学マス~初星学園ドブ板戦記~   作:みちみちお

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2話目です。3話目は18時10分です。


2話 十王のメソッドと、首席の焦燥

 五月の定期公演『フレッシュアイドル公演』が十日後に迫った放課後。

 

 アイドル科特別棟の一角にある第3スタジオ『プリズム』には、軽快なダンスナンバーのデジタル音源と、床を蹴る鋭いステップの音が響いていた。

 

 約四十五平方メートルの小規模な予約制スタジオである。壁一面を覆う大型鏡の前で踊っているのは、今年のアイドル科新入生首席、花海咲季(はなみ さき)だ。

 

 頭の左右に結い上げた小さなお団子と、肩甲骨あたりまで流れる鮮やかな赤髪が、激しいターンのたびに大きく舞う。きりっとした赤い瞳は鏡の中の自分を射抜くように見つめ、一分の隙もない見事なボディコントロールでリズムを刻んでいた。

 

 曲はいよいよ一番のクライマックス、サビ前のブレイクへと差し掛かる。

 

 咲季はわずかに膝を沈め、肺の奥深くまで一気に空気を吸い込んだ。そして、床板を踏み抜くような力強いステップと同時に、地声の芯を強く響かせた高音のロングトーンを解き放とうとする――まさにその瞬間だった。

 

 ピタリ、と無機質な操作音が鳴り、スピーカーからの音楽が途切れる。

 

「――ストップ。そこまでだ、花海」

 

 スタジオの隅の丸椅子に足を組んで座り、手元のタブレット端末で音源を止めたのは、星城大学プロデューサー科三年生の桐生颯太(きりゅう そうた)である。

 

 綺麗に整髪剤で固めた髪に、仕立ての良いジャケットを着こなした青年だ。プロデューサー科三年生のなかでも成績上位に名を連ねるエリート候補生であり、今回の五月公演に向けて、新入生首席である咲季の仮タッグパートナーとして指導を受け持っていた。

 

「……どうかしましたか、桐生P? 今のステップ、カウントのズレはなかったはずですけど」

 

 咲季はワイヤレスマイクを握り直しながら、少し息を弾ませて振り返る。額には汗の粒が光り、その勝ち気な表情には「自分の動きにミスはない」という自負が滲んでいた。

 

 しかし、桐生は冷ややかな目つきでタブレットの画面を咲季の方へと向ける。そこには、今しがた録音されたボーカルの波形データと、ピッチ(音程)の推移を示すグラフが表示されていた。

 

「カウントの問題じゃない。昨日から何度も言っているだろう。サビに入る直前の、その過剰なブレスと強すぎる踏み込みだ」

 

「踏み込み……ですか?」

 

「そうだ。この波形を見ろ。お前が力任せに床を踏み込むせいで、マイクに微細な振動ノイズが乗っている。さらに、肺の限界まで息を吸い込んで100%の声量で高音を張り上げようとするから、音の立ち上がりでピッチがコンマ数ヘルツ上ずるリスクが14%も跳ね上がるんだ」

 

 桐生はスタイラスペンでタブレットの画面をコツコツと叩き、まるでお手本を暗唱するように言葉を続けた。

 

「いいか、花海。この初星学園の母体である十王プロダクション社長――十王龍正氏が策定された育成マニュアル『十王のメソッド』において、ライブで最も優先すべきは『審査員の減点対象となるノイズを徹底的に排除すること』だ。お前の基礎スペックはすでに新入生の中で頭一つ抜けている。わざわざリスクを冒して全力で吼える必要などどこにもない」

 

「でも、ここは感情が一番高ぶるサビの入り口です! ただ綺麗に声を出すだけじゃ、客席の奥まで私の熱量が届きません!」

 

 咲季が一歩前に出て反論すると、桐生は大げさにため息をついて肩をすくめた。

 

「熱量だの気合だの、そういう非科学的な精神論はアマチュアのスポーツにでも置いてこい。アイドルのステージはデータと確率で管理するものだ。出力は常に8割に抑えろ。ブレスは浅く均一に、ステップも床を鳴らさないように軽く流せば、ピッチの正解率は98%以上で安定する。……お前は新入生首席なんだ。俺の指示通りに『減点されない完璧な優等生』を演じていれば、五月の初陣など楽勝でトップを取れるんだよ」

 

「…………っ」

 

 咲季の赤い瞳が、わずかに揺れる。

 

 頭では分かっていた。桐生Pの言っていることは、数字の上では正しいのだろう。8割の力で安全運転を続ければ、声が裏返ることも、リズムが走ることもない。審査員から大きな減点を受けるリスクも消えるはずだ。

 

 けれど、自分の喉と足にストッパーをかけるたび、胸の奥で行き場のない熱が苦しいほどに膨れ上がっていく。

 

(私がやりたいのは、ただ間違えないだけのテストじゃないのに……!)

 

 それでも、咲季は唇を噛みしめる代わりに、すぐさま完璧な笑顔を作った。

 

 新入生首席・花海咲季に「迷い」や「不平」は似合わない。どんな課題であっても完璧にこなしてみせるのが、一番を走る者の義務だからだ。

 

「……分かりました、桐生P。出力を8割にコントロールして、もう一度頭から合わせます!」

 

「フン、最初からそう言えばいいんだ。ほら、5分だけインターバルを取るぞ。俺は廊下の自販機で飲み物を買ってくる」

 

 桐生は満足そうに頷くと、タブレットを脇に抱えてスタジオの防音扉へと向かう。

 

 重いドアノブをひねって廊下へ出ようとした桐生が、そこで急に足を止めて眉をひそめた。

 

「……おい。そこで何をコソコソ覗き見している、一条」

 

 桐生の苛立ちを含んだ低い声が、スタジオの入り口に響く。

 

 咲季がタオルで首筋の汗を拭きながら視線を向けると、開け放たれた扉の向こう――廊下の壁際に、黒髪短髪の青年が立っていた。

 

 動きやすいシンプルなジャケットにパンツ姿。手には角がすり減った分厚い大学ノートとボールペンを握っている。第1スタジオの前から移動してきた、プロデューサー科一年生の一条護だった。

 

「あ、お疲れ様です、桐生さん、咲季さん」

 

 護は覗き見を隠すような卑屈な態度は取らず、背筋を伸ばして二人に丁寧な一礼をした。

 

 第3スタジオの扉には、使用状況を確認するための小さな採光窓がついている。護はレッスンの邪魔にならないよう廊下で気配を消し、その小さなガラス窓から咲季のパフォーマンスを観察していたのだ。

 

「すみません、お邪魔をするつもりはなかったんです。ただ、昨日の練習に続いて咲季さんの歌声が聞こえてきて、あまりにも素晴らしい迫力だったので、つい見入ってしまって……」

 

「ハッ、素晴らしい迫力だと? 今まさに俺が、その無駄な力みを矯正していたところだ」

 

 桐生は鼻で笑うと、護の手にあるすり減ったノートと、足元の履き古された靴を上から下へと見下ろした。

 

「おい一条。お前、四月も終わろうとしているのに、まだ担当アイドルが一人も決まっていないそうじゃないか。企画書を出しては断られ、毎日グランドステージで裏方のおっさん連中に混じってケーブル巻きや荷物運びをしているって噂だぞ」

 

「……はい。まだ俺の実力不足で担当はいませんが、現場のスタッフの皆さんからは本当にたくさんのことを勉強させていただいています」

 

「それを世間では『落ちこぼれの雑用係』って言うんだよ」

 

 桐生は吐き捨てるように言い放つ。

 

「いいか、雑用係。十王のメソッドも理解できない素人が、その泥臭い観察ノートに何を書き込もうが時間の無駄だ。俺と首席の花海は、五月のフレッシュアイドル公演で最高の結果を出さなければならない。目障りだから、さっさとどこかへ消えろ」

 

 同じプロデューサー科の先輩から浴びせられた、容赦のない侮蔑の言葉。

 

 スタジオの中から見ていた咲季ですら、少し眉をひそめて口を開きかけたほどだった。

 

 だが、当の護は怒りで顔を赤くすることも、惨めさに俯くこともない。ただ静かに桐生の目を見返し、それからスタジオの奥にいる咲季へと真っすぐな視線を向けた。

 

「……桐生さんの言う通り、俺はまだ実績もない新米です。ですが、今見せていただいた咲季さんのサビ前の踏み込みとブレスは、決してノイズなんかじゃありませんでした。見ている人間の心臓を掴むような、本当にすごい輝きでした」

 

「なっ……お前、俺の指導にケチをつける気か!?」

 

「いえ、ただどうしてもそれだけはお伝えしたくて。レッスン中にお時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。失礼します」

 

 護はもう一度だけ礼儀正しく頭を下げると、観察ノートを胸に抱えて廊下の向こうへと立ち去っていく。

 

「……チッ、なんだあいつは。担当ゼロの分際で、妙に堂々としやがって」

 

 桐生は忌々しげに舌打ちを残し、自動販売機のあるラウンジの方へと歩いていった。

 

 一人スタジオに残された咲季は、護が立ち去った廊下の方をじっと見つめる。

 

「……変な人」

 

 ぽつりと呟きが漏れた。

 

 8割に抑えた安全運転の歌唱ではなく、桐生Pから「失敗のリスクだ」「ノイズだ」と切り捨てられた全力の踏み込みの方を、あの青年は『すごい輝きでした』と真っすぐな目で褒めたのだ。

 

 実績もない一年生の戯言に過ぎないのかもしれない。それでも、扉の向こうからこちらを見つめていたあの青年の瞳が、どんな審査員よりも真剣に自分の「熱」を探していたような気がして、咲季の胸の奥がわずかにざわめいた。

 

---

 

 一方、特別棟の廊下を歩きながら、護は再び手元の『観察ノート』を開いていた。

 

 桐生から「雑用係」と罵られたことなど、護にとってはどうでもいい。自分が無力な新米であることは事実だし、笑われることにはもう慣れている。

 

 それよりも護が気にかけていたのは、先ほどスタジオの奥で見せた花海咲季の一瞬の表情だった。

 

 脳裏に、桐生から注意された直後の彼女の姿が鮮明に蘇る。

 

 咲季は『分かりました、桐生P』と、新入生首席らしい非の打ち所がない笑顔を浮かべて頷いていた。誰が見ても、自信と余裕に満ちた優等生の振る舞いに見えただろう。

 

 だが――護の『観察眼』は、その完璧な笑顔の裏側にある決定的な違和感を見逃さなかった。

 

(咲季さんが笑顔を作った瞬間、マイクを持っていない左手の指先が、血の気が引くほど強く握りしめられた。肩の位置も普段より数ミリ上がり、呼吸が喉の浅いところで止まっている……)

 

 護は足を止め、ノートの『花海咲季』のページに書き込まれた膨大なメモを見つめる。

 

 入学直後の新入生歓迎ライブから今日まで、護は彼女の姿を何度も観察してきた。基礎体力、歌唱力、ダンスのキレ、どれを取っても一年生の中では圧倒的なナンバーワンだ。

 

 けれど、彼女のパフォーマンスにはいつも、すぐ後ろから迫ってくる何かを振り切ろうとするような、切迫した焦燥感が張り付いていた。

 

(あんなに実力があるのに、咲季さんは決して余裕で笑っているんじゃない。少しでも立ち止まったら追い抜かれると焦って、完璧でいようと必死に自分を追い込んでいるんだ。それなのに、今の『8割に抑えろ』という指導じゃ……)

 

 護はノートの端を強く握りしめた。

 

 全力で走りたい人間から全力疾走を奪い、減点されないための枠に押し込める。そんなやり方を続けていたら、彼女本来の輝きまで消えてしまう。

 

「……俺にはまだ、咲季さんに声をかける資格も、担当として名乗りを上げる実績もない。だけど……」

 

 ペンを握り直し、ノートの余白に新しい一行を力強く書き加える。

 

『サビ前のブレスから踏み込みまでの0.8秒。ここが花海咲季の魂が一番爆発する瞬間。この瞬間を殺さずに活かせる音と光があれば、彼女は120%の力で跳べるはずだ』

 

 いつ役に立つかも分からない、担当ゼロの新米が綴る一行。

 

 それでも護は、彼女が本当に吼えるべき瞬間を、自分のノートの中だけでは決して消さなかった。

 

---

 

 その日の夜、午後九時過ぎ。

 

 学生寮二階の角部屋に位置する広い三人部屋からは、賑やかな少女たちの声が漏れていた。

 

 この部屋の入居者は、アイドル科一年生の藤田ことね、月村手毬、そして花海咲季の三人である。

 

「ふっふっふ〜♪ いやぁ、持つべきものは優しくて優秀な専属プロデューサーだよねぇ! 鈴原Pったら、あたしが『五月の公演は絶対にお客さんに可愛いって褒められるステージにしたいですっ♪』ってお願いしたら、すぐにぴったりのレッスン計画を立ててくれたんだから!」

 

 ベッドの上で足をパタパタとさせながら、金髪のおさげ髪を揺らして上機嫌にスケジュール帳を眺めているのは、藤田ことねだ。

 

 先輩やプロデューサーの前では猫をかぶった愛嬌たっぷりの丁寧語を使うことねだが、気を許した同室の同期たちの前では、すっかり素の雑な口調に戻っている。

 

 向かいの学習机で譜面を読んでいた月村手毬が、少しウェーブがかった長い黒髪を揺らし、ジトッとした黒い瞳でことねを睨んだ。

 

「……ほんと、おめでたい頭してるよね、ことね。鈴原Pにちょっと甘やかされたくらいで、よくそこまで浮かれられるね」

 

「なっ、なんだとぉ手毬! あんただって、三年生の高瀬Pと組めたからって毎日ドヤ顔してるくせに!」

 

「当然でしょ。高瀬Pは学生でありながらチャート10位に入る曲を書く実力者。誰もが認めるトップアイドルを目指す私に、相応しいプロデューサーなんだよ。あさっての方向でキャピキャピしてるあなたとは、見てる頂点の高さが違うから」

 

「むっかーっ! なによその言い方! あたしだって一発逆転して、お札のお風呂に入るくらい稼げるビッグなアイドルになるんだからね!」

 

 ギャーギャーと騒がしく言い合いを始める二人。

 

 ふと、ことねが部屋の奥――ベランダの方へと視線を向け、声を潜めた。

 

「……ってさ、手毬。あたしたちはいいとして、咲季、さっきからあそこで何やってんの?」

 

「さあ。またあのおぞましい飲み物を錬成してるんじゃない?」

 

 二人が恐る恐るカーテン越しのガラス窓に目をやると、ベランダの手すりに寄りかかった咲季が、片手に持ったプラスチック製のシェイカーをシャカシャカと振っていた。

 

 中に入っているドロドロとしたペースト状の液体は、なぜか怪しい緑色にぼんやりと発光している。咲季自身が栄養補給と疲労回復の効率だけを極限まで追求して開発した特製健康飲料――通称『SSD(スーパースタミナドリンク)』だった。

 

「うわぁぁ……っ、今日も元気に光ってるよあれ! なんで飲み物が発光するわけ!? 絶対飲んだらあっちの世界に旅立つやつじゃん!」

 

「……見ないでおこっか。目が合ったら『あなたも一杯どう?』って勧められるよ」

 

 震え上がることねと手毬が慌てて視線を逸らす中、ベランダの咲季はシェイカーの蓋を開け、緑色に光るSSDを何の躊躇もなくグイッと飲み干した。

 

「……ぷはっ。栄養補給は完璧ね」

 

 タオルで口元を拭った咲季だったが、そのきりっとした横顔には、昼間のレッスンから続く拭いきれない翳りが落ちている。

 

 部屋の中では、ことねが鈴原Pとの二人三脚を楽しそうに語り、手毬が高瀬Pから与えられたハイレベルな課題に闘志を燃やしていた。二人とも、自分の力を信じ、あるいは自分の望みを叶えてくれる専属プロデューサーと出会って、迷いなく五月の『フレッシュアイドル公演』へと向かっている。

 

 それに引き換え、自分はどうだ。

 

 新入生首席として誰よりも注目を集め、三年生のエリートである桐生Pと仮タッグを組んでいる。周囲から見れば、最も恵まれた順風満帆なスタートに見えるだろう。

 

(でも……今のままの8割のステージで、私は本当に一番になれるの?)

 

 咲季は自分の右拳をぎゅっと握りしめた。

 

 目を閉じれば、いつもすぐ後ろを笑顔で追いかけてくる妹・佑芽の姿が浮かぶ。補欠入学とはいえ、大器晩成型の佑芽が持つ天性のバネと爆発力は、姉である咲季が一番よく知っていた。少しでも足を止め、安全運転で守りに入れば、あっという間に背中を掴まれて追い抜かれてしまう。

 

「……私はお姉ちゃんなんだから。誰にも負けない、完璧な一番でいなきゃいけないのに……」

 

 そのとき、昼間の第3スタジオの前で出会った、あの黒髪の青年の言葉が耳の奥で蘇った。

 

『咲季さんのサビ前の踏み込みとブレスは、決してノイズなんかじゃありませんでした。見ている人間の心臓を掴むような、本当にすごい輝きでした』

 

 すり減った靴を履き、ボロボロのノートを抱えていたプロデューサー科の一年生。確か、桐生Pから「一条」と呼ばれていた。

 

 なぜだか分からないけれど、あの青年の真っすぐな目と、不器用なほど真剣な声の響きだけが、SSDを飲んでも消えない胸のモヤモヤの奥に、小さな火種のように残っていた。

 

---

 

 同じ時刻。学生寮の別フロアにある二人部屋では、対照的に熱のこもった明るい声が響いていた。

 

 この部屋の住人は、アイドル科一年生の花海佑芽と、三年生にして生徒会長を務める『初星学園の一番星(プリマステラ)』こと十王星南(じゅうおう せな)である。

 

「――それでですね、星南先輩! その一条さんってプロデューサーさん、今日も放課後にお姉ちゃんのスタジオの前でノートを取ってたんです! あたし、遠くからそれを見かけて近づいていったんですけど、桐生Pにひどいことを言われても、お姉ちゃんの歌を『すごい輝きでした』って真っすぐな目で褒めてたんですよぉ!」

 

 ベッドの上でストレッチをしながら、赤みのある茶髪をふんわりと弾ませて力説しているのは佑芽だ。

 

 一方、部屋のティーテーブルで優雅にハーブティーのカップを傾けていた星南は、腰まで伸びた美しい金髪のウェーブを揺らし、碧眼を細めて後輩の言葉に耳を傾けていた。

 

「ふふ、さっきからずっとその話ばかりね、佑芽。あなたがそこまで夢中になるなんて珍しいわ。ええと、確かプロデューサー科一年生の……『一条護』と言ったかしら?」

 

「はいっ、一条さんです! 最初は購買部の裏で荷物を拾ってるのを見かけただけだったんですけど、毎日朝早くからグランドステージで音響のおじさんや照明のお姉さんたちと汗だくで働いてて、誰も見てないところでも清掃員さんにぺこぺこ頭を下げてるんですよぉ!」

 

 佑芽は身を乗り出し、大きな瞳をキラキラと輝かせて両手を握りしめた。

 

「まだ担当のアイドルが一人もいないって噂なんですけど、あたし、絶対におかしいと思うんです! だってあんなに靴底がすり減るまで走って、アイドルのみんなの良いところをノートいっぱいに書いてるんですよ!? あたしの直感がビビッと来てるんですっ、この人なら絶対にあたしの力になってくれる、すっごく頼りになるプロデューサーさんだって!」

 

 全身で熱弁を振るう佑芽の姿に、星南はティーカップをソーサーに置き、興味深そうに顎に手を当てる。

 

 生徒会長として学園全体のデータを把握している星南には、一条護という学生の記録も頭に入っていた。

 

「一条P……確か、まだ実績はゼロで、提出した企画書もすべて不採用になっている学生ね。私の父――十王龍正が作った効率主義のマニュアルからすれば、担当もいないのに裏方の雑用を手伝い、当てのない観察ノートを書き続けるなんて、最も非効率で無意味な行動と切り捨てられるでしょうね」

 

「ええ~~っ!? そ、そうなんですかぁ……?」

 

「ええ、マニュアルの上ではね」

 

 そこで星南は言葉を切ると、凛とした美貌に柔らかくも不敵な笑みを浮かべた。

 

 幼少時からエリート教育を受け、「アイドルの才能を見抜く」特技を持つ星南には、目の前にいる佑芽の変化がはっきりと見えている。補欠入学で専属プロデューサーが決まらず、数日前までどこか焦りを抱えていた少女が、今は全身に生き生きとした活力を漲らせていた。

 

「でも、父のデータやマニュアルがすべて正しいとは、私も思っていないわ。何より、天性のアスリートであるあなたの『直感』がそこまで反応しているのなら、その一条Pという青年、ただの落ちこぼれではなさそうね」

 

「はいっ! まだちゃんとお話ししたこともないんですけど、見てるだけでなんだかあたしまで元気が湧いてくるんですっ!」

 

「いいことよ、佑芽。プロデューサーとアイドルの出会いは、いつだって理屈を超えたところから始まるものよ。……五月の『フレッシュアイドル公演』、もしかすると何か面白いことが起きるかもしれないわね」

 

 星南の言葉に、佑芽は「はいっ!」と元気いっぱいに頷いた。

 

 姉の咲季が抱える息苦しさと、妹の佑芽が抱いた直感。そして、すり減った靴で現場を走り続ける一条護。

 

 それぞれの想いが交錯する運命の初陣――五月定期公演の幕が上がるまで、もう時間は残されていなかった。

 

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