完全に同期しちまってるな))))))))))))))))))
八幡は右手を天にかざし、淡く呟く。
――「……ライデイン」。
ピシャアアッ……!
ダイが放つような轟音と巨雷には到底及ばない、細い鞭のような一筋の電撃が、空の雲から地面のすんでのところへと落ち、砂塵を弾いた。
「っ……まじかよ!? 八幡、お前……戦士のくせに今、魔法で……!」目を見開くポップ。
「魔法戦士だからな。いや、なんか知んねえが……一応この世界で『モブ勇者』扱いされてるのか、この雷雲の磁場拾えば俺でも一応撃てるらしいぞ」
「なにそれ反則だろ! よし、俺も負けてらんねえ――!」とダイが気力を持ち直し、再び立ち上がる。
「……ま、見てるだけじゃこっちのメンタルも腰も固まるからな。デバッグがてら、もうちょい付き合ってやるか」
八幡は首を鳴らし、ガチの特訓メニューの輪の中へと自然に足を踏み入れるのだった。
(ふと――遠く、魔王軍の冷酷な城塞の地下牢。マアムの瞳の前に、次のフェーズの足音が迫る。そして現実のワンルームのソファの上では、湯気上がりの小悪魔・いろはが目を覚まし、冷え切ったマグカップを手に「……あれ、先輩、これ夢ですかー?」と固まっている予感がするが、今はこっちの電撃(ライデイン)の軸調整の方が優先だ)
地下牢の論理と、不死騎兵の不器用な正義
湿った石壁に囲まれた、魔王軍地下牢の冷たい闇。
鉄格子の向こう側で、マアムは両手を拘束されたまま、痛む腹部を押さえつつ、怒りに満ちた瞳で目の前の男を睨みつけていた。
「――この、卑怯者ッ……!」
その罵声に対し、ヒュンケルは微動だにせず、淡々とした声で返す。
「……そうか? あの八幡という男も言っていたはずだ。『生きるか死ぬかの勝負に、綺麗も汚いもない』とな」
「は、八幡がそんなこと……って、だからって人質にするなんて卑怯よ!」
「あの場では、俺も分が悪かった。……それに、俺も簡単に死ぬわけにはいかんのでな」
腕を組み、冷徹な美貌を曇らせることなくヒュンケルは続ける。
「心配するな。これ以上、手を出すつもりはない。……いくら敵同士とはいえ、無抵抗の者を必要以上に傷つけるのは、父の教えに反するからな」
その言葉に、マアムはあまりの理不尽さに声を荒らげた。
「……あのねぇ! さっき容赦なく腹を殴って気絶させておいて、どの口がそれを言うのよ!?」
「……っ。それは……その、捕縛のための勢いというやつだ。俺が男として、お前を手籠にしない、という意味で言ったのだが」
意味がわかり真っ赤になるマアム。
わずかに言葉を詰まらせたヒュンケルは、ふっと視線をそらし、不器用にごまかす。
「……まあいい。牢の中だ、少しは頭を冷やすといい。ゆっくりしてると良いさ」
背を向け、暗い通路へと去っていくヒュンケルの背中を見送りながら、マアムは「あの男、絶対許さないんだから……!」と顔を真っ赤にしつつ歯噛みするのであった。
(そしてその頃、遥か外の荒野では――ダイとポップ、そして三十路のモブ・八幡が、マアム救出レイドへ向けた最後の電撃調整(ライデイン)のパッチを、着々と当て終えようとしていた)
氷結の魔剣と、三十路の最適解(メタ・ソリューション)
荒野の特訓場。乾いた風が吹き抜ける中、ダイの振るう杖、そして八幡の手に握られた剣の先端へと、無数のスパークが収束していく。
ピキイイイッ……! と空気を切り裂く高周波音とともに、ダイと八幡の両方から放たれた電撃が、標的にほぼ完璧な精度で命中した。
「す、すげえ……! 八幡、お前、数回見ただけでダイとほぼ同じ精度でライデインを……!」
ポップが目を見開いて絶句する傍ら、八幡は剣を下ろし、軽く肩を回す。
「まあ、威力はダイのに比べれば弱いがな。その分連続で撃てる。理屈のデバッグさえできちまえば、あとは出力の調整次第だろ」
一息つき、八幡は真剣な眼差しでダイとポップに向き直る。
「……なぁ。次のヒュンケル戦だが、あの男とは……俺に1人で闘わせてくれないか?」
「「はぁっ!?」」
ポップとダイが同時に声を荒らげる。
「な何言ってんだよ八幡! あんなバケモノみたいな不死騎団長と1人で闘って勝てるわけないだろ!アバン先生の一番弟子だぞ!」
「完全に1人ってわけじゃねえよ。ポップ、お前には『ラナリオン』で天候のサポートをしてもらう。……それに、相手は純粋な戦士だ。こっちは魔王軍の過酷なレイド戦(初見殺し)を潜り抜けてるし、回復もままならない状況なら、手数と手札の多い俺の『魔法剣士(モブ型)』なら実力差を魔法で補えるさ」
ひらひらと手を振ってふざけて見せる八幡に、ダイは少し考え込むようにあごに手を当てた。
「……でも、八幡がそういうなら、何か勝算があるんだろ?」
「考えってほど大層なもんじゃねえけどさ。――どの道、今のヒュンケルを1人で打破できねえようじゃ、この先の魔王軍のインフレ(難易度急上昇)についていけねえだろ?俺自身がここでレベルを上げなきゃなんねえ」
「……いんふれ? なんだそれ?」
首をかしげるポップを放置し、八幡はダイに視線を向ける。
「おい、ダイ。お前はライデインをラナリオンのサポート無し、自分の魔力と気合だけ、紋章の力無しでいつでも撃てるようになれ。それが当面の課題だ」
「うん、わかった!」
「それと……悪ぃが、ダイ。その『はがねのつるぎ』、ちょっと貸してくれ」
「え? うん、いいけど……」
ダイから受け取った『はがねのつるぎ』の重さを手で確かめながら、ポップが納得したように頷く。
「たしかに、今の『どうのつるぎ』じゃあ魔剣の硬さに負けて折れちまうもんな……!」
「まあ、それもあるが……」
八幡の目が、スッと冷徹な色に変わる。
呟くように、その刃に微小な冷気の魔力を収束させる。
――ヒャド。
キンッと青白い氷の結晶が刃全体を纏い、凄まじい冷気が周囲の草木を凍り付かせる。
一歩、踏み込み。
荒野の大地に向けて、無駄のないフォームで一閃を放つ。
――「大地斬……いや、『氷結大地斬』」。
轟音と共に放たれた斬撃は、ただ地面を断つだけでなく、その亀裂の内部から一瞬で周囲一帯を凍てつく氷塊へと変貌させた。
あまりの光景に、ダイとポップは言葉を失い、完全に固まっている。
「……これが、答えだ」
剣を納め、八幡は淡々と言い放つ。
「あいつの鎧の構造、素材なら、ただの物理や半端な魔法じゃ通じねえ。だが、熱伝導の虚を突き、急激な冷却で金属組織の結合を脆くさせれば……ヒュンケルの鎧にも確実に通じるはずだ」
「お、お前…初見で鎧の弱点を見破ったのかよ……!?」
「……原作の知識を握りしめているのに、肝心の勝負で負けたら、それこそ先が思いやられるって話だろ」
圧倒的な底の知れなさと、あまりに冷徹で的確な攻略ロジックの提示に、ダイとポップはもはや戦慄するしかなかった。
「……よし。準備はいいか。――ヒュンケルの待つ闘技場とマアムの待つ地下牢へ、決着をつけに行くぞ」
八幡の背中に続き、ダイとポップは大きく息を吸い込み、決意を固めてその後を追うのだった。
暗黒の闘気と、敬愛の刃
闘技場に通じる重厚な扉の向こう、冷え切った石畳の広間に、鎧を纏ったヒュンケルが静かに佇んでいた。
その背後には、意識を取り戻したもののまだ拘束されたままのマアムの姿がある。
足音を聞きつけて振り返ったヒュンケルの眼光が、最前列を進む八幡を鋭く捉えた。
「……来たか」
ヒュンケルは冷ややかに、だが微塵の揺らぎもない声で告げる。
「女は無事だ。……闘いの結果に関わらず、決着がつけば無事に返すと約束しよう」
「……流石の騎士道だな。アバン先生の教えを受け継いだ男だけのことはある。――それは、あんたを育てたバルトスの教えか?」
ピクリ、とヒュンケルの眉が動いた。
不意を突かれたような、しかしどこか鋭利な冷たさを孕んだ瞳が細められる。
「……貴様、何を知っている?」
「さあな。なんでもさ」
八幡は腰の剣に手をかけ、ふっと自嘲気味に笑った。
「――言っとくが、闘うのは俺1人だ。まあ、後ろのポップに天候のサポートくらいはしてもらうがね」
「1対1で挑むか。いい度胸だ」
「それと……これが最後になるかも知れねえから、先に言っとくわ」
八幡の三白眼が、かつてアバン門下で数奇な運命を辿った宿敵をまっすぐに見据える。
「こないだ、『あんたを兄弟子とは認めねえ』なんて言ったっけな。……あれは取り消す。あんたは……俺の憧れだからな」
「……何を言っている? 貴様と俺にそんな馴れ合いの覚えはない。意味がわからないな」
「まあ、いずれわかるさ。――ダイ。しっかり見ておけよ」
八幡の呟きを合図に、ピリピリと空気が張り詰める。
ヒュンケルが「暗黒の闘気」を纏い、剣を構えた。その圧倒的なプレッシャーが闘技場の空間を歪ませる。
――激突の瞬間、牙を剥く攻防が幕を開けた。
氷結の刃と、三十路の最適解(レイドバトル・中盤)
頭上のわずかな隙間、ポップの『ラナリオン』によって呼び寄せられた雨雲から、青白く鋭い閃光が奔る。
――「ライデイン!」
八幡の低い声と共に放たれた電撃が、闘技場の石畳を焦がすように直撃コースを描く。
一瞬の隙をついた高速の回避機動でヒュンケルが身をかわそうとするが、八幡の指先はすでに次の詠唱へと移行していた。
((((((((((((((((((初撃で軌道を読ませておいて、2発目はタメ時間を完全に削った零距離・速射パッチ……! 消費MPの無駄なオーバーヘッドを極限まで削ぎ落としたからこそ連発できる)))))))))))))))))
「ぬっ……!」
容赦なく連続で降り注いだ電撃の一撃が、ヒュンケルの鎧を捉え、痺れるような衝撃が走る。
すかさず、八幡の剣に宿る魔力が切り替わる。
――ヒャド。
キンッと凍てつく冷気が刀身を包み込み、八幡は大地を蹴って踏み込む。
――「氷結大地斬ッ!」
絶対零度の冷気を纏った一閃が、ヒュンケルの鎧の継ぎ目に深く叩き込まれる。
ガリリッ、と金属組織が急速冷却によって脆くなり、強固なはずの鎧の表面に、細く鋭い亀裂(ダメージ)が走り、冷気が内部へと浸透していく。
「ぐっ……闘気と冷気で鎧を……!」
しかし、不死騎兵の反撃は容赦ない。暗黒闘気を限界まで凝縮し、ヒュンケルは必殺の構えをとる。
――「ブラッディースクライド!!」
螺旋を描く凄まじい闘気の槍が空間をねじ曲げ、八幡の胸元を抉る。
直撃を避けたものの、八幡の体から鮮血が飛び散り、凄まじい衝撃で闘技場の壁際まで吹き飛ばされた。
「八幡――っ!!」
ポップの悲鳴が響く中、膝をついた八幡は痛みに顔を歪めながらも、素早く左手を自身の胸にあてがう。
――「ホイミ」。
淡い光が傷口を包み込み、重症だったはずの傷口が急速に塞がっていく。
「なっ……!?」
ヒュンケルが目を見開き、愕然と動きを止めた。
自分で自分に回復魔法(ホイミ)を唱えるだと……? 剣技と魔法の二刀流だけでも異質だというのに、継戦能力まで...'
(これが……魔法剣士というものか。いや、それとも……この男の、底知れぬ才能(スペック)か……!)
鎧の中で、ヒュンケルの動揺と冷や汗が走るのだった。
闘魔の鎖と、三十路のカウンター・パッチ
痛む胸を押さえ、八幡は自嘲気味に息を吐き出す。
「……やっぱり、俺の自前の魔力じゃ大してライデインも決定打にならねえな」
「……どうした? 今からでもあの少年(ダイ)を呼ぶか? そうすれば勝てるぞ」
ヒュンケルは冷徹な眼差しを向けながら、あえて挑発の言葉を重ねる。
「……なにがなんでも死ねないんだろ? その程度の技と覚悟で、俺を倒せると思うなよ」
((((((((((((((((((おいおい、実力を認めた上であえてプライドを刺激して選択肢を狭めてくるとか……やっぱりこいつ、根っからの戦士というかプライドの塊かよ)))))))))))))))
八幡は微かに口の端を持ち上げ、痛みを誤魔化すようにふっと笑った。
「まあ、俺の場合は……ここで死んでも、なんか現実の布団に戻るだけかもしれねえしな。知らんけど」
「……ふざけた奴だ」
ヒュンケルは静かに目を伏せ、しかし警戒の気を緩めずにつぶやく。
「底知れぬ男だ。すべてを見透かしているような……そのふざけた態度の裏に、常に次の一手、さらにその先の手を用意している。……お前とは、もう少し違う出会い方をしたかったものだな」
「いや、色々とフラグ管理を考えると……多分、これで正解だろ」
その言葉を遮るように、ヒュンケルの手から妖しく禍々しい闘気が迸る。
――「闘魔傀儡掌ッ!」
目に見えない無数の闘気の糸が八幡の四肢を絡め取り、自由を奪う。
身動きが取れなくなった八幡を見据え、ヒュンケルは漆黒の闘気を限界まで収束させる。
「――さらばだ!」
放たれる、必殺の「ブラッディースクライド」。
螺旋の槍と化した闘気が、逃げ場のない八幡の心臓めがけて一気に突き進む。
だが――八幡の三白眼に焦りはない。
((((((((((((((((((動けねえなら、動かせる神経の回路(パーツ)だけを逆手に取る……! 痛みなんて、社会人の修羅場に比べりゃただのデバッグエラーだ……ッ!!)))))))))))))))))
痺れる肉体を気合で強引に切り離し、闘魔の糸の拘束を筋肉の収縮のタイミングだけでコンマ数秒ズラして回避した八幡は、頭上の雨雲へと右手を突き上げる。
――「ライデイン……ッ!!」
まさかこの至近距離の縛り状態から反撃が来るとは微塵も予想していなかったヒュンケルは、直上から落ちた青白い電撃の直撃を完全にモロに食らう。
「ぐっ……ぬぅああっ……!?」
痺れに顔を歪めたヒュンケルの隙を見逃さず、八幡は地面に突き刺さっていた『はがねのつるぎ』を柄ごと引き抜く。
その刃へと、今の八幡にできる最大出力で再び雷を呼び寄せる。
――「ライデインを纏え……『雷(らい)空烈斬』ッ!!」
電撃と冷気の魔力が極限まで圧縮された凄まじい真空の刃が、雷光を纏ってヒュンケルの鎧の懐へと深く、鋭く叩き込まれるのだった。
零れる涙と、三十路のスカウト戦略
雷光と真空の刃が収まり、静まり返った闘技場な石畳。
鎧に無数の亀裂が入ったヒュンケルは、その場に大の字になり、静かに目を閉じた。
「……殺せ」
その声には微塵の恐怖もなく、どこか晴れやかな、すべてを出し切った男の穏やかさが宿っていた。
「……死ぬには、良い日だ。まさか、俺が極められなかった『空烈斬』を、貴様がこれほどの完成度で習得しているとはな。……やはり、才があるな」
「いや、そんな大層なもんじゃねえよ。裏でバダックじいさんと、まあ知らねえか。一緒に、死ぬほど泥臭く練習しただけだ。――ちなみに、隣のダイに至っては、たった5日でマスターしたぞ」
八幡の言葉に、ヒュンケルが驚愕に目を見開き、傍らに立つダイを振り返る。
ダイは照れくさそうに頭を掻きながら、まっすぐな瞳でうなずいた。
「そうか……。お前たちのような、強く頼もしい弟弟子がいたとはな。……これからの世も、少しは期待できそうだ。安心した。さあ、やれ」
覚悟を決めたヒュンケルに対し、八幡はふっと息を吐き出す。
「――ああ」
振り下ろされたつるぎは、しかしヒュンケルの首を刎ねることはなく、その顔のすぐ横の地面に、凄まじい衝撃音とともに深く突き刺さった。
「ヒュンケルさん。アンタは今ここで、魔王軍の不死騎団長として『死んだ』。……なら、これからのアンタのその命、俺たち(勇者一行)に預けてくれないか?」
「……なっ」ヒュンケルは目を見開いた。「俺は魔王軍にいた男だ。お前らの、人間の敵だ。その俺に、アバンの使徒として、仲間に加われというのか?」
八幡は迷うことなく、ゆっくりとうなずいて見せた。
そのあまりにスケールのデカい、そしてどこか泥臭い提案に、ヒュンケルは言葉を失う。
やがて、その兜の下から、熱いものが頬を伝い、一筋涙が地面に落ちた。
「……まったく。食えん男だ」
ガシリと、地下牢の扉が押し開けられる。
拘束を解かれたマアムが、息を切らしながらまっすぐに駆け寄ってきた。
「ヒュンケル……!」
マアムの手には、バルトスの形見である『魂の貝殻』が握られていた。
魔力の光が灯ったその貝殻から、かつて亡き父バルトス自身が遺した真実のメッセージが響き渡る。
復讐に囚われていたヒュンケルの心の奥底の呪縛が、音を立てて崩れ去っていく。
アバンとの間の悲しい誤解が完全に解けた瞬間、不死騎団長の頑なだった心は、温かな涙とともに完全に溶かされていくのだった。
氷炎の不条理と、三十路の即席シグナル
「……父さん……先生……」
ヒュンケルの喉から絞り出されたその声は、長年まとわりついていた呪縛と憎悪を洗い流すように、静かに闘技場の空気に溶けていった。
だが――その感動的な余韻を、冷酷なまでの熱量が引き裂く。
「おいおい、随分とセンチメンタルに泣き虫になったもんだな、不死騎団長さんよぉ?」
空間が歪み、燃え盛る炎と凍てつく氷の半身を持つ魔王軍の炎氷将軍――フレイザードが、嘲笑を浮かべながらその姿を現した。
「フレイザード……!」
ヒュンケルが険しい表情で睨みつける。
「ま、いいぜ。ここでテメェら勇者一行をまとめて始末すりゃ、手柄は全部俺のものだ。おまけに『裏切り者の処刑』まで完了する。あぁ、たまらねえな!」
下劣な笑みを張り付けたフレイザードの両手に、恐ろしいほどの熱量を宿した巨大な炎の塊が収束していく。
――メラゾーマ。
「ちっ……面倒くせえ増援だな!」
八幡は瞬時に判断し、ポップを見る。頷くポップ。
――「氷結海破斬ッ!」
メラゾーマが放たれる前に八幡が動いていた。
ポップが既に八幡のつるぎにヒャダルコを放っていた。マイナス100度の斬撃に対し、フレイザードは素早くその「氷の半身」の手で受け止め、冷気の魔力をそのまま自らの肉体へと綺麗に吸収してしまった。
だが、八幡の計算はそこだけで終わっていなかった。
「――読通りだな。氷を吸収するなら、温度差のベクトル(バランス)を強制的にひっくり返してやるよ!」
「なんだと……!?」
間髪入れず、別の角度から――。
「くらえっ、『マヒャド』ッ!」
ポップが全魔力を叩きつけるように放った上級呪文が、フレイザードの「炎の半身」と「氷の半身」の境目、その絶妙な温度差の崩れたバランスポイント(弱点)を正確に撃ち抜いた。
「がっ……ぁああっ!? やりやがったな、この虫けらが……!」
不意を突かれたフレイザードが大きく体勢を崩し、巨体に深い大ダメージを受ける。
「今のうちだ、ダイ!」
「うんっ! 『メラ』!」
八幡の合図に合わせてダイが放った小さな火球が、手元で用意していた即席の魔導信号弾(爆薬の芯)に綺麗に着火する。
八幡はその発光する信号弾を、闘技場の空へ全力で放り投げた。
真紅の光が夜空高くへと打ち上げられる。
――ズシン、ズシン……!
地表の遠く、その信号をいち早く視認した巨獣の足音が、大地を揺るがし始めた。クロコダインが気づいたのだ。援軍の歯車が噛み合う。
「……調子に乗りやがって……!」
ダメージを受け、半身を溶かしながらも、フレイザードの双眸に狂気が宿る。
「ここでまとめて蒸発させてやるよ……!!」
再び両手を掲げ、先ほどよりも巨大な、周囲の石畳すら溶かすほどの出力で――二発目のメラゾーマが形成される。
直後、フレイザードの魔力が闘技場の地脈を強引に逆流させ、足元からドロドロとした灼熱のマグマが激しく噴き出し始めた。
一瞬にして、闘技場は逃げ場のない熱の地獄へと変貌していくのだった――。
撤退の背中と、三十路のモブが登る壁
足元から噴き出すマグマの熱気が闘技場を焦がし、崩落が始まる中、フレイザードは自らの炎氷の肉体が負った損傷をみて吐き捨てる。
「っ……ちっ、これ以上長居すりゃ俺のほうが削られちまうか。……覚えてろよ、雑魚どもが!」
捨て台詞を残し、フレイザードはこれ以上醜態を晒さぬよう慌ただしく逃げ帰っていく。
直後、地響きを立てて闘技場の入り口をブチ破り、巨大な影が飛び込んできた。
「待たせたな! 信号弾に気づいて駆けつけたぞ!」
ガルーダを従えたクロコダインの登場に、一同の緊張がわずかに和らぐ。
「クロコダイン! よかった……!」
マアムが安堵の声を漏らすが、クロコダインは周囲のマグマの濁流を見て険しい顔をした。
「おい、一刻を争うぞ! ……だが、この人数じゃガルーダ一羽で一気に運ぶのは無理だ!」
「じゃあ、負傷者を先に――」
「待て、俺が残る」
静かに手を挙げたのは、ヒビが走る鎧をまとったヒュンケルだった。
八幡は呆れたように片眉を上げ、ヒュンケルを見据える。
「さっき『不死騎団長として死んだ』ばっかだろ。……ここは新参の先輩風を吹かせるより、弟弟子にカッコいい見せ場を譲ってくれよ、ヒュンケルさん」
「……ヒュンケルでいい」
かすかに笑みを浮かべたヒュンケルは、マアムやダイと共にガルーダの背へと押し上げられる。
「頼んだぞ、八幡!」
ダイたちの乗ったガルーダが崩れゆく闘技場を飛び立ち、その場に残されたのは八幡とクロコダインの二人のみとなった。
「……よかったのか、クロコダイン? この状況で俺と残るなんてよ」
「まあな。――なんでも1人で抱え込むな、八幡」と、クロコダインは豪快に笑いながら八幡の肩を叩く。
「……お前、その落ち着き払った物言いだが、まだ十代後半のガキだろ?」
「精神年齢の話をし出したら、俺の社会人キャリア(30歳)がバグるからやめてくれ」
軽口を叩きながらも、二人は足元迫るマグマの海から逃れるため、垂直にそそり立つ出口の壁へと一斉に駆け出した。
「まずは熱の直撃を防ぐぞ……!」
八幡は素早く両手を突き出し、壁のふもとを『ヒャド』の冷気でガチガチに凍り付かせる。
「一時の時間稼ぎにしかならんが、何もしねえよりはマシだな!」
「ハハッ、頼もしいぞ八幡!」
その時、上空でガルーダを旋回させていたポップが、眼下の二人に向かって杖を大きく振るった。
「八幡、クロコダインのおっさん、そっちに行くぞ――『ヒャダルコ』っ!」
ポップの放った上級呪文の冷気が、マグマの熱波を相殺するように壁の上部から降り注ぐ。
「助かるぜ、ポップ!」
だが、肝心の壁は滑りやすく、手で掴めるような足場がほとんどない。絶望的な垂直の壁面を前に、八幡は迷わず剣を逆手に構えた。
((((((((((((((((((掴めねえなら、その場で足場を生成してハッキングするしかないだろ……ッ!!))))))))))))))))
ザシュッ、ザシュッ――!
八幡は壁の表面に細かく『ヒャド』の冷気弾を撃ち込み、一瞬で凍りついた氷の足場を連続して作り出しながら、凄まじいスピードで垂直の壁を駆け上がっていく。
その背後を、クロコダインが巨体に似合わぬ身軽さでしっかりと食らいついていく。
「おいおい……あいつ、ヒャドで足場を作りながら登りやがったぞ……。なんでもありだな、あいつは……」
上空のガルーダの上で、ポップは冷や汗を流しながら呟き、ダイとマアムも呆れと感嘆が入り混じった顔でそれを凝視していた。
「……くっ、魔力が……!」
連続使用のツケと肉体の限界が重なり、八幡の足取りがふらつき、視界が白くかすむ。
もう限界か、というその瞬間――上空から滑空してきたガルーダの爪が、ふらつく八幡の腕を確かな力でガッチリとキャッチした。
「すまん。助かったぜ……」
脱出の限界点すれすれで、ガルーダの背に引き上げられる八幡。
追いかけるようにクロコダインも飛び乗り、崩壊する地下牢の真上から、勇者パーティの全員が無事に生還を果たすのだった。
帰還と、中間の世界の老人
崩壊する地下牢を脱出したダイ一行は、バダックの待つ拠点へと無事に戻ってきた。
見慣れたテントの灯りが見えてくると、一同は深い安堵の息を漏らす。しかし、負傷したヒュンケルを支えながらクロコダインが姿を現した瞬間、バダックは目を剥いて腰を抜かしそうになった。
「な、なんじゃと……!? あの不死騎団長ヒュンケルがなぜここに……!?」
「まあ、色々あってさ。……バダックじいさん、こいつの手当てを頼む」
八幡に促され、バダックは複雑な表情を浮かべながらも、長年培った医術の腕を振るうべく薬箱を広げた。
だが、ヒュンケルは差し出された包帯を押し返すように、苦悶の表情でかぶりを振るう。
「……待て。俺はアンタに手当てしてもらう資格がない。俺はさっきまで、アンタたちを滅ぼそうとしていた魔王軍の人間だ……!」
その頑なな言葉に、老齢のバダックは豪快に笑い飛ばしてみせた。
「何を言うか。目の前の負傷者に敵も味方もあるかい。文句なら、この怪我が完全に治った後でたんまりと言い聞かせてやるわい!」
その温かい一言に、ヒュンケルは絶句し、マアムやダイたちは心の底からホッと胸を撫で下ろす。
「ふう……これで、ひとまずタスクは完了、か……」
緊張の糸がプツリと切れたように、それまで極限の魔力消費と満身創痍の体を気力だけで動かしていた八幡の膝が、ガクリと折れた。
支えきれなくなった意識の電源が完全に落ち、八幡の体はそのままその場へ倒れ込む。
――フッ、と世界の色が消える。
気づけば、いつの間にか足元には水面のような光の床が広がり、果てしない白銀の空間が続いていた。
ここは現実のダイアリーでもなければ、魔物がうろつく過酷な大地でもない。
人間の意識のみが漂う、二つの世界の狭間――八幡の夢の世界。
「おや、ご苦労だったな、若者よ」
振り向くと、そこには相変わらず怪しく赤いローブを纏った老人が、悠然と茶をすすりながら座っていた。
すべてを見透かしたような、その老人の深い眼差しが、静かに八幡を見据えていた。
(現実のワンルームのベッド、あるいはソファの上では、先輩の帰りを待ちくたびれてうっかり寝落ちしかけていた小悪魔・いろはが、「……先輩? なんかすごく疲れた顔でうなされてますけど……?」と、冷や汗を拭うタオルを探している気配が、この夢の向こう側でぼんやりと揺れていた)