What Makes You Beautiful! 作:立川南
「それでさ、日高先生、腰やっちゃったらしくて。」
「えー!それで今日オフだったの?」
「うん、山ちゃん先生とかも、予定つかなかったみたいで。」
「うわ、ちょっと懐いかも、山ちゃん。」
「沙也加、なんか仲悪かったもんね。」
「そうだっけ?」
「あ、私もちょっと思ってた。全体ミーティングの時とか、なんかこう、ネチっと言われてたよね。」
時は経って、と言うべきか、高校生の1週間なんて同じことを5日間繰り返せば終わるのだから、それはもうあっという間に5月になった。
お気に入りの薄手のカーディガンとも、もうすぐお別れなのだと寂しくなってくる。
珍しく莉緒がオフだからと、今日は3人で帰っていた。
いつもは、結局あの日から光ちゃんと帰っている。
「それで、光、最近どうなの?あっちの方は。」
「なんか如何わしい言い方しないでよ、いや、まあ、ぼちぼち?」
「ぼちぼちって。」
「あ、沙也加ちゃんまで、沙也加ちゃんこそ彼氏とかいないの?」
「いないな〜、いない、いないなあ。」
「えー、楽しいよ?恋。」
「みんながそんなロックに生きてる訳じゃないから。」
ふと、喉の奥になにかの感覚があった。
今の言葉は、光ちゃんを傷つけはしなかっただろうか。
自分の醜さを見ることになったあの日の経験は、自分で思っているよりも苦いものだったようで、このように会話の端々にも、どこか意識と緊張が残ってしまう。
ふと、莉緒を見る。
何を考えているのかわからない顔で、私と光ちゃんの間を見ているように見える。
「莉緒は?」
「あ、それ私も気になる。」
「え、私?」
ぬぼーっとした顔をしてたので、話題を振った。
3人いると、こういうことが出来るのでありがたい。
「あー、いや、うーん、え、話した方がいい?」
「え、なにそれ、余計気になるじゃん。」
「そこまで言って黙るのは無しでしょ〜。」
「いや、いると言うか、なんと言うか。」
莉緒は言葉につまりながら、逡巡するように私をちらりと見て、また元の方を向いた。
「恋人はいないけど、すっごい好きな人ならいるかも。」
「え!誰々?」
「いやー、教えられないかなぁ。」
「えー、ケチだね、ケチ。」
「こう見えて、節約マスターだからね、私。」
「そういうことじゃなくてさあ。」
莉緒のあの顔は、何だったのだろうか。
2年間部活をやっていても、見た事の無い顔だった。
なにか、どこかを見つめる顔も、私をちらりと見た時の顔も、どっちも。
「あ、私塾こっちだから、またね。」
「うん、また。」
「またね。」
駅について、光ちゃんは反対方向の電車へと乗っていった。
私と莉緒は、2人きりになる。
夕方というにはまだ早いけれど、日が遅い訳でもない5月の夕方、電車の窓からは、もう夕日がさしていた。
「莉緒、好きな人いるんだ?」
「うん、いる。」
「吹部?」
「あー、」
「え、もしかして知ってる人?」
「あー、それは、うん。」
「え、ちょっと待って、、竹中?」
「いや、全然。」
「柳瀬!」
「違う。」
「臨田!」
「違う。」
「三原?」
「違う。」
その後も、心当たりのある男子の名前を言って言ったが、外れだった。
「え、もういなくない?」
「実は、男子じゃないかもよ?」
「え」
少し、緊張が走る。
「なーんて、冗談冗談。ていうか、ほら、私が素直に認める前提なのがおかしくない?」
「え、今言った中にいたってこと?じゃあやっぱり柳瀬でしょ!」
「無いって、柳瀬は無い。」
「それはちょっと可哀想じゃない?」
「っふ、確かに、ちょっと可哀想だったかも。」
「柳瀬も結構いい所あるよ?きっと。」
「柳瀬柳瀬うるさいよ。」
楽しかった。
教室での会話もそうだが、今は物凄く、あの頃に戻った気がして、楽しくって、莉緒の笑った顔が愛おしくて、夕焼けが熱かった。
電車を降りた後も、少しだけ一緒に歩くことが出来る。
別れは近づいている。
空は、もう暗くなっている。
この時間がどれだけ愛おしかったのかを、私は忘れてしまっていた。
「ずっと気になってたんだけど。」
最寄りから少し、方角は違うが同じ学区内なので、私と莉緒は一緒になる。
「なに?」
「光と、いつからそんなに仲良くなったのかなって。」
「光ちゃん?」
「そう、気付いたら一緒に帰ってたから。」
「言ってなかった?」
「うん。」
「街で偶然会って、部活辞めたって聞いて、そこから?」
「そっか....」
「うん。」
「ねえ、沙也加はさ、部活辞めたの、後悔してる?」
また、知らない顔だと思った。
何を思ってるのか、それがわからない、不思議な顔だ。
夕暮れを映していた艶やかな髪も、今は夜になりかけている。
瞳は、私を映している。
さっきまで、並んで歩いていたのに。
立ち止まったのは、私だろうか。
「....」
「私は、寂しかったよ。」
「しょうがない事だって、沙也加は被害者だって分かってても、やっぱり寂しかった。」
「ねえ、沙也加って、光のこと、あんまり好きじゃないよね?」
喉に詰まった小骨のような何かが、空気を飲んだ弾みにチクリと傷んだ。
「私はさ、少しだけ、どうなのかなって思ったよ、沙也加にとってはいい迷惑だと思うけど、みんな、沙也加の分まで頑張ろうって、部活はそんな雰囲気でさ、3年が進級と同時に辞めるなんてって。」
「いや、」
「それでも、沙也加、すぐに光ちゃんと仲良くなって、一緒に帰り出してさ、もしかして、吹部が嫌いになった?それで私とか、皆のことも避けてたの?」
もうすぐ、私たちの分かれ道が来る。
「ごめん、嫌な事聞いてるって、自覚はしてる。」
「あ、いや」
「あ、そろそろ、ねえ、私ほんとに寂しかったんだ、だから今が嬉しい、こうしてまた一緒に帰れて楽しかった。また明日ね!」
分かれ道に着くと、莉緒はそれだけ言って、手を振って帰っていった。
こういう時、その場に立ちすくむことが出来たら、もしかしたら楽なのかもしれないと明後日の方向に思考が働く。
無駄に働く思考と、寄る辺を見つけられずに回り続ける足を抱えて、私は家路を辿っていった。
妙に頭に入ってこない音楽の、音量を上げた。
♢♢♢♢
「あれ、沙也加ちゃん?」
「光ちゃん?」
「最近よく会うね。」
「確かに。」
2人して小さく笑った。
「ひとり?」
「うん、本買いに来ただけ、沙也加ちゃんは?」
「映画。」
「何見たの?」
「変なやつ、SFの」
「適当だね。」
そう、本当に偶然、気になっていた映画を放置していたら、来週には上映を終えてしまうことに気づいて、休日に見に来ただけで、光ちゃんに会ったのは偶然だった。
「お昼、食べた?」
「まだ。」
「じゃあ、フードコート行こ。」
「うん、いいよ。」
2人、並んで歩き出す。
先日言われた莉緒の言葉がどうにも引っかかっていた。
結局次の日、5月になって行われた初めての席替えで、私と莉緒の席は離れてしまった。
休み時間にお互いの席に話には行くが、数分間の休みはどうでもいい雑談には適していても、深い話には向いていなかった。
「意外と空いてるよね〜。」
「ほら、ゴールデンウィーク終わりだし。」
「なるほど。」
「何買ったの?本。」
「参考書だよ、しばらく授業はテスト対策ってなってるから、その間の受験勉強にって思って。」
「テストかぁ。」
「沙也加ちゃん、勉強苦手だっけ?」
「あー、いや、なんか最近集中できなくて。」
たまに出る手の震えが原因だとは、ここでは言わない方が良いと思った。
「進路で悩んでるとか?」
「あー、それもあるかも。」
「沙也加ちゃんも塾、行かないの?」
「いやー、ほら、考えてる余裕なくて。」
「あ、大変だったもんね。」
「お、空いてるよ。」
「ほんとだ、店決まってる?」
「ううん、まだ。」
「じゃあ私、先行ってきちゃっていい?」
「うん、いいよ」
真っ直ぐ店に向かう光ちゃんを見送って、席に着いた。
心は、割と落ち着いている。
光ちゃんのこと、全然嫌いじゃない。
自分に言い聞かせるように、そう心の中で反芻した。
机の上に置いた腕が、少し震えている。
何を悩んでいなくても、悩んでいても、関係なくやって来る震えに、少し安心感すら覚えた。
回りを見渡せば、制服も少なくない。
部活帰りだろうか、これから部活に行くのだろうか。
次に目に入ってくるのは、子供連れの家族だった。
背の高い父親、柔らかい笑顔の母親、やんちゃな男の子、絵に書いたような幸せが、休日のフードコートにはポロポロ転がってて、私のような人間は、それを踏んでしまわないように、ぶつからないように、気をつけて歩かなければいけないのだ。
「お待たせー」
「お、何頼んだの?」
「ラーメンだよ。」
「お、ちょっと意外かも。」
「そう?」
「うん。食べないとかじゃないけど、こういう所では食べないかと思ってた。」
「たまに食べたくならない?フードコートのラーメン。」
「ちょっとわかるかも。」
「次、沙也加ちゃん行っておいで。」
「うん、ありがと。」
席を立って、目当ての店へ歩き出す。
さっき考えていた事は置いても、人がいるフードコートの席間というのは狭すぎると思う。
ラーメンなどの汁物を安全に運ぶのは、それで失敗したことは無いのに不安になってしまう。
今は、腕の事だってあるのだ。
別に今日ラーメンが食べたかった訳ではないから、構わないのだけれど。
何時ぞやかも食べたファストフードを買って、列を待った。
光ちゃんが、出来上がったラーメンを取りに行くのが見えた。
私も、トレイを受け取って席へと戻る。
「おまたせー。」
「よし、じゃあ食べよ!」
「うん、いただきます。」
「いただきます。」
手を合わせて、食事を始める。
「沙也加ちゃんって、そこのお店好きだよね。」
「そう?」
「うん、ほら、この前街で会った時もここのお店入ったじゃん?」
「あれはほら、近かったから。」
「ふーん?」
「いや、別に、隠すことでもないでしょ?」
「たしかに」
やっぱり、結構楽しい。
機能不全に陥っていた私の人間関係において、光ちゃんは私が新しく築いた最初の1歩と言っても良かった。
光ちゃんのこと、やっぱり結構好きだ。
可愛いし、話易いし、なんだか自分に持っていないものを持っている気がするから。
そう思うと、ふと昔の莉緒の事を思い出した。
高校1年生の頃、私と過ごすようになった頃の、眩しく私の手を引いてくれていた頃の事だ。
趣味は合わないけれど音楽が好きなのは一緒で、5回に1回は私のおすすめを聴いてきてくれる。
「ねえ、ずっと聞きたかったんだけど。」
嫌な響きの言葉が、急に聞こえてきた。
「何?」
少し、強ばった声がでた気がする。
「沙也加ちゃん、なんであの時、私と一緒に帰ろうなんて言ったの?」
ピンポイントで嫌な事を聞いて来るなと、笑いまで出そうだった。
「なんでって。」
「あの時、沙也加ちゃん怒ってたでしょ。」
「怒ってた?」
「うん、私は部活続けられなかったのにって。」
「あ、いや」
「いいの。」
言葉尻に、焦燥が宿る。
バレていた、あの時の自分の言葉の端に滲んでいた醜い感情が、他人に伝わっていたことに恐怖した。
「私が、部活を辞めた理由を聞いて、なんなんだって、そう思ったんでしょ?」
「いや、別に、」
「いいの、分かってるとは言えないけど、あの時は多分私が悪かったから、ごめんね。」
「あ、うん。」
正直、私は館山光という人間を舐めていたのかもしれない。
昔話していた頃は、ただいい子という印象だったし、仲良くなってからもそうだった。
正直に言えば、部活を辞めた理由の愚直さも、それに拍車をかけていたのかもしれない。
「沙也加ちゃん、あれからたまに"地雷踏んだ"って顔してたの、結構わかりやすかったよ?」
「え?」
「ねえ、沙也加ちゃん。」
「な、なに?」
「部活辞めたの、後悔してる?」
また、彼女もこの質問をしてくるのかと思った。
私に悪いと思ってるのに、謝罪をしてきたのに。
「私は、正直後悔してる。先生が好きなのも本当、勉強だって頑張りたい。でも、莉緒と沙也加ちゃんと3人で帰った時、楽しかった。勿体なかったなって思った。」
それは、多分私もそうだった。
「ねえ、沙也加ちゃん、吹奏楽部、続けることも出来たんじゃない?」
「え?」
「楽器は吹けなくても、少なくとも莉緒とか皆は、沙也加ちゃんを受け入れてた。色んな仕事や係がある部活だもん、部活自体に居続ける事はきっと出来たって私は思うよ。」
「私は、」
私は、どうしたかったのだろうか。
あの場所が好きだった、どうでもいい話とか、それこそフードコートでの雑談だとか、どうでもいい映画の、どうでもいい話を誰かが笑ってくれた。
私は、どうしてあそこから去ったのだろうか。
「ごめん、今私、すっごく性格悪いよね、性格悪いって自分のこと言うやつってほんとに性格悪いし。」
「あ、うん?」
「でも、1ヶ月くらい話してて思った。私と沙也加ちゃん、全然似てないなって。」
それは、そうだと思った。
「私は、諦めたくないものに順位をつけて、部活を諦めた。沙也加ちゃんが諦めたくなかったものはなに?」
「私は、」
「私は?」
「いや....ずるいよ、そんなの。」
追い詰められていた。
まだ数口しか食べられていない料理がどこか滑稽に見えた。
こんなにも断絶した空気も、フードコートの中では浮き足立つことも出来ずに周囲に同化している。
「私、嫌だった。皆露骨に気を使ってくるし、何しても無理してるんじゃないかって聞いてくるし、触れちゃいけない話題があるみたいな感じで、距離感じて、苦しかった。」
「うん。」
「皆、優しいのは分かってるけど、それが苦しくて、昔とは違うことを分かるのが嫌で、それで、部活、辞めたんだ思う。」
「そっか。」
「光ちゃんのことも、正直言うと、なんなんだって思った。」
「うん。」
本当に、あの日、家に帰ってから振り返れば、悶々とした気持ちが止まらなかった。
私が失いたくなかった場所を、自ら捨てたことが腹立たしかった。
今でも、さっきの、寂しかったとはなんだと、勿体なかったとはなんだと思っている。
「でも、うん、いや、なんでもないや。」
「....そっか。」
「うん。」
口にした方がいい物が、喉奥に出かかって、また飲み込まれていった。
ここでそれを口に出来たら、何か変わっただろうか。
「ごめん、変な話しちゃったね、食べよっか。」
「うん。」
それからは黙々と、喧騒の中での食事を続けた。
「ごちそうさま。じゃあ私、午後から自習室行くから、もう行くね。」
「うん。」
「ねえ、沙也加ちゃん。」
「な、なに?」
また、少し真剣な目だった。
「来週から、別に私と帰らなくてもいいよ。多分、1人の時間が必要だと思うから。」
「え?」
「でも、莉緒と話してあげて。莉緒はずっと、ずっと沙也加ちゃんの心配してたから。」
そう言うと、光ちゃんは優しい笑顔を浮かべた。
「勝手な話だけど、また一緒に帰りたくなったら、いつでも言って?私、沙也加ちゃんと話すの結構好きだった。」
深い、優しい笑顔だった。
恋に溺れた愚か者なんかでは決してない、ただこちらを思いやってくれる、優しい女の子の顔だった。
「じゃあ、またね。」
丼が乗ったトレイをもって、その前に少し手を振って、光ちゃんが去っていった。
ポテトの塩味が、また口の中に残っている。
それでも、前ほどしつこくはなくて、きっとすぐに消えてしまうことが分かって、なんだか切なかった。