【ID×GE】~神喰いは無限の系統樹で狩りをする~   作:初恋ジューサー

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プロローグ

□2043年7月22日 神威ヒロ

 

 窓の外では蝉が思い出したように鳴いては、また途切れる。扇風機の風はぬるく、麦茶のグラスに浮かんだ氷はとうに角が取れていた。七月も下旬に入り、田舎の夏は容赦がない。

 

 試験明けにもらった休暇のだらけた午後を破ったのは、卓上に放り出していたスマートフォンの着信音だった。画面に並んだ名前を見て、俺は首をかしげた。しばらく連絡を取り合っていない相手だったからだ。通話ボタンを押し受話口から飛び出してきたのは、やけに弾んだ声だった。

 

『このゲームは大当たりだぞ!お前もやってみろ!』

 

 田舎の役場職員として働いている俺に、学生時代からの友人がかけてきた電話はゲームの誘いだった。挨拶も近況報告もすっ飛ばしてこれだから、相変わらずだなと苦笑が漏れた。

 

 あの頃はその友人とゲーム、特に狩りゲーにハマって単位を落としかけたこともある。ボスの出現を待って徹夜で張り込み、欲しい素材が出ずに二人で天を仰いだ夜は数え切れない。だが社会人となった今は、役場の制度と補助金を使って狩猟免許を取得するための勉強をしていて、ゲームどころではなかった。参考書と過去問に囲まれ、罠の種類や鳥獣の見分け方を頭に詰め込む日々。最後にゲーム機の電源を入れたのがいつだったかも思い出せない。

 

 しかし試験を終えひと段落したタイミングだったのもあり、久しぶりにゲームをしてみるのも悪くはないと思った。張り詰めていた糸が緩んだせいか、胸の奥で懐かしい好奇心がむくりと頭をもたげるのを感じた。

 

「それで、何ていうゲームだ?」

 

『ん?最近話題になってると思うんだが知らないのか?』

 

「昨日まで狩猟免許の試験対策でゲームとか誘惑になりそうなものと距離置いてたから、最近のゲーム事情を全く把握してないんだよ」

 

 電話の向こうで、友人が呆れたように笑う気配がした。

 

『おっ、遂に狩猟免許取るのか。手ごたえの方はどうだ?』

 

「役場の予算で勉強や受験させてもらう立場だったから、プレッシャー半端なかったよ。まぁ、手ごたえはあるから合格したと思う。それで、お前イチオシのゲームの名前は?」

 

『おっと、忘れるところだった。一週間前に発売された<Infinite Dendrogram>っていう、フルダイブ型VRMMOだ』

 

「フルダイブ型VRMMO?大丈夫かそれ?」

 

 友人がわざわざ連絡してまで勧めてきたゲームがフルダイブ型VRMMOと聞いて、一瞬身構えてしまった。2030年代に世界初のフルダイブ型VRMMO<NEXT WORLD>が発売されて以来、そのジャンルのゲームで成功作と呼ばれる作品は一つもなかったからだ。

 

 ゲーム好きとして興味があり、中古で売られていたそれらを試してみたが、ゲームの没入感はなく、プレイ後に体調不良を起こして以来、忌避するようになった。視界にちらつく粗い描画、手足にまとわりつく感覚のずれ、そしてログアウト後に襲ってきた吐き気。あの不快感を思い出し、スマートフォンを握る手に思わず力が入った。

 

「それ、本当に大丈夫なんだろうな?」

 

 疑いを隠さない俺の声音にも、友人は気を悪くした様子はなかった。むしろ楽しげに、声を弾ませた。

 

『俺の言葉が信じられないのか?経験した側から言わせてもらえば、絶対にやらないと損するぞ。もし興味が出てやり始めるなら、俺に連絡入れてくれれば最初のチュートリアルくらいなら付き合ってやれると思うぞ』

 

「お前がそこまで言うなら信じるよ。とりあえず本体を入手するところから始めるよ。またな、修一」

 

『こっちの世界で待ってるぜ、ヒロ』

 

 学生時代からの友人——椋鳥修一との会話を終えると、すぐに<Infinite Dendrogram>について調べ始めた。

 

 するとすぐに<Infinite Dendrogram>を称賛する声が出るわ出るわ、批判的な声は極一部で、陰謀論じみたものばかりだった。画面をいくらスクロールしても、並んでいるのは手放しの賛辞ばかり。あの修一が熱を上げるのも、無理はないと思えてきた。

 

 ここまで人気なら本体の入手は不可能ではないかと思ったが、一縷の望みをかけてこの田舎唯一のゲームショップに足を運んでみることにした。

 

 外に出ると、むせ返るような熱気と草いきれが肌にまとわりついた。畦道には陽炎が揺れ、遠くの山の稜線は入道雲に溶けている。汗を拭いながら歩くこと二十分、ようやく目的の店が見えてきた。

 

 田舎の役場に赴任して真っ先に訪れたのは、このゲームショップだった。電車が一日に三本、バスが一日に五本しか訪れないような田舎で、たまたま見つけることができた。古びた扉を押し開ければ、冷房の効いた空気と新品のパッケージが放つ独特の匂いが迎えてくれたものだ。

 

 壁一面に並んだ最新ソフトの背表紙、年代物のレトロゲームが眠る棚。狩りゲーの新作コーナーの前を通るときだけは、つい足が止まりそうになったものだ。このゲームショップは都会の店舗並みに充実しており、資格試験の勉強が始まる前までよく通っていた。

 

 店主は元々都会の企業に勤めていたそうだが、早期退職して自分の好きなゲームに包まれた空間で過ごしたいという思いから、地元に戻り、この店を開いたらしい。

 

 久しぶりに店を訪れたが、相変わらず看板も出ておらず、閑古鳥が鳴いている。どうやってこの店を維持しているのか謎だ。

 

「ご主人、久しぶりです」

 

 声をかけると、カウンターの奥で新聞を広げていた店主が、眼鏡をずらして顔を上げた。

 

「お~、神威君じゃないか。久しぶり。ここに来たってことは試験が終わったってことかな?」

 

「そんな感じです。ちょっとお尋ねしますけど、<Infinite Dendrogram>の本体って置いてますか?」

 

 その名前を出した途端、店主の目が見る見るうちに輝きを帯びた。

 

「っ!やっとこの店にも、<Infinite Dendrogram>を買いに来てくれるお客さんが現れた!初期ロット分は都会の店舗や通販だともう入手できないから、田舎のゲームショップに遠征して買いに行くお客が多いってSNSなんかでやってたけど、ウチには何故か誰も来なくてね~」

 

「だってこの店、SNSとかに広告出すどころか看板すら出していないじゃないですか。店に通う客だって自分以外見たことないし、どうやって採算とってるんですか?」

 

「そこは企業努力と企業秘密だから。これは売れると思って伝手を使って五つ入荷したのはいいんだけど、四つ在庫になってしまってね……」

 

「一つは自分用ってことですか?とりあえず一つ下さい」

 

「思い切って四つ買わない?転売してもいいよ?」

 

「小売業の店主としてその発言はどうなんですか……?」

 

 そんなくだらないやり取りをしながら、店主はカウンターの奥からゲーム本体が入った箱を持ってきた。

 

 <Infinite Dendrogram>のロゴと商品の写真が載っただけのシンプルなパッケージで、ジャケ買い勢は手に取りすらしないだろう。世間を騒がせている話題作の顔がこれかと、少し拍子抜けしてしまった。

 

「中にゲーム本体と説明書が入ってるから、説明書に従ってゲームを始めてね」

 

「ありがとうございます。帰ったら早速始めてみようと思います」

 

「ネタバレになるから詳しいことは言わないけど、僕は『カルディナ』にいるから機会があれば一緒にプレイしようぜ」

 

「すみません、誘ってくれた友人の先約があるので確約できませんけど、機会があればその時はよろしくお願いしますね」

 

 代金を払い店主に礼を伝えると、箱を抱えて店を飛び出した。行きの倍の速さで歩いたせいで、自宅に着く頃には、シャツが汗で背中に張りついていた。それでも麦茶を一杯あおる間も惜しく、パッケージを開いた。

 

 中に入っていたのはヘルメット型の本体と説明書のみで、説明書を読むとヘルメットを被りスイッチを入れるだけでWi-Fiなどに繋げずともゲームを始められると書いてあった。

 

 あまりの手軽さに、独り言が漏れた。

 

「これだけでゲームを始められるのか……科学の力ってスゲー!ってやつだな」

 

 物は試しとばかりに、ベッドの上に寝転がり、早速始めてみることにした。天井の蛍光灯を見つめながら、緊張で強張った体から力を抜くように、ゆっくりと呼吸を整えた。吐き気を催したあの夜の記憶が一瞬よぎったが、それを振り払うように、ヘルメットを被った。思いのほか軽く、内側のクッションが頭をやわらかく包み込んだ。覚悟を決めて、スイッチを入れた。

 

 視界が白く塗りつぶされ、意識が静かに沈んでいく。

 

◇

 

「む?また新しい<マスター>が来たか」

 

「……ここは……?」

 

 気がつくと、無数の青白く発光するパネルのようなもので溢れる暗い空間にいた。

 

 足の裏には確かな床の感触があり、頬を撫でる空気はひんやりと冷たかった。あれほど身構えていたのに、違和感はどこにも見当たらなかった。視界のちらつきも、手足の感覚のずれも、吐き気の兆しすらなかった。現実と地続きだと言われても信じてしまいそうな、完璧な没入感だった。

 

 発光するパネルはよく見るとディスプレイのようなもので、こちら側からは何が映っているのかまでは見えなかった。

 

 無数のディスプレイの中心にいるのは、人型をした「何か」だった。

 

 骨格は人間の男性に近いが、頭から角が、背中から翼のようなものが生えていた。

 

 ディスプレイの前に投影されているキーボードを操る手の爪は鋭く、腕は鱗のようなもので覆われていた。

 

 その姿はファンタジーに登場する竜人や魔人といった風貌で、人間とは一線を画す存在だと感じられた。

 

「えーと、こんにちは?ここはどこなんでしょう?」

 

 恐る恐る声をかけると、「何か」は作業の手を止め、ゆっくりとこちらを振り返った。鋭い眼光が、値踏みするように俺を見据えた。

 

「ふむ……初対面で挨拶をするプレイヤーは今のところ少ない傾向だが、個人的心象としては好ましい相手だな。私は<Infinite Dendrogram>の管理AI4号ジャバウォック、この空間の管理人にして貴殿のチュートリアルを担当する者だ」

 

「ジャバウォックさんですね、よろしくお願いします」

 

「そこまでかしこまる必要はない」

 

「じゃあこれからよろしく」

 

 あっさりと肩の力を抜いた俺に、ジャバウォックは口の端をわずかに持ち上げた。笑ったのだろうか。AIだと聞かされなければ、角と翼の着ぐるみをまとった人間だと信じていたかもしれない。

 

 管理AI4号ジャバウォックと名乗ったそれが、今まで作業していたすべてのディスプレイを閉じると、空間が一気に明るくなった。

 

 空間の中央には俺と同じ姿をしたパンイチのマネキンが、両腕を広げ、足も肩幅に開いて立っていた。

 

「まずはアバターの設定からだ。説明は必要かね?」

 

「行き詰まったら質問する感じでもいいか?」

 

「構わないとも」

 

 俺はゲームを始める際の醍醐味の一つであるキャラメイクに取りかかった。

 

 ゲーム世界を知覚するための視覚描画、身長体重を含めた容姿設定、ゲーム世界でのプレイヤーネームなどを決めていった。

 

 視覚描画は、せっかく現実と変わらないリアルな体験ができるのならと、現実と変わらない描画に設定した。容姿と名前は、以前からゲームをする時に使っていたものを転用した。

 

 容姿に関しては自由度が高いが、モデリングには自信がなかったので、現実の姿をゲームで使っていたアバターの容姿に近づける程度にした。

 

「迷いがないな。ここで長く悩むプレイヤーも少なくないのだが」

 

「使い慣れたものがあるんで。悩む楽しみは、他のところにとっておきます」

 

 一時間足らずでキャラメイクが終了し、できあがったアバターを眺めてみた。

 

 プレイヤーネームは『神薙ユウ』。自分と変わらない体型だが、髪色はブロンドブラウンで落ち着いた髪型、名前は日本人風だが碧眼でハーフらしさが感じられる顔つきだった。

 

 自分で作っておいてなんだが、なかなかイケメンではなかろうか?

 

「よしっ、これで完成だ」

 

「これで決定してしまうと二度と変更できなくなるが、構わないかね?」

 

「大丈夫です」

 

「ではアバターはこれで決定ということで。次は配布アイテムの支給だ。一律で配布されるアイテムボックスと路銀、そしてこのカタログの中から武器を含めた初期装備を選んでくれ」

 

 意識が作成したアバターに移り、次は初期装備を決めることになった。差し出されたカタログをめくると、剣に槍に弓に杖と、ずらりと武器が並んでいた。

 

「どれどれ……ちょっと質問なんだが、人気の武器とかって教えてもらえます?」

 

「東アジア圏の二十代男性プレイヤーが選ぶ傾向が強い武器は短剣、長剣、刀などの刀剣類だな。選ばれる理由としては『癖が少ない』『使いやすそう』『刀チョーカッケー』が上位を占めている」

 

「なるほど……」

 

「防具や衣装に関しては各々の好みが反映されているが、中世RPG風衣装の人気が高い傾向だ」

 

 狩りゲーで鍛えた目で、リーチと重量、取り回しの良し悪しを吟味していった。

 

 衣装は中世RPG風ではなく荒廃した近未来のレジスタンス風をチョイス、武器はとりあえず使い勝手の良さそうな長剣を選んだ。狩りゲーで最初に握る武器は、決まって長剣だった。

 

 アバターと初期装備が決まり、支給アイテムとしてアイテムボックスとゲーム世界の通貨をもらった。

 

「では次に<エンブリオ>の移植を行う。<エンブリオ>について説明は必要かね?」

 

「このゲームの一番のウリだろう?ぜひ聞かせてくれ」

 

「分かった。<エンブリオ>は全プレイヤーがスタート時に渡される、プレイヤーによって真の意味で千差万別化するオンリーワンの相棒だ。武器になるものやアイテムになるもの、従魔になるものなどさまざまだ。どう進化するかはプレイヤー一人ひとりの願望・悩み・人格などのパーソナルデータ、そして孵化までの行動が反映される」

 

 願望という言葉に、胸の奥がかすかにざわついた。狩猟免許の勉強中も、ふとした拍子に顔を出していた、何かが足りないような感覚。その正体を探ろうとしたが、形になる前に霧散してしまった。

 

「へぇ、それってリセマラ可能?」

 

「不可能だ。新しいゲーム機を使っても一つ目のゲーム機で作ったアバターと<エンブリオ>でプレイすることになる。同様の理由でサブ垢も作成不可だ」

 

「了解。どんな進化をするか楽しみだよ」

 

「では移植を始める。左手に注目してくれ」

 

 ジャバウォックがそう言っているうちに、いつの間にか左手の甲に宝石のように輝く卵のようなものが埋め込まれていた。

 

 思わず上に掲げてみたり、角度を変えて眺めてみたりすると、光の加減で輝き方が変わって見えて面白かった。

 

「これが<エンブリオ>……」

 

「今の状態は第零形態と称し、見た目どおり何の能力も持たない卵の状態だ。そこから孵化し第一形態になると卵があった位置に紋章が現れ、そこに<エンブリオ>は収納される。第零形態までは破壊されないが、孵化してからは破壊可能になるので注意してくれ」

 

 卵の状態からどんな進化を遂げるのか、今から楽しみになってきた。

 

「最後にゲームで所属する国を選んでもらう。各国のサンプル映像を確認するかね?」

 

「頼むよ」

 

 ジャバウォックは手元にキーボードを投影させ、何か操作すると、目の前に大型ディスプレイを展開させた。

 

 画面にはゲームの世界のものと思われる地図が広げられ、七つの点滅する光が示されていた。

 

「点滅している箇所は各国の首都となる場所で、チュートリアル終了後のスタート地点だ。詳細は点滅している部分をタップすれば見られる」

 

「どれどれ~」

 

 早速、手近な点滅部分に触れてみると、その国の名前と映像が現れた。

 

 その後も順番に触れていき、自分が所属する国を吟味した。

 

白亜の城とそれを囲う堅牢な城壁の、中世を彷彿とさせる騎士の国『アルター王国』

 

木造建築物が並ぶ街並みに、桃色の花が咲き誇る刃の国『天地』

 

幽玄な山々と、その麓を粛々と流れる大河がある武仙の国『黄河帝国』

 

黒々とした煙がもうもうと噴き出る煙突の連なる鋼鉄と機械の国『ドライフ皇国』

 

雄大な広さの砂漠の中にあるオアシスに寄り添う商人の国『カルディナ』

 

大海原を滑るように航海する大艦隊で構成された海上の国『グランバロア』

 

世界樹の麓に広がるエルフや妖精、亜人たちが住まう花園の国『レジェンダリア』

 

 どれも魅力的で悩んでしまう。特に、桃色の花が舞う『天地』の映像には、不思議と目が吸い寄せられた。それでも最初の一歩はRPGの王道から踏み出したいと思い、最終的には『アルター王国』を選択した。

 

「ゲーム開始後は道なりに進んでいけば王都に着く。城壁が目印になっているので迷うことはないはずだ」

 

「ご丁寧にどうも。そういえば、このゲームの終着点って何?事前に調べたけど何も出てこなくてさ」

 

「終着点……目的という意味であるならば、答えは『何でも』になるな」

 

「何でも?」

 

「その通り。英雄になるのも魔王になるのも、王になるのも奴隷になるのも、善人になるのも悪人になるのも、何かするのも何もしないのも、<Infinite Dendrogram>にいても、<Infinite Dendrogram>を去っても、何でも自由だ」

 

「<Infinite Dendrogram>へようこそ。“我々”は君の来訪を歓迎する」

 

 ジャバウォックがそう言った瞬間、今までいた空間から投げ飛ばされた。

 

 突然の浮遊感に驚いていると、眼下には大地が広がっており、さっきまで見ていた世界地図と同じ形をしていることに気がついた。

 

 周囲を見渡そうとしたが、空中では身動きが取れなかった。そのまま、俺が選んだアルター王国に向かって、高速で落下していった。

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