ダイの大冒険 やはり俺がアバンの使徒なのは間違っている。 作:tomozow
吹き飛ばされたはずのフレイザードの右腕は、不気味な魔力のうねりとともに、岩と炎が再構築されて一瞬で元の姿へと戻っていく。
「ふん……その程度の小細工が俺に効くと思ったか!」
再生した腕を鳴らし、さらに殺意をぎらつかせるフレイザードに対し、アポロとマリンは顔面蒼白になりながらも必死に魔力を練り上げる。
「こうなったら、僕たちの合わせ技で……! 『ヒャダイン』と『メラゾーマ』を同時に……!」
二人が最強クラスの呪文を放とうとしたその時、背後からスッと冷徹な声が割り込んだ。
「やめておけ。無駄だ」
声の主である八幡が前へと歩み出ると、アポロとマリンは眉をひそめ、突然現れた見慣れない男に鋭い疑惑の視線を向ける。
「なんだお前は……? 勝手なことを……!」
しかし、八幡がふと纏った空気――数々の修羅場を潜り抜け、極限の状況で冷静に最適解を導き出し続けてきた『歴戦の勇士』のそれと重なる重圧に、二人は言葉を呑み込んだ。そのただならぬ気迫に気圧され、マリンは思わず息を漏らす。
(なんなんだ、この男の目は……まるで戦況のすべてが見えているかのような……!)
「アポロ、マリン。無駄撃ちはやめて、それより今すぐ俺たちに『フバーハ』をかけてくれ」
八幡の淡々とした、しかし有無を言わせぬ指示に、アポロは無意識のうちに身体を動かしていた。
「っ……わかった!」
アポロが即座に呪文を唱え、パーティ全体を包み込む強力な呪文の壁――『フバーハ』を展開する。
その直後、フレイザードの全身から凄まじい熱量と冷気が放たれようとする。敵の猛攻が本格的な大技へと移行する気配を察知し、八幡の背後から前衛の二人が一歩を踏み出した。
「行くぞ、クロコダイン」
「おう、ヒュンケル! 隙だらけの魔軍団長め、ここで叩き潰す!」
鎧の剣を構えたヒュンケルと、巨大な体躯を誇るクロコダインが、圧倒的な威圧感を放ちながら前線へと躍り出た。
「くっ……! まだ腕が再生しやがった!」
ポップが冷や汗を流しながら叫ぶ中、ヒュンケルとクロコダインが前線に出て身構える。だが、フレイザードはその狂気的な笑みをさらに深め、不敵に言い放った。
「ちっ、小賢しい真似を……! だが、これじゃ勝負にならねえか!」
ガチガチッ、と彼の異形の肉体がさらに激しく明滅し、全身の魔力が爆発的に膨れ上がる。
ダイの『氷結海破斬』で片腕を削られた怒りと、想定以上の手応えに対する焦燥が、彼にさらなる凶悪な一手を選ばせた。
「まとめて蜂の巣にしてやるよ……! 『氷炎爆花散』!!」
フレイザードの身体を構成する無数の岩石の欠片が、灼熱の炎と絶対零度の冷気を纏ったまま、全方位へと一斉に弾け飛んだ。それは視界を埋め尽くすほどの弾幕となり、回避不能の死の雨となってダイたちパーティーの頭上から降り注ぐ。
「――来るぞ! 全員、頭を下げろ!」
八幡が鋭く声を張り上げ、フバーハの結界が展開された空間の中心へと仲間たちを誘導する。
凄まじい衝撃と爆風が周囲の大地を抉り取り、一帯は激しい煙と砂塵に包まれていくのだった。
猛吹雪と灼熱の弾丸が入り混じる『氷炎爆花散』の嵐の中、八幡は一瞬で周囲の状況を把握した。
(っ……! フバーハの展開範囲から、エイミの位置がわずかに外れている!)
だが、動くよりも早く、誰かが動いていた。
「しまった……!」
焦る間もなく、ヒュンケルが瞬時にエイミの前に飛び出し、自身の強靭な肉体と鎧でその致命的な弾幕を真っ向から受け止める。凄まじい衝撃波がヒュンケルの背中を襲い、彼はわずかに歯を食いしばった。
一方、八幡の目の前でも危機が迫っていた。
直撃コースにいたパプニカの呪文使いの女性、マリンに向かって、鋭利な氷炎の欠片が容赦なく降り注ぐ。名前もまだろくに聞いていない彼女を庇うため、八幡は迷わず一歩踏み出し、自らの身体を盾にするようにして包み込んだ。直後、背中にガツンと重い衝撃が走り、鋭い痛みが走る。
「ぐっ……!」
「きゃっ……!?」
爆風が収まり、静寂が戻ると、八幡は痛む背中を軽く叩きながら振り返り、その手に手を差し伸べた。
「……おい、怪我はないか?」
差し出されたその手を見つめ、マリンは驚いたように目を見開いたあと、うっすらと頬を赤らめてその手を取った。
「は、はい……。ありがとうございます、勇者様……」
その瞬間、八幡の脳内に、どこかで聞いたことのある電子音のような効果音が響き渡った。
(……ん? 今、なんか頭の中で「ピコン」って、明らかに好感度が上がった時のシステム音みたいなのが鳴らなかったか……?)
(つーか、俺は勇者じゃねえよ! ダイが本物だろ!)
パプニカの仲間マリンからの思わぬ勘違いと好意に動揺を隠しつつ、八幡は心の中で遠い目をしながら「俺のラブコメイベント、どこでフラグ踏んだんだよ……ていうか役職詐欺で訴えられるぞこれ」と静かにツッコミを入れるのだった。
激しい爆煙が立ち込める中、八幡は周囲の被害状況を確認し、すぐさま次の指示を飛ばした。
「レオナを守れ、ダイ!」
「分かってる!」
だが、その指示が飛ぶよりも早く、ダイはすでにレオナの前に身を挺して立ち、彼女を完全に庇い切っていた。
(……ほう、指示を出すまでもなく動いていたか)
八幡は小さく感心したように息をつき、ニヤリと笑う。
「さすがだ、ダイ。……そのまま、あいつにかましてやりな!」
「うんッ!」
ダイは力強く頷くと、全身の闘気を一点に集中させ、渾身の一撃――すべてを断ち切る『アバンストラッシュ』の構えに入る。
その圧倒的な気迫と輝きを目の当たりにし、フレイザードの表情がわずかに歪んだ。
「ちっ……! あのガキ、また面倒な真似を……!」
これ以上の長期戦は不利と見たのか、フレイザードは焦燥感を隠しきれぬまま再び両手を大きく振りかぶる。
「逃がすかよ……! もう一度、『氷炎爆花散』で足止めだ!」
再び周囲を埋め尽くすほどの氷と炎の弾幕がばら撒かれるが、ダイの放たんとする眩い闘気の前にその勢いは削がれていく。フレイザードは捨て台詞を残すと、その場から崩れるようにして一目散に逃げ出していった。
「っ……逃げたか」
追撃を掛けようとしたヒュンケルが足を止める。
戦闘の嵐が去り、辺りに静寂が戻ると、ダイはパッと振り返り、心配そうに背後の少女へ声をかけた。
「……大丈夫か、レオナ!」
直前まで冷酷な魔軍団長と対峙していたとは思えないほど真剣な眼差しで自分を案じるダイの姿に、レオナは胸がいっぱいになるのを感じた。
「ダイくん……っ!」
こみ上げる感情を抑えきれず、レオナはそのままダイの胸元へと勢いよく飛び込み、しっかりと腕を回して抱きついた。
かつての幼さから見違えるほどに逞しく、そして頼もしく成長した少年の温もりに触れ、レオナの瞳から安堵の涙がこぼれ落ちるのだった。
戦火が去り、安堵の空気が広がる中、マアムは地面に膝をつき、自分の拳を悔しそうにぎっと握りしめた。
「くっ……! 回復に追われるばかりで……前線で何も出来なかったな……」
その自己嫌悪に満ちた呟きを聞き、八幡はフッと息を漏らすと、軽く肩をすくめながら歩み寄った。
「何言ってんだ。お前は『ベホイミ』が使えるだろ。今回の戦闘だって、お前の回復がなければ今頃何人戦闘不能になっていたことか。――まあ、強いて言うなら、早く『ベホマ』が使えるようになれば、相当頼りになるけどな」
「っ……!」
からかうような、それでいて的確に価値を認めるような八幡の物言いに、マアムは驚いたように顔を上げ、やがて頬をうっすらと赤らめた。
「もー……。八幡って、本当に口が上手いんだから……」
照れくさそうに頬をポリポリと掻きながらも、マアムの表情にはさっきまでの曇りがすっかり晴れていた。
少し離れた場所でそのやり取りを見ていたポップは、腕を組んでフンと鼻を鳴らす。
「まったく、あいつはこういう自然なフォローだけは天下一品だよな……」
「ああ……」
隣に立つヒュンケルも、感心したように深く頷きながら細い目を細める。
「戦況を的確に把握し、個々の役割を再確認させ、メンタルまでケアする……。戦術家としてもかなりのものだ」
無骨な元軍団長の言葉に、ポップも深く共感するように頷くのであった。
久しぶりの再会を果たしたダイとレオナは、互いの無事を確かめ合うように言葉を交わし、周囲が温かい目で見守るほどに盛り上がっていた。
少し落ち着いたところで、レオナはダイの背後に控える見慣れない顔ぶれに気づき、凛とした表情を作って一歩前に出た。
「あらためて……私はパプニカの王女、レオナよ。みんな、助けてくれて本当にありがとう」
その気品あふたたたずまいと美しい笑顔を目の当たりにし、八幡はまじまじと顔を見つめながら、率直な感想をポツリと口にした。
「へえ……本物の『お姫様』を見るのは、初めてだな。……ダイの言うとおり、確かに女神だわ」
「だろ!?」
なぜか得意げに胸を張るダイの言葉に、レオナは「ちょ、ちょっとダイくんまで何を言ってるのよ……!」と、カァッと両頬を真っ赤に染めて視線を泳がせた。
そのやり取りのすぐ傍らで、マアムはふと以前、八幡やポップ、ダイたちから「女神様」扱いされていた記憶を思い出してしまい、「なっ、なんでそこで昔の記憶がよみがえってくるのよ……!」と、こちらも負けじと顔を真っ赤にして俯いた。
さらにその様子を見ていたマリンとエイミは、なぜだか胸のあたりがモヤモヤと波立つような、得体の知れない感情に包まれる。
(なんなの、あのサラッと女性を褒める余裕は……!)と、二人は無意識のうちに八幡をジトッとした嫉妬の入り混じった視線で見つめていた。
その独特な空気感を察知したアポロは、「ははぁ……あの短い言葉で場の空気を和ませつつ、全員の好意を絶妙に引き出すとは……」と、別の意味で深く感心している。
少し離れた場所で見ていたポップとヒュンケルは、顔を見合わせるしかなかった。
「おい、あいつ、無自覚でああいう天然のタラシみたいなこと平然と言うよな……」
「ああ……。戦術眼だけじゃないのか。もう『うまいな』としか言えん」
仲間たちの複雑な視線を一身に集めながら、八幡は心の中で「いや、文字通りの意味で言っただけなのに、なんでこう変な方向にヘイトが溜まるんだよ……」と、盛大に頭を抱えるのだった。
パプニカ王国を目指して気球が雲の上を順調に進んでいた矢先、再び不穏な空気が周囲を包み込んだ。
「……おい、また湧いてきやがったぞ」
八幡が下方を鋭く睨みつけながら声を上げると、雲の隙間から無数のフレイムやブリザードの群れが飛び立ち、こちらに向かって炎や冷気の弾丸を浴びせかけてきた。気球の周囲が瞬く間に敵の攻撃にさらされる。
バダックが慌てて操縦桿を切る中、八幡は冷静に現状を分析し、すぐさまバダックへと確認を入れた。
「おい、爺さん。この気球の補修剤や予備のパーツはまだ積んでるか?」
「ああ、さっき出発する直前に地下倉庫でしっかり見つけて積み込んできたところだ!」
「……なら、いいか」
「は? なんだその不穏な言い方はっ!?」
八幡の乾いた返事の直後、フレイムたちの集中砲火を受けた気球のバルーン部分に大きな穴が開き、ゴォッと激しい音を立てて浮力が失われていく。
「おいおい、バランスが取れん! 墜落するぞ――っ!」
バダックの絶叫とともに、気球は制御を失い、激しい勢いでバルジ島の荒地へと急降下を始めた。
「うわああああっ!」「きゃああっ!」と仲間たちの悲鳴が響き渡る中、八幡はしっかりと身体を支えながら歯を噛み締める。
(クソッ、地下倉庫であんなもの見つけたせいで、余計に嫌なフラグが回収されちまったじゃねえか……!)
地面が凄まじい勢いで迫り、絶体絶命の衝突かと思われたその瞬間――。
「まったく、手のかかるガキどもめ……!」
戦場の空気を切り裂くような豪快な声とともに、天空から圧倒的な魔力の光が奔流となって降り注いだ。
眩い魔法の輝きが墜落しかけた気球を優しく、かつ強烈に包み込み、その落下速度をピタリと受け止める。
衝撃が嘘のように和らぎ、気球は無事に地面へと着地を果たした。
驚いた一行が顔を上げると、そこには不敵な笑みを浮かべた老魔道士――マトリフが悠然と立っていた。
激しい衝撃が嘘のように和らぎ、気球が地面にふわりと着地すると、ポップは冷や汗を拭いながらガタガタと震える足で立ち上がった。
「いったい……誰だ? いまのすげえ魔法、俺たちを助けてくれたのは……!」
周囲をキョロキョロと見回すポップの視線の先――すぐ傍らにぽっかりと口を開けていた洞窟の暗がりから、不機嫌そうな顔をした老人がズカズカと歩み出てきた。
「うるせえな、ガキども。いつまでそんなところで腰を抜かしてやがるんだ」
「え……?」
ポップが呆然と声を漏らす中、その姿を認めたヒュンケルやダイたちが目を見張る。現れたのは、他でもない大魔道士マトリフその人だった。
マトリフはフンと力なく鼻を鳴らすと、杖を地面に突き立てて悪びれもせずに言い放つ。
「なぁに、通りすがりにくだらねえことで墜落しかけてるマヌケ面が見えたからな。魔力がありあまっていたんで、気まぐれに助けてやっただけだ。……さっさとそのガラクタを畳んで、お前らみたいな足手まといはさっさと国へでも帰れ!」
マトリフの冷ややかな言葉が響く中、気球のバスケットからひょいと降り立った八幡は、怯むどころかニヤリと不敵な笑みを浮かべ、その老魔道士にまっすぐ近づいていった。
「『魔力が有り余ってんなら』、その有り余った力で俺たちに稽古をつけてくれねえか、マトリフ爺さん」
「……あ?なぜ俺の名前を知っている?」
マトリフは眉間にしわを寄せ、小生意気な提案をしてきた八幡を上から下へと値踏みするように睨みつけた。
「お前は見たところ戦士の口だな。俺が稽古をつけたところで、お前に何の意味があるってんだ?」
さらにマトリフは鼻を鳴らし、鬱陶しそうに手を振る。
「それに、そもそも俺は人間が嫌いなんだよ。……まあ、あそこのデカブツみたいに、人間じゃないのが混ざってるがね」
ジロリとクロコダインの方へ視線を向けつつ、マトリフは冷たく言い放った。
「用が済んだならさっさと帰れ。これ以上、ガキどもの相手をしてる暇はないんだ」
マトリフの冷ややかな拒絶の言葉に対し、八幡は臆することなく一歩前に出ると、どこか自嘲気味に片隅で唇を歪めた。
「奇遇だな。俺も人間が嫌いだ」
その予想外すぎる発言に、周囲の仲間たちが「は……?」と絶句する。しかし、八幡はそのまま真摯な眼差しへと切り替えると、深く頭を下げた。
「だが……俺たちはアバンの使徒だ。この世界の危機を前にして、腐った人間関係から目を背けたまま動かないわけにはいかないんでね。頼む、俺たちに力を貸してくれ」
その光景を見たダイやポップ、そして仲間たちは一様に目を見開き、息を呑んだ。
あの斜に構えた策士であり、プライドの高そうな八幡が、他人に頭を下げるなど――誰も想像していなかったからだ。
「八幡……っ!」
ダイがハッとして息を飲んだ後、すぐさま八幡に倣うように深く頭を下げた。
「お願いします、マトリフさん! 俺たちを強くしてくれ!」
「た、頼むぜ、爺さん!」ポップも慌ててそれに続き、頭を垂れる。
仲間たちの真剣な気迫、そして目の前の若者たちから放たれるただならぬ決意の波動。
その様子をじっと見つめていたマトリフの表情が、ふと険しいものから複雑な色合いへと変わった。
「……アバンの使徒、か」
マトリフは空を見上げ、どこか遠い目をしながら小さく呟く。かつての戦友、そして友人――アバンの名を冠する者たち。その気配と、彼らが背負っているものの重さを、マトリフは長年の勘と魔力で敏感に察知していた。
(アバン……あいつ、まさか……もうこの世に……)
直接言われずとも、その瞳の奥の光と若者たちの覚悟から、マトリフはアバンの死をなんとなく悟っていた。
「……そうか」
マトリフは低い声で呟くと、ふっと息を吐き出し、深く頭を下げる八幡たちをじろりと見据えたのだった。
マトリフはしばらく黙って八幡たちを見据えていたが、やがて面倒臭そうに頭を掻きながら、フッと息を吐き出した。
「……わかった。アバンの名前を出されたら、断れねえよ」
その言葉に、ダイとポップは「やった……!」と顔を輝かせる。
しかし、マトリフの表情はすぐに厳格なものへと戻り、獰猛な笑みを浮かべた。
「手加減は一切しねえ。死に物狂いで俺の魔法についてきな!……行くぞ、着いてこれるやつだけついてこい!」
「上等だ。お供するぜ、爺さん」
八幡は不敵に笑い返すと、踵を返すマトリフの後を追うダイとポップの背中につき従う。歩き出す直前、八幡は振り返り、見送る仲間たちの方へ視線を向けた。
「あ、そうだ。レオナ」
「え? なに?」
「俺たちがしごかれている間、ヒマならでいいんだが……マアムに『ベホマ』のコツでも教えてやってくれ。あいつ、回復の極意を掴めれば一気に化けるからよ」
「ちょ、ちょっと八幡! そんなハードルの高い注文を……!」
マアムが真っ赤になって抗議するが、八幡は「よろしく頼むわ」とヒラヒラと手を振って、そのままマトリフの隠れ家の奥へと消えていった。
その背中が見えなくなると、レオナは感心したような、どこか呆れたような笑みを浮かべて呟く。
「……あの人、本当に不思議な人ね。あんなふうに自然に全員を引っ張っていくなんて……」
「そうよね……。でも、なんだか憎めないっていうか、すごく頼りになるっていうか……」
マアムも頬を少し赤らめながら頷き、マリンやエイミも深く共感するように小さくうなずいた。
一方、前衛の男たちも動き出す。
「さて、俺も弟弟子の背中を指をくわえて見てるわけにはいかん。クロコダイン、俺達も特訓だ」
「おう、ヒュンケル! 俺も負けてられん!」
重い足音を響かせながら、二人は独自の鍛錬を開始する。
さらに、アポロ、マリン、エイミの呪文使いチームも気を取り直す。
「僕たちも負けてられないね。さっきのフレイザードみたいな大技に対応するためにも……連続詠唱と複合呪文の精度を上げる訓練を始めよう!」
「うん、付き合うわよ!」
「見返してやろうじゃない!」
それぞれの場所で、決意を新たにした仲間たちが過酷な特訓の渦へと身を投じていくのだった。
薄暗い洞窟を抜けると渓谷に出た。岩肌が削られ、かつて数々の魔道士をしごいてきたであろうその空間の中心で、マトリフは腕を組み、冷徹な目を三人に向ける。
川のせせらぎが響き渡る緊張感の中、マトリフは不敵な笑みを浮かべたままで腕を組んだ。
「口だけなら誰でも叩ける。まずは、お前らの今の実力をこの俺に見せてみろ」
その挑発的な言葉に、八幡は静かに息を整えて一歩前に出た。
(いくぜ……『ファイブアイス』)
「――『ヒャヒャヒャヒャド!』」
八幡が指先を鋭く振るうと、空中に生成された5本の氷の弾丸が、凄まじい速度で一直線に前方の巨大な岩塊へ向かって撃ち出された。放たれた5本の氷の弾丸は寸分の狂いもなく完同じ一点へと凄まじい勢いで次々と打ち込まれていく。
ゴンッ!と重い破壊音が響き渡り、硬質な岩の塊にはえぐり取られたような深い穴が綺麗に穿たれた。
「……ふん、次はこっちだ」
八幡は息をつく間もなく、今度は自分の手に魔力を凝縮させて鋭利な氷の塊を生成する。
(……『アイスソード』)
「――『ヒャヒャヒャヒャド!』」
生み出した鋭利な氷を、まるで電動カッターのように高速回転させながら、目の前の頑丈な岩肌へと叩きつけた。ギイイィィッと耳障りな摩擦音を立てながら、氷のカッターが岩を豆腐のように滑らかに切り裂き、見事に鋭い切れ目を入れてみせる。
一連の精妙なコンビネーションを見届けたマトリフは、最初は値踏みするような目をしていたが、やがて「ほう……?」と感心したように声を漏らした。
「おいおい……面白い発想だな」
マトリフは腕を解き、面白がるような笑みを浮かべながら八幡へと近づいていく。
「お前、パッと見の魔力量はそこまで突出してるわけじゃねえ。だが、その限られた魔力を寸分狂わずコントロールし、同じ一点へ叩き込む連撃や、氷をカッター代わりに使うとは……。魔力の少なさを手数と巧みな戦術眼でカバーするとは、なかなかに憎たらしいやり方じゃねえか」
褒められているのか貶されているのか微妙なラインの言葉に、八幡は心の中で「総魔力量が少ないって言うな。こちとらリソース管理で必死なんだよ」とツッコミを入れつつ、涼しい顔でその場に立つのだった。
八幡の鮮やかな手並みに続いて、今度はポップが自信ありげな笑みを浮かべて一歩前に進み出た。
「へえ、八幡のやつ、器用な真似しやがって……! なら、俺の火力を見せてやるぜ!」
ポップは両手を前方へ突き出し、凄まじい集中力で魔力を練り上げる。
「いくぜ……『メラララララララ……!』」
呪文の詠唱とともに、途切れなく生み出された十発もの小さな火球が機関銃のように連続で撃ち出され、寸分の狂いもなく岩肌の同じ一点へと叩き込まれた。すさまじい高熱によって、硬いはずの岩がグツグツと沸騰するように溶けていく。
「ふん、これだけじゃねえぞ……!」
ポップはさらに右手の二指を広げ、二つの炎の塊を同時に顕現させた。
「―― 『メ、ラ、、、』『ツインフレア!』」
圧縮された双子のメラが並行して解き放たれ、先ほどのメラ十発で溶かされた岩をさらに容赦なく焼き尽くす。直後、岩肌は完全に熱せられたチーズのようにドロドロに溶け落ち、原型をとどめないほどにえぐり取られた。
荒い息を吐きながら、ポップは額の汗を拭い、照れくさそうに笑ってみせる。
「まあ、本気を出せばメラゾーマなら三発同時に撃つこともできるけどよ……今の俺の身体じゃ、流石にその後の反動と負担がハンパねえからな」
そのポップの言葉を聞き、マトリフは眉をピクッと動かした。
(……なんだと? メラゾーマを三発同時だと……? あんなガキが、魔力の制御と出力をそこまでの領域で扱ってやがるのか……!)
マトリフの老練な瞳の奥底で、鋭い光が走る。ポップが自身で思っている以上に、それは常人には到底たどり着けない、とんでもない魔法の才能とセンスの塊であった。マトリフは内心で「化け物め、アバンの弟子ってのはどいつもこいつも……!」と舌を巻く。
しかし、そこは天邪鬼な大魔道士である。マトリフは腕を組み、ふんとわざとらしく鼻を鳴らした。
「……ふっ、威勢がいいだけのガキだと思えば、まあ、合格点くらいはやれる代物だな。熱量任せの力押しだが、出力のコントロール自体は悪くねえ。……せいぜい、調子に乗って自爆しねえこったな」
口では「まあまあだな」とそっけなく言い捨てつつも、マトリフの口元には隠しきれない期待の笑みがうっすらと浮かんでいたのだった。
ポップの派手な魔法のあとに続き、今度はダイが前へと進み出た。
「オレも……!」
ダイは手を構え、天空へと鋭い視線を走らせる。彼の闘気が一気に高まると同時に、頭上の雲が急速に渦を巻き、激しい稲妻がバチバチと音を立てて収束していく。
「――『ライデイン!』」
ダイの指先から放たれたまばゆい黄金の光が、天空の雷を引き連れるようにして猛烈な勢いで前方の岩塊を直撃した。すさまじい閃光と爆発音とともに、巨大な岩は粉々に砕け散る。
その圧倒的な光景に、マトリフは思わず目を細め、感嘆の息を漏らした。
「ほう……。雷の呪文をこれほど自然に、しかも確かな威力で扱えるとはな。さすがはアバンが選んだ『勇者』だけのことはある」
マトリフがダイの才能に目を細めていたその時、すぐ傍らでぼそりと呟く声がした。
「……へえ。ダイの動きを見てたら、コツがなんとなく掴めた気がするな。今の俺なら、もしかして……」
八幡はふっと息を吐くと、片手を空へと掲げ、静かに魔力を練り上げた。周囲の空気がピリピリと帯電し始める。
(理屈はダイの魔力の流れと同じだ。要は、大気中の電気信号を俺の微弱な魔力でどうトリガーするか……!)
「――『ライデイン』!」
ダイのものに比べれば、奔る稲妻の規模も閃光の鋭さも格段に落ちる。出力はミニマムと言っていいほど小さかった。しかし、紛れもなくそれは天から引きずり下ろされた本物の落雷であり、八幡の指先から正確に前方の地面へと撃ち落とされた。
ドスッ!と小さなクレーターが穿たれ、周囲に焦げ臭い匂いが広がる。
「……は?」
マトリフは自身の目を疑うように、見開いた老いた目をパチパチと瞬かせた。
「おいおいおい……ちょっと待て。いまのは確かに『ライデイン』の雷撃だったぞ。なんだそりゃ……お前、いったい何者なんだ!?」
常人であれば一生かかっても習得できないような高位の電撃呪文を、わずか一目見ただけで模倣して見せた八幡。
その信じられない光景を前に、マトリフは絶句しながらも激しい動揺を隠せずにいた。
それに対し、八幡はうっすらと冷や汗をかきながら、何食わぬ顔で片手をひらひらと振ってみせる。
「いや、俺もびっくりだわ……。一応、これでも自称『魔法剣士』のつもりなんだけどな」
周囲がその信じられない光景に言葉を失う中、八幡は冷静に自身の杖や手元を見つめながら、どこかあっけらかんと言い放った。
「まあ、以前に『ラナリオン』の理屈と環境が整っている状態なら、理詰めで前から撃てたからな。今回はちょっと応用しただけだ」
その八幡の言葉を聞き、ダイは目を輝かせてパッと笑顔を咲かせた。
「すげえよ、八幡! 見ただけでライデインを自分のものにしちゃうなんて、やっぱり頭いいんだな!」
「いやいや」と、八幡は苦笑いしながらダイの肩を軽く叩く。
「俺を褒めるなよ。それより、お前こそ凄かったぜ。いや、お前が裏でどれだけ地道にライデインの修業を重ねてきたのか、そのフォームを見りゃ一発でわかる。……大したもんだな、ダイ」
心からの称賛を向けられたダイは、照れくさそうにはにかみながらも、嬉しそうに胸を張った。
二人のやり取りを少し離れた場所から眺めていたマトリフは、最初は呆気に取られていたが、やがてフッと息を吐き出すと、これまでにないほど深く、不敵な笑みをその老いた顔に浮かべた。
「……くっくっく。すげえ連中が揃ったもんだ。魔力の少なさを戦術と手数で補う知恵者(・・・・)に、限界知らずの火力を叩き出す才能とセンス(・・・・・・)、そして常識外れの成長スピードを見せる本物の勇者か……」
マトリフは腕を組み、満足そうに鼻を鳴らす。
「いいぜ……。ここまで面白い素材が揃っちまえば、この老いぼれの血も騒ぐってものよ。おい、覚悟しとけ……! こっから先は、地獄の特訓だ!」
そのマトリフの嬉しそうな笑みを見て、ポップは「うわ、なんか爺さんの目がヤバいことになってるぞ……!」と青ざめ、八幡も「……手加減なしってのは本当っぽいな」と遠い目をしながら、これから始まる過酷な日々を静かに予感するのであった。
地下訓練場に響くマトリフの不敵な宣言の直後から、容赦のない「地獄の特訓」が幕を開けた。
まずは魔法使いの領域を超えた、過酷な肉体トレーニングの連続だった。岩山を駆け上がり、重い魔力を帯びた丸太を担ぎ、絶え間なく降り注ぐマトリフ特製の魔法弾を躱し続ける。
「へへっ、これくらい……!」
常人離れした身体能力を持つダイは、息一つ乱さぬ様子で難なく全てのメニューをこなしていく。さすがの基礎体力の違いを見せつけ、マトリフの前を軽々と先導していった。
そのすぐ後ろを、八幡が歯を食いしばりながら必死についていく。
(クソっ、運動部みたいな根性論は専門外だが……ここで脱落したら戦略もクソもあったもんじゃねえ!)
効率的な体の動かし方と最小限のエネルギー配分で、無駄な体力の消耗を極限まで抑え込み、冷や汗を流しながらもどうにかダイの背中を視界にとらえ続けていた。
さらにその少し遅れた後方から、ポップが土埃を巻き上げながら這うようにして食らいついていく。
「はぁっ、はぁっ……! くそ、あんなガキやひねくれ野郎に負けてたまるかっ……!」
足はすでにガクガクと震え、肺が焼けるような苦しさに襲われながらも、ポップは決して諦めず、泥臭く足を動かし続けた。
日頃から過酷な旅路とそれぞれのやり方で基礎トレーニングを欠かしていなかったこの3人。その底力は、ただの「魔法使い」や「戦士」の枠をゆうに超えていた。
少し離れた高台からその様子を観察していたマトリフは、腕を組みながら、内心で舌を巻いていた。
(……フッ。ただの甘ったれたガキどもだと思ったが、驚いたな。いざという時の底の浅くないこと……日頃から相当な修羅場を潜り抜け、自分に必要な基礎をサボらずに積み上げてきやがった証拠だ)
表向きには相変わらず不機嫌そうなしかめ面を作りながらも、マトリフの胸中には、この教え子たちに対する確かな手応えと、隠しきれない感心の色が広がっていたのだった。
基礎体力トレーニングを何とか乗り切った3人に、マトリフはさらに容赦のない次なる課題を突きつけた。
「基礎ができていても、ここ一番で逃げ足が遅けりゃ意味がねえ。――次は、『ルーラ』の特訓だ」
マトリフが指し示した先には、洞窟の奥にある深く澱んだ地下水底が広がっていた。手足を拘束するような重い石のおもりが、それぞれの足首にガッチリと括り付けられている。
「おいおい、冗談だろ……。水中でルーラの詠唱を安定させるのは分かるが、流石にこのおもりは勘弁してくれねえかな。物理的に沈んで溺れる未来しか見えねえんだが」
八幡は足首の重みを確認しながら、乾いた笑みを浮かべてマトリフに抗議した。
しかし、マトリフは冷徹に鼻を鳴らすのみである。
「ダメだ。死に物狂いで集中しなけりゃ、実戦でそんな都合よく空間移動の座標なんて定まらねえよ。さっさと飛び込め!」
容赦ない一言とともに、マトリフの魔力によって3人はそのまま容赦なく水底へと放り込まれ、ボチャンと重い音を立てて沈められていくのだった。
冷たい水底へと沈められた極限の状況下、空間移動呪文『ルーラ』の習得に向けた特訓が始まった。
水圧と息苦しさが全身を締め付ける中、最初にその壁を突破したのはポップだった。長年、危機的な状況で「逃げるため」の魔法を磨き上げてきただけあり、ポップは水の抵抗を完璧に計算に入れた魔力の収束を成功させ、一足先に水面へとフワリと浮上する。
「はぁっ、はぁっ……! やった……! 水中でもいけたぜ!」
続いて、ダイが驚異的な集中力と感覚の鋭さで空間の歪みを捉え、わずかに遅れて水面へと飛び出した。
「はぁ……! なんとか、コツがつかめたぞ!」
二人が見守る中、水底に残された八幡は、冷たい水の中で激しく眉をひそめていた。
(クソっ、頭では理論を理解しているつもりだが……この水圧と酸欠状態の中では、魔力の座標固定がどうしてもコンマ数秒遅れる……!)
タイムリミットが迫る中、八幡は焦るのではなく、すぐさま水面へ上がってきたポップとダイの元へと顔を出すなり、矢継ぎ早に質問を浴びせた。おい、お前ら今どうやって座標を固定した? 最初の魔力の立ち上がりで水の抵抗をどういなしたんだ? と、二人の感覚を文字通り貪るように聞き漁る。
「え、えぇ!? いま溺れかけたところなのに、そんな分析してるのかよ!」とポップが呆れ、ダイも「ええと、オレは感覚で空間の隙間を掴んだ感じだけど……」とタジタジになりながらも、必死に自分の体感を言葉にして伝える。
二人のアドバイスを瞬時に咀嚼し、八幡の目が鋭く光った。
「なるほど……そういうことか。よし、もう一回だ」
八幡は再び自ら水底の重りへと戻り、冷たい水に身を沈めると、極限の集中状態で再び『ルーラ』の詠唱へと踏み切った。
先ほどまでのわずかなタイムラグが綺麗に消え去り、次の瞬間――バシュッ!という音とともに、八幡の体は水底から見事に水面へと弾き出された。
「はぁっ……! ふう、どうにか形になったか……」
水面で大きく息を整える八幡の姿を見て、ポップとダイは「マジかよ、一回で掴みやがった……!」と目を丸くする。
その様子を岸から眺めていたマトリフは、腕を組みながら、今度は隠そうともせずにニヤリと豪快な笑みを浮かべた。
「……ふっ、いい目をしやがる。ただセンス任せにするんじゃなく、仲間の技術を泥臭くしゃぶり尽くしてでも自分の血肉に変える……。そういう不格好でも諦めねえ執念深いやつは、この俺は嫌いじゃねえよ」
マトリフのその言葉を聞き、八幡は濡れた髪をかき上げながら、「褒め言葉として受け取っておくわ……っふぅ、マジで死ぬかと思ったぜ」と苦笑いを浮かべるのだった。
極限の特訓ですっかり体力を使い果たした一行は、マトリフの合図でその日のメニューを終え、再び洞窟の拠点へと戻ってきた。
洞窟の一角では、待機していたマアムやレオナたちが、帰還したメンバーのために温かいスープや大振りの肉をふんだんに使った手料理を用意してくれていた。
「お疲れ様、みんな! すぐ温かいご飯ができるからね!」
マアムがテキパキと皿を配っていく。その手から受け取ったスープを一口啜った瞬間、八幡は思わず目を丸くした。
「……っ。うまっ……! 最高だわ、これ……」
疲労困憊の体に染み渡る絶品の味に、八幡が心からの称賛をポツリと呟く。
それを聞いたマアムは、「そ、そう? 美味しいならよかったけど……」と、急に顔を赤らめて照れくさそうに視線をそらした。
そのやり取りを斜め向かいから見ていたマトリフは、ニヤリとニヤケ笑いを浮かべながら、面白がるように口を開く。
「おいおい、なんだその甘酸っぱい空気は。さては八幡、お前……女ウケだけはやけにいい口だな? モテるだろ、お前」
「は? 何言ってんだよ爺さん。冗談だろ」
八幡は呆れたように肩をすくめ、箸を動かし続ける。
「いや、全然だよ。生まれてこの方ずっと彼女もいねえし、そういう縁とは無縁の人生だっつの」
そのやり取りに、少し離れた場所で皿を拭いていたマリンやエイミがピクリと反応し、聞き耳を立てるように耳をそばだてている。
しかし、マトリフは「フン」と鼻を鳴らして一蹴した。
「もったいねえなー。お前みたいなひねくれた奴ほど、いざとなると変にモテるもんだが……お前が自分のことになると徹底して鈍感なだけだろ?」
マトリフのその言葉に、ダイやポップだけでなく、なぜか周囲の仲間たちまでもが「あー……」「確かに……」と一斉に深く頷いた。
「おい、なんでお前らまで納得してんだよ」
八幡がジト目で周囲を見回すと、その場にいた全員からクスクスと笑い声が漏れる。
「まあいいさ、腹が減っては戦はできねえ。今日の地獄の特訓のぶんまで、この美味い飯を思いっきり楽しもうぜ!」
ポップの威勢のいい声を合図に、洞窟の中は和やかな笑い声と活気に包まれ、過酷だった一日を締めくくる夕食の時間が続いていった。
静まり返った地下の洞窟。仲間たちがそれぞれの寝床で心地よい疲労感とともに眠りにつく中、パチパチと薪が爆ぜる音だけが小さく響いていた。
火の番をするように、あるいは眠れないのか、焚き火の前にぽつんと座っていたマトリフの隣に、八幡がいつの間にか静かに歩み寄り、同じように腰を下ろした。
しばらくの沈黙の後、揺らめく炎を見つめたまま、マトリフが低く掠れた声で口を開いた。
「……なぁ、八幡。お前たちの口から少しずつ聞いちゃいるが……アバンのこと、詳しく聞かせてくれよ。あいつは、最期までどうやって戦い、どうやって……逝ったのか」
その声には、かつてのライバルであり、戦友であった複雑な絆で結ばれていた男の死を受け入れようとする、老魔道士の切なさと重みが滲んでいた。
八幡は持っていた木製のカップをそっと地面に置き、まっすぐにマトリフの横顔を見つめた。
「……アバン先生は、最高のエデュケーター(育成者)だったよ。俺たちが未熟で、どうしようもない選択を迫られたときも、いつでも最善の道を示してくれた。あの人の背中があったから、俺たちはここまで来られたんだ」
そして八幡は、炎の光が揺らめく中、どこか含みのある笑みを浮かべてこう続けた。
「……まあ、でも。アンタなら隠さずに話してもいいか」
「……あ?」マトリフが怪訝そうに眉をひそめ、八幡を鋭く見据える。
八幡は静かに息を吸うと、確信に満ちた、しかしどこか悪戯っぽいトーンで言った。
「安心してくれよ、爺さん。……アバン先生は、死んじゃいない。まだ、どこかで生きているさ」
その予想外すぎる言葉に、マトリフの老いた目が大きく見開かれた。炎のパチパチという音だけが、しばしの間、二人の間に静かに響き渡るのだった。
「メガンテ……だと?」
マトリフの言葉が、驚愕と信じられないという色を帯びてわずかに震えた。
八幡は焚き火の炎を見つめながら、淡々と、しかし確信を持って言葉を継ぐ。
「ああ。ハドラーとの戦いで、あの人は自らの命を代償に禁呪呪文メガンテを使った。……けどな、カールの女王から授かった『カールの守り』の加護が、間一髪でアバン先生の命を繋ぎ止めたんだ。……もっとも、この真相に気づいてるのは、今のところ俺一人だけだけどな」
その言葉に、マトリフはさらに眉をひそめた。
「なんだと? ダイやポップのガキどもすら、それを知らねえってのか?」
「あいつらはまだ、先生が死んだものと信じ込んで必死こいて足掻いてる。……まあ、その悲しみや悔しさが今のあいつらを突き動かす原動力になってる部分もあるし、余計な動揺を与えて足を引っ張るわけにもいかないからな。ダイやポップには、まだ内緒だ」
八幡はカップを手に取り、少しだけ遠くを見るような目をしながら言葉を締めた。
「だから、俺は俺でここでレベルアップしなきゃならねえ。いつか先生が戻ってきたとき、胸を張って並み居る強敵の一角として肩を並べるためにね」
八幡のその言葉の裏にある、アバンに対する絶対的な信頼と、未来を見据えた強い意志。
それを聞いたマトリフは、しばらくの間、言葉を失って固まっていた。
やがて、マトリフのしわがれた老いた顔に、それまでの厳格さが嘘のようにほどけていく。
ぐっと唇を引き結んだかと思うと、その目からぽろりと、一粒の熱い涙がこぼれ落ちた。
「……そうか……。生きてやがったか、あのバカ野郎……!」
マトリフは大きな手のひらでぐっと顔を覆い、しゃがれ声で声にならない笑い声を漏らす。
「死んだなんて聞いて、一人でしんみり浸っちまったじゃねえか……。だが、生きてるなら、生きてるで……くそっ、最高じゃねえか……!」
あふれる涙を隠すこともせず、しかしその表情はこれ以上ないほど晴れやかで、どこか安堵に満ちていた。長年の戦友であり、唯一無二の理解者であった男の生存。その事実が、孤高の大魔道士の胸の奥底にあったわだかまりを綺麗に洗い流していく。
マトリフは袖で乱暴に目元を拭うと、涙を浮かべた赤い目を八幡に向け、ふっと優しい笑みを浮かべた。
「……教えてくれてありがとうな、八幡。お前がそれを俺だけに教えてくれた理由……分かってるさ。お陰で、この老いぼれのくだらねえ感傷もすっきりしたぜ」
マトリフは袖で乱暴に涙を拭うと、さきほどまでの熱い感情をすっと引き締め、やけに鋭い目を八幡に向けた。
「……それにしても、八幡。お前……」
焚き火の明かりに照らされた老魔道士の瞳が、射抜くように八幡の顔をじっと見据える。
「お前、『外の者』か?」
その唐突すぎる問いかけに、八幡は内心で(は……?)と一瞬だけ思考を停止させた。外の者? 魔界の者か、あるいは単に遠い異国の地から来た人間という意味か――。しかし、マトリフの只者ではない観察眼と、これまでの自身の不可解な状況(そもそもこの世界に転移してきた身であることなど)を脳裏で瞬時に照らし合わせ、八幡はすぐに合点がいった。
(なるほど……。「この世界の人間ではない、別の世界(外)から来たものか?」って意味で言ってるのか……)
さすがは大陸屈指の大魔道士、底が知れない洞察力だと思いながらも、八幡は表情に出さず、あくまで涼しい顔で肩をすくめてみせる。
「さあな、どうだか。少なくとも、俺は俺のやり方でこの世界を引っかき回す厄介者……ってところかな」
白状はしないが、否定もしない。そんな八幡の含みを持った返答に、マトリフは「フッ……、相変わらず煙に巻くのが上手い野郎だ」と鼻を鳴らして笑った。
マトリフの鋭い問いかけに、八幡はしばし静かに焚き火の炎を見つめた後、小さく息をついてぽつりと言葉を紡いだ。
「まあ、大体それで合ってると思うよ。俺はこの世界で生まれ育ったわけじゃない。……ふと気がついたら、意識だけがこっちの世界に放り出されていたクチだ」
淡々と語るその声には、どこか現実離れした冷ややかさと、それを受け入れた者特有の据わった覚悟が混じっていた。
「もしここで死んだら、元の世界に帰れるのか、それとも本当に消滅するのか……。まだわからないことばかりだ。けどな」
八幡は顔を上げ、今はぐっすりと眠る仲間たちのテントの方へと視線を向けた。
「ここまで一緒に走って、泥を被って、同じ飯を食ってきた連中だ。もうただの他人事じゃない。だから、俺はダイたちと一緒に行動して、この世界で足掻いてる」
その言葉を聞きながら、マトリフは八幡の目をまっすぐに見据えた。
(こいつの目だ……。ただ流されて生きている人間の目じゃねえ。何か途方もなく大きなものを背負ってやがる。何かのために、すべてを賭けて……。おいおい、まさか『世界』ってやつか? ……待てよ、ひょっとして俺も、今そいつに背負われてる側ってわけか……?)
一瞬、背筋がゾクリとするような感覚を覚え、マトリフは思わず苦笑しながら首を振った。
「……まあ、考えすぎか。ガキのくせに、まったく底が知れない奴だぜ」
マトリフはしみじみと呟くと、夜空を見上げてふっと息を吐き出した。
「しかし、世界ってのは広いな。俺みたいな老いぼれでも、まだまだ知らねえことがたくさんあるもんだ」
「まったくその通りだ。知らないことだらけで、こっちは毎日キャパシティオーバー気味だよ」
八幡がやれやれといった風に肩をすくめると、マトリフは不敵ににやりと笑った。
「まあいいさ。そういう面倒な話は、美味い酒でも飲みながらやるに限る。お前、酒は飲める口か?」
「酒か……」八幡は少しだけ口の端を持ち上げ、どこか自嘲気味に笑った。「見た目はこんなだけど、俺はこれでも中身は三十路だ。酒くらい、普通に飲むさ」
「はっ、三十路だと? 面白い冗談を言うじゃねえか」
マトリフはそう言って豪快に笑いながら、どこからともなく年代物のワインボトルと木製のカップを二つ取り出し、ゴボゴボと琥珀色の液体を注いだ。
静まり返った夜の洞窟。
パチパチと燃え盛る焚き火の温もりを感じながら、異世界から来た知略家と、孤高の大魔道士は、カチリとカップを軽く合わせ、静かに夜の乾杯を交わすのだった。