カレンブーケドールは筋書きどおりに咲かない 作:Lagavulin
プリンを食べるために、2人は前より早く喫茶店に入った。
まだ窓際の席が空いていた。店員に案内され、三戸は椅子に座る前に、カウンターの冷蔵ケースを見た。
「ありますか?」
ブーケに小声で聞かれ、彼も小さく頷く。
「ある」
2つ注文してから、ようやくメニューを閉じた。前回の店員が覚えていたのか、注文を繰り返す声に少し笑みが混じっていた。
「そんなに分かりやすかったかな」
「お店に入って、すぐに見ていらっしゃいましたから」
「君も見てたでしょ」
「私は、トレーナーを見ていました」
三戸が顔を上げると、ブーケは窓の外へ視線を移した。そこには植え込みと、自転車を押して歩く人がいるだけだった。
運ばれてきたプリンは、前に写真で見た通りだった。背の低い銀色の器に、四角いカラメルの影が落ちている。
三戸はスプーンを入れ、まず一口食べた。
「これ」
隣から笑う声がした。
「よかったですね」
「うん。食べてみて」
ブーケも口へ運ぶ。少し考えるように味わってから、もう一度皿を見た。
「しっかりしているんですね。もっと柔らかいのかと」
「そう。ここのは、そうなんだ」
「私は、こちらも好きです」
彼女のスプーンが、もう一度プリンへ向かった。
三戸は、自分が勧めたものを彼女が気に入ると、思っていた以上に嬉しいのだと知った。自分の方までおいしく感じる。
今日の予定は、このあと特に決めていなかった。急いで食べる理由もなかった。
*
服の店に寄ることになったのは、帰り道のショーウィンドーがきっかけだった。
ブーケが足を緩めた先に、薄い青のシャツが飾られていた。自分の服を見ているのかと思ったが、隣には男性用の靴もある。
「こういうお色、着られますか」
「あまり持ってないな」
三戸は自分のシャツを見た。今日もグレーだった。前に着ていたものとは違うが、彼女にその区別がつくかは分からない。
「似合いそうだと思ったんです」
「俺に?」
「はい」
自分では、その服の前で立ち止まらなかっただろう。
けれど、ブーケがそう思ったなら、試してみたくなった。
「見ていこうか」
店へ入ると、彼女もあとについてきた。
同じシャツは、奥の棚に色違いで並んでいた。三戸は青を手に取ったあと、隣の紺も見た。そちらなら持っている服と合わせやすそうだ。
店員にサイズを聞かれ、2枚を持って試着室へ入る。
紺を着ると、よく見慣れた自分がいた。カーテンを開けて見せると、ブーケも頷いた。
「落ち着いたお色ですね。お似合いです」
「うん。こっちは安心する」
もう1枚も着てみると伝え、カーテンを閉めた。青へ着替えると、顔の下が明るくなった。
落ち着かないが、嫌な感じではなかった。
「どうかな」
カーテンを開けると、少し離れていたブーケが振り向いた。
彼女は一度、こちらを見たまま黙った。
「……変?」
「いえ。とても」
その先を待つと、ブーケは一歩寄ってきた。
「とても、お似合いです」
三戸は鏡へ向き直った。さっき見たばかりのシャツなのに、もう少しよく見えた。
「袖、長すぎないかな」
「少し、折ってみてもいいですか」
「お願い」
腕を差し出す。ブーケが袖口を整え、2度折った。指先が手首の近くに触れたので、三戸は腕を動かさないようにした。
「こちらも」
反対の腕を出すと、同じ高さまで折ってくれる。店員が裾の長さを見て、これでちょうどいいと言った。
三戸は左右の袖を見比べた。
「自分でやったら、たぶん違う高さになる」
「着る前に並べておくと、揃えやすいですよ」
「なるほど」
ブーケはまだ、鏡の中の彼を見ていた。
普段、練習の映像を見ているときとは違う顔だった。何かを確かめているようで、けれど見つけたものを言わずにいる。
「どっちがいいかな」
言うと、彼女が顔を上げた。
「紺も、素敵でしたけれど……」
ブーケは鏡を見てから、彼へ向き直った。
「私は、こちらを着ていらっしゃるところを、また見たいです」
三戸も、もう一度鏡を見た。
「じゃあ、青にする。いつもと違う色も着てみたいし」
買ってよかったと思える気がした。
*
試着室のカーテンが閉まると、ブーケは近くの棚を見た。
同じ青のシャツが、きちんと畳まれている。並んでいると、さっきまで彼が着ていたものとは少し違って見えた。
もう少し見ていたかった、と思ってしまった。
紺も、よく似合っていた。彼が着慣れているのも、そちらだと思う。それなのに、また見たいと口にしたのは青い方だった。似合うものを選ぶつもりが、自分が着てほしいものを勧めていた。
そんな選び方をしても、彼は受け入れてくれた。
勧めたのは自分だ。袖を整えたいと言ったのも、自分から。それなのに、彼が着て出てくると、言うはずだったことを少し忘れた。
袖口を折っているとき、鏡に2人が並んで映っていた。店員はその姿を見ても、何も不思議そうにしなかった。
あの人には、どんな2人に見えたのだろう。服を選び合う恋人同士。そう見えていたとしても、今日は、違いますと言わなくていい。
ブーケは棚のシャツから、指を離した。
似合っていた。それから、やっぱり、かっこよかった。
担当になる前、合同練習の終わりに、三戸が用具を片づけているところを見たことがある。誰かに呼ばれて顔を上げ、笑って返事をした。そのときも、そう思った。
今なら、そう言ってもいいのだろう。
今は、お付き合いしているのだから。
でも、試着室のカーテンが開くと、ブーケはまた、いつもの声で話しかけた。
「お決まりですか」
「うん。ありがとう。1人だと、紺にしてたと思う」
それだけで、今日は十分に思えてしまう。
会計を待つ間、彼がこちらを振り返った。
「ブーケは、何か見なくていい?」
「今日は、大丈夫です」
「俺ばっかり買っちゃったね」
「楽しかったので」
これは、すぐに言えた。
三戸も同じように笑った。
「俺も」
*
翌週、三戸はトレーナー室で洗濯表示を調べていた。
買ったシャツを週末に着ようと思ったが、袖に小さな折り皺が残っている。アイロンをかけてよいのか、タグの記号だけでは自信がなかった。
パソコンの隅へ表示の一覧を出したところで、扉が開いた。
「おはようございます」
「おはよう。ノート、そこに置いてあるよ」
ブーケが机へ寄り、画面を見た。
「お洗濯ですか?」
「この間のシャツ。週末に着ようと思って」
彼女はノートを手にしたまま、少し動きを止めた。
「今度の、お出かけに?」
「うん。天気もよさそうだから」
週末は書店に寄り、その先の川沿いを歩こうと話していた。ブーケが欲しがっていた園芸の本が、大きな店ならあるかもしれない。
「楽しみにしていますね」
彼女はそう言って、ノートを鞄へしまった。午前の授業に向かう足取りが、入ってきたときより少し軽かった。
三戸は画面へ戻り、使う温度を確かめた。今夜のうちに、やっておこう。
それから予定表を開いた。週末の欄には、既に待ち合わせの時刻が入っている。
まだ水曜日だった。
仕事がいくつもあるのに、そこへ目が行く。
三戸は予定表を閉じ、今日の練習メニューを手元へ引き寄せた。ブーケに見せたい区間の時計に、丸をつける。
今夜、シャツを整えておけば、あとは着るだけでいい。