カレンブーケドールは筋書きどおりに咲かない   作:Lagavulin

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その花の意味は

「ガーベラを、1本お願いします」

 

 三戸恭平が黄色い花を指すと、店員はバケツから茎を抜き、ほかの花と絡まないよう持ち上げた。

 

「贈り物ですか?」

「はい。応援している人に」

 

 希望。常に前進。

 

 昼休みに調べた花言葉を思い返し、三戸は頷いた。昨日の選抜レースで、あと少しのところまで来た彼女に渡したい。いい走りだったとは伝えたが、今日、顔を見たらもう一度そう言いたかった。

 

 以前、彼女から分けてもらった花は、トレーナー室の机をずいぶん明るくしてくれた。自分からも何か贈れたらと思って、店へ寄った。

 

「包んでいただくことはできますか。1本だけなんですけど」

「もちろんです。少々お待ちください」

 

 透明な包みに入り、細いリボンを結ばれると、さっきまでバケツに挿さっていた花が、ちゃんとした贈り物になった。

 

 三戸は受け取った花を見下ろし、鞄には入れず、そのまま学園へ持ち帰った。

 

  *

 

 カレンブーケドールは、練習ノートに挟んだ付箋を1枚、貼り直した。

 

 昨日の選抜レースについて、三戸に聞いてみたいことがある。昼休みに花壇で会えるかもしれないと思い、ノートを持ってきた。けれど、開いてみると質問が多い。全部聞いたら、午後の仕事に差し支えてしまいそうだ。

 

 まずは、最後の直線のこと。残りは、時間があれば。

 

 花壇脇のベンチでノートを閉じたところへ、声がかかった。

 

「ブーケ」

 

 三戸がこちらへ歩いてくる。立ち上がりかけたブーケは、彼の手元を見て、そのまま立った。

 

 黄色いガーベラだった。

 

「ちょうどよかった。これ、君に」

「私に、ですか?」

「うん。昨日はお疲れさま。花、いつももらってるから、今日は俺から」

 

 差し出された包みを、両手で受け取った。薄いフィルムの向こうに、きれいに開いた花がある。茎の下には持ち歩くための水がつけられ、細いリボンが結ばれていた。

 

「ありがとうございます。わざわざ、買ってきてくださったんですね」

「昼休みに、駅前まで行ってきたんだ。何がいいか迷ったけど、君に贈るならこれかなと思って」

 

 一輪だった。

 

 ブーケは花から顔を上げた。三戸は普段と同じように笑っている。

 

「あの……花言葉も、ご存じで?」

「知ってるよ。それで選んだんだ」

 

 指先に触れている包みが、カサ、と鳴った。

 

 ガーベラを1本贈る意味は、知っている。贈り物のアレンジメントを調べていたとき、本で見たことがある。

 

 あなたが私の運命の人。

 

 もう一度、花を見た。何度数えても、1本しかない。

 

「……そう、だったんですか」

 

 三戸さんが。

 

 自分を、そんなふうに。

 

 昨日までの会話を思い返そうとしたが、最初に浮かんだのは、今朝ノートへ書き足した質問だった。次は外へ出るタイミングを早めた方がいいのか。そんなことを聞くために、ここで待っていたのに。

 

「持って帰れそう? 鞄だと、ちょっと折れそうだけど」

「はい。大丈夫です。手に持って帰ります」

「よかった」

 

 彼は、花の持ち帰り方を気にしている。

 

 こちらはもう、その顔を見続けられない。

 

 何か、お返事をしなくては。けれど、何と言えばいいのだろう。三戸とこうして話すのは好きだ。昨日、ゴール前を指して自分の走りを話してくれたときも、真剣な横顔に少し見入ってしまった。あのとき彼も、こちらをそんなふうに見ていたのだろうか。

 

 でも、お付き合いとなると。

 

 花の陰へ顔を隠しかけ、慌てて少し下げた。せっかく渡してくれた人に、顔も見せずにいるのは失礼だ。

 

「ありがとうございます。大切に、飾りますね」

「うん。ぜひ」

 

 お礼しか言えなかった。

 

 三戸は急かす様子もなく、ベンチへ目を向けた。

 

「それ、練習ノート?」

「あ……はい」

 

 置いたままのノートを見て、ブーケはようやく今日の用事を思い出した。

 

「昨日のことで、少し、ご相談したくて。お時間があれば、見ていただけないかと」

「俺も聞きたいことがあったんだ。ちょうどよかった。放課後は空いてる?」

「はい」

「じゃあ、15時半にトレーナー室でどうかな。映像も見られるから」

「お願いします」

 

 質問できる。そう思うと少し落ち着いた。鞄からペンを出し、ノートの端に時刻を書き込む。

 

 15時半。三戸さん。

 

 名前まで書いてから、彼がすぐそばにいることを思い出した。ノートを閉じると、三戸は花壇の方を見ていた。

 

「あの白い花、前より増えたね」

「はい。暖かくなって、つぼみが開いてきたんです」

「この間もらったのも、まだ咲いてるよ」

「本当ですか?」

「うん。水、毎朝替えてる」

 

 嬉しくて、今度はすぐに顔を見られた。

 

 先週、花壇の手入れで切った花を、何本か彼に渡した。長いままでは使えない枝に残っていたものを、小さな瓶なら飾れると話したら、欲しいと言ってくれた。

 

「あとで見せてもらっても、よろしいですか」

「もちろん。机に置いてあるから」

 

 彼が時計を確かめた。昼休みが、そろそろ終わる。

 

「じゃあ、また放課後」

「はい。よろしくお願いします」

 

 三戸を見送ってから、ブーケは腕の中の花へ目を落とした。

 

 15時半までに、お返事を考えた方がいいのだろうか。

 

 教室へ戻る道を歩きながら考えたが、三戸と向かい合うところを想像しただけで、言おうとした言葉が出てこなくなった。

 

  *

 

 放課後、トレーナー室の扉を叩く前に、ブーケは制服の襟を直した。

 

 ノートはある。聞きたいところには付箋も貼ってある。ガーベラは鞄へ入れると折ってしまいそうで、手に抱えてきた。

 

 あとは、お話を聞くだけ。

 

 そう思って扉を叩いたのに、内側から三戸の声がすると、もう一度襟へ手が向いた。

 

「どうぞ」

「失礼します」

 

 三戸は、パソコンの前から立ち上がった。机の上には、昨日の出走表と、手書きのメモが広げられている。その端で、小さな瓶に白い花が咲いていた。

 

「あ、持ってきてくれたんだ。花、置くところを空けるね」

「すみません。お邪魔にならないところで」

「こっちなら大丈夫」

 

 彼が机の隅へ場所を作り、ブーケはガーベラをそっと寝かせた。書類の重ならないところに場所を空けてもらえたのが嬉しくて、椅子へ座ってからも、つい目が向く。

 

「白い方も、まだきれいですね」

「うん。昨日より、少し開いたかな」

「こちらのつぼみが開いたんですね。よかった」

「水を替えるときに折らないか、毎朝ちょっと緊張する」

 

 背の低い瓶に、花はきちんと収まっていた。彼が大きな手でそっと茎を持ち上げるところを想像して、ブーケは少し笑った。

 

「そんなに、怖がらなくても大丈夫ですよ」

「そう言ってもらえると助かる。毎回、息を止めてた」

 

 彼も笑い、隣の椅子へ座る。ブーケは鞄からノートを出した。

 

「あの、こちらを」

「ありがとう。見せてもらうね」

 

 三戸が最初のページを開く。練習の日付、距離、時計。その下の余白には、走っていて気になったことを書いてある。

 

「毎日、これだけ書いてるんだ」

「気になったことを、そのまま残しているだけなので。読みにくいところも、あると思います」

「読めるよ。この付箋が、聞きたかったところ?」

「はい。昨日のことを、まず」

 

 彼が付箋のページを開いた。ブーケも、膝へ置いていた手を机へ移す。

 

「最後の直線で、外へ出るのが遅かったでしょうか。前の方に追いついてからは、もう、追い越せなくて」

「うん。そこ、俺も一緒に見たかった」

 

 パソコンに映像が出た。走っている自分が、前のウマ娘の後ろへつく。三戸はその少し手前へ映像を戻して、止めた。

 

「このときは、まだ余裕があった?」

「はい。前が開いたら、出ようと思っていました」

「外へ出ることも考えた?」

「少し。でも、外を回ると、その分だけ長く走ることになりますよね。それで、もう少し待とうと」

「なるほど。待っているうちに、外からも来たんだね」

 

 映像が動く。ブーケの隣へ、別のウマ娘が上がってきた。前も横も近くなり、出ようと決めたときには、もう少し待つしかなくなっていた。

 

「ここで、すぐに出られなかったんです」

「うん。昨日、見ていたときは、まだ脚を残してるのかと思った。出たかったんだ」

「はい」

 

 三戸が自分のメモへ書き加えた。線を引いた箇所の脇に、ブーケの話を短く残す。

 

 画面の中では、ようやく外へ出た自分が、先頭の相手に並びかけていた。けれど、ここから先は知っている。相手ももう一度伸びて、わずかに前でゴールする。

 

「……もう少し、だったんですけれど」

「悔しいね」

「はい」

 

 返事が、思っていたより強くなった。

 

 三戸はゴール前をもう一度再生した。ブーケも見た。昨日も、今朝も、何度も見た箇所だ。今度こそ抜けそうに見えるのが、なおさら悔しい。

 

「先ほどのところで、外へ出ていたら」

「もう少し早く追いつけたかもしれない。ただ、その分、最後まで脚が残ったかどうかは、今の映像だけじゃ分からないな」

 

 彼がコーナーの映像へ戻す。

 

「早めに外から動いたら、どのくらい違うか。まず練習で確かめたい。ブーケは、やってみたい?」

「はい。試してみたいです」

「じゃあ、その練習の組み方を考えよう。ノートの前の方、もう少し見てもいい?」

「もちろんです」

 

 三戸がページをめくる。ブーケも椅子を寄せ、質問された箇所を指した。楽に走れた日と、最後の方が苦しかった日。同じ距離でも、前日に何をしたかで違っていた。

 

 彼は聞きながら書き足し、ときどき映像へ戻った。ブーケが言葉を探す間も、先に答えを決めずに待ってくれる。

 

 もっと早く、相談すればよかった。

 

 ノートへ書くだけだった疑問を、1つずつ聞いてもらえる。外から見ていた彼の話を聞くと、自分では気づかなかったところまで、もう一度見たくなる。

 

「この日は、走ったあとも練習を追加してるんだね」

「はい。思ったようにできなかったので、もう1本だけ」

「それで、翌日は少し重かった?」

「……はい」

「気持ちは分かる。けど、明日も走れるように、終えるところは決めておこう」

「次は、気をつけます」

 

 三戸が顔を上げる。その表情を見て、ブーケは昼休みのことを思い出した。

 

 この人から、花をもらった。

 

 さっきまで平気で隣へ寄っていたことが、急に気になる。けれど、椅子を引けば、彼に避けたと思われてしまわないだろうか。ブーケはノートの端へ目を戻した。

 

「ほかにも、聞いておきたいことはある?」

 

 ある。

 

 花をもらう前から、今日、できればお願いしたかったことが。

 

「三戸さんは、今も、ご自身の担当を探していらっしゃるんですよね」

「うん。この春から。先輩の補佐をしていたときとは、ずいぶん勝手が違うけど」

「では、もし、よろしければ……」

 

 彼がペンを置いた。

 

 ブーケも、きちんと顔を上げる。

 

「私の担当に、なっていただけませんか」

 

 三戸はブーケを見たまま、すぐには答えなかった。

 

「これからも、こうしてご相談したいんです。自分だけでは分からなかったところを、今日、たくさん教えていただけたので。あの、もちろん、ご都合もあると思うのですが」

「いや。都合は、大丈夫」

 

 彼が椅子へ座り直した。

 

「ごめん。嬉しくて。俺からも、声をかけたかったんだ」

「そうだったんですか?」

「うん。今日はまず、君の話を聞かせてもらおうと思って。昨日の走りを見て、もっと一緒にやってみたくなったから」

 

 机の上には、ノートのほかに、三戸が用意していたメモもある。ブーケが来る前から、昨日の映像を見てくれていた。

 

「お願いしても、よろしいでしょうか」

「こちらこそ。ぜひ、担当させてほしい」

 

 ブーケは大きく頷いた。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 三戸が手を差し出す。ブーケも右手を伸ばして、握った。さっきまでペンを持っていた手は、温かかった。

 

「よろしく、ブーケ。次は一緒に勝とう」

「はい」

 

 返事をしてからも、少しだけ手を離すのが遅れた。

 

  *

 

 契約の手続きを済ませ、トレーナー室へ戻ったころには、窓からの日が机の端まで伸びていた。

 

 預けていたガーベラを抱えると、三戸が明日の予定を確かめる。15時半に練習場。ノートは、もう少し詳しく読みたいので預かってもいいかと聞かれた。

 

「はい。お願いします」

「ありがとう。今日は、たくさん話せてよかった」

 

 ブーケもそう答えようとして、少しためらった。これからは、呼び方も変わる。

 

「あの、三戸さん」

「うん?」

「トレーナー、と、お呼びしてもいいですか」

 

 三戸が、嬉しそうに笑った。

 

「ぜひ。まだ、ちょっと慣れないけど」

「では……よろしくお願いします、トレーナー」

「こちらこそ」

 

 言えた。明日からも、そう呼べる。

 

 彼がノートを机へ置いた。

 

「ブーケ。土曜日の午後って、予定はある?」

「土曜日、ですか。今のところは、ありません」

「契約のお祝いに、どこか出かけない? 練習の話ばかりになっちゃったし、少しゆっくり話したい」

 

 腕の中のガーベラが揺れた。

 

「……2人で、ですか?」

「うん。時間が合えば」

 

 彼は返事を待っている。

 

 今度は、何のお返事をすればいいのか、ちゃんと分かる。

 

「はい。ご一緒したいです」

「よかった。行き先は、また相談しよう」

 

 頷いてから、ブーケは花を見た。

 

 お返事をしていないのに、お出かけの約束をしてしまった。

 

 でも、行きたい。今から、やはりやめておきますとは言いたくなかった。

 

  *

 

 寮の部屋へ戻ると、ブーケはガーベラを小さな花瓶へ挿した。

 

 窓辺には、いつも世話をしている鉢が並んでいる。そこへ置いて少し離れてみたが、ほかの花の陰になってしまった。場所を替え、花の向きを直す。

 

 今度は、よく見える。

 

 机に戻り、明日の練習と土曜日の約束を手帳へ書いた。三戸さん、と書きかけて、トレーナーに直す。

 

 今日、差し出された手を思い出した。

 

 あれは、担当契約の握手。自分からお願いして、引き受けてもらった。そこまでは分かっている。

 

 その前に、もらった花のことは。

 

 ブーケは窓辺を見た。黄色い花が、こちらを向いている。

 

 三戸が笑うところは、前からよく見ていた。花壇で話すときも、合同練習の計時を手伝ってくれたときも。けれど、自分の担当になれると分かったときの、あんなに嬉しそうな顔は、初めてだった。

 

 ブーケは手帳へ目を戻した。土曜日の予定は、まだ、午後としか書いていない。学校の外では、どんな服を着ているのだろう。

 

 気になってしまって、鞄の中の教科書を出すのが遅くなった。

 

 宿題を始めても、窓辺のガーベラが目に入る。見ていると、昼休みの声まで思い出す。

 

『知ってるよ。それで選んだんだ』

 

 ブーケは椅子から立ち、花瓶を机へ移した。ノートを広げる場所を少し狭め、手を伸ばせば届くところへ置く。

 

 スマートフォンで写真を撮った。三戸との連絡画面を開き、撮れたばかりの1枚を添える。

 

『お花、きれいに飾れました。ありがとうございます』

 

 その下へ何か書こうとして、指を止めた。

 

 しばらく迷ってから、その文だけを送る。

 

 返事は、すぐに届いた。

 

『よかった。明日からよろしく。土曜日も楽しみにしてる』

 

 ブーケは最後の1文をもう一度読んだ。今度は、さっきほど迷わずに書けた。

 

『はい。私も楽しみにしています』

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