カレンブーケドールは筋書きどおりに咲かない 作:Lagavulin
袖は、左右同じ高さだった。
ブーケは待ち合わせ場所に現れた三戸を見て、まずそこへ目を留めた。薄青いシャツは、店の照明の下より少し柔らかい色に見える。
「おはようございます」
「おはよう。待った?」
「いえ。今来たところです」
今日は本当に、着いてすぐだった。早く来すぎないようにと思ったら、寮で時間を確かめすぎてしまった。
三戸が片腕を少し上げた。
「教わった通りにしてみた」
「きれいに揃っていますね」
「よかった」
袖のことだと、すぐに分かった。それが2人だけの話であることも、嬉しかった。
ブーケは肩にかけた鞄を直し、彼の隣へ並んだ。
*
書店の園芸の棚で、目当ての本はすぐに見つかった。けれど、同じ著者の別の本も隣にあり、ブーケは2冊を見比べ始めた。三戸は少し離れた棚で、自分が買った植物と同じものの写真を探していた。
「載ってた」
小さな声に顔を上げると、彼が開いたページを見せてくれた。
家の鉢よりもずいぶん大きく育った姿が載っている。
「こんなになるんだね」
「長く育てれば。今の鉢では、途中で植え替えが必要になりますけれど」
「そうか。これ、買っておこうかな」
基礎的な世話の本だった。ブーケも同じものを読んだことがある。
「分かりやすいと思います。お水のことも、写真があったはずです」
「毎回君に聞くのも悪いしね」
「聞いていただいても、いいんですよ」
思っていたより、はっきり言ってしまった。
三戸が顔を上げる。
「じゃあ、分からなかったら聞く」
「はい」
自分の持っていた2冊のうち、1冊を棚へ戻した。いつもなら、どちらを今買うか、もう少し考えている。
今日は本を決めるよりも、さっきの言葉を彼がどう聞いたかの方が気になった。
レジへ向かう途中、旅行の棚に大きな花畑の写真が見えた。斜面いっぱいに、色の違う花が帯のように植えられている。
足を止めると、三戸も戻ってきた。
「きれいだね」
「はい。ここ、一度行ってみたくて」
開いた案内には、駅からのバスと、季節ごとの見ごろが載っていた。日帰りで行けるが、少し遠い。
「今度、予定が合うときに行こうか」
ブーケはページから顔を上げた。
「ご一緒してくださるんですか」
「君と行ったら、いろいろ教えてもらえそう」
案内の端へ目を戻す。目の前の花の名前なら、いくつか分かる。彼が知りたがったら、話せることもある。
「では、お弁当を持っていくのもよさそうですね」
「うん。売店もあるみたいだし」
日付は、まだ決まらなかった。
ブーケは施設の名前を覚え、本を閉じた。
*
川沿いの道は、思ったより人が多かった。
橋の下で、小さな市が開かれている。布の鞄や、焼き菓子の袋が並ぶ屋台の間を、家族連れが歩いていた。
三戸が本の袋を左手へ移した。空いた右手を見て、ブーケは自分の袋を持ち直した。
さっきから、何度か同じことをしている。彼の手が空くと目が向き、気づかれる前に別のものを見た。
人が多いから、と言えば、お願いしやすいかもしれない。でも、ここを抜けてからも、つないでいたかった。
三戸が少し前へ出る。屋台の角で立ち止まった人を避け、ブーケもそのあとを追った。彼が振り返る。
「あっちへ抜ければ、歩きやすそう」
「はい」
彼がまた歩き出す前に、ブーケは袖へ手を伸ばした。
「トレーナー」
触れたのは、彼がきれいに折ってきた袖口だった。そこを見たまま、言葉を続ける。
「手を、お借りしてもいいですか」
三戸の目が、ブーケの持つ袋へ向いた。このままでは、荷物を預けて終わってしまう。
「手?」
「はい。つないでも、よければ」
言い終えて、ブーケは三戸を見上げた。
三戸が右手を差し出した。
「どうぞ」
ブーケは、そこへ左手を重ねた。指を合わせようと少し動かすと、そっと握ってもらえた。
彼は何も言わずに歩き始めた。ブーケも隣へ並ぶ。こんなお願いにも慌てず、こちらが落ち着くまで待ってくれるのだろうか。
お礼を言うのも変な気がして、彼女はつないだ手を見た。
*
三戸は、右手に触れる彼女の指を意識していた。手袋をしていない彼女の手に触れるのは、担当契約のとき以来だった。
あのときは握手で、今は歩いている。肘の動かし方が、少し違った。
三戸は半歩先へ出そうになり、彼女と並ぶ速さに戻した。
「大丈夫?」
「はい」
何が大丈夫か、自分でもはっきりしなかった。ブーケは頷き、握っている手の力を少しだけ強くした。
人混みを抜けると、道は広くなった。
離しても歩けた。けれど、ブーケは手を離さなかったし、三戸も、ほどこうとは思わなかった。
川に小さな鳥が浮いている。さっきまで本の話をしていたのに、彼はその続きがすぐに出てこなかった。
「あの鳥、ずっと同じところにいますね」
ブーケが川を見て言った。
「流されないように、足を動かしてるのかな」
「少し休んでも、よさそうですけれど」
「あそこが好きなのかも」
鳥はやがて水から上がり、岸で羽を整え始めた。
「休みましたね」
「うん。聞こえたかな」
ブーケが笑う。それで、三戸もようやくいつもの歩き方に戻れた。
つないだ方の手だけは、どうしても少し意識に残った。
*
分かれ道の案内板には、駅への矢印が2つあった。
左へ曲がれば、商店街を通って近道になる。まっすぐなら、川に沿ってもう1つ先の橋まで歩く。
三戸が左を見たので、ブーケは声をかけた。
「こちらからでも、帰れますよね」
まっすぐ先の道を指す。木陰が続き、その向こうに橋の欄干が小さく見えていた。
「うん。ただ、少し遠いけど」
「今日は、まだ歩きたいです」
彼が時刻を見て、鞄へスマートフォンを戻した。
「じゃあ、そっちから帰ろう」
手はつないだままだった。
ブーケは、彼の指が自分の指を包んでいるところを見た。これをしてみたいと、前の外出の帰りから思っていた。
お願いしても、困らせなかった。
そう思えるまでには、ずいぶん時間がかかったけれど。
「今日、あの服を着てきてくださって、嬉しかったです」
三戸が袖を見た。
「これ? うん。着て見せたかったから」
ブーケは返事を忘れ、彼を見上げた。
「ブーケが選んでくれたし」
「……はい」
次に下を向くと、視界にまた手が入った。
何も言わずに歩いても、今日は、話が途切れたように思えない。
橋へ着いたとき、三戸が欄干の向こうを見た。
「ここ、前に1人で通ったときは、もっと時間がかかった気がする」
「今日は、違いましたか?」
「うん。あっという間だった」
駅の近くで、切符を買うために手を離した。三戸が券売機へ向かい、ブーケは少し離れた場所で待つ。
左手の指を、一度曲げて伸ばす。
次に会うのは、月曜日の練習だった。手をつないで走ることはできないから、今日の続きは、また別の日になる。
三戸が振り返り、自分の後ろの券売機が空いていると教えてくれた。
ブーケはそちらへ歩きながら、帰ったら、手帳の花畑の予定へ小さく印をつけようと思った。