アリス最強物語 作:asame
適当に積み木を入れたおもちゃ箱のような内装。灰色で塗り固められた迷路の奥の奥、突き当りの壁に取り付けられたおんぼろ梯子を上った先の4畳半にその少女は住んでいた。
黒ずんだマットに胡坐をかき、ズルズルとカップ麺を啜る。その表情は固い。有り金を使い果たして手に入れたものがこんなものかとがっかりしたのだ。
「カップ麺なら外れがないと思ったんだけどなぁ」
味は薄く、内容物も食欲をそそらない。少女は箸風の棒でぷかりと浮かんできた眼球らしきものを底に押し込み、食べられそうな部分を厳選する。
次はどうしようか。また一からお金を集めるのは当然として、今度は前よりもっとお金を貯めて高いものを買おう。それなら味も外れないでしょ。
より良い明日を見据えて少女アリスは笑う。
前世で当たり前に食べていたものはこの世界のこの場所では非常に高価で簡単に手を出すことができない。それでも、望郷を感じて、あるいは、この世界由来の飯に不満を持って、彼女は飯にこだわるのだ。
食べ終わったカップは捨てずに保管する。容器一つとっても無駄にはできないのだ。ちまちまと収集したもので作られたガラクタ置き場が命を繋ぎ、明日への活力を作る。
夕食の後は軽い柔軟運動。そして就寝しようとする。赤黒い汚れがこびりついたブルーシートを持ってきて体をくるむ。その際に汚れがパラパラと剥がれてくるが、その正体は努めて考えないようにする。
少なくともここには眠るために必要なものがそろっている。それだけで十分だ。
「おやすみなさい。僕」
瞼を閉じ、意識を手放そうするが足音が聞こえたのでむくりと起き上がる。手には鉄パイプ。
5人の男たちが梯子の下に集まっていた。それぞれが鉈や、ハンマー、のこぎりなどの思い思いの武器を持ち、梯子の上を固唾を飲んで見つめている。
やがて、一人がアルコールビンに布を浸した手作り火炎瓶に火を付け、ぼうっと薄ら闇にゆらめく。
手順は何度も確認した。寝込みを5人がかりで襲い、殺す。その後、スカベンジャーに肉を食われないように袋づめにして持ち帰る。
この場に揃った誰もが殺しを経験済みだ。誰かを殺すことなんてやり慣れている。相手は最近入ってきたばかりの一人の少女で、仲間はいない。状況はどこまでいってもこちらの有利だ。
しかし、ここにいる誰もがこれが見た目ほどに簡単な仕事でないと理解していた。
17回。一月前に少女がこの場に住み着いてから、襲撃を跳ねのけた回数だ。
そして18回目の実行犯に選ばれた男たちは、自身たちの前身の末路を知っている。できれば、このまますべてをほっぽり出して家族のもとに戻りたい。友人と酒を飲みかわし、バカ話の続きを聞かせたい。
そんな、もしもを男たちは火炎瓶が投げられるまでの数秒、夢想した。そして、賽は投げられた。
火炎瓶は投げられなかった。それは男が躊躇したからではなく、投擲を命令する脳が叩き割られていたからだ。アリスはすでに躍り出ていた。
手から零れ落ちたビンは男の死体ごと地面を焼き、それが決戦の幕開けとなった。
鉈をもった男は雄たけびを上げ、少女に切りかかる。男の筋力と手入れを怠っている鉈は相手を容易く、叩き潰す。勿論当たればの話だが
一撃をアリスは軽快によけ、笑う。
「はは、むさくるしいね。今回も」
男は大股でさらに一歩。アリスへ踏み込み、鉈を横なぎにする。危うく周りの仲間を巻き添えにしかねない攻撃を、アリスはしゃがみこみ右腕をふりぬく。
その手に握られている鉄パイプが男の片腹にぶつかり、そしてあるべき抵抗を無視し、そのまま体を上下に引き裂いた。
血をまき散らしながら男は絶命し、男の下半身は数歩歩いた後崩れ落ちた。
男たち3人、思考がシンクロした。勝てねぇよ、無理だよこいつ。
すでに二人やられている。撤退すべきだ。あんなことが出来る奴になにをしろっていうんだ。
でもよ、頭では逃げるべきだと分かっていてもよ、足が動かないんだ。
隣でグジュリと破裂する音と粘着質な糸を引く音が聞こえ、そちらに視線を向ける。
頭をつぶされた死体が丁度倒れたところだった。こちらとの距離が遠く、どうやら逃げようとして目をつけられたらしい。
卑怯だとかずるいだとかそんなことよりも、よく背をむけて逃げられたな、とこんな状況なのに感心した。
残るは2人。仲間と目を合わせ、アリスへ向き直る。捨て身で両方から打ちかかる。せめて、一撃でも。
アリスはただそこに立つ。そして無造作に鉄パイプを片方に投擲し、もう片方の腹を蹴る。どちらも即死だった。
そうして今回の襲撃は1分も経たずに終わった。
ずるりと壁の排水溝や通気口から黒いタール状の粘液がいくつも染み出し、それぞれが死体を包み込んでいく。アリスは壁に寄りかかりながらその様子を観察する。
「今日も精がでるね。クロ、そいつらは美味しいかい?」
独り言のようなそのつぶやきは静寂に溶ける。ことは無い。
「カゾクはヨロコンデいるケド。ソレもミタサレた結果だろう。オイシイ、というのはナンダ」
コポコポとタールのうちの一体が泡立ちながら答えた。
「美味しいっていうのは、舌がとろけるような美味のことだよ。粘液君」
「セツメイにナってねえヨ。ソモソモ、オレにシタはナイ」
アリスはクスクス笑う。
ここに来た時に、一人が寂しくて話し相手を探した時期がある。そんな折に弱っている粘液、スカベンジャーを見つけた。
発声器官とか、言葉を考える脳みそだとかそんなものはなさそうだったけれど、そもそも一方的にでも話せる相手が欲しかったアリスは粘液を拠点に拉致し、ペットとして飼っていた。
ただ嬉しい誤算として、彼らは見た目ほどに無機質な存在ではなく、アリスが思うより賢い知的生命体だったのだ。それからというもの、基本的には愚痴相手として話しかけ続けた。
その日も、襲撃を切り抜け、拠点でその日の愚痴を粘液に話していると、粘液が泡立ち始めた。
「グチグチウルセえ。ネカセロや」
それが初めての会話だった。その後、目の前の粘液が会話ができるという事実に舞い上がったアリスに質問攻めをされたり、命名式を勝手に開催された粘液、改めクロは人間という種が嫌いになった。
さて、とアリスは歩き始め、その後ろをクロがズルズルと追いかける。
「ドコにイクッてんだ、アリス」クロは胡乱げな視線を(眼球といった器官は持たないから雰囲気で)アリスに向ける。
「こいつらを差し向けた奴のところ」
朗らかな口調で話しながら、周りに目を向ける。
薄暗い道には黒々とした汚れがこびりつき、いかにも汚らしい。その汚れはこの場で幾度も惨状が繰り返されていることを表しており、アリスは幸運にもその仲間入りをするようなことは今までなかった。
「やられたらやり返す。僕なりの鉄則なんだよ」
遠くを見やり静かにつぶやき、物憂げな横顔を作る。
「ソノワリにはタノシソウだ」
パートナーに虚言は通じず、表情が崩れ、ペロリと舌をだす。
「悪い奴をぶちのめすのくっそ楽しいよね」「ハァ……」
「それに悪い奴ってのは金を貯めこんでるもんさ」「ナルホド、ソレがネライか」
襲い掛かってきた奴を返り討ちにして、金品を奪う。アリスはこの世界でまともな職に就けないので収入を強奪で賄っているのだ。
そして、得たお金で買うのは高価な食品ばかりなので、すぐに同じことを繰り返すことになる。
そうしてアリスは今日に至るまでに雪だるま式に敵を作りだしていくことになる。
あっちもこっちも誰もかもがアリスを殺したがる。特に賞金首や敵討ちと呼ばれると、当たり前な話ではあるがアウトローな自分を実感することになる。
クルクルと鉄パイプを回しながら、横道から突進してきた浮浪者を殺す。薄汚れたナイフがカラコロと鳴って、終わる。死体はクロがジュルジュルと溶かし、そこに人がいたことなんてもうだれにも分からない。
たまに思う。いつか自分もこんな風に死ぬのだろうか。
アリスとクロはぼこぼこと乱立したブロック状の建物の中にTの形をしたビルを見つける。あたりの電灯はいままで通ってきた路地とは違い、白く輝いている。人の居住区域の端っこに位置する犯罪組織ビルがここだった。
「あれだ、あれ。あいかわらず前衛的な形だなぁ、分かりやすくて助かるよ」
クロも体を縦にビョーンと伸ばして確認する。
「コッチのことはマダ認識してねえみたいだガ。このままツッコむのか?」
可愛いなぁと内心で思いつつ、アリスはストレッチを始める。
「ぶっちゃけ、さっきのは捨て駒だろうしなぁ。怪我でも負わしてくれれば儲けもんってやつでしょ。そして怒ったボクがここに来ることも読んでいるだろうね。ぜーったいに罠あるよ、あいつら僕のことをイノシシか何かだと思ってるからこんなことが出来るんだ、失礼だよ全く」
「ソウだな。イノシシというモノは知らんガ、オマエと比べられたソイツは気の毒ダ」
「突進しちゃうぞこのやろう」
ストレッチを終え、一息つくとアリスは悠然とビルに向かって進み始める。
「正直ね、無傷では済まないと思う。向こうはこっちのことをよく知ってて、こっちは相手のことを知らない。お金があるんなら強い用心棒とか殺し屋とか雇えるだろうし、部下もたくさんいる」
「でもね、相手のボスのことは知ってるんだ。こっちに来たばかりの時に潰した奴らの中にいてね、眼鏡をかけてて、とっても神経質そうなんだよ」
アリスはクスクス笑う。
あの時、アリスは丁度この世界の生きぬくためには強奪するしかないと知り、目についたT字のビルに乗り込んだのだ。
中は迷路のように入り組んでいた、当時のボスを見つけれたのは幸運だったと思う。
その部屋は、高級そうな家具で埋め尽くされていた。アリスはそこにいたボスをガラス張りの壁から突き落とし、金庫をこじ開けていたのである。
その最中に現れたのが、眼鏡をかけた男だった。インテリヤクザという風体だった。
男は部屋へ入ってくるなり、アリスへ向けて爆弾を放り込んできた。
爆風と衝撃。
目の前の固い獲物に気を取られていたこともあって、反応が遅れたアリスは先ほど人を突き落とした壁から、自分も落下する羽目になったのだ。骨折した両足で命からがら拠点に戻ることになり、クロには爆笑された。
その後、眼鏡の男が組織のボスの座に収まったという話を聞いた。
「ジャア、リベンジッテやつだナ」
「おお!いいこと言うね、クロ」
肩にクロを乗せ、少女は駆ける。
やられたらやり返す、殺す、奪う。その過程で死ぬことになろうとも、この生き方は変えられないのだろう。私はこの闘争に身を任せたい。
上半身を思い切り回転させ、その勢いのまま鉄パイプを、上層階、あの時、粉々になったガラスの壁は今はすっかり元通りになっている、にぶち投げた。
狙いは過たず、アリスの狙い通りに直撃し、瞬間、赤い光がさく裂し一帯を吹き飛ばした。
衝撃波がプルプルとクロの体を波うたせる。
「ニンゲンは、アアいうコトもデキるのか」
「まあね」
近くの壁に片足をついて鉄パイプを引き抜いたアリスは誇らしげに笑う。
「見た目が派手でかっこいいよね、連発できないのが難点かなぁ」
アリスは両手で鉄パイプを握り、ビルを見上げたビルでは多くの人の怒号や悲鳴が聞こえてくる。
「さあて、どう出てくるかな」
「...という風に、長々と話させてもらいましたが、改めて簡潔に説明いたします。まず、彼女はそこらに居る少女ではなく「異形」そのものと考えてください。敵と対峙した際、尋常ではない速度で懐に飛び込み、人間離れした筋力でもって得物を振るい、こちらを肉片へと変えるのが彼女の基本的な戦闘スタイルとなります。また、相手の攻撃をかわす様子が見受けられることから、彼女の速度に合わせた一撃を繰り出せるのなら、もしくは傷を負わせ、命を摘み取れる可能性があります。これに加え、先ほどの爆発の際、鉄パイプを投擲していたのを目撃していた部下がいます。どうやら、自身の得物から爆発を起こす技も持ち合わせているみたいですね。これは今までの報告にはなく、他にもいくつか奥の手を隠し持っている可能性があるのでご注意を」
ヨモギはそう一息に言い切ると、深く息を吐き目元へ垂れてきた血液をハンカチで拭った。
他に気にすることがある中で、場違いにも高級なレースのハンカチをこんな形で汚すことに悲しみを感じていた。
命を拾えるかもわからないのに。
ヨモギの前には男女が立っている。どちらも腕利きの護衛として大枚をはたいてヨモギが雇っていた。そして、つい先ほどその活躍によってヨモギは間一髪、爆破を免れていた。
部屋は無残な有様だったが。入り口の上に飾ってある肖像画ぐらいだろう、無事なのは。
しかし、逆に言えば相手はこちらの最大の財産、命は奪えなかったと、そうなる。
勝ち目は十分にある。ヨモギはそう結論づけ、目元に冷徹な光が宿る。
「では、任せましたよ。アタリさん、トオリさん」
アタリと呼ばれた男は天井に頭が擦れそうなほどに巨大だ。しかしトオリとよばれた女性はそれよりさらに巨大だ。
そしてどちらも抜き身の刀を握っている。これもまた長大だった。
「まぁ、そういう契約だからな、きっちりやるよ。そもそも、あんなかわい子ちゃんがただ殴るだけの奴じゃねえことぐらい分かってたぜアタシはよ。はは、とんでもねぇ切り札を持ってるっていうアタシの推論が当たっちまったよ。どうするアタリ?」
トオリがニッカリと笑い、犬歯を覗かせる。
無精ひげをなでつけアタリは答える
「接近戦となれば、二人掛かりだろうが苦戦するだろうな、小さな体に強大な筋力。まさに怪しい力ってやつだ。可能なら不意打ちで片を付けてしまいたい。何もさせないのが理想だ」
「おっと! ソレは弱気じゃないかい?あるさ分はこっちにね。筋力任せの馬鹿なんてあいてじゃないさ。それよか、爆破が気になるよアタシは」
「連発できると思うか?」
「ああいった大技ってのは使うのにそれなりに気力なり代償なりを支払うはずさ。仮にぽんぽん打てるなら、とっくに使ってるはず。カワイ子ちゃん特製の必殺技は回数制限があるはずさ」
「見せ札を切ったのはこっちを委縮させて自分の有利に進めるため、連発できないからこその示威行為と考えてよう」
「これで実は連発できました! だったらウケるな!」
「地獄で笑ってろ」
お互いに考えを共有したアタリとトオリは階下に目を向ける。できるだけ傷を負っていてくれ。ここにいる奴らは覚悟を決めていて、武器だってスラム街のゴロツキにしちゃあ上等なもんだ。
だとしても、殺せるなんて鼻から期待などしちゃいない。それは雇い主であるヨモギも良く分かっているのだろう。あの女を、アリスを知るほどにそう思う、あれは力を得てしまった者がたどる末路だ。
この糞みたいな世界で力を持っている奴ってのは狂いやすい。なまじ、無理を通せるから、限界が分からない、ただおもちゃ箱ですべてをひっくり返しながら楽しむだけだ。
そして、最後には狩られて死ぬ。そうだ、俺たちが狩るんだ。
「飲み物はあるかい、ヨモギさん。冷たいのがいい」
部下に指示を出していたヨモギが追加で部下に命令する
「今、持ってこさせるように言いました」
「何だい、アタリ。緊張してるのかい?」
「まあ、な」
「ねえ、アタリ」
「なんだ、トオリ」
「アタシもアンタも死なない、そしてたんまりとお金をもらうのさ」
「何だそれ、楽勝じゃねえか」
12階建ての建物を駆け上るのにかかった時間は、おそろしく短い。常人と比べればその異常な速さが良く分かる。しかし、それでも目の前の化け物であればさらに数十秒時間を短縮できたはずだ。それは、つまり部下たちの決死の抵抗が効果を及ぼしたことになる。
アリスはそのまま駆け抜けようとして、通路の途中で足を止める。その視線はヨモギへと向けられた。肩には黒い粘液が乗っかっている。
「逃げなかったんだ」
そう言ってアリスはヨモギへ微笑みかける。それに対し、ヨモギは無表情で言葉を紡ぐ。
「来賓を持て成す際に主人が不在というのは礼を失しますから。お久しぶりですね、アリスさん。お変わりないようで」
「おかげさまでって言えばいいのかな?悪いけどここには苦情を言いに来たんだ」
鉄パイプを向け、ゆっくりと距離を詰めていく。ヨモギは依然として動かない、まるで運命を受け入れた殉教者のようにアリスが鉄パイプを頭部に振りぬくその瞬間まで本当に動かなかった。
刀が振るわれる。二刀の刀は左右からアリスへ切りかかり、片方を寸前で避けた所を狙う一撃だった。
勢いよく鮮血がほとばしり、通路の壁を汚していく。
「びっくりしたよ、まさかそんなことも出来るんだ。やっぱりこの世界は凄いね」
ヨモギの左右の何もないはずの空間が揺らめき、そこから男女が姿を現す。
「首を取れないか、さすがに反応が早いな」
「早いな、じゃねえよ!筋力ヨボヨボ爺ちゃんかよてめぇ、アタリよぉ。あと少しアンタが早ければ、アタシらは今頃大手を振って酒場に行けてたんだぜ!」
「お前がせっかちなのがいけないだろぉがよ。もぉ少し引き付けていればそれで終わってたんだ」
緊張感の無い会話を始めつつも護衛はアリスから視線を外さずに機を伺っている。
「それでも、片腕を取れたのならまぁ、良し、だ」
ごろりとアリスの左腕が転がる。左腕が無くなると相対的に右側が重くなって、奇妙な感じがした。生まれてから今まで一定だったバランスが崩れた。
「やあ、可愛い子ちゃん!私はトオリ、こっちのおっさんはアタリってんだ。よろしくな、実は会えて興奮してるんだぜ、ワクワクしてる」
トオリはキラキラとした目をアリスへ向ける。
「どうせなら、殺す得物は美しい方が良いからね、狩人の性ってやつだよ」
アタリは冷や汗を何度も拭っている。
「なぁ、ガキ、楽に死にてぇよな、だよな?武器を捨てて、目を瞑ってくれれば後はこっちで全部やってやるからよぉ」
「二人同時に喋んないでよ。どっちに僕の可愛い顔を向ければいいのか…迷っちゃう」
言葉と同時、アリスは掌でクルリと鉄パイプを回し、手首の動きだけでアタリの顔を狙って投擲する。
「くそっ!」
アタリは大きく後ろへ飛びのき、起こりえる爆撃の衝撃から身を守ろうとし、トオリは得物を手放したアリスへ突撃し今度こそ首を刎ねようとした。
切っ先は喉元を切り裂き、アリスの口から血が吐き出される
「…固いね、可愛い子ちゃん。腕はあんなに簡単に切れたってのにさ」
「狙う場所が分かっていれば対策も出来るよ」
確かに切りつけてはいた、しかし刃は途中で止まり、トオリの動きを一瞬、硬直させる結果になった。
大きくため息が吐き出される。諦めと驚きを混ぜこぜにした表情で、ゆっくりと視線を下に向ける。右腕がトオリの胸部へ突き刺さり、心臓を握りつぶしていた。
巨体が仰向けに倒れ、大きな音が鳴った。
アリスはもう一人の護衛、アタリへ目を向ける。アタリは顔面を黒い粘液に覆われ、窒息していた。アリスが投擲した鉄パイプはクロの擬態であり、弾き飛ばそうとした刀をするりと通り抜け、アタリの顔へ飛び込んでいたのだ。
両腕が何度もかきむしるようにして粘液を引きはがそうとしていたが、その動きは徐々に緩やかになっていき何度か体が痙攣すると、それきり動かなくなった。
こうしてアタリとトオリは死んだ。
ヨモギは部屋に逃げ込んでいた。戦いの邪魔になるだろうと、そして流れ弾で死ぬような馬鹿はするべきではないから。己の役割、囮の役割は十分に果たしたはずだ。
命を懸けたんだ、実際に。だというのに…!
拳銃を扉に向ける。細く長く息を吐いた。あの二人はどうやら死んだのだろう、不意を突けば? 如何すれば、立ち向かうのは愚の骨頂だ。…死にたくない、胸を狙って何発も撃ち込めば。その後は、部下はすべて死んだのか、まるであの日のようだ、違うのは私があの日のボスの立場に居て、今から殺されるということ、断頭台を待つ死刑囚のような、こうならないようにあらゆる手を打ったのに、何が駄目だった、どこで間違えた、考えろ、考えろ、弱点は、流れでる血が鬱陶しい!もう少し、時間が、糞っ、そうだ、冷静に、余計に生き残る目が薄くなる。
激動の戦闘に比べ、扉は場違いに静かに開いた。ヨモギは間髪を入れず、全弾を撃ち込む。
「…く、糞ッ。何なんだそれはァっ!」
弾丸はアリスに着弾し、アリスが身にまとっていたクロによって阻まれていた。
「僕とクロのコンビネーションの結晶だよ、偶にしかやってくれないんだけど今日は特別だって」
ウインクするアリスの体を包んでいたクロはずるりと床に落ちる。
「タクサンノ死体がモラエるなら、カゾクはミタサレル。カゾクのタメなら、オレはイヤなことでもガマンできる」
「ソモソモ、この程度でシナナイダロ、お前」
「痛いものは痛い。これが人の常識。人間界についてまた詳しくなったねクロ」
アリスは地面に手を突っ込むと、ズボリと鉄パイプを取り出す。
「てってれー! どこでも鉄パイプ~♪」
「これの何処が人間ナンだ」
うねうねビョーンと伸び縮む。アリスがもちもちと鉄パイプでつつくからだ。
「そんなこと言ってさ、本当は僕のことが大好きなくせに」
「アタマをツツクのを辞めろと、オレは何度モ、何度も忠告したハズだ。オマエはニンゲンという種の評価をオトシテいる。罪悪感をオボエルベキだ……ダカラ、ツツクのを、ヤ!メ!ロ!!!」
甲高い金属音が虚しく響き、ヨモギの振るったナイフがアリスに弾かれ天井に突き刺さる。
「もうやりたいことは無い?」
アリスが鉄パイプを肩に担いで尋ねる。
「ま、待ってください! 金なら払います! いくらでも! 私の財産をすべて差し上げますから!」
アリスは答えず、鉄パイプを握り直した。
「人でも、なんでも差し上げます! 子供でも老人でもより取り見取りです! 美人どころもいますよ! それに、あ! 今なら奇形だってご紹介できます! 珍しい個体が揃っていましてね、買い手の好みに合わせて――」
「ん~ それじゃ、一つだけ欲しいものが合ってさぁ」
「!!!! 教えてください! あなたの望むものなら、どんなものでも用意してみせます!」
アリスは鉄パイプを両手で握り、ヨモギをまっすぐ見据えた。
「弑逆したいって言ったら? 手伝ってくれる?」
「…………………………………………ゑ?」
「この世界の王女を殺すんだ。赤の女王を殺すんだ」
ヨモギの顔から、残っていた血の気が引いた。
部屋に飾られた肖像画が鮮やかに笑っている。
赤の女王。
世界の女王。それを、殺す? 何だコイツは? 正気か?
「な、何を……正気ですか? あの方を殺すなど、そんなことができるはずが――お待ちください、もっと他の………! 他の願いなら、私はあなたに――」
「やだなあ」
アリスは大きく振りかぶった。
「君が商品に値段をつけるみたいに、僕のお願いまで選り好みするの? それって随分と我儘じゃない?」
「ま、待っ――」
「バッター、振りかぶってーーー!」
「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
鉄パイプが、ヨモギの頭部めがけて振り下ろされた。
接触した瞬間、赤い光が炸裂した。
轟音が部屋を呑み込み、壁が内側から弾け飛ぶ。
部屋は生まれてから都合三度目の破滅を迎えることとなった。
アリスは肩についた埃を払い、鉄パイプをくるりと回す。
「Fooooo~スッキリした」
クロが、呆れたように体を波打たせた。
「近所迷惑を考えロ」
「ごめんごめん…つい興奮しちゃって、てへ♪」
「オエー」
「オエーって何だよ!」
そのとき、頭上から何かがひらりと舞い落ちた。
アリスが目を向けると、煤けた肖像画が、破れた額縁から抜け落ちてくるところだった。あれほどの爆発を受けながら、奇跡的に原型をとどめている。絵の中の赤の女王は、相変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。
アリスはその絵が床に落ちるのを待ち、躊躇なく踏みつけた。
靴底の下で、女王の微笑みが歪む。
「待ってなよ、最後に笑うのは…ボクだ」
女王は答えない。
そのままアリスは、部屋の外へと歩き出した。