スライムの懺悔 -私は魔物、私はスライム、私は深海からやってきた醜い化け物、私は虐殺者- 作:手持ちブタさん二世
オリジナル:ファンタジー/ホラー
タグ:残酷な描写 スライム 異世界 オリジナル作品 一人称
当時の私は、外には広い広い世界が拡がっているということも、いま自分がどこにいるのかということも――そもそも自分のことすら知らなかった。
暗黒の海底に住んでいたから。
いや、あれは「住んでいた」のではなかった。
私はただそこに在った。
私は存在していただけだった。
食べることも、眠ることも、動くこともせず、そして考えることもせず、私はただ、深い深い海の底に存在していた。
時間という概念――それ以前に言語や意識、自我というもの自体――がはっきりと存在しなかった私は、いつから海の底にいたのかも分からなかった。
――今では、長い長い間、気が遠くなるほどの長い年月の間、恐らく天地創造の頃から、私は海の底にただ存在したのだろうと思う。
海底火山の噴火が起きたのは突然のことだった。
海底の火山が解き放った膨大な力によって、悠久の時に渡って私がただ存在していた大地は、私を乗せたまま、暗い暗い海の底から、私の知らない"異世界"へと勢い良く上昇していった。
広い広い何かを感じた。
眩しい眩しい何かを感じた。
青空と太陽、そして陸。
――その時の私は、初めて感じ取った"異世界"というものに興味を持った。
海底火山の噴火によって見知らぬ天空へと舞い上がった私は、自然の理に従って落下をはじめ、やがて元いた深海から遠く離れた浅瀬へと墜落していき――そして再び海の中に没した。
――この時に感じ取った刺激が私の中の"何か"を活性化させたのだろう。
生き物と呼ぶにはあまりにも貧弱で曖昧だった私の意識や思考と呼ばれるものが、かすかではあるが次第に強くなっていった。
――知りたい。近付きたい。触れ合いたい。
私は、海の中をせわしく動き回る存在、いや泳ぎ続ける生き物というものに興味がわいた。
私は、彼ら――魚やイルカやクジラと言ったものと触れ合ってみたかった。
"他者"、生き物というものをよく知りたかった。
しかし、私が彼らと触れ合おうとするたび、彼らは突然どこかに消えていった。
次第に海の中に赤い赤い何かが拡がっていった。
――当時の私はその赤い液体が何を意味するのかまったく理解出来なかった。
こんなやり取りがいくどか繰り返された結果、私が近寄ろうとするだけで魚もイルカもクジラも大慌てで逃げていくようになった。
当時の私のこの行いは、やがて人間族の目にも止まり、海洋生物の謎の大量死、海の魔物による大虐殺事件として記録が書かれた。
――私の存在を人間族が初めて知った瞬間でもあった。
私は、触れ合うことが出来る生き物を求めて、徐々に海面へと上昇していった。
ある時、明るい海面を大きな――そして不格好な"魚"が泳いでいることに気付いた。
私は眩しい眩しい何かを感じながら、海上を走る変わった"魚"を求めてついに浮上した。
海上を走る変わった"魚"――それは人間族の船だった――は、私を見つけると私からすぐに遠ざかっていった。
当時の私には理解出来ない音の連続、言葉ではあったが、彼らはこう言っていたらしい。
「海の魔物だ!」
「早く逃げろ!」
「なんて不気味な化け物なんだ……」
私は、この変わった"魚"と触れ合おうとしたが、変わった"魚"も、変わった"魚"の上にいた、これまた変わったニ本足で歩く生き物たちもやはりすぐに消えてしまった。
私が"魚"に触れ合うたび、やはり赤い赤い何かが飛び散っていった。
しかし、この時の私は初めて感じ取ったある刺激が気になっていた。
私の身体に何かが、異物が飛び込んできたのだった。
――大砲だった。
人間族の記録によれば、これは、私という存在が人間族に初めて目撃され、船団を護衛していた海軍の軍艦が私を砲撃したということになっている。
次々身体に飛び込んでくる何か――砲弾――を見て、私の意識に変化が生まれた。
それは"喜び"と呼べるものだった。
私に近寄りたがっている生き物がいると感じ取った私は、人間族の帆船に近付いていった。
ますます私に飛び込んでくる砲弾が増えた。
私はますます喜びながら船に近付き、やがて接触した。
しかし、たちどころに人間族の船はどこかに消えていった。
私に向けて放たれる砲撃も徐々に減っていき、やがて海の上にいた大きな変わった"魚"たち、人間族の船はいなくなっていた。
海にはただ赤い赤い何かが拡がっていた。
――人間族の記録によれば、これは、勇敢な海軍、奮戦空しく全滅スとある。
当時の私は本当に無知だった。
私は海上に浮上し、人間族の艦隊を全滅させて、船員を殺戮していたことに何一つ気付かなかった。
当時の私の弱い弱い意識の中に芽生えたものは、戸惑いだった。
――どうして私が近寄ろうとするとみんなどこかに隠れてしまうのだろう?
私がぼんやりと海上を漂っていると、眩しい眩しい何かが浮かぶ青白い虚空に、私と同等か、私より巨大な影が何個か横切るのが見えた。
――ドラゴンと呼ばれる生き物だった。
3匹のドラゴンが空を飛び回っている。
恐らく私が殺戮した大量の人間の血の匂いに引き寄せられてきたのだろう。
だが、人間の死体は一切海に浮かんでいない。どこかに消え去ったしまったから。
血の匂いで食欲を刺激されていた巨大なドラゴンが一匹――最初はとても躊躇したようだったが――我慢ならずに急降下してきた。
――私を食らわんとしたのだろう。
私に向けて矢のように高速で突撃してきたドラゴンは、私を巻き込みながら大きな水柱を上げて一度海に沈んだ。
すると、すぐに海面に大量の赤い何かが浮かび始めた。――ドラゴンの血だった。
赤い赤い何かを浴びた私が海上に浮かび始める。
上空で様子を見守っていた2匹のドラゴンは、それを確認すると大慌てでこの海域から離れていった。
海上に再度浮上した私は潮の流れに身を委ねて海面をただ漂った。
しばらくすると私はどこかに陸を感じ取った。
私はその陸に向かって海面を走っていった。
次第に生き物の声やニオイが強くなってきた。
――あれは港町だ。
昼の港町には多くの生き物、人間がいた。
上陸した私は彼らと触れ合ってみたかった。
しかし私が触れ合おうとするたび、私が近付くたび、それだけで人間たちはどこかに消えていった。
――波止場に赤い赤い何かが拡がっていく。
「ブロブが来たぞ!海の魔物だ!みんな逃げろ!赤い悪魔スライムだ!」
波止場の人間が一人、大声でそう叫びながら町の方に逃げていったが――当時の私は、その音の連続が何を意味するかを理解出来なかった。
私が港町に上陸して、あらゆるものを飲み込みながら町の中心部に達した時、どこかから聞き慣れない音がしてきた。
「――氷の精霊よ、海の魔物を封じたまえ」
人間族の言葉について無知だった当時の私には何一つ理解出来ない音の連続でしかなかったが、それは港町にいた魔法使いの一団による凍結魔法攻撃だった。
冷たい冷たい魔法攻撃が私の身体にぶつかるたび、私は、身体が小さく、そして軽くなっていくことに気付いた。
初めて感じた刺激に私は大いに喜んだ。
私はこの生き物に近付いてもっとよく知りたいと思った。
「駄目だ!この魔物、噂で聞いてたよりデカすぎるぞ!」
「海の生き物や人間を食らっている間に成長したんだ。くそ、封じきれない!」
「馬鹿野郎、諦めるな!この先には孤児院があるんだぞ!」
今なら私でも分かる。
彼らは必死だったのだ。圧倒的な恐怖と絶望、そしてそれを律する使命感。
――しかし、民家や通りを軽く飲み込むほどまでの巨躯に成長した私の前には、彼らは勇敢だったが無力だった。
凍結を逃れた私の断片が、頭上から、背後から、あるいは真下から現れ、次々と魔法使いの一団に接触していった。
一瞬だけ悲鳴が上がった。
そして彼らはすぐにどこかに消え去っていった。
地面にはやはり赤い赤い何かが飛び散っていた。
夕方――ほんの少しの間で私は港町のほぼ全てを飲み込んでいた。
残っているのは丘の上にある孤児院だけであった。
私は丘を這いずって登っていった。
丘の周りは全て私の肉体で埋まっている。
人間族の言葉を借りれば、この孤児院はいわば陸の孤島という状態だったのだろう。
迫りくる私に気付いたのか孤児院から火の手が上がった。
絶望した院長が孤児院に火を放ったのだった。
ひどく歳を重ねた女の院長が泣きながら孤児院から出てくると、持っていた松明を私に向けて投げ付け、次にピストルを放った。
「この顔のない化け物が!肉塊の悪魔が!死ね!死ね!死ね!」
ピストルの弾が切れると院長はピストルを私に投げ付け、次に地面の石を私に投げ付け、最後にはナイフを取り出し、泣きながら振り回していた。
私と発狂した院長が接触した瞬間、この院長もどこかに消えてしまった。
「……いんちょーせんせい?」
赤い何かを浴びた少女がこちらに声をかけた。
孤児院の少女だった。
院長が孤児院に放火した時にたまたま外にいたらしいと
「そこにいるのはだあれ?うわさの魔物のスライムさん?」
当時の私は人間族の言葉など何一つ理解出来なかったはずなのに――この少女は私に語りかけているということが何故だか分かった。
そしてこの少女も目が見えないはずなのに――私のことが見えているようだった。
「……かわいそうなスライムさん。あなたは飲み込むことしか知らないのね」
少女が優しく話した。
「……目もなければ口もない、ぶよぶよ動く肉のかたまりのような、ひどくみにくい赤い生き物が、海を荒らし回っているって言うお話を、ずいぶん前から大人たちがしていたの……私も目が見えないからあなたがどんな姿をしてるかなんて分からないのだけれど……スライムさんにも目があれば、他の動物さんたちもあなたの気持ちがきっと分かったはずなのに……スライムさんにも口があって話すことが出来れば、他の動物さんたちもあなたの思いを知ることがきっと出来たはずなのに――あなたは見ることも、叫ぶことも、伝えることも出来ないでいたのね、たぶん、ずっと、ずっと一人ぼっちで……」
私は……この少女のことを知りたいと思ってしまった。
私の身体が、ぶよぶよ動く肉塊が、この少女に触れると――少女はやはり消し飛んだ。
辺りに赤い赤い何かが飛び散った。
少女が消し飛んだ後すぐに私の身体の中の"何か"が活性化された。
私の中の貧弱で曖昧だった意識というものが強固に形成されていった。
私は、私の身体の中で様々な思念が飛び交っていたことに初めて気付いた。
「海の魔物だ!」「みんな逃げろ!赤い悪魔だ!」「氷の精霊よ」「この顔のない化け物が!」「かわいそうなスライムさん。あなたは飲み込むことしか知らないのね」
私は、自分が今まで犯してきた罪を途端に理解した。
当時の私――始祖スライム――は、ぶよぶよとした赤い色の動く肉塊と言う他ない、ひどく不気味な姿をしていた。
動物の肉塊にも見える、赤い粘液状の身体すべてが口、捕食器官であり、同時に胃、消化器官であり、手であり、足であり、目であり、鼻であり、耳であり、そして頭脳であった。
いままで私が知りたいと思いながら接触してきた海の生き物や人間たちは、一瞬でその肉体を私に食われ、消化され、養分とされていたのだ。
意識や思考と言ったものも、私の身体にたちどころに吸収されて、私の体内で永久に記憶されて、時に希釈され、時に濃縮されて、粘液状の私の体内の小宇宙を循環していた。
私の中を飛び交う、多くの動物や人間族の様々な思念を眺めている内に、私の身体に変化が生じ始めた。
――私の身体に大きな切れ目が生まれたかと思うとそれはすぐに横へと広がっていた。
「……イノチ、コロシタ、ボク?」
切れ目が人間族の言葉を放った。
それは私に初めて明確に形成された器官、"口"だった。
「……イノチ、イノチヲ、コロシテタ、ボク?……ボクハ、マモノ?」
先程、私の身体に出来た切れ目、口の両端から少し離れた部分が丸く陥没したかと思うとその2つの穴に新たな器官、"目"が形成されていった。
――私が今まで見ていた世界は、深い霧に覆われた、ぼんやりとした風景があって、僅かな種類の絵の具で、景色や物体を軽く着色しただけというような、ひどく単純なものでしかなかったが、いま形成された器官、"目"で初めて見る世界とは刺激的だった。色鮮やかで、様々な大きさや形のものに溢れ――そして燃えていた。
燃え上がる孤児院の中に閉じ込められ、泣き叫び、そして炎に飲まれていく少年少女も見えた。
私の目から透明な液体が流れた。
涙と呼ばれるものだった。
「……イノチ、イノチハ、イチドキリ?」
――私は魔物、私はスライム、私は深海からやってきた醜い化け物、私は虐殺者。
私は、私の体内を飛び交う多くの生き物たちの思念、意識や記憶というものを観察することで急激に自我や知能が発達していた。
私はただ動くだけで、ただ近付くだけで、ただ知ろうとしただけで、たった一度しかない生き物たちの命を虐殺していたことにようやく気付いたのだった。
「……トモダチ……ホシカッタ、トモダチヲ……コロシテタ、ボク……?」
私は強い罪悪感を覚えた。
――私はこの罪を償わなければならない。
朝日が昇った。
私は、港町を飲み込んでいた私の身体を分裂させていた。
その断片一つ一つの大きさは多くの動物に恐れを与えないくらいに小さかった。
一番大きい個体でも犬と同じくらいの大きさだったし、小さい個体に至っては蟻のように小さかった。
やがて私の断片一つ一つに、口が生え、目が生えていった。
この器官を使って、私の気持ちを、私の思いを他の生き物たちに伝えよう。
次に私は身体の色を変化させた。もう赤い色は見たくなかった。多くの生き物に潤い、安心をもたらす水の色がいいだろう。私の身体の色はすぐに青く変わった。
他の生き物たちを恐れさせないように私にも一つの形が必要だろう。そうだな、やはり水を連想させるしずくの形がいいだろう。私の身体はすべてしずく型に統一された。
そうだ、私はこれからはただ水を飲んで生きていこう。私の身体は捕食の能力と消化の能力を捨て去り、流動性を失って、そして少し固くなった。
「多くの生き物たちを一方的に虐殺してしまったことの贖罪として、私は世界滅亡のその日まで、世界最弱のモンスター、スライムとして生きていこう」
私は数千数万の私の断片に語りかけた。
――そして私、スライムは、世界に旅立っていった。
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