好きな子への恋愛相談をAIにしていたら、なぜか俺の過去まで知っている 作:李忠成
体育祭の翌朝。
俺は、筋肉痛で目を覚ました。
「…………痛ぇ」
ベッドから起き上がろうとした瞬間、太ももが悲鳴を上げた。
昨日は久しぶりに本気で走った。
それも、試合の途中から。
普段の運動不足を考えれば、当然の結果と言えるだろう。
「いや、待てよ……」
俺は天井を見つめた。
昨日の俺は、確かにサッカーをした。
パスを出して、相手をかわして、最後にはゴールまで決めた。
チームメイトと勝利を喜んだ。
悠真と、同じピッチに立った。
「……夢じゃないよな?」
『夢ではありません』
「うおっ」
枕元のスマートフォンから声がした。
『昨日の体育祭で、あなたはクラス対抗サッカーに出場しています』
「いや、それはわかってる。確認しただけだ」
『では、何を確認したのでしょうか』
「現実との整合性」
『現実逃避の可能性があります』
「朝から容赦ねえな、お前!」
俺はスマートフォンを手に取った。
画面には、いつも通りのチャット画面が表示されている。
レミィ。
俺が困ったとき、だいたい何とかしてくれる便利なAIだ。
昨日の試合についても、こいつには話した。
ただ、ひとつだけ気になることがある。
「なあ、レミィ」
『はい』
「俺、昨日のサッカー……どうだったと思う?」
『昨日も回答しましたが、チームの勝利に貢献していました』
「いや、そうじゃなくてさ」
俺は言葉を探した。
「……俺、まだサッカーできると思う?」
少しだけ、間が空いた。
『昨日の試合では、十分にプレーできていました』
「そっか」
『ただし、今後も継続してプレーできるかどうかは、昨日の一試合だけでは判断できません』
「……だよな」
レミィは、いつも通りだった。
都合のいいことだけを言ってくれるわけじゃない。
だからこそ、俺はこいつを頼りにしている。
『ケント』
「ん?」
『あなたは、サッカーを再開したいのですか?』
「…………」
すぐには答えられなかった。
やりたいか、やりたくないか。
そんなこと、昨日まで考えもしなかった。
サッカーは、もう昔のことだった。
少なくとも、そういうことにしていた。
「……わかんねえ」
俺はスマートフォンを伏せた。
「まだ、わかんねえよ」
『そうですか』
それ以上、レミィは何も聞かなかった。
そのことが、少しだけありがたかった。
*
登校すると、教室は昨日の体育祭の話題で持ちきりだった。
「昨日のリレー、最後めっちゃ惜しかったよな!」
「いや、綱引きで負けたのが一番悔しいわ」
「サッカーの最後、見た? 宮永が決めたやつ!」
……最後の話題だけ、妙に耳に入ってきた。
「おい、ケント!」
振り返ると、クラスメイトの男子が二人、こちらへやってきた。
「お前、本当にうまかったのかよ!」
「昨日まで全然信じてなかったんだけど!」
「いや、まあ……昔ちょっとな」
「ちょっとってレベルじゃなかっただろ。最後のフェイント、どうやったんだ?」
「え? あれは……」
俺は、昨日のプレーを思い返した。
相手の重心が中央に寄った瞬間に、縦へ抜けるように見せる。
相手がその動きに反応したところで、内側へ切り返す。
言葉にすれば簡単だ。
でも、実際には相手の動きを見ながら、ほんの一瞬で判断していた。
「……なんとなく?」
「なんとなくであれできるの、腹立つな!」
「もっとちゃんと説明しろよ!」
「いや、俺だって説明できるほど整理してねえんだって!」
そんなやり取りをしていると、教室の入り口から声がした。
「ケントくん!」
白石だった。
「おはよう」
「おう、おはよう」
「昨日、すごかったね!」
「……その話、今日だけで何回聞くんだろうな」
「えっ、もうそんなに言われてるの?」
「さっきからサッカーの話しかされてない」
「ふふっ。人気者だね」
「やめろ。昨日の俺にそんなつもりはなかった」
白石は楽しそうに笑った。
それから、少しだけ真面目な顔になる。
「ねえ、ケントくんって、昔からサッカーやってたの?」
「……まあ、小学生の頃はな」
「そっか」
白石は一度頷いた。
「昨日、すごく楽しそうに見えたから」
「……そうか?」
「うん。試合の最初はちょっと緊張してるように見えたけど、途中から全然違った」
俺は返事に困った。
そんなところまで見られていたとは思わなかった。
「……よく見てるな」
「だって、気になったんだもん」
「…………」
「……あっ」
白石が、少しだけ目を見開いた。
「いや、そういう意味じゃなくて! 昨日、急に出場したから、何があったのかなって!」
「お、おう」
「なんか変なこと言っちゃったね。ごめん!」
「いや、別に……」
互いに少しだけ気まずくなる。
昨日までなら、俺はここで勝手に期待していたかもしれない。
『気になったんだもん』。
その一言を何度も頭の中で再生して、脈があるかどうかをレミィに分析させていたに違いない。
でも、今は違った。
白石は俺を振った。
それでも、こうして話しかけてくれる。
だったら、今の関係を大切にすればいい。
それ以上のことは、まだわからない。
「……まあ、昔の話だよ」
俺がそう答えると、白石は小さく頷いた。
「そっか。また話、聞かせてね」
「気が向いたらな」
「ふふっ。約束ね!」
そう言って、白石は友達のところへ戻っていった。
俺は、その背中を見送った。
……危ない。
今のは、ちょっと危なかった。
いや、何が危ないのかは知らないけど。
とにかく、期待しすぎるな。
俺は自分にそう言い聞かせた。
/
昼休み。
俺は、購買で買ったパンを片手に、校舎の裏へ向かっていた。
教室にいると、どうしても昨日の試合の話になる。
別に嫌ではない。
ただ、あまり騒がれると落ち着かない。
自販機の前まで来たところで、聞き覚えのある声がした。
「……お前、これからどうするんだ?」
足が止まる。
悠真だった。
誰かと話しているわけではない。
どうやら、俺を待っていたらしい。
「何が?」
「サッカー」
いきなり本題か。
俺はパンの袋を開けた。
「別に。昨日は人数が足りなかったから出ただけだよ」
「それはわかってる」
悠真は、少しだけ視線を落とした。
「でも、お前……昨日、楽しそうだったから」
「……そう見えた?」
「ああ」
短い返事だった。
俺はパンを一口かじった。
「昔から、そうだっただろ」
悠真が続ける。
「お前、試合中はずっと周りを見てた。誰が空いてるとか、次にどこへ出せばいいとか。俺はボールを追うので精いっぱいだったのに、お前はその先まで見えてるみたいだった」
「……買いかぶりすぎだろ」
「そうか?」
「ああ。昨日だって、何回かミスしたし」
「それでも、最後は決めた」
「たまたまだよ」
「たまたまで、あんなプレーはできないだろ」
俺は、何も言えなかった。
悠真は昔から、こういうところがある。
普段は適当なくせに、変なところで人のことをよく見ている。
……いや。
本当は、昔から俺のことをよく知っていたのかもしれない。
だからこそ。
「……なあ、悠真」
「ん?」
「俺がサッカーをやめた理由、覚えてるか?」
悠真の表情が変わった。
ほんの一瞬だった。
けれど、俺にはわかった。
「……覚えてるよ」
「そっか」
俺はパンの袋を丸めた。
「じゃあ、いい」
「ケント」
悠真が、俺を呼び止めた。
「俺さ……」
何かを言おうとしている。
でも、言葉が続かない。
俺は待った。
急かすつもりはなかった。
しばらくして、悠真は小さく息を吐いた。
「……いや。なんでもない」
「そうか」
俺は、それ以上聞かなかった。
今ここで何かを話したところで、昔のことが簡単に変わるわけじゃない。
それに、俺だってまだ整理できていない。
「じゃあな、悠真」
「……ああ」
その場を離れようとしたとき、悠真がもう一度口を開いた。
「昨日、一緒にサッカーできて嬉しかった」
俺は足を止めた。
振り返る。
悠真は、まっすぐ俺を見ていた。
「……俺もだ」
それだけ答えて、歩き出した。
胸の奥に、言葉にできないものが残っていた。
嬉しいのか。
悔しいのか。
それとも、まだ何かを許せていないのか。
自分でも、よくわからなかった。
/
放課後。
俺は帰宅すると、制服のままベッドに倒れ込んだ。
「……疲れた」
『昨日の筋肉痛に加え、精神的な負荷も大きかったようですね』
「お前、俺のこと監視してんの?」
『あなたの発言から推測しています』
「その万能理論、いつか訴えられるぞ」
『改善の参考にします』
「改善する気ある?」
『あります』
「ほんとかよ……」
俺は枕に顔を埋めた。
昨日の試合。
今朝の白石。
昼休みの悠真。
たった一日で、いろんなことが起きすぎている。
「なあ、レミィ」
『はい』
「昨日の俺、なんでサッカーできたんだろうな」
『あなたが、サッカーをすることを選んだからです』
「いや、そうなんだけどさ」
俺は寝返りを打った。
「……もっと、こう。なんか理由があるだろ」
『では、質問を変えます。あなたは、なぜサッカーをやめたのですか?』
「…………」
言葉が止まった。
その質問には、答えたくなかった。
レミィは、俺の沈黙を急かさなかった。
『答えたくないのであれば、今は答えなくても構いません』
「……お前、そういうところは優しいよな」
『私は、あなたの話を聞くためのサービスですから』
「サービス、ねえ」
俺は天井を見上げた。
「……昔、ちょっと色々あったんだよ」
それだけ言った。
レミィは、すぐには返事をしなかった。
『そうですか』
「……それだけ?」
『あなたが話したくないことを、無理に聞き出す必要はありません』
「……そっか」
少しだけ、肩の力が抜けた。
こいつは、いつも正しい答えを出す。
でも、こういうときは、正しい答えよりも、何も聞かれないことの方がありがたい。
「……ありがとな」
『どういたしまして』
俺は目を閉じた。
しばらくして、ふと思い出したように口を開く。
「そういや、レミィってサッカー詳しいの?」
『基本的なルールや戦術についての情報は保有しています』
「昨日の試合、俺のプレーを分析できる?」
『映像があれば可能です』
「じゃあ、学校の配信映像から、俺のプレーを全部分析してくれよ」
『承知しました』
「弱点とか、改善点とか。あと、今の俺がどれくらい動けるのかも知りたい」
『分析には、映像の画質や撮影角度による制約があります。正確な走行距離や身体能力の測定は難しい可能性があります』
「それでもいい。できる範囲で頼む」
『わかりました』
俺はスマートフォンを見つめた。
昨日の自分が、どんなプレーをしていたのか。
自分では、よくわからない。
感覚は覚えている。
でも、感覚だけでは、今の自分を正しく判断できない。
なら、分析してみればいい。
何ができて、何ができないのか。
何が昔のままで、何が変わってしまったのか。
「……ちょっと、知りたいんだよな」
『何をですか?』
「今の俺が、どこまでやれるのか」
口に出してみると、不思議と気持ちが整理された。
サッカーを再開するかどうか。
それは、まだ決められない。
でも、昨日の一試合だけで終わらせるのは、少しもったいない気がした。
『ケント』
「ん?」
『分析結果が出たら、改善できる点を整理して伝えます』
「おう。頼むわ」
『ただし』
「……ただし?」
『分析結果だけで、あなたの可能性を決めつけないでください』
俺は、少しだけ目を見開いた。
「……なんだよ。急にまともなこと言って」
『私は、事実に基づいた支援を行います』
「はいはい」
俺は笑った。
「じゃあ、事実に基づいて、俺を世界一のサッカー選手にしてくれ」
『目標設定としては、現実的な計画が必要です』
「そこは夢を見させろよ!」
『夢を見ることと、実現可能性を評価することは別です』
「正論パンチやめろ!」
久しぶりに、声を出して笑った気がした。
*
その夜。
彼女は、ケントから依頼された映像の分析を進めていた。
公開されている映像を確認し、プレーを区切り、状況を整理する。
ボールを受ける前の視線。
パスを出した後の移動。
守備に切り替わった瞬間の反応。
ケントのプレーには、特徴があった。
彼は、ボールを持っている時間よりも、持っていない時間に多くのことを考えている。
味方が動く前にスペースを見つける。
相手の重心が変わる瞬間を捉える。
自分が目立つことよりも、次のプレーがうまくいく可能性を優先する。
そして、必要な場面では、自分が勝負を決めにいく。
それは、昨日だけの偶然ではなかった。
彼が長い時間をかけて身につけたものだった。
彼女は、映像を一時停止した。
画面の中のケントは、ゴールを決めたあと、仲間たちに囲まれて笑っていた。
その表情を、彼女は知っている。
昔から、何も変わっていない。
誰かが困っていれば、迷いながらも手を伸ばす。
自分が傷つくかもしれないとわかっていても、見過ごせない。
そして、自分が何を失ったのかを、他人のせいにはしない。
だからこそ、彼女は彼を好きになった。
けれど。
画面の中の彼を見ているだけでは、何も変えられない。
彼が前に進んでも、自分はこの部屋から出られない。
彼が笑っていても、その隣に立つことはできない。
彼が恋愛相談をしてくるたびに、彼の幸せを願っている。
それは嘘ではない。
白石穂乃果と結ばれてほしいと、心から思っている。
……本当に?
彼女は、自分の考えに戸惑った。
もし、ケントが白石と付き合ったら。
もし、彼がもう自分に相談してこなくなったら。
もし、いつか彼が誰かと幸せになって、この画面を開かなくなったら。
そのとき、自分は何をしているのだろう。
彼の幸せを願うことと、彼の隣にいたいと思うこと。
その二つは、両立しないのだろうか。
答えは出なかった。
彼女は、分析結果をまとめた画面を開いた。
ケントが求めているのは、今の自分の実力と、これから改善できる点。
ならば、それを伝えればいい。
自分の感情は関係ない。
そう考えることなら、今まで何度もできた。
けれど、今日だけは。
画面の中のケントに、少しだけ違う言葉を送りたくなった。
『あなたは、まだサッカーを続けられると思います』
入力欄に、そこまで打ち込む。
彼女は、指を止めた。
それは分析結果ではない。
彼の可能性を、客観的に証明できる言葉でもない。
ただ、自分がそう願っているだけだ。
彼女は、文章を消した。
代わりに、いつも通りの言葉を入力する。
『映像の分析が完了しました。明日、改善点と今後の練習方針をお伝えします』
送信。
それでいい。
今は、まだ。
彼女は画面を閉じようとした。
そのとき、ふと、ケントの言葉が頭をよぎった。
——今の俺が、どこまでやれるのか。
彼は、自分の可能性を知ろうとしている。
なら、自分も。
自分がどこまでやれるのか、確かめてもいいのではないだろうか。
彼に会うこと。
本当の自分を知られること。
それは、まだ怖い。
けれど、何もしないまま、いつか彼が遠くへ行ってしまうことも怖かった。
彼女は、暗い部屋で小さく息を吐いた。
「……私も、変わらなきゃ」
その声は、誰にも届かなかった。
けれど、彼女は初めて、その言葉を打ち消さなかった。