近代版異世界テンプレ物語 なんの夢もなくて人生絶望してたけど、可愛い女神と結婚出来たから、精一杯頑張ります! 作:暇つぶし放浪記
「なんか、あっという間だったね。」
帰り道、メリルは歩きながら石ころを蹴る。
革靴に押し出された石がころころと転がって、少し先で止まる。
それを見つめる琥珀色の目は虚ろだった。
「まぁ、試験段階で、そこまで多く刷ってなかったってのもあるけどな。」
にしてもだろう。
石ころの影はまだ西を向いている。
明朝から今まで二時間ほどで、まだ昼にもなっていない。
想像以上の売れ行きだった。
そう言わざるを得ない。
「君って本当に凄かったんだね。ちょっと見直した。」
顔を上げたメリルが少しぶっきらぼうに褒めてくる。
この前、送り迎えをした時もそうだが、どんなに警戒している相手でも、お礼を言うべき場面なら、しっかりとありがとうを言って、褒めるべき場面なら相手を褒めるというのは彼女の美徳だろう。
その善良さを感じるだけに謂れのない称賛を受けているようで、俺は気まずそうに頬を掻く。
「いや、正直、俺の想定ともかなり違ってた。」
今回の成功は想像以上であり、想定外でもあった。
それは嬉しい誤算ではあったが、同時に力不足を感じさせることでもある。
悄然と肩を落とすと、窺うようにバアラトが訊いてくる。
「どういうことです?」
「新聞を買った最初の二人、覚えてるだろ?」
「はい。」
「そのうちの後者は俺が想定してない反応を見せた。」
しかも、それは一人ではない。
年齢の高い購入者は決まって懐かしそうにし、昔のお気に入りの作品を見つけたような顔をしていた。
そして、そういう人ほどダナン語の新聞を購入するのに抵抗がなく、積極的に新聞を買いに来てくれた。
若い層はそれを見て、購入を決めてくれたように思う。
つまり、後者の方が今回の成功に対して、大きな比重を担っているように思える。
「俺は新聞を売るにあたって、人々の上昇志向に付け込もうと考えていた。」
覇気に欠けた声で自らの想定を語る。
「人は実用性や必要性だけで商品を買ってるわけじゃない。むしろ、商品が高価なほど、その商品の持つ社会的価値に金を払っている場合が多い。」
高級ブランドのバッグなどその象徴だろう。
その商品の実用性や必要性よりも、社会一般的に高く評価されている会社の商品であるということが、その商品への需要を根本的なところで支えている。
そうじゃない場合、同じ素材で作ったバッグの十倍も、二十倍も実用性に優れていることになる。
需要は求める人の数で決まるという反論も、じゃあ、何でそんなに求められているのかという根本的疑問に対して答えを出せないのだから、本質的に無意味である。
「それはしばしば、自らのいる地位や階級以上の相手への模倣として発露する。資産家が貴族の真似事をしたり、一般人がブランド物を買いあさって、金持ちのフリをするみたいにな。そうすることで自らを飾り立て、欲や見栄を満たし、更にはその階級へとのし上がるための足掛かりとしようとする。」
この模倣の心理は広く大衆にも広まっている。
例えば、喫茶は元々、宮廷内での高級官僚や貴族などの間で流行っていたものだった。
だが、輸入量の増加などで値が下がると、瞬く間に大衆化した。
それどころか貧しい労働者でさえ、水で薄めたり、出がらしを使用したりすることで、茶を飲んでいたと言われている。
煙草だってそうだ。
上流階級の嗜好品であったものが大衆化し、更には彼らの間で流行っていた上品な煙草の吸い方などまで広まった。
俺はこれを意図的に再現するつもりだった。
「メリル、イメージで良いから答えてくれ。新聞を読むということに対してどう思う?」
「なんか頭が良くて、お金持ってる人のやることって感じ。」
「どうしてそういうイメージが付いたんだと思う?」
「そりゃあ、私たちはアルマ語が分からないし、新聞が高いからじゃない?」
おずおずとした答えに俺は大きく首を縦に振る。
まさにその通りだった。
「つまり、アルマ語を読める人はお金持ちで、インテリだって思われてるわけだ。」
裏返しの論理に「成程、そういう事ですか」と納得の声が上がる。
やはり、頭の回転が速いな、バアラトは。
「どうぞ」と左手を向けて、彼女の結論を促す。
「そのイメージが出来たのは公用語がアルマ語に変わったことが原因ですね?」
無言で拍手する。
文句なしの百点の答えだった。
「ねぇ、どういうこと?」
「この国の公用語はアルマダの侵略によってダナン語からアルマ語へと変えられています。しかし、アルマ語はこの国では一般的ではなく、読み書きできる人も、話せる人も限られています。その結果、限られた人たちの元にそういった公的書類の取り扱いの仕事が集まり、高所得化していったんだと思います。」
つまり、お金持ちであるから、アルマ語が読めるのではなく、アルマ語が読めるからお金持ちになったのだ。
「そういう事だ。この国における中流階級の条件はアルマダの作ったシステムに適応できることにある。その大前提はアルマ語を読むことだ。」
「……だから、新聞が読めることを凄いって思うんだ!」
悩まし気だった愛らしい顔が喜びに染まる。
だが、次の瞬間には何かに気付いて、足を止める。
「でも、だったらどうして真似されてないの?さっきの話だと新聞を読もうとする人が出てきてもおかしくないよね?」
「単純にアルマ語を学ぶ機会が与えられてないからだろうな。語学を学ぶのは時間が掛かるし、独学しようにも今はアルマ語でしか本が出版されていない。参入障壁を超えるのはほぼ不可能だ。」
これは日本語の翻訳抜きで英語を理解しろと言っているようなもので、それがいかに困難かは何となく分かるだろう。
「そうして新聞を読むことは中流階級以上の身分を示す代表的なステータスになったというわけですね。」
だから、出版社は本や新聞を高所得者向けにブランディングすることが出来た。
ごく限られた人間だけが特別に読めるものなのだと暗示することで、彼らの潜在的な優越感と承認欲求を満たしたのである。
「そして、俺はその権威をダナン語の新聞によって切り崩そうと思ってたわけだ。」
新聞を読むことは中流階級以上にとってのステータス。
人々はそれに憧れながらも、手を出せないでいた。
だが、ダナン語の新聞が出れば、それは一変する。
「新聞を読むこと自体がステータスになっているのだから、手ごろな価格で、それを購入できるようになれば、人々は自らを飾り立てる目的で新聞を購入するようになる。そして、列車はそれを見せびらかす最高の舞台になる。」
人々は疑似的ではあるが、新聞を読むこと自体の権威性で自らを飾り立て、他とは違うという優越感を味わうことが出来る。
その味を知ってしまえば、その人物はもう簡単には元の生活に戻ることは出来ない。
貧乏な労働者が紅茶を飲むことを辞められなくなったように。
「加えて、その人たちはダナン語の新聞の最大の広告にもなるわけですね。列車は複数の領域に跨って移動し、人が乗り降りします。一部の人だけではない、沢山の人にダナン語の新聞のことを伝えることが出来る。」
そして、その権威性の模倣を企んだ人間は同じようにダナン語の新聞を求め、流行が生まれる。
そうなれば、上昇志向や自己顕示欲が少ない人間も、流行に乗り遅れないように新聞を買い求めるようになる。
結果として、新聞を読む行為はその権威性を失うだろう。
煙草や紅茶が今はもうその権威を持っていないように。
代わりにその行為は大衆化され、皆が当たり前に行う行為となる。
「じゃあ、あのサクラの二人がやたら身綺麗な格好だったのも、階級が上の人は新聞を読んでるって意識させるためってこと?」
「そうなる。」
二人の恰好はいずれも繕った跡がなく、体のサイズに合ったものだった。
近代とはいえ、富の格差が激しい時代では貧しい労働者は古着を購入したり、破れたところに別の布地を充てることが多かった。
なので、服自体が上等であっても、体のサイズに合っていなかったりすることがある。
俺が今着てる服も、メリルの父親のもので、実は少しサイズが小さい。
些細な事ではあるが、その差こそが階級意識を示し、彼らをより上の階級だと思わせる。
「といっても、それだけで完売できるなんて思ってなかった。どっちかって言えば、数人を釣って、新聞を読むことで生まれる効果を疑似体験してもらい、定期的に買ってくれる顧客兼広告塔を作ろうと思ってた。」
この計画を実行するにあたって最も難航すると思ったのは最初の数人を作り出すことだった。
人間は階級意識を常に抱えながら生きているわけではない。
傾向として現れたり、ふとした瞬間に顔を出したりするが、普段は眠ったままだ。
それだけに自分たちも読める新聞が出たからと言って、必ずしも飛びついてくれるとは限らない。
加えて、誰も買っていないのに自分だけ買うのが恥ずかしいという心理が働く可能性もあった。
だから、サクラを使って、身分の高い人も買ってますよとアピールする事で階級意識を刺激するとともに不安の軽減効果を狙ったというわけだ。
「だけど、読み違えた。」
肩を竦めるように両手を上にあげ、力を抜いて一気に落とす。
「俺が思ってるよりずっとこの国の人たちはダナン語の新聞に慣れ親しんでた。」
用意したサクラの一人は「懐かしい」と言っていた。
それこそ俺の見落としていたものだった。
「この国がアルマダに侵略され、ダナン語による新聞が出版されなくなって、十八年の月日が経った。だから、俺はこの国の人たちにとって、ダナン語の新聞はもう馴染みの無いものになっていると思ってた。」
或いはそうあってほしかったのかもしれない。
計画の第一段階として、俺の齎したものがこの国を大きく変えるのだと、恰も偉大なる第一歩を踏み出したかのように、壮大なる歴史をもって己を飾り立て、内に眠る自己顕示欲を満たそうとしていたのかも。
だが、それは傲慢であり、自惚れであった。
「でも、彼らは二十年近い月日の中でも古い友人の事を忘れてなかったんだ。」
それが彼らがダナン語の新聞を見た時、懐かしそうにしていた理由であり、またダナン語の新聞を購入するということを躊躇わなかった理由だ。
誰が書いていようとそれは自分たちの知る新聞であり、全く知らない何かではない。
その安心感が彼らの中に根付いていたからこそ、彼らは新聞を手に取ることを恐れなかった。
「俺は自分の力だけで計画を成し遂げようとしたけど、結局はこの国が積み上げてきた歴史の恩恵を授かったに過ぎなかったてわけだ。それがなかったら、多分、今も必死になって新聞を売り込んでる。」
自嘲気に笑い、ポンポンと空になった鞄を叩く。
なんとも言えない表情をする二人から目を逸らすように、分厚い雲に覆われた空を見上げる。
「あぁ、悔しいな。」
じくりと胸に痛みが滲む。
拳をぎゅっと握って、涙を堪える。
こんな苦しさは生まれて初めてだった。
人生で初めて本気で挑み、それに敗れた。
膝を折って打ちひしがれる心ともっとうまくやる筈だったと上を睨み続ける気持ちが鬩ぎあい、激しい摩擦を生み出している。
(でも、喜ぶことでもある。)
びゅっと強い風が吹く。
街路樹がバサバサと枝葉を揺らし、騒ぎ立てる。
攫われた木の葉が遠くの空へと吸い込まれていった。
(多分、この計画は成功する。)
己の矮小さと力不足を知ったがゆえに確信する。
俺の想像をはるかに超えて、運命に等しい力がこの計画を後押ししている。
それがこの国の人々の意志なのか、或いは俺とバアラトが成し遂げるべき運命なのかは分からない。
だが、もうすぐ嵐が来るだろう。
遠くの空から竜の目覚めのような雷鳴が聞こえたような気がした。