【クロスオーバー】ノーゲーム・ノーライフ×ゆるキャン△異世界で楽しいゲーミングキャンプ 作:なんたらC
目を開けると、空に巨大なチェスの駒が浮いていた。
「……なでしこ」
「うん」
「私たち、さっきまで本栖湖にいたよな」
「いたねえ」
「あれ、富士山?」
「富士山はもうちょっと、こう、山だよ」
なでしこが両手で三角を作った。その向こうでは、どう見ても山ではないものが、雲に半分埋まっている。
リンは足元へ目を落とした。靴の下にあるのは、乾いた土だった。湖畔の砂利ではない。水の音もしない。
肩にはさっき背負ったバッグの重さが残っていた。
スマホを取り出す。圏外。地図は白い画面のまま動かず、最後に開いていた天気予報だけが、静岡県の快晴を約束していた。
「とりあえず動かないでおこう」
「でもいい匂いする」
「異世界っぽい場所で最初に取る行動がそれか」
言ってから、リンも鼻先に甘い匂いを感じた。
すぐ前に石造りの門がある。その奥には尖った屋根が並び、道沿いの店先で、赤や黄色の布が揺れていた。パンの匂いはそちらから来るらしい。
門をくぐっていく荷車が石畳の継ぎ目で跳ねた。馬に似た動物が二人へ鼻を向け、ぶるりと鳴らす。なでしこが半歩下がって、リンの袖に触れた。
「……撮影、とかかな」
「だったらあれにも説明が欲しい」
リンが空を指すと、なでしこも黙った。
千明たちは道具を片づけていた。鳥羽先生が買い物袋を持って戻ってきて、なでしこが何か声をかけた。そこまでは覚えている。
六人で同じ場所にいたはずなのに、周りを見ても、見慣れた上着は隣の一着しかない。
「アキちゃん、電話つながんない」
「こっちも圏外」
リンは送れなかったメッセージを見つめ、もう一度、送信を押した。
「あっ、落ちる!」
なでしこが駆け出した。
門のすぐ内側で、大きな籠が傾いている。抱えているのは赤毛の少女だった。膝で店の扉を押さえたまま持ち直そうとして、今度は反対側の縁から丸いパンがこぼれた。
リンはスマホをポケットへ突っ込み、転がってきたパンを両手で受け止めた。
「助かりますわ! 扉を、もう少し――」
「はいっ。リンちゃん、そっち持って!」
「分かった」
パンを籠へ戻して、底を支える。なでしこが扉を大きく開け、三人がかりで店先の台へ載せると、少女はようやく息をついた。
籠からはまだほんのり熱が伝わってきた。
「ありがとうございます。お二人は旅の方ですの?」
「あの、ここって何県ですか?」
少女が瞬いた。
「何……?」
「日本、ですか」
リンが聞き直すと、少女の目が二人の服と、大きなバッグへ移った。
「ここはエルキアですけれど……お連れの方は?」
「四人、いなくなって。さっきまで一緒にいたんです」
説明しようとスマホを出したが、地図も現在地も見せられない。未送信のメッセージだけが画面に並んでいた。
少女はそこへ目を留めた。
「もしかして。その文字、お二人には読めますの?」
「はい。日本語なので」
籠の持ち手から、少女の手が離れた。
「私はステファニー・ドーラと申します。ステフと呼んでくださいな。事情を聞けそうな者に、心当たりがありますわ」
「帰り方も分かりますか?」
「それは、まだ。ただ、お二人だけで探し回るよりは」
なでしこがリンを見た。
知らない人についていっていいのか、と考えかけて、門の外を振り返る。来た道さえ分からなかった。湖も富士山もない土地で、二人だけで待つ当てはなかった。
「……お願いします」
ステフは店の人に声をかけ、籠を預けると、小さな紙包みを受け取って戻ってきた。
石畳の道を歩き始めてすぐ、なでしこのお腹が鳴った。
「……さっきのパン、おいしそうだったね」
「今言うか」
「歩きながらでよければ」
振り向いたステフが紙包みから小さなパンを二つ取り出す。
「ありがとうございます!」
なでしこは両手で受け取った。かじる前にリンへ見せてくる顔は、いつもどおりだった。
リンも一つ受け取り、まだ温かい皮を指でそっと押した。
*
案内されたのは、城だった。
城みたいな建物、という程度ではない。門に人が立っていて、中庭があって、廊下を曲がってもまた廊下があった。
パンを半分食べたころには、リンは一人で入口へ戻る自信をなくしていた。
「なるほど。湖でキャンプしてたら、知らない世界にいた、と」
ようやく通された部屋で、空と名乗った青年が頷いた。
椅子に浅く腰をかけたその膝へ、白い髪の少女が寄りかかっている。白、と紹介された少女は、テーブルに置かれたリンのスマホをじっと見ていた。
「……にぃ。日本製」
「だよなあ。召喚の追加便? 俺たち聞いてないぞ」
「お二人も日本から?」
「ああ。こっちに来たときは、荷物こんなになかったけどな。装備充実してんな、後輩」
空が二人の足元を見た。
リンはバッグの肩紐を握ったまま尋ねた。
「帰れるんですか」
空の視線が戻ってくる。椅子の上で、少しだけ姿勢が変わった。
「今すぐ帰す方法は、知らない」
指に肩紐の縫い目が食い込んだ。
「連れの四人については、門と宿場に問い合わせる。名前と、どんな格好してたか教えてくれるか」
「……先生も一緒なんです」
「先生?」
「私たち五人と、顧問の先生で来てたので」
空が紙へ六つの丸を描く。そのうち二つを、ペンの先で軽く叩いた。
「じゃ、まず六人の居場所からだな」
リンとなでしこは、自分たちの名前から順に伝えた。千明の眼鏡や、あおいの髪、先生の買い物袋。言葉にしていると、いつもの姿ばかり浮かんできた。
なでしこが食べかけのパンを皿へ戻す。
「そっか。お姉ちゃん、心配するなあ」
リンもテーブルへ手を伸ばした。電波がないのは分かっているのに、置いたスマホの角を指で確かめてしまう。
「調べる手段はある。だから、今ここで帰れないって決まったわけじゃない。ひとつずつ確かめよう」
「その前に、お茶をお持ちしましたわ」
ステフが戻ってきて、二人の前にカップを置いた。リンがバッグから手を離すと、なでしこも自分の荷物を椅子の脇へ寄せた。
カップを両手で包む。思ったより指が冷えていた。
「ありがとうございます」
「買い出しも手伝っていただきましたし。どうぞ、少し落ち着いてくださいな」
「ステフ、俺のお茶は?」
「ご自分でお淹れになれば?」
「この国、王への待遇が厳しい」
「お湯も茶葉もございますわ」
「素材配布で終わる王室サービスってある?」
「……王?」
リンはカップを口へ運ぶ手を止めた。
空が自分と膝の上の少女を順に指す。
「そう。俺と白で国王」
「リンちゃん、王様だって」
「聞こえた。ちょっと受け入れる時間が欲しい」
「ま、最弱国の貧乏キングだけどな」
空は肩をすくめ、テーブルの向こうへ声を投げた。
「ジブリール、ちょっと来てくれ」
誰もいないところで、光が縦に走った。
カップを置きかけたリンの手が止まる。細い光は左右へ開き、その奥だけ壁も床も見えなくなった。青とも紫ともつかない暗がりに、文字のようなものが幾重にも巡っている。
「……え」
隙間から白い指が出た。
指先が縁をなぞると、空間が幕のように押し開かれる。
「お呼びでしょうか、マスター」
声とともに長い桃色の髪が流れ出し、白い翼の女性が部屋へ足を踏み入れた。
頭上には光の輪が斜めに浮かんでいる。輪から突き出た幾本もの光が、髪にも天井にも触れずに輝いていた。
「天使!?」
リンとなでしこは同時に立ち上がった。その勢いで二脚の椅子が後ろへ倒れ、床にぶつかる音が続けざまに響く。
リンが置いたばかりのカップの中で、お茶が大きく揺れた。
翼の女性はきょとんと金色の目を瞬かせた。
翼の先が抜けると背後の隙間は細く閉じ、あとには元どおりの壁が見えている。リンは女性と壁を見比べた。扉どころか、継ぎ目ひとつない。
それでも目の前には翼があり、光輪が浮いている。
女性の視線が二人へ移り、ふわりと笑みが広がった。
「あら。異なる世界よりのお客様ですか」
「ジブリール。こっちの二人も俺たちと同郷らしい。帰る方法と、ほかに四人来てないか調べたい」
ジブリールと呼ばれた女性は、優雅に一礼した。その顔が上がったところで、視線がテーブルへぴたりと止まる。
「そちらの端末にも、書物は入っておりますか?」
リンは光輪を見上げたまま、返事が遅れた。
「……え、えっと……本……ですか? キャンプの雑誌なら、何冊か……」
「専門書でございますか!?」
言い終わるのを待たず、ジブリールがグイッと身を乗り出した。金色の目がすぐ目の前に迫り、リンはスマホを胸元へ引き寄せる。
「そ、そこまでのものじゃ……道具の比較とか、使い方とか」
説明しながら画面を探す指が、隣の雑誌を開いてしまった。いったん戻して、いつもの表紙を出す。
リンがおずおずと画面を向けると、ジブリールはさっそく見出しへ目を走らせた。
「この見出しには、何と?」
「『二次燃焼を楽しむ、ソロ焚き火台』」
「二次……燃焼?」
翼がぴんと持ち上がる。
「一度燃えたものを、さらに燃やすのでございますか? しかも、楽しむために?」
「私も詳しくは。煙をもう一回燃やす、とかだったかな」
「煙を」
ジブリールはその言葉を、そっと繰り返した。
次いで、リンの指が触れていない隣の見出しへ目を走らせる。
「では、こちらは?」
「『焚き火リフレクターの配置と風向き』」
「りふれくたー……!」
両手が胸の前で組まれた。聞き慣れない単語を喜んでいる、というより、何かを必死に堪えている顔だった。
「マスターから頂いた蔵書にも、まだ私の知らぬことは多くございますが……野外で一晩を過ごすためだけに、これほど細やかな技術が……!」
「あと、冬用ペグの打ち比べとか」
「打ち比べッ!?」
リンはスマホを引いた。
ジブリールも同じだけ近づく。
「何を、どこへ、何のために打ち、何を比べるのでございますか?」
「一個ずつ聞いてください」
「ではまず二次燃焼から! いえ、その前に目次を。ああ、ですが写真の下にも文字が……!」
まず距離を取ってほしい。
リンは肘を引いた。スマホが胸に当たる。もう引けない。
伸びてきた指が画面の手前で止まる。
ジブリールはリンを見た。きらきらした目だった。
「こちら、少々お借りしても?」
「少しなら……」
「ありがとうございます! ではまず全巻を通読し、未知の用語を抜き出してから、記述の照合と実物による検証を――」
話すたびに顔が近づいてくる。リンが仰け反っても、ジブリールはスマホに手を添えたまま、ぐいぐい身を乗り出した。
横から空の手が伸び、スマホをリンのほうへ押し戻す。
「はいはい、いったん落ち着け識欲魔。二人ともドン引きしてんだろ」
ジブリールは名残惜しそうに画面を見つめ、しぶしぶ手を離した。翼をしゅんと下げて身を引く。
ようやく背筋を戻せたリンの隣で、なでしこが顔を輝かせた。
「キャンプに興味あるんですね! ぜひ一緒にやりましょう!」
「興味の方向性が違うと思うぞ、なでしこ」
リンはようやく後ろを振り返り、倒れた椅子を起こした。なでしこも自分の椅子を戻し、二人で座り直す。
*
この世界では争いはすべてゲームで決める。
誰かを殴って奪うことはできない。勝負で何を賭けるかを決め、互いに同意する。その約束は負けたあとで嫌になっても取り消せない。
空の話を聞きながら、リンはカップを膝へ下ろした。
「キャンプ場の場所取りも?」
「揉めたらそうなるな」
「炊事場で、誰かがずっと洗い物してても?」
「双方が同意したゲームで解決する」
「普通に声かけたほうが早くない?」
「それで譲ってくれるなら、それでいいんだよ」
「……この子、話が実用的ですわね」
ステフが感心したように呟いた。リンとしては、知っている揉め事を順番に当てはめているだけだった。
「えっと、ゲームに負けたらごはん取られたりするの?」
なでしこの皿にはまだパンが半分残っている。
「賭けてればな。だから内容を理解せず勝負を受けちゃ駄目だ。特に、こいつ相手には」
指されたジブリールがにこりと微笑んだ。
「私はいつでも公正な条件をご提示いたしますよ」
「その笑顔で安心しないことも覚えとけ」
リンは頷き、スマホをバッグの内ポケットへしまった。
「で、その大荷物、全部キャンプ道具?」
「はい。寝袋とマットと調理器具とか」
「……外で、寝る装備」
白が初めて、リンの顔をまっすぐ見た。
「寒く、ない?」
「寒いよ」
「……なぜ」
「ちゃんと準備すればそれも含めて楽しいから」
「……にぃ。上級者」
「俺たちにはまだ早いコンテンツだな」
「お二人とも、城の庭に出るだけで疲れていますものね」
「ステフ、異世界から来た後輩に余計な情報を渡すな」
なでしこは椅子を離れ、窓のそばへ行っていた。下に広がる芝生から、街の屋根、その先の山へと目を動かしている。
リンに振り向いた顔を見て、何を言うのか分かった。
「ね、リンちゃん」
「駄目」
「まだ言ってないよ」
「ここでキャンプできないかな、って顔してる」
「できないかな!」
「泊まる部屋なら用意するぞ?」
空に言われると、なでしこは慌てて両手を振った。
「それはすっごく助かります! でも、ちょっとだけ外でお湯沸かしたら落ち着くかなって」
リンは手元のカップを見た。薄い縁に金の模様が入っている。置く場所ひとつにも気を遣うような品だった。
足元のバッグからは使い慣れた鍋の取っ手が覗いていた。あれなら、どこを持って、何から準備すればいいか分かる。
「……火を使っていい場所、ありますか」
*
庭の石敷きの一角に、小さな椅子が並んだ。
ステフに場所を確かめてもらい、リンはバーナーを据えた。燃料をつなぎ、鍋に入れる水を量る。
つまみを回して点火すると、青い炎が立った。
「――今、何をなさいました?」
いつの間にか、ジブリールがすぐ横にしゃがんでいた。
リンはつまみから手を離す。
「火をつけました」
「ええ、それは拝見しました。こちらには術式などは使われていないのでございますか?」
「ないです。私、魔法使えないので」
ジブリールの目が、リンの指先から小さな器具へ戻った。
顔が近い。炎にも近い。
「……ちょっと離れてもらっていいですか」
「失礼。では、この操作だけで点火から火力の調節まで?」
「はい。こうすると弱くなって」
「お待ちください、今のところをもう一度!」
鍋を載せようとしたリンの手が止まった。
「お湯が沸かないので」
「では沸くまでの間に、こちらの構造について――」
「説明、雑誌に載ってたと思います」
言ってから、しまったと思った。
ジブリールが両手を揃え、待っている。
さっきまで炎へ向いていた目が、今はリンのポケットから動かない。
「……お湯が沸くまでですよ」
「もちろんでございます!」
リンは該当する記事を開き、スマホを渡した。
画面へ目を落とした途端、ジブリールが静かになった。指だけがすいすい動き、道具の写真が次々と流れていく。
「……そこ、もう料理のページですけど」
返事はなかった。料理の次は、もう食器だ。
やっぱり渡すんじゃなかった。
リンは鍋を火にかけた。
少し離れたところでは、なでしこが白に寝袋を広げていた。
「これ、入ってみる?」
「……捕獲用?」
「寝る用だよ!」
「白、気をつけろ! 一度入ると出たくなくなるタイプの罠かもしれん!」
「あなたも入る気満々ですわね」
空はすでに靴を脱いでいた。
「違う! まず俺が安全を確認する! 妹を未知の危険に晒すわけには――」
「……にぃ。順番、ぬかさない」
「兄の献身が割り込み扱いされたッ!?」
白が寝袋の口を引き寄せた。献身は順番待ちになった。
なでしこが地面に敷いたマットを叩くと、白が兄を見上げた。空はその隣へ椅子を寄せ、腰を下ろす。
白が寝袋へ足を入れるのを見届けてから、リンは小分けにしてあったココアを取り出した。六人。袋は、どう見ても六杯分ない。
「足りない?」
戻ってきたなでしこが、手元を覗いた。
「薄めれば」
「でしたら厨房から牛乳を持ってきますわ」
「私も行きます! さっきのパン、焼いてもいいですか?」
「ええ。ジャムもございますわ」
「リンちゃん、ジャムあるって!」
「よかったな。城だからな」
二人はもう次に何を載せるか相談しながら歩いていった。
リンが火の強さを直していると、隣で椅子が小さく軋んだ。空が長い脚を折り、膝を抱えて座っている。
「……帰りたいよな」
「そりゃ、まあ」
「だよな」
「テント、向こうに張ったままだし」
空が顔を上げた。
「そこ?」
「いや。親とか、学校とか、いろいろありますけど」
今ごろ、誰かが無人のテントを見つけているだろうか。母に連絡が行っているかもしれない。スマホに何度かけても繋がらなかったら。
考えかけて、リンは鍋の蓋へ目を戻した。
「今、全部考えると困るので。とりあえず、撤収しなきゃなって」
「……そっか」
空はそれ以上聞かなかった。
寝袋の口から白の手が出てくる。
「……写真、見たい。そっちの、景色」
リンはジブリールからスマホを返してもらった。通知は増えていない。そのまま写真を開き、二人の間へ差し出す。
「これがさっきまでいた場所」
「……きれい」
「寒そうだな」
「寒かった」
青い湖の向こうに、雪をかぶった富士山がある。朝、テントを出て撮ったものだった。画面の端には、なでしこの寝癖が少し写り込んでいた。
ジブリールまで肩越しに覗き込んでくる。
「この白い山がお二人の世界の?」
「富士山です」
「リンちゃーん! チーズもあった!」
顔を上げると、なでしこが皿を抱えてこちらへ来るところだった。隣ではステフが、走らないようにと声をかけている。
「……あいつ、厨房でもう仲良くなってる」
「お前の連れ、コミュ力どうなってんの?」
「私も知りたいです」
鍋の蓋がかたかたと鳴った。
リンはスマホをしまって火を止める。なでしこが戻ってくるまでに、六人分のカップを並べた。
10万字くらいはストックあるので編集しながらゆるゆる投稿します