彩が亡くなったのは、付き合い始めて一ヶ月のことだった。
南城光太郎は、その知らせを聞いても、すぐには実感が湧かなかった。
飲みすぎて路上で眠り、そのまま亡くなった。
そう聞かされた。
自由で、型破りで、危なっかしいところのある女だった。
だが、それで納得できるほど、自分は彼女を知らなかった。
そのことが、悔しかった。
葬儀のことも知らなかった。
夜、南城のスマホに、一通のメールが届いた。
『彩さんのことで、お話ししたいことがあります』
差出人の名前に覚えはなかった。
文面は短い、短すぎるほどだった。
だからこそ、南城は無視できなかった。
指定された場所は、公園のベンチだった。
喫茶店でも、ホテルのラウンジでもない。
つまり相手も、長話をするつもりがないのだろうと思った。
待ち合わせ場所に着くと、ベンチの前に長身の男が立っていた。
地味な服装で、派手さはない。
だが、こちらを見る目だけは妙にまっすぐだった。
男は南城に気づくと、深々と頭を下げた。
「南城さんですね。自分は、彩の友人です」
彩、その名前を聞いただけで、南城の胸の奥がわずかに沈んだ。
付き合い始めて、まだ一ヶ月だった。
たった一ヶ月、それなのに、彼女の不在は妙に重かった。
「ご用件は」
南城は静かに尋ねた。
感情を荒立てることには慣れていない。会社を経営していれば、驚きも怒りも、まず表に出さない癖がついてしまったのだ。
「彩が、あなたと付き合っていたことを最近、知りました」
「そうですか」
「伝えておかなければと思いました」
南城は答えず、男の次の言葉を待った。
「彩は、泥酔して道端で亡くなったことになっています」
「……違うんですか」
男はすぐには答えない。
「病気でした」
南城は、男の顔を見た。
言葉の意味は分かる。だが、理解が追いつかない。
「長くはなかったんです。本人も、分かっていた」
南城の中で、彩の死が形を変える。
飲みすぎて、路上で眠り、そのまま亡くなった女。
自由で、危なっかしい、そう思っていた。
だが違った、自分には知らせなかった。
「なぜ……」
言いかけて、南城は口を閉じた。
そんな問いを口にする資格が、自分にあるのか分からなかった。
男は静かに続けた。
「もう一つ、あります」
南城は顔を上げた。
「娘がいます」
その言葉は、最初の告白よりも深く南城を刺した。
「子どもがいたんですか」
「もう二十七です。成人しています」
南城は黙った。
幼い子どもを想像していた。母を失い、誰かに守られなければならない小さな存在を。
だが違う。
彩の娘は、すでに大人だった。
「彩は、そんなことを一言も」
「でしょうね」
男の声には、責める響きはなかった。
ただ、彩という女をよく知っている者の諦めに似たものがあった。
「血は繋がっていません」
南城は、今度こそ言葉を失った。
「それは、どういう意味ですか」
「彩の友人の子です」
南城は、男の言葉を一つずつ頭の中で並べた。
病気、余命、娘。
二十七歳の血の繋がらない娘。
友人の子を、引き取って育てた。
自分の知っている彩が、音を立てて崩れていく。
自由で、型破りで、酒を飲んでは笑い、先のことなど考えていないような女。
そう思っていた。
「友人は、体が弱い人でした。出産も危ないと言われていたんです」
男は言葉を選びながら続けた。
「それでも、どうしても産みたいと言った。彩は産めばいい。後のことは、自分が引き受ける、と」
南城は息を呑んだ。
「その友人は」
「難産でした。しばらくして……」
その先を、男は言わなかった。
言われなくても、南城には分かった。
「血は繋がっていません。ですが、似ているんです」
似ていると言う言葉に南城は言葉が出てこない。
血が繋がっていないのに、似ている?
「自分だけじゃありません。周りの友人たちも、思っています」
男は少しだけ目を細めた。
そして、その強さを受け継いだ娘がいる。
血の繋がりもないのに、彩に似ていると言われる娘が。
会いたい、そう思ったことに、南城は自分でも驚いた。
「ミサキは、彩が実母だと思って育ちました」
南城は言葉を失った。
「二十七歳なのに?」
信じられないと思った。
「戸籍を自分で見るような機会がなかったんです。必要な手続きは、彩や周りの大人たちがしていましたから」
男は少しだけ目を伏せた。
「ただ、最近は薄々気づいているようです」
「気づいているのに、何も言わないんですか?」
「似たんでしょうね」
男は小さく笑った。
「紙の上でどうなっていようが、自分を育てたのは彩だ。そういうところで揺れる人間じゃありません。あの子は」
彩の娘のことを知りたい。
南城は秘書に頼んで調べることにした。
小さな町工場で働いているらしい。
「水川製作所を調べてくれないか」
若いが頼りになる秘書だ。
「もしかして町工場ですか」
「ああ。人材支援と技術支援の対象になるかもしれない」
河原は、仕事が早い。
「従業員構成も、分かる範囲で確認いたしますか」
「頼む」
南城は短く答えた。
翌日、水川製作所の資料が揃った。
従業員数は多くない。
設備も新しいとは言えない。
ホームページも、最近までほとんど動いていなかった。
だが、加工実績と取引先の欄で、南城の目が止まった。
小さいが、弱い会社ではない。
技術はある、足りないのは、人と仕組みではないかと思った。
支援する価値は、十分にあると思った。
「おもしろいんです。猫を連れて勤務している社員がいるようです」
「猫?」
南城は資料から顔を上げた。
「女性社員なんです。以前は現場で働いていたそうです」
「現場?」
南城は思わず聞き返した。
「水川氏の知り合いから紹介されたようです。定時で帰れる仕事を探していたとか」
「定時か」
「はい。現場で深夜勤務となると、男性でも負担は大きいです。女性であれば、防犯面も考える必要があります」
秘書の言葉に、南城は頷いた。
そこは理解できる。むしろ、当然の判断だ。
だが、秘書はそこで少しだけ口元を緩めた。
「ただ、一週間のお試し期間について、条件が少し面白いんです」
「面白い?」
「はい。紹介した男性が、水川氏にこう伝えたそうです。昼食代を出して欲しい。それから、猫を連れて出勤することを認めてほしい、と」
南城は、資料から顔を上げた。正直、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
猫を連れて出勤したい。
南城は内心で驚いた。
「水川氏に紹介した男性の話では、大人しい猫だそうです。仕事の邪魔にはならない、と」
「その女性の猫なのか」
秘書は首を振った。
「現場にも連れて来ていたとか」
秘書は少し声を落とした。
南城は怪訝そうな表情になった。
「女性本人は、水川氏に話していないようです」
南城は、資料の文字を、もう一度見た。
変わった条件だ、そのときは、そう思っただけだった。