カレンブーケドールは筋書きどおりに咲かない 作:Lagavulin
「これは、私が持ちます」
ブーケの手が、三戸の持ち上げかけた鉢に添えられた。
「けっこう重いよ」
「はい。ですから」
三戸が手を離すと、鉢はほとんど揺れずに彼女の腕へ移った。彼が両手を回して持ち上げたものを、ブーケは片腕で支え、もう片方の手で倒れそうな値札を直している。
「……そうだった」
「忘れていらっしゃいました?」
「花を持ってるところを見てたら、つい」
ブーケの足元には、土の袋もあった。どちらも、学園の花壇で使うものだ。花を選ぶ間、三戸は隣で、鉢底に穴が開いているかどうかを確認する役をしていた。
今日は休養日で、午後に園芸店へ行くと聞いて、彼から一緒に行っていいかと尋ねた。もらったガーベラの花瓶を探したかったのと、彼女が花を選ぶところを見てみたかったからだ。
今、少なくとも荷物持ちとしては、あまり役に立っていない。
「土は、配送をお願いしましょうか」
「そうだね。鉢も一緒に送ってもらえる?」
「はい。そのつもりで、選んでいたので」
抱えていた鉢を、彼女がカートへ戻した。
三戸は、持つ場面そのものがまだ来ていなかったのだと知った。
*
店内の奥には、室内で育てる植物が並んでいた。
ブーケは棚の間を歩きながら、さっきの鉢のことを考えていた。ああいうときは、持っていただいた方がよかったのだろうか。彼が持ち上げようとしてくれたのに、いつものように引き受けてしまった。
でも、重いものは自分が持った方が楽だし、落とす心配もない。今さら重そうに抱えるところを想像してみても、どうにも上手にできそうになかった。
ブーケは細長い葉の鉢をよけ、棚の上の花瓶へ手を伸ばした。隣には、もっと背の高いものもある。
「こちらなら、一輪でも飾りやすそうですね」
「ほんとだ。家の瓶より安定しそう」
三戸が受け取って、底を確かめる。透明で、余計な飾りのない花瓶だった。
「白い花も、そろそろ終わりかな」
「トレーナー室のですか?」
「うん。昨日、花びらが少し落ちてた」
「ずいぶん長く飾ってくださいましたね」
最初に渡した白い花は、切った枝を無駄にしないために分けたものだった。あれから毎朝、彼が水を替えている。
「花が終わったら、片づけて大丈夫ですよ」
「いいの?」
「はい。また咲いたら、お持ちします」
三戸が、花瓶の向こうからブーケを見た。
「じゃあ、これは長く使えるね」
ブーケは棚の別の段へ目を向けた。つい、同じ花瓶を自分にも買おうかと思ってしまった。
お揃いにしたい、と言うほどの勇気は、まだない。
「家で育てるものも、1つ買ってみようかな」
三戸の言葉に、彼女は顔を戻した。
「鉢植えですか?」
「うん。難しい?」
「お部屋にもよります。お日さまは、どのくらい入りますか」
「窓は東向き。朝はけっこう明るいよ」
「では、お水をあげられる時間は……」
聞き始めると、確かめたいことがいくつか出てきた。窓辺に置ける場所があるか。出かけることは多いか。休日に、外へ出せるか。
三戸は1つずつ答えながら、店の鉢を見比べる。
「けっこう、考えることがあるんだね」
「すみません。たくさん聞いてしまって」
「いや。走る前に俺が聞いてることも、似たようなものだなと思って」
ブーケは、前日の夕食まで聞かれた朝のことを思い出した。
「では、昨日は何時にお休みになりましたか」
「それも必要?」
「今のは、少し気になっただけです」
三戸は笑って、ちゃんと時刻を教えてくれた。
*
花のあるものにするか、葉を楽しむものにするかで、三戸はしばらく迷った。ブーケはどちらにもよいところがあると話したあと、口を閉じた。自分の勧めた方に決めてもらうのも嬉しいが、彼が何を選ぶのか知りたかった。
彼は、小さな花の咲いた鉢を持ち上げた。値札を見てから、そっと戻す。次に手を伸ばしたのは、葉の厚い小さな植物だった。
「これ、触っても大丈夫?」
「優しくなら」
葉の先へ指を添え、三戸が少し笑う。
「本物なのに、よくできてるなって思っちゃった」
「そういう種類なんです」
「うん。こっちにしようかな。気になるし」
決まったら、今度は鉢を選ぶ。薄茶色と白で迷い、三戸は白い方を彼女へ見せた。
「ブーケは、どっちがいいと思う?」
「置く場所のお色は、どのような感じですか」
「机は、写真のあれ。カーテンは紺」
「でしたら、白が明るく見えるかと」
「じゃあ、白にする」
そう簡単に決めてもらうと、かえって落ち着かなくなった。
「あの、お好きな方でいいんですよ」
「うん。どっちも好きだから、聞きたかった」
彼が白い鉢を籠へ入れた。
自分の部屋に、彼が選んだ黄色い花。彼の部屋に、今、自分が選んだ白い鉢。
少しずつお互いの部屋に物が増えていくのが、ブーケには嬉しかった。
会計を済ませると、三戸は土と鉢の配送先を確かめてくれた。学園宛ての伝票に部屋番号を書き添え、ブーケにも見せる。
「これなら、届く?」
「はい。ありがとうございます」
店を出るとき、彼は自分の買った植物を持ち、空いた手で、ブーケの小さな買い物袋を指した。
「そっちを持つくらいは、させてもらえる?」
中身は、替えの園芸用手袋だった。重さなど、ほとんどない。
さっきの鉢なら、自分が持った方がよかった。でも、この袋なら、彼にお願いしても困らせない。
ブーケは持ち手を揃えて、袋を渡した。
「では、お願いします」
「任せて」
さっきの鉢よりずっと軽いのに、彼は嬉しそうに持った。
両手が空いても、歩くのが楽になったとは感じなかった。ただ、彼の手に自分の袋があるのを見ると、嬉しかった。
*
学園へ戻るバスは、あと5分で来る。
三戸は時刻表を確かめ、停留所の屋根の下へ入った。ブーケも隣へ立ったが、向かいの通りが気になった。
小さなパン屋の前に、丸いテーブルが2つ出ている。店先の黒板には、飲み物もあると書いてあった。
花の買い物は終わった。配達も頼めた。学園へ戻ってしまえば、今日の予定はそれで終わる。
「トレーナー。このあと、お急ぎですか」
「いや。特には。何か忘れた?」
「いえ」
ブーケはパン屋を見た。
「少し、休んでいきませんか」
「もちろん。歩き疲れた?」
「それほどでは、ないのですが」
彼の手には、自分の手袋が入った袋がある。返してもらうのを、もう少し先にしたかった。
「もう少し、一緒にいたくて」
停留所へ、バスのエンジン音が近づいてきた。
三戸が時刻表から離れ、ブーケのそばへ来る。
「じゃあ、次のにしようか」
「はい」
それだけで、バスは見送ることになった。
ブーケは去っていくバスを見た。引き止めてしまった、と気にしている間に、三戸はパン屋の入口を探している。
こんなお願いも、してよかったのですね。
本人に言うのは恥ずかしくて、ブーケは「こちらから渡れます」と横断歩道を指した。
向かいのパン屋で、ブーケは小さな丸パンを選んだ。三戸は、それより長い、明太子の塗られたフランスパンを盆へ載せた。
「それ、おいしそうですね」
「うん。食べやすさは、あまり考えてなかったけど」
外の席についてすぐ、その言葉の意味が分かった。
一口かじると、三戸の手元にパンくずが落ちた。2口目は気をつけて食べたはずなのに、今度は袖へ落ちる。
ブーケは紙ナプキンを取り、彼の方へ寄せた。
「ありがとうございます」
三戸がなぜか丁寧に礼を言ったので、彼女もつられて背筋を伸ばした。
「どういたしまして」
2人で笑い、テーブルの端へ鉢を置く。彼が新しく買った植物には、西日が少し当たっていた。
「家に置いたら、また写真を送ってもいい?」
「はい。楽しみにしています」
あとで届く写真も、明日の練習もある。
今、ここに寄ってよかった。
ブーケは丸パンをちぎり、次のバスが来るまでの時間を、もう確かめなかった。