十種影法術。この名前を誰もが聞いたとき思いつくのは禪院家の本来の一子相伝の術式だと言うこと。
だが、実は現代に伝わる十種影法術は、江戸時代前より改良された術式だと言うことを知っているモノは代々の禪院家のみである。
十種影法術と言えば、知るものは嫌でも思い浮かべる、八握剣異戒神将魔虚羅。
これはそもそも、絶対に調伏不可能の式神。
つまり十種影法術とは一子相伝の術式、十種の式神の調伏と言いながら、この最強の式神が調伏不可能の矛盾を持っている。
何故か? 答えは簡単。
十種影法術は江戸時代前より前に禪院家の術式に刻まれた訳だが、その時はまだ十種影法術は魔虚羅という存在を内包していなかった。
禪院家にとって、最大の政治的な敵は同じ御三家の五条。
時折誕生する怪物には全体的に見劣りすると当時の当主達は悩んでいた。
だから数世代に渡って十種影法術という術式を改良した。
どんな相手も薙ぎ払う絶対的強者、必ず勝てる式神。調伏不可能でもいい。この際縛りで前提が調伏不可能として組み込むことで全体的な出力の向上と、死ぬことで二度と使えない縛りの代わりに力を余所に継承させる抜け道も用意した。
魔虚羅の原型、平安時代に跋扈していたところ気紛れに呪いの王によって祓われた残穢を集めて他の式神で補強した、大化生『八岐大蛇』。
これが、本来の十種影法術の最後の切り札。
あらゆる事象に段階的に適応していく神話の呪霊。
嘗て対峙した生前の最強、呪いの王は言った。
「ほぉ? 万事の事象の適応か。受けた傷、呪力、環境、全てに法陣が回転することで適応する。悪くない性質だが、如何せん呪霊では宝の持ち腐れだな。これでは意味が無い。変化が鈍く、正の呪力をぶつければ消し飛ぶのは呪霊の弱み。生意気な鱗を剥いでやる。精々来世は式神にでもなってから出直してこい、アオダイショウ」
神話の呪霊に呪いの王は楽しそうに不敵に笑って斬り伏せて制圧してみせた。
その決戦後の巨大で大量の残穢を先祖の禪院家の裏方が集めて、呪いの王が皮肉に言った式神の術式に組み込んだ。
これが、始まりの十種影法術。
禪院の真なる一子相伝成り。
時を超えて、変化する価値観。
全ては五条の無下限を超えるために。
六眼を超えるために。
江戸時代より数世代前に、現在の十種影法術に変化して漸く定着した。これで勝てる。五条に打ち勝つ。
だが平安時代の神話の呪霊を改良した化身は、最早制御も出来ない地雷だった。
調伏できない、それでいい。居るだけで価値がある。
言わば使わぬ抑止力。
魔虚羅という存在をチラつかせる事で、六眼を、無下限を、牽制して黙らせればそれだけで。
その都合は御前試合で台無しになる。
見ているからその切り札魔虚羅を使えと命じられた。
上からの命令は絶対的。当主は静かに死を覚悟した。
元々政敵、相手は五条の無下限。死なば諸共。
「――布瑠部由良由良」
ファイティングポーズのように構えて、ギョッとする五条の当主に死に際ニヤリと笑って、禪院家当主は巻き添えで死亡したと記録には残っている。
そう、今の一子相伝と言われた十種影法術は、改造された改良版。
調伏できない足手纏いの縛りの魔虚羅を持つことで、式神も死ねば使えない縛りも含めて基礎性能を底上げされた性能を持った術式。
尚、以前この情報を知った次期当主、禪院直哉は速攻で現当主の現代最強の呪術師、五条悟に確認に行った。
「あぁ、十種影法術の秘密? うん、知ってる知ってる。うちじゃずっと禪院のみっともない負け犬の遠吠えって言ってるからね」
当然五条の家もこの江戸時代の御前試合前より変化した十種影法術の詳細は知っている。
今の問題は、二つある。
現代の一子相伝の十種影法術は、禪院家では通称『真打ち』と呼ばれる、由緒ある安全装置付きの術式。
これは現在、五条の庇護の中で一名の生徒が持っている真打ち。
だが時は戦前、禪院から逃げ出した女が嫁いだ家の呪術師にも、十種影法術が現れてしまったことだった。
此方は改良前の魔虚羅の原型、八岐大蛇が式神に居る旧式と呼ばれる十種影法術。
名の通り旧い術式、略して旧式。
真打ちを持つ呪術師の名は、伏黒恵。
旧式を持つ呪術師の名は、白神瀬名。
二人の十種影法術が、現代にいる訳だ。
伏黒恵は幼少期から五条のちょっかいで、回収されているために禪院家に関わりは薄い。認知はされている。
けれど白神瀬名は子供時代から禪院家に近い奈良の呪術師だった為に、関わりがあった。
幸い、京都高専の楽巌寺が当時から禪院家に最低限の接触にするように言っていたので面倒を見ていたのと、特級呪術師九十九という心強い師匠が居た。
それでも、旧式の十種影法術は真打ちの伏黒恵に劣るのか。
度々、禪院家では議論になった。
伏黒恵は五条が守るから手出しできない。
投射呪法よりも伝統のある十種影法術。
優先するなら優秀な方だ。術式なら確実に上。
禪院家に招くべきか。直哉筆頭に大人は拒否した。
だったら、旧式の十種影法術の瀬名はどうか。
これも九十九が五条と結託していたが、本人が呼ばれた公式の場で当時当主の直毘人の前で、構えて言った。
「……布瑠部由良由良」
これは、旧式の八岐大蛇の調伏の儀の構え。
この時、瀬名は小学生高学年。
セミショートの黒髪によく居る日本人の顔付きの少女は、直毘人に向かって告げる。
「下らない。禪院家にくるつもりは無いですよ、禪院家のおじいさん。私は白神瀬名。確かにもう呪術師ですが、とうに大概の式神は調伏を終えています。九十九先生、東堂先輩、私には師になる呪術師が沢山居る。栄えある御三家の後継者に、こんな出来損ないが良いわけないでしょう。直哉さんにも失礼です」
「待った。君、自分のこと出来損ない言うんか?」
その場に居た直哉も口を挟む。
己の十種影法術を、出来損ないというか。
「当然です。事情を聞く限り、本来淘汰され消えいった術式の前の姿。言うなれば、真打ちには勝てない出来損ないの十種影法術。こんなのが、当主? 冗談では無い。器を鑑みて下さいよ。投射呪法のほうが、余程洗練されています」
「……言うやん。真打ち、完成形の魔虚羅を知るから前身たる己はどう足掻いても出来損ないっちゅー訳か。嫌味、と言いたいがうちが欲しいのは事実、恵君の真打ち。君からすれば、この親父の対応も妥協やもんな。腹立つわ。俺の方が良いって言うんも謙遜って事にしとこか」
「お気遣いすみません、直哉さん」
直哉からするに子供ながら、よく礼儀作法を学んでいる。
無礼を謝罪する態度、禪院家の有象無象に煎じて飲ませたいくらいだった。
「ええよ。君、どの式神調伏したん?」
瀬名に問う直哉は、聞いて唖然とする。
全て、調伏済みだと。
旧式の八岐大蛇は調伏の条件が違う。
八岐大蛇は、魔虚羅と違って直接戦う必要が無い。
他の式神を全て調伏したときに、自動的にその過程を適応する形で内側で学習し、己に相応しいか八岐大蛇が見極める。
倒せない最強の式神魔虚羅と違って、自我……明確な意思を持っている。
認めない場合は、調伏の儀に絶対に応じない。
術士として早熟、未熟だと判断されているので、この時点では八岐大蛇は瀬名を主とは認めない。
過程は合格。だが、若い術士に力量は不足している。
もっと成熟してから。八岐大蛇は瀬名にそう告げた。
旧式の式神は、真打ちの式神とは一部異なる。
玉犬、鵺、満象、脱兎、貫牛、円鹿、虎葬。
此処までは一緒だ。真打ちは改良してより勝手の良い八岐大蛇の抜け殻の大蛇、能力が分岐して退化した蝦蟇、そして魔虚羅。
これらを含めて十種の式神。
旧式は本来の式神として風と切断を使う鎌鼬、炎と羽音で爆撃する
この十種の式神が旧式。
個々の出力は真打ちに劣って質が落ちるし小学生高学年で全てを調伏できる程弱いのか?
そう思った禪院家の連中を軽蔑の目で直哉は見た。
「ここのアホらはほっといてええで。驚いたわ、君一人で調伏したんか?」
「調伏の儀のルールは変わりませんけど、武装して良いので呪具使えますからね。白神の家は平安から続く武器商人。本来、白神の一子相伝は構築術式。条件付きですけどね」
瀬名は禪院家の十種影法術を会得しているが直系の家系は構築術式。
平安時代より宿儺からも重宝された貴重な武器商人。
つまり白神は呪いの王の側近の一人、個人で忠誠を誓う裏梅と同じく、一族単位の使用人だったのである。
宿儺の呪具、神武解と飛天を何時か来る復活の時まで保管しろ。
白神の禁域の蔵に仕舞えば経年劣化もしないだろう。
構築術式での模倣も特別に許す。
白神の術士のみ、使用も良い。
平安時代、最強だった宿儺が興味本位で呪具に興味を持った際、神武解と飛天の開発に携わった労いに、後世の使用を恒久的に縛りで許されている。代わりに本物は絶対に無くさず保管しておくこと。
その使用人故、神武解と飛天の模造品を瀬名は使う。
雷撃の呪力を帯びた三鈷杵のような呪具。
大きな三つの穂先を持つ槍の呪具。
飛天と神武解、合わせて疾風迅雷。
時には神罰とさえ呼ばれる武装。
見た目が少し変化したのは、模造品だから。
本物は触れてはいけないので王の帰還の時に返納する。
「流石は歴史の長い武器商人。例の神武解で手早く焼いたか。で、火之夜藝といい村正と良い、君んち貯蔵幾つあんねん?」
「お買い上げなら父にお願いします」
てっきり買い物と勘違いした瀬名が言うと、ぼやく直哉。
「呪具はなぁ……懐刀程度でええねん。天逆鉾、売ってるか聞きたいんや。昔に甚爾君、万里と一緒に勝手に持ってってぶっ壊してもうたから、在庫無いねんな」
「あー……それ、その方が以前予備に特注で購入してますね。ってか労働の報酬で受け取ってます。模造品だったらありますよ? 多少品質は落ちますけど」
「あるんかい!?」
「模造品から模造品を作れば良い。うちの構築術式は特殊ですから」
白神は元々、蔵という禁域を共通で術式内部に持っている。
これらは白神の術士全員が共通して内包する言わば結界。先祖代々、ずっと続ける内部の世界。
此処に常時、模造品を日々複製しては貯蔵する。
内部で無限コピーしているだけで、アウトプットすれば低燃費ですぐに出せる。
構築術式は極めて悪燃費だが白神のそれは最初だけ。
構築術式とは物理的なプリンターのようなもの。
平安時代、注文を受けて宿儺が理想とする呪具を出力して作ったのが神武解と飛天。
その上で白神一族が何人か死んだらしいがそれが寧ろ忠誠心と宿儺は見て献上を許したそうだ。
当時の万なる呪術師が宿儺の神経を逆撫でして惨殺されたが、白神一族の仕事を妬んでいたらしい。
彼等はその心得を持って許す。
これからの時代の呪具も収集しておけ。復活したときに気が向いたら使う。
そういう縛りの元、生きてきた。
そこに戦前禪院家から嫁入りして、今に十種影法術を旧式で会得しているのが瀬名。
家柄は先祖から武器商人。
本人は出来損ないの十種影法術。
それが彼女の家庭環境だった。
そんな彼女の手数は呪具と十種影法術の手数。
神武解の援護と、式神の連携。
基本これで大体呪霊なら祓える。
そもそも神武解だけで十分だった。
必中の雷撃を受けて踏ん張れる呪霊もそうはいない。
それが、以前あった禪院家との関わり。
京都で暮らしていたが、数年後。
京都の高専に居たら呪いの王、宿儺の復活を聞いた。
東京の方で大騒ぎらしい。
当然、転入して上京する瀬名。
これは代々の縛りだから。
「行ってきます」
長いこと世話になった兄弟子に見送られて出発する。
これは、呪いの王の側近の先祖を持つ、もう一人の十種影法術の呪術師の物語。
宿儺側の呪術師のくせに味方という難儀な一族が送る、呪い合う世界の開幕であった。