近代版異世界テンプレ物語 なんの夢もなくて人生絶望してたけど、可愛い女神と結婚出来たから、精一杯頑張ります! 作:暇つぶし放浪記
「出来るの?さっきの話だと絶対に無理って言い方だったけど。」
「昔ながらのやり方が今の時代には通じないといっただけだ。」
視線を隣へと移し、瞠目している紫紺の瞳に問う。
「バアラト、どういうやり方をしていた?」
「……人々に力と知恵――契約者の力と魔法を授け、恩恵を与えることで信仰を得たり、国家における王の正当性を担保する代わりに王による後押しを受けることで信仰を広めていました。」
「だが、前者は科学技術の進歩と普及によって、後者は国家が国民によって定義されることになったことで無効化された。」
これまでの会話の内容を短く総括する。
その上で、更に「だが」を重ねた。
「疑問に思わないか?」
「何がです?」
「国家は国民によって定義づけられる。じゃあ、国民ってなんだ?」
はっと息を呑む声が一つ。
ガス灯の明かりが次第に強くなり、夜の暗がりが部屋の隅へと追いやられる。
バアラトがごくりと固唾を呑む一方で、メリルは問いかけの意味が理解できないのか、怪訝に首を傾げた。
「そんなの国に住んでる人の事じゃないの?」
「いえ、それだけだと、先程の定義が
「そういうことだ。国家が国民の集まりで、国民は国家にいる人という定義だと、国家という言葉の意味も、国民という言葉の意味も、全く定義できていないことになる。数式でいえば、XとYの中身を一切、明らかにしないまま話しているようなものだ。」
それでは解を導くことは出来ない。
この問題を解決するにはどちらかに厳密な定義を与えるほかない。
周囲からいきなり否定されたように感じたのか、メリルは拗ねたよう唇を尖らせながら、ぶっきらぼうに言う。
「じゃあ、何なの?」
「イメージとして心の中に描かれた想像の政治共同体っていうのが一つの定義だが、もっと言うなら〝我々〟ってことだ。」
ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』の一文をなぞらえ、更に単純化する。
「〝我々〟って言うと何となく仲間って感じがするだろ?それもどっちが上とか、下とかない対等な。」
「まぁ、そうだけど。」
「でも皆でもない。俺達三人を我々っていう時、ここには含まれない誰かの事を何となく感じるみたいに。」
もし全員を統一的に表現するなら、我々ではなく、皆或いは全員で十分だ。
そうではなく、特定の人々を指すからこそ、我々なのだ。
「国民っていうのはそれを最大限まで広げたものだ。お互いに何となく仲間だって思っていて、その上でそこには含まれない誰かが存在する。」
この限定された水平的意思を共有する集団こそ、国民であるということだ。
「じゃあ、どうして人々は誰も知らない誰かの事を仲間だって思うのか?同じ国に住む国民だって思うのか?それは価値観や体験、教育それらを共有し、互いにそのことを知っているからだ。」
「それが解決策と関係あるの?」
「あるさ。この共有している部分を俺たちが塗り替えれば、国民という定義を都合のいいように書き換えることが出来るってことなんだからな。」
その一言にメリルは雷撃を受けたように呆然とする。
彼女の頭の中ではこれまでの論点が一本の線で結ばれているのだろう。
国家は国民によって定義される。
即ち、国民を定義することは国家を定義すること。
数式において、Xの中身が変われば、Yの中身も変わるように。
「方法はあるんですか?」
「考えてある。」
満を持して用意していたものを懐から取り出す。
「これって新聞?」
「そうだ。ダナン語の新聞だ。古本屋に安く売ってたから買ってきた。」
机の上に古い新聞を広げた後、今度は真新しい新聞を置く。
こちらはアルマ語で書かれた新刊だ。
「知ってると思うが、この国では伝統的な言語であるダナン語ではなく、アルマ語が公用語として使われている。出版社もそれに倣って新聞や本をアルマ語でしか出版していない。」
アルマ語の新聞を一度、大きく前に突き出し、向かい側にいるバアラトたちに見えやすくする。
「だが、それが出来るようになったのはアルマ語を使える高所得者層にターゲットを絞り、一部当たりの単価を高く出来ているからだ。この国の人のアルマ語の識字率は低い。」
「対して」と言葉を紡ぎながら、今度はダナン語の新聞を前に出す。
「ダナン語の新聞は今は一部も出版されていないが、民間的にはよく使われる言語だ。もう学校に通っていないメリルにも読める。」
「それがどうしたの?」
「大きな市場が放置されて眠っているっていう事だ。」
識字率の高さはダナン語の潜在的な市場規模に言い換えられる。
自分の馴染みのある言語の新聞を買うのが普通だからだ。
「俺たちはそれを掘り返す。出版社を立ち上げ、ダナン語の新聞を出すんだ。」
ドンっとダナン語の新聞の上に手を突き、勢いよく椅子から立ち上がる。
そして、身振り手振りを加えて、言葉を紡いだ。
「国民とは、肌の色やどこで生まれたかじゃない。国民自身の中にある共通幻想のことだ。新聞や本を通して、同じような生活をしていると知り、同じ枠組みの中で生きていることを知る。そうして作り上げられたものだ。」
俺は日本に住んでいたが、東京に行ったことがない。
修学旅行で行く予定だったが、インフルになって行けなかった。
だが、それでも俺は東京の人が日本人だということは知っている。
それは俺がSNSやテレビなどのメディアを通じて、彼らの暮らしを知ることが出来たからだ。
田舎と都会という違いはあれど、同じように学校に通い、同じ日本の制度の下で生きていると知っているから、俺は彼らを日本人だと思うことが出来る。
もし、彼らがアメリカの制度で生まれ育ったのだとすれば、何となく帰国子女な感じがするし、どこか別の世界の人みたいに考えるだろう。
たとえ、同じ日本に生まれ、同じ肌の色をしていたとしても。
「だからこそ、それを新しく作ることも出来る。俺たちはダナン語の新聞を通してバアラトの思想や考え、価値観をこの国全体へと広め、国民の定義を書き換える。」
手つかずにされているダナン人の市場を一気にかっさらい、彼らに新しい共通幻想を植え付けるのだ。
「そして、革命を起こす。」
激震が走る。
絶句した声が二つ響いた後、ガタンと物々しい音が続く。
驚きの余り、メリルが椅子ごと後ろへと倒れてしまったのだ。
「大丈夫ですか」とバアラトが駆け寄ると、「う、うん」とくぐもった肯定が返された。
バアラトはほっと胸を撫で下ろし、膝をついたままこちらへと体を向ける
鋭さと優しさを兼ね備えた美しい目だ。
降り注ぐガス灯の光を弾き、爛々と輝く瞳には力強い光が揺蕩っていた。
「そこまでする必要があるんですか?」
「国民っていうのは主権的な概念なんだよ。だからこそ、国家を定義することが出来る。」
敢えて、政治共同体であると断言したのはそういう事だ。
刺すような視線を受け止めた後、ゆっくり顔を横に逸らし、小さく鼻を鳴らす。
そして、もう一度バアラトの方へと向き直る。
「裏を返せば、この国には本当の意味での国民なんてまだ存在していない。」
この国の行政はダナン人の為に行われていない。
官僚や役人は兎も角、重要なポストはアルマダという侵略者によって選出された人員で占められていて、行政の内容もアルマダという国の意向を汲んだものになっている。
立法権や司法権はあれど、これでは到底、国家の最終決定権――主権を手にしているは言えない。
「それにそれだけだと計画が完成しない。」
革命も、思想を広めるのも、所詮は過程であって、最終目的ではない。
「この計画は思想を広め、バアラトという存在を人々の思想の核にし、国家をその依り代にすることで完成する。」
「私をこの国の象徴にすると?」
「そうだ。それも国王や天皇のような生きた人間としての象徴じゃない。」
それは結局のところ、上の人間だ。
身分や生活の違いを悟れば、俺達とは違う人間だと幻滅を覚えてしまう。
〝我々〟とは水平的な意思で結ばれた存在なんだ。
垂直的な格差があっては本質的にそこに溶け込むことが出来ない。
「新しいダナン人としての心の象徴としてだ。」
両手を胸に当て、指先で心臓を抱えるようにする。
だが、心の中に住んでしまえば、最早離れることさえ出来ない。
「新聞を通してお前の価値観を広め、流行と称して通過儀礼を伝播させる。それは革命というイベントを通じて強固になり、やがて新しいダナン人としての象徴へと変化する。そして、人々は心の中に内省化された価値観とこの国の大地や海、国旗、大義、理念と結びつかせる。」
それこそ心の中に国家を作るということ。
アメリカは自由の国だ。
だが、アメリカの大地も、海も、決して自由という概念と直接的に結びついているわけではない。
自由という理念を心の中に宿した人々が私たちの国だと思い、目の前の風景と心の中にある価値観とを結びつけることで初めてそれが可能になる。
「そうすれば、国民が誇りをもって国旗に対して敬礼する時、それは国とその裏にあるバアラトという心の中の規律に礼をしているのと変わらなくなる。」
国を想うということ、それ即ちバアラトを想うということ。
着ていたシャツの胸元をきつく握りしめ、そうして出来上がった拳を前に掲げる。
これこそ国家と国民の両方に根付き、決して切り離せなくなったものだ。
「これこそ俺の提案する新しい時代の新しい信仰の形だ。作るのは少し骨が折れるが、作った後は特に何もしなくても信仰を手に入れられるし、手入れは最低限、国が滅びないようにすればいいだけだ。」
握りしめていた拳をパッと開き、微笑みかける。
しかし、バアラトの表情はいつになく強張っている。
こめかみからたらりと流れる汗が白い頬を伝う。
その雫がぽつりと床に落ちた時、彼女は意を決した様子で口を開く。
「それをこの国の人々が望まなかったとしてもですか?」
「だとしたら計画そのものが成立しない。」
飄々と肩を竦める。
それは要らない心配だった。
どれだけ俺たちが言葉を尽くそうとも、それを判断するのはこの国の人々だ。
それ故に革命でどんな目に会おうと、どれだけの人死にが出ようとそれは彼らの自己責任でもある。
自由と権利には常に責任が付き纏う。
これから主権を手にしようとする存在がその程度の責任すら引き受けられないのなら、最初から高望みだったというだけの話だ。
「まぁ、この国には火種が沢山あるからな。その可能性は低いと思うけど。」
顔を少し動かし、会話の成り行きを窺っているメリルの方を窺う。
例えば、メリルが餓死しかけた件。
子供が親の手から離れ、死にかけるというのは普通に想定できることだが、それがそのままになっているのは社会として明らかな歪である。
個人が保護するのは難しくても、社会が手を差し伸べ、保護するというのが普通だろう。
この国より遥かに原始的な村社会だって、そういった相互扶助を当たり前にやってきたのに。
他にも、この家に来る前にあった浅黒い肌の外国人もそうだ。
ダナン人を見下し、気に入らないことがあれば無法な事をしてもまかり通ると思っている。
これも歪な事だ。
こういった火種がこの国には多く眠っている。
俺たちはそれをおかしいと声高に叫ぶだけでいい。
そうすれば、それに同調した人々が勝手に後をついてくる。
「それに批判的な意見があったとしても、この国の人はそれを表に出せないだろ。だって、声の出し方を忘れてるんだから。」
この国の人たちは声の出し方を忘れた鳥だ。
国民の大多数に届くダナン語のメディアを失い、本質的に団結する手段を奪われている。
それは政府に対する批判が出来ないように、俺たちが発信する様々な意見に対しても批判が出来ないということだ。
必然的に俺たちに賛同する声の方が大きくなる。
そして、それらが人から人へと伝播することで、俺たち以外の意見を割り込ませないまま、バアラトの思想や価値観を人々に刷り込める。
新聞を選んだのはそれ込みの理由だ。
「とはいえ、最終的にこの計画を実行するかどうか決めるのは俺じゃない。お前だ。気に入らないなら別の案を考えるがどうする?」
「私は……」
決断を迫ると、彼女は口ごもった。
ずっと上を向き続けていた首が初めて項垂れる。
「ねぇ、やめとこうよ。」
制止したのはメリルだった。
「私はあんまり難しい事は分かんないけど、その計画って危険な事なんでしょ?そんなのやってたら私たちだってどうなるか分からないんだよ?」
バアラトの両肩に手を掛け、大きく揺さぶる。
訴えかける声は諭すような言い方とは裏腹に不安げに震えている。
当然の反応だ。
革命なんて聞かされて、やろうと頷く方がどうかしている。
口から緊張感を吐き出し、夜の冷気を吸い込む。
少し熱くなり過ぎたみたいだ。
気まずくなって、後ろ髪を掻く。
「俺はそれでもいいぞ。別の方法を探せばいいだけだし。」
信仰の確立を目指すならこの手段が最適解だが、バアラトが望まないのなら、俺も無理にそれを進める気はない。
体重を片方の足に預け、リラックスする。
脳裏にはメリルの不安をバアラトは蔑ろにはしないだろうという予測があった。
「いえ、やりましょう。」
だから、その言葉には驚かされた。
黙考し、深く瞑られていた瞳が開かれる。
揺るぎのない紫紺の光。
その威容に気圧され、俺はひゅっと喉を鳴らす。
「それがどれだけ危険であっても、どれだけ残酷な方法でも、立ち止まっているよりはずっといいはずです。」
決然と言い切る。
彼女は突き放されたような表情をするメリルを包み込むように抱擁した後、立ち上がり、こちらへと歩を進める。
そして、すっと手を差し出した。
「手伝ってくださいますか?」
否はなかった。
「当たり前だろ?」と笑い、その手を取った。
それじゃあ、可愛いお嫁さんの為に本気を出すとするか。
この前の社会契約説とかもそうですが、今回も結構、理論を単純化して扱ってます。あんまり真に受けすぎないでください。