ダイの大冒険 やはり俺がアバンの使徒なのは間違っている。 作:tomozow
残業と、病室の決意
アパートへ戻った八幡は、冷めかけた部屋の中で手際よくノートパソコンに向かい、残っていた引き継ぎ資料を一気に書き上げた。
エンターキーを強く叩いてファイルを保存し、ふと壁掛けの時計に目をやる。
「……まだ夜の7時か」
引きこもりの休日としては異例のハードスケジュールをこなした割に、妙に頭が冴えている。
「まあ、中途半端に家でウジウジしてても仕方ないしな」
八幡は再びジャケットを羽織り、カバンを持ってアパートを後にした。明日の出社時に少しでもデスクワークを減らすため、会社の夜間通用口からこっそりと資料を提出しに行くことにしたのだった。
一方、その頃。
病院の静かな個室では、雪ノ下陽乃がベッドの上で一人、天井を見上げていた。
医師からは「入院するほどではないが、念のため大事を取って一泊していくといい」と言われ、そのまま夕暮れの病室に残ることになった。
母や父に連絡を入れたが、お決まりの多忙を理由に面会には来ないという返事だった。医者が「大事ない」と言っているのだからそれが普通なのだろう。頭では分かっていても、ふと、胸の奥に冷たい寂しさが広がるのを隠せなかった。
ベッドのサイドテーブルには、先ほど自分で剥がしたファンシーな絆創膏がポツンと置かれている。
それを指先でそっとつまみながら、陽乃はブルリと身を震わせた。
(あの時……比企ヶ谷くんが駆けつけてくれなかったら、私は……)
彼の言う通り、「そもそも彼に会いに行かなければ、あんな事故に巻き込まれることもなかった」のかもしれない。彼ならきっと、そうやって責任を自分に引き受けてからかうように言うだろう。
けれど、そんな因果関係の責任をいちいち数えていたら、世の中の出来事なんてすべて誰かのせいにして生きることになってしまう。
「……本当に、不器用なんだから」
口では呆れたような悪態をつきながらも、脳裏に浮かぶのは八幡の顔ばかりだった。
あの無職予備軍で、いつも気だるげで、決して主役にはならないはずの男。
あの時、血まみれになった自分の顔の傷だけでなく、恐怖と絶望で引き裂かれそうになっていた「心」を救い出してくれたのは、世界でたった一人、彼だけだった。
周囲にいた人間たちは、ただ遠巻きに野次馬として見ているだけだった。それが世間の「普通」だ。だからこそ、孤独だった自分の手を引いてくれた八幡という存在は、陽乃にとってあまりにも特別だった。
(もしかして……比企ヶ谷くんにとっても、私は特別だったりするのかしら?)
ふと、そんな甘い期待が胸をかすめる。
しかし、すぐに頭を振って小さく自嘲した。
(……まあ、そんなこと考えてもしょうがないか)
恋だの愛だの、打算と仮面で塗り固められてきたこれまでの人生が、嘘のようにどうでもよく思えてくる。
理屈じゃない。自分の心は、もうすっかりあのひねくれた少年に――いまや頼もしい男になってしまった彼に持っていかれてしまっていた。
病室の暗がりの中、陽乃はそっと唇を動かす。
「……逃しはしないわよ」
そこに浮かんでいたのは、いつもの優等生を演じる仮面を脱ぎ捨てた、獲物を狙う美しい女豹のような、妖しくも強い笑みだった。
夜間通用口を抜け、八幡が社内のフロアに足を踏み入れると、休日であるにもかかわらず、いくつかのデスクの明かりがぽつんと灯っていた。
「お疲れ様です」
軽く会釈をしながら通りすがりの同僚に挨拶をしつつ、給湯室で淹れたてのコーヒーを紙コップに入れ、自席へと戻る。
その背中に、ふと声をかけてきたのは、歳の離れた直属の先輩だった。
「おっ、比企ヶ谷。こんな休日の夜遅くに休日出勤か? よっぽど急ぎの資料でもあるのかよ」
マグカップを片手に現れた先輩の顔には、疲労の色とどこか親しげな笑みが浮かんでいる。八幡は軽く頭を下げて、紙コップを差し出した。
「いえ、すんません。まあ、俺、そろそろこの会社辞めようかなって思いまして。その引き継ぎの準備をちょろっと。……明日からは定時で、まあ、できたら定時で帰ろうかなと」
苦笑いしながらそう告げた八幡に、先輩は驚きで目を丸くした。
「……は? 辞めるって、お前、マジかよ」
絶句する先輩に対し、八幡は淡々と続ける。
「はい。まあ、色々ありまして」
先輩はしばらく天井を見上げてフゥと息を吐き出すと、やれやれといった調子で頭を掻いた。
「……まあ、俺はこの歳(アラフォー)だし、家庭もあるからしがみついてるけどさ。お前はまだ若いだろ。他に向いてる仕事なんていくらでもあるさ」
その言葉に、八幡は胸の奥が熱くなるのを覚えた。
この先輩には、本当に頭が上がらなかった。
精神的に追い詰められていた時、よく飲みに連れていってくれ、くだらない愚痴を聞いてくれた。タバコ休憩に誘い出しては仕事の息抜きをさせてくれ、自分の知らないところで上司の理不尽な物言いからさりげなくフォローし、時には代わりに反論してくれたこともあった。
この人がいてくれたからこそ、底辺すれすれだった八幡の20代の社畜生活は、まだ絶望一色にならずに済んでいたのだ。
「……先輩。俺、もう三十路になりましたよ」
しみじみとした調子で呟いた八幡に、先輩は「ははっ、なんだ、そうかよ」と笑い飛ばす。
「じゃあ、ちょっと自販機行くついでだ」
先輩はそう言って席を立ち、数分後に戻ってくると、一本の缶を八幡の机にポンと置いた。
「ほれ。お前の好きなマックスコーヒーだ。まあ、誕生日プレゼントにしては少し遅いけどな」
置かれた缶コーヒーのパッケージを見て、八幡は思わず目を細めた。
「……ありがとうございます」
その甘ったるい味と、先輩の不器用な優しさが、今の八幡の心にしみじみと染み入るのだった。
マックスコーヒーの甘さを喉に流し込みながら、八幡は先輩と並んでキャビネットの脇に立ち、引き継ぎ資料の印刷がウィーンと音を立てて完了するのを待っていた。
「いやあ、思えば入社した頃の比企ヶ谷は、もっとこう……人間不信の塊みたいな目をしてたよな」
「失礼な。今だってだいぶ根は歪んでますよ」
「はは、否定はしねえけどさ。あの頃に比べりゃ、だいぶマシな面構えになったってことだ」
そんな昔話をぽつりぽつりと交わしながら、最後の資料をファイリングし、デスク周りの私物を細かく片付けていく。
そして、カバンの底から一枚の白い封筒を取り出した。
「……一応、これです」
八幡が差し出した封筒の表書きを見た瞬間、先輩は紙コップを持ったままピタッと動きを止めた。
じっと封筒を凝視し、それからふうっとため息をついてツッコミを入れる。
「おいおい比企ヶ谷、お前これ……『退職願』になってるぞ。『退職届』にしとけ」
「え? いや、どっちも同じようなもんじゃないんですか。俺、人生で会社を辞めたことなんて一度もないんで、このへんのフォーマットがいまいちピンとこなくて」
「お前なあ……。『願』だと会社側が受理するかどうか(相談・打診)のニュアンスになるだろ。『届』なら一方的に提出して終わりだから、お前がもう辞めるって決めてるならこっちに書き直せ。俺は今まで何人もの辞めていく人間を見てきたんだから間違いない」
先輩の頼もしい(しかし妙なところで手慣れた)アドバイスに、八幡は「さすが場数が違うな」と感心しながらペンを走らせる。
「そもそも先輩、そんなに退職のイロハに詳しいってことは、まさか……」
「おっ、やっと気づいたか。実は俺も前の会社をぶっ飛んで、ここが二社目の転職組みなんだよ」
マジですか、と八幡は目を丸くした。
「初耳ですよ。いつもこの会社に骨を埋める気満々なオーラ出してたじゃないですか」
「まあ、だからこそ今こうしてここで働けてるんだけどな。前の会社は……ハハ、お前が想像してるブラックの斜め上を行く修羅場だったぞ。今思い出しても胃が痛くなる」
「……想像するだけで寿命が縮まりそうなので、脳のメモリからその情報は即座に削除します」
身震いしながら首をぶんぶんと振る八幡に、先輩は苦笑しながら缶コーヒーを傾けた。
「でだ。ここを辞めた後、次の仕事はどうするんだ? まさか本当に無期限のニート生活に入るわけじゃないだろ?」
その問いに、八幡はふと手を止めた。
マルチバースの救世主としてダイの世界を救い、神からとんでもない理不尽を押し付けられている身ではあるが、地球での「普通の生活」や「今後の生計」について、具体的にどうするかはまだざっくりとしか決めていない。
(転職、か……)
前の会社では耐えることが美徳のようになっていたが、今の自分には、異世界で培ったスキルや、理不尽な世界を渡り歩いてきた図太さがある。手品師を名乗るには地味すぎるし、かといって普通の大企業に再び飼い慣らされるのもなんだか味気ない。
「……さあ。何の仕事を探すかな」
窓の外の夜空を見上げながら、八幡はどこか遠い目をしつつも、不思議と胸の内に焦りはないのだった。
先輩に向き直ると、八幡は背筋をピッと伸ばし、その場で綺麗に直立した。
そして、これ以上ないほどまっすぐに、深く頭を下げる。
「今まで、本当にお世話になりました。……ありがとうございました」
まっすぐで、どこか真摯すぎるその感謝の言葉に、先輩は少しだけ目を丸くし、それから照れくさそうに鼻をかいた。
「おいおい、頭を上げろって。まだそんなしめっぽい挨拶をする時期じゃないだろ。退職日まではまだ少し出社するんだし、今こんなことしたら周りの連中に変に騒がれるぞ」
冗談めかして笑いながらも、先輩の目元には確かな温かさが宿っていた。
「それに、会社を辞めたからって、もう二度と会えなくなるわけじゃない。……なあ、たまには近くの居酒屋で、今度は俺の新しい愚痴も聞いてくれよ。会社を辞めた奴にしか言えない、もっとドス黒い愚痴ってやつもあるんだからさ」
最後まで少しおどけながら、後輩の門出を優しく包み込もうとするその姿勢に、八幡は(本当に、この人には敵わないな)と内心で苦笑しつつ、胸が熱くなるのを感じた。
「……ええ。そうですね、少し早すぎました」
恥ずかしさを紛らわすように照れくさそうに頭を掻きながら、八幡は顔を上げた。
「それじゃ、先輩。また明日」
「おう、また明日な。無理すんなよ」
手を軽く挙げて見送る先輩の背中に一礼し、八幡は自分のデスクに戻ってカバンを肩にかけた。
外に出ると、秋の夜風が心地よく火照った頬を撫でる。
明日からは新しい日常と、ダイたちとの冒険が待っている。不思議と、足取りはどこまでも軽やかだった。
眠りにつく前のページと、覚悟
アパートに戻り、シャワーを浴びて部屋着に着替えると、八幡はベッドにもたれかかるようにして一冊の単行本を手に取った。
表紙に描かれているのは、剣を握りしめ、泥だらけになりながらも前を向く少年――『ドラゴンクエスト』の原作漫画だった。
パラパラとページをめくる。
「……んー、こうして読み返してみると、細かいエピソードや戦術のディテールで忘れてる箇所も結構あるな」
遠い異世界の出来事とはいえ、向こうでの戦いや選択肢を誤れば、ダイたちの世界は容赦なく最悪の結末を迎える。
「まったく、ドラクエ、ねえ……」
クスリと自嘲気味に呟きながら、本から目を離して天井を仰ぐ。
本来なら、マルチバースを管理する神様が言う通り、こんな面倒な役回りは「俺じゃなくてもいいはず」なのだ。もっと強くて、もっと主人公気質な誰かが選ばれていてもおかしくない。
だが――。
「まあ、仕方ないか」
神様が告げていた通り、あの世界のダイやポップ、マァムといった仲間たちは、データやフィクションの存在ではなく、血が通い、今を懸命に生きている人間たちだ。
一度関わってしまった以上、そして彼らの生き様を見てしまった以上、「知らんぷりで見捨てる」という選択肢は、ひねくれた八幡の辞書には最初から存在していなかった。
「……さて、明日からも色々忙しくなりそうだしな」
パタン、と静かに漫画を閉じ、サイドテーブルの上に置く。
枕元のデスクライトのスイッチに手を伸ばし、カチリと部屋の明かりを落とした。
暗闇に包まれた部屋で、八幡は静かに目を閉じる。
現代の日常と、ダイの世界の非日常。その両方を背負った三十路のモブは、穏やかな寝息を立てながら、静かに眠りへと落ちていくのだった。
目を開けると、天井に広がるのは現代の白いクロスではなく、荒々しい石造りの壁と、どこか懐かしいファンタジー世界特有の乾いた空気だった。
「――っ」
起き上がろうとした八幡の背中に、ガッシリとした頑丈な腕が回されている。
見上げれば、そこにいたのは銀髪を揺らし、無愛想ながらも確かな包容力を見せる元魔軍司令――ヒュンケルだった。なんと、ヒュンケルにまるでおぶられるような形で、八幡は荒野を移動させられていたらしい。
「おっ、起きたか、八幡」
ヒュンケルの低い声に、周囲を歩いていた仲間たちが振り返る。
八幡は慌てて背中から滑り降りながら、自分の体を軽く叩いて確認した。
「あー……その、怪我はもういいのか? ヒュンケル」
「ああ。バダック爺さんの手当のあと、マアムがすかさずホイミをかけてくれたおかげでな。もう痛みはない」
そう言って爽やかに笑うヒュンケルの横で、マアムが「間に合ってよかったよ!」と元気よく頬を掻く。
(ベホイミをかけてもらえば一発だったんじゃ……いや、それをしたらバダック爺さんの手当が無駄になるか)
そんなことを内心でツッコミつつ、八幡は自分の体を支えてくれたヒュンケルの背中をこっそり見つめた。
(にしても、相変わらずこの男は頼りなる良い漢だ。やっぱり、なんだかんだでヒュンケルはめちゃくちゃかっこいいな……)
「大丈夫か、八幡。自分で歩けるか?」
ヒュンケルが心配そうに振り返るのに対し、八幡は「ああ、もう平気だ」と手を振って自分の足で地面を踏みしめた。
視線の先。
ゴツゴツとした岩肌と砂埃の向こうに、古びた石造りの巨大な神殿がどっしりと威容を誇るようにそびえ立っていた。
「おい、みんな。目的地は目の前だぞ」
そう声を張り上げたのは、一歩先を歩いていたバダックだった。
バダックは杖で地面をコツコツと突きながら、険しい顔つきのまま神殿の一角を指差す。
「間違いない。神殿の真下だ。あの地下深くに、わしらが求めている『地下倉庫』があるはずじゃ!」
緊迫した空気が再びパーティー全体を引き締める中、八幡はポケットに手をつっこみ、これから始まる試練に向けて小さく息を吐き出すのだった。
神殿の入り口を塞ぐ重く巨大な瓦礫の山を前にして、八幡はダイ、ポップ、そしてクロコダイルと共に汗を流しながらせっせと岩を押し退けていた。
「よいしょ、っと……。ほんと、こういう地味な肉体労働は学生の時のバイト以来だ」
小さくボヤきながらも、八幡は転がってきた大きな石塊を脇へと放り投げる。
ふと横を見ると、ダイが額の汗を拭いながら、先ほどの激しい戦いの余韻か、どこか真剣な面持ちで息を整えていた。そういえ原作ではダイが『火炎大地斬』で信号弾がいっぱい撃ち上がったはずだ。
(まあ、あの時のダイの閃きがどう転ぶか分からないけど……こういう小さな努力や準備が、後々土壇場で効いてくるはずだ)
そう自分に言い聞かせるように心の中で頷きながら、八幡はさらに次の瓦礫へと手を伸ばした。
一通り通路を塞いでいた瓦礫を片付け終え、地下倉庫から信号弾を取り出して地上へ戻ってきた。ダイは空を見上げる。
「よし、これでいけるはずだ……!」
ダイがキリッとした表情で、勢いよく上空へ向けて信号弾を放り投げる。
シュウウウッと音を立てて夜空(あるいは荒野の曇天)高く打ち上がった光の弾が、パーンと鮮やかに弾け飛んだ。
それを合図にするかのように、遠くの雲の切れ間から、ゆっくりと見慣れた巨大な影が姿を現す。
「おっ、見えたぞ!」
ポップが嬉しそうに飛び跳ねながら指を差した。
その視線の先には、風を切って近づいてくる気球の姿がしっかりと捉えられていた。
気球がゆっくりと地上へと降り立ち、バスケットの扉がギィと音を立てて開く。中から飛び降りてきたのは、パプニカ王国親衛隊の女性――エイミだった。
「みなさん、無事でしたか……!」
息を切らせて駆け寄ってきたエイミの姿を見た瞬間、八幡は思わずぼそっと呟いた。
「……おいおい、この世界の人間は美人しかいないのかよ」
現実世界でもそれなりに綺麗な女性(雪ノ下姉妹など)に囲まれていたはずの八幡だが、次から次へと現れるファンタジー世界の美形たちの層の厚さに、モブとしての生存本能が少し気圧される。
その呟きが思いのほかよく通る声だったため、言われたエイミは「えっ!?」と顔を真っ赤にして両手で頬を押さえた。
そのやり取りを横目で見ながら、ポップは「ふむふむ……『女性を褒めて動揺させる作戦、か……?』」と真剣な顔で心のメモに書き留める。
少し離れたところで腕を組んでいたヒュンケルは、表情こそ微動だにしていなかったが、内心では(……やるな、あの男)と妙な感心の色を浮かべていた。
しかし、空気を読まない主人公はここで無邪気に爆弾を投下する。
「え? エイミさんってそんなに美人かなあ? レオナの方がもっと美人だろ!」
ダイが首をかしげながら放った素直すぎる一言に、エイミは「っ……!」と引き攣った笑顔のまま固まる。
その場にいたマァムをはじめとする女性陣は、一斉にやれやれといった呆れたため息を吐き出した。
「ガハハハハ!」
豪快に笑い声を上げたのはクロコダインだ。「いやなに、ダイの奴はそっちの方面でお子様というわけよ」と面白そうに腕を組む。
凍りついた空気を察知したエイミは、わずかに頬を引き攣らせつつも、すぐにパプニカ親衛隊としての気丈さを取り戻し、咳払いをしてきっちりと頭を下げた。
「こ、こほん……! 改めまして、パプニカ親衛隊のエイミです。みなさん、合流できて本当によかったわ!」
こうして無事にエイミを交えたパーティーは、いよいよ神殿の地下倉庫へと踏み込んでいくのだった。
神殿の重い石扉を押し開け、一行はひんやりとした空気が漂う地下倉庫へと足を踏み入れた。
薄暗い空間に並ぶ古い木箱や棚を調べていくと、バダックが「おっ、こいつは……!」と声を上げる。
そこに収められていたのは、先ほどダイが打ち上げた信号弾の予備だけでなく、ずらりと並んだ大量の本格的な火薬だった。
「ほう……これだけの量が残っておれば、色々と悪巧みができそうじゃな」
八幡は火薬の詰まった樽を眺めながら、腕を組んで思案顔になった。
「なあ、バダック爺さん。この火薬、ただ爆破させるだけじゃなくて、何か別の用途に加工できたりしないか? 例えば、足止め用の煙幕とか、ちょっとしたトラップとかさ」
八幡の提案に、バダックは髭をピクリと震わせ、自慢げに胸を張った。
「ふっふっふ、何を言うか若造! 誰に物を言っとる。このワシに任せろ、発明王バダックにな!」
頼もしい老人の笑い声を聞きながら、八幡は念のため、即座に取り出しやすそうな小型の火薬玉をいくつか自分のポケットにそっと忍ばせた。
ふと、ダイが不安そうな顔でエイミに尋ねる。
「そういえば、レオナは今どうしてるの? 無事なのか?」
「ええ、レオナ様なら……今はバルジ島にいらっしゃるわ」
エイミのその言葉を聞いた瞬間、ダイは「よし、それならすぐに行こう!」と居ても立ってもいられない様子で駆け出そうとした。
しかし、それを八幡がひょいと腕を掴んで制止する。
「おい、ちょっと待てダイ。焦る気持ちは分かるが、腹が減っては戦はできぬってやつだ。……少し時間をくれ。一回外の空気を吸おう」
八幡に促され、一行はいったん神殿の外へと戻り、差し込む太陽の光の下で手早く昼食の準備を始めた。
広げられた布の上には、エイミが手際よく用意した色鮮やかな弁当が並ぶ。
「あ、あの…… 私とアポロ、マリンと食べるつもりで作ってきたものなの。口に合うといいんだけど……」
少しもじもじしながら差し出されたそれを、八幡は箸で一口つまみ、静かに咀嚼した。
「……うん。味付けのバランスもいいし、冷めても美味い。完璧だな」
「ほんとう……? よかったぁ……!」
八幡の淡々とした、しかし嘘偽りのない称賛の言葉に、エイミはパッと花が咲いたように顔を赤らめて喜んだ。
(心の声:ふむ……今の褒め言葉で一気に『20』から『22』へとレベルアップした音が聞こえた気がするぞ。陽乃さんのもかな?)
ポップがその様子をまたしても心のメモに書き留める。八幡は小さく息をつき、手元のパンをかじりながらこれからの作戦について切り出した。
「さて、腹も膨らんだことだし、今後の動きについて俺の予想を話しておくか。バルジ島に向かうにしても、向こうの状況は甘くねえはずだ……」
八幡の落ち着いた、しかし的確な情勢分析に、ダイやヒュンケル、そして仲間たちは真剣な表情で耳を傾け始めるのだった。
岩陰に腰を下ろし、八幡は地図を広げながら仲間たちを見回した。
「バルジ島はフレイザードの管轄だ。奴の狡猾さを考えれば、こちらの動きはもう読まれていると思った方がいい。迂闊に気球で上空から近づいて、もし狙い撃ちでもされたらたまったもんじゃねえぞ」
八幡の引き締まった口調に、全員の表情が険しくなる。
マアムは懐から自身の武器である魔弾銃を取り出し、予備の弾薬を確認しながら言った。
「じゃあ、あたしの魔弾丸にヒャダルコやメラミを詰めておいて、いざという時の迎撃手段を増やしておくべきね」
「だな。それに、個々の魔法の応用力も上げておいた方がいい」
八幡はそう言うと、右手を軽く前方に突き出し、呪文を詠唱した。
(((((((((((『ヒャド』……ッ))))))))))))
八幡の手のひらのすぐ上に、小さな冷気の塊がフワフワと重力を無視して浮かび上がっていた。
「……ふむ。ヒャドを飛ばせるんだから、こうして魔力を一点に定めて空間に浮かせることもできるか」
手元で静かに漂う氷の塊を眺めながら、八幡はふと今後の戦術的な可能性に思いを巡らせるのだった。
「何やってんだ、八幡?」
隣で見ていたポップが、目を皿のようにして飛び退いた。
「お前、同じことできるか? ポップ」
「は? いや、ヒャドなんてただの攻撃魔法だろ、そんな風に足止めみたいに浮かせるなんて聞いたことねえよ!」
「できてなんの意味があるのか」とポップは内心で首を捻ったが、これまでの戦いで八幡が放つ助言や奇策の重みを知っているだけに、「この男が無意味なことを言うはずがない」という妙な信頼感が彼の中で異様に高まっていた。
「……しゃあねえな。見とけよ!」
ポップは負けじと手を突き出し、集中してヒャドを唱えた。すると、彼の手のひらの上にも、わずかに浮遊する小さな氷の塊がポコッと現れる。
「お、できたじゃねえか。それをたまにでいいから暇な時に練習しとけ。メラでもな」
八幡はそう言って、感心するポップの肩を軽く叩いたのだった。
「そういえば……メ、ラ」
ポップがふと思い出したように片手を突き出し、小さく呪文を唱えた。
ポッ、と手元に灯った炎を見つめながら、ポップは急に思い出したようにニヤリと笑う。
「なあ八幡。お前、前に行ってたろ? 同時にメラゾーマを撃つ離れ業みたいなやつ。あれ、俺ならできるようになるって八幡が言うから、練習してたら本当にできるようになっちまったぜ。まあ、これはメラだけどさ。やろうと思えばメラゾーマ3つくらいまで同時にいけるようになった。ただ、これ一気に制御すると身体の負担がきついから普段はやらねえけどさ」
さらっとトンデモない成長速度のセリフを叩き出したポップの言葉に、周囲で聞いていたエイミ、ダイ、ヒュンケル、マアム、クロコダインの動きがピタッと止まった。
(……いや、待て待て。なんだと?)
八幡は内心で激しく動揺しつつも、顔色一つ変えずに腕を組んだ。
(俺が前に何気なく言ったヒントを拾って、さらっと3つ同時のマルチプルキャストを習得しちまうとか……相変わらずこの男、とんでもねえ化け物級のポテンシャルを秘めやがって。やっぱり、この世界で一番の天才枠はこいつなんじゃないのか?)
周囲の仲間たちが驚愕の眼差しでポップを見つめる中、八幡は心の中で「やはり天才か……」と盛大にツッコミを入れるのだった。
「それ、名前なんて言うんだ?」
八幡の問いかけに、ポップは胸を張り、得意満面といった様子で言い放った。
「ふっふー、聞いて驚け! 二つのメラを同時に放つから、その名も……『ダブルフィンガー』だ!」
「……それ、居酒屋で『とりあえずビール二つ』って頼む時の掛け声みたいだな。どこにもメラの要素がないだろ」
ジト目を向ける八幡に、ポップは「えっ、そうか?」と頭をかく。
「まあ、もう少しこう……『ツインフレア』とかさ、それっぽい響きにしとけよ」
「おっ、それカッコいいな! よし、それにしよう!」
ポップはすっかり気に入った様子で、神殿の脇にある頑丈な岩に向き直ると、2本の指を鋭く構えた。
(((((『ツインフレアッ!』)))))
ポップの指から放たれたのは、とても初級呪文のメラとは思えない、強烈な熱線を帯びた二条の炎。それが完璧なタイミングと軌道で同時に岩の表面を撃ち抜いた。
ドォンと重い爆発音が響き渡り、直後、狙撃された岩には深い亀裂が走り、その表面がじわりとドロドロと溶け出していく。
「……嘘でしょ…?」
マアムが絶句し、ダイやヒュンケルも目を見張る。
あんなものはとてもメラの威力ではない。メラミ相当の破壊力、それが二つ同時に直撃しているのだ。
圧倒され、ポカンと口を開けていたエイミは、静かに息を呑んで呟いた。
「……あれのどこがメラよ.....」
「なあポップ。その『ツインフレア』って、身体への負担はどれくらいあるんだ?」
八幡が探るような目を向けると、ポップは頭をポリポリとかきながらあっけらかんと答えた。
「んー? 少しだけだな。まあ、そもそも俺、普段のメラでも連発なら8回までなら余裕でいけるし、わざわざこれを実戦で使う意味ってあんまりないかもな!」
その言葉を聞いた瞬間、八幡の心臓がわずかに跳ねた。
(やめろ……その「余裕で連発できる」系のセリフは、社畜時代の理不尽なマルチタスクで限界を超えてきた俺のメンタルにダイレクトに効く)
八幡は自分の手元をそっと見つめる。自分が編み出した『ファイブアイス』は、一つ一つの威力がそこまで高くないからこそ、手数で補うために連発せざるを得ない。しかも、自分自身の限界は精々5回がいいところだ。
(くっ……俺のファイブアイスは最大でも5回しか使えないんだぞ。あいつは8回余裕って……)
しかし、すぐに八幡は頭をブンブンと振って雑念を追い払う。
(まあいいか。俺は純粋な魔法使いじゃなくて、前衛もこなす『魔法戦士』枠だしな。器用貧乏上等、プレイスタイルが違うんだよ、うん……)
心の中で必死に自分を慰めながら、八幡は咳払いを一つしてポップに向き直った。
「……まあ、身体の負担が少ないなら、とっておきの隠し玉としては十分すぎるほど強力な魔法だ。さすがだな、ポップ」
「へへっ、それほどでもねえって!」と照れくさそうに鼻を擦るポップの横で、マアムとエイミは「……化け物ね」と言いたげな呆れたような、しかし圧倒された目をポップに向けるのだった。
あぜんと口を開けたまま、マアムもエイミももはや言葉を失っていた。
同じように魔法を扱い、その難易度や消費魔力の重さを肌で知っている者だからこそ、ポップがさらっと口にした「8回までなら余裕」という言葉の異常さが痛いほどよく分かる。一発の威力を高めつつ、それを何発も連射するなど、並大抵の修行や才能でできることではない。
(なんなの、あの男の子……。あんな化け物みたいな技を……)
エイミは目の前でヘラヘラしているポップと、それを涼しい顔で受け流す八幡を交互に見つめながら、背筋が寒くなるような衝撃を受けていた。
かたや、独学の怪しげな応用魔法を次々と編み出し、それを一瞬で他人に伝授してしまう八幡。かたや、その無茶な要求を一言でモノにし、さらに上の領域へと昇華させて見せたポップ。
周囲の仲間たち――ダイやヒュンケル、クロコダインに至るまで、「この二人はどうなっているんだ」と言わんばかりの複雑な視線を向けざるを得ない。
――紛うことなき、天才としか言いようがない2人だった。
周囲が二人を見つめる中、八幡はすっと涼しい顔を作り、鼻を軽くこすりながら言った。
「まあ、俺は10回は余裕だけどな」
――おい、と言いたげな視線がポップから突き刺さるが、八幡は一切気にしない。
(昔、アバン先生にも言われたんだよな。『天才の域にいる者に、お前は天才だと言ってはいけない。ただ調子に乗るだけだからな』ってな。俺の脳内名言集にはそう刻まれている)
ここでポップに調子に乗らせては、のちのち調子に乗りすぎて余計なトラブルを引き起こしかねない。常に上の壁を見せつけ、慢心をへし折っておくことこそ、組織をマネジメントする上での基本だ。
(もっとも……ハッタリも大概にしておかないと後が怖いけどな)
八幡は心の中で冷や汗を拭いながら、ポケットに突っ込んだ手をそっと握りしめた。
(今のところ自分の限界は5回が関の山だ。だけど、あいつのあの様子を見せつけられたら、もう少し限界を押し広げたくもなる。戦いが終わって落ち着いたら、まずは人知れず6回からこっそり練習してみるか……)
社畜時代に培った無駄な負けず嫌いと向上心を胸の奥にしまい込み、八幡は仲間たちへと再び鋭い視線を向けた。
「ねえ、八幡さん……ほんとに、10回も連続でできるの……?」
周囲の喧騒から少し離れたところで、エイミがわずかに頬を赤らめ、上目遣いでこっそりと耳打ちしてきた。
その言い方と絶妙な間合いに、八幡の脳裏で現代日本のインターネットスラングや深夜のくだらない会話がフラッシュバックする。
(……おいおい、待て待て。その聞き方は、なんか別の意味に聞こえかねないだろ……!)
ふと自分の頭の中の下世話な思考に気づき、八幡は心の中で盛大に頭を抱えた。
(くっ、俺もすっかり擦れ違ったオッさんだな……。清らかなパプニカ親衛隊の隊員に向かって、何くだらない脳内変換をしてやがるんだ、俺は)
気まずさを必死に隠しながら、八幡は周囲に聞こえないよう、さらに声をひそめてボソッと返した。
「……そんなわけないだろ。盛ったんだよ、今の。現実的に考えて、せいぜい5回が関の山だっての」
「そ、そうなんだ……」
エイミは納得したように小さくうなずくと、少し離れた場所で元気に呪文の練習をしているポップの背中を眺めながら、「私も、まずは基本のメラからこっそり練習してみようかな……」と密かに闘志を燃やすのであった。
そんなやり取りを挟みつつ、準備を整えた一行は次々と巨大な気球のバスケットへと乗り込んでいく。
「よし、全員乗り込んだな!」
バダックの号令とともに、気球のバーナーがゴォッと力強い音を立てて熱風を吹き上げる。
重い浮遊感を伴いながら、気球はゆっくりと大空へと舞い上がっていった。
目指すは敵の本拠地――フレイザードが待ち受けているかもしれない、不穏な熱気漂う島、バルジ島。
それぞれの思惑と新たな力を胸に、パーティーを乗せた気球は風を切って雲の彼方へと進んでいくのだった。
雲を抜け、ついに眼下に不穏な瘴気を纏う絶海の孤島――バルジ島が姿を現した。
気球が高度を下げて着陸態勢に入るやいなや、八幡は周囲の空気をピリッと引き締めて仲間たちを促す。
「のんびり感傷に浸ってる暇はねえぞ。着き次第、即座に戦闘態勢に入る。気を抜くなよ」
その頃、島内の要塞付近では――。
パプニカの兵士たちが緊張の面持ちで見守る中、レオナ姫がふと遠くの空を見上げながら、懐かしそうに、しかし強い信頼を込めてダイの名前を口にしていた。
「ダイくん……今、どうしているかな……」
だが、その穏やかな時間は唐突に終わりを告げる。
地を揺らすような冷気と熱気が同時に押し寄せ、突如として魔影軍団の尖兵であるフレイムとブリザードの群れが奇襲をかけてきた。パプニカの兵士たちが次々とその圧倒的な猛攻に倒れ、悲鳴が上がる。
「くっ……! 守りを固めろ!」
味方を守るため、アポロとマリンの二人が即座に呪文を構えて戦いに参戦する。炎と氷の魔法が激しくぶつかり合い、戦場は一気に混乱の渦へと巻き込まれた。
そして、その混沌の中心を割くように、空間の温度が異様に跳ね上がる。
「感傷に浸っている場合かよ、お姫様。ククク……相変わらず虫けらどもが足掻いているな」
冷徹で残忍な笑い声とともに、赤と青の二色に分かれた不気味な身体を持つ男――魔炎軍団長フレイザードが、悠然と姿を現した。
圧倒的な熱量と冷気をまとうフレイザードの威圧感の前に、兵士は倒れ、アポロとマリンの二人は次第に追い詰められていく。防戦一方となり、隙だらけになった彼らに向かって、フレイザードは冷酷に両手を突き出した。
「お遊びは終わりだ……! 消し飛べ、フィンガー・フレ「そこまでだ、フレイザード!」
五指から放たれようとする凄まじい高熱の呪文の束が、絶望の空気が戦場を支配しかけたその瞬間――。
鋭い声とともに、上空から閃光のような一撃が降り注いだ。
ポップが咄嗟に放った『ヒャダルコ』の冷気を、ダイがその剣身に完璧に纏わせている。絶対零度の冷気を帯びた魔剣が、フレイザードの放つ灼熱の炎を切り裂いた。
「くらえ――氷結海破斬ッ!」
ゴウンッ! と凄まじい衝撃波が走り、凍てつく刃がフレイザードの右腕――炎を司る側を正確無比に捉え、その巨腕を本体から鮮やかに切り離した。
「なっ……!?」
自らの腕が吹き飛んだことに驚愕し、フレイザードが顔を歪める。
その場に降り立ったのは、以前とは見違えるほど鋭い眼光を放ち、圧倒的な成長を遂げた少年――ダイだった。
その光景を目の当たりにしたレオナは、目を見開き、信じられないものを見るように息を呑む。
(ダイくん……? あんなに強くなって……!)
胸の奥から熱いものがこみ上げるのを抑えきれず、レオナの瞳には誇らしさと深い感動の色が浮かんでいた。