「社長」
秘書の呼びかけに南城は、頷いた。
「時間はかけたくないんだ。水川工業のことだろう」
自社の傘下に入れるか支援をするかで、対応も変わってくる。
彩の娘が働いているから、援助したいという気持ちはある。
「自分の考えを、言ってもいいでしょうか」
支援で良いのではと、予想もしない秘書の答えに驚いた。
「実は、あの後、水川社長に連絡を取り、工場のサイトも確認していたんです」
何か変わったことがあったのだろうかと南城は思った。
「高齢の男性が入ったんです。技術者です。正直、うちに来てくれたらと思いました」
そんな人材が、あの工場に入ったのか、南城は驚いた。
「公式サイトを見て、連絡してきたらしいんです。犬を連れて行きたいと申し出たそうです。ゴールデンです」
南城は驚いた。
「ペットではないんです。リタイアした盲導犬なんです」
秘書は言葉を続けた。
「公式サイトに、猫の写真がUPされていて、それがきっかけだったみたいですね」
正式採用されましたと秘書は言葉を続けた。
「最初の数日、お試しでということで、工場に連れてきたらしいです」
「大丈夫なのか、猫と」
喧嘩、工場内を走り回ったりしないかと考えた。
「犬は心臓疾患があるようです」
秘書は言葉を続けた。
「これからはペットや動物も高齢になれば飼い主だって不安になります。留守が不安になる。職場に連れていけたらと考えるのも無理ないかもしれません」
テレビやネットで、ペット同伴を認める会社があるのは知っていた。
だが、それは一部だ。
会社や経営者に理解があれば可能だろう。
ただ、水川製作所で起きていることは、少し違う。
「水川製作所の場合、ペット同伴でというのはあてはまりません」
南城は、テレビで見た明るいオフィスを思い出した。
社員の足元で眠る犬。
笑顔でインタビューに答える若い社員。
新しい福利厚生、働きやすい会社。
だが、水川製作所で働くのは高齢の技術者、仕事を終えた盲導犬。
効率だけで見れば扱いにくいものだ。
「支援という形がいいかもしれないな」
南城が言うと、秘書は静かに頷いた。
「自社に取り込むには、まだ早いと思います」
「理由は」
「大きな会社で同じことをやろうとするのは大変です。アレルギー、衛生、安全、責任範囲。どれも必要です」
南城は手渡された資料を見た。
「小さな工場だからこその利点だと思います」
先日、ミサキから工場のサイトに猫の写真を投稿したいと言われたときも、水川は驚いた。
深くは考えなかったし、期待はしていなかった。
数日後、面接の申込みを知って驚いた。
驚いたのは犬を連れていきたいという条件だ。
猫の写真を見て、働けると思ったのかもしれない。
「ペットではないんです。盲導犬のリタイア犬です」
ミサキの言葉に、水川はすぐには返せなかった。
犬を連れてきたい、それだけなら、わがままにも聞こえる。
盲導犬を引退した犬だと言われると迷った。
「心臓疾患があるそうです。普通の職場でも難しいと思います」
「うちだって普通の職場じゃないだろう。工場だぞ」
水川が言うと、ミサキは頷いた。
「だから、お試しです」
「仕事の間は私が。不安ならリードを。危険な場所には近づけないようにします」
「そこまで考えているのか」
「考えないと、受け入れられません」
ミサキはあっさり言った。
「まず一週間、様子を見るのはどうでしょう」
水川は画面に映る履歴書をもう一度見た。
条件があるから落とすのは簡単だ。
ただ、それを繰り返してきたから、この人は今も働き先を探しているのかもしれない。
「水川社長、面接には犬も同伴してもらえませんか」
「犬も?」
「はい。あんこと顔合わせをさせたいんです」
「猫と犬をか」
「本番で連れてこられるよりいいです。大きさ、落ち着き、人に吠えるか、音に反応するか。社長も見ておいた方がいいと思います」
水川は一瞬、犬の面接、という言葉が頭に浮かんだ。
人を雇う話をしているはずだった。
だが、笑う気にはなれなかった。
「トイレの場所も用意しておきたいです。高齢犬なら、若い頃より回数が増えることもあると思うので」
「そこまで考えるのか」
「連れてきてから困るより、先に見た方がいいです」
ミサキはあっさり言った。
「それに、犬が駄目なら、その人も働きにくいと思います」
犬を許可するかどうか、最初は、そういう話だと思っていた。
だが、彼女の話は違うと思った。
人間も安心して働けるかどうかを見ている。
「分かった。面接に連れてきてもらえ」
「はい」
「ただし、社員にも見せる。俺だけで決めない」
「その方がいいと思います」
ミサキはもう、次の段取りを考えている顔をしていた。
城崎という男性は水川よりも少し年上に見えた。
一緒にきた犬も高齢というが、足取りはしっかりしている。
だが、毛の色を見ると高齢犬だとわかった。
「大人しいですね」
「吠えないんですね」
「盲導犬だからな」
社員たちの声にも犬は静かだ。
「三か月前にリタイアしたんです。病気が見つかって、障害者との生活で何かあって大変だと協会がリタイアを勧めたんです」
城崎の言葉に水川は頷いた。
「一週間お試しということでいいでしょうか」
話を聞く限り断る理由がないと思った。
そばで聞いていたミサキが良いですかと声をあげた。
「白崎さん、一週間、自宅から会社までの送迎、迎えに行きます。猫のあんこも一緒です。慣れて欲しいと思います」
「それは、あなたに負担が」
城崎は驚いたがミサキは首を振った。
「正社員採用が決まったら、動物病院の変更も考えてください。会社から10分のところに病院があります。あんこも診てもらっています。信用のおける病院です。往診もしてもらえます」
面接に来たのは城崎、人間の筈だった。
だが、この場で見られているのは、城崎だけではない。
犬も、社員も、工場もみられていると水川は思った。
一週間はあっという間だった。
もしかしたら猫と喧嘩するのでは、工場という場所に慣れなくて犬は落ち着かないのではと思った。
だが犬は大人しい、猫は怒ることはしない、近寄ることはないしケンカを仕掛けることもない。
「社長、身構えすぎたんじゃないですか」
「そう見えるか」
「正直、犬の方が落ち着いてますよ」
「お前よりか」
「それは否定しません」
若い社員は笑ったが、すぐに犬の方を見た。
「でも、盲導犬ってすごいですね」
「訓練しても、なれる犬ばかりじゃないって聞きます」
社員は少しだけ黙った。
「ですね。仕事、辞めたあとも仕事してるみたいです」
「盲導犬って育てるのも大変だってききます」
社員が仕事帰り、水川に声をかけた。
「訓練しても合格しなければ、駄目ってききます」
「普通のペットじゃないんだな」
水川は、暇なときスマホで盲導犬のことを調べてみた。
リタイアしても、仕事の時のくせ、習慣が抜けない犬もいるようだ。
人間ならのんびりするところだろう。
改めて工場が変わってきたと水川は感じていた。
「うちの傘下に入ってほしい、という話ではありません」
水川は黙って南城を見た。
「むしろ、今は入れない方がいい、そう感じました」
水川は内心ほっとした。
視察を受ける前なら、南城の話に飛びついていたなと思った。
「大きな会社に入れば、規定が先に立ちます。安全面、衛生面、労務管理、責任範囲。どれも必要です。ですが、それは簡単ではない」
大手からの支援。
資金、人材、安全管理。
どれも喉から手が出るほど欲しい。
だが今は違う。
工場の隅に置かれたデスク。
猫の写真が載った求人ページ。
夜に開く電話窓口。
高齢の技術者と、リタイアした盲導犬。
どれも、始まった、動き出したばかりだ。
「ありがたい話です。最近になって、うちの工場は変わってきました」
それを外から支えるのか、外の力で変えてしまうのか。
その違いを、自分は見極められていない。
いや、分かってもいない。
「分かりました」
南城はあっさり頷いた。
水川は少し拍子抜けした。
もっと押してくると思っていた。
「急ぐ話ではありません。ただ、困った時に相談できる先がある。それだけでも違うはずです」
「それは、確かに」
「使うかどうかは、そちらが決めてください」
南城はそう言って、名刺を一枚置いた。
水川はその名刺を見た。
紙一枚だ。
だが、受け取るだけで工場の空気が少し変わる気がした。
工場から出ようとしたとき、ミサキの姿を見かけた。
猫を抱いている、隣には犬がいる。
「トイレ、終わったね、水を飲んだ方がいいかな」
猫も犬も大人しく水を飲んでいる。
南城は近づき、声をかけた。
「木桜さん、私は、あなたの母、彩さんの知り合いです」
突然の紹介だがミサキは驚かなかった。
「知り合い、もしかしてあやさんあなたに迷惑をかけていませんか」
南城は笑みを浮かべた。
彩の性格を知っているのだと思った。
「彩さんが亡くなったと知ったのは葬儀の後なんです」
「すみません」
ミサキは頭を下げた。
「死因が酔っ払って、泥酔。彩さんの友だちが、知人だけの方がいいって」
「一度話がしたいんです。彩さんのことを」
水川は、少し離れた場所で足を止めていた。
声の全部は聞こえない。
だが、ミサキが南城に向けている顔が、仕事中の顔ではないことだけは分かった。
それが何なのか、分からない。
ただ、目が離せない、気になってしまった。