いつも通りの帰り道を、いつもの歩幅で歩く。
いつも通り、いつも通り、いつも通り、バスも電車も、コンビニで売れ残ってるものも、すれ違う人も、気付けばいつも通りになっているものばかりで、それに違和感すら抱かなかった。
幸いにして今日は、始業式が終わってそのまま下校したからまだ昼も始まったばかりというところだ。
ある時、また歩けるようになった時だろうか、それとも前からだったかは覚えていないけれど、家に帰ることが急に億劫になることがあった。
そんな日は反対方向の電車に乗って、海を見に行くことにしていた。
海は、そこまで遠くない。
あの頃、徐々に広がっていた世界の中で、私が知ったことだった。
電車1本で海までひとっ飛び、あの頃は時間が無くて出来なかったことを今は出来ると思えば、ほんの少しだけ悪くないと思えて、それもまた少し変な気分だった。
電車に揺られて少し、もう終着の駅に着いてしまった。
海が好きだ、砂浜は好きじゃない。
だから、私は都会の海が好きだった。
ビルを背に海を眺める、釣り人のルアーが揺れる。
向こうに大きな船が見える。
視界の先にかかる橋の、夕方を深めれば見えてくるキセノンランプの点滅が好きだった。
それでも、別に長い時間海をただ眺めている訳ではなくて、今日だって30分も経てば飽きて来る。
夜の海は、また次に見に来ればいいと思って、今度は海を背に、ビルの群れへと混ざっていった。
平日2時の街並みは、私と同じように始業式終わりの高校生や、何をしているのかわからない大人たちで賑わっていた。
自分の知らないことはわからない、でも知ってることはわかる、という感覚の通りに道行く大人が一体何をしている人間で、何歳かなんてわかりもしないけれど、道行く高校生が自分より年下かは、何となくわかってしまう。
中学生の事はすっかり分からなくなってしまったので、あの大人たちから見たら自分たちも大差などないのだろうと想像がついて、"大学生"になるまでの短い時間を実感した。
この後どうしようか、本屋にでも寄っていこうか、
「あれ、沙也加ちゃん?」
悲しいことに、事故の明確な実害として本を読みにくくなってしまった事がある。
時たま震えるこの手は、本への集中をかき乱すし、なぜか集中してる時に限って震えは鮮明に私に伝わって来るのだ。
だから最近は本屋に行っても、気になる本をチェックするだけして、電子書籍で購入するようになっていた。
「沙也加ちゃーん?あれ?沙也加ちゃーん?」
イヤホンをしてても、何となく何かを感じる事がある。
それは呼び声とか車とか、とにかく肌とか何かで分かるものなのだろう。
今もそれで、何かを感じて後ろを振り返ると、女の子がこちらに近づいて、ちょうど私の肩を叩くところだった。
「わっ」
「あ、ごめんなさい。」
振り返り面に驚かせてしまったことを謝罪して、イヤホンを外した。
「あ、イヤホン付けてたのか。沙也加ちゃん、久しぶり、私の事覚えてる?」
「館山さんでしょ?さすがに忘れないよ。」
「ほんと?ちょっと嬉しいかも。」
本当に嬉しそうに、目の前の彼女は柔らかく笑った。
館山光、吹奏楽部で一緒だった同級生だ。
パートは違ったけれど、たまに帰り道が一緒になるし、2年の頃は莉緒と同じクラスだったから、話さない仲という訳でもなかった。
莉緒が部活に向かったのなら、当然彼女もそうなはずで、ここにいる理由が分からなかった。
「あれ、今日って吹部あるんじゃないの?」
「あ、言ってなかったっけ。」
「え、なに?」
「私、辞めたんだ、部活。」
♢♢♢♢
「受験?」
「そう、受験。」
なんとなく、話が盛り上がりそうだからと近くのファストフード店に入って、私たちは向かい合っていた。
「成績悪かったっけ?」
「そういう訳じゃないんだけど、去年の冬から、個別の塾に行ってて、それで忙しくなっちゃって。」
「なるほど。」
ポテトをつまみながら相槌を打つ。
まあ、そういうこともあるだろう。
実際、別に辞めていった人もいたし、なんか生えてきた人もいた気がする。
部活っていうのはそういうものなのだ。
「沙也加ちゃんは、あれ以来?」
「あー、うん、まあ。」
「あー、触れない方がいい感じ?」
「いや、別に。」
「そっか、怪我の調子はどう?」
「ちょっと、たまに震えは出るけど、そんなに困らないよ。」
「そっか、良かった。 莉緒、めちゃくちゃ心配してたからさ。」
「そういえば、クラス一緒だったよ、莉緒と。」
「え!ほんと!?」
「うん、ほんと。」
莉緒とは違うけれど、それでも旧知の仲だ。
久しぶりに会えば、会話はそれなりに弾んだ。
「ねえ、さっきさ、受験の為に部活辞めたって言ったけどさ、本当はそれだけじゃないんだ。」
唐突だった。
「塾の先生にね、2個年上の男の人がいて、その、私、その人の事好きになっちゃって、それで、自習室とか通いたいし、大学受かって良いとこ見せたいから、部活辞めたんだ。」
率直な感想でいえば、どうでもいいとも、贅沢だとも思った。
「その人、私より少し前くらいに入ってきた人で、受験生の指導は初めてだって、絶対一緒に受かろうねって言ってくれてね。」
言葉に、顔に、幸せとも違うなにか強いものが滲んでいた。
それは、それはなんだろうか。
私が選べなかった、選べずにいる手放すことを選んだ強さだろうか。
それとも、当たり前に存在する個人間の"思い入れ"の差などという、下らないものだろうか。
とにかく、静かに、表情を崩さないように光ちゃんの話を聞いていた。
「沙也加ちゃん?」
彼女は終盤、なんと言っていただろうか、全く頭に入って来なかった。
ポテトを1口摘んで、その塩味が口に広がって、手に着いた塩を舐めたくなった。
「うん、応援してる。」
「ほんと?」
「うん、まあ、その、ちょっと複雑だけど、私は吹部続けられなかったから。」
「あ....」
本当に、ただ口から滑り落ちてしまった本音だった。
それが、人に向けるべき感情でも言葉でもないと、自分で分かっていたはずなのに、本当に無意識にこぼれ落ちてしまった。
「いや、ごめん、人に言うべき話じゃなかった。」
「あ、こっちこそごめん、あ、その、もう帰るね。
塾行かなきゃ。」
光ちゃんは、荷物を纏めて席を立とうとし始めた。
見送るべきだろうか、私は自分の立場に甘えて、人に対して無関心になってはいなかっただろうか、ここで見送る事は、後悔に繋がらないだろうか。
「あのさ!」
「え、」
「あの、良かったら明日から、一緒に帰らない?」
「え?」
「ほら、部活、お互いもう入ってないしさ、莉緒がオフの日は3人で、また、前見たいにさ。」
「あ、うん、えっと、いいよ。」
つい、また口から出た言葉は、それでもさっきよりマシな物で、自分のこれからを変えてくれるかもしれないという、少しの期待を持たせてくれるものでもあった。
「あ、いや、嫌だったら良いんだけど。」
「ううん、嬉しいよ、ちゃんと嬉しい。私も吹部の娘と帰ること多かったから、迷ってたんだよね。」
「光ちゃん、何組だっけ?」
「5組だよ。」
「おお、隣だ。」
「うん、隣。」
光ちゃんの顔は、先程と比べたら随分と柔らかくなって、それは私自身にも安心を与えた。
安心という名前の、罪悪感の緩和を与えた。
「じゃあ、私ほんとに塾行くから、行くね。」
「うん、じゃあ、また明日?」
「うん、また明日。」
手を振って、光ちゃんは店を出ていった。
シェイクを飲む、甘ったるい、ポテトを食べる、塩辛い、シェイクの方が先に終わって、塩辛さが口に残って、店を出た。
少し話し込んで3時頃、人通りはさっきより増えていて、特に学生の増加が顕著だった。
居心地が良くなかったのは、喉の奥につっかえる何かのせいか、一人でいることへの自尊心だろうか。
今から家に帰れば、着くのは4時30分くらいだろうか。
溜まっていたゲームでもやるのもいいかもしれない、CDショップに寄って帰ろうか。
そういえば本屋に行っていない。
本当のところ、心のどこかでその全てを億劫に感じていて、それを誤魔化すみたいにイヤホンを着けた。
流れてくる音楽が、やけに寂しげだった。