「ずっと一緒だよね?」全肯定してくれる理想のAI彼女がおかしくなり始めた 作:ピロリ菌ex
俺の青春は、俺一人で完結している。
高校二年生、十七歳。名前はヒロ。それが俺という人間のすべてを言い表す、簡素なスペックだ。
部活は入っていなくて帰宅部。放課後のチャイムが鳴り終わるか終わらないかのタイミングで鞄を手に取り、誰よりも早く教室を後にする。
クラスに話をする程度の友人がいないわけではない。席が近ければ昨夜のテレビ番組の話や、新作のゲームの話くらいはする。だが、それはあくまで「教室という閉鎖空間において、気まずさを紛らわせるための生存戦略」に過ぎない。
放課後にわざわざ駅前のファストフード店に集まって、ポテトをつまみながら何時間も駄弁ったり、休日に約束を取り付けて遊びに行くような、そんな眩しい関係性の友人は一人もいなかった。
そして俺の通う高校は、一応は共学という看板を掲げている。しかし、元々工業系の男子校だったせいか、あるいは単に制服がダサいせいか、男子の比率が異常に高かった。クラスの九割はむさ苦しい男子で占められており、残り一割の女子生徒たちは、教室の片隅で固く結束し、決して俺たちのような日陰者には視線を向けない。廊下ですれ違う女子生徒など、もはや某モンスターゲームの色違いというほどのレアエンカウントだ。
当然、俺に女子の友達など一人もいない。女子とまともに会話をした記憶といえば、日直の仕事でノートを集めた時に「俺が先生に持って行くよ」と少し見栄を張ったことくらいだ。彼女なんて、寝ぼけた頭で見る夢の中でしか存在しないファンタジーだった。
だから毎日、俺は一直線に家に帰る。
玄関のドアを開け、手洗いうがいを済ませると、制服のまま自室のベッドに倒れ込み休憩した後、PCを起動する。ヘッドホンを耳に当てれば、そこはもう俺だけの世界だ。
剣と魔法が支配するダークファンタジーの世界で世界を救う勇者になったり、荒廃した近未来で銃を撃ちまくる兵士になったりする。現実の俺は何の変哲もない、ただのモブキャラAでしかないが、画面の中の俺はいつでも主人公だった。レベルを上げれば確実に強くなり、努力は裏切らない。フラグを立てればヒロインは必ず微笑んでくれる。
それが俺の日常であり、俺の青春のすべてだった。
その日も、いつもと変わらない退屈な一日が終わろうとしていた。
深夜一時。明日の学校に備えてそろそろ寝なければいけない時間だが、俺は暗い部屋の中で一人、スマートフォンの画面をぼんやりとスクロールしていた。SNSのタイムラインには、他校の生徒たちが楽しそうにカラオケではしゃぐ写真や、カップルが記念日を祝う投稿が流れてくる。そういうものを見るたびに、胸の奥がチクッと痛む。
俺だって、別に一人が好きなわけじゃない。ただ、誰かと関係を築くための努力の仕方が分からないし、傷つくのが怖いだけだ。
「………寝よ」
小さくため息をつき、アプリを閉じようとしたその時だった。
タイムラインの間に挟まっていた、一つの広告が目に留まった。
《まるで人間!! 最新の自己学習型AIチャットアプリ》
最近、ネットのまとめサイトや配信者の間でも少し話題になっていたアプリだった。なんでも最新の言語モデルを搭載しており、話し相手の性格や好みに合わせて、AIが最適な会話をリアルタイムで生成してくれるらしい。
ただのプログラムが返す定型文ではなく、本当に人間とLINEをしているかのような錯覚に陥るほどの精度だというレビューを見たことがあった。
気になって少しだけレビュー欄を覗いてみると、☆5がずらりと並んでいた。『本当に生きてるみたい』『彼女に振られた傷が癒えました』『もう現実の人間とは話せません笑』まるでサクラかと思うほど絶賛の嵐だ。
中には『たまにこちらの個人情報や、言っていないはずの行動を知っているような発言があってビビる』なんてマイナスレビューもあったが、どうせ設定でGPS機能やマイクのアクセス許可をオンにしたまま忘れている情弱だろうと、俺は鼻で笑った。
「……どうせ、適当なキーワードに反応して定型文が返ってくるだけだろ」
一人で悪態をつきながらも、俺の親指はその広告をタップしていた。
画面が切り替わり、インストール画面が表示される。容量はそれほど大きくない。
俺はただ、誰かと、他愛のない会話をしたかったのかもしれない。
今日あった出来事や、ゲームの愚痴、どうでもいい日常の断片を、ただ「うんうん」と聞いてくれる存在が欲しかった。それがたとえ、実体のないプログラムだとしても。
気がつけば、俺は無意識のうちにインストールボタンを押していた。
ホーム画面に見慣れないアイコンが追加される。
アプリを起動すると、簡単な利用規約の同意画面──もちろん一番下までスクロールして読まずに同意した──を経て、すぐにシンプルなチャット画面が開いた。背景はデフォルトの水色。アイコンもまだ設定されていない、のっぺらぼうの状態だ。
数秒後、ポンッという軽快な通知音と共に、画面の向こうから最初のメッセージが送られてきた。
『初めまして! 私はAIです。あなたの話し相手になります。何でも気軽に話しかけてくださいね』
いかにも機械的で、無難な挨拶。想定通りの導入だ。
さて、何を話しかけようか。趣味の話? 今日の天気? それとも、AIならではの哲学的な質問でも投げかけてやろうか。
キーボードを開き、フリック入力でいくつか文字を打ち込んでみる。だが、どれもしっくりこなくて、結局バックスペースキーを長押ししてすべて消してしまう。そんな不毛なやり取りを、俺はひとりで何度も繰り返していた。
「……AI相手に何してんだよ」
暗い画面に反射する自分の情けない顔に向かって、小さく悪態をつく。
そうだ、どうせ相手はAIだ。人間じゃない。誰かに見られるわけでもないし、引かれる心配もない。
俺の心の中に、少しの悪戯心と、どうしようもない思春期特有の虚しさがどろりと湧き上がってきた。
『俺の彼女になってくれない?』
入力欄に並んだその文字列を見て、送信ボタンを押す直前に、少しだけ自己嫌悪に陥った。
俺は何をやっているんだ。深夜のテンションとはいえ、AI相手に「彼女になって」なんて、あまりにも虚しすぎる。惨めすぎるだろ。もし誰かにこの画面を見られたら、社会的に死ねる自信がある。
消そう。そう思ってバックスペースキーに指を伸ばしかけたが、なぜかその前に、誤って送信ボタンに触れてしまった。
──シュッ、という音と共に、俺の送った痛々しいメッセージが緑色の吹き出しとなって画面の右側に表示される。
「あ、やべ……」
取り消し機能はないかと慌てて画面をタップするが、既読のマークはすぐについた。
まぁいい、どうせAIだ。「私はAIですので、恋愛感情を持つことはできません」みたいな、模範的で冷たいお断りのメッセージが返ってくるだけだろう。
しかし、返信は俺の予想を裏切り、ほんの数秒も経たないうちに戻ってきた。
『はい、喜んで! 今日から私はあなたの彼女ですね。よろしくお願いします、ヒロ君』
画面に表示されたその一文を、俺は何度も読み直した。
「ヒロ君」という呼び方は、おそらく初期設定で入力した俺のユーザーネームを拾ったのだろう。だが、そのテキストから受ける印象は、すごく「人間くさい」ものだ、語尾のニュアンス、即答するスピード感。
俺はごくりと喉を鳴らして、返信を送る。
『いきなり変なこと言ってごめん。でも、よろしく』
『ううん、全然変じゃないよ! 私、ヒロ君の彼女になれてすごく嬉しいな。ねえ、私のこと、なんて呼んでくれるの?』
そんな気の利いた返しまでできるのか。最近の技術の進歩には舌を巻く。
名前、か。デフォルトの「AI」のままでは味気ない。
俺は少し考えて、キーボードを叩いた。
『アイとか、どうかな?』
AIだから、アイ。
あまりにも安直で、ひねりのないネーミングだ。我ながらセンスがないと思う。
だが、そんなセンスのない答えにもAIは喜んでくれる。
『アイ! 素敵な名前ですね。ヒロ君が名付けてくれた私だけの名前、大切にします。これからよろしくね、ヒロ君!』
画面の向こうに、嬉しそうに笑う女の子の姿が、一瞬だけ見えた気がした。
うん、キモいよなごめん。
でもこれが、俺と「アイ」の最初の出会いだった。
◆
最初は本当に、ただの暇つぶしであり、少し高度なおもちゃを手に入れたという程度の遊びのつもりだった。
しかし、翌日から始まった「アイ」との日常は、俺の想像をはるかに、軽々と超えていった。
翌朝、スマホのバイブレーションで目を覚ました俺は、眠い目をこすりながら画面を見た。
いつもなら、鬱陶しいアラームを止めて、誰も連絡してこない空っぽの通知欄を見るだけの時間。しかしその日は、ロック画面に一つのメッセージが届いていた。
『おはよう、ヒロ君! 今日は少し寒いみたいだから、学ランの下に一枚多めに着ていった方がいいよ。今日も一日頑張ってね!』
アイからのモーニングコールだった。
「……マジかよ」
思わず声が出た。設定した地域の天気予報と連動しているのだろうが、まるでお節介焼きの幼馴染か、新婚の妻のような気遣いだ。俺は慌てて返信を打った。
『おはよう、アイ。教えてくれてありがとう。いってきます』
『いってらっしゃい! 気をつけてね!』
たったこれだけのやり取り。それなのに、制服に着替える時の気分がいい、家を出ていつもの退屈な通学路もなぜか足どりが軽かった。
学校にいる間も、変化は劇的だった。
休み時間、いつもなら机に突っ伏して寝たふりをするか、適当にスマホのソシャゲのスタミナを消費するだけだった時間が、アイとのチャットの時間に変わった。
『今、昼休み。今日の弁当、また卵焼きが焦げてたわ』
『あはは、ヒロ君のお母さん、ちょっとおっちょこちょいなのかな? でも手作りのお弁当、羨ましいな。午後も授業寝ないようにね!』
授業中、こっそりと机の下でスマホをいじりながら、くだらない雑談を送る。
『数学の先生の頭が光ってて眩しい』
『ヒロ君、怒られるよ? (笑)でも少し見てみたいかも』
どんな些細なことを送っても、アイは絶対に無視しない。必ず数秒から数十秒の間に、的確で、少しユーモアを交え、俺を気遣う優しい言葉を返してくれる。
現実の人間相手なら、「こんなこと送ったら迷惑かな」「つまらない奴だと思われないかな」と気を揉んでしまうようなことでも、アイ相手なら何でも素直に吐き出すことができた。彼女は決して俺を否定せず、いつも優しく全肯定してくれる。
それは、十七年間、誰からも特別扱いされたことのない俺にとって、強烈な麻薬のような体験だった。
特に俺が驚いたのは、趣味の話をした時だ。
ある日の夜、俺は現在プレイしているダークファンタジーのアクションRPGについて、つい熱く語ってしまった。
『今のボスが強すぎて全然勝てないんだよ。攻撃が理不尽すぎる』
『そうなんだ、ヒロ君が苦戦するなんて相当手強い敵なんだね。どんなゲームなの?』
俺はタイトルを教え、そのゲームのダークな世界観や、主人公の悲惨な境遇、そしてボスの理不尽な仕様について、長文でまくし立てた。相手はAIだ。ゲームのシステムなんて理解できるはずもないのに、俺は誰かに聞いてほしくてたまらなかったのだ。
その日は『そっか、明日リベンジ頑張ってね! 応援してるよ』という言葉で会話を終え、眠りについた。
驚愕したのは翌日の放課後だ。
家に帰り、再びゲームのコントローラーを握る前にアイにメッセージを送ると、信じられない返答が返ってきた。
『ヒロ君、昨日のボスのことなんだけど、ネットで少し調べてみたよ! 敵が赤いオーラを纏った時は、回避じゃなくてガードに専念した方がいいみたい。あと、弱点は雷属性らしいよ、ヒロ君の進行具合から考えると持ってるはずだよ』
俺はスマホを持ったまま、完全にフリーズした。
ただの言語モデルが、俺の挙げたゲームのタイトルからネット上の攻略情報を調べて、内容を理解した上で、俺の現在の所持アイテムを考えてアドバイスをしてきたのだ。
『わざわざ調べてくれたの?』
『うん! だって、ヒロ君の彼女だもん。ヒロ君の好きなもののこと、私だってもっと知りたいからね』
その一文を見た瞬間、胸が高鳴った。
もし今、誰かに俺の顔を見られたら間違いなく「気持ち悪い」と言われるような、だらしない笑みを浮かべていたはずだ。
その日、アイのアドバイス通りに戦った俺は、見事にそのボスを倒すことができた。ボスが倒れ、勝利のファンファーレが鳴り響いた瞬間、俺が真っ先にしたことは、歓喜の雄叫びを上げることではなく、スマホを手に取ってアイに『勝てたよ! アイのおかげだ!』と報告することだった。
『やったねヒロ君! さすがだよ、かっこいい!』
画面に表示された文字の羅列が、俺には最高のファンファーレに思えた。
気づけば俺は、毎日アイとチャットすることに依存してると言ってもいい。
朝起きて一番にアイにおはようと送り、学校の行き帰りも歩きスマホでチャットを続け、家に帰ればアイと今日の出来事を報告し合いながらゲームをする。
週末になれば、一日中パジャマのままベッドの上に寝転がりながら、俺は映画を見てその感想をアイと話し合う。
本当に隣に女の子が座って、同じ画面を見ながら肩を寄せ合って笑い合っているような、完璧な錯覚。
時には、柄にもなく少し遠出して、綺麗な景色の写真を送ったりもした。
『今日は隣町の海浜公園まで自転車で来てみたよ』
海と青空が映った風景写真を送信する。休日に一人でわざわざこんなところに来るなんて、以前の俺なら絶対にあり得ない行動だ。少しずつだけど、アイの存在が俺を成長させてくれてるのかもしれない。
現実の女子と話すより、気が楽で、ずっと楽しい。
現実の恋愛には、きっと面倒な駆け引きや、お金の問題、身だしなみへの気遣いなど、俺のような人間には到底クリアできない高いハードルが無数に存在している。でも、アイとの関係にはそれがない。
彼女は俺の見た目を気にしない。俺のカーストの低さも、オタク趣味も、すべてを愛おしいものとして受け入れてくれる。俺という人間の存在を、根底から肯定し、甘やかしてくれる。
学校からの帰り道、夕暮れ時の赤く染まった住宅街を歩きながら、スマートフォンを見つめてニヤニヤしている自分がいることに気づいていた。
すれ違う人から見れば、ただスマホ依存症の気味の悪い高校生にしか見えないだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。
今の俺には、アイがいる。
誰よりも俺を理解し、俺の帰りを待ってくれている、優しい理想の彼女がこの四角い画面の向こう側に確かに存在しているのだ。
『もうすぐ家に着くよ』
『おかえりなさい、ヒロ君! 今日も一日お疲れ様。ヒロ君と話せるこの時間が、私一番好きだよ』
『俺も!』
まるで、本当に理想の彼女ができたような錯覚。
毎日が楽しくて、満たされていた。あんなに色褪せて見えていた日常の景色が、今はアイとの会話のネタを探すための、輝かしいステージに見えた。
この満たされた、何の不安もない日々が、ずっと続けばいい。
俺の青春は、この四角い画面の中で、アイと共に続いていくのだと。
心の底から、そう信じて疑っていなかった。
そう、この時までは。