アルバイトを探し始めて、そろそろ一時間。
「んー、いいのないなー」
ベッドに寝転がったまま、スマホの画面を眺める。
高校生歓迎の求人はそれなりにある。けれど、勤務時間が合わなかったり、家から遠かったりと、なかなか条件が噛み合わない。
別に急いでいるわけでもないし、今日はこの辺でいいだろう。
「ちょっと休憩しよ」
求人サイトを閉じ、動画サイトを開く。
適当に画面をスクロールしていると、見覚えのある女の子が映ったサムネイルを見つけた。
「あれ、これ……」
昼休みに男子が落としたスマホ。その画面に映っていた女の子だ。
どうやら、今ちょうど生配信をしているらしい。
何となく気になって、動画を開いてみた。
『ちょっと待って! 今の絶対避けたでしょ!』
元気な声とともに、ゲームのキャラクターが倒れる。
『いやいや、今の当たってなくない!?』
画面の端には、次々とコメントが流れていた。
『普通に直撃してて草』
『今日何回目?』
『惜しかったねー』
『最後だけ優しいのやめて! 余計つらいから!』
「へー、こんな感じなんだ」
ゲーム実況自体は見たことがあるけれど、視聴者との掛け合いがなかなか面白い。
ふと、配信画面に表示された数字が目に留まった。
「……二百人?」
今、この配信を見ている人の数らしい。
しかも、コメント欄は随分と賑やかだ。
ゲームを操作しながら喋って、流れていくコメントまで拾っている。
「よくできるなー。結構忙しそう」
しばらく眺めていると、女の子がふと思い出したように声を上げた。
『あ、そうそう! みんな、うちの事務所の3期生募集、もう見た?』
『見たー!』
『新人楽しみ』
『もう応募始まってるんだっけ?』
「……3期生?」
『そうそう、今オーディションやってるんだよね。応募したい人は公式サイト見てね!』
コメント欄では、早くも先輩になる彼女をからかう声が飛び交っていた。
どうやら、どこかの事務所に所属しているらしい。
「へー、こういうのって募集して入るんだ」
何となく気になって、概要欄から公式サイトを開いてみる。
所属タレントのイラストが並ぶページを少し下へ動かすと、目当ての文字が見つかった。
『第3期生オーディション開催中』
「お、あった」
募集要項を確認していく。
活動内容は、動画投稿や生配信を中心としたタレント活動。
応募資格には、継続的に活動できることや、配信環境を用意できることなどが書かれている。
未成年者は保護者の同意が必要らしい。
「へー、高校生でもいいんだ」
普通のアルバイトとは違うし、応募したからといって採用されるわけでもない。
それでも、さっきの配信は楽しそうだった。
「ま、応募するだけならタダだしね」
そう決めて、応募フォームを開いた。
名前や生年月日、連絡先などを順番に入力していく。
活動経験は当然ながら未経験。
VTuberを知ったきっかけにも、今日初めて配信を見たと正直に書いた。
問題は、その次だった。
『自己PR動画を添付してください』
その下には、補足が書かれている。
『実際に配信をしているつもりで、自由にお話しください。内容は問いません』
「……配信してるつもりで、かー」
つまり、普段どんなふうに喋るのかを見たいということだろう。
歌やゲームを披露するのもありかもしれないけれど、それなら普通に話してみるのが手っ取り早い。
「何話そっかな」
少し考えて、前世で読んだ社会心理学の論文を思い出した。
人が集団の中でどう判断し、どう行動するのか。
昔から、そういう話は好きだった。
「んー、ネットの話なら分かりやすいかな」
ベッドから起き上がり、髪を軽く整える。
スマホを立てかけて、録画ボタンを押した。
「どうもー、黒瀬澪です。十六歳、高校一年生です」
画面に向かって、軽く手を振る。
「んー、何話そっかな。あ、そうだ。今日はちょっと社会心理学の話でもしようかなーって思います」
少し考えてから、続けた。
「例えばさ、ネットで誰かが炎上してるのを見たことってない? 芸能人の失言とか、誰かの不用意な投稿とか」
「そういうときって、最初から全員が怒ってたのかなーって、ちょっと思わない?」
私は指を一本立てる。
「例えば、誰かが『あの店、接客最悪だった!』って投稿してたら、自分は行ったことがない店でも、ちょっと印象悪くなることってあるよね」
「でもさ、その店で実際に何があったのかって、私たちには分からないじゃん。店員の態度が本当に悪かったのかもしれないし、投稿した人にも何か事情があったのかもしれない」
少しだけ首を傾げる。
「つまりさ、私たちが見てるのって、出来事そのものじゃなくて、誰かが伝えてくれた出来事だったりするんだよね」
「もちろん、だからって投稿が嘘だと決めつけるのも違うよ? ただ、知らないことがあるのに、全部分かった気になっちゃうのは、ちょっと怖いよねって話」
私は軽く肩をすくめた。
「で、ここからが本題なんだけど」
「仮に、その人が本当に悪いことをしてたとするじゃん。証拠もあって、批判される理由もちゃんとある。つまり、批判してる人たちの言ってることは正論なわけ」
少し間を置く。
「じゃあさ、その正論を言う人が百人、千人って増えていったら、どう思う?」
「一人が『それは間違ってる』って言う。別の人も同じことを言う。そのまた別の人も。言ってることは正しいんだよ? でも、同じ人に向かって千人が一斉にそれを言ったら、言われた方はどうなるんだろうね」
私は少し身を乗り出した。
「例えばさ、学校で何か悪いことした子がいたとして、先生に注意されるのは分かるじゃん? でも、その子が廊下を歩くたびに、すれ違う生徒全員から同じことを言われたらどう?」
「一人ひとりは正しいこと言ってるつもりでも、千人から言われる方は、たまったもんじゃないよね」
そこで、指を一本立てる。
「で、ここが面白いところなんだけどさ。言われた方は千人分の言葉を受け取るけど、言った方は自分の一言しか意識してなかったりするんだよね」
「自分だけが責めてるわけじゃないし、言ってることも間違ってない。だから、自分の言葉が相手にどれくらい負担をかけてるかって、案外気づきにくいんだと思う」
「社会心理学には、責任の分散っていう考え方があってね。簡単に言うと、大勢の中にいると、一人ひとりが自分の責任を小さく感じちゃうことがある、っていう話」
「もちろん、ネットの炎上が全部それで説明できるわけじゃないけどね」
私は立てていた指を下ろした。
「でさ、こういう大勢の批判によって、誰かが仕事を失ったり、社会的な信用を失ったりすることがあるじゃん?」
「これって、いわゆる社会的制裁って呼ばれるものの一つなんだよね」
少し間を置く。
「ただ、ここで考えてほしいのがさ。その制裁って、誰が決めたんだろうってこと」
「例えば、裁判だったら、法律に基づいて証拠を調べたり、本人の言い分を聞いたりして、処罰を決める仕組みがあるじゃん?」
「でも、ネットの炎上って、そういう手続きがあるわけじゃないよね。いろんな人がそれぞれの考えで批判して、その結果として社会的な不利益が生まれるわけ」
私は軽く肩をすくめた。
「つまりさ、誰かが『この人にはこれだけの罰を与えよう』って決めたわけじゃないのに、結果的にその人の人生が大きく変わっちゃうことがあるんだよね」
「しかも、批判した人たちの一人ひとりは、別にそこまでの結果を望んでなかったかもしれない」
少しだけ首を傾げる。
「でも、実際にそうなったとき、その結果について誰が責任を持つんだろうね?」
「一人ひとりは正しいことを言っただけ。自分の一言でそうなったわけじゃない。そう考える人もいると思う」
「だけど、その一言が何百、何千と集まった結果でもあるわけじゃん?」
そこで、カメラをまっすぐ見つめた。
「じゃあ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「君は、それを正しい行いだと思う?」
少しだけ間を空ける。
「その人が仕事を失って、居場所までなくしたとして。それって、本当に受けて当然の罰だと思う?」
「もちろん、何をしたかによると思うよ。許されないことだってあるだろうし、被害を受けた人が納得できないこともあるだろうから」
「でもさ、それを決めるのって、私たちなのかな?」
私は小さく首を傾げた。
「少なくとも、事情を全部知ってるわけでもない私たちが、誰かの人生をどこまで変えていいのかって、ちょっと考えちゃうよね」
少し笑って、肩をすくめる。
「で、最初の話に戻るんだけどさ」
「そもそも、その批判って何を見て始まったものだったんだろうね。切り取られた投稿かもしれないし、誰かの説明かもしれない」
「見えてる情報が全部とは限らないのに、みんなが怒ってるから自分も怒る。で、たとえ正しいことを言ってたとしても、それが何百、何千と集まれば、相手にとってはものすごい負担になる」
私は指を二本立てた。
「だからさ、何かを批判するときって、二つくらい考えてもいいと思うんだよね」
「一つは、自分が知ってることって本当に全部なのか。もう一つは、自分の言葉を、相手はどんなふうに受け取るのか」
「別に、批判すること自体が悪いわけじゃないよ。間違ってることには、間違ってるって言っていいと思うし」
私は軽く笑った。
「ただ、正しいことを言ってるのと、何を言ってもいいのは別じゃん?」
「正論って、正しいからこそ強いんだよね。だから、使い方くらいは考えたいなーって」
少しだけ首を傾げる。
「まあ、要するに何が言いたいかっていうと、ネットって相手の顔が見えないじゃん。でも、見えないだけで、いないわけじゃないんだよね」
「……なんて。ちょっと真面目な話になっちゃったけど」
私は小さく笑った。
「こういう、人がなんでそんな行動をするのかーって話が結構好きなんだよね。だから、もし配信することになったら、こういう心理学っぽい話をしたり、ゲームしたり、雑談したり。いろいろやってみたいなーって思ってます」
「そんな感じで、黒瀬澪でしたー。よろしくお願いしまーす」
最後に軽く手を振って、録画を止めた。
「んー、まあ、こんなもんかな」
動画を見返す。
少し真面目な話になったけれど、普段から興味のあることを喋っただけだ。
特に撮り直す理由もない。
「よし、これで」
動画を添付し、入力内容を確認する。
未成年者の応募には保護者の同意が必要なので、ママにも話しておかなければならない。
それは明日にでも相談するとして、送信ボタンを押した。
『応募を受け付けました』
「おー、送れた」
思ったよりあっさりしたものだった。
もちろん、採用されるかどうかは分からない。
「ま、駄目だったら別のバイト探そ」
そう呟いて、スマホを枕元に置いた。
◇
翌日の昼休み。
友達とお弁当を食べながら、昨日の配信を思い出していた。
オーディションには応募したものの、VTuberについてはまだ知らないことが多い。
少し調べてみたけれど、聞き慣れない言葉も結構あった。
となれば、詳しい人に聞くのが一番だろう。
「餅は餅屋ってね」
「ん? 澪、なんか言った?」
「んー、ちょっとね」
教室の奥へ目を向ける。
昨日スマホを落とした男子たちが、何やら楽しそうに話していた。
「ちょっと聞きたいことあるから、行ってくるー」
「え、どこ?」
「あっち」
軽く手を振って席を立つ。
「ねー、ちょっといい?」
「えっ、く、黒瀬さん?」
「昨日のことで聞きたいことあんだけど」
「き、昨日!?」
スマホを落とした男子が、ぎょっとした顔をする。
「昨日見てた、あの女の子のこと。詳しい?」
「え? あ、VTuberの?」
「そうそう。それ」
「まあ、詳しい方だと思うけど……」
「じゃあさ、ちょっと教えてほしいんだけど」
男子たちは顔を見合わせた。
「え、黒瀬さん、VTuberに興味あるの?」
「んー、ちょっとね。昨日初めて配信見たんだけどさ」
「えっ、見たの!?」
「見た見た。ゲームやってるやつ」
「あー! 昨日の配信か!」
途端に、男子たちの表情が明るくなる。
「どうだった!? 面白かったでしょ!」
「ん、普通に面白かったよ。コメント読むの上手いね、あの子」
「そうなんだよ! リスナーとの掛け合いがめっちゃ面白くてさ!」
「あとゲーム下手なのもいいんだよな!」
「いや、下手っていうか、たまに変なミスするだけだから!」
「それを下手って言うんだろ!」
何やら意見が分かれているらしい。
私は少し笑いながら、話を聞いた。
「でさ、ああいうのって、みんな事務所に入ってるの?」
「いや、個人でやってる人もいるよ」
「そうそう。事務所所属と個人勢っていうのがあって――」
そこからは、なかなかの勢いだった。
事務所と個人活動の違いから、配信の仕組み、キャラクターの動かし方、人気の配信企画まで。
聞いているうちに、話題が次々と増えていく。
「……待って、ちょっと情報量多くない?」
「あっ、ごめん!」
「いや、私が聞いたんじゃん。別に謝んなくていいって」
そう言うと、男子は少し照れくさそうに笑った。
知らない話も多かったけれど、おかげで昨日よりは随分と理解できた気がする。
「なるほどねー。ありがとー、助かったわ」
「え、あ、うん! また何かあったら聞いて!」
「ん、そんときはよろしくー」
席に戻ると、友達がにやにやしながらこちらを見ていた。
「なに?」
「いやー、澪ってさ、ほんとオタクに優しいギャルだよね」
「またそれ?」
「だって、あいつらめっちゃ嬉しそうだったじゃん」
「んー、聞きたいことあったから聞いただけだけど」
「それが嬉しいんじゃない?」
「あー、そういうもん?」
「そういうもん!」
「ふーん。じゃ、よかったじゃん」
「軽っ!」
思わず笑うと、友達もつられて笑い出した。