音楽が好きだった。
本当は、バンドを組みたかった。
それでも楽器を初めて、仲間を集めるなんてことが億劫だった。
そんな簡単な理由だった筈だ、丁度よく友達が声を掛けてきたから、楽器を買わなくたっていいから、先輩だって良い人そうだったから。
漫画に出てくるような強豪校では無くて、それでも数年に1回は、少しの結果が出るような、そんな部活だった。
それでも、みんなで何かをやるのは楽しくて、大会での賞というのは、目標としてもわかりやすかった。
友達だって出来て、1年目は結果を残せなかったけれど、中学の頃よりは先輩との距離が近くて、3年生の引退なんて中学の頃は何も思わなかったのに、少し寂しかった。
お小遣いだって増えてないのに、世界はどんどんと広がっていって、それでも世界は寛容で、自分が受け入れられていく感覚があった。
あっという間に1年が終わって、次は後輩が入ってくることにソワソワし出して、コンクールに向けての練習も頑張って、とにかく楽しかった。
3年間、ずっとそれが続いていって、もしかしたらいい結果が出たら、受験だって楽になるかもしれないし、いくつかの辛いことだって、イヤホンをつければ人生のスパイスになる気だってして、とにかく私は、この吹奏楽部が好きだった。
バスの窓から、空を覗く。
夕方17時、9月の空、なんだか深い青色をした不思議な空が、私は好きだった。
バスを降りて、駅のホームに向かって、電車に乗る。
ミーティングだけで部活が終わることは珍しくて、夕方の街の景色というのはなんだか不思議な感じがする。
いつもと違う顔ぶれの電車に乗って、いつもはすぐに降りる狙い目のあの人が居ないから、今日は少し長く立ちっぱなしで電車に乗らなきゃ行けないかもしれない。
空はまだ深い群青で、でもバスより広がった視界には、夕暮れの名残の東雲だって見えた。
最寄りに着いて家まで歩いていれば、随分と懐かしい景色が広がっている。
日の入りが早くなり始めるこの時期、中学生は少しずつ部活動の時間を短縮されていく。
丁度その時間に被ったようで、下校途中の中学生の波に逆らいながら、家路に着く。
何人か、中学の頃の後輩がいた。
彼らももう3年生なのかと思えば、時間の速さを感じざるを得ない。
家路に着くまでの、川沿いの道を歩く。
交差点を渡る。
家の直前の信号を渡る時、違和感があった。
視覚でも聴覚でもない、どこか不思議な感覚が、脳に何かを伝えようとしていた。
きっと、情報の伝達だけなら間に合っていたそれは、私の脳では瞬時に処理することは出来なくて、ただ、無意識に首を横にスライドさせた。
確かに、人通りの少なく、長い一本道なのだから、車を飛ばす人は少なくない。
だからこそわかるのだ、この車が、止まることは無い。
そう理解した頃には、私の体は宙を舞っていた。
それからの事は、良くは覚えていない。
漫画のように都合が良く意識を失えた訳ではなく、ただ痛い痛いと叫び続けていた気がする。
腕の感覚が無い。
声は出ているだろうか?
痛いという感覚は、正直に言えば無かった。
ただ口からは痛いという言葉がただ溢れ続ける。
誰かが呼んだ救急車に運ばれて、病院に着く頃、私は麻酔でようやく意識を失った。
目が覚めたのは、次の日の朝だった。
全身に包帯を巻かれ、腕と足にはギプスが着けられている。
なんだか不思議な感覚があって、自分の身体と心が、酷く乖離したような感覚だった。
脳みそは、上手く働かないで思考は回らないのに、ただ考えるだけなら普段よりずっと早かった。
やがて駆け込むように病室に入ってきた両親に抱きしめられて、その後に医者が入ってきた。
医者は私と両親に、できるだけ丁寧に私の体の現状を伝えてくれた。
正直言って、何を言われたのかはあまり覚えていない。
どこかに傷跡が残るかもだとか、不幸中の幸いにも頭は守られていただとか、骨折してるのはどこどこだとか、そんなことを言っていたような気がする。
ただ1つ、腕に震えが残るかもしれないと言われたことが、酷く静かに頭の中に響いた。
急に、自分の体と日常の繋がりに実在感が増して、なんとか絞り出した声で、自分が吹奏楽部に入っていることを伝えた。
「演奏は絶望的であり、そもそも容認できない。」
要約すれば、そのような事を言われた。
両親だって、当然のように、怪我をしたのだから仕方が無いと言った風で、私の吹奏楽は、ある日急に、終わりを告げることとなった。
身体を動かすことが出来ないのだから、当然やる事もない。
こんな酷い身体は、どうやら起きているだけでエネルギーを使うらしく、すぐに眠気がやってくる。
病室の窓から、1本の木が見える。
そんな風だったら良かったのにと思っても、街のそれなりに高い標高に位置している病院の窓から見えるのは、街を一望した、どこまでも広がる景色だけだった。
目は良い方だったから、遠くの環状線を走る車の輪郭は見える。
それでも、たった1枚、落ちていく葉を見ることは出来ない。
生活に思いを馳せることも出来ずに、ただ太陽の浮き沈みとどこまでも広がる空、生活の明かりを、私は見続けることしか出来なかった。
次の日には、担任の先生が見舞いに来た。
中間テストの事だとか、怪我のリハビリの次第によっては、留年を防ぐ為に特別な措置を取らなければいけないかもしれないから、勉強はできるだけしておいて欲しいだとか、なんだか大雪の日のニュースのような、酷く他人事のように感じられることを淡々と告げられて、何度か会話の往来をして、先生は帰っていった。
3日経った土曜日、部活の部長と、そして私を吹奏楽部に誘った友達が二人でやって来た。
丁度3年生が引退して、まだ部長になったばかりの同級生と、別に仲が良かった訳ではないが、部長という立場としての同行だったのだろう。
もう1人の友達は、なんだろうか、彼女はこんな顔をしていただろうかと、本気で疑問に思ってしまった。
今にも泣きそうで、荷物を置いたらすぐに私のベッドの横にイスをスライドさせて、ああ、こういう時は手を握るものなのだろうか。
握る手も吊るされているのだから救えないなと、場違いな思考をする。
2人に、もう部活を続けられない事を話すと、友達はすぐに泣き出して、部長はただ、何かを考えるようにじっとして、小さく頷いた。
ベッドの横で、彼女は泣いていた。
ふと、頭の中に色々な思い出が蘇ってきた。
それは走馬灯のようで、初めて音を出せた時に、一緒に喜んだこと、バス停側とは逆の方に出るとある、商店街で食べ歩きをしたこと、ただお昼ご飯を食べたこととか、バスのエアコンの涼しさだとか、細かいことまで全てが蘇ってきて、涙が溢れてきた。
なんで、自分だったのだろうか。
考えないようにしてきたその悔しさや怒りが、ただ自分の中で涙に変わっていく。
彼女は、顔を伏せて泣いている。
部長は、どうやら動けずにいる。
足も腕も動かないのだから、私には何も出来ない。
涙が流れるにつれて、少しずつ、自分の中での思考が冷めていくのを感じていた。
目の前にどれだけ素晴らしいものがあっても、透明な壁に阻まれたら取れないように、自分の目の前にある壁に気づいてしまって、向こう側への切望が、涙と一緒に流れていくのを感じていた。
やがて、泣き止んだ彼女を連れて部長は帰っていった。
秋空には、あの日と変わらない群青があった。