離れ離れになる前に、少しでもたくさん一緒に過ごしたい。そう言って聞かないリュシアンに引っ付かれて過ごしているうちに、八月はあっという間に終わってしまった。振り返ってみれば、ほとんど毎日のようにリュシアンと一緒にいた気がする。
リュシアンだけではない。ほかの家族たちも、何かにつけてアスターと一緒に過ごしたがった。そのため、彼女はあちらへこちらへと引っ張りだこだった。時間が過ぎるのを早く感じたのは、そのせいもあるのだろう。
祖母と母とは、庭の花々の手入れをしたり、女子会と称してティーパーティーを開いたり、裁縫をしたりと、さまざまなことをして過ごした。祖母と母の嫁姑関係はとても良好で、二人と一緒に過ごす時間はいつも穏やかだった。
祖母は娘が欲しかったそうなのだが、実子は息子だけだったため、嫁いできた母のことが可愛くて仕方がないらしい。祖母も祖父と同じく実年齢よりもずっと若々しいため、二人が並んでいると、まるで姉妹のように見えることもあった。
父とアレクシスは仕事が立て込んでいたらしく、あまり一緒に過ごす時間は取れなかった。それでも、時間を見つけてはアスターの様子を見に来てくれた。
祖父はというと、しれっと女子会に混ざっていたくらいで、適度に一緒に過ごしていた。祖母や母に交じってお茶を飲み、話に耳を傾けている姿は、すっかり馴染んでいた。
そんなこんなで八月は過ぎ去り、ついに九月一日を迎えた。
いよいよ、ホグワーツに入学する日である。
朝、アスターはいつも通り六時に目を覚ました。
ホグワーツ特急に乗るためには、マグルの世界にある駅を利用しなければならない。最初から制服を着ていくわけにはいかないため、今日は私服で出かけることになっていた。
白いフリル襟のバルーンスリーブブラウスに、ブルーのレースアップフレアスカートを合わせる。靴は履き替えずに済むよう、黒のメリージェーンパンプスを選んだ。
荷物は前日までにすべて整えてある。あとはオーウェンに鳥籠に入ってもらえば準備は完璧だ。
身支度を済ませ、オーウェンの様子を確かめてから、アスターは家族とともに朝食を取った。
朝食を終えると、アスターは祖父母と兄二人に別れの挨拶をした。
両親はアスターを見送るため、キングズ・クロス駅まで一緒に来てくれることになっていた。リュシアンの見送りは祖父母が担当するらしい。
そんなリュシアンは、ここまで来てもまだ「本当にホグワーツに行くのか」と不満を漏らしていた。
「リュシアン兄様、もう何度も話したでしょう?」
「だって、まだ時間はあるだろう?」
「ないわよ。もうすぐ出発するんだから」
「……もう少し家にいればいいのに」
「それでは学校に間に合わなくなってしまうわ」
アスターが困ったように笑うと、リュシアンは不服そうに口を尖らせた。どうやら、最後まで納得するつもりはないらしい。
もう一人の兄のアレクシスは仕事に行かなければならないことを嘆いている。仕事さえなければ見送りについてくるつもりだったそうだ。
アスターはもう一度祖父母と兄たちに挨拶をしてから、両親と屋敷しもべ妖精のブリュイと共に屋敷を出た。まずはポートキーを使って叔父の家へ向かう。ブリュイには荷物を運ぶのを手伝ってもらうことになっていた。
叔父の家に到着したのは九時ごろだった。ホグワーツ特急の出発は十一時で、セドリックとは十時ごろに待ち合わせをしている。時間には十分余裕があった。
叔父は最近、違法ブリーダーから保護したヒッポグリフの世話に手を焼いているらしい。到着してすぐに顔を合わせたものの、軽く挨拶を交わすだけにとどまった。
その後、ブリュイの姿くらましでキングズ・クロス駅周辺の人通りが少ない路地へ移動した。そこから駅の構内へ入り、プラットホームの「九」と「十」の間を目指す。
祖父から聞いた話では、ホグワーツ特急が停車する九と四分の三番線へ行くには、九番線と十番線の間にある壁を通り抜けなければならないらしい。
壁を通り抜ける。
初めて聞いたとき、アスターはいったい何を言っているのだろうかと、思わず固まってしまった。けれど、よく考えてみれば、魔法とはそういうものなのだろう。きっと、どうにかなる。そう自分に言い聞かせながら歩いているうちに、ついに目的の壁へとたどり着いてしまった。
アスターは父と並んで壁に向かって歩き出す。目の前に壁が迫ってくると、思わず目を閉じてしまった。それでも父に肩を押されているため、足を止めることはなかった。
「目を開けてごらん」
父の声に促され、恐る恐る目を開いた。
すると、先ほどまでとはまったく違う景色が広がっていた。
乗客でごった返すプラットホームに、紅色の蒸気機関車が停車している。ホームには、確かに『ホグワーツ行特急十一時発』と書かれていた。どうやら、無事に通り抜けられたらしい。
すぐ後に母も壁を通り抜け、こちら側へやってきた。心配性な母なのだが、変なところで肝が据わっている節がある。今日もそれが発揮されていたようで、壁を通り抜けることもすんなり受け入れていたし、今もけろりとしている。
さて、セドリックを探さなければ。手紙には、彼の両親も見送りに来ると書かれていた。
アスターの両親はセドリックたちに会ったことがないため、アスターが自分で探すしかない。
人であふれ返るホームをきょろきょろと見渡す。しかし、あいにく身長の低いアスターでは行き交う人々に視界を遮られてしまい、なかなか目的の人物を見つけられそうにない。
どうしたものかと悩んでいると、背後からぽん、と肩に軽く手を置かれた。
驚いて振り返ると、そこに立っていたのはセドリックだった。その後ろには、ご両親の姿もある。
ほっと息をついたアスターを見て、セドリックは自分が驚かせてしまったことに気づいたらしい。慌てた様子で謝った。
「ごめん、驚かせたよね。声をかければよかった……」
「いいわよ。それに、この混雑では声をかけられても気づけなかったかもしれないもの。そんなことより、久しぶりね、セドリック。元気にしていた?」
「久しぶり。もちろん元気にしていたよ。アスターは?」
「私も元気だったわ。私、別に体が弱いわけではないのよ?」
アスターは少しだけ念を押すように言った。
体が弱いわけではないということは、これまでにも何度も伝えている。けれど、セドリックはアスターの言葉を、小さな子どもが強がっている程度にしか受け取っていないようだ。何度説明したところで、あまり意味はなさそうだった。
それはさておき、アスターはセドリックのご両親にも挨拶をした。
それから自分の両親を振り返り、彼らのことを簡単に紹介する。叔父の家に滞在していたころ、ときどき一緒に遊んでいた少年のことは両親にも話していたため、説明はすぐに済んだ。
出発までの時間はあまり残されていない。アスターとセドリックは、早々に両親たちへ別れを告げることになった。
「アストリッド、体調には気をつけるのよ?何かあったら、すぐに手紙を書くこと。もちろん、何もなかったとしても手紙を送ってちょうだいね?」
「はい、お母様。お母様もお返事をくださいね?」
「もちろんよ。学校生活を楽しんで。クリスマスには帰ってくるんですよ?」
「わかりました。お約束します」
口には出さないものの、心配でたまらないといった様子の母に、アスターはきつく抱きしめられた。アスターも母を抱きしめ返す。
しばらくして、母は名残惜しそうにアスターを解放した。と思えば、今度は父が腕を広げて待っている。
「言いたいことはほとんどエディットが言ってくれていたからね。私からはやめておくよ。アストリッド、楽しんでおいで」
「はい、お父様」
父は最後に、アスターの頭を優しく撫でた。
その頃になって、今まで姿を隠していたブリュイがようやく姿を現した。アスターは彼女から荷物を受け取る。ブリュイは今にも泣き出してしまいそうな顔で、アスターを見つめていた。
「ブリュイ、ありがとう。ほら、そんな顔をしないで」
「お嬢様……どうか、お元気でいてくださいませでございます。ブリュイは、いつでもお嬢様のお帰りをお待ちしておりますです」
アスターは両親たちに小さく手を振ってから、セドリックと共に列車へ向かった。
セドリックはすでに荷物を車内へ運び込み、コンパートメントを確保してくれているらしい。
アスターのトランクには、父が許可を取ったうえで検知不可能拡大呪文がかけられているため、見た目に反して持ち運ぶのは簡単だった。それでも、女の子が荷物を持っているのに男が手ぶらというわけにはいかないと言って、セドリックが代わりに持ってくれた。
セドリックはオーウェンの鳥籠も持とうとしてくれたのだが、オーウェンが嫌がったため、そちらはアスターが持つことになった。
セドリックが確保してくれていたのは、最後尾に近い車両のコンパートメントだった。最後尾の方が人が少なく、比較的落ち着いて過ごせるだろうと考えたのだそうだ。人混みがあまり得意ではないアスターにとっては、その気遣いはありがたかった。
コンパートメントに入ると、セドリックがトランクを棚に載せた。アスターは鳥籠を座席に置き、それから窓際へ寄った。
プラットホームでは、両親たちが何やら話をしていた。どうやら、すっかり意気投合したようだ。セドリックも隣にやってきて、二人でその様子を眺める。
やがて、四人はこちらに気づいたようで、揃って笑顔で手を振ってくる。
アスターとセドリックも手を振り返していると、汽笛が鳴り響いた。いよいよ出発だ。
汽車がゆっくりと動き出し、ホームを離れていく。アスターは車両がカーブを曲がり、両親たちの姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。
家々が窓の外を飛ぶように過ぎていく。今頃になって、アスターはようやく寂しさを感じ始めていた。
セドリックと向かい合わせに座ると、アスターは鳥籠の中にいるオーウェンへ手を差し伸べた。オーウェンはじっとアスターを見つめた後、差し出された手を嘴で軽く突いた。
「その子がオーウェンだね?」
「そうよ。オーウェン、ご挨拶は?」
オーウェンは言葉を理解しているかのように首を動かし、セドリックの方を見た。しばらくの間じっと彼を眺めていたかと思うと、突然ギャーと鳴き、嘴をカチカチと鳴らし始める。
「オーウェン? どうして威嚇するの?」
アスターは目を丸くした。オーウェンが威嚇するところを見るのは初めてだった。
叔父と過ごすうちにすっかり生き物好きになっていたアスターにとって、相棒の新しい一面を見られたこと自体は嬉しい。けれど、まさか威嚇の相手がセドリックだとは。喜んでいる場合ではない。
オーウェンはしばらく嘴を鳴らしていたが、やがて威嚇をやめると、セドリックの姿が視界に入らないよう、反対側へ首を動かしてしまった。
「ごめんなさい、セドリック。この子、人見知りなのかもしれないわ……」
「いや、いいんだよ。気にしないで。仲良くしてくれたら嬉しいけど……無理強いはよくないよね」
セドリックは困ったように笑って答えた。
アスターが機嫌を損ねてしまった様子のオーウェンを宥めていると、突然コンパートメントの戸が勢いよく開いた。
「やあ、セドリック!」
間髪入れず、二重に重なった陽気な声が響く。
「フレッド、ジョージ! いきなり入ってきたらびっくりするだろう。ここにいるのは僕だけじゃないんだぞ」
肩を跳ねさせたアスターを気遣いながら、セドリックは声の主たちをたしなめた。
「おっと、それは失礼」
「やあ、お嬢さん。僕たちはフレッドとジョージ・ウィーズリーだ」
「よろしくな!」
二人は背丈も同じくらいで、顔立ちもそっくりだった。双子なのだろう。燃えるような赤毛がよく目立つ。
「はじめまして、フレッド、ジョージ。私はアスター・リンデル。こちらこそよろしくね」
アスターが挨拶をすると、双子は満足をしたように頷き、今度はセドリックの方へと迫った。
「おい、知ってるか? ハリー・ポッターがホグワーツに入学するんだ!」
「ああ、今年なんだ。その様子だと、もう見かけたのかい?」
ああ、やはりハリー・ポッターは今年入学するのか。
アスターは、セドリックが思いのほかあっさりした反応を示したことに、どこかほっとしていた。どうやら彼は、ハリー・ポッターの名前を聞いただけで大騒ぎするような人ではないらしい。
「おい、なんだよ、そのつまらない反応は。もっと驚いたっていいだろ?」
「別にいいだろう。それで、用はそれだけかい?」
「まあな。それで?いつの間に可愛い女の子と知り合ったんだ?」
双子は息ぴったりに、交互にセドリックへ話しかけている。アスターはその様子に圧倒されながら、三人のやり取りを見守った。
「父さんの友人の姪御さんなんだよ。昔から知っているんだ」
「ふーん」
「じゃあ、俺たちはリーのところに行くからまたな。あいつ、でっかいタランチュラを持ってるんだ」
「じゃあな、セドリック!」
「アスターも!」
双子はそう言い残すと、嵐のようにコンパートメントを出て行った。閉じられた戸をしばらく眺めてから、アスターは小さく息を吐いた。なんとも賑やかな二人だった。
「大丈夫だったかい、アスター?」
「ええ、少し驚いたけれど。セドリックのお友達なの?」
「うん。家が近いんだ。同じ学年だしね」
「そうなのね」
「そういえば、あの二人の弟も今年入学するんじゃなかったかな」
「弟さんがいるの?」
「ああ。僕はあまり会ったことがないんだけどね」
そんな話をしているうちに汽車はロンドンを離れ、郊外へと進んでいた。速度も次第に上がっていく。
「そういえば、セドリックはどの寮に入っているんだったかしら」
「ハッフルパフだよ。四つの寮のことは知っている?」
「なんとなく。お祖父様からも少しお聞きしたし、本も読んだわ」
「なら心配いらないね。どこか入りたいと思う寮はあった?」
「よくわからないの」
「そっか。お祖父さんはホグワーツの卒業生なんだよね。じゃあ、お祖父さんはどこの寮だったか聞いた?」
「聞いたわ。レイブンクローだったんですって」
「レイブンクローか。うーん、アスターはどこになるかな」
「セドリックはどう思う?」
「難しいな。レイブンクローも向いている気はするけど、アスターは意外とアクティブだからな……。うーん、正直、アスターはどこでもやっていけそうな気がするよ」
「えー、何よそれ」
二人は顔を見合わせて笑った。
それからもしばらく学校生活や寮について話を続けていると、通路の方からガチャガチャと大きな音が聞こえてきた。
時計を見ると、時刻は十二時半を過ぎたころだった。オーウェンはいつの間にか眠ってしまっている。
アスターが通路へ目を向けると、ちょうど、一人の女性がコンパートメントの戸を開けた。えくぼが特徴的で、にこにこと笑顔を浮かべている。
「車内販売ですよ。何かいりませんか?」
アスターもセドリックも、昼食用に家からサンドイッチを持ってきていた。しかし、甘いものは用意していなかったし、汽車の旅はまだまだ長い。少しだけ買っておこうという話になった。
アスターは大鍋ケーキを、セドリックは蛙チョコレートを購入することにした。せっかくなので、後で二人で半分ずつ分けることにする。
昼食はお互いが持ってきたサンドイッチを交換しながら食べた。セドリックはりんごも持ってきていて、果物ナイフで切り分けてくれた。
食事を終えると、二人は今のうちに制服へ着替えておくことにした。
「僕は通路に出ているから、先に着替えて。ゆっくりでいいから、終わったら声をかけてね」
「わかったわ」
セドリックが通路へ出て戸を閉める。アスターは戸についているカーテンを閉めてから着替え始めた。
ゆっくりでいいと言ってくれたものの、待たせるのは気が引ける。できるだけ早く着替えなくては。
着替えを終え、身だしなみを整えると、アスターは戸を開けた。
「セドリック、終わったわ」
そう声をかけてから、アスターはぱちりと瞬きをした。
ずいぶん前から通路が騒がしかったため、すっかり気づかなかったのだが、セドリックは五人の生徒たちと話をしているところだった。どうやら着替えている間に友人たちが訪ねて
きていたようだ。
話の途中で声をかけてしまったのだろうか。悪いことをしてしまった。
「ええと、ごめんなさい。お話し中だったわよね」
「少し挨拶をしていただけだから、大丈夫だよ。みんな僕と同じ学年で、同じ寮なんだ」
セドリックの友人たちは、にこやかに挨拶をしてくれた。アスターもそれに応える。
「うん、みんな時間はある?僕が着替えている間、アスターを一人にするのは心配だから、一緒にいてあげてくれないか?」
「えっ、そんなの悪いわ」
「私は全然大丈夫だよ。アスターちゃんっていうの?よかったら一緒にお話ししない?」
五人のうち、唯一の女の子がそう声をかけてくれた。ほかの四人も、特に異論はないようだった。
「じゃあ、よろしくね。アスター、みんな怖くないから、安心してね」
「おい、なんだよその言い方は」
一人の少年が抗議するのを聞きながら、セドリックはコンパートメントの中へ入っていった。
アスターが五人の方に視線を向けると、女の子が一歩前に出た。
「さて、私はメーガン・ブロックルハースト。さっきセドリックに文句を言ったのがルイス、その隣の日に焼けているのがベンジャミン、私の隣がネイサン、最後がギルバートよ。まあ、こんなに一気に言われたらわからないわよね。私の名前だけ覚えてくれれば大丈夫。ほかの名前は気にしなくていいわ」
「おいメーガン、それはないんじゃないか」
日に焼けた、活発そうな少年が抗議の声を上げた。ベンジャミンだっただろうか。
「うるさいわよ。同性の知り合いができた方がいいでしょ」
「だからって言い方が悪いだろ?」
今度は先ほどセドリックに文句を言っていた少年が続けた。こちらは、確かルイスだったはずだ。
アスターが三人のやり取りにどう反応していいものかと困惑していると、五人の中で一番おっとりとしていて、温厚そうな少年が声をかけてきた。
「アスターって呼んでも大丈夫かな?新入生なんだってね。あ、僕はネイサン。よかったら覚えてくれると嬉しいな」
「大丈夫です。よろしくお願いします」
「あ、敬語は使わなくていいわよ。ほかの四人に対してもね。それで、アスターはいつセドリックと仲良くなったの?」
言い合いを続けていたメーガンが戻ってきて、興味深そうに尋ねた。
アスターが答えようとしたその時、コンパートメントの戸が開いた。
「アスターは僕の父さんの友人の姪御さんなんだ。父さんの友人の家に僕も招いてもらったときに出会って、仲良くなったんだよ」
戻ってきたセドリックが、代わりに答えた。
五人はそれぞれセドリックの言葉に、「へえ」だの「ふうん」だのと声を漏らしている。
「ていうか、着替えるの早すぎないか?」
ベンジャミンがもっともな疑問を口にした。
「人を待たせているんだから当然だろう?」
セドリックは平然と答える。その言い分に反対する者はいなかったものの、アスターを含めた六人は、何とも言えない視線を彼に向けていた。
「アスター、お待たせ。みんなも時間を取らせてごめんね。もういいよ」
「おいおい、それはあんまりだろ。まだ挨拶くらいしかしてないぜ?」
セドリックがそそくさとアスターをコンパートメントの中へ戻そうとするのを見て、ルイスが不満そうに声を上げる。
「悪いとは思ってるけど、今から大勢と話していたら疲れてしまうだろう?アスターはこれから入学式なんだよ?」
「はあ、セドリックの言う通りよ。名残惜しいけど、私たちは退散しましょ」
メーガンは呆れたように肩をすくめた。
「まったく、俺たちのハンサム・セドリックは、年下の可愛い女の子に構うので忙しいらしい」
ふざけた調子で続けたルイスの頭を、それまで一言も口を開いていなかった少年が軽く叩いた。
「ルイス、お前な……。あー、アスターだったよな?大勢で押しかけて悪かった。驚いただろ?入学式は時間がかかるから、今のうちに休んでおいた方がいい。ほら、行くぞ、お前ら」
「助かるよ、ギルバート。さ、中に入ろうか」
名前はギルバートだったようだ。
「またね、アスター。学校でゆっくり話しましょ?その感じだと、スリザリンに組分けされることはなさそうだし」
「一緒にいてくれてありがとう。また学校でね」
メーガンの最後の言葉に、アスターは内心で首を傾げた。どうして、ここでスリザリンが出てくるのだろう。
疑問に思いつつも手を振ってくれるメーガンたちに手を振り返し、セドリックとともにコンパートメントに戻った。
再びセドリックと向かい合わせの座席に腰を下ろす。
「どうだった?みんな、なかなかいい人だと思うんだけど」
「ええ、楽しかったわ。……ねえ、ハッフルパフとスリザリンって仲が悪いの?」
「ああ、なんて言うか……。スリザリンは、だいたいどこの寮とも仲が良いとは言いづらくてね。メーガンの場合は、前にスリザリンの女子生徒に嫌がらせをされていたことがあるんだ。だから、かなりスリザリンを嫌っているんだよ」
「そうだったの……。その、どうして嫌がらせを受けたのかって、聞いても大丈夫かしら」
「まあ、学校でしばらく過ごしたら察せてしまうだろうし……。うん。スリザリンには純血主義の家系の生徒が多くて、半純血の生徒や、特にマグル生まれの生徒をあからさまに目の敵にすることがあるんだ。メーガンは半純血なんだけど、マグル生まれの友達を庇ったことで標的にされてしまったんだよ」
「何なの、それ……」
セドリックから聞いた話は、アスターにとってあまりにも衝撃的だった。
もちろん、生まれによる差別が存在することは知っている。しかし実際に起きた出来事を、こうして具体的に聞くのは初めてだった。
フランス魔法界では、マグル生まれの魔女や魔法使いにも比較的寛容な風潮があった。リンデル家もまた、彼らに対して好意的な態度を取っている。
そもそも、なぜ純血主義であることと、マグル生まれを嫌うことが結びつくのだろう。それとこれとは、まったく別の問題ではないか。古くから受け継がれてきた魔法や伝統を大切にすることと、他者を生まれによって見下すことは、決して同じではないはずだ。
アスターは思わず黙り込んだ。
そんなアスターを見て、セドリックは少し焦ったようだった。どうやら、話の内容が彼女にとって思った以上にショックを受けさせてしまったのだと受け取ったらしい。
「アスター?ごめんね、あまりにも暗い話だったね。そうだ、車内販売で買ったものを食べようか」
俯いたまま、セドリックそっちのけで考え込んでいたアスターは、ひとまず考えるのをやめて顔を上げた。
「……ええ、そうしましょうか」
セドリックは、アスターの顔にいつもの柔らかく穏やかな笑顔が浮かんでいるのを確かめると、ほっとしたように微笑んだ。
アスターが購入した大鍋ケーキは、大鍋の形をした容器に入ったお菓子だった。ブラックココアのスポンジをベースに、クリームやフロスティングで炎をイメージしたデコレーションが施されている。
一人で食べるにはアスターには少々大きかったため、半分ずつにして正解だった。二人でケーキを分けていると、コンパートメントの戸が開いた。
顔を上げると、真新しい制服を着た、ふさふさとした栗色の髪の女の子が立っていた。その後ろには、泣きべそをかいた丸顔の男の子もいる。
「ヒキガエルを見ませんでしたか?ネビルのがいなくなったの」
女の子はセドリックが上級生だと察したようで、少し丁寧な口調ではきはきと話した。
「ああ、ネビルにはもう聞かれたよ。僕たちは見てないんだ。ね、アスター?」
「ええ、見ていないわ。セドリック、いつ聞かれたの?」
「アスターが着替えているとき。ネビルだったね、大丈夫かい?さっきも言ったけど、ホグズミード駅に到着した後、汽車の中は隅々まで点検されるから、きっと見つかるよ」
ネビルというらしい男の子は、こくこくと頷いた。頷くだけで精一杯といった様子だ。
「ねえ、あなたも新入生かしら?」
それまで黙っていた女の子が、アスターに声をかけた。
「そうよ。私はアスター・リンデル。あなたは?」
「私はハーマイオニー・グレンジャー。よろしく。ねえ、あなたはどの寮に入るかわかってる?私、いろんな人に聞いて調べてみて、グリフィンドールに入りたいと思っているの。絶対一番いいんですって。ダンブルドアもそこの出身なんだそうよ。でも、レイブンクローも悪くないかもしれないわ。……とにかく、もう行くわね。もう少しネビルのヒキガエルを探してみるわ。じゃあね」
「え、ええ。またね。そうだ、戸を開けるときはノックをしてからの方がいいと思うわ。いきなり開けたら驚かせてしまうもの」
「あ、そうね。私ったら……。次からそうするわ」
ほとんど一方的に話し続けるハーマイオニーに、アスターはすっかり圧倒されていた。それでも、どうにか伝えたかったことは口にできた。
ハーマイオニーはネビルを連れて、きびきびとした足取りで出ていった。
「……すごい子だったね。大丈夫かい?」
「平気よ。元気な子だったわね。ヒキガエル、ちゃんと見つかるかしら……」
「きっと見つかると思うよ。さあ、ケーキを食べようか」
二人は大鍋ケーキを食べ終えると、一度荷物を確認しておくことにした。セドリックが購入した蛙チョコレートは、結局食べる機会がなかったため、荷物の中にしまわれた。
オーウェンは時折目を覚ましては食べ物をねだっていたが、それ以外はずっと眠っていた。今も鳥籠の中で静かに寝息を立てている。
窓の外は、いつの間にか暗くなり始めていた。ホグズミード駅への到着も、もうまもなくだろう。
その後もしばらく二人で話をしていると、コンパートメントの戸をノックする音が聞こえた。
セドリックが立って戸を開けると、彼の友人の一人が立っていた。
「ギルバート?どうしたんだい?」
「そろそろ到着するから伝えて来いって、ネイサンが。入ってもいいか?」
「アスター、入れてもいいかい?」
「もちろんよ」
ギルバートはコンパートメントに入ると、セドリックの隣、アスターの斜め前に腰を下ろした。
「ホグズミード駅に着いてからも、まだ長くなる。疲れてないか?」
アスターに気を遣っているらしく、ギルバートの声は小さかった。
「ええ、大丈夫よ。ありがとう。ホグズミード駅からは、どうやって学校に行くの?」
「一年生は歩いて湖まで行って、ボートに乗るんだ。地下の船着き場からは石段を登って、やっと城の扉にたどり着くんだよ」
「……ずいぶん時間がかかりそうね」
セドリックの説明を聞いて、アスターは少し気が遠くなった。なかなか道のりは険しそうだ。
「一年生が大広間に入る前に、上級生たちを集めておくんだ。たぶん、その時間を稼ぐためなんだろうな」
「僕やギルバートたちでも、なかなかきつかったんだ。アスターは小柄だし……。心配だよ」
アスターは、セドリックが小柄と言った後に身体が弱いという話まで続けたかったのだろうと察した。
違うと言っているのに。
けれど先ほどの説明を聞いた後では、確かに下車してからの道中が心配になってきた。
「ほかの一年生も周りにいるから、もし何かあったら声をかけるんだよ?無理をしてはいけないよ?」
繰り返し言い聞かせてくるセドリックに、アスターは、ありがたいとは思いつつも、さすがに少ししつこいと感じていた。
どうやらギルバートも同じことを思っているらしい。セドリックに向ける視線が、どこか生暖かい。
やがて外は完全に暗くなり、深い紫色の空の下に山や森が見えるようになった。汽車は緩やかに速度を落としている。
すると、車内に響き渡る声が聞こえた。
「あと五分でホグズミード駅に到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いていってください」
アナウンスに反応して、オーウェンは目を覚ました。キュキュキュと鳴いてアスターの気を引こうとする。鳥籠の際まで頭を差し出していたので、指先で撫でてやると、機嫌がよさそうに目を細めた。
ふとコンパートメントの戸にある窓から通路へ目を向けると、コンパートメントを出た大勢の生徒で混雑しているのがわかった。
「汽車を降りたら、一年生だけ別に集められるんだ。全員揃うまでしっかり待ってくれるから、ゆっくり行こう。この混雑の中に入るのは大変だからね」
セドリックの言葉に、アスターはこくりと頷いた。
汽車はどんどん速度を落としていき、やがて完全に停車した。
通路の人が少なくなるのを待ってから、アスターはセドリックとギルバートに挟まれるようにしてコンパートメントを出た。開かれていた列車の扉へ向かうと、そのすぐ外にメーガンたち四人の姿があった。
メーガンはアスターに気づくと、すぐに近寄ってくる。
「アスター、大丈夫?」
そう声をかけながら、彼女は汽車から降りるのを手伝ってくれた。汽車とホームの間には少し距離があり、段差もある。小柄なアスターにとっては、確かに少々降りにくかった。
「ありがとう、メーガン」
「どういたしまして」
降り立った先は、小さくて暗いプラットホームだった。すっかり夜になっており、空気もひんやりとしている。
アスターは思わず小さく身を縮め、ローブに包まるようにして身震いをした。その様子を見て、セドリックやメーガンたちが心配そうに顔を覗き込む。
「寒い?」
「大丈夫かい?上着をもう一枚着るようにした方がよかったかな」
「平気よ。少し驚いただけだから」
そう答えたものの、夜の冷え込みは思っていた以上だった。
そのとき、プラットホームの端の方から大きな声が聞こえてきた。
「イッチ年生!イッチ年生はこっちだ!」
長い髪と荒々しいひげを蓄えた大男が、一年生たちを集めているようだった。
もうほとんどの一年生が集まり始めている。アスターはセドリックたちと別れ、一年生の集団へ向かった。
振り返って手を振ると、みんな笑顔で手を振り返してくれた。
アスターはすでに集まっていた一年生たちの後ろに並んだ。大男は揃った生徒たちをぐるりと見渡す。
「さあ、ついてこいよ。あとイッチ年生はいないかな?足元に気をつけろ。いいか!イッチ年生、ついてこい!」
大男の後ろに続き、一年生たちは歩き始めた。
セドリックやギルバートから聞いていた通り、道は暗く、狭く、なかなか険しかった。
一列になって、大男の後に続いて小道を下っていく。アスターは集団に加わるのが遅かったため、最後尾に近い位置を歩いていた。
周囲の生徒たちは黙々と歩いている。足元を照らすものは、大男が持つランプの明かりくらいしかないため、最後尾の方は真っ暗だ。暗がりに目を凝らしながら、アスターも慎重に足を進めた。
しかし、慣れない道を歩くのは思った以上に大変だった。何度か足元の石につまずき、そのたびにどうにか転ばずに済んでいたものの、ついに大きくバランスを崩してしまった。
転ぶと思った瞬間、すぐ斜め前を歩いていた細身で背の高い少年が、さっと手を伸ばして支えてくれた。
「ありがとう」
アスターがお礼を言うと、少年はすでに前を向いてしまっていた。暗くて表情まではよくわからなかったが、小さく頷いてくれたように見えた。どうやら声は届いていたらしい。
「みんな、ホグワーツがまもなく見えるぞ!」
大男が振り返りながらそう告げた。
「この角を曲がったらだ」
その言葉の直後、列の前方から一斉に歓声が湧き起こった。
狭い道が急に開け、大きな黒い湖のほとりに出た。
向こう岸には高い山がそびえ、その頂上には壮大な城が建っている。大小さまざまな塔が空へ向かって伸び、無数の窓からこぼれる光が、星空の下に浮かび上がっていた。
アスターは思わず息を呑んだ。
これが、ホグワーツ。何百年もの歴史を持つ魔法魔術学校。
本で読んだことはあったし、祖父から話も聞いた。それでも、実際に目にする光景は想像していたものとはまるで違っていた。
「四人ずつボートに乗って!」
大男が岸辺につながれたボートを指差す。
アスターはすっかり最後尾になっていたため、最後に残っていたボートの空いている場所に乗ることになった。
アスターの前に同じボートへ乗ったのは、おそらく先ほど転びそうになったときに助けてくれた少年だろう。
少年はボートに乗り込んだ後、後ろをちらりと確かめると、アスターへ手を差し出した。ボートはどうにも不安定そうだったので、アスターはありがたくその手を借りることにした。
岸辺にある松明の灯りに照らされて、ようやく少年の顔が見えた。
さらさらとした黒髪に、どこかうさぎを思わせる黒い瞳。表情にはほとんど感情が浮かんでおらず、何を考えているのかはよくわからなかった。
「みんな乗ったか?」
一人だけでボートに乗った大男が、大声で呼びかける。
「よーし、では、進めえ!」
この声を合図に、ボートの船団は一斉に動き出した。鏡のように静かな湖面を滑るように進んでいく。
生徒たちはみな黙り込み、目の前にそびえる巨大な城を見上げていた。向こう岸に近づくにつれて、城はますます大きくなり、まるで頭上に覆いかぶさってくるかのようだった。
「頭、下げぇー!」
先頭の何艘かが崖下に到着すると、大男が声を張り上げた。
生徒たちが一斉に頭を下げる。ボートの船団は蔦のカーテンをくぐり、その陰に隠れるように空いていた崖の入口へと進んでいった。
城の真下と思われる暗いトンネルをくぐり抜けると、やがて地下の船着き場へ到着した。
アスターはまたしても、一番最後にボートから降りることになった。足場が悪く、どう降りればいいものかと一瞬ためらっていると、先ほどの少年が今度も無言で手を貸してくれた。
「ありがとう。助かったわ」
少年はやはり何も言わず、ただ小さく頷いただけだった。
「ホイ、おまえさん!これ、おまえのヒキガエルかい?」
みんなが下船したボートを確認していた大男が、声を上げた。
「トレバー!」
汽車の中でヒキガエルを探していたネビルが、大喜びで手を差し出す。どうやら、無事に見つかったようだ。ネビルの嬉しそうな声を聞きながら、アスターは安堵した。
その後、生徒たちは大男のランプを頼りに、ゴツゴツとした岩の道を登っていった。
湿った足元に気をつけながら進み、やがて草むらの広がる城の影へとたどり着いた。そこから石段を登ると、目の前には巨大な樫の木の扉があった。
「みんな、いるか?おまえさん、ちゃんとヒキガエル持っとるな?」
大男は生徒たちを振り返って確認すると、大きな握りこぶしを振り上げた。
そして、城の扉を三回叩いた。