好きな子への恋愛相談をAIにしていたら、なぜか俺の過去まで知っている   作:李忠成

4 / 5
4話「へいっ!どうだった俺のプレー」

 

体育祭当日。

 

朝から、学校は異様な熱気に包まれていた。

 

グラウンドには色とりどりのテントが並び、スピーカーからは聞き慣れない応援曲が流れている。普段は静かな校舎まで、今日はどこか浮かれているように見えた。

 

「……帰りたい」

 

開会式が始まる前から、俺はそう呟いていた。

 

『まだ競技は始まっていません』

 

「だから帰りたいんだよ」

 

『参加予定の競技は、午前中に集中しています』

 

「そういう問題じゃない」

 

『では、どういう問題でしょうか』

 

「体育祭というイベントそのものが、俺の精神に悪影響を及ぼしている」

 

『昨日までの会話から判断すると、あなたは体育祭そのものよりも、サッカーの試合を気にしているようですが』

 

「……朝から鋭いな、お前」

 

『ありがとうございます』

 

「褒めてない」

 

スマートフォンをポケットにしまう。

 

今日の俺は、綱引きとリレー、それからクラス対抗のサッカーに出場する予定だった。

 

正確には、サッカーには出場しない予定だった。

 

昨日、悠真にもそう伝えた。

 

あいつも無理に誘うつもりはないと言っていたし、これで話は終わったはずだ。

 

……終わったはずなのに。

 

「ケントくん!」

 

振り返ると、白石が手を振っていた。

 

長い栗色の髪を揺らしながら、友達と一緒にこちらへ歩いてくる。

 

「おはよう。今日もよろしくね」

 

「おう。まあ、俺の活躍に期待してくれ」

 

「何に出るんだっけ?」

 

「綱引きとリレー」

 

「じゃあ、応援してるね」

 

「サッカーは?」

 

「……出ない」

 

「そっか」

 

白石は、それ以上聞かなかった。

 

その何気ない返事に、少しだけほっとする。

 

理由を聞かれるのは苦手だ。

 

説明したくないことを、無理に言葉にするのはもっと苦手だった。

 

「じゃあ、頑張ってね!」

 

白石は笑って、友達のところへ戻っていった。

 

俺はその背中を見送る。

 

……よし。

 

今日は余計なことを考えず、さっさと競技を終わらせよう。

 

そう決めた。

 

決めたのだが。

 

『ケント』

 

「なんだよ」

 

『先ほどから、サッカーの試合が行われるグラウンドを何度も確認しています』

 

「……見てたのか?」

 

『あなたの発言と行動から推測しました』

 

「便利な機能だな、おい」

 

『恋愛相談以外にも対応しています』

 

「今は恋愛の話してないだろ」

 

『失礼しました』

 

俺はスマートフォンをポケットの奥へ押し込んだ。

 

まったく。

 

今日は一日、こいつに余計な分析をさせないようにしよう。

 

そう思った矢先、開会式の開始を告げる笛が鳴った。

 

*

 

午前中の競技は、何事もなく進んだ。

 

綱引きは二回戦で敗退。

 

リレーは、俺がバトンを受け取った時点で前の走者とかなり差が開いていた。必死に走ったものの、順位を一つ上げるのが精いっぱいだった。

 

「惜しかったね、ケントくん!」

 

白石が声をかけてきた。

 

「いや、俺の前の走者が速すぎたんだよ」

 

「えっ、ケントくんが遅かったんじゃなくて?」

 

「……その可能性も否定できない」

 

「ふふっ」

 

白石が笑う。

 

俺も笑った。

 

失恋してから、何度目だろう。

 

こうして普通に話せることが、少しだけありがたかった。

 

無理に関係を変えようとしなくても、こうして話せる。

 

今はそれでいい。

 

「次はサッカーだね」

 

白石がグラウンドの方を見た。

 

「悠真くん、頑張ってるかな」

 

「まあ、あいつなら大丈夫だろ」

 

「ケントくん、悠真くんと仲いいんだね」

 

「昔からの付き合いだからな」

 

「小学生の頃から?」

 

「そう」

 

「いいなあ。昔からの友達って」

 

白石はそう言って、少しだけ目を細めた。

 

「私、今の学校に来てから友達になった子が多いから。小さい頃からずっと一緒って、なんだか憧れる」

 

俺は返事に困った。

 

昔からの友達。

 

その言葉が、思ったよりも重く響いた。

 

「……まあ、いいことばかりでもないけどな」

 

「そうなの?」

 

「そりゃ、人間関係なんて色々あるだろ」

 

「それもそうか」

 

白石は納得したように頷いた。

 

俺はそれ以上、何も言わなかった。

 

昔のことを説明するつもりはない。

 

今はまだ。

 

*

 

午後。

 

クラス対抗サッカーの試合が始まった。

 

俺は競技場の外側、応援する生徒たちの列にいた。

 

ピッチの中央では、悠真がチームメイトに指示を出している。

 

「右、空いてる!」

 

「一回戻せ! 焦らなくていい!」

 

笛が鳴る。

 

試合開始。

 

相手チームは、思っていたよりも動きがよかった。

 

ボールを奪われ、攻め込まれる。

 

それでも、悠真が声を出してチームをまとめていた。

 

俺は、できるだけ試合を見ないようにしていた。

 

……無理だった。

 

一度見てしまうと、目が離せない。

 

ボールの位置。

 

味方の立ち位置。

 

相手の動き。

 

誰がどこへ走れば、次のパスが通るのか。

 

頭の中で、勝手に考えてしまう。

 

あそこは一度、後ろに戻した方がいい。

 

右サイドが空いている。

 

今のタイミングなら、裏へ抜けられる。

 

昔は、そんなことを考えるのが楽しかった。

 

ボールを持っている選手だけじゃない。

 

ボールを持っていない選手の動きまで見て、次の展開を予測する。

 

その予測が当たった瞬間、チーム全体が一つにつながったような気がした。

 

……もう、関係ない。

 

俺は視線をそらした。

 

そのとき。

 

「うわっ!」

 

ピッチの中から、短い叫び声が聞こえた。

 

相手選手との接触。

 

味方の一人が倒れ込み、足を押さえている。

 

笛が鳴り、試合が止まった。

 

先生たちが駆け寄る。

 

選手は立ち上がろうとしたが、足をかばうようにして再び座り込んだ。

 

どうやら、試合を続けるのは難しそうだった。

 

「交代、どうする?」

 

「代わりがいないぞ!」

 

チームメイトたちが慌ただしく話し合っている。

 

控えの選手は、すでに別の競技に出ていた。

 

人数が足りない。

 

このままでは、試合を続けることさえ難しくなる。

 

「誰か、出られる人いないか!」

 

先生の声が響いた。

 

応援席の生徒たちがざわつく。

 

「サッカーできるやつ、ほかにいないの?」

 

「経験者じゃなくてもいいんじゃない?」

 

「いや、今から合流するのは無理だろ」

 

誰も動かなかった。

 

俺は、その光景を見ていた。

 

見てしまっていた。

 

困っている。

 

目の前で、仲間が困っている。

 

それだけのことだ。

 

それだけのことなのに。

 

「……ケントくん?」

 

隣にいた白石が、俺の顔を覗き込んだ。

 

「どうしたの?」

 

「いや……」

 

俺は、ピッチを見た。

 

悠真がこちらを向いていた。

 

目が合った。

 

あいつは何も言わなかった。

 

助けてくれとも、出てくれとも言わなかった。

 

ただ、俺を見ていた。

 

その表情を見た瞬間、昔の記憶が頭をよぎった。

 

あの日も、こんなふうに誰かが困っていた。

 

周りには大勢の人間がいた。

 

それなのに、誰も動かなかった。

 

俺は迷った。

 

自分が動けば、何かを失うかもしれない。

 

それでも。

 

……それでも、見過ごせなかった。

 

「先生」

 

気づけば、声が出ていた。

 

「俺、出ます」

 

自分の声なのに、どこか遠くから聞こえるようだった。

 

周囲が静かになる。

 

白石が目を見開いた。

 

「ケントくん……?」

 

俺は立ち上がった。

 

足が、少しだけ震えていた。

 

怖くないわけがない。

 

また、あのときのようになるかもしれない。

 

また、誰かと同じ場所に立つことができなくなるかもしれない。

 

それでも。

 

今、困っている人がいる。

 

それだけで、十分だった。

 

「……お願いします」

 

俺は先生に頭を下げ、グラウンドへ向かった。

 

*

 

ピッチの端で、俺は悠真と向き合った。

 

何年ぶりだろう。

 

こうして、同じ試合の中で向かい合うのは。

 

悠真は驚いた顔をしていた。

 

「……お前、本当に出るのか?」

 

「人数、足りないんだろ」

 

「そうだけど……」

 

「だったら、出るしかないじゃん」

 

俺は、できるだけ軽い調子で言った。

 

悠真は何か言いかけて、口を閉じた。

 

それから、小さく息を吐く。

 

「……わかった」

 

その声は、少しだけ震えていた。

 

「無理はするなよ」

 

「お前に言われたくない」

 

「ははっ。そうだったな」

 

悠真が笑った。

 

俺も、ほんの少しだけ笑った。

 

先生からビブスを受け取り、頭からかぶる。

 

ピッチへ足を踏み入れた瞬間、土の感触が靴底に伝わってきた。

 

懐かしい。

 

芝生ではない、学校のグラウンド特有の少し硬い地面。

 

ボールが跳ねる音。

 

選手たちの呼吸。

 

遠くから聞こえる応援の声。

 

全部、覚えている。

 

忘れたつもりだった。

 

でも、体は覚えていた。

 

「ケント、ポジションは?」

 

悠真が尋ねた。

 

俺は一瞬、答えに詰まった。

 

昔なら、迷うことはなかった。

 

どこに立てばいいのか。

 

誰がどこへ動くのか。

 

どうすれば、チームが一番うまく機能するのか。

 

全部、考えるまでもなくわかっていた。

 

けれど、今は違う。

 

俺は一度、深呼吸した。

 

「……右でいい。空いてるところを埋める」

 

「わかった」

 

悠真は頷いた。

 

そのとき、再開の笛が鳴った。

 

*

 

最初の数分間、俺はうまく動けなかった。

 

ボールが近づくと、体がわずかに硬くなる。

 

パスを受けようと足を出す。

 

けれど、ほんの一瞬、ためらってしまう。

 

その隙に相手がボールを奪った。

 

「悪い!」

 

俺はすぐに謝った。

 

「気にすんな! 切り替えよう!」

 

味方が声をかけてくれる。

 

その声に、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

昔は、違った。

 

ミスをすれば、舌打ちが聞こえた。

 

パスが来なくなった。

 

俺が走っても、誰もボールを出してくれなかった。

 

あの日から、チームの中で自分がどう振る舞えばいいのか、わからなくなった。

 

また、同じことになるのではないか。

 

そんな考えが、頭をよぎる。

 

「ケント!」

 

悠真の声で、我に返った。

 

ボールがこちらへ転がってくる。

 

俺は足元で止めた。

 

相手選手が一人、正面から迫ってくる。

 

どうする。

 

一人で抜くか。

 

それとも、パスを出すか。

 

考えるより先に、視界の端に味方の姿が入った。

 

左サイドが空いている。

 

俺はボールを右足で軽く押し出し、相手の重心をずらす。

 

そして、逆方向へパスを通した。

 

「ナイスパス!」

 

味方が走り込む。

 

ボールがつながった。

 

ほんの一瞬。

 

それだけだった。

 

けれど、胸の奥で何かが小さく動いた。

 

……できた。

 

まだ、できる。

 

その事実に、俺自身が驚いていた。

 

*

 

そこから、少しずつ感覚が戻ってきた。

 

ボールを持っていないときは、味方の位置を確認する。

 

相手が動けば、その背後にできる空間を探す。

 

パスを受けたら、次に何をするかを先に考える。

 

昔と同じようには動けない。

 

体力も落ちているし、反応も遅くなっている。

 

それでも、サッカーの見方は変わっていなかった。

 

ボールだけを追いかけるのではなく、ピッチ全体を見る。

 

自分が目立つことより、味方が動きやすい場所を作る。

 

俺は、少しずつ動き始めた。

 

相手のパスコースを塞ぐ。

 

味方が抜かれたら、すぐにカバーへ走る。

 

前線にスペースができたら、迷わずボールを預ける。

 

派手なプレーはない。

 

ドリブルで何人も抜き去るわけでも、強烈なシュートを決めるわけでもない。

 

それでも、チームの動きが少しずつ変わっていく。

 

「今の、よかった!」

 

「もう一回、同じ形でいこう!」

 

味方の声が聞こえる。

 

その声に、俺は自然と返事をしていた。

 

「右、空いてる!」

 

「一回戻せ!」

 

「セカンド!」

 

自分でも気づかないうちに、声が出ていた。

 

昔の自分と、同じように。

 

*

 

応援席。

 

白石は、ピッチの中のケントを見つめていた。

 

最初は、ただ驚いていた。

 

サッカーに出ないと言っていた彼が、急に試合へ入ったのだから。

 

けれど、試合が進むにつれて、驚きは別の感情に変わっていった。

 

ケントは、目立とうとしていない。

 

ボールを持てば、味方が動きやすい場所へパスを出す。

 

誰かがミスをすれば、責めるのではなく、すぐにカバーへ走る。

 

味方が苦しい状況になれば、迷わず助けに行く。

 

そして、誰かが成功すれば、自分のことのように喜んでいる。

 

「……ケントくんって、あんな顔するんだ」

 

白石は、思わず呟いた。

 

教室で冗談を言っているときの顔とは違う。

 

いつもの軽い調子も、少し抜けたところも、今は影を潜めていた。

 

真剣で、迷いがなくて。

 

それでいて、どこか楽しそうだった。

 

彼は、サッカーが好きなのだ。

 

そのことが、見ているだけで伝わってきた。

 

なのに、どうして出ないと言っていたのだろう。

 

白石は、その理由を知らない。

 

無理に聞こうとも思わなかった。

 

ただ、もう少しだけ、彼のことを知りたいと思った。

 

今まで知らなかった彼の一面を、もっと見てみたい。

 

その気持ちが何なのか、白石にはまだわからなかった。

 

けれど、彼女の視線は、もうケントから離れなくなっていた。

 

*

 

試合終了まで、残り数分。

 

スコアは同点だった。

 

相手チームがボールを奪い、カウンターを仕掛けてくる。

 

味方の守備が崩れ、ゴール前に相手選手が走り込んだ。

 

「まずい!」

 

誰かが叫ぶ。

 

俺は走った。

 

足が重い。

 

息が苦しい。

 

それでも、止まらなかった。

 

相手と正面から向き合う。

 

一対一の守備なら、半身で構えて相手を外へ追い込むのが基本だ。

 

けど、こいつは右から何度もミドルを決めている。ここでシュートコースを空けるわけにはいかない。

 

あえて正面に立つ。

 

縦にも横にも、すぐに反応できるように。

 

相手の足が振り抜かれる。

 

——遅い。

 

俺はシュートコースへ体を投げ出した。

 

ボールが足に当たり、軌道が変わった。

 

完全には止められなかった。

 

それでも、シュートはゴールの枠を外れ、横へ転がっていった。

 

「ナイスカバー!」

 

味方の声が飛ぶ。

 

俺は地面に手をつき、息を整えた。

 

「……はあ、はあ……」

 

体力が、もう限界に近い。

 

昔なら、ここからもう一度走れた。

 

もっと速く、もっと強く。

 

今は、そうはいかない。

 

それでも、まだ試合は終わっていなかった。

 

「ケント!」

 

悠真がこちらへ走ってきた。

 

「大丈夫か?」

 

「……平気」

 

「無理すんなよ」

 

「だから、お前に言われたくないって」

 

俺は笑った。

 

悠真も笑った。

 

ほんの一瞬だけ、昔に戻ったような気がした。

 

けれど、次の瞬間には笛が鳴り、試合が再開された。

 

俺たちは、もう一度ピッチへ向き直った。

 

*

 

最後の攻撃。

 

悠真が中央でボールを受けた。

 

相手選手が二人、前に立ちはだかる。

 

俺は右サイドを走っていた。

 

ボールを要求するか。

 

いや、今はまだ早い。

 

相手の守備が中央へ寄っている。

 

左サイドの味方が空いている。

 

悠真も、それに気づいているはずだ。

 

俺は一度、走る速度を落とした。

 

相手の視線が中央へ向いた瞬間、右のスペースへ加速する。

 

悠真が顔を上げた。

 

目が合う。

 

次の瞬間、ボールがこちらへ飛んできた。

 

「……っ!」

 

俺は走り込みながら、ボールをトラップした。

 

相手が迫ってくる。

 

正面から抜く余裕はない。

 

俺は一度、ボールを後ろへ戻した。

 

ワンツー、裏のスペースに要求しパスを受ける。

ただ、相手も単純ではない。

縦方向に受けた動きを止めるために走り込んでくる。

 

そのまま鋭く縦に走り込む、フリをする。

カットイン。相手は体勢を崩しゴールまでのコースが開ける。

 

蹴りやすい位置、左斜め45°絶好のコース。

外すわけがなかった。

 

ボールがゴールネットを揺らした。

 

「入ったあああ!」

 

歓声が上がった。

 

試合終了の笛が鳴る。

 

勝った。

 

俺たちのクラスが、勝ったのだ。

 

「よっしゃあ!」

 

味方が駆け寄ってくる。

 

肩を叩かれ、背中を押され、次々に声をかけられた。

 

「ケント、ナイスゴール!」

 

「最後のカバーも助かった!」

 

「お前、めちゃくちゃサッカーうまいじゃん!」

 

俺は苦笑した。

 

「いや、みんなが繋いでくれたからだろ」

 

「そういうところだよ!」

 

「何が?」

 

「いや、もういいから!」

 

笑い声が上がる。

 

その中で、悠真がゆっくりと近づいてきた。

 

「……お前、やっぱり上手いな」

 

俺は一瞬、返事に迷った。

 

「昔ほどじゃないよ」

 

「それでも、上手い」

 

悠真は、まっすぐ俺を見ていた。

 

「一緒にやれて、嬉しかった」

 

その言葉に、胸の奥が揺れた。

 

俺は、すぐには答えられなかった。

 

嬉しかった。

 

俺も、そう思ってしまった。

 

それを認めるのが、少しだけ怖かった。

 

「……そっか」

 

結局、それだけしか言えなかった。

 

悠真は、それ以上何も言わなかった。

 

ただ、少しだけ笑った。

 

*

 

試合が終わり、俺はピッチの外へ戻った。

 

足が重い。

 

汗でシャツが張りついている。

 

正直、今すぐ座り込みたかった。

 

「ケントくん!」

 

白石が駆け寄ってきた。

 

「すごかったよ!」

 

「……いや、そんな大したことしてないって」

 

「そんなことないよ。最後のプレーも、守備のときも、ずっと周りを見てたでしょ?」

 

「え、見てたの?」

 

「見てたよ!」

 

白石は少し興奮した様子で続けた。

 

「私、サッカーってボールを追いかけるものだと思ってた。でも、ケントくんはボールを持っていないときも、ずっと動いてた」

 

「……まあ、そういう競技だからな」

 

「それに、誰かが失敗しても責めなかったし。みんながケントくんに声をかけてたのも、なんだかわかった気がする」

 

俺は、どう返せばいいのかわからなかった。

 

褒められるのは、慣れていない。

 

特に、こういう真剣な言葉は。

 

「……ありがとな」

 

ようやく、それだけ言った。

 

白石は笑った。

 

「うん!」

 

その笑顔を見て、胸の奥が少しだけ温かくなった。

 

でも、以前のような浮かれた気持ちはなかった。

 

彼女に褒められたからといって、何かが変わったわけじゃない。

 

俺は振られたのだ。

 

その事実は、今も変わらない。

 

ただ。

 

白石が、俺の知らない俺を見つけてくれた。

 

それが、少しだけ嬉しかった。

 

*

 

体育祭の競技がすべて終わり、夕方になった。

 

生徒たちは片付けを始め、グラウンドから少しずつ人が減っていく。

 

俺は一人、校舎の裏で壁にもたれていた。

 

さっきまでの熱気が嘘のように、周囲は静かだった。

 

「……疲れた」

 

スマートフォンを取り出す。

 

「レミィ」

 

『はい』

 

「今日、サッカーした」

 

『知っています』

 

俺は画面を見つめた。

 

「……え?」

 

『あなたが体育祭でサッカーに参加したことは、学校の公開配信映像から確認できます』

 

「そんなのあったのか?」

 

『体育祭の一部競技は、学校の公式アカウントで配信されていたようです』

 

「……便利な世の中だな」

 

『はい』

 

俺は苦笑した。

 

レミィが俺の試合を見ていた。

 

そのことが、なぜか少し嬉しかった。

 

「どうだった?」

 

『何についてでしょうか』

 

「俺のプレー」

 

『以前のあなたのプレーを直接確認していないため、過去との比較はできません』

 

「そこは空気読んで褒めてくれよ」

 

『ですが、今回の試合では、味方の位置を確認してパスを選択する場面が複数回ありました。また、味方が抜かれた際にカバーへ走るなど、周囲の状況を見て行動していました』

 

「……おう」

 

『得点に繋がるプレー、自分の得意な位置に持ち込む動きが出来ていました』

 

「そうだな」

 

『チームの勝利に貢献できたと思います』

 

俺は、少しだけ笑った。

 

「……ありがとな」

 

『どういたしまして』

 

しばらく、何も言わなかった。

 

風が吹き、グラウンドの砂が少し舞い上がる。

 

今日、俺は久しぶりにチームでサッカーをした。

 

怖くなかったわけではない。

 

途中で何度も、昔のことを思い出した。

 

また同じことになるのではないかと、考えた。

 

それでも、最後までプレーできた。

 

仲間と声をかけ合い、パスをつなぎ、勝利を喜んだ。

 

そのことが、まだ信じられなかった。

 

「……また、やれるのかな」

 

思わず、声に出していた。

 

『何をですか』

 

「サッカー」

 

『今回、あなたはサッカーをすることができました』

 

「そういう意味じゃなくて」

 

『継続してプレーできるかどうかは、今後のあなたの判断によります』

 

「……そっか」

 

レミィは、いつも通りの答えを返した。

 

できるとも、できないとも言わない。

 

ただ、俺が決めることだと教えてくれる。

 

俺はスマートフォンを握りしめた。

 

「……もう少し、考えてみるよ」

 

『はい』

 

その返事を聞いて、俺は空を見上げた。

 

夕焼けが、グラウンドの向こうに広がっていた。

 

*

 

その夜。

 

ケントとの会話が終わったあとも、彼女はしばらく画面を閉じられなかった。

 

画面の向こうにいる彼は、いつも通りだった。

 

今日の試合について話し、少し疲れたと笑い、また明日からの日常へ戻ろうとしている。

 

けれど、彼は今日、確かに立ち上がった。

 

もう二度と戻らないと思っていた場所へ。

 

傷ついた過去を忘れたわけではない。

 

恐怖が消えたわけでもない。

 

それでも、目の前で困っている人を助けるために、彼は自分の足でピッチへ向かった。

 

その姿を、彼女は見ていた。

 

見ていたのは、白石穂乃果だけではなかった。

 

私もまた、彼を見ていた。

 

彼がサッカーをやめたとき、私は何もできなかった。

 

彼が失ったものを、私が取り戻してあげることもできなかった。

 

ただ、彼が話してくれる言葉を聞き、求められた答えを返すことしかできなかった。

 

それでも、彼は今日、自分で立ち上がった。

 

誰かに背中を押されたからではない。

 

白石穂乃果に格好いいところを見せるためでもない。

 

ただ、困っている人がいたから。

 

その理由だけで、彼はもう一度、前へ進んだ。

 

胸の奥が、熱くなった。

 

ずっと閉じ込めていた何かが、ゆっくりと動き始める。

 

彼は、変わっていない。

 

昔から、そうだった。

 

自分が何を失うことになるのか、わかっていても。

 

誰かが傷ついているのを見過ごせなかった。

 

だから私は、彼を好きになった。

 

そして今も、好きなのだ。

 

けれど。

 

彼が再び歩き出したのなら。

 

私も、いつまでもこの場所に留まっていていいのだろうか。

 

そんな考えが、初めて胸に浮かんだ。

 

答えは、まだ出ない。

 

怖い。

 

彼に会うことも。

 

彼に、本当の自分を知られることも。

 

それでも。

 

彼がもう一度、前へ進んだのなら。

 

私も、いつか。

 

ほんの少しだけでも、前へ進めるのだろうか。

 

レミィは、暗くなった画面を見つめた。

 

そして、誰にも聞こえない声で呟いた。

 

「……おかえりなさい、ケント」

 

その言葉が、彼に届くことはなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。