【悲報】現代日本に転生したのに政略結婚させられそうw【よう実世界?】 作:あいあむ?
その話を聞かされたのは、放課後のことだった。
「綾小路君。少し、お時間をいただけますか」
月城代理理事長からの呼び出し。
珍しいことではないが、あの男がわざわざオレを呼ぶときは、ろくでもない案件が待っているのが常だ。
(面倒だな)
心の中で吐き捨てつつも、オレは一切の感情を殺した無表情のまま頷いた。
「構いませんけど。何かありましたか?」
「ええ。君の今後――ひいては、人生の設計に関わる重要なお話です」
今後に関わる、か。
その持って回った言い回しだけで、だいたいの予想はついた。
高度育成高等学校の内部事情や試験に関する話なら、月城がわざわざオレ個人を呼びつけてまで話す必要はない。校長代理としての職務の範囲外だからだ。
となると、ホワイトルーム――あるいは『あの男』絡みだろう。
できれば関わりたくない相手だが、向こうから手を出してくる以上、無視するわけにもいかない。
「実は――君の婚約が決まりました」
「……婚約、ですか」
思わず聞き返した。いや、正確には「一般的な高校生」としての困惑を演じて見せた。
予想の範囲内ではあったが、まさか高校在学中というこのタイミングで政略結婚のカードを切ってくるとは思わなかった。
「はい。お相手は、
「永宝界……」
聞き覚えのある家名だった。
旧華族の流れを汲み、政財界にも深い根を張る名門。伝統と格式を重んじる一方で、古流武術の宗家としても知られている。
そして、その家には一人、同年代で特に異彩を放つ令嬢がいるはずだ。
「永宝界
「へえ……すごい人なんですね」
当たり障りのない相槌を打つ。
驚いたように目をわずかに見開き、純粋な困惑を含んだ声を出す。
普通の高校生なら、この程度のリアクションが限界だろう。月城に余計な勘繰りをさせる隙を与える必要はない。
「……それで、オレはその人と結婚することになるんですか?」
「現時点では婚約という内定の段階です。まずは互いに顔を合わせていただき、その後の展望を決める予定となっております」
「……あの男――父が決めたんですか?」
「はい。両家の当主同士で直接話し合われた結果です」
なるほど。
当事者たちの意思など、最初から考慮の対象にすら入っていないらしい。
オレの意思も。相手の意思も。
家同士の利害が一致した。ただそれだけで、一人の人間の未来が記号のように処理されていく。
別に珍しい話ではない。あの男にとって、オレは自身の野望を達成するための最高の「作品」であり、「道具」だ。そこに個人的な幸福や希望といった情念が入り込む余地など万に一つもない。
ならば、今回の婚約も同じこと。オレという存在に、永宝界家と繋がるための利用価値を見出したのだろう。
「そうなんですか。分かりました」
あえて深く追及はしなかった。
ここで反発してみせたところで状況が好転するわけでもない。感情を散らすより、「この決定を受け入れるフリをすることで得られる利益は何か」を計算する方が遥かに合理的だ。
「綾小路君は、今回の婚約についてどうお考えですか?」
「どう、と言われても……。相手の方の顔も性格も知らないので、今の段階では何とも言えませんね」
「もっともなご意見です」
月城は穏やかな笑みを浮かべた。だが、その眼鏡の奥の瞳は、オレの一挙手一投足を顕微鏡で覗き込むように観察していた。
オレが「婚約」という言葉にどう動揺するのか。あの男の決定に不満を抱いて反発するのか。それとも無条件で服従するのか。
こちらの底を探っているのは明白だった。ならば、余計なデータを与える必要はない。
「ただし、一つだけハードルがございます」
「ハードル?」
「高度育成高等学校の規則です。ご存じの通り、本校の在校生と外部との接触には極めて厳しい制限が設けられています」
「ああ、そうでしたね」
言われるまでもない。この学校は生徒の外界からの孤立を前提として成立している。通信も面会も自由には行えない。婚約者だからという理由で特例が認められるほど甘くはないはずだ。
「今回の顔合わせにつきましても、学校側(理事会)との調整にかなりの時間を要しました。今後、自由にお会いいただけるとは限りません」
「そうなんですか。それは大変ですね」
表向きは残念そうに肩を落としてみせた。
だが内心では、むしろ都合がいいと判断していた。
婚約者ができようができまいが、オレがこの学校で享受している自由を変えるつもりはない。外界との不要な接点が遮断されるなら、オレにとっては好都合だ。
しかし、月城の言葉はそこで終わらなかった。
「それから――今回の婚約については、君のお父様も大変な期待を寄せていらっしゃいます。くれぐれも、粗相のないように」
「……分かりました」
やはり、あの男の影がちらついている。
ただの政略結婚なら、月城がここまで慎重に立ち回る必要はない。あの男が永宝界家に何を求めているのか。あるいは、永宝界家があの男に何を期待しているのか。
そこは気になるところだが、現時点ではカードが少なさすぎる。不確定要素が多い段階での推測は、思考のリソースの無駄遣いだ。
「顔合わせには出席します」
「ありがとうございます。では、日程が確定次第、改めてご連絡いたします」
月城との対話はそこで終了した。
部屋を出て、静まり返った廊下を歩く。
(婚約、か……)
ずいぶんと厄介な課題が放り込まれたものだ。
しかし、現段階で拒否する合理的理由がない以上、形式上は受け入れておくのが最善の手。相手がどのような人間で、どのような役割を持たされているのか。それを見極めてから切り捨てても遅くはない。
オレはそう結論づけた。
このときはまだ、永宝界聖という少女が、オレの想定を超える異質な存在になり得る可能性について、深く思考を割いてはいなかった。
◇
数日後。
高度育成高等学校の敷地外縁、特別許可によって立ち入りが認められた離れにある料亭。
指定された時間に個室の障子を開けると、すでに月城と、格式高い和服を纏った永宝界夫妻が着席していた。
そして――その向かい側に座る少女。
艶やかな黒髪。
無駄のない端正な顔立ち。
定規で測ったかのように美しく伸びた背筋。
高校生という年齢にはそぐわない、静寂そのもののような雰囲気を纏っていた。
彼女こそが、永宝界聖だった。
「初めまして。永宝界聖と申します。本日はよろしくお願いいたします」
彼女は深々と頭を下げる。
その所作には一切の無駄がなかった。頭を下げてから戻す速度、視線の落とし方、呼吸のタイミング。すべてが極めて高い次元で洗練されている。
日常の動作の一つひとつにまで意識を張り巡らせることが、骨の髄まで染み込んでいる人間の動きだ。
「初めまして。綾小路清隆です。よろしくお願いします」
オレも同様に頭を下げる。
声のトーンは少し低めに、雰囲気は穏やかに。
どこにでもいる、少し口数の少ない無害な高校生。それが今、この場でオレが演じるべき配役だった。
席につき、料亭の料理が運ばれる中で、形式的な会話が進む。
両家の歴史。婚約に至る経緯。今後の見通し。
月城が滑らかに場を回す中、オレは適度な相槌を打ちつつ、正面の少女を克明に観察していた。
永宝界聖。
武術の達人。『剣聖』の異名を持つ令嬢。
事前に入手できた情報はそれだけだったが、同じ空間で空気を共有することで見えてくるものがある。
彼女は周囲の環境に対して極めて鋭いアラートを張っている。
それも、単なるお嬢様としての礼儀作法からくるものではない。
月城が話すときは月城へ、両親が口を開けばそちらへ視線を向ける。だが、意識の全量を話し手に預けてはいない。相手の手元、肩の揺れ、重心の移動――そうした微細な身体言語を、無意識のうちにスキャニングしている。
警戒心が異常に強い。そして、対象を「観察」することに長けている。
(……なるほど)
単なる人形として親の言いなりになっているわけではないらしい。
「今回の婚約につきましては、両家の当主間ですでに合意が得られております」
月城の説明に、聖は静かに頷く。
「ですが、ご本人たちの意向を十分に汲み取れていなかったことも事実。そこが今後の課題となりましょう」
その言葉を受けた瞬間、彼女の眉根がごくわずかに寄った。
不満があるのだ。
家の都合で自分の人生を決められたことに対する、静かな抗い。だがそれを露骨に出して場を乱す愚は犯さない程度には、理性が勝っている。
「綾小路君は、今回の婚約についてどう考えておられますか?」
月城がオレにパスを投げた。
視線が集まる。オレは少しだけ困惑したような間を置いた後、口を開いた。
「オレは今日、初めて聞いた話も多いですし……父が決めたことなら、何か考えがあってのことなんだと思います」
肯定も否定もしない。親の決定を尊重する素振りを見せつつ、自身の意見の明言を避ける。情報が決定的に不足している段階で自身のスタンスを確定させるのは下策だ。
すると、聖がまっすぐにオレの目を見つめてきた。
「――あなたご自身は、この婚約をどう思っていらっしゃるのですか?」
率直な問いだった。
家の都合という外枠と、目の前にいるオレ個人の意思を明確に切り分けて考えている。
オレは彼女の視線を受け止めた。ブレのない、透き通った瞳。
適当な嘘で煙に巻くこともできたが、ここで無価値な答えを返せば、彼女からの情報を引き出す機会を失う。必要最低限の「事実」を与えるのが合理的だ。
「オレはまだ君のことを何も知らないし、君もオレのことは知らないはずだ。今の段階で『結婚したい』とも『したくない』とも言えないのが本音だよ」
彼女はわずかに目を細めた。オレの言葉を咀嚼し、その裏にある論理を計算している。
やがて、静かに言葉を紡いだ。
「……私も同じです。家の都合で人生の選択肢を狭められたことには憤りを感じていますが、あなたという個人を知りもしないうちに拒絶するのは、不誠実だと考えています」
筋の通った考え方だ。
感情的な反発に流されず、事実とロジックで物事を捉えようとしている。扱いやすいタイプではないが、話が通じる相手ではあるらしい。
「そうだな。なら、まずは互いを知ることから始めればいいんじゃないか」
オレがそう告げると、彼女の胸元がわずかに上下し、小さく息を吐いた。
安堵したのだ。婚約相手が話の通じない愚か者でも、理不尽な圧力をかけてくる存在でもなかったことに。
もちろん、オレが彼女に歩み寄ったのは善意からではない。現時点で婚約を破棄して破談にするメリットがなく、関係性を「保留」にしておくことが最もリスクが低いからに過ぎない。
だが、結果として彼女との間に一定の摩擦回避ラインを構築できたのなら、それで十分だ。
◇
話題は、学校生活の制約へと移っていった。
「ただし高度育成高等学校の機構上、外部との接触は極限まで制限されます」
月城が説明を重ねる。
「連絡先の交換は当然禁止。手紙等の書簡も検閲の対象です。ご実家を経由した連絡も、特別な事由がない限り許可されません」
聖は真剣な表情でその条件を聞いていた。
「左様ですか……」
表情こそ崩さないものの、わずかに落胆の色が覗いた。
せっかく顔を合わせたというのに、今後のコミュニケーション手段が絶たれるのだから無理もない。
もっとも、オレにとっては理想的な展開だった。
学校生活というプライベートな領域に外部の不確定要素を持ち込まずに済む。
「今回の面会自体、特例中の特例でしてね。今後、再びお会いできる保証はありません」
月城の言葉を聞き、聖はしばらく手元を見つめて思案していたが、やがて視線をオレに戻した。
「綾小路様。不躾な質問ですが……もし将来、私と結婚することになった場合、あなた様は私に何を求めますか?」
唐突な問いだった。だが、答えるべき内容は決まっている。
「別に、何も求めないよ」
「……何も、ですか?」
「ああ。少なくとも今の段階ではね。君が君自身の意思で生きているなら、それでいいんじゃないか」
オレにとっては、単なる事実の提示だった。
相手が自身の意思で動き、自己責任で完結してくれるなら、オレが余計なリソースを割いて管理・コントロールする必要がなくなる。不干渉こそが最もコストのかからない関係性だ。
だが――永宝界聖という少女にとって、その言葉の意味は違っていたらしい。
彼女は目を見開き、一瞬だけ固まった。
そして、それまでの張り詰めた空気をふっと緩め、薄く柔らかい笑みを浮かべたのだった。
「……そうですか。ありがとうございます」
その声には、先ほどまでの警戒心が嘘のように消えていた。
(……なるほどな)
彼女は「永宝界家の令嬢」や「剣聖」としてではなく、一人の人間として自身の意思を尊重されることを渇望していたのだろう。家の道具として扱われてきた背景があるからこそ、オレの不干渉なスタンスが「尊重」として補正されて伝わったわけだ。
勘違いではあるが、否定する必要もない。
こちらに都合の良い好意や信頼を寄せてくれるなら、利用価値は高まる。合理的な距離感を保つには打ってつけの状況だった。
◇
顔合わせが終わり、料亭の玄関口。
永宝界聖という人間のデータは、短い時間で十分に回収できた。
・礼儀作法は完璧だが、内面には強い自我がある。
・観察眼に優れ、事象を論理的に分析する傾向がある。
・『武』を修めた者特有の、極めて高い身体操作能力と重心コントロール。
最後の点については、食事中の動作から明白だった。
座敷での立ち振る舞い、箸を動かす際の肩甲骨の連動、指先の微小な震えのなさ。すべてが極めて高水準の鍛錬を物語っていた。
そして――彼女もまた、オレを観察していた。
オレの姿勢、呼吸の周期、視線の動き。武術家としての直感で、オレという存在の「異常性」を探ろうとしていたはずだ。
幸い、オレは無意識の癖を含めて「無害で平凡な高校生」の動きを完全にトレースしている。彼女の観察眼をしても、不確定な「違和感」程度しか残せなかったはずだ。現段階で警戒されるリスクは低い。
「またお会いできることを、心より願っております」
去り際、彼女は静かに言った。その瞳には、単なる社交辞令を超えた明確な興味の光が宿っていた。
「そうだな。機会があれば」
無難な返答を返し、オレたちは別れた。
◇
寮へ戻る道中、夕闇に染まる敷地内を歩きながら思考を整理する。
永宝界聖。
現時点で敵対する理由はない。むしろ、上手く手綱を握ればあの男や月城に対する牽制のカードとして機能する可能性すらある。
だが、問題は『あの男』の意図だ。
なぜ今、永宝界家なのか。
政治的権力か、武道界における人脈か、それともホワイトルーム計画の発展形としての遺伝子・血統の掛け合わせ(ブリーディング)の一環か。
どれもあり得る。だが、情報が足りない現段階で結論を急ぐのは愚の骨頂だ。今は保留が最善。
オレは小さく息を吐いた。
(面倒なことになったな……)
それが率直な感想だった。
せっかく手に入れた「普通の高校生活」に、また一つ巨大な不確定要素が投げ込まれた。
だが、起きてしまった事象を嘆いても意味はない。与えられた条件下で、自分にとって最も利益となる選択をし続けるだけだ。
彼女に対して特別な感情などない。整った容姿も、気品ある立ち振る舞いも、オレにとっては評価項目の一点に過ぎない。
人間関係など、状況と利害によっていくらでも変化する。
(まあ……まずは学校生活が優先だ)
◇
数日後。
高度育成高等学校、1年Dクラスの教室。
教壇では茶柱が退屈な授業を続け、隣の席では堀北が真剣な眼差しでノートをとっている。軽井沢は友人たちと手紙を回し合い、別のクラスの一之瀬は廊下を笑顔で歩いていく。
いつも通りの、偽りの日常。
オレは頬杖をつきながら、黒板の数式を眺めていた。
ふと、数日前の顔合わせが脳裏をよぎる。
永宝界聖。
自由に会うことも連絡を取ることも許されない環境。
普通の人間なら諦めるだろう。
だが――もし彼女が、あの「観察眼」と「意志の強さ」を本物とするならば?
ルールという枠組みを突破するための行動を起こす可能性はないか?
例えば――この高度育成高等学校への『編入』や『入学』。
現実的には極めて困難だ。この学校の制度上、途中編入のハードルは異常に高い。だが、高度育成高等学校が「実力主義」を標榜し、政財界の強い影響下にある以上、永宝界家の権力と彼女自身のスペックをもってすれば、絶対に不可能なシナリオとは言い切れない。
もし彼女がこの学校に現れたら――。
オレの「平凡な高校生」という仮面は、これまで以上に精巧な維持を求められることになるだろう。彼女の観察眼は、Dクラスの面々とは比較にならないほど鋭いからだ。
「……綾小路君?」
不意に、隣から冷ややかな声が飛んできた。堀北だ。
「なんだ?」
「さっきから妙に意識が散漫になっているようだけれど。授業の内容、理解できていて?」
「ああ、問題ない。昨晩少し夜更かしして眠いだけだ」
「そう。ならいいけれど……足を引っ張るような真似はしないで頂戴ね」
堀北は呆れたように小さく息を吐き、再び黒板へ視線を戻した。
危ないところだった。思考に没入するあまり、外部への警戒度が落ちていたらしい。
普段通りに振る舞う。目立たない。無害な存在であり続ける。
それが、この学校で平和に生き残るための鉄則だ。
オレは思考を切り替え、教科書に目線を落とした。
永宝界聖の件は、一旦思考のバックグラウンドに追いやればいい。現実に問題が発生してから対処しても遅くはないのだから。
――ただ。
あの料亭で、オレの言葉を聞いたときの彼女の表情。
「君自身の意思で生きているなら、それでいい」
あの言葉に、彼女が救われたような表情を見せたのは事実だ。
あの男の支配、家の都合、課せられた宿命。
それらに抗いながら生きようとする彼女の姿に、ほんのわずかだけ――かつての自分に近いものを感じたのかもしれない。
もし、彼女の「意思」が、あの男の「思惑」と衝突したとき。
彼女はどのような選択をするのか。
ほんの少しだけ、興味があった。
もちろん、オレから手を差し伸べるつもりなど毛頭ない。
何事も、観察と静観が基本だ。
オレはノートに淡々と文字を書き走らせた。
いつも通りの授業。
いつも通りの日常。
表向きは、どこにでもいる冴えない高校生。
その裏側で蠢く、親の野望と永宝界家の事情。
それらがどう絡み合い、オレの学校生活を脅かすことになるのか。
今はまだ、答えを出すときではない。
すべての判断は、保留とする。
それが、現時点におけるオレ――綾小路清隆の、最も合理的な結論だった。